In this period, what I am a Comet dust must be more interested in deep space than death(コメットダストの一人として、この期に及んで、死よりも深宇宙に興味を抱いている)!
東仙坊、ただただ摩訶不思議な宇宙の藻屑に消えることを覚悟したせいか、大っ嫌いだっだ宇宙に、今、夢中。
おかげで、夜空の満天の星を見上げては、微笑むばかりの毎日。
そして、ときおり、自分もいつか星の一つになりたいとなどと願うことはないが、いつか彗星を構成するチリの一つぐらいにはなりたいな…と独り苦笑するだけ。
そう、「Stardust(スターダスト)」というよりも、「Cometdust(コメットダスト)」。
さて、国際的な宇宙科学者のチームが、「天文学ジャーナル」に、「この70年の間に、深宇宙にある約100個の天体が消滅したことを特定した。そのうちのいくつかは、消滅する前に数千倍の明るさに急速に成長した」と発表したとか。
何でも、これらの消滅した宇宙空間の物体の発見を、「VASCO(:Vanishing and Appearing Sources during a Century of Observations:観測の世紀における消滅と出現)」と呼び、「VASCOプロジェクト」なるものを立ち上げているとか。
そして、宇宙の過去の写真と宇宙の現在の写真を比較し、時間の経過とともに現れたり消えたりした宇宙空間の物体の位置を特定することを目指しているとも。
そのために、1950年以降の軍事記録公文書に基づき、まず消失したかもしれない約15万個の候補を特定。
これまでにそれらの15%を精査してきたプロセスのなかで、実際に消えてしまったように見える約100個の宇宙空間の物体を特定したというから、アメージング。
「VASCOプロジェクト」リーダーのビートリズ・ビジャロエルは、「消えていく星、あるいはどこからともなく現れてくる星を見つけることは、貴重な発見であり、そこには我々が現在知っている天体物理学を超えた新しい理論が含まれることは間違いない」と述べているとか。
ともあれ、通常、超新星爆発というものは、少なくとも太陽の8倍の質量をもつ重い星が水素を使い果たした後に発生するのだとか。
重い元素が融合し始めると、星はその形状とサイズを維持するのに十分な内部圧力を維持できなくなり、それ自体の重力に屈っしてしまうのだとか。
そのうえ、その外層は崩壊して爆発し、重金属を宇宙に噴き出す。
そして、残った核は、ブラックホール、または中性子星へと崩壊してしまうのだとか。
ところが、理論上、超新星爆発に失敗した場合、死を迎えた星は爆発をスキップし、即座にブラックホールになってしまうので、消えるか、消えたようになってしまうのだとも。
東仙坊、あまり考えたくないせいか、よく理解できないが、どこかウキウキさせられたのが、ここから。
これらの消える赤いオブジェクトのうち、1つの画像に一度だけ現れるものは、エイリアンが星間空間を越えて通信するために使用したレーザー光かもしれないというのである。
あるいは、エイリアンの文明が、「ダイソン球」と呼ばれる恒星のエネルギーをすべて利用するための巨大構造物を星の周囲に構築したために消滅した可能性もあるというのである。
ちなみに、「Dyson sphere(ダイソン球)」とは、USA宇宙物理学者フリーマン・ダイソンが提唱した「恒星を卵の殻のように覆ってしまう仮説上の人工構造物」のことで、恒星の発生するエネルギーすべての利用を可能とする宇宙コロニーの究極の姿なのだとか。
どちらにしても、この宇宙から天体が消滅したとき、それが、「失敗した超新星」か? 「エイリアンの建造物」のどちらかか? なんて、メチャクチャロマンティックでは?
もっとも、この研究論文執筆者マーティン・ロペス・コレドイラは、「これらはいずれも地球外の知能の存在の直接的なサインではない。我々は、それらが天体物理学による現象だと信じている」と述べているとか。
どうあれ、この「VASCOプロジェクト」の研究者たち、「100個の消失した宇宙空間の物体をさらに調査する必要があると考えている。そして、さらに消滅したかもしれない12万5000個以上の宇宙物体を調べる予定だ」と言っているから、生きている間にもっと何かが奇跡的にわかるかも?
