I feel such a family where a family tie was thin is about to be able to cut the bond by this great earthquake disaster at a stretch(家族の絆が細かった家庭は、今回の大震災で、一気にその絆が切れかかっている気がする)!
どうだろう?
まるで、新たなお伽話「舌切りデカ」の誕生のようでは?
もっとも、こんな舌切りデカ・ダディのような父親が、日本中の警察官の家庭に、いやいや一般家庭にゴマンといそうで、笑えないどころか、どこかうすら寒く感じないか?
仮にもデカの家庭なのではないのか?
その家庭にでさえ、こんな程度の良識とモラルしかないのだから…。
どうしても、そう言いたくなってしまうのは、東仙坊だけではあるまい。
ともあれ、その大黒柱のはずの舌切りデカ・ダディを軸にした、なりふり構わぬ姑息で稚拙な隠蔽工作のかいなく、3月10日、こんな舌切りデカ・ダディ、静岡県警から、懲戒免職処分を受けたというから、ホントに、ホントに、ゴクロウサン…。
それに対して、「警察官として、人間として申し訳ないことをした」などと舌切りデカ・ダディは話していたというが、果たして本当なのか?
そんなことがすぐわかるくらいなら、最初からやらないのでは?
静岡県警は、処分理由を「極めて悪質なため!」としているが、それを許す環境が問題で、静岡県警にも相当な責任があるのでは?
それより何より、東仙坊、このこんな舌切りデカ・ダディが、今後、父親として息子とどう対峙していくのか?
そのことにメチャクチャ興味があるのだが…。
子ども心に、相当傷ついていて欲しいと思うが、どうだろう?
どうあれ、「鉄砲オヤジ」がまた一人出現し、そのすでに崩壊してかかっていた家庭を完全崩壊させたことは間違いないと思わないか?
5月21日、ひき逃げしたうえ妻を身代わりに出頭させようとしたとして、自動車運転過失傷害、道交法違反、犯人隠避教唆などの罪に問われた、そんな舌切りデカ・ダディ、高田貴敬の裁判が、静岡地裁であった。
原田保孝裁判長は、懲役2年、執行猶予4年(求刑・懲役2年)の有罪判決を下した。
判決理由で「事故前の飲酒が発覚して警察官の職を失うことを恐れて逃走した上、妻を身代わりに立てたりした、身勝手な犯行で、社会に与えた影響は大きい。飲酒を隠すために事故後さらに飲酒し、犯行後の情状も芳しくなく、酌むべきものはなく卑劣で悪質。強い非難は免れない」と指摘。
その一方で、「懲戒免職で社会的制裁を受け、反省の態度を示している」などとして執行猶予を付けたというのだが、どこか変では?
事実、その大本になった酒気帯び運転では、嫌疑不十分で不起訴処分になっていたというから、もうマンガ。
その意味では、やはりデカのノウハウを駆使した、舌切りデカ・ダディの戦略勝ち(?)と言えるところもあるのかも…。
さて、今回、東仙坊、わざわざ取り上げた2つの事件の結末を知って、世の父親諸君に肝に銘じていただきたいことは、たった一つ。
何があっても、「鉄砲オヤジ」にはならない方がいいということ。
どういうことかと言うと、普段の生活態度、言動、あるとあらゆる点で信頼されていないからって、ムリして父親らしく振舞おうとするのを絶対にお止めになるべきということ。
そんな付け焼刃で、家族からの本当の信頼やリスペクトを受けられるワケもないから。
そのためには、常日頃から絶えず学習して精神的な支柱になり、自分が率先垂範しモラルを守り、家族にもモラルを徹底的に守らすべき。
誰が何と言おうと、男の沽券は、その奥深い洞察力、最悪のことを想定できる想像力、無限の創造力、臨機応変な論理的構築力。
本当にそう思うが、どうだろう?
When father wouldn't really mature as a human , the family itself couldn'tt make ends meet(父親が本当に人間として成熟しないと、その家庭そのものが成り立たない)!
