プロファイリング-3 これじゃ、年がら年銃、銃だらけ!丸の内交番警官自殺動機
まるで、鉄板焼きのように、ジュウ、ジュウ。もういい加減にしてくれ!頭が、ガン、ガンしてくる。
東仙坊、以前に書いた「世界一のお人好し国民、日本人にとって、だれが親友なのか?」の続きが書きたいのに、本業と個人的な理由でほんとうに時間がないのに、ちょっと苛立ちを覚えつつ、ほんとうに食傷気味。
またしても銃事件、銃事件と大騒ぎ。
世の中、十字拳、十字腱、十字犬、従事権、住持権だってあるのを知らないのか?
どちらにしても、銃犯罪を抑制するには銃規制しかないと述べていたご仁たち、今度は「警官に銃を持たせるな」とでもおっしゃられるおつもりか?
通行人のお方も「当たったらどうするんだ?怖かった!」
メディアの方々も口を揃えて、「通行人にでも当たったら、大惨事!」と現におっしゃられている。
I’m fed up with hearing this kind of news(もうこんな話はウンザリ)!
これでおわかりか?
東仙坊が言い続けているように、銃の問題なんかではない、すべては心の問題でしかない、ということを。
それにしても、これだけ心の礼儀作法を知らない未成熟な大人になれないヒト、いや大人になりたくないヒトが増殖しまうと、ほんとうに我が国はどうなってしまうのだろう?
そもそも我が国は法治国家である。そして法を順守させ治安を命がけで守るために警察官がいるのである。
それゆえ、警察官たるもの倫理を美徳とし高貴な義務を率先垂範して果たすことで人心を掌握するはずである。
ご多分にもれず、警察官にもプロフェショナルがいなくなってしまったということだろうが、あまりにもみっともなくないか?
な、なんと、今年になって、警察官の拳銃を使った自殺はこれで6件目だという。去年までの10年間で、未遂を含めて52件だなんて…。
もしかして、拳銃自殺したいヒトが警察官になっているのでは?
検挙率が悪くなるのも、誰からも信用されなくなるのも、当然といえば当然なのかも…。
しかし、これでは困る。ますますヤッタモノ勝ちの風潮が強くなってしまうからである。
Cops! We have no choice to depend on your brave heart(警察官のみなさん。あなたがたの勇敢な心に頼るしかないのだから)!
■現時点で知りうる限りのファクター
①このコップは、32歳で、子どもナシで妻と警察寮に住んでいた。優秀だったのは間違いなく第7交通機動隊に所属していて、この12月13日、巡査部長に昇任したばかりである。
②12月18日午後4時半に、初めて現場となる丸ノ内交番勤務に就き、その当直勤務の終わる時間の約1時間前に、5発装填の自分の拳銃で、右側頭部から撃ったらしく右手に拳銃を持っていて、銃弾は頭部を貫通し、窓枠に当たって床に落ちていた。
③同交番では、部下に当たる25歳の巡査長、26歳の巡査と3人で勤務していて、当時、巡査長は奥の休憩室で仮眠、巡査は別の現場に外出中で、このコップは一人でいた。
④遺書はなく、事務机とロッカーの間に倒れていた。
⑤即死できなかったらしく、約3時間後、搬送先の病院で死亡した。
■東仙坊のプロファイリング、丸の内交番官警察官の自殺動機
①誰が何といおうと、警察組織そのものに対しての命を懸けた“アテツケ”にほかならない。
これだけ銃問題が世間を騒がせているときに、通勤ラッシュの終わらない時間に、あれほど通行人の多い場所で、なんと自殺を決行したのだから。
ただし、あのアホンダラである馬込政義と共通する点は、いくら酷くとも他人を、つまり組織を責め、自分の死の原因にしてしまったところである。そうなりたくなかったら、警察を辞め、妻と離婚し、どこか誰にも迷惑のかからないところへ行って(前にも言ったがそんなところがあるなら)、一人で静かに死ね。
ある意味で、先月、池袋で通行人まで巻き込む飛び降り自殺をした身勝手なヤツとも似ている。
この東仙坊に相談してくれれば、このプライドの高そうなコップにふさわしく、ある国に行ってそこの狂乱している主席と自爆テロすることを勧めてあげたのに、そうしたら本物のヒーローになれたのに、ちょっと残念である。