Looking up at the night sky, I can hear the voice of “Wanna go home”from a living entity outside the solar system(夜空を見上げていると、太陽系外の生命体からの「Wanna go home」という声が聞こえてくる気がする)!
What I dislike most now must be the growing number of commercials from companies that deal with human death(今、一番忌み嫌っているのが、人間の死を商売にする会社のやたら増えたコマーシャル)!
東仙坊、昨年の聖なる夜に、どうしても触れたくて、太陽系外天体からの偵察衛星かも知れないと、「オウムアムア」なるものについて書き込んだ。
そ、そ、そうしたら、偶然、どこかのテレビで、その「オウムアムア」に続いて、太陽系外からやってきている彗星「2I/ボリゾフ」について報道しているのを観て、ビックリ仰天していた。
しかも、その太陽系の内側で観測された恒星間天体としては史上2番目という「ボリゾフ彗星」は太陽系に入ってきたばかりで、火星の軌道よりも遠い太陽から4億2000万㎞離れた位置にあり、時速15万㎞で太陽に接近していて、昨年12月、地球から3億㎞の近くまで接近したとか。
何でも、8月30日未明、アマチュア天文学者ゲナディー・ボリゾフが、クリミア半島にある天文台で発見し、今年10月ごろまで観測できるとか。
もっとも、こちらは、彗星だというから、宇宙のゴミ。
そう、東仙坊のような存在。
ともあれ、それで、慌てて、もう一度、猛スピードで地球から遠ざかりつつあるという「オウムアムア」について、検証してみた。
すると、12月18日、宇宙学術誌「Nature Astronomy」に、「『オウムアムア』には、炭素を豊富に含む層に覆われているらしいことが判明」という論文を発表。
その共同執筆者であるUKクイーンズ大学ベルファスト校天文学者アラン・フィッツシモンズによると、「2017年に発見されたこの奇妙な『オウムアムア』には、炭素の被膜が厚さ30㎝以上あり、宇宙空間を移動する間に、表面が宇宙線の放射に晒されたことによって形成されたと思われる。というのも、星間空間を飛行する彗星の表面に、炭素を豊富に含んだ黒っぽい物質が形成されることがわかっているから、太陽系でも同様の現象が起こっているからである。それゆえ、『オウムアムア』の表面を覆う物質も、おそらくはこれと同じものと推測できる。だから、太陽のそばを通過し、表面が非常に高温になったにもかかわらず、なぜ水蒸気の尾を形成しなかったかが推測できる。 もちろん、『オウムアムア』の正体を明確につかめたワケではないが、今言えるのは、可視光がどのように反射されるかを計測した結果がこの推測に当てはまるということだけ。そもそも、発見した段階で、彗星の特徴であるガスや塵からなる尾が見られなかったことが、最初の大きな驚きだった。なぜなら、こうした天体は氷を多く含むものと予想していたのに、そうではなかったから」とのこと。
実際、「オウムアムア」は、当初、彗星ではないか?と考えられていたが、その可能性は発見からまもなく、2018年1月、ハッブル宇宙望遠鏡での観測の結果、「きっと自然は私たちに、『予習はしっかりとしておけ』とでも言っているのでしょう」と、ハワイ大学天文学者カレン・ミーチによって明確に否定されている。
そして、同じくその論文の共同執筆者であるクイーンズ大学ベルファスト校天文学者ミシェル・バニスターも、ハワイのジェミニ天文台でメグ・シュワムが率いるチームと、近赤外線を用いてこの「オウムアムア」を観測。
そのうえで、次のように述べているとか。
「実に大変な観測でした。空を駆け抜ける天体を、数百トンの望遠鏡をバレリーナのようにダンスさせながら追いかけるのですから。それで何とか判明したことは、 『オウムアムア』が青みを帯びた光よりも、赤みを帯びた光を効率よく反射すること。それが、超新星のような宇宙空間で起きる爆発などによって放出される高エネルギー粒子のせいであること。こうした粒子が、長い年月の間に、彗星や小惑星の表面に炭素を豊富に含む赤みを帯びた層を形成すること。太陽系で観測される多くの彗星とは異なり、『オウムアムア』の表面はカラカラに乾燥していて、水の氷もまったくないこと。天体表面の温度をシミュレーションしたところ、『オウムアムア』を覆う層が厚さ40㎝ほどある場合、内部にある氷を含む物質は、太陽などの恒星の熱から守られること。ともかく、宇宙船からの反射スペクトルがどのようなものになるかは十分わかっている。『オウムアムア』はそれに当てはまらない。でも、組成の研究に関しては、前回よりもずっと多くのことができるし、銀河系の3次元地図の作成に取り組んでいるEU宇宙機関『ガイア探査機』から、さらに多くのデータが公表されるはず」
