緊急プロファイリング 石巻市18歳幼稚園児内妻家族襲撃事件-4
Actually I don't wanna talk abut this girl anymore(これ以上Maryについて話したくない)!
東仙坊、今回は一応被害者でもあるMaryに関する言及をあえてしない。
どうしてかって?
何だか、ずっとMaryの人間性について書き込んでしまう予感がして、恐いから。
それが、友情のために殺されてしまった18歳女子高校生への鎮魂だと信じてもいるから…。
さあ、早く、この石巻市18歳幼稚園児内妻家族襲撃事件のプロファイリングを終えよう。
■東仙坊がプロファイリングする、この事件の決定的に摩訶不思議な点
①いくら18歳でも自ら母親の道を選んだMaryなのに、無能な警察に約1年で12回もDVの相談をしながらも決別できなかった未熟さと言いたいところだが…それはグッと呑みこんで、その12回の間に、Maryの母親や祖母が加わっていなかったことは大失態では?
それだけでも、その警察が受け取る深刻さが違ったのでは?と思うが…。
先入観の強い警察にとって、感情的なMaryやMaryの姉では、内実、「いい加減にろ!好きにすれば、警察は犬、恋愛問題は犬も食わぬ」という気持ちになるのは当然では?
それよりも何よりも、2人がそんな状態なのに、出産を止めなさいと周りで誰か言わなかったのか?
その段階で、周りは2人を見放したことになるのでは?
そのことがMaryに大きな勘違いをさせることになったはず。
寄ってたかっての生ぬるい、事なかれ主義的薄っぺらな対応は、未熟な人間を増長させただけでは?
②相談を受けた警察が、2回Kenに警告したというが、なぜKenの母親にも警告しなかったのか?
こういう場合は、外堀から埋める必要があると思わないか?
こちらの母親も、全くその存在が見えてこないのはなぜ?
母親の責任放棄に近いものがある気がして仕方がないと感じているのは、東仙坊だけではあるまい。
実は、東仙坊、この事件を未然に防ぐには、Kenの母親が「もう諦めなさい。Maryのことを、娘のことを本気で思うなら、人間として関わるのを止めなさい。それができないなら、もし誰かに迷惑をかけたら、私がオマエを絶対に許さない」と命懸けで、それこそ心中覚悟で言い含めるしかなかったと考えている。
③事件前日から泊まっていたMaryの姉の彼氏は、ボディガードではなかったのか?
それが彼女である姉を殺され、自分まで刺されてしまって、情けないと思わないか?
残りの長い人生、せいぜい後悔して欲しいと思うが…。
ところで、実はこのことがKenに手下を用意させ、強行させる引き金になったところがあるのでは?
もしかしたら、Maryの姉が前日の夜、「今度きたら、アタシの彼氏にボコボコにさせるわよ」とでも言ってしまったのでは?
あるいは、その彼氏はMaryの姉の彼氏ではなく、Maryの彼氏だったのでは?
④Kenは自分の周辺にMaryの姉殺害をかなり予告していた。
それを聞いたその非生産的で形骸的な仲間たちの誰一人として、警察に、もしくはMaryに伝えなかったのはなぜ?
もちろん、そんな残虐で荒唐無稽な話を簡単に信じない気持はわかる…。
では、誰か「そんなことを止めろよ」と促したのか?
どうやら誰もKenに対し、本当の友情を感じていなかったから、そうしなかったのでは?
ある意味、それが決定的にKenを凶行に追い込んだと思わないか?
⑤事件当日Kenの襲撃を受け入れたと思われるMaryの母親、もしくは祖母は実力でそれを阻止しようとしたのか?
Kenとその共犯者が醸し出す「悪」の臭いにビビってしまったのではないと思いたいが…。
もしそうしたら自分たちも刺されたかも知れないが、こんな結果になるなら身代わりになっていた方がよっぽどよかったのでは?
どちらにしても、その後すぐにどちらかが110番もしていない、2階で悲劇的なことが起きているのに…。
なぜ2人だけが無事なのか、凄く気になったのは東仙坊だけではあるまい。
⑥事件後、逃走の際にわざわざ用意しておいた車に乗り換えたことに、一体何の意味があるのか?
このあたりにマンガ的な浅薄で軽薄なヤングに共通の無知蒙昧さがあると思わないか?