おそらく誰も言わないだろうから、東仙坊は明言する。
「キミがいくらこんなことをしたって、あの硬直しきった変化のできないhierarchy(ヒエラルキー、階級社会)の権化、伏魔殿はビクともしない。相変わらず機械のようなロボコップ(本物のロボコップさんゴメンなさい)集団でしかない。キミもそれだけの正義感と勇敢さがあるなら、卑怯に逃げることなく戦って、改善するために一矢を報いるべきだった」
事実、署長のコメントは「拳銃を使用して自殺を企図したことは誠に残念。再発防止に努めたい」である。
今年だけで6回目だというのに、これまた悠長なことで、どうせピラミッドの頂上から、上意下達で順番に「くれぐれも綱紀の粛正を」と偉そうに恫喝するだけに決まっている。
だから、こういうコップを作り上げているのだということぐらい、いい加減わかれよ、情けない。
それにしても、アテツケは女々しくて、やっぱりみっともない。
②誰が何といおうと、いま未成熟な若者間で流行の自己アピールのための劇場型行為にほかならない。
その意味では、あのアホンダラに触発されているし、なんら変わりない。いくら他人を道連れにせず映画のシーンのようにひとりで格好よく決めたといっても、切腹のように潔かったといっても、あのアホンダラの事件直後では、個性的でもなく、アイディアにも乏しく、やっぱりみっともない。
You are too young and pure to be a cop(キミは警官になるには若過ぎ純粋過ぎた)!
東仙坊、このコップのために追悼文を用意した。
この追悼文を考えながら、東仙坊も気づいたことがある。
言葉の乱れてしまった現代、「じゆう」は「じゅう」になってしまったのだ。
だから、自由を得ることは、銃を得ることなんだ。これで納得した。
そうしたら、あの格言も急に変えたくなった。
「バカとハサミは使いよう」はもう時代遅れ、「警官と銃は使いよう」にぜひ変えよう。

東仙坊、以前に書いた「世界一のお人好し国民、日本人にとって、だれが親友なのか?」の続きが書きたいのに、本業と個人的な理由でほんとうに時間がないのに、ちょっと苛立ちを覚えつつ、ほんとうに食傷気味。
またしても銃事件、銃事件と大騒ぎ。
世の中、十字拳、十字腱、十字犬、従事権、住持権だってあるのを知らないのか?
どちらにしても、銃犯罪を抑制するには銃規制しかないと述べていたご仁たち、今度は「警官に銃を持たせるな」とでもおっしゃられるおつもりか?
通行人のお方も「当たったらどうするんだ?怖かった!」
メディアの方々も口を揃えて、「通行人にでも当たったら、大惨事!」と現におっしゃられている。
I’m fed up with hearing this kind of news(もうこんな話はウンザリ)!
これでおわかりか?
東仙坊が言い続けているように、銃の問題なんかではない、すべては心の問題でしかない、ということを。
それにしても、これだけ心の礼儀作法を知らない未成熟な大人になれないヒト、いや大人になりたくないヒトが増殖しまうと、ほんとうに我が国はどうなってしまうのだろう?
そもそも我が国は法治国家である。そして法を順守させ治安を命がけで守るために警察官がいるのである。
それゆえ、警察官たるもの倫理を美徳とし高貴な義務を率先垂範して果たすことで人心を掌握するはずである。
ご多分にもれず、警察官にもプロフェショナルがいなくなってしまったということだろうが、あまりにもみっともなくないか?
な、なんと、今年になって、警察官の拳銃を使った自殺はこれで6件目だという。去年までの10年間で、未遂を含めて52件だなんて…。
もしかして、拳銃自殺したいヒトが警察官になっているのでは?
検挙率が悪くなるのも、誰からも信用されなくなるのも、当然といえば当然なのかも…。
しかし、これでは困る。ますますヤッタモノ勝ちの風潮が強くなってしまうからである。
Cops! We have no choice to depend on your brave heart(警察官のみなさん。あなたがたの勇敢な心に頼るしかないのだから)!