そのうえで、アラン・フィッツシモンズも、次のように続ける。
「『オウムアムア』に関するこうした新たな研究が発表することが、偶然にも、作家アーサー・C・クラークの生誕100年目から2日後になったことから、彼が著したSF小説『宇宙のランデブー(Rendezvous with Rama)」に描かれている、『オウムアムア』によく似た細長い恒星間物体と人類との遭遇のようで、またもやアーサー・C・クラークの予言がピタリと当たったかのようだが、どうやらそうではなさそうだ。その作品に登場する恒星間物体は異星の宇宙船だったが、『オウムアムア』の起源はどうやら自然のものだ。残念ながら、地球外生命体による人工物であるという推測は当たらないようだ。事実、近赤外線での観測では、物質の表面に金属がある兆候は見られなかった。我々が観ているのは、星間空間からやってきて太陽系を通り抜ける自然の物体のようだ。もっとも、こんなチャンスがやってくるなど、日ごろから想像もしていなかった」
実際、地球外生命体探査プロジェクト「ブレークスルー・リッスン」も、「『オウムアムア』の観測からは何の信号も受信していない」と発表。
USAサウスウエスト研究所宇宙物理学者ルーク・ドーンズも、「この仕事についてからずっと、私はこのときを待っていました。ついにそれが現実となるのを目のあたりにできるのは、実に喜ばしいことです」とコメント。
どちらにしても、昨年11月から、天文学者デビッド・トリリング率いるチームが、スピッツァー宇宙望遠鏡を用いて赤外線での「オウムアムア」を観測を実行していて、「オウムアムア」が反射する光の割合が明確になり、表面の素材の特定に役立てられ、それを学術誌「Astronomical Journal」に掲載する予定だとか。
どうだろう?
太陽系外からの生命体の偵察衛星ではなかったと証明されてしまうのか?
も、も、もしくは?
What I am most interested in now must be the mysterious objects that come into the solar system from outside the solar system(今、一番興味を抱いているのが、太陽系外から太陽系にくる謎の物体たちのこと)!
To be continued...
Drugs other than necessary must be doing no good and a lot of harm(必要以外の薬物は、百害あって一利ナシ)!
●東仙坊からのジャンキーたちへのレクイエム
今回のテーマのファイナルとして、我が国の不似合いなジャンキーたちへ、いわゆるヤク中毒者どもへ、安息へのメッセージを捧げたい。
このたび、古代ギリシャの哲学者プラトンに触れていて、俄然思い出したのが、同じ古代ギリシャ哲学者のエピクロス(前341~前270年)。
東仙坊、今では、勝手に「エピキュリアン(快楽主義者)」などとかなり誤解されている彼の真髄を伝えることで、それらのヒトびとへの啓示になればと期待しつつ…。
ともあれ、このお方、アテナイ人入植者だった父は教師だったが、極貧の幼少時代を送っていたとか。
それが、アテナイに「エピクロスの園」を創り、弟子を集め、「現実の煩わしさから解放された状態を『快』として、人生をその追求のみに費やすべき」という「エピクロス派」の始祖になったとか。
その結論にいたったのには、原子論者だったデモクリトスに多大な影響を受け、「それ以上分割できない粒子である原子と空虚から、世界が成り立つ」とみなしたからだとも。
そして、死によって人間は感覚を失い恐怖を感じることすらなくなるのだから、「死について恐れる必要はない」としたとか。
それから、『快』を『第一の生まれながらの善』」、「『快』こそが善であり人生の目的だ」と規定。
さらに、「欲求を、『自然で必要な欲求(友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)』、『自然だが不必要な欲求(大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)』、『自然でもなく必要でもない欲求(名声、権力)』の3つに分類し、このうち『自然で必要な欲求』だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることがイイ」と「『ataraxia(アタラクシア:平静な心)』を追求することが善だ」と主張。
そして、彼は言う。
◎「欲望は永遠に充足されることはない。なぜなら、欲望は満たされた途端に次の欲望を生み出すからだ」
