検証プロファイリング 熊本3歳女児殺人vs大阪3歳男児ポリ袋殺人-2
The asshole that it is the same immaturity that an inexperienced asshole used to accept(未熟な大バカ者が受け入れるのは、同じ未熟な大バカ者)!
東仙坊、この比較検証のポイントは、3歳女児を残忍に殺害した山口芳寛20歳と3歳男児を残忍に殺害した杉山裕幸20歳との共通する未成熟なメンタリティ。
何しろ、2人とも、3歳児相手に、そのありとあらゆるプライオリティを無視して、マジに対応しているのだから、もう呆れるばかり。えっ、東仙坊、人と対峙することを推奨しているって?
対峙することが重要なのは、どこまでもface-to-face、eyes-to-eyesで、どれだけ相手の心根を感じ取り、いつもその相手を思いやり、限りなく愛情を注ぎ込んでゆくため。
その意味で、自分の感情のままにしか3歳の子どもを相手を見ない、20歳の情けなくてみっともない恥知らず2人は、本当に対峙などしていない。
それは、今回の3歳男児の母親モドキの田中有維も同じ。
東仙坊が、そのクソッタレオンナを、男児ペット愛好オンナと名づけた通り。
そこで、その論拠を、男児ペット愛好オンナが書き込んでいたインターネットの会員制交流サイトmixiでの日記ブログで証明してみたい。
長男生後6ヵ月のときに、「…おかゆを食べさせてみたら…こーんなにおいしそうに(?)食べてくれました。ちょーがっついています(笑)。タイミングが遅ければテーブルまで食べ始める…でも酸っぱい果物はおじいちゃんみたいな苦い顔をするのが可愛い。いや~親バカっ楽しいですよ(笑)。最近は恐いって感情が芽生えてきたらしく予防接種の時とか1回目はきょとんとしてたのが腕を押さえられた瞬間にギャン泣きしたり、お風呂のシャワー音にびくっとしたり、その分楽しいとかの感情も豊かになってきたのかなー。したい事があると(立ちたいとかアレ取りたいとかね)うなったり、ウソ泣きしたりして、叶うとニッコリするゲンキンな息子です」と、書き込んでいる。
どうだろう?
その冷徹な視線、きめ細かな観察眼、ある種の驚愕を覚えないか?
それはどこかうすら寒いほどの冷酷さを感じるほどでは?
それが親子でないなら、いざ知らず。
男児ペット愛好オンナにとって、3歳男児は間違いなく自分の長男のはず。
本来、子育てとは、出産と同時にゴングが鳴らされる、親子という血の鎖で繋ぎ合ったまま繰り広げられる、家族というリング上でのデスマッチ。
それこそ、メチャクチャ壮絶でタフなエンドレスの格闘。
そのために、感情と感情がぶつかり合うこともタビタビ。
ときには、相手のことを忘れてしまうこともあるほど。
それこそが、人間たる所以。
それでも、基本が愛情である以上、本気で暴力などを使わないのが人間。
なぜなら、殴ったりしたときの相手の痛みを想像するから。
その慈悲の心こそが、人間の本性のはず。
そして、その本性を維持するために、懸命にセルフコントロール、克己するのが人間。
そのために、いつもかえって冷静でいなれないもの。
あたかも自分の感情のままに扱えるペットではないのだから、自分の子どもの対してのセルフコントロールは難しいのが当たり前。
つまり、この男児ペット愛好オンナのように、3歳長男をまるで第三者のように観察していること自体が、いかに愛情を持っていないかを証明していると思うが…。
どうあれ、それが昨年8月26日には、山口県内で乳児を投げ落とし重傷を負わせ母親が逮捕された虐待事件を引き合いに、「赤ちゃんはこちらの都合無視で自分の欲求を泣くことだけで訴えてきます。…睡眠だって1時間毎に泣いて起されます。気が狂いそうです。手を上げた事はありませんが、『ベランダから落としたら死ぬよね。この子が…死んでも泣かないかもしれない』くらいはしょっちゅう考えてました。そんな経験は母親しかわかりません」と、書き込んでいる。
どうだろう?
今度は、自分が自分の子どもを都合のいいように思い込んでいたかったのに、どうやら思い通りにならないとわかり始めると、その愛情の希薄さを棚に上げ、世の中の母親はみんな同じに悩んでいると自己弁明しながら、本気でジャマとみなしているのだから、何をかいわんや。
所詮、「出産してみたかった症候群(?)」、「母親を演じてみたかった症候群」でしかなく、中にいる子育てを通じて成長できる女性ではなったということでは?