It must be decided whether it is respected by the action that daddy takes at the age of emergency by a child(父親がとっさのときに取る行動で、子どもから尊敬されるかどうかが決まる)!
東仙坊、「鉄砲オヤジ」プロファイリングの第2弾として取り上げるのは、こちらは前回のパワーレス・ダディとさえ比較にならないほどさらに情けなくてみっともない「鉄砲オヤジ」、しかも、な、な、何と現役のバリバリ刑事…。
本当にそれこそ悲哀させ微塵もなく、まさに呆れるばかり。
ただし、こちらの事件は、3.11以前に起きたものだが…。
どうあれ、前回のケース同様、時系列的経緯を中心に、プロファイリングをしてみたい。
■ある「鉄砲オヤジ」の卑屈
●2月13日の静岡県静岡市の「舌切りデカ・ダディ」の場合
2月13日、追突事故を起こして逃走し妻を身代わりにしたとして、静岡県警静岡中央署は、自動車運転過失傷害と犯人隠避教唆などで、静岡市葵区西瀬名町に住む、静岡県警富士署刑事2課警部補、高田喜敬(46歳)なる舌切りデカ・ダディを逮捕。
3月1日、呼気から1リットル中0.15㎎以上のアルコールが検出される状態で車を運転したとして、道交法違反でも静岡地検に追送検。
けれども、舌切りデカ・ダディ、さすがに事故を起こしたことは認めているが、「逃げたわけではなく、相手の車を探していた???」などと容疑を一部否認しているというから、何をかいわんや。
①2月12日土曜日、久々の非番の舌切りデカ・ダディ、寒いこともあって、家でゴロゴロしようとしていたが、妻から、「今日は大事な息子のテニスの試合なの、送ってあげてね。アナタも試合を観に行くって約束していたでしょ」とムゲに命令される(?)。
何しろ普段犯罪者ばかりでメチャクチャ忙しい舌切りデカ・ダディ、「休みぐらいは、家でゆっくりしたかったのに…」と思わずフーッと溜息をつきながらも、デカとしてのプライドから「ああ、いいよ(?)」と応えてしまっている自分が歯痒い。
それでも、「息子はデカであるオレをみんなに自慢にしているに違いない。きっと警官ではなくデカであるオレをオヤジに持って鼻が高いはず…」と颯爽と車に息子を乗せ、家を出発する。
かといって、車中、特別な会話が2人にあるワケではない。
けれども、舌切りデカ・ダディは、「息子もそろそろ反抗期の年ごろ。カッコいい刑事であるオレが眩し過ぎて、照れているに違いない」と一向に意に反さない。
②2月12日午前10時から午後3時ごろまでの間、静岡県営草薙総合運動場で行われた息子のテニスの試合は、実に間延びしていて、レベルも低く、オモシロくも何ともない。
「冗談じゃないよ。テニスの試合なんて、観ていても疲れるだけだよ。せっかくの休みなのに…」
どうしても、間が持たない舌切りデカ・ダディ、「あっ、そうだ」と突然閃く。
車には、確か3~4ヵ月前に購入した日本酒の1升瓶があるはず。
舌切りデカ・ダディの足は弾み、自然に心は躍った。
駐車場に止めた車内で、ツマミもなく、一人ぽっち(?)での冷酒でも、その味は格別だった。
「極楽、極楽」、舌切りデカ・ダディは、束の間の至福の時を過ごしていた。
やがて、テニスの試合が終わり、息子が車に戻ってきたときには、かなり酩酊状態だった(??)。
そんな父親の姿を見たせいか、あるいは父親が自分の試合を見ていなかったことを確認していたせいか、息子はくる時以上に無口だった(?)。
③ここからは、前回同様、その舌切りデカ・ダディの立場で書き込む。