◎「いずれの『快』も、それ自身としては悪いものではない。だが、ある種の『快』を引き起すものは、かえって、その『快』の何倍もの煩いを我々にもたらす」
◎「『快』を追求すればするほど、我々は欠乏感に悩まされる。不死を求めれば、絶望に陥る。権力は、嫉妬の対象となり、名声は引き摺り下ろされる」
◎「欠乏しているものを欲するあまり、現にあるものを台ナシにしてはならない。現にあるものも、我々の願い求めているものであることを、考慮せねばならない」
そのうえで、彼は言う。
◎「『自然で必要な欲求』の存在を把握するには『感覚』が必要で、それは信頼できるものだ。認識に誤りが生じるのは、この感覚経験を評価する際に行われる思考過程によるものだ」
◎「ある行為によって生じる『快』に比して、その後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでない」
◎「幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属する。そこで重要になるのは、『友情』、『知恵』、『思慮』。欠乏しているものを探し回るだけの人生は、不幸」
◎「『空しい臆見の追い求める富』は際限なく拡がる。身のほど、身の丈を越えた欲望を警戒しろ」
◎「大切なことは、欲望の性質を吟味し、選別すること。追求することにより危険を招くムダな欲望は排除しなければならない。欲望を無制限に解放すれば、人間は破滅に向かう」
◎「放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では、『快』がもたらされない。真の『快』とは、『道楽者の快』でも、『性的な享楽』でも、『美味美食』でもない」
◎「質素にも限度がある。その限度を無視する人は、過度の贅沢のために誤つ人と同じような目に遭う」
◎「『肉体的な快』とは異なる『精神的快』が重要なのであり、『肉体的快』はむしろ苦であり、『快』のみを追い求めることが無条件に是とされるものではない」
どうだろう?
ただただ感嘆し続けるのは、東仙坊だけではあるまい。
とりわけ、魂の安息を求める日本人には、メチャクチャ納得できる哲学なのでは?
どちらにしても、ヤクを使ってのsexなど刹那的で、虚無的で、後味のいいモノではないと思うが…。
そんなヒマと金があったら、ひたすら勉強して知性を磨き、戦友的友を持ち、モラルを何よりも大切にすべきなのでは?
とにもかくにも、来年1月31日、沢尻エリカがヤクを絶ち、クソッタレとキレイに精算できることを心の底から願うばかり。
I wanna support the stupid young girl who has decided(覚悟を決めたおバカなヤングガールの応援をしてあげたい)!
Since this junky actress is an actor, she should be more subtly pretended to like this old motherfucker of inferiority(このジャンキー女優、仮にも俳優なのだから、もっとこの劣等感の塊のクソッタレオヤジを好きなフリを巧妙にすべき)!
●東仙坊がプロファイリングする、スーパージャンキー「名優(?)」の本音
何でプラトンの「国家」が、沢尻エリカなる女優の違法薬物所持事件と何の関係があるのか?と訊かれたら、33歳のジャンキー女優を麻薬カルテルそのものであるエイベックスの55歳のボス、松浦勝人から自由にさせてあげたいという親心と、東仙坊、答えるしかない。
というのも、コヤツが、本気でエイベックスから、そのクソッタレからどうしても離れたいという気持ちが伝わってくるからに他ならない。
そう、コヤツ、NHK大河ドラマを、自分の女優としての生命を、自分の残りの人生すべてを、間違いなくこの逮捕劇にかけているはず。
それなのに、コヤツの思惑に反し、クソッタレが簡単に手放そうとしないので、コヤツ、これまた間違いなく今ごろ途方に暮れているに違いない。
それゆえ、まだまだ絶望するのは早い、次の手段があるとコヤツに、プラトンの「国家」からサジェスチョンを与えてあげたいのである。
そもそも、なぜか輪廻転生する不滅の「プシュケー(霊魂)」の概念を重視するプラトン、感覚を超えた真実在としての「イデア(魂の目で見られるもの:モノゴトの真の姿・原型)」の概念を醸成しようというスタイル。
つまり、感覚は不完全で、そのために、正しい認識に至ることができない。
そして、当然のごとく、芸術(演劇・詩歌)についても否定的。
視覚で捉えることができる美しさは不完全なもので、完全な三角形や完全な円や球そのものこそ、常住不断のイデア。
芸術は、イデアの「モノマネ」に過ぎない。
どうだろう?
