検証プロファイリング 東北公益文科大弓道部同級生殺人事件と神奈川県伊勢原夫マグカップ撲殺事件に見る克服できない幼稚な嫉妬-4
I wonder why these two people would be the ghastly one which was not separated from a victim from oneself before committing murder(なぜこの2人は、凄惨な殺人を犯す前に自分から被害者と離れなかったのか)!
■東北公益文科大弓道部同級生殺人事件と神奈川県伊勢原夫マグカップ撲殺事件に見る克服できない幼稚な嫉妬
□東北公益文科大弓道部同級生殺人事件のホシ19歳同級生と神奈川県伊勢原夫マグカップ撲殺事件のホシ61歳の妻に共通する人間的欠陥
●東仙坊がプロファイリングするこの2つの事件から我々が学ぶべき点
①同級生を惨殺した19歳クソッタレは、仮にも大学に入ったのでは?
大学に入った以上、最低限、一人の人間としてどうあるべきかについて学習するのがその義務なのでは?
人間は一人一人それぞれに違い、それぞれがそれぞれにたった一度の人生を生きている。
そして、まず「Nobody's perfect,but a fool(誰一人パーフェクトではなく、バカでもない)」ということを知る。
それから、誰もに長所と短所があるのだから、できるだけその長所を見てつき合い、自分はその短所を改めるように努力する。
そのために、正々堂々と「try and error(試行錯誤)」を繰り返す。
とりわけ、恋愛の試行錯誤は、一気に人間として成長できる。
すなわち、失恋こそが人間成長の基本的な糧…。
その意味では、失恋をすればするほど人間的に成長すると言っても過言ではないほど。
さて、人間が成熟すると、このことに関してはアイツには敵わない、このことに関してはアイツだけには負けないと、自分のケイパビリティとキャパシティに関し、かなり冷静になれるようになるもの。
ただし、恋愛についてだけは、お天道様や神様でも予測できな展開になりがち。
その矛盾と傷心こそが、人間だけが持つ奥深いオモシロさ…。
精一杯の見栄で、相手に塩を送るのがオシャレだと思わないか?
それこそ、半ばヤケクソになって、いつか俺を選ばなかったことを後悔しろ!と内心叫びつつ、表面上は、うまくやれよ!と潔く諦めるのが男の世界。
その見解からすると、東仙坊、すでにプロファイリングしたように、仮に小中学校で好きなガールフレンドを奪われ、さらに大学でもそうなったのだとしたら、なぜに女性が自分ではなくクロコダイルアローを選ぶのかを真剣に学ぶべきだったのでは?
間違いなくルックスや能力の相違ではなかったはずなのだから…。
どちらにしても、長くつき合えばつき合うほど、その人の長所や短所は詳細に見えるようになるもの。
その意味でも、クソッタレにとってクロコダイルアローの存在は格好の反面教師でしかなく、そのためにだけでも、末永くつき合うべきベストフレンドであったはずだと思うが、それを簡単に殺害してしまうなんて、マジに大バカでは?
それこそ、クソッタレの人生において大いなる損失だったのでは?
②東仙坊、このクソッタレのようなヤングマンについて、どうしても理解できないことがある。
この短い人生、どの時代にもありとあらゆる分野で、こいつには敵わない!とつくづく思わされるライバルがいた。
しかしながら、幸か不幸か、そのライバルどもも、それこそ恋敵だったヤツどももそれなりにそれなりの終わり方をしている。
どうだろう?
それが人生の真実なのでは?
「All's same, all's the illusion(すべて同じ、すべて幻覚)」…。
そして、ジョージ・サンタヤナが言うところのPerhaps the only true dignity of man is his capacity to despise himself(おそらく人間の唯一の真の尊厳は、自分自身を蔑むことができる能力)…。
ついでに彼は、「人生はスペクタクルや御馳走ではなく、苦境である」とも…。
その意味からも、クソッタレは幼馴染のクロコダイルアローに好きな人を奪われ、言いようのない敗北感、屈辱感、挫折感を味わいスゴスゴと弓道部を辞めたのなら、クロコダイルアローに陰湿なイヤガラセなどしていないで、今に見ていろ!負けるものか!とそんな大学も辞め、東京の大学に行くか、海外留学をなぜしなかったのか?
それが前途洋々な19歳の普通のヤングの選択なのでは?