どちらしても、男児ペット愛好オンナ、ようやくバイブレーター代わりになるバカオトコを見つけ、その父親の臭いがする長男がガマンできなくなったことだけは、事実。
さて、本題に戻る。
■無愛情男娼気取りオトコ、杉山裕幸に見る幼稚度
①出会い系サイトで知り合って(?)、子持ちの年上のオンナの家に転がり込むみっともなさ
昨年末出会い系サイトで知り合い、今年2月下旬から千葉県から大阪に行き、働かずに食わせてもらえる恩恵を受けるなんて、まさに幸運なご仁。
これは、受け入れる側の原因がすべてでも、本来は男の沽券に関わるもの。
その分、その家に以前からいる人間、ここでは3歳男児にも献身するのがスジのはず。
その無配慮、感受性の鈍さは、「メンタル3歳保育園児クソッタレの『①大人から見た「いい子」を目指すみっともなさ』に通じるものがあると思うが…。
②何も考えずに女に媚を売るみっともなさ
人から好かれるということは、その相手の好みに合わせればいいわけではないはず。
ましてや、人間としての行動として間違っている場合は、毅然と拒絶すべきもの。
それだけの魅力ある人間性を持つことのはず。
いくら風采が悪く、甲斐性がないとしても、へつらうだけでは、ただの恥知らず。
それにしても、蓼喰う虫も好き好きと言っても、「おとなしく、家でゲームをして過ごすようなタイプ」をバイブレーター代わりにする男児ペット愛好オンナの何と不可解なことことよ…。
どうあれ、この無愛情男娼気取りオトコの不甲斐無さは、「メンタル3歳保育園児クソッタレの『②人から好かれたい好かれたいと媚を売るみっともなさ』と全く同じ。
③自分が気に入ったから相手も気にいるはずと思い込む情けなさ。
気に入った相手を思うことは、とても大切。
その相手に自分のできる限りの思いやりややさしさを注ぐことも、とても大切。
だからといって、相手からもそうしてもらえると思い込むことは、愚の骨頂、マヤカシの気持ち。
これは、今回の恥知らずの殺人犯である2人ともに言えること。
その最大の原因が、かねてから東仙坊全然理解できない、出会い系サイトなるものでのウソの出会いだと思うが…。
④人間である以上、どこまでも対峙して話し合うことが肝心とさえ理解できない情けなさ
人間関係の構築は、どこまでもコミュニケーションが基本。
必死になって相手の意思を感じ取り、自分の意思を感じてもらおうと努力することが大切。
うるさい黙れ! もういい!というようなものではないはず。
特に、相手が自分の子どもではない場合、父親代わりにかえって辛抱強くコミュニケーションすべきもののはず。
その意味でも、頭が3歳程度で、まさに「メンタル3歳保育園児クソッタレ」そのもの。
⑤人生は誰にとってもタフで何一つ自分の思い通りにならないということすらわからない情けなさ
人生とは、何のために生きるか人間とは何と一生追求し続けるもの。
そして、ありとあらゆる事象を素直に受け入れ、それでもなお自分のベストを尽くす続けるもの。
安易に自分で描いた夢が実現できないからといって、絶対に自暴自棄にはなってはいけないのが人間。
今回の事件が起こる要因は、まず男児ペット愛好オンナがヤケクソになってとりあえずのバイブレーター代わりを探したこと。
それに、ヤケクソの無愛情男娼気取りオトコがマンマと乗ったこと。
そこに、運悪く前のオトコ(?)の3歳男児がいたこと。
つまり、相当人間的に成長していないと、この関係をいいものにできるわけはハナからなかったと思わないか?
結局、「メンタル3歳保育園児クソッタレ」同様、その知性の欠如が一番の問題。
にもかかわらず、無愛情男娼気取りオトコは、3歳男児が言うことを聞かなかったと言って、いくら自分になつかない子どもだからと言って、縛ってビニール袋に入れ口を結わいて窒息死させるなんて、一生後悔させたやりたいと思わないか?
どちらにしても、この無愛情男娼気取りオトコも、メンタル3歳保育園児クソッタレも、な、な、何と成人…。
最近、何も政治のことなど考えない政治屋どもが選挙対策のために、成人の年齢を下げようとする動きもあるが、それは全くの逆では?
今の腐り切った我が国の教育界の現状を考慮すると、30歳ぐらいにすべきだと思うが…。
どうあれ、我が国の幼稚化は、ますます激しくなってゆくと憂慮しているのは、東仙坊だけではあるまい。
また、このパターンでのプロファイリング、無限に継続しなければならない気がして、もう終わりにしたい。
Easy crimes should increase on and on as far as we would do easy life(イージーライフをしている限り、イージーな犯罪が増え続けるばかり)!
