検証プロファイリング 三重県伊勢市私立高校同級生嘱託殺人事件-2
In our country which has become the frivolity thoroughly, there must be no end to the horrifying cases that are made to make uncomfortable thoroughly(とことん軽佻浮薄になってしまった我が国では、とことん不快にさせられるおぞましい事件が後を絶たない)!
■三重県伊勢市私立高校同級生嘱託殺人事件
●東仙坊がプロファイリングするこの事件の不可解な点
①この事件発生によって、誰が何を言おうと、このうえなく不快で絶望的で空虚な気分になって、この18歳にもなって11歳か12歳のような知的水準のイノセント・ジュリエットに対し、なんともいえない憤りを感じているのは、東仙坊だけではあるまい。
その他者への思いやりや愛情や感謝の念の全くないまま、自分のエモーションの趣くままに自分が短絡に思いついたことを実行してしまう傲慢さ、どこまでも独り善がりの不遜さ。
とにかく、どこまでも美しくないことだけは確か。
いくらこれだけタガが緩み切った現代社会で、我が国のヤングがより軽佻浮薄になってしまっていることにやむを得ない面があるとしても、なぜここまで未熟でいられるのか?
それこそ、心の一番大切なところに毛さえ生えていなかったのでは?と疑うほど。
それにしても、ちょっとぐらいの稚拙な知性で勘違いし、自己陶酔や自己顕示の虜になり、これこそ人類史上まれなる世紀のパフォーマンスと思いたがるイノセント・ジュリエットのようなアンポンタン・ヤングが、ここまで増殖してしまっているのは、我が国の最も由々しき問題だと思うが、どうだろう?
もちろん、イノセント・ジュリエットのようなタイプの少女は、いつの時代にも必ずいる。
「Know-it -all(ノウ・イット・オール)」、メチャクチャ知ったかぶりで夢見る夢子のジコチュウタイプ。
この手の少女は、いつのまにか心の芯をとかし、典型的な「crippled inside(クリップルド・インサイド)」で、往々にして陥るのが、異常なほどの自殺願望か宗教固執。
ただし、一見大人しくて目立たない少女、言い換えれば、あまり人間的に魅惑的ではなく外的にビューティフルではない少女ほどその傾向が強いところが、ミソ。
東仙坊、袋叩きに遭う覚悟で言えば、いわゆる不美人の少女には心がないと極論してもいいほど。どうあれ、自殺願望に向かう少女がいることは事実。
それも、なんとなく理由もなく死をひたすら夢想し憧憬を抱く感覚のモノ、ショックのあまりいくらでも解決ができるコトなのに死で解決しようとするジコチュウ的なモノ、鬱病による単なる発作によるモノと多種多彩。
そのなかで、一番厄介でも、対処法があるのが鬱病によるモノ。
なぜなら、医学的治療でなんとかなるからに他ならない。
というのも、今年2月、コロンビア大学を含む研究グループが解明したばかりで、脳全体の後尾に近いところにあるセロトニンを作る「縫線核」という部分で、「幸せホルモン」の異名も持つセロトニンに「自己受容体」なるものがくっつき、セロトニンを抑えているというのである。
実際、自殺した人の「縫線核」と「前頭前野」では、その「自己受容体」が異常に増加していたことまで把握できたとか。
では、未熟な人間の自殺願望で本当に厄介なのは、なんとなく理由もなく死をひたすら夢想し憧憬を抱く感覚のモノ。
人の心の問題はどこまでも自分だけの問題。
当然、その絶対的な真実である自分の死を自分でどうするかも、最終的に自分だけのモノ。
そもそも、人の心を本当に理解できる他人がいると思うこと自体が、人間として未成長な証拠なのでは?
それゆえ、本物の自殺願望を持った人間を他の人間が止めることなど、神様や仏様でも不可能。
第一、それらの人間は他の人間にそれを話すことなどなく独りで実行するからである。
そのリアルな点は、自傷行為。
これは何人にも止めようがない。
その意味からでも、このイノセント・ジュリエットの心がいい加減このうえないことは明確。
それはそうである。
周りの同じような未熟な友人たち、こともあろうに教師などにまで、「死にたい、死にたい」と言っていただけでなく、「ワタシを殺して」と頼んでいたというのだから。
それは言い換えると、「ワタシを好きになって、ワタシをチヤホヤして、ワタシをもっと愛して」と言っていただけ。
どうだろう?
ジコチュウ丸出しのナルシストでしかなかったということなのでは?