③お互いに還暦を越えた老夫婦なら、お互いに目をつぶり合って慈しみ合うのが長年連れ添った男女の義務なのでは?
お互い酸いも甘いも噛み分け、ともに人生を歩んできたことを尊敬し合うほどの含蓄に満ちた理想的夫婦関係を構築しているのが当然なのでは?
それこそ、単なる男と女を超えた人間同士の絆を結んだ関係になっているはずでは?
その意味からすると、このクソッタレ女が71歳の夫の浮気を騒ぐことの方が異常では?
無論、人間である以上、いくつになったってフィジカルなコミュニケーションも大切。
けれども、いくらオールマイティーに思われる女性だって、膣が狭くなったり、ラブジュースが不足したり、疼痛があったり、いわゆる萎縮性腟炎のような状態になったりして、大変な思いをするのでは?
それより何より、医師から酒を飲むのを止められているような71歳の夫にそんなことを求めること自体、かなり酷なことなのでは?
本当に愛し合っている老カップルなら、一緒に年を重ねられている感動からだけで、マグカップを並べて一緒にお茶を飲んでいるだけでも十分満足できるのでは?
その意味からすると、とっくに夫の方もこんなクソッタレ女の妻なのだから、手を繋いで一緒にショッピングに行ったり、一緒に旅行に行ったりもしていなかったどころか、日常会話すら全くなかったのかも。
もしかしたら、それらは全部愛人とだったりして…。
どちらにしても、長年連れ添った夫を簡単にマグカップで撲殺するなんて、愛情のカケラもなかったのでは?
そして、これによって、人生のほとんどを無にしてしまったのでは?
どうあれ、そんな夫と結婚したのは誰もせいでもなく、どこまでも自分の選択。
だからこそ、そんな最悪の結末にしてしまうくらいなら、自分も堂々と若いツバメと遊ぶか、3日に1度でもいいから愛人にしているように私にもやさしくして!と可愛く頼むべきだったのでは?
もっとも、東仙坊、夫と愛人のことはとっくに過去のことで、クソッタレ女がいつまでもその幻影に、妄想にとりつかれていただけだったと決めつけているのだが…。
そう、「女房の妬くほど亭主もてもせず」。
おそらく夫とその愛人との関係も自分と同じくらい打算的だったと思うが、どうだろう?
その意味では、この夫にこの妻あり!だったのでは?
④東仙坊、このクソッタレ女のような高齢夫妻の妻にも、どうしても理解できないことがある。
これだけ結婚という為政者にとってのみベネフィットなシステムの破綻は、当の昔に露呈しているのでは?
それゆえ、熟年夫婦の離婚が激増しているのが現実なのでは?
ましてや、これだけの結婚当初からの仮面夫婦、夫の浮気が発覚したときに、なぜこれ幸いと離婚しなかったのか?
このクソッタレ女にとって、その選択をしなかった段階で、この最低の結末が待っていたのでは?
いかなる理由があろうと自分を夫が裏切った段階で、三行半を突きつけるべきだったのでは?
もちろん、人間的に成熟した女だったのなら、よくガンバったわね…と笑ってオシマイだったと思うけど…。
どちらにしても、死ぬときは独り、それを考えればそそくさと別れて1人で暮らせばよかったのでは?
もともと、そのために経済的に安定した夫を選んでいたのではなかったのか?
そうでなくても、これだけ幼稚なクソッタレ女だったのだから、とっくにメンタルな意味では独りぼっちだったと思うが…。
本物の夫婦なら、最後の最後までお互いに理解し合おうと努力するはずで、マグカップで撲殺することなどありえないのでは?
さて、東仙坊、なぜにこの2つの事件を比較してみたくなったのか?
それは、ホシがそれぞれ19歳の男子学生と61歳の専業主婦なのに、その未成熟な頭の構造がどちらも保育園児のままだということに、かなりショックをお覚えたからに他ならない。
そう、孫と祖母ほどの年齢差があるのにである。
実は、ここにこそ、今のモラル完全崩壊の日本の現状があると悲嘆している。
何があっても人を殺めてはいけないという人間の初めの一歩すら学習していないクソッタレどもが跳梁跋扈していることに、暗澹たる気持ちにさせられるのからでもある。
どうだろう?
こんな日本に本当に未来があるのだろうか?
今すぐにも天罰が下るとどうしても感じてしまうのは、本当に東仙坊だけなのだろうか?
