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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

プロファイリング-8 普通の人々の日常的犯罪-ultimatum(最終章)

It must be the most important concern in Japan that the ordinary people used to commit the extraordinary crimes(我が国の一番の心配は、普通の人々が犯す異常な罪そのもの)!

東仙坊、結局、何のために、「普通の人々の日常的犯罪」プロファイリングをしたかったのか?
その意図は、今や、自己のために必然だった日本古来の利他精神は完全に雲散霧消し、社会や家庭のモラルは皆無となり、絶対的責任回避の利己的個人主義が、普通の常識として跋扈している、と警告したかったからにほかならない。
一言でいえば、「振り込め詐欺横行社会」、それが現代社会の実態なのである。
それが何を意味するのか?
夫婦間、親子間の親密なコミュニケーション、綿密な情報交換が絶対不可欠で、簡単に他人を信じてはいけないということに他ならない。
ようは、自分の安全確保、財産保全は、自分の日常的risk control(危機管理)に全てがかかっている、と認識しなければならないということ。
その実感、自覚があまりにも希薄だから、あの手この手の振り込め詐欺被害がますます増加しているのが、現状なのである。
当然、これには、金銭や暴行や殺人などの物質的肉体的詐欺だけでなく、結婚や恋愛などの精神的詐欺も含まれている。
学校や会社のイジメだって、ネットオークション詐欺や出会い系サイトによる犯罪だって、ストーカーだって、それこそ、無差別殺人だって、今流行の硫化水素自殺だって、振り込め詐欺の一種と言うことができる。
その手口を考えたら、誰にもそう感じてもらえると思うが、どうだろう?
まず基本的に、利己のためにはターゲットは誰でもいい?というのである。
つまり、相手の人間性や人格なんかに何も興味も感心もないどころか、はなから愚弄している。
その意味では、自分が相手よりスマートだと思い込んでいる。
なんと、傲慢で能天気だと思わないか?
つぎに目的はターゲットの金銭、愛情、命を強奪し、自分の満足を得ることでしかない。
つまり、相手の後悔、苦痛、無念なんか歯牙にかけていないどころか、世の中に現実を示唆してあげているとまでのぼせているのである。
その意味では、教授料を払うのは当然だとさえ思っているのである。
なんと、不遜で傍若無人だと思わないか?
とすると、そんな手合に引っかかる、騙される、狙われる、カモになる自分は一体何だろうと思わないか?
東仙坊が指摘し続けている、お人好しの普通のいい人だから?
本当にそうだろうか?
普段何も考えていない普通のお年寄りだから?
本当にそれだけなのだろうか?
核家族化、別居、都合のいいホッタラカシ…。
この東仙坊でさえ、両親がリフォーム詐欺にかかる辛酸を舐めているから、これだけは自信を持って言い切れる、子どもの責任が相当大きい。
実際、3月31日、警察庁の報告によると、今年1~2月の振り込め詐欺発生件数は、3,532件(昨年2,085件)、その被害額は約49億円(昨年25億円)と、物凄い増加なのである。
それゆえ、どこにも「自分だけは大丈夫」などという確信を持てないばかりか、被害にあってから「どうしよう?」とか、「どうしたらいいの?」なんて言っていられないと思うのだが、どうだろう?
卑劣で卑怯な振り込め詐欺師たちは、前触れもなく、無差別にやみくもに網を投げてくるのである。
中には、話し相手欲しさに、自分からわざわざ網にかかるお年寄りまで現れているような気がするが、どうだろう?
東仙坊、こんな「振り込め詐欺横行社会」が、我が国のモラル喪失社会を象徴している、と思う。
その元凶は、日本砂漠化プロファイリング どうなってるの福田康夫?にも書き込んだ通り、いつのまにか、経済がすべて、お金がすべての経済市場原理主義が横行し始めてからだと思うが、どうだろう?

どちらにしても、この東仙坊のブログにも、そんな種類の不逞の輩が現れ、結構、ショックを受けている。
こちらの内容を全く精査せずに、自分のブログに誘引するためだけのコメントを入れてきたヒトが、ついに出現した。
正直、とても馬鹿にされている気分で、不愉快極まりない。
一方、東仙坊の認知度も上がってきたのかと苦笑いするしかない。
どうやら、web社会のモラル喪失問題は、噂通りらしい。
東仙坊の場合は、その対処は極めて簡潔。
いくら甘ちゃんアマチュアでも、仮にも探偵団である。
東仙坊、それなりのネットワークを作り、対応策を講じ、きちんとチェックし、判断している。
本当に、油断もスキも見せられない世の中のようである。

What is this kind of silly asshole thinking about? Please doesn't humiliate me (一体何を考えているのか?馬鹿にしないで)!



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プロファイリング-8 普通の人々の日常的犯罪-6

I wonder if almost ordinary peoples used to long for the happiness so much (ほとんどの普通の人々が幸せを求めすぎ)!