どこから見ても、ニセ自殺願望者では?
その決定的な証左がある。
イノセント・ジュリエットは、7月、「川に飛び込んで自殺しようと思ったけど、怖くてできなかった」と言っているのでは?
この救い難い甘えには、年間3万人くらいの自殺者たちまで怒っていると思うが、どうだろう?
しかも、そのとき、独りで家出したのではなく、交際相手(?)の別の高校に通う男子生徒と一緒だったのでは?
本当にメチャクチャのぼせ上った少女なのでは?
「自分は生きていても価値がない」というが、生きる価値って一体何?
東仙坊、自慢じゃないが、今なお、そんなモノはわからない。
それより何より、どこに自分には生きる価値があるから生きているという人がいるの?
誰もが人間として生まれた以上仕方がないと人間として必死に生きているだけなのでは?
どうあれ、結果的に、このイノセント・ジュリエットが成し遂げたことは、女手一つで私立高校にまで通わしてくれた母親と自分にこのうえなく甘い何かを与えてくれなかった彼氏への醜悪極まりないリベンジ、自分と同じくらい未熟な同級生男子生徒のイグナラント・ロミオを殺人者にしたことだけ。
どうだろう?
イノセント・ジュリエットは、とことんイヤな性格の少女だったのでは?
②東仙坊、今回、ホトホト呆れ切っているのが、イグナラント・ロミオなるおバカな18歳のガキの存在。
おそらくイノセント・ジュリエット同様、少年として魅力のない大人しくて目立たなかったに違いない。
そして、内実、いつも一緒に談笑しランチを食べいるイノセント・ジュリエットに、仄かな愛情を抱いていたに違いない。
しかし、ローカルな高校でそこそこ成績のよかったイノセント・ジュリエットは高根の花。
それだけじゃなく、露骨に自分の彼氏の自慢をする鼻持ちならない少女。
きっと日々モヤモヤした複雑な気持ちでいたに違いない。
だからこそ、そこをイノセント・ジュリエットにつけ込まれた。
そもそも、このおバカ、相手の要求にこたえることが愛情とでも考えたのか?
そして、それによって彼女の彼氏よりも自分が優位に立てるとでも思ったのか?
ここは、何とか、イノセント・ジュリエットの願いを叶えてあげたいと決断したおバカの気持ちで考えてみたい。
地球上で自分だけが理解してあげられる(?)イノセント・ジュリエットに少しでも苦しまずに安らかな痛みのない死を与えてあげたい…。
◇一緒に笑い歌いながらシャンペンの中にトリカブトの毒であるアコニチンを入れてあげる。
もしくは、大量の睡眠薬を飲ましてあげる。
◇葛西臨海公園にある「ダイヤと花の大観覧車」のテッペン部から突き落としてあげる。
もしくは、「あべのハルカス」の屋上から投げ落としてあげる。
◇鳥取砂丘に睡眠導入剤を飲ませて埋めてあげる。
◇簡易テントで練炭を燃やしてあげる。
バカバカしいから、もう止めるが、それなのに、なぜ家から包丁を持ってきて、ライトノベルの聖地で胸を一刺しなのか?
このおバカ、ササクレやサカムケだって痛いことさえ知らなかったのか?
もしかして、映画の「ロメオとジュリエット」 でも観たということ?
その命懸けで「殺し方」を考えてあげない不精は何?
どちらにしても、人を刺し殺しルビコン川を自分が渡ったという事実と残りの人生ずっと向き合い自責の念に駆られ続けることを祈るばかりだが…。
どちらにしても、イグナラント・ロミオ、人のいいように利用されることが人間としてどれだけ屈辱的なことかということだけはイヤというほど知るべき。
えっ、おバカはどうすればよかったのか?って?
まずオモチャのナイフを買って一緒にその山に行き、イノセント・ジュリエットの胸を刺し、「もうキミは死んだ。これからは生まれ変わった新しいキミだ。ボクと一緒にこれからは生きよう。もうキミは独りじゃない」と告げるくらいしか方法はなかったのでは?
到底、それに効果があったとは思わないが…。
どうだろう?
こんな高校生が出現するようでは、我が日本は本当に美しくない国になってきてしまっているのでは?
ところで、今回取り上げたこの3つの事件で、そのたった一つの命をムダにされてしまった、そして、ムダにした女性被害者たちが、みんな片親だということは単なる偶然なのか?
凄く気にならないか?