「マズイ。こいつはオレが試合を観ていなかったことに気づいている。それ以上にマズイ。かなり酔いが回ってる…。事故でも起こしたらヤバい。こいつを乗せていなかったら、どこかで休むのに、あいつが帰りを今か今かと待っているはず」
そう思って、慎重に運転していたはずなのに、2月12日午後7時ごろ、静岡市葵区南瀬名町の県道交差点を右折しようとして、交差点で停車していた男性会社員(55歳)の乗用車に追突してしまった。
「大変だ。酒を飲んでいるのがバレたら、マズイ。とにかく、この場を離れなきゃ、クビになる…」
舌切りデカ・ダディに、車に乗っている自分の息子のこと、ぶつけた相手のケガの状態など心配する余裕など全くなかった。
現場近くのコンビニエンスストアで酒を買うと、その場で一気に飲んだ。
とっさに、「今、酒をここで飲んだことにしよう(?)」と考えついたからだった。
そして、妻に電話した。
「ヤバい。酒を飲んで人身事故を起こしてしまった。オレはもう終わりになる。すると、退職金もゼロになる。そうなったら、オマエも困るだろ? すぐにここにきて、オマエが運転していたことにしてくれ。後は、オレが何とかうまくやる。息子にもオレがうまく説明しておく(??)」
それに慌てふためいた妻が、現場に飛んでくる。
そして、虚偽の説明をする。
な、な、何と醜く、恥知らずな最低の父親、セコくてイヤなヤツなのか?
呆れかえらないか?
それにしても、デカでありながら、ケガをさせた相手を救護しないなんて、あまりにも酷過ぎると思うが…。
また、車に同乗していた息子は、父親のこれほどまでの醜態をとくと見せられて、一体どんな気持ちでいたのだろうか?
どちらにしても、この息子の未来も見えてくる気がするのは、東仙坊だけではあるまい。
ただ、息子も父親同様、無傷だったというのだから、まだ光明は残っている可能性も…。
ちなみに、追突された車に乗っていた男性と同乗の女性会社員(40歳)はいずれも約1週間のケガ。
③今の生活をとにかく壊したくない、今さら退職金ゼロなんて絶対にイヤと事故現場で事故の説明をする妻。
しかしながら、残念なことに、いかんせん詳細を打ち合せるには、時間が足りな過ぎた。
妻の説明では、現場の状況とかみ合わなかったため、静岡中央署員が問いただしたところ、妻が「警察官の夫が運転していた」と説明し身代わりがバレたというから、メチャクチャお粗末。
そこで、事故約3時間半後に家に逃げ帰っていた舌切りデカ・ダディに任意同行を求めた際、呼気から1リットル中0.15㎎以上のアルコールを検出したというから、とんでもないご仁。
単に警官失格というだけでなく、夫失格、父親失格は歴然。
本当に金と名誉のためには、なりふり構わぬ狼藉者であることも、明瞭。
そ、そ、それなのに、舌切りデカ・ダディ、「妻が自分の話をどう取ったかわからない」と身代わりを依頼したことを否定しているというから、どこまでも不届き千万のトボケタオトコ。
もう舌を切るしかないと思うのは、東仙坊だけではあるまい。
ところで、「夫から事故を起こしてしまったので代わってほしいと頼まれた」と簡単にゲロした、舌切りデカ・ダディの妻は妻で、なぜ「子どもも乗っていたのですから、アナタ、ここは潔く罪を認めたほうがあの子のためになると思いませんか?」と応えられなかったのか?
それ以上に、子どもは、なぜ警察官に尋ねられなかったのか?
メチャクチャ変だと思わないか?
どうあれ、東仙坊、その息子の答えを聞いてみたい気がするのだが…。
それはそうだと思わないか?
重要な事故の目撃者なのでは?
もしかすると、すでに息子にも「いいか! 運転していたのはパパじゃなくてママだぞ! わかったか? 聞かれたらそう答えるんだぞ!(?)」と諭してあったということでは?