東仙坊、このブログの主旨は、どこまでも卑劣で卑怯な犯罪の抑止。
それゆえ、時には、不幸で不運でしかない被害者にも、辛辣に苦言を呈してきたつもり。
それが顰蹙を買おうと、一つの真実だと思うからである。
「自分だけは、大丈夫!」、「まさか自分に!」、「どうして?なぜなの?」
そうでも考えなければ、毎日生活ができなくなるだろ!?って?
本当にそうなのだろうか?
普通の生活を普通にしていたいと考えるあまり、その日常の中で、かなりの自己欺瞞、自己矛盾、本心を抑えての妥協、それこそ感じる何かに見て見ぬふりをし過ぎていないか?
そして、そのリバウンドで、自分まで、他人に対して不本意に、不随意的に、ついつい不快な気持ちにさせていないか?
それで、自己嫌悪になったことってないか?
逆に、イヤな予感通りのことが起きて、やっぱりと後悔したことってないか?
そんな感じで、日常的に普通に犯罪加害者や犯罪被害者が生まれている気がしないか?
実は、普通の人々の日常的な犯罪こそ、極めて厄介。
だから、「あんなにイイヒト(?)がなぜ?」という犯罪が続くのではないのか?
ところで、世の中、そんなにイイヒトがそばにいるのだろうか?凄く変だと思わないか?
少なくとも、東仙坊の周りには、クールな人、セクシーな人、スマートな人、アトラクティブな人、キュートな人はいても、あんなにイイヒトがいない。
なぜ何だろう?
共通している点は、みんな普通じゃないところだけ。
誰一人として、そんなに幸せを求めている気がしないし、妥協をしないし、自分にウソをつかない。
とにかく、みんな必死なだけ。
だから、角を無理矢理丸くしている暇がなく、それこそ、犯罪なんかにうつつを抜かす時間も、巻き込まれている時間もない。
そしてまた、卑屈でないとも言える。
東仙坊、卑劣で卑怯な犯罪者は、とても卑屈で、必要以上に自分を卑下していると思うのだが、どうだろう?
それよりも何よりも、卑劣で卑怯な事件の被害者は、とても依存的で、real world(現実の世界)にいる自覚がないと思うのだが、どうだろう?
この世界は、産科病棟の隔離ユリカゴの中ではないはず。

そんなことを的確に証明するような事件がまた起こった。
4月11日、東京都青梅市で、覚醒剤所持の現行犯で逮捕された、塩野直樹(26歳)なるただのstupid bastard junkie(愚鈍な麻薬常習者)が、4月5日、東京JR亀戸駅から連れ回していた東京・江戸川区の19歳の女性行方不明事件に絡んでいるという。
「一緒に冷たいのを決めない」、そんな言葉に自ら乗ったというから、何をか言わんや。自業自得。因果応報。「エス(SMのS?イエスのエス?)」だか、「アイス(誰でもアイスのアイス?)」だか、一切興味がないから、do what you like(お好きなように!)の気持ちにしかなれない。
もちろん、その女性の無事は祈っている…。
それにしても、ワンボックスカーに暮らす、あんな風采と相の悪いバカと一緒に行動が取れるなんて、この女性自身がすでに麻薬常習者だったからと言っても、全くその気持ちが理解できない。
東仙坊、やっぱりバカとバカとの間の事件に思え、今回のプロファイル対象にしない。
なのに、なぜこの事件を取り上げたのか?
それは、言うまでもなく、この被害者(?)からの110番を受けた、山梨県警通信指令室の警官、この女性の両親、この愚鈍麻薬常習者の家族や友だち、これらの普通の人々は、一種の罪を犯しているのではないのか?その点をはっきりさせたいからである。
4月6日、正午、女性から、110番通報が山梨県警通信指令室にある。
「はあ、はあ」訳のわからないうめき声がするだけで、電波状況が悪いのか、約20秒後に電話は切れる。
その電話を受けた警官は、それでも気になったのか、着歴番号に10数回電話する。そして、ようやく電話が繋がる。
「○○○○○です」と姓名を名乗る。どうしたのか?と言う質問にも、「どこにいるかわからない」と答えるのがやっと、その時覚醒剤のせいで女性は混濁していたらしい。
その後、翌7日午前7時までは、電話をかけてみるものの繋がらず、その警官は上司に報告もせずに(誰にも相談していないこと、何の具体的な対処をしていないことの方が問題だと思うが…)、勤務交代してしまったというのである。
本当に呆れないか?
よくそれで警官をやっていると思わないか?
これだから我が国の警察は一向に犯人検挙ができないのでは?
「概要がつかめず、担当課がどこになるのかわからなかった」
この言い訳って、本物の警官の言葉とは思えないのだが…?
警官のくせに、警官であることを自覚せず、責任を放棄することって、犯罪ではないのか?
こんな判断力が微塵もない警官に、110番を受けさせている組織も壊れていると思わないか?
同じく、「娘の覚醒剤使用を、うすうす気づきながら、止めることができなかった」と話している女性の両親は、共犯とは言えないか?
「シャブをやっている」と自慢していたバカを放置していた、その家族や友だち(?)にも、罪があると思うのだが、どうだろう?
それにしても、こんなバカに引っかかり、クレジットカードまで渡してしまう女性たちって、凄く変だと思うのは、東仙坊だけなのか?
どちらにしても、こんな警官がいるだけで、暗澹たる未来が見えて、憂鬱にならないか?