同様に、Kenは自分で殺傷しているのに、その凶器に指紋をつけず、17歳の仲間の指紋をつけさせ、犯行を転嫁させようと試行している。
ということは、唯一の目撃者になるはずのMaryが、自分のために有利な証言をすると確信していたわけがあるのでは?
そう思い込めるほどの論拠が、やはり気にならないか?
⑦今回の事件の最大の不思議さは、何と言ってもKenの共犯者である17歳少年の存在。
やりたくない万引きをやるようなノリで、この残忍な犯行に加担する神経に、現代の少年が持つ独特のリアリティのなさ、真摯さのなさ、モラルのなさが集約されていると思うが…。
Kenとの間にどんな関係があるのかは厳密にはわからないが、その他人の閨房(ベッド)問題に安易に協力したのはなぜなのか?
血の契りなのか? 兄貴分への義理や服従なのか? 単に少年法の抜け道を使っての計算なのか? あるいは金でも絡んでいるのか?
まさに、現代の若者に強く見られる意味不明な性向と言っても過言ではない。
それぞれに立った一度の人生であるのにもかかわらず、他人の愚行や虚妄のために自分の人生をムダにしてしまう、もったいない若者が増加している。
その原因は、タフでハードな現実の世界での人生の試技が、何人も救ってくれることができない、何から何まで本当に自分だけのものであるという自覚を持てないからである。
では、なぜ自覚できないのか?
ひとえに魂の修練、修養が足りないからでしかない。
人生の価値は、最終的に人間関係の構築。
そのなかで、友情も貴重なもの。
そして、その友人関係を円満に保持するには、お互いに妥協や譲歩や遠慮が限りなく必要。
それが思いやりに繋がるからである。
けれども、本当に友だちなら、自分の信念や正義感に基づいて、拒絶する勇気が必要になるときがあるものだが、事なかれ主義で深く覆われている我が国のモラル崩壊社会では、それが極めて困難になるらしい。
東仙坊から言わせてもらえれば、人生に「easy come ,easy going(何も考えないでラクに生きる)」なんてあるわけがない。
それこそ、生きるも死ぬも自分次第で、基本的に誰も手助けなどしてくれるわけはない。
だからこそ、それを超えて通じ合える、愛する人や友人、あるいは利害抜きにそうしてくれる家族が大事になるのでは?
どうあれ、この17歳少年は、実行犯になったかどうかは問題ではなく、Kenとともに残虐無比な3人殺傷事件に加わり、
Mary拉致を手伝い、その監禁場所として自分の家を提供したというから、あまりにも軽薄過ぎて、悲しい。
どこにも、17歳少年の意思が感じられなくて、怖い。
Ken同様、この17歳少年にも、相当なお仕置きが絶対に必要だと思うが…。
ある意味、往生際悪くシラを切り続けているKenよりも、この17歳少年の将来の方に恐怖を感じるのは、東仙坊だけではあるまい。
我々日本の普通の人々がこの石巻市18歳幼稚園児内妻家族襲撃事件から学び取らなければいけないことは、これだけのモラル崩壊社会になると、幼稚園児化が進み、世の中が小人だらけになっていると認識すること。
小人は甘酒しか知らない。
そして、その甘酒も誰かがくれるものと思い込んでいる。
当然、自分勝手に生きることが自由と履き違えたままの未熟なヒトでは、人生も恋愛も本物にはならない。
すべてがイミテーションで、バーチャル。
人を愛することの辛さ、痛さなど知る術もない。
実際、甘酒ばかりでは、胸やけするのも当たり前なのに、その胸やけを胸やけとも認識できず、自分勝手に焦るだけ。
その結果、自分の意にならないものは、片づけなければと勘違い。
意味もわからず、ゲームのように次のステージを目指して、ひたすらジャマモノ退治…。
相手が生身の人間、別の人格をもった他人であることなど眼中になくなってしまうもの。
この人間味のない状況を打開するには、成人でなければ親になれないこと、親になってはいけないことを教育するしかない。
世の中から小人を減らし、修養を身につけた成人社会にするしかない。
その成人と小人との差異は、忍耐ができるかできないかだけだと思うが…。
東仙坊、この18歳同士のバカップルを、あえて「Ken&Mary」と呼んだように、現実の世界ではカップルになってはいけない幼稚園児2人が繰り広げた刹那的で直情的な低級疑似恋愛に巻き込まれて、無念にも殺害されてしまった18歳女子高校生の冥福を静かに祈り続けている。
I keep on praying for the soul of the high school girl who has been murdered unluckily may rest in peace(不運にも殺害されてしまった女子高校生の冥福を祈り続けている)!
