検証プロファイリング 「大阪2児我子餓死殺人事件」に見るマイブーム-9
We have to take it in our heart that any child must be the social treasure(子どもは社会のタカラと肝に銘ずべき)!
■大阪2児我子餓死殺人事件
●我々日本人が、このイヤな事件からイヤというほど学習すべきこと!
①残虐無比に子どもが2人も餓死させられ、その泣き声を聞かされ悪臭を嗅がされた現場マンションの若い住人たちが、それを案じてマンション管理会社や児童相談所に通報した住人たちが、結果的に事件を防げなかったことを悔やみ、連絡ネットワークを独自に作る機運があると聞いて、思わず、東仙坊、「見て見ぬふりをしない」ヤングが増えるなら、素直に大歓迎と拍手を送っている。
だから、その祝辞として、「子どもは社会のタカラだ。みんなで助け合うのはスバラシイことだ。そのついでに、このモラル崩壊の我が国では、基本的に他人は当てにならない。市場原理主義と一神教の影響をイヤというほど受けてしまった世の中は、大切なものは自分たちの手で守るしかない。これからは、マンション管理会社や児童相談所などに連絡しないで、自分たちの手で直接ドアを叩くしかないんだ」という言葉を送りたい。
と同時に、世の若い母親の方々に、「自分の子どもは自分のペットでも所有物でもない。社会のタカラなんだ。それでいて、自分の何もかもを犠牲にして責任を取らされるに、子どもが反抗しても許さなければならない間尺に合わない立場。まさに、愛に悟りを開いたパーフェクトの人間にならなきゃいけない心境。でも、パーフェクトな人間などいないから、自信がないのは当たり前。そんな弱い自分を知って、誰かを頼りたくても、世の中事なかれ主義者のヒトばかり。だから、児童相談所などクソの役にも立たないが、それでも、近くで信頼できる人、コミュニティで本気で親身になってくれる人、めったにいない奇特な人、本物の思いやりを持った人間味のある人を見つけて、相談するしかないんだ」と理想的(?)のアドバイス…。
どちらにしても、子育ては、そのくらいの想像をはるかに超えた重荷のはず。
それでも、それを覚悟して、ステキな母親になる人がいるから、人間はスバらしい。
それだからこそ、母親になった女性は、その歓びに感動し、生きていてよかったと満足するはず。
もっとも、東仙坊、そんな覚悟をできないから、例え女になっても、きっと出産はしない。こんな世知辛い世の中で、子どもを育てる勇気はないし、第一、もし娘だったら発狂してしまうに違いない。「ギルモア・ガールズ」の2代の母娘関係を観ているだけで、母娘の関係の難解さに頭が痛くなってしまうから…。
②自他共に認める「freedom(フリーダム:自由)」大好きのコスモポリタン、東仙坊、やはり母親の資格を問題視。
「結婚するのもしないも、子ども産むも産まないも、カラスの勝手。成熟した女性なら、どんどん子どもを産んで! どのような母子関係になっても、それぞれが自由であればいい」と信じている。
実は、そのそれぞれに自由であるということが難しい。
とりわけ、母親は、子どもに人間であることの意義と価値を躾けなければならないときに、自分が不自由を感じる。と同時に、子どもに不自由にさせなければならない義務を持っているから、まさに矛盾。
しかも、自分の時間がなくなるだけでなく、想像していた以上の献身と自己犠牲が伴う本物の不自由だから、余計に困惑させられるはず。
ところが、その壁を超えないと、本物の母親になれないから、本当に大変。
逆に、だからこそ、それができた母親には、誰もが素直にリスペクトできるもの。
そして、「いいな。母親になれて、宇宙そのものを自分の中に持った気分だろ?」と羨望し嫉妬するもの。
「母親は偉大だ!」と憧憬するもの。
ということは、ここが一番のポイントなのだが、女性が「子ども産んだら、母親なのか?」ということになるのか?
「女は子どもを産んだら母親になるのではなく、必死に母親になる」のだと思うのだが、どうだろう?