ますます、興味深くならないか?
すでに書き込んだ世阿弥と全く同じだから、ビックリ仰天すると同時に、なんともいえないミステリアスな気分にならないか?
どうあれ、コヤツ、クソッタレと決別できた女性たちをもっとマネすべき。
東仙坊、そんなコヤツに、エール代わりにプラトンの言葉を贈りたい。
◎いかに知識を身につけたとしても、全知全能になることなどはできないが、勉強しない人々とは、天地ほどの開きができる。
◎嫉妬深い人間は、自ら真実の徳を目指して努力するよりも、人を中傷するのが、相手を凌駕する道だと考える。
◎魂には眼がある。それによってのみ、真理を見ることができる。
◎自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。
◎徹底的にどうしようもなく道を踏み外した悪人に対しては、怒りを露わにすべきである。
◎破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も、ともに欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。
◎偉大な人物たらんとする者は、自分自身や自分に属するものをではなく、正しいことをこそ愛すべきなのだ。
◎アナタの悲哀がいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には、軽蔑の念が含まれているからだ。
◎恋されて恋するのは、恋愛ではなく友愛である。
◎誰に対しても、不正を不正でもって、悪を悪でもって、埋め合わせしてはいけない。よしんば、その相手にどれほど苦しめられていようとである。
◎思慮を持ち正義をかざして、その生涯を送らなければ、何者も決して幸福にはなれないだろう。
◎賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は、話さずにはいられないから口を開く。
◎徳は一種の健康であり、美であり、魂のよいあり方なり。それに反し、悪徳は病気であり、醜であり、弱さなり。
◎恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために、神々から授けられる
◎音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして、想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命をさずける。
どうだろう?
ぜひその心に染みてほしいものがいくつかあると思うのだが…。
ついでに、プラトンは、国家と個人の堕落について、それぞれ第1段階から第4段階までに分類して語っている。
◇第1段階
国家の堕落の状態は、名誉制へ移行し、次第に支配者階級の間に不和が生じる。そして、私有財産制が入ってきて、奴隷などを所有するようになる。
こうして、国家の3つの要素の1つである「勇気(気概的部分)」が優勢になって、軍人が支配する国になる。
個人では、国家の堕落と同じように気概的部分が強くなると、権力や栄誉を好み、自分勝手でお金が好きな人間になる。
◇第2段階
国家の堕落の状態は、寡頭制への移行で、勝利と名誉を愛するのではなく、お金儲けとお金を愛する人が権力を持つようになる。
国政への参加は、知識や能力によるのではなく、財産によって決められる。
個人では、ケチで打算的なお金を愛する人間になる。
◇第3段階
国家の堕落の状態は、民主制への移行。貧富の差が増大し、貧乏人がお金持ちに対して革命を企てようとし、これに勝利すると民主制になって大衆が支配権を持つようになる。
このような状態になると、政治は場当たり的な判断が多くなり、秩序がなくなる。
個人では、欲望の赴くままに行動し、場当たり的で放蕩な生活をする人間になる。
◇第4段階
国家の堕落の状態は、僭主制。僭主制というのは、王の血筋でない者が身分を越えて王になること。
この段階の国家は、無知な大衆を扇動して支配権を握る人間が僭主になる。
個人では、酒と欲望に支配され、正気を失った生活を送る人間になる。
どうだろう?
思わず手を叩きたくならないか?