As for the degree of the head of the 61 years old full-time homemaker being the same as a 19 years old university student, Japanese average should be a low level of that level(19歳大学生と61歳専業主婦の頭の程度が同じということは、日本中がその程度の低いレベルということになるはず)!
■東北公益文科大弓道部同級生殺人事件と神奈川県伊勢原夫マグカップ撲殺事件に見る克服できない幼稚な嫉妬
□東北公益文科大弓道部同級生殺人事件のホシ19歳同級生と神奈川県伊勢原夫マグカップ撲殺事件のホシ61歳の妻に共通する人間的欠陥
●東仙坊がプロファイリングするこの2つの事件から我々が学ぶべき点
①同級生を惨殺した19歳クソッタレは、仮にも大学に入ったのでは?
大学に入った以上、最低限、一人の人間としてどうあるべきかについて学習するのがその義務なのでは?
人間は一人一人それぞれに違い、それぞれがそれぞれにたった一度の人生を生きている。
そして、まず「Nobody's perfect,but a fool(誰一人パーフェクトではなく、バカでもない)」ということを知る。
それから、誰もに長所と短所があるのだから、できるだけその長所を見てつき合い、自分はその短所を改めるように努力する。
そのために、正々堂々と「try and error(試行錯誤)」を繰り返す。
とりわけ、恋愛の試行錯誤は、一気に人間として成長できる。
すなわち、失恋こそが人間成長の基本的な糧…。
その意味では、失恋をすればするほど人間的に成長すると言っても過言ではないほど。
さて、人間が成熟すると、このことに関してはアイツには敵わない、このことに関してはアイツだけには負けないと、自分のケイパビリティとキャパシティに関し、かなり冷静になれるようになるもの。
ただし、恋愛についてだけは、お天道様や神様でも予測できな展開になりがち。
その矛盾と傷心こそが、人間だけが持つ奥深いオモシロさ…。
精一杯の見栄で、相手に塩を送るのがオシャレだと思わないか?
それこそ、半ばヤケクソになって、いつか俺を選ばなかったことを後悔しろ!と内心叫びつつ、表面上は、うまくやれよ!と潔く諦めるのが男の世界。
その見解からすると、東仙坊、すでにプロファイリングしたように、仮に小中学校で好きなガールフレンドを奪われ、さらに大学でもそうなったのだとしたら、なぜに女性が自分ではなくクロコダイルアローを選ぶのかを真剣に学ぶべきだったのでは?
間違いなくルックスや能力の相違ではなかったはずなのだから…。
どちらにしても、長くつき合えばつき合うほど、その人の長所や短所は詳細に見えるようになるもの。
その意味でも、クソッタレにとってクロコダイルアローの存在は格好の反面教師でしかなく、そのためにだけでも、末永くつき合うべきベストフレンドであったはずだと思うが、それを簡単に殺害してしまうなんて、マジに大バカでは?
それこそ、クソッタレの人生において大いなる損失だったのでは?
②東仙坊、このクソッタレのようなヤングマンについて、どうしても理解できないことがある。
この短い人生、どの時代にもありとあらゆる分野で、こいつには敵わない!とつくづく思わされるライバルがいた。
しかしながら、幸か不幸か、そのライバルどもも、それこそ恋敵だったヤツどももそれなりにそれなりの終わり方をしている。
どうだろう?
それが人生の真実なのでは?
「All's same, all's the illusion(すべて同じ、すべて幻覚)」…。
そして、ジョージ・サンタヤナが言うところのPerhaps the only true dignity of man is his capacity to despise himself(おそらく人間の唯一の真の尊厳は、自分自身を蔑むことができる能力)…。
ついでに彼は、「人生はスペクタクルや御馳走ではなく、苦境である」とも…。
その意味からも、クソッタレは幼馴染のクロコダイルアローに好きな人を奪われ、言いようのない敗北感、屈辱感、挫折感を味わいスゴスゴと弓道部を辞めたのなら、クロコダイルアローに陰湿なイヤガラセなどしていないで、今に見ていろ!負けるものか!とそんな大学も辞め、東京の大学に行くか、海外留学をなぜしなかったのか?
それが前途洋々な19歳の普通のヤングの選択なのでは?
③お互いに還暦を越えた老夫婦なら、お互いに目をつぶり合って慈しみ合うのが長年連れ添った男女の義務なのでは?
お互い酸いも甘いも噛み分け、ともに人生を歩んできたことを尊敬し合うほどの含蓄に満ちた理想的夫婦関係を構築しているのが当然なのでは?