必死に、一生懸命、意識的に母親になろうとしている女性には、「母は強し」を本当に実践している女性には、誰もが「a little help(ア・リトル・ヘルプ:ちょっと手助け)」したくなると思うが…。
それを象徴するのが、衆人環視の中での授乳の光景…。
東仙坊のような女性の乳房大好き人間でも、思わず微笑んでしまうくらいだから、誰もが自然に微笑むはず。
また、それを証明するのが、昔からある「産みの親より育ての親」という言葉…。
「とにかく無事に!五体満足なら!」と陣痛を突破するのも確かに苦難だろうけど、「モラルを身につけた殺人どころか万引きさえしないような子どもに育てる」のは、もっともっと大変だということでは?
つまり、
その意味で、せっかくの子ども手当(?)を塾代になどに浪費せず、一緒に本でも読むのが母親の第一歩だと思うが…。
どちらにしても、本物の母親が増えてくれないと、この日本はグチャグチャになってしまうと危惧しているのは、東仙坊だけではあるまい。
それには、確固たる哲学や自意識をまず持てなどとヤボなことを言うつもりはないが、そのぐらいの知性を持った伴侶を見つけないとかなり困難だと思うが…。
それゆえ、このラガーガールのような「できちゃった婚」では、「イケメン大好き」の軽佻浮薄なノリの結婚では、はなからヤバいと思わないか?
それこそ、女性の「メンストレーション・ブルー」はもとより、「マタニティ・ブルー」、「ベービー・ブルー」などをやさしく包み込めるような伴侶を先に見つけるべきだと思うが…。
それは、プロファイリングー5 大阪守口乳児殺害事件 real end(終焉)でも書いた通り。
③東仙坊、このような未成熟な親による残虐な事件を抑止する方法は、一つ。
すでに書き込んできたように、恥の文化を持つ我が国らしく、許し難い子殺し犯を二度と子育てはもちろん、恋愛さえできなくなるように、徹底的に晒しものにすると同時に、厳罰に処すこと。
それは、少し前まであった尊属犯に対する刑罰と同じ扱いにすべきということ。
そうでもしなきゃ、これだけブームのように増加し続けている「子殺し」、「アビューズ(児童虐待)」、「ネグレクト(育児放棄)」に歯止めはかからないのでは?
愛知県のバカップルの母親のように、子どもを餓死させ段ボール箱に遺棄しときながら、のうのうと「出所したら、また旦那さんと一緒に暮らして、新しく子どもを作る」なんて言い切る大バカ者がいるのでは?
それはそうだと思わないか?
いくらタガに緩んだぬるま湯社会だとしても、自分の命より大切な我が子を餓死させるような大バカ者に、自分に命を授けてくれた命の恩人を殺すような大バカ者に、一体どんな人権があるのか?
人間としての基本的愛情を持てないような大バカ者に、なぜ恥ずかしげもなくおもねる必要があるのか?
少子化問題を錯誤し、社会の対応システムがナッチャラカンチャラと甘やかしていると、ますます大バカ者どもが増長するだけだと思わないか?
その事なかれ的善いヒトぶりっ子が、ますますこんな残虐非道な殺人を生んでいると言っても過言ではないと思うが…。
どちらにしても、未成熟なジコチュウな餓鬼どもが勝手に子どもを作る前に、日本人の本性である「思いやり」、「もののあわれ」、「儚さ」を十分に教え込み、人間としての基本的な修養とモラルを身につけさせない限り、このあまりにも悲し過ぎる子殺しを抑止することはできないと思っているのは、東仙坊だけではあるまい。
東仙坊、今までに何度も書き込んできた通り…。
Just a our fate(まさに我らが運命)?-43 「ない、ない、バー」は絶対ダメ!? 、東仙坊、日本道をゆく-16 Run away(ランナウェイ)女性の結末!?-2 、Sounds insane! 許されざるヒト-51 「ジャンキー・ポイ」するしかない!? を、ぜひ参考に…。
そうでもしなければ、市場原理主義と一神教と性悪説の権化の国々から、「何と我が子を餓死させて殺す不気味で残虐な国、日本」との誹りを受け、さらに世界からの孤立国家になり、カナダの現代日本社会学専門(?)とする大学教授から「日本では未婚の母は、まったく社会規範に反する行為としてみなされ、家族全体に恥辱と汚名をもたらす」とシタリ顔で言われる羽目になるのでは?