どちらにしても、結果的に、40代の妻も夫の犯行を隠す目的で虚偽申告したとして、犯人隠避で書類送検されたのだから、イヤと言うほど後悔していて欲しいと思うが…。
The child who has watched worst father as a human being suffers from the trauma throughout the life(人間として最悪な父親を見てしまった子どもは、そのトラウマに一生苦しむのでは)?
To be continued...
Oh,daddy! You should usually show it off before it is tried the courage father by a wife and a son(父親よ! 妻と息子にその勇気を試される前に、日頃から、それを見せつけておくべき)!
東仙坊、このプロファイリングを急ぎたい。
■ある「鉄砲オヤジ」の悲哀
●5月30日の千葉県成田市の「パワーレス・ダディ」の場合
④ここからは、そのパワーレス・ダディの立場になって書き込む。
店が終わって、お腹を空かして家に帰ると、家の様子がかなりオカシイ。
イヤな胸騒ぎを覚えながらも、着替えて早く夕飯を食べたいので、そそくさと自分の部屋に行こうとするのを、血相を変えた妻に止められる(?)。
「アナタ。大変なことが起きたのよ。ワタシ、絶対にもう許せないのよ。アナタ、早く行ってトッチメテください(?)」
妻はすっかり興奮している。
そばで、こちらを長男がじっと見つめている(?)。
「どうしたんだよ。何があったのか、話してくれなきゃ、何もわからないじゃないか?」と言うと、妻が「うちの子が、何も悪いことをしていないのに、すぐ近くに住んでいる変な若いオトコに叩かれたんですよ。アナタ、許せます? ワタシ、絶対に許せないわ。アナタ、しっかりうちの子の仇を取って下さいよ(?)」
おそらく、そんな感じでまくし立てられたに違いないと思うが…。
とにかく、その顛末を一通り聞くと、その勢いの押され、不承不承、ようやく応える。
「わかった。パパがきちんと言ってきてやる」と立ち上がる。
ところが、何と2人とも、一緒に行くというのではないか(?)、そのことに困惑する。
「確かに、こんな時代だ、万が一、自分が殺されるようなことになるとイヤだから、それも手かも…(?)」
お腹がペコペコなのをガマンして、靴をはく。
⑤5月30日午後8時15分ごろ、アンポンタンの家に着く、ベルを押すと、驚くほど大柄なオトコが出てくる。
「は、は、話が違うじゃないか? こんなことは聞いていない…(?)」
一瞬たじろぐが、2人がすぐそばで見ている以上、もう後には引けない。
アンポンタンの前で、「子ども叩くなんて、しかも、遊んでいただけのうちの子どもを叩くなって、酷過ぎると思わないか? とにかく、うちの子に謝罪してくれ!(?)」
清水から飛び降りる気持ちで、ようやくそれだけのことを言う。
すると、アンポンタンが真っ赤に顔面を紅潮させて、怒鳴った。
「バカも休み休み言え! テメエんところのガキが、ウルサクしやがったくせに、謝るのはそっちの方だろうが…(??)」
典型的な不毛な口論の後は、これまた定番の力勝負。
本心はイヤでも、もう遅い。
何しろ、自分の年頃の息子とウルサイ女房の前なのである。
「もうやるっきゃない…」
気が遠くなって行く過程で、ふと頭をよぎる。
「やっぱり、独りでくればよかった。独りでくれば、こんなことにはならなかったのに…それにしても、息子は、いや女房のヤツはなぜ黙って見てるだけなんだろう…(??)、一緒に連れてくるんじゃなかった…」
どうだろう?
このへんが真実だったのでは?
実際、一緒にいた(?)息子であるマナーレス・キッズが119番したのは、パワーレス・ダディが倒れて後頭部を踏まれたりして動かなくなった後(??)。
病院に運ばれても、悲しきパワーレス・ダディは、外傷性くも膜下出血で意識不明の重体。
実際、アンポンタン、「謝りにきたと思ったのに、逆だった。自分に謝らせようとしているとわかり、そういうことならと殺すつもりでやった」と供述しているのでは?