東仙坊、この比較検証のポイントは、3歳女児を残忍に殺害した山口芳寛20歳と3歳男児を残忍に殺害した杉山裕幸20歳との共通する未成熟なメンタリティ。
何しろ、2人とも、3歳児相手に、そのありとあらゆるプライオリティを無視して、マジに対応しているのだから、もう呆れるばかり。えっ、東仙坊、人と対峙することを推奨しているって?
対峙することが重要なのは、どこまでもface-to-face、eyes-to-eyesで、どれだけ相手の心根を感じ取り、いつもその相手を思いやり、限りなく愛情を注ぎ込んでゆくため。
その意味で、自分の感情のままにしか3歳の子どもを相手を見ない、20歳の情けなくてみっともない恥知らず2人は、本当に対峙などしていない。
それは、今回の3歳男児の母親モドキの田中有維も同じ。
東仙坊が、そのクソッタレオンナを、男児ペット愛好オンナと名づけた通り。
そこで、その論拠を、男児ペット愛好オンナが書き込んでいたインターネットの会員制交流サイトmixiでの日記ブログで証明してみたい。
長男生後6ヵ月のときに、「…おかゆを食べさせてみたら…こーんなにおいしそうに(?)食べてくれました。ちょーがっついています(笑)。タイミングが遅ければテーブルまで食べ始める…でも酸っぱい果物はおじいちゃんみたいな苦い顔をするのが可愛い。いや~親バカっ楽しいですよ(笑)。最近は恐いって感情が芽生えてきたらしく予防接種の時とか1回目はきょとんとしてたのが腕を押さえられた瞬間にギャン泣きしたり、お風呂のシャワー音にびくっとしたり、その分楽しいとかの感情も豊かになってきたのかなー。したい事があると(立ちたいとかアレ取りたいとかね)うなったり、ウソ泣きしたりして、叶うとニッコリするゲンキンな息子です」と、書き込んでいる。
どうだろう?
その冷徹な視線、きめ細かな観察眼、ある種の驚愕を覚えないか?
それはどこかうすら寒いほどの冷酷さを感じるほどでは?
それが親子でないなら、いざ知らず。
男児ペット愛好オンナにとって、3歳男児は間違いなく自分の長男のはず。
本来、子育てとは、出産と同時にゴングが鳴らされる、親子という血の鎖で繋ぎ合ったまま繰り広げられる、家族というリング上でのデスマッチ。
それこそ、メチャクチャ壮絶でタフなエンドレスの格闘。
そのために、感情と感情がぶつかり合うこともタビタビ。
ときには、相手のことを忘れてしまうこともあるほど。
それこそが、人間たる所以。
それでも、基本が愛情である以上、本気で暴力などを使わないのが人間。
なぜなら、殴ったりしたときの相手の痛みを想像するから。
その慈悲の心こそが、人間の本性のはず。
そして、その本性を維持するために、懸命にセルフコントロール、克己するのが人間。
そのために、いつもかえって冷静でいなれないもの。
あたかも自分の感情のままに扱えるペットではないのだから、自分の子どもの対してのセルフコントロールは難しいのが当たり前。
つまり、この男児ペット愛好オンナのように、3歳長男をまるで第三者のように観察していること自体が、いかに愛情を持っていないかを証明していると思うが…。
どうあれ、それが昨年8月26日には、山口県内で乳児を投げ落とし重傷を負わせ母親が逮捕された虐待事件を引き合いに、「赤ちゃんはこちらの都合無視で自分の欲求を泣くことだけで訴えてきます。…睡眠だって1時間毎に泣いて起されます。気が狂いそうです。手を上げた事はありませんが、『ベランダから落としたら死ぬよね。この子が…死んでも泣かないかもしれない』くらいはしょっちゅう考えてました。そんな経験は母親しかわかりません」と、書き込んでいる。
どうだろう?
今度は、自分が自分の子どもを都合のいいように思い込んでいたかったのに、どうやら思い通りにならないとわかり始めると、その愛情の希薄さを棚に上げ、世の中の母親はみんな同じに悩んでいると自己弁明しながら、本気でジャマとみなしているのだから、何をかいわんや。
所詮、「出産してみたかった症候群(?)」、「母親を演じてみたかった症候群」でしかなく、中にいる子育てを通じて成長できる女性ではなったということでは?