A woman is not born a mother, a woman becomes it after giving birth(女は母親として生まれてくるのではなく、出産後、母親になるんだ)!
■大阪2児我子餓死殺人事件
●我々日本人が、このイヤな事件からイヤというほど学習すべきこと!
①残虐無比に子どもが2人も餓死させられ、その泣き声を聞かされ悪臭を嗅がされた現場マンションの若い住人たちが、それを案じてマンション管理会社や児童相談所に通報した住人たちが、結果的に事件を防げなかったことを悔やみ、連絡ネットワークを独自に作る機運があると聞いて、思わず、東仙坊、「見て見ぬふりをしない」ヤングが増えるなら、素直に大歓迎と拍手を送っている。
だから、その祝辞として、「子どもは社会のタカラだ。みんなで助け合うのはスバラシイことだ。そのついでに、このモラル崩壊の我が国では、基本的に他人は当てにならない。市場原理主義と一神教の影響をイヤというほど受けてしまった世の中は、大切なものは自分たちの手で守るしかない。これからは、マンション管理会社や児童相談所などに連絡しないで、自分たちの手で直接ドアを叩くしかないんだ」という言葉を送りたい。
と同時に、世の若い母親の方々に、「自分の子どもは自分のペットでも所有物でもない。社会のタカラなんだ。それでいて、自分の何もかもを犠牲にして責任を取らされるに、子どもが反抗しても許さなければならない間尺に合わない立場。まさに、愛に悟りを開いたパーフェクトの人間にならなきゃいけない心境。でも、パーフェクトな人間などいないから、自信がないのは当たり前。そんな弱い自分を知って、誰かを頼りたくても、世の中事なかれ主義者のヒトばかり。だから、児童相談所などクソの役にも立たないが、それでも、近くで信頼できる人、コミュニティで本気で親身になってくれる人、めったにいない奇特な人、本物の思いやりを持った人間味のある人を見つけて、相談するしかないんだ」と理想的(?)のアドバイス…。
どちらにしても、子育ては、そのくらいの想像をはるかに超えた重荷のはず。
それでも、それを覚悟して、ステキな母親になる人がいるから、人間はスバらしい。
それだからこそ、母親になった女性は、その歓びに感動し、生きていてよかったと満足するはず。
もっとも、東仙坊、そんな覚悟をできないから、例え女になっても、きっと出産はしない。こんな世知辛い世の中で、子どもを育てる勇気はないし、第一、もし娘だったら発狂してしまうに違いない。「ギルモア・ガールズ」の2代の母娘関係を観ているだけで、母娘の関係の難解さに頭が痛くなってしまうから…。
②自他共に認める「freedom(フリーダム:自由)」大好きのコスモポリタン、東仙坊、やはり母親の資格を問題視。
「結婚するのもしないも、子ども産むも産まないも、カラスの勝手。成熟した女性なら、どんどん子どもを産んで! どのような母子関係になっても、それぞれが自由であればいい」と信じている。
実は、そのそれぞれに自由であるということが難しい。
とりわけ、母親は、子どもに人間であることの意義と価値を躾けなければならないときに、自分が不自由を感じる。と同時に、子どもに不自由にさせなければならない義務を持っているから、まさに矛盾。
しかも、自分の時間がなくなるだけでなく、想像していた以上の献身と自己犠牲が伴う本物の不自由だから、余計に困惑させられるはず。
ところが、その壁を超えないと、本物の母親になれないから、本当に大変。
逆に、だからこそ、それができた母親には、誰もが素直にリスペクトできるもの。
そして、「いいな。母親になれて、宇宙そのものを自分の中に持った気分だろ?」と羨望し嫉妬するもの。
「母親は偉大だ!」と憧憬するもの。
ということは、ここが一番のポイントなのだが、女性が「子ども産んだら、母親なのか?」ということになるのか?
「女は子どもを産んだら母親になるのではなく、必死に母親になる」のだと思うのだが、どうだろう?