■現時点で知りうる限りのファクター
①このコップは、32歳で、子どもナシで妻と警察寮に住んでいた。優秀だったのは間違いなく第7交通機動隊に所属していて、この12月13日、巡査部長に昇任したばかりである。
②12月18日午後4時半に、初めて現場となる丸ノ内交番勤務に就き、その当直勤務の終わる時間の約1時間前に、5発装填の自分の拳銃で、右側頭部から撃ったらしく右手に拳銃を持っていて、銃弾は頭部を貫通し、窓枠に当たって床に落ちていた。
③同交番では、部下に当たる25歳の巡査長、26歳の巡査と3人で勤務していて、当時、巡査長は奥の休憩室で仮眠、巡査は別の現場に外出中で、このコップは一人でいた。
④遺書はなく、事務机とロッカーの間に倒れていた。
⑤即死できなかったらしく、約3時間後、搬送先の病院で死亡した。
■東仙坊のプロファイリング、丸の内交番官警察官の自殺動機
①誰が何といおうと、警察組織そのものに対しての命を懸けた“アテツケ”にほかならない。
これだけ銃問題が世間を騒がせているときに、通勤ラッシュの終わらない時間に、あれほど通行人の多い場所で、なんと自殺を決行したのだから。
ただし、あのアホンダラである馬込政義と共通する点は、いくら酷くとも他人を、つまり組織を責め、自分の死の原因にしてしまったところである。そうなりたくなかったら、警察を辞め、妻と離婚し、どこか誰にも迷惑のかからないところへ行って(前にも言ったがそんなところがあるなら)、一人で静かに死ね。
ある意味で、先月、池袋で通行人まで巻き込む飛び降り自殺をした身勝手なヤツとも似ている。
この東仙坊に相談してくれれば、このプライドの高そうなコップにふさわしく、ある国に行ってそこの狂乱している主席と自爆テロすることを勧めてあげたのに、そうしたら本物のヒーローになれたのに、ちょっと残念である。
おそらく誰も言わないだろうから、東仙坊は明言する。
「キミがいくらこんなことをしたって、あの硬直しきった変化のできないhierarchy(ヒエラルキー、階級社会)の権化、伏魔殿はビクともしない。相変わらず機械のようなロボコップ(本物のロボコップさんゴメンなさい)集団でしかない。キミもそれだけの正義感と勇敢さがあるなら、卑怯に逃げることなく戦って、改善するために一矢を報いるべきだった」
事実、署長のコメントは「拳銃を使用して自殺を企図したことは誠に残念。再発防止に努めたい」である。
今年だけで6回目だというのに、これまた悠長なことで、どうせピラミッドの頂上から、上意下達で順番に「くれぐれも綱紀の粛正を」と偉そうに恫喝するだけに決まっている。
だから、こういうコップを作り上げているのだということぐらい、いい加減わかれよ、情けない。
それにしても、アテツケは女々しくて、やっぱりみっともない。
②誰が何といおうと、いま未成熟な若者間で流行の自己アピールのための劇場型行為にほかならない。
その意味では、あのアホンダラに触発されているし、なんら変わりない。いくら他人を道連れにせず映画のシーンのようにひとりで格好よく決めたといっても、切腹のように潔かったといっても、あのアホンダラの事件直後では、個性的でもなく、アイディアにも乏しく、やっぱりみっともない。
You are too young and pure to be a cop(キミは警官になるには若過ぎ純粋過ぎた)!
東仙坊、このコップのために追悼文を用意した。
キミは颯爽と白バイに乗って 一心不乱に悪質なドライバーを取り締まっていたことだろう
頬を切る風が心地よく 世のために尽くしているという高揚感から
キミの心にはいつも希望のサイレンが鳴り響いていたことだろう
ときどきヘルメットを濡らした雨の一滴一滴が
これこそがキミの天職だという神の声に聞こえたことだろう
キミは間違いなく自由という翼を持ったストリート・エンジェル気分だった
目の前に恐れるものは何もなかった
そんなキミにある日突然、昇進というチェーンと 部下というボールがつけられたのだ
そう、自由という翼を折られたと思い込んでしまったキミは
工事中の高架橋の端から それでも飛べるかどうか試したくて
大空に向かってジャンプしただけなんだ
気づいただろ すべてが錯覚でしかなったことに
気づいただろ 泥まみれにならずには自由を手に入れられないことに
だって、キミは自分で警察官になったのではないのかい
この追悼文を考えながら、東仙坊も気づいたことがある。
言葉の乱れてしまった現代、「じゆう」は「じゅう」になってしまったのだ。
だから、自由を得ることは、銃を得ることなんだ。これで納得した。
そうしたら、あの格言も急に変えたくなった。
「バカとハサミは使いよう」はもう時代遅れ、「警官と銃は使いよう」にぜひ変えよう。