4月15日、前日、福岡市早良区で、78歳女性を10数ヵ所も刺し即死させ、一時は悲鳴で駆けつけた近所の男性に羽交い締めにされ、逃げていたasshole野地卓(22歳)が捕まり、福岡県警捜査一課長が「近隣の人の情報提供のお陰で、迅速に解決できた」と、喜色満面にコメントしていた。
3月25日、すぐ近くの福岡市城南区で起きた、31歳女性に重傷を負わせた事件も自供しているという。
だが、ちょっと待て、自信満々の福岡県警にお尋ねするしかない。
1回目の事件発生から、1週間後3月31日、このバカの似顔絵を公開したということは、犯人検挙のためはもちろん、第2の犯行を防ごうとしたためではないのか?
つまり、1回目の女性刺傷事件の際、現金入りハンドバッグを奪取しなかったことに、違和感を覚え、劇場型無差別犯行の可能性を考えたからではないのか?
にもかかわらず、いとも簡単に、その第2の事件を起こさせてしまったのは、なぜ?
これは結果的に、最悪の捜査だったのでは?
というのも、このバカ、自分のアパートで数々のトラブルを起こしていただけでなく、その奇行振りがハンパじゃなく、昨年秋の深夜に、「出て行け!」、「開けろ!」と叫び、階下の人が110番通報までしたというではないか?
ところが、駆けつけた警官は「インターホンを押しても出てこない」と接触さえしなかったという。これって何?
もし、この時、この警官が任務を全うし、このバカの顔を確認さえしていれば、もっと早く逮捕できたのではないのか?
それどころか、こんな卑怯な臆病者のこと、そうしておけば、一連の犯行さえ起こさなかったのではないのか?
これはまさにその警官としての怠慢そのものでしかなく、多いに責任があるのではないのか?
この警官を共犯者とみなしてもいいのではないのか?
しかも、今年3月に、その階下の人に「うるさい。静かにしろ」と怒鳴り込み、4月10日前後の早朝に、「僕じゃない人」と大声を上げていたというではないか?
なのに、そのいつも凶器を持ち歩いていたというバカを、なぜもっと早く捜査線上に浮かべることができなかったのか?
とても可笑しくないか?この間、警察は一体どんな捜査をしていたんだろう?
少なくとも、そうしていれば、この78歳の一人暮らしの女性は殺害されなかったのではないのか?
このバカは、あの24歳の勘違いオタンコナス、金川真大を模倣して、早く捕まえて欲しいとばかりに、指紋をつけた自転車を殺害現場に置いて行った…。
福岡県警は、この第2の犯行を待っていたとしか思えないのだが、どうだろう?
実際、このバカ、捕まるときまであのオタンコナスのマネをして、カメラ目線まで作っていた…。
「携帯電話の支払い料金を払うために、自分より弱い人間を狙った。誰でもよかった。たまたまいた人を狙った」
本当にそんなことを言わせてしまった、福岡県警に責任はないのか?
「ただただ全てが面倒臭くて、自分もあいつらのマネをして、目立ってやろう。最後くらい派手にやってやろう」
そんなバカが、バカなりに考えたストーリー通りにしてしまったのは、無能な警察のせいではないのか?またしても…茨城県警のように。
東仙坊、やっぱり福岡県警の怠慢と共犯を糾弾せざるを得ない。
とにもかくにも、1人暮らしだった78歳の被害女性の代わりに。

The more the ordinary people should be the victim of the ordinary crime, the more the one would avoid the real relationship (本物の関係を避けていると、普通犯罪被害者になる)!


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プロファイリング-8 【普通の人々の日常的犯罪-1】追補

At last I could read it completely, and then I am ashamed to write my blog like this(ついに全文を読んで、こうして文章を書いているのが恥ずかしい)!