それこそ、単なる男と女を超えた人間同士の絆を結んだ関係になっているはずでは?
その意味からすると、このクソッタレ女が71歳の夫の浮気を騒ぐことの方が異常では?
無論、人間である以上、いくつになったってフィジカルなコミュニケーションも大切。
けれども、いくらオールマイティーに思われる女性だって、膣が狭くなったり、ラブジュースが不足したり、疼痛があったり、いわゆる萎縮性腟炎のような状態になったりして、大変な思いをするのでは?
それより何より、医師から酒を飲むのを止められているような71歳の夫にそんなことを求めること自体、かなり酷なことなのでは?
本当に愛し合っている老カップルなら、一緒に年を重ねられている感動からだけで、マグカップを並べて一緒にお茶を飲んでいるだけでも十分満足できるのでは?
その意味からすると、とっくに夫の方もこんなクソッタレ女の妻なのだから、手を繋いで一緒にショッピングに行ったり、一緒に旅行に行ったりもしていなかったどころか、日常会話すら全くなかったのかも。
もしかしたら、それらは全部愛人とだったりして…。
どちらにしても、長年連れ添った夫を簡単にマグカップで撲殺するなんて、愛情のカケラもなかったのでは?
そして、これによって、人生のほとんどを無にしてしまったのでは?
どうあれ、そんな夫と結婚したのは誰もせいでもなく、どこまでも自分の選択。
だからこそ、そんな最悪の結末にしてしまうくらいなら、自分も堂々と若いツバメと遊ぶか、3日に1度でもいいから愛人にしているように私にもやさしくして!と可愛く頼むべきだったのでは?
もっとも、東仙坊、夫と愛人のことはとっくに過去のことで、クソッタレ女がいつまでもその幻影に、妄想にとりつかれていただけだったと決めつけているのだが…。
そう、「女房の妬くほど亭主もてもせず」。
おそらく夫とその愛人との関係も自分と同じくらい打算的だったと思うが、どうだろう?
その意味では、この夫にこの妻あり!だったのでは?
④東仙坊、このクソッタレ女のような高齢夫妻の妻にも、どうしても理解できないことがある。
これだけ結婚という為政者にとってのみベネフィットなシステムの破綻は、当の昔に露呈しているのでは?
それゆえ、熟年夫婦の離婚が激増しているのが現実なのでは?
ましてや、これだけの結婚当初からの仮面夫婦、夫の浮気が発覚したときに、なぜこれ幸いと離婚しなかったのか?
このクソッタレ女にとって、その選択をしなかった段階で、この最低の結末が待っていたのでは?
いかなる理由があろうと自分を夫が裏切った段階で、三行半を突きつけるべきだったのでは?
もちろん、人間的に成熟した女だったのなら、よくガンバったわね…と笑ってオシマイだったと思うけど…。
どちらにしても、死ぬときは独り、それを考えればそそくさと別れて1人で暮らせばよかったのでは?
もともと、そのために経済的に安定した夫を選んでいたのではなかったのか?
そうでなくても、これだけ幼稚なクソッタレ女だったのだから、とっくにメンタルな意味では独りぼっちだったと思うが…。
本物の夫婦なら、最後の最後までお互いに理解し合おうと努力するはずで、マグカップで撲殺することなどありえないのでは?
さて、東仙坊、なぜにこの2つの事件を比較してみたくなったのか?
それは、ホシがそれぞれ19歳の男子学生と61歳の専業主婦なのに、その未成熟な頭の構造がどちらも保育園児のままだということに、かなりショックをお覚えたからに他ならない。
そう、孫と祖母ほどの年齢差があるのにである。
実は、ここにこそ、今のモラル完全崩壊の日本の現状があると悲嘆している。
何があっても人を殺めてはいけないという人間の初めの一歩すら学習していないクソッタレどもが跳梁跋扈していることに、暗澹たる気持ちにさせられるのからでもある。
どうだろう?
こんな日本に本当に未来があるのだろうか?
今すぐにも天罰が下るとどうしても感じてしまうのは、本当に東仙坊だけなのだろうか?
As for the degree of the head of the 61 years old full-time homemaker being the same as a 19 years old university student, Japanese average should be a low level of that level(19歳大学生と61歳専業主婦の頭の程度が同じということは、日本中がその程度の低いレベルということになるはず)!