必死に、一生懸命、意識的に母親になろうとしている女性には、「母は強し」を本当に実践している女性には、誰もが「a little help(ア・リトル・ヘルプ:ちょっと手助け)」したくなると思うが…。
それを象徴するのが、衆人環視の中での授乳の光景…。
東仙坊のような女性の乳房大好き人間でも、思わず微笑んでしまうくらいだから、誰もが自然に微笑むはず。
また、それを証明するのが、昔からある「産みの親より育ての親」という言葉…。
「とにかく無事に!五体満足なら!」と陣痛を突破するのも確かに苦難だろうけど、「モラルを身につけた殺人どころか万引きさえしないような子どもに育てる」のは、もっともっと大変だということでは?
つまり、
その意味で、せっかくの子ども手当(?)を塾代になどに浪費せず、一緒に本でも読むのが母親の第一歩だと思うが…。
どちらにしても、本物の母親が増えてくれないと、この日本はグチャグチャになってしまうと危惧しているのは、東仙坊だけではあるまい。
それには、確固たる哲学や自意識をまず持てなどとヤボなことを言うつもりはないが、そのぐらいの知性を持った伴侶を見つけないとかなり困難だと思うが…。
それゆえ、このラガーガールのような「できちゃった婚」では、「イケメン大好き」の軽佻浮薄なノリの結婚では、はなからヤバいと思わないか?
それこそ、女性の「メンストレーション・ブルー」はもとより、「マタニティ・ブルー」、「ベービー・ブルー」などをやさしく包み込めるような伴侶を先に見つけるべきだと思うが…。
それは、プロファイリングー5 大阪守口乳児殺害事件 real end(終焉)でも書いた通り。
③東仙坊、このような未成熟な親による残虐な事件を抑止する方法は、一つ。
すでに書き込んできたように、恥の文化を持つ我が国らしく、許し難い子殺し犯を二度と子育てはもちろん、恋愛さえできなくなるように、徹底的に晒しものにすると同時に、厳罰に処すこと。
それは、少し前まであった尊属犯に対する刑罰と同じ扱いにすべきということ。
そうでもしなきゃ、これだけブームのように増加し続けている「子殺し」、「アビューズ(児童虐待)」、「ネグレクト(育児放棄)」に歯止めはかからないのでは?
愛知県のバカップルの母親のように、子どもを餓死させ段ボール箱に遺棄しときながら、のうのうと「出所したら、また旦那さんと一緒に暮らして、新しく子どもを作る」なんて言い切る大バカ者がいるのでは?
それはそうだと思わないか?
いくらタガに緩んだぬるま湯社会だとしても、自分の命より大切な我が子を餓死させるような大バカ者に、自分に命を授けてくれた命の恩人を殺すような大バカ者に、一体どんな人権があるのか?
人間としての基本的愛情を持てないような大バカ者に、なぜ恥ずかしげもなくおもねる必要があるのか?
少子化問題を錯誤し、社会の対応システムがナッチャラカンチャラと甘やかしていると、ますます大バカ者どもが増長するだけだと思わないか?
その事なかれ的善いヒトぶりっ子が、ますますこんな残虐非道な殺人を生んでいると言っても過言ではないと思うが…。
どちらにしても、未成熟なジコチュウな餓鬼どもが勝手に子どもを作る前に、日本人の本性である「思いやり」、「もののあわれ」、「儚さ」を十分に教え込み、人間としての基本的な修養とモラルを身につけさせない限り、このあまりにも悲し過ぎる子殺しを抑止することはできないと思っているのは、東仙坊だけではあるまい。
東仙坊、今までに何度も書き込んできた通り…。
Just a our fate(まさに我らが運命)?-43 「ない、ない、バー」は絶対ダメ!? 、東仙坊、日本道をゆく-16 Run away(ランナウェイ)女性の結末!?-2 、Sounds insane! 許されざるヒト-51 「ジャンキー・ポイ」するしかない!? を、ぜひ参考に…。
そうでもしなければ、市場原理主義と一神教と性悪説の権化の国々から、「何と我が子を餓死させて殺す不気味で残虐な国、日本」との誹りを受け、さらに世界からの孤立国家になり、カナダの現代日本社会学専門(?)とする大学教授から「日本では未婚の母は、まったく社会規範に反する行為としてみなされ、家族全体に恥辱と汚名をもたらす」とシタリ顔で言われる羽目になるのでは?
A woman is not born a mother, a woman becomes it after giving birth(女は母親として生まれてくるのではなく、出産後、母親になるんだ)!