東仙坊、ご丁寧にコメントで、隆太さんに教えていただけたお陰で、「ガーデニング王子」の作文全文を読むことができ、素直に感激している。
そして、改めて、この9歳の天才少年詩人の死に、深く哀悼の意を表するとともに、西山未紀なる未成熟で自己中心的で無知蒙昧なbitchに、心底、激怒している。
死んでも、キサマを母親とは呼ばない。
キサマはただ子どもを産んでしまっただけの無責任で卑劣で卑怯な鬼女でしかない。
Go to hell!
それにしても、いくら孤立無援だろうと、絶望しようと、人を殺していい理由にはならないだろうが!
なのに、なぜメディアは、いつもそんな論調になってしまうのだろうか?
詳しくは、「プロファイリング-8 普通の人々の日常的犯罪-1」をもう一度お読みいただきたい。

ともあれ、これだけ無邪気で汚れのないhumaneな文章を読むのは、半世紀以上生きていて、東仙坊、生まれて初めてである。
何度読み返しても、そのたびに心が洗われる。


『ぼくは、ガーデニング王子』

ぼくは、今、畑のせわにむちゅうです。
ぼくの畑からは、命がぴゅこんと毎日生まれます。
くわとスコップでいっしょうけん命作った畑は、ぼくの自まんです。
毎年、ぼくの学校では畑作りをして作物を育てます。
そして、育てた作物でおりょう理を作り、みんなで食べる「しゅうかく祭」を開きます。
ぼくは、しゅうかく祭が楽しかったので、家でも自分の畑を作りたくなりました。
なぜか、三年生になったら「一人で畑を作るぞ。」と、ゆう気が出てきました。
お休みの日、家の人に「ぼく、自分の畑を作りたい。」と言いました。
お母さんとおばあちゃんは、びっくりして「本当にできるの。育てられるか。」と聞いてきました。
ぼくは、もう心を決めていました。
「ぜったい畑を作る。」というやる気まんまんの顔を見せました。
そして、おばあちゃんの畑のとなりをゆずってもらいました。
学校よりも広い広い土地でした。
まず、うね作りです。
おばあちゃんからゆずられた所は、草がぼうぼうと生えていました。
草をぬき、集めて、ねこぐるまで何回も運んでかたづけました。
一人でやっているとお母さんが来てくれました。
でも、ぼくは「一人でやってみる。」と心に決めたので「手つだってちょうだい。」と言いませんでした。
やっと草とりが終わり、次は土おこしです。
土はかたくてくわが入りません。
大きいスコップと小さいスコップでザクザクと土をやわらかくします。
その後、くわでたがやし、かたい土が出てきたら、また、スコップでくだいてやわらかくします。
あせでシャツもズボンもびっしょりぬれました。
まるで、温水プールで、着い泳をしたみたいです。
あせが目に入り、すごくしみます。
何度もお母さんをよぼうとしましたが、「三年生になったからできるぞ。」と自分をはげましました。
ミミズがいっぱい出てきたので、集めて、にわとりのコッコにあげました。
いよいようね作りです。
くわをザクッと土に入れて、右と左に土をかけていきます、学校で習ったとおりにやってみました。
ザクッザクッと音がします。
その音を聞くと「畑を作っているぞ。」とうれしくなりました。
一本うねができました。
いい気分です。
二本目に入り調子が出てきました。
三本、四本。細い所も太い所もありますが、全部で七本のうねを作りました。
「できたぁ。やった、できたぞ。」と言って、となりの草むらにねました。
でも、草がちくちくしていたかったので、しばらくして茶の間で休みました。
そして「やっとなえがうえられる。」とわくわくして南部せんべいを食べました。
日曜日、おばあちゃんと朝市に行きました。
ぼくは、百五円のおこづかいをもらいました。
なえを売っている所で、ぼくの足が動かなくなりました。
ぼくの畑にうえたいなえがいっぱいありました。
ぼくのおこづかいで買えるなえをじっと見つめてえらびました。
元気のよい葉っぱのきれいな「なすび」が光って見えました。
五十二円のなすびを二つ買って、一円おつりをもらいました。
「ナイス。」とぼくはうれしくてたまりません。
すると、店の人が「はい、スイカのなえ、サービスね。」とスイカのなえをくれました。
ぼくは、びっくりするのとうれしいのとでとび上がってよろこびました。
この日から、ぼくのおこづかいは、全部、なえにかわりました。
スーパーの花屋さんからは、声をかけられるおとくいさんになりました。
トマト、イチゴ、なすび、ささぎ、さつまいも、スイカ、メロン。
花は、ひまわり、ほうせんか、レモンバーム、ミント、カモミール、ラムズイアー、バジル。
木は、ポニーテール。
全部ぼくの畑で元気です。
でも、せわはたいへんです。
水道がない畑にねこぐるまでバケツに入れた水を運ぶと、着くころには水がこぼれて半分になっています。だから、十回いじょう運んで水をあげます。
メロンについたなめくじには、しおをかけて、おしおきしなければなりません。
毎日やることがいっぱいです。
学校でこの畑のことを発表したら、みんながほめてくれました。
同じクラスのじよんさんが「☆☆くんってガーデニング王子だね。」と言ってくれました。
ぼくは、てれました。
「ガーデニング王子」と言われると、とってもうれしくて畑のことをもっと話したくなります。
そう、ぼくはガーデニング王子です。
作物が実るのを楽しみに、ミミズいっぱいの畑のせわをするガーデニング王子です。




I’m deeply impressed with his whole innocent words, and burst out in a rage(彼の一言一句に感激すると、物凄く激怒してくる)!