どちらにしても、自分の夫が露骨な「鉄砲オヤジ」になっているのに、自分の父親が自分のために「鉄砲オヤジ」になっているのに、一体そこで何をしていたのか?
それこそ、行きがかりはどうあれ、そのへんにあるものでも持って、あるいは素手でも、夫を、父親を助けようとするのが、家族なのでは?
どちらにしても、このパワーレス・ダディはこんなことで何よりも大切な命を失いかけ、その家族は何よりも大切な稼ぎ手を失いかけていることだけは、事実なのでは?
どうせ、誰も言わないだろうから、東仙坊、言わざるを得ない。
もしこのことがなくても、この家族の終焉は極めて間近だったはずなのでは?
メチャクチャそう感じないか?
どうあれ、仮に、パワーレス・ダディがアンポンタンのようなヒトだったら、とっくに一人で乗り込んでいたはずだと思うが…。
最後に、もう一度明言しておきたい。
東仙坊、そのポリシーからアンポンタンをサポートするつもりは全くないが、この家族よりも、アンポンタンの心模様の方がまだどこか理解できると思わないか?
その最大の根拠は、自分の夫が、自分の父親が本当にオトシマエをつけてくれるかどうか疑って、ノコノコ一緒について行った妻と息子の存在。
父親が精神的支柱になっていない家庭は、ハナから崩壊しているようなもののはずだから…。
本当にそうだと思わないか?
結果的に極論すれば、ある意味、その根幹的な家庭の崩壊が、一人の悲しくて哀れな「鉄砲オヤジ」を創り上げ、笑うに笑えない結末をもたらしたと感じているのは、東仙坊だけではあるまい。
The daddies in this world! Please don't become poor father murdered indirectly by a wife and a son(世の父親たちよ!妻と息子に間接的に殺されるような、哀れな父親にならないように)!
To be continued...
When there is a only little power, it must be father to use the head(あまり力がない場合は、頭を使うのが父親では?)?
東仙坊、あえて選択した3.11以後の「鉄砲オヤジ」の代表格は、一応事件の被害者になっているので、簡単に書き込むワケにはいかないが、懸命にトライしてみる。
そこで、今までのプロファイリングの手法を替え、事件の時系列的経緯とともに、その点を指摘してゆくことにする。
■ある「鉄砲オヤジ」の悲哀
●5月30日の千葉県成田市の「パワーレス・ダディ」の場合
5月30日、息子が殴られたことを抗議にきた同じアパートの別棟に住むスポーツ店経営男性(47歳)、パワーレス・ダディに暴行を加えたとして、千葉県警成田署は、傷害(後に殺人未遂)で、千葉県成田市江弁須に住む、無職(?)、川島一高(35歳)なるアンポンタンを現行犯逮捕した。
①5月30日昼ごろ、パワーレス・ダディの中学3年長男(14歳)であるマナーレス・キッズが、アパートの敷地外でサッカーボールをコンクリート・ブロック塀に蹴りぶつけて(?)独りで遊んでいた。
ちなみに、その壁の真裏がアンポンタンの部屋。
しかも、この日は日曜日…。
場所は、アパートの塀…。
どうだろう?
誰が考えても、14歳のマナーレス・キッズが蹴り続けるサッカーボールの音のノイズ、騒音は、人を愉快にばかりさせるものではなかったのでは?
それとも、昨今のやさしい人の多い社会では、「ガンバレ! キミこそ将来の日本代表だ!」とそっとその騒音を聞くたびに拍手を送る人ばかりだったのか?
少なくとも、東仙坊の少年時代、それは野球のボールだったが、「誰かにぶつけたら、どうするの?」とか「ヨソの家のガラスでも割ったら、どうするの?」と自分の親に限らず、近所の人にすぐ言われて、遠い川の陸橋の下までスゴスゴ歩いて行ったものだったが…。
②そのうち、マナーレス・キッズがキックミスをして、ボールがアンポンタンの敷地内に(?)入れる。
しばしの静寂があたり一面に広がったはず。
どうだろう?