When a boy doesn't grow up early, girls of our country grow arrogant more and more and must become more arrogant(少年が早く成長しないと、我が国の少女たちはますます増長しもっと傲慢になってゆく)!
■三重県伊勢市私立高校同級生嘱託殺人事件
●東仙坊がプロファイリングするこの事件の不可解な点
①この事件発生によって、誰が何を言おうと、このうえなく不快で絶望的で空虚な気分になって、この18歳にもなって11歳か12歳のような知的水準のイノセント・ジュリエットに対し、なんともいえない憤りを感じているのは、東仙坊だけではあるまい。
その他者への思いやりや愛情や感謝の念の全くないまま、自分のエモーションの趣くままに自分が短絡に思いついたことを実行してしまう傲慢さ、どこまでも独り善がりの不遜さ。
とにかく、どこまでも美しくないことだけは確か。
いくらこれだけタガが緩み切った現代社会で、我が国のヤングがより軽佻浮薄になってしまっていることにやむを得ない面があるとしても、なぜここまで未熟でいられるのか?
それこそ、心の一番大切なところに毛さえ生えていなかったのでは?と疑うほど。
それにしても、ちょっとぐらいの稚拙な知性で勘違いし、自己陶酔や自己顕示の虜になり、これこそ人類史上まれなる世紀のパフォーマンスと思いたがるイノセント・ジュリエットのようなアンポンタン・ヤングが、ここまで増殖してしまっているのは、我が国の最も由々しき問題だと思うが、どうだろう?
もちろん、イノセント・ジュリエットのようなタイプの少女は、いつの時代にも必ずいる。
「Know-it -all(ノウ・イット・オール)」、メチャクチャ知ったかぶりで夢見る夢子のジコチュウタイプ。
この手の少女は、いつのまにか心の芯をとかし、典型的な「crippled inside(クリップルド・インサイド)」で、往々にして陥るのが、異常なほどの自殺願望か宗教固執。
ただし、一見大人しくて目立たない少女、言い換えれば、あまり人間的に魅惑的ではなく外的にビューティフルではない少女ほどその傾向が強いところが、ミソ。
東仙坊、袋叩きに遭う覚悟で言えば、いわゆる不美人の少女には心がないと極論してもいいほど。どうあれ、自殺願望に向かう少女がいることは事実。
それも、なんとなく理由もなく死をひたすら夢想し憧憬を抱く感覚のモノ、ショックのあまりいくらでも解決ができるコトなのに死で解決しようとするジコチュウ的なモノ、鬱病による単なる発作によるモノと多種多彩。
そのなかで、一番厄介でも、対処法があるのが鬱病によるモノ。
なぜなら、医学的治療でなんとかなるからに他ならない。
というのも、今年2月、コロンビア大学を含む研究グループが解明したばかりで、脳全体の後尾に近いところにあるセロトニンを作る「縫線核」という部分で、「幸せホルモン」の異名も持つセロトニンに「自己受容体」なるものがくっつき、セロトニンを抑えているというのである。
実際、自殺した人の「縫線核」と「前頭前野」では、その「自己受容体」が異常に増加していたことまで把握できたとか。
では、未熟な人間の自殺願望で本当に厄介なのは、なんとなく理由もなく死をひたすら夢想し憧憬を抱く感覚のモノ。
人の心の問題はどこまでも自分だけの問題。
当然、その絶対的な真実である自分の死を自分でどうするかも、最終的に自分だけのモノ。
そもそも、人の心を本当に理解できる他人がいると思うこと自体が、人間として未成長な証拠なのでは?
それゆえ、本物の自殺願望を持った人間を他の人間が止めることなど、神様や仏様でも不可能。
第一、それらの人間は他の人間にそれを話すことなどなく独りで実行するからである。
そのリアルな点は、自傷行為。
これは何人にも止めようがない。
その意味からでも、このイノセント・ジュリエットの心がいい加減このうえないことは明確。
それはそうである。
周りの同じような未熟な友人たち、こともあろうに教師などにまで、「死にたい、死にたい」と言っていただけでなく、「ワタシを殺して」と頼んでいたというのだから。
それは言い換えると、「ワタシを好きになって、ワタシをチヤホヤして、ワタシをもっと愛して」と言っていただけ。
どうだろう?
ジコチュウ丸出しのナルシストでしかなかったということなのでは?
どこから見ても、ニセ自殺願望者では?
その決定的な証左がある。
イノセント・ジュリエットは、7月、「川に飛び込んで自殺しようと思ったけど、怖くてできなかった」と言っているのでは?