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プロファイリング-8 普通の人々の日常的犯罪-5

Even though it must be right that there is no accounting for tastes , also they might be the criminals(いくら蓼食う虫も好き好きといっても、ヤツラもまた犯罪者では)!

東仙坊、今回は、現代社会のモラル喪失の現状を、ご親切にかつご丁寧に、我々の目の前で実演してくださっている、人類史上類を見ない卓越した、社会的に高い地位(?)にいらっしゃる、普通良識人たちを取り上げたい。
その前に、東仙坊のつたない英語認識では、すでにブログでも何回か書き込んだ通り、「傷つけたり苦痛を与えたりしない慈悲や思いやりのある人間味」という意味は、humaneであること。
humanには、「動物や機械に対しての人の」、「典型的な普通の人々の弱さや感情の」という意味しかないことをお断りしておきたい。
To err is human, to forgive divine.(過ちは人の常、許すのは神のわざ)の諺も、そんな意味のはず。
どうあれ、そんなhumanな普通良識人たちの傲岸不遜さ、唯我独尊の愚劣さを言及してみたい。

4月15日、BPO(放送倫理・番組向上機構)、「放送倫理検証委員会」が、光市母子殺害事件差し戻し控訴審を扱ったテレビ8局、20番組33本に対し、「多くが感情的に制作されていた。広範な視聴者の知る権利に応えなかった」という意見書を発表した。
被告弁護団対被害者遺族という対立構造を描き、弁護団の異様さに反発し、被害者遺族に共感する内容だった
公平性の原則を十分に満たさない番組は、視聴者の認識、思考や行動にストレートに影響する
来年5月に始まる裁判員制度でテレビが不当な影響を与え、誤った裁判を行うことになれば非常に重大な問題になる
などと、おっしゃられている。
しかも、「一方的な弁護士批判や事実無根、歪曲があった」と市民団体(マスコミさん方、この書き方、お願いだから、もう止めて。これじゃ、我々小市民の代表の団体のように見えるから…。こと東仙坊、そんな優秀で清廉潔白で自分だけが正義漢と不遜に思い込み、幸福に生きている方々と違うので、無性に腹が立ってくる)からの指摘で、調査されたというから、何をか言わんや、本当にお疲れさまでした。
その公平で傑出した鑑識眼で33本、さぞや大変なお時間だったでしょう、ご苦労様でした。
お陰さまで、東仙坊、エルビス・プレスリーの「I can't help falling in love with you」のイントロ部分をイヤというほど思い出し、実に楽しい時間を過ごせました。
wise men say only a fool rush in(賢い方々は言う、馬鹿はすぐあわててその気になる)……
本当におっしゃられる通りです。
我々馬鹿どもは、不公平で、不当なテレビ報道にすぐに流され、何でも、「へぇーそうなんだ。そうなんだ」と 、すぐに信じ込んでしまうので、到底、裁判員になれませんし、裁判員になるためにテレビも観られないくらいなら、それに抗議して鉄道自殺するしかなくなります。
ところで、そんな見識の高い「放送倫理検証委員会」のhumanな委員の方々に、まだ自殺したくないので、いくつかお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?
これでも、東仙坊、まだhumaneでありたいので、どうしてもお応え頂きたいのですが?

多くが感情的に制作されていた
テレビというメディアに感情がなかったら、一体誰が観るのでしょうか?
東仙坊のような馬鹿でも、エモーションのないテレビなんか絶対に観ませんが?


広範な視聴者の知る権利に応えてなかった
その広範とは、どういう広い範囲なのでしょうか?
ぜひ、年齢(?)なら生後18日から100歳までとか、頭脳レベル(?)がIQ50から150まで(偏差値はダメだと思うけど、甲から丙までも古すぎる)とか、具体的に挙げて欲しいのですが?
東仙坊に関して言えば、その知る権利を満たしてもらえていましたが?


弁護団の異様さに反発し
一応、異様さとおっしゃられているので、その裁判経緯を多少認識なさっているのでしょうが、東仙坊のような馬鹿でも、そんなテレビ報道がなくても、すでに彼ら弁護団の恥知らず度、異常さ、傍若無人振りは十分すぎるほど認識してしまっているのですが…。
多分、お忙しいあなた方のこと、もしかして「光市母子殺人事件」詳細をご存知ないのでは?
あるいは、知っていても知らない振りをしているのでは?と疑ってしまいますが…?