東仙坊、今回は一応被害者でもあるMaryに関する言及をあえてしない。
どうしてかって?
何だか、ずっとMaryの人間性について書き込んでしまう予感がして、恐いから。
それが、友情のために殺されてしまった18歳女子高校生への鎮魂だと信じてもいるから…。
さあ、早く、この石巻市18歳幼稚園児内妻家族襲撃事件のプロファイリングを終えよう。
■東仙坊がプロファイリングする、この事件の決定的に摩訶不思議な点
①いくら18歳でも自ら母親の道を選んだMaryなのに、無能な警察に約1年で12回もDVの相談をしながらも決別できなかった未熟さと言いたいところだが…それはグッと呑みこんで、その12回の間に、Maryの母親や祖母が加わっていなかったことは大失態では?
それだけでも、その警察が受け取る深刻さが違ったのでは?と思うが…。
先入観の強い警察にとって、感情的なMaryやMaryの姉では、内実、「いい加減にろ!好きにすれば、警察は犬、恋愛問題は犬も食わぬ」という気持ちになるのは当然では?
それよりも何よりも、2人がそんな状態なのに、出産を止めなさいと周りで誰か言わなかったのか?
その段階で、周りは2人を見放したことになるのでは?
そのことがMaryに大きな勘違いをさせることになったはず。
寄ってたかっての生ぬるい、事なかれ主義的薄っぺらな対応は、未熟な人間を増長させただけでは?
②相談を受けた警察が、2回Kenに警告したというが、なぜKenの母親にも警告しなかったのか?
こういう場合は、外堀から埋める必要があると思わないか?
こちらの母親も、全くその存在が見えてこないのはなぜ?
母親の責任放棄に近いものがある気がして仕方がないと感じているのは、東仙坊だけではあるまい。
実は、東仙坊、この事件を未然に防ぐには、Kenの母親が「もう諦めなさい。Maryのことを、娘のことを本気で思うなら、人間として関わるのを止めなさい。それができないなら、もし誰かに迷惑をかけたら、私がオマエを絶対に許さない」と命懸けで、それこそ心中覚悟で言い含めるしかなかったと考えている。
③事件前日から泊まっていたMaryの姉の彼氏は、ボディガードではなかったのか?
それが彼女である姉を殺され、自分まで刺されてしまって、情けないと思わないか?
残りの長い人生、せいぜい後悔して欲しいと思うが…。
ところで、実はこのことがKenに手下を用意させ、強行させる引き金になったところがあるのでは?
もしかしたら、Maryの姉が前日の夜、「今度きたら、アタシの彼氏にボコボコにさせるわよ」とでも言ってしまったのでは?
あるいは、その彼氏はMaryの姉の彼氏ではなく、Maryの彼氏だったのでは?
④Kenは自分の周辺にMaryの姉殺害をかなり予告していた。
それを聞いたその非生産的で形骸的な仲間たちの誰一人として、警察に、もしくはMaryに伝えなかったのはなぜ?
もちろん、そんな残虐で荒唐無稽な話を簡単に信じない気持はわかる…。
では、誰か「そんなことを止めろよ」と促したのか?
どうやら誰もKenに対し、本当の友情を感じていなかったから、そうしなかったのでは?
ある意味、それが決定的にKenを凶行に追い込んだと思わないか?
⑤事件当日Kenの襲撃を受け入れたと思われるMaryの母親、もしくは祖母は実力でそれを阻止しようとしたのか?
Kenとその共犯者が醸し出す「悪」の臭いにビビってしまったのではないと思いたいが…。
もしそうしたら自分たちも刺されたかも知れないが、こんな結果になるなら身代わりになっていた方がよっぽどよかったのでは?
どちらにしても、その後すぐにどちらかが110番もしていない、2階で悲劇的なことが起きているのに…。
なぜ2人だけが無事なのか、凄く気になったのは東仙坊だけではあるまい。
⑥事件後、逃走の際にわざわざ用意しておいた車に乗り換えたことに、一体何の意味があるのか?
このあたりにマンガ的な浅薄で軽薄なヤングに共通の無知蒙昧さがあると思わないか?
同様に、Kenは自分で殺傷しているのに、その凶器に指紋をつけず、17歳の仲間の指紋をつけさせ、犯行を転嫁させようと試行している。
ということは、唯一の目撃者になるはずのMaryが、自分のために有利な証言をすると確信していたわけがあるのでは?