この救い難い甘えには、年間3万人くらいの自殺者たちまで怒っていると思うが、どうだろう?
しかも、そのとき、独りで家出したのではなく、交際相手(?)の別の高校に通う男子生徒と一緒だったのでは?
本当にメチャクチャのぼせ上った少女なのでは?
「自分は生きていても価値がない」というが、生きる価値って一体何?
東仙坊、自慢じゃないが、今なお、そんなモノはわからない。
それより何より、どこに自分には生きる価値があるから生きているという人がいるの?
誰もが人間として生まれた以上仕方がないと人間として必死に生きているだけなのでは?
どうあれ、結果的に、このイノセント・ジュリエットが成し遂げたことは、女手一つで私立高校にまで通わしてくれた母親と自分にこのうえなく甘い何かを与えてくれなかった彼氏への醜悪極まりないリベンジ、自分と同じくらい未熟な同級生男子生徒のイグナラント・ロミオを殺人者にしたことだけ。
どうだろう?
イノセント・ジュリエットは、とことんイヤな性格の少女だったのでは?
②東仙坊、今回、ホトホト呆れ切っているのが、イグナラント・ロミオなるおバカな18歳のガキの存在。
おそらくイノセント・ジュリエット同様、少年として魅力のない大人しくて目立たなかったに違いない。
そして、内実、いつも一緒に談笑しランチを食べいるイノセント・ジュリエットに、仄かな愛情を抱いていたに違いない。
しかし、ローカルな高校でそこそこ成績のよかったイノセント・ジュリエットは高根の花。
それだけじゃなく、露骨に自分の彼氏の自慢をする鼻持ちならない少女。
きっと日々モヤモヤした複雑な気持ちでいたに違いない。
だからこそ、そこをイノセント・ジュリエットにつけ込まれた。
そもそも、このおバカ、相手の要求にこたえることが愛情とでも考えたのか?
そして、それによって彼女の彼氏よりも自分が優位に立てるとでも思ったのか?
ここは、何とか、イノセント・ジュリエットの願いを叶えてあげたいと決断したおバカの気持ちで考えてみたい。
地球上で自分だけが理解してあげられる(?)イノセント・ジュリエットに少しでも苦しまずに安らかな痛みのない死を与えてあげたい…。
◇一緒に笑い歌いながらシャンペンの中にトリカブトの毒であるアコニチンを入れてあげる。
もしくは、大量の睡眠薬を飲ましてあげる。
◇葛西臨海公園にある「ダイヤと花の大観覧車」のテッペン部から突き落としてあげる。
もしくは、「あべのハルカス」の屋上から投げ落としてあげる。
◇鳥取砂丘に睡眠導入剤を飲ませて埋めてあげる。
◇簡易テントで練炭を燃やしてあげる。
バカバカしいから、もう止めるが、それなのに、なぜ家から包丁を持ってきて、ライトノベルの聖地で胸を一刺しなのか?
このおバカ、ササクレやサカムケだって痛いことさえ知らなかったのか?
もしかして、映画の「ロメオとジュリエット」 でも観たということ?
その命懸けで「殺し方」を考えてあげない不精は何?
どちらにしても、人を刺し殺しルビコン川を自分が渡ったという事実と残りの人生ずっと向き合い自責の念に駆られ続けることを祈るばかりだが…。
どちらにしても、イグナラント・ロミオ、人のいいように利用されることが人間としてどれだけ屈辱的なことかということだけはイヤというほど知るべき。
えっ、おバカはどうすればよかったのか?って?
まずオモチャのナイフを買って一緒にその山に行き、イノセント・ジュリエットの胸を刺し、「もうキミは死んだ。これからは生まれ変わった新しいキミだ。ボクと一緒にこれからは生きよう。もうキミは独りじゃない」と告げるくらいしか方法はなかったのでは?
到底、それに効果があったとは思わないが…。
どうだろう?
こんな高校生が出現するようでは、我が日本は本当に美しくない国になってきてしまっているのでは?
ところで、今回取り上げたこの3つの事件で、そのたった一つの命をムダにされてしまった、そして、ムダにした女性被害者たちが、みんな片親だということは単なる偶然なのか?
凄く気にならないか?
When a boy doesn't grow up early, girls of our country grow arrogant more and more and must become more arrogant(少年が早く成長しないと、我が国の少女たちはますます増長しもっと傲慢になってゆく)!