公平性の原則を十分に満たさない番組
テレビ放送開始以来、ところで、テレビが公平だった時ってあるのでしょうか?
隣の気の狂った国家主席のいる国の国民だってそんなことぐらい知っていると思うのですが?
東仙坊、物心付いて、テレビを見始めて以来、テレビが公平だなんて一度も期待したこともないのですが、それって、新聞でも同じだと思いませんか?


テレビが不当な影響を与え、誤った裁判になる
そもそも、こんな話が出てくると、裁判員制度導入そのものの根本的問題になると思うのですが、今の我が国のどこに、公平無私な日本人がいるのでしょうか?
この東仙坊をはじめ、日本人全員が裁判員になる資格がないと思うのですが?
それ以上に、自発的に思考できる人間でも、情報がいるはずですが、それでは一体何から情報を得れば何の影響もされずに判断することができるのでしょうか?
それよりも何よりも、その「不当な影響」って、一体何なのですか?


被害者遺族に共感する内容だった
この東仙坊の知る限り、例えそんなテレビ報道がなくても、その立派な市民団体の方々以外の日本中の全ての国民が(東仙坊、これだけはそう信じていたい)、すでに被害者遺族の夫に共感し、義憤を感じてしまっていたと思うのですが?

こんな高度情報化社会になって、そもそも国民のほとんどが、テレビ報道自体に興味がなくなっていることが、実はテレビ界で一番問題なのではないのですか?
笑止千万の「知らぬが仏」のような発言だと思うのですが?
ちなみに、こんな東仙坊のブログを読んでくださる方だっているのです。

この奇特なhumanな普通良識人の方々にお願いしたい。
もちろん、週刊誌などという低劣なものを普段お読みではないと思いますが、せめて「週刊新潮(4月3日号)」ぐらいは、トイレに入る時で結構ですから、お読み頂きたい。
それができないなら、webで、「花田紀凱の週刊誌ウオッチング(3月30日)」に目を通して頂きたい。
そして、その読後感を発表頂きたい。

そして、やはり触れざるを得ないのは、今、日本が世界に誇るべきすばらしくhumanな普通弁護団についてである。
その団長は、4月12日、広島市で、その変態餓鬼、口臭弁護団の愛玩ペットが書いたという(書かせた?)手紙を公開した。
「命尽き果てるまで謝罪を続けていきたい」
「生きていたいということが遺族をどれだけ苦しめているかを知ってしまったぼくは、身の置き所がない」
「私にとって大事なのは判決日ではない。4月14日(事件当日)です(?)」
東仙坊、この手紙のどこに反省の色があるのか、全くわからない。
アバタもエクボ。アバターはドクロ?
蓼食う虫も好き好き。他で喰う無私は好き好き?
残念ながら、東仙坊、このなぜか21人という大弁護団の誰一人に対しても、「優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きつくこと」ができない。
この意味わかりますか?シンポジウムで「屍姦再現写真」を前に、鬼畜発言をしながら大笑いしていたという、優秀な人権派の弁護士さん?
被害者遺族の夫に代わって…我々馬鹿者までが、本当に怒って、そんな気持ちにまでなることもあるんですよ?わかりますか?

そこで、念のため、この変態餓鬼が獄中から出したと言われている、いくつかの手紙の内容と比較しておきたい。

「7年そこそこで地表にひょっこり芽を出すからよろしくな」


これが少年法のもたらす現実ではないのか?

「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる」


もしかして、自分の弁護団に対して言ったのかと東仙坊勘違いしてしまった。

「犬がある日かわいい犬と出合った。そのまま、やっちゃった、これは罪でしょうか」
「勝ったと言うべきか負けたと言うべきか?何か心に残るこのモヤ付き…。イヤね。つい相手のこと考えてしまってね…昔から傷をつけては逃げ勝っている…」
「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってます。ありゃー調子づいてると僕もね、思うとりました。でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし…」
「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。被害者の夫は出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、ジャンキーは精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
「5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外に出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと2度目のギセイ者が出るかも」


どれも、凄く清らかで、たまらないほどhumanでカワイゲに溢れていると思わないか、どうだろう?
東仙坊、ただただ反吐が出る。
この変態餓鬼だけは、被害者遺族の夫じゃないが、絶対に許したくないし、許してはいけないと思わないか?
こんなにhumanな普通弁護団が付いていれば、死んでも更生できないと思わないか?
ところで、こんな変態餓鬼を大切に愛撫している、こんな普通弁護団に罪は本当にないのか?
それに、この変態餓鬼を愛し支えると宣言している、奇特な普通市民団体(?)には、何の罪もないのか?
そうでないなら、茫然自失、この世は闇としか思えない。
本当に我が国は、黒薔薇色社会になってしまったのかも知れない。
東仙坊、ハラワタが煮えくり返って、そこら中を蹴りまくっている。
もう一度聞きたい。
本当にこんな普通良識人たちに、何の罪もないのだろうか?
良心(りょうしん)の呵責(かしゃく)というものは、全然ないのだろうか?