どちらしても、男児ペット愛好オンナ、ようやくバイブレーター代わりになるバカオトコを見つけ、その父親の臭いがする長男がガマンできなくなったことだけは、事実。
さて、本題に戻る。
■無愛情男娼気取りオトコ、杉山裕幸に見る幼稚度
①出会い系サイトで知り合って(?)、子持ちの年上のオンナの家に転がり込むみっともなさ
昨年末出会い系サイトで知り合い、今年2月下旬から千葉県から大阪に行き、働かずに食わせてもらえる恩恵を受けるなんて、まさに幸運なご仁。
これは、受け入れる側の原因がすべてでも、本来は男の沽券に関わるもの。
その分、その家に以前からいる人間、ここでは3歳男児にも献身するのがスジのはず。
その無配慮、感受性の鈍さは、「メンタル3歳保育園児クソッタレの『①大人から見た「いい子」を目指すみっともなさ』に通じるものがあると思うが…。
②何も考えずに女に媚を売るみっともなさ
人から好かれるということは、その相手の好みに合わせればいいわけではないはず。
ましてや、人間としての行動として間違っている場合は、毅然と拒絶すべきもの。
それだけの魅力ある人間性を持つことのはず。
いくら風采が悪く、甲斐性がないとしても、へつらうだけでは、ただの恥知らず。
それにしても、蓼喰う虫も好き好きと言っても、「おとなしく、家でゲームをして過ごすようなタイプ」をバイブレーター代わりにする男児ペット愛好オンナの何と不可解なことことよ…。
どうあれ、この無愛情男娼気取りオトコの不甲斐無さは、「メンタル3歳保育園児クソッタレの『②人から好かれたい好かれたいと媚を売るみっともなさ』と全く同じ。
③自分が気に入ったから相手も気にいるはずと思い込む情けなさ。
気に入った相手を思うことは、とても大切。
その相手に自分のできる限りの思いやりややさしさを注ぐことも、とても大切。
だからといって、相手からもそうしてもらえると思い込むことは、愚の骨頂、マヤカシの気持ち。
これは、今回の恥知らずの殺人犯である2人ともに言えること。
その最大の原因が、かねてから東仙坊全然理解できない、出会い系サイトなるものでのウソの出会いだと思うが…。
④人間である以上、どこまでも対峙して話し合うことが肝心とさえ理解できない情けなさ
人間関係の構築は、どこまでもコミュニケーションが基本。
必死になって相手の意思を感じ取り、自分の意思を感じてもらおうと努力することが大切。
うるさい黙れ! もういい!というようなものではないはず。
特に、相手が自分の子どもではない場合、父親代わりにかえって辛抱強くコミュニケーションすべきもののはず。
その意味でも、頭が3歳程度で、まさに「メンタル3歳保育園児クソッタレ」そのもの。
⑤人生は誰にとってもタフで何一つ自分の思い通りにならないということすらわからない情けなさ
人生とは、何のために生きるか人間とは何と一生追求し続けるもの。
そして、ありとあらゆる事象を素直に受け入れ、それでもなお自分のベストを尽くす続けるもの。
安易に自分で描いた夢が実現できないからといって、絶対に自暴自棄にはなってはいけないのが人間。
今回の事件が起こる要因は、まず男児ペット愛好オンナがヤケクソになってとりあえずのバイブレーター代わりを探したこと。
それに、ヤケクソの無愛情男娼気取りオトコがマンマと乗ったこと。
そこに、運悪く前のオトコ(?)の3歳男児がいたこと。
つまり、相当人間的に成長していないと、この関係をいいものにできるわけはハナからなかったと思わないか?
結局、「メンタル3歳保育園児クソッタレ」同様、その知性の欠如が一番の問題。
にもかかわらず、無愛情男娼気取りオトコは、3歳男児が言うことを聞かなかったと言って、いくら自分になつかない子どもだからと言って、縛ってビニール袋に入れ口を結わいて窒息死させるなんて、一生後悔させたやりたいと思わないか?
どちらにしても、この無愛情男娼気取りオトコも、メンタル3歳保育園児クソッタレも、な、な、何と成人…。
最近、何も政治のことなど考えない政治屋どもが選挙対策のために、成人の年齢を下げようとする動きもあるが、それは全くの逆では?
今の腐り切った我が国の教育界の現状を考慮すると、30歳ぐらいにすべきだと思うが…。
どうあれ、我が国の幼稚化は、ますます激しくなってゆくと憂慮しているのは、東仙坊だけではあるまい。
また、このパターンでのプロファイリング、無限に継続しなければならない気がして、もう終わりにしたい。
Easy crimes should increase on and on as far as we would do easy life(イージーライフをしている限り、イージーな犯罪が増え続けるばかり)!