Young girls in our country! Find out the dishonesty in the eyes of men more quickly(我が国のヤングガールズよ! オトコどもの目に宿る不誠実さをもっと素早く見抜きなさい)!
To be continued...
When populism rises from excessive democracy, it must be natural that the morals of society as a whole decline(過度な民主主義からポピュリズムが隆盛すると、社会全体のモラルが低下するのは当たり前)!
●東仙坊がプロファイリングする、スーパージャンキー「名優(?)」の本音
東仙坊、かなり面倒でも、プラトンの「国家」から、今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持事件を紐解いてみたいので、もう少し続ける。
彼は、こう言っているようなものである・
「『今までの権威の否定』と『価値の相対化』と『自分勝手な個人主義の台頭』などによってもたらされるモラルの崩壊の状態、すなわち、ポピュリズム全盛の中では、先生は生徒を恐れてご機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育係に対して同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、オモシロくない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちをマネて機智や冗談でいっぱいの人間となる」。
どうだろう?
彼は紀元前に、現代社会を、今の我が国の社会を予測していたとも言えるのでは?
少なくとも、そのときには、まだ存在すらしていなかったイスラム教徒たちに、「神の前の平等」というプロテスタント的価値観に根ざす現代の民主主義を「最高の価値」として押しつける権利など、どこの国、どこの国民にもないはずでは?
そう考えると、民主主義、デモクラシーがパーフェクトでないことはモロバレなのでは?
ともあれ、プラトンは言う。
「正義は、強者の利益。けれども、不正を働けば、正義よりも強大な自分の利益。真実の支配者は、自分の利益よりも被支配者の利益を優先。正しい人には知恵があるが、不正な人には知恵がない。正義が、知恵である以上、不正よりも強力であるはず。なのに、不正を働く者の方が、正しい者よりもはるかにトクをして幸福。正義は、立派だが骨の折れるもの。だから、正しくあるよりも、正しい者であると見えさえすればイイ」。
どうだろう?
かなり核心を突いているのでは?
そして、「魂(プシュケー)の三分説」。
「人間の魂の性質を、『理知(ロゴス)』/『気概(テュモス)』/『欲望(エピテュメーテース)』の3つに分け、『哲学者』/『活動的な人間』/『肉体労働に携わる人間』の3つの人間の階層に分類。魂の3つの部分が自らの役割を果たさなければ、正しい人間にはなれない。同時に、国家の3つの層が自らの役割を果たさなければ、国家に正義は実現しない。正しい人間であることと、正しい国家であることに相違はない」。
それから、「太陽の比喩」。
「太陽は、さまざまなモノを照らして、人々に見えるようにするとともに、栄養を供給してモノを生成させている。それと同じように、思惟の世界の『善のイデア』も、もろもろの存在のイデアを照らすことで認識可能にするとともに、存在の原因ともなるもの」。
さらに、「洞窟の比喩」。
「洞窟に閉じ込められた囚人、そう、学ぼうとしない人々は、洞窟の後方の壁しか見ることができないように縛られ、その火が灯され背後で出し入れされている彫像や人形の中の壁に映し出される影絵のような影像だけを見て、それが実物だと思っている。
そのような囚人を洞窟の外へ連れ出して、縄を解き、太陽の光に照らされた光を見せるとどうなるか?
おそらく、光を眩しく感じたり、見慣れない世界に圧倒され、最初は実際の世界を見ることに苦痛を感じたりしても、光に慣れてくると、もう洞窟の中の世界には戻りたくはないと思うようになり、洞窟内にいる囚人の仲間のことを哀れに思うようになり、ついには、太陽そのものの光まで見分けることができるようになる。『善のイデア(外の世界の光)』を簡単に見ることはできないが、それを見ることができるようになると、それがあらゆるものにとって正しく美しいものの原因であるだけでなく、真実と理性をも供給するものでもあり、見なければいけないものだと思えるようになる」。
どうだろう?
真実を認識するには段階を追う必要があり、「現実の世界は影絵である」ということを理解するまでには長い訓練が不可欠なのでは?
If wisdom, spirit, and desire don't function independently, the human soul won't work properly(理知と気概と欲望がそれぞれに機能しないと、人間の魂は正しく働かない)!
To be continued...