Among those extraordinary ordinary peoples, what are we supposed to do (こんな異常な普通の人たちの中で、一体どうすればいいの)?


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プロファイリング-8 普通の人々の日常的犯罪-4

Such an ordinary people used to commit an extraordinary crime day by day(毎日普通のヒトが信じられない罪を犯している)!

東仙坊、動機があまりにも些細で、それがゆえに、よりみっともなく情けない2件の犯罪を取り上げたい。
まさに、我が国のモラルの崩壊を、象徴している事件と確信したからである。

4月2日、埼玉県さいたま市緑区で、柳沢武(31歳)が、自分の飼い犬を偶然はねてしまった路線バス男性運転手(44歳)に顔面骨折の重傷を負わせ、傷害現行犯で逮捕された。
自分の愛犬を散歩に連れ出した際、自分の手から逃げ、県道に飛び出し、運悪く偶然通りかかった路線バスにはね殺され、「運転手が謝ろうとしなかったから殴った」と供述している。
バスには男女約10人の客が乗っていて、その中の1人の110番通報で、警官が逮捕したという。
ここで、いくつかの不思議さ、奇妙さを感じないか?
まず加害者のJerk(大馬鹿)が、論外なのは一目瞭然。
そのようなバス通りに面し、交通事故に巻き込まれる可能性のある場所で、犬を散歩させるのにリードを外していること自体、言語道断。
ましてや、そのことで暴力を振るうなんて、もってのほか。
自分の不注意による愛犬の死、そのことからの悲嘆と後悔を、単純に他人に転嫁し、自分を正当化したかっただけではないのか?
凄く自己中心的過ぎて、呆れないか?
まさか、「どうしてくれる!オレの犬の命を返せ!」と、キレたのでは?
もしかしたら、家族の犬で、怒られるのが怖かったのでは?
どちらにしても、恥知らずの大馬鹿者と、東仙坊断言する。
ところで、その運転手は、不可抗力が歴然としているのだから、その大馬鹿者の心中を察したものの言い方が少しはなかったのだろうか?
この国は、宗主国とは明らかに違うのだから、同情の一言があってもいいと思うのは、東仙坊だけなのか?
例え犬だとしても轢いてしまったら、やっぱり命を奪ってしまった気がして、本当はすまない気持ちがあったのではないのか?
なぜなら、運転手は、少なくともバスを止め、自動ドアを開けたはず。
おそらく、その加害者のあまりの興奮ぶりに、恐れをなしたのか、閉口したのか、かえって逆ギレしたか、そのどれかである。
東仙坊、弱気をくじき、心神喪失状態に近いキチガイに対しても、堂々と対処すべきだったのでは?と運転手にも言ってみたい気がするのだが、どうだろう?
それ以上に、こちらも運悪く、そのバスに乗り合わせてしまった約10人の客は、それを見ていて一体どんな気持ちでいたのだろう?
東仙坊、今回もそこに注目せざるを得ない。
警察に通報したのは、当然の義務。
しかるに、そんな状況では、口論が最初にあったはずではないのか?
その時に、なぜ勇気をもって、誰も止めようとはしなかったのか?
感情的になってしまっている2人(?)の間に、調整役として誰か入るべきではなかったのか?
というのも、運転手は、間違いなく車外に連れ出されているのである。
東仙坊、それらの傍観者たちが、その後、贖罪意識を持ち、苦悩していると信じたいのだが…。