そう思い込めるほどの論拠が、やはり気にならないか?
⑦今回の事件の最大の不思議さは、何と言ってもKenの共犯者である17歳少年の存在。
やりたくない万引きをやるようなノリで、この残忍な犯行に加担する神経に、現代の少年が持つ独特のリアリティのなさ、真摯さのなさ、モラルのなさが集約されていると思うが…。
Kenとの間にどんな関係があるのかは厳密にはわからないが、その他人の閨房(ベッド)問題に安易に協力したのはなぜなのか?
血の契りなのか? 兄貴分への義理や服従なのか? 単に少年法の抜け道を使っての計算なのか? あるいは金でも絡んでいるのか?
まさに、現代の若者に強く見られる意味不明な性向と言っても過言ではない。
それぞれに立った一度の人生であるのにもかかわらず、他人の愚行や虚妄のために自分の人生をムダにしてしまう、もったいない若者が増加している。
その原因は、タフでハードな現実の世界での人生の試技が、何人も救ってくれることができない、何から何まで本当に自分だけのものであるという自覚を持てないからである。
では、なぜ自覚できないのか?
ひとえに魂の修練、修養が足りないからでしかない。
人生の価値は、最終的に人間関係の構築。
そのなかで、友情も貴重なもの。
そして、その友人関係を円満に保持するには、お互いに妥協や譲歩や遠慮が限りなく必要。
それが思いやりに繋がるからである。
けれども、本当に友だちなら、自分の信念や正義感に基づいて、拒絶する勇気が必要になるときがあるものだが、事なかれ主義で深く覆われている我が国のモラル崩壊社会では、それが極めて困難になるらしい。
東仙坊から言わせてもらえれば、人生に「easy come ,easy going(何も考えないでラクに生きる)」なんてあるわけがない。
それこそ、生きるも死ぬも自分次第で、基本的に誰も手助けなどしてくれるわけはない。
だからこそ、それを超えて通じ合える、愛する人や友人、あるいは利害抜きにそうしてくれる家族が大事になるのでは?
どうあれ、この17歳少年は、実行犯になったかどうかは問題ではなく、Kenとともに残虐無比な3人殺傷事件に加わり、
Mary拉致を手伝い、その監禁場所として自分の家を提供したというから、あまりにも軽薄過ぎて、悲しい。
どこにも、17歳少年の意思が感じられなくて、怖い。
Ken同様、この17歳少年にも、相当なお仕置きが絶対に必要だと思うが…。
ある意味、往生際悪くシラを切り続けているKenよりも、この17歳少年の将来の方に恐怖を感じるのは、東仙坊だけではあるまい。
我々日本の普通の人々がこの石巻市18歳幼稚園児内妻家族襲撃事件から学び取らなければいけないことは、これだけのモラル崩壊社会になると、幼稚園児化が進み、世の中が小人だらけになっていると認識すること。
小人は甘酒しか知らない。
そして、その甘酒も誰かがくれるものと思い込んでいる。
当然、自分勝手に生きることが自由と履き違えたままの未熟なヒトでは、人生も恋愛も本物にはならない。
すべてがイミテーションで、バーチャル。
人を愛することの辛さ、痛さなど知る術もない。
実際、甘酒ばかりでは、胸やけするのも当たり前なのに、その胸やけを胸やけとも認識できず、自分勝手に焦るだけ。
その結果、自分の意にならないものは、片づけなければと勘違い。
意味もわからず、ゲームのように次のステージを目指して、ひたすらジャマモノ退治…。
相手が生身の人間、別の人格をもった他人であることなど眼中になくなってしまうもの。
この人間味のない状況を打開するには、成人でなければ親になれないこと、親になってはいけないことを教育するしかない。
世の中から小人を減らし、修養を身につけた成人社会にするしかない。
その成人と小人との差異は、忍耐ができるかできないかだけだと思うが…。
東仙坊、この18歳同士のバカップルを、あえて「Ken&Mary」と呼んだように、現実の世界ではカップルになってはいけない幼稚園児2人が繰り広げた刹那的で直情的な低級疑似恋愛に巻き込まれて、無念にも殺害されてしまった18歳女子高校生の冥福を静かに祈り続けている。
I keep on praying for the soul of the high school girl who has been murdered unluckily may rest in peace(不運にも殺害されてしまった女子高校生の冥福を祈り続けている)!