そこはヨソサマの敷地で、ヨンサマ(?)の敷地ではないのである。
もし、このマナーレス・キッズ、心のどこかでウルサクして迷惑をかけていたかもしれない?と感じていたのなら、覚悟を決めて、大声で「すみません! ボールを取らしてください」と声を上げ、アンポンタンが出てくるのをビクビク待ったはず。
おそらく、このマナーレス・キッズ、大切な自分のサッカーボール、躊躇うことなく勝手に敷地内にそっとボールを取りに入ったはず??
そのことがますますアンポンタンをナーバスにさせたと思うが…。
どうあれ、目ざとくそれに気づいたアンポンタンが出てきて、「ウルセーよ。いい加減しろよ、どこか他へ行ってやれ!」と怒鳴りつけたのでは??
そして、もしかしたら、なかなかサッカーボールを返そうとしなかったのでは??
おそらく、「わざと入れたわけではない、それなのに何で怒鳴っているのこいつは?」とか、「ボクのサッカーボールをなんだから、早く返せよ」とばかり考え、謝罪できないばかりか、その剣幕にだけビビって、何も言わず照れ笑いするだけだったのでは??
それを察して、「うるさくして、ごめんさない。もうここではやりません」などと謝って、とりあえずその場を離れるべきだったと思うのは、東仙坊だけではあるまい。
アンポンタンも、それを、その人を小バカにした生意気な態度と捉えてブチ切れ、アンポンタンが平手で(?)マナーレス・キッズの顔をたった1回叩いたのでは?
実際、アンポンタンも、「マナーレス・キッズが、にやけていたから」と平手打ちした動機を供述しているのでは?
東仙坊、何もアンポンタンの肩を持つつもりなど毛頭ないが、その気持ちはわからないではないのだが…。
ここで肝心なのは、後にマナーレス・キッズの父親を殺そうとするまでにメチャクチャ殴る蹴るの残忍な暴行を働くアンポンタンが、平手で1回叩いただけだということだと思うが…。
これはあくまで子ども戒める意味があったのでは?
問題は、これに対するマナーレス・キッズの対応なのでは?
おそらく、生まれて以来、父親にも叩かれたことなどなかったに違いない(?)マナーレス・キッズ、そのことに逆ギレし、殴り返したかったに違いない。
しかし、相手は自分より大きくて強そうで仕方なくガマンしたのでは?
叩かれたことそのものより、そんな自分が情けなくて、悔しくて悔しくて、どうしようもない気分になって、マナーレス・キッズは収まらなかったに違いない。
③甘やかせられたうえ、怒られることに不慣れで、生まれて初めて味わった敗北感から、マナーレス・キッズはなかなか腹の虫が収まらなかったに違いない。
そこで、家に帰ると、ディテールは割愛し、「いきなりヒトに一方的に殴られた」と母親(50歳)、エモーショナル・ママに訴えたに違いない。
他人から受けた屈辱を自分で晴らせない子どもの100%が行う、ささやかな復権行為と言えるもの。
しかしながら、このマナーレス・キッズの母親、パワーレス・ダディの3歳年上で、自分が36歳のときの長男がマナーレス・キッズ。
目に入れても痛くないほどマナーレス・キッズを溺愛していたに違いない(?)。
それゆえ、この時代に我が子を叩いたアンポンタンがいることを長男以上に許せなくなるのも、当然のこと。
率直に言うと、東仙坊、このこと自体が最悪の結末を迎える結果に直結したと断定しているのだが…。
おそらく、その怒りを収拾するための手段は、「いいわ。パパに何とかしてもらいましょう。きっちりと頭を下げて謝らせてもらいましょうよ(??)」と自動的に父親にお鉢が回ったはず。
さて、ここが最大の問題である所以は、一つ。
マナーレス・キッズが日ごろから、父親との間で、人間として、男としての本来のあるべき姿、生き方、普段の心構えをコミュニケーションしていれば、その屈辱を味わったとき、まっすぐに父親のもとに行ったと思うが、どうだろう?
と同時に、女でもある母親に言うべきこと、あるいは言ってはいけないことを学んでいたと思うが、どうだろう?
女はどこまでも情念的で非論理的で直情径行だからこそ女であることは、自明の理。
つまり、父親を最初から選択しなかったことで、すでに父親の家での立場は、張り子の虎だったということではないのか?
事実、近所の人の話では、「怒ったのを見たことがないほどの温厚な方だった」のでは?
それは、言い方を替えると、息子を怒ることができないほど脆弱な父親だったということでは?
ともあれ、この14歳の感受性が本来強いはずの少年であるべきマナーレス・キッズが、かなり未成長で、モラルを身につけていなかったのも、その父親を心からリスペクトできていなかったからだと思わないか?
It might be too hard that it is tried dignity of father in front of his son with his wife(妻と息子の目の前で、父親の沽券を試されるのは、辛いことかも)!
To be continued...
I suppouse it must be the cause that is the first psychogenic lack of domestic father as for after 3.11, Japanese air having drained dry(3.11以後、日本の空気が乾き切ったのは、家庭の父親の精神性の欠如が一番の原因と思われる)!
東仙坊、ここのところ書き込み続けているように、3.11以後、間違いなく愛する我が日本の空気が激変したことを痛感している。
そうでなくても、モラルを完全崩壊させ、振り込め詐欺社会になり下がってしまっていた我が国のこと、さらにその心の芯の核までメルトダウンさせてしまったようで、凄く暗澹たる気分…。
そもそも、ジコチュウ極まりない為政者どもが、それにオモネル情けなくてみっともないマスメディアどもが、3.11を契機に改めて日本人のやさしさを見た!とことさら強調すること自体、一つの詐欺のようなもの。
もともと、傲岸不遜なそれらの思い上がったヒトたちは、いわゆる我々のような普通の人々を心底愚弄し切っているのが本音。
つまり、一般国民はバカと決めつけている。
それを如実に表しているのが、フクシマノブイリにおける情報コントロール…。
我々国民が無知蒙昧にパニックになり、ヤケクソになって暴動を起こしたり(?)、絶望し切って厭世的になり経済活動をしなくなっては困る(?)とばかりに、ウソ、ウソ、ウソだらけ。
今さらになって、その保育園児政府のウソを糾弾しているマスメディアだって、その片棒をしっかりと担いでいたのだから同罪なのに…とメチャクチャシニカルになっているのは、東仙坊だけではあるまい。
まさに、目くそ、鼻くそ…。
しかし、今回のテーマは、そんな恥知らずの政府やマスメディアを俎上に載せることではない。
あくまで、その歴然とした空気の変化を具体的に指摘すること。
実は、東仙坊、その空気の変化は、それぞれの家庭からフクシマノブイリの放射能のようにどんどん漏出されていると感知している。
それも、かつての日本にはほぼ間違いなく存在しなかったセシウム137、プルトニウム238、コバルト58、放射性ヨウ素131、ストロンチウム90、アメリシウム、キュリウム、ジルコニウム、ネプツニウムなどまでが加わって漏出されている気がする。
すなわち、どこかぎこちなく、粗野で、硬く、それでいて壊れやすく、あくまで冷やかで、単なるカタチだけでしかなくなっていた偽装家庭が、この3.11を契機に、これ以上たった1本の輪ゴムを引き伸ばして留めておくことはできないとばかりに、プッツンと切れてしまったのでは?と感じている。
それもこれも、大東亜戦争敗戦後から始まったと思える我が国の伝統的な家族形態の崩壊、それにともなう家族の絆の崩壊、それに取って代わって砂上の楼閣に構築されてきたはずの「happy family(ハッピー・ファミリー)」という虚像が、一気に粉砕されてしまったからでは?
テレビ