3月26日、三重県松坂市で、ただのタコである中田義一(58歳)が、バス内での携帯電話使用を注意した男性(61歳)に逆上、座席に押さえ込み頚部圧迫で殺害する事件が起きた。
「大勢の人のいる前で『やかましい』と注意され腹が立った。死ぬとは思わなかった」と供述しているという。
この臨時バスが、競輪場から松阪駅に向かう帰りだというから、2人の心理状況は想像しやすいはず。
おそらく両方とも、いろいろな意味で、すでに気が立っていたに違いない。
バスには約30人が乗っていた。
車内には何とも重苦しくて白けた空気が充満している。
いきなり周りの迷惑を考えず大声で携帯電話で話し始める加害者。
ついつい「やかましい」と怒鳴ってしまう被害者。
よくよく考えてみると、こんな状況って、日常茶飯事だと思わないか?
携帯電話に関しては、本当にマナーの悪いヒトが多すぎる。
ともあれ、その怒鳴られたという事実だけに、すぐ反応し、ムカついてしまった、このタコ。
これは、車内で携帯電話をかけるということを、周りへの迷惑とか、非常識とか、ちょっとやましい気持ちとか、全く思っていないということに他ならない。そうは思わないか?
これって、今どき凄い無神経さだと思わないか?
携帯電話使用禁止マーク、くどいほどの使用自粛の車内放送が、至るところで見られたり聞かれたりしていないか?
今や、その人間のモラルを計るバロメーターが、携帯電話使用のマナーだと言える。
すると、不運にも偶然このバスに乗り合わせていた残りの約30人は、このタコの携帯使用をどう感じていたのだろうか?
おそらく、この被害者と同じ気持ちでいた人が多かったのでは?と思いたいが、どうだろう?
あるいは、この光景を見ながら、車内でこれから携帯電話を使用しないようにしようと内心自省していたと思いたいが、どうだろう?
どちらにしても、この他の乗客たちが、この被害者が声を上げた時、「そうだ、そうだ、やかましいからやめろよ」となぜ言わなかったのだろう?
それよりも何よりも、2人が喧嘩になってしまった時、そのタコに対し、「他人に迷惑をかけておいて、何考えてるんだ」とか「いい加減にしろよ」と、なぜ誰も止めに入らなかったのだろうか?
まさか、かかわり合いたくない、それだけだったのでは?
少なくとも、全員が一緒に言い出せば、加害者のようなタコだって、すごすごと引っ込んだのではないのか?
東仙坊、そうなっていかないと、一向にモラルが向上しないと憂慮している。
ところで、口論ではなくなった時点で、運転手を含め、誰も110番通報しなかったのは、なぜ?
特に、運転手はバスを止め、注意する必要があったのでは?
というのも、バスを止めれば、他の乗客も仕方なく止める方向に向わざるを得なくなったと考えるからである。
このようにキレたヒトを少しでも冷静にさせるには、大勢の協力が必要だと思うが、どうだろう?
また、この不運な被害者も、「やかましい」と怒鳴るのではなく、注意を促すような言い方が、やっぱり必要だったのではないかと思うが、どうだろう?
実際は、到着した後も、このタコは被害者を押さえ付けているのである。
さすがに、そうなっていたら、皆で一緒に止めるべきだったのではないのか?
東仙坊、これらのヒトたちにぜひ尋ねてみたい。
仮にも人が1人殺される現場にいたのである。
その後、毎日美味しく食事をすることができるのか?
ずっと後味の悪い思いを引きずって行くと思うが、どうだろう?
まさか逆に、それを酒の肴にして、楽しんでいるのではないと思いたい。

結局、東仙坊、これらの「見てみぬふり」をするヒトたちも、ある種の犯罪者ということができるのではないかと思うのだが、どうだろう?

話は変わるが、バスの運転手ということで、とてもショッキングなニュースが入ってきた。
4月11日、東名高速道路走行中の観光バスに、反対車線を走っていた大型トラックの重さ100kgのタイヤが外れ直撃し、バス運転手の関谷定男さん(57歳)が亡くなるという事故が起きた。
なんとも言いようのない、そんなことがあっていいのかというような、痛ましい事故である。
東仙坊はおろか、あのシューマッハだろうと、そんなのよけられるわけがない。
そのニュースを聞いて、それではそのバスがどうやって止まったのだろう?
なぜバスが横転したりの二次災害が起きなかったのだろう?
そう思って調べてみると、なんとその運転手、そんな悲運で凄惨な状況になりながらも、フットブレーキのペダルを踏み続け、バスを止めたという。
東仙坊、それに戦慄すると同時に、わけのわからないほど不思議な感動を覚えた。
何たる凄まじさ、何たる責任感、ただただ感涙するしかなかった。
しかも、その日は、その運転手の誕生日だったというではないか…。
Oh Misérables(ああ、無情)
こんな非情は、こんな不条理は、こんな不幸は、こんな悲劇的なことは、絶対に起きてはいけない。そう思いたいが、どうだろう?
法定点検無視、過積載、そのトラック運転手や所属する運搬会社の責任は言うまでもないが、本当に責任って、それだけなのだろうか?
現実に、日本中でタイヤ脱落事故が多発している。
だから、法律で規制をすること、それはそれで大切。
しかし、そのチェックを一体誰がどこでしていたのだろう?
これって、なぜか「自分だけは酒を飲んでも事故を起こさないし、警察にも捕まらない」と、自分勝手に思い込み、飲酒運転をしている輩と似ている。そう感じるのは、東仙坊だけなのだろうか?
どちらにしても、このバス運転手の関谷定男さんに、慎んで哀悼の意を表する。
そして、明日は我が身。そう肝に銘じる。
それにしても、一体、神や仏はどこにいるのだろう?あまりにも悲劇的過ぎないか?

We’ll never forgive that kind of the ordinary peoples have nothing to do who met the extraordinary crime by accident(偶然バカな犯罪に直面して何もしない普通のヒトも、許してはいけない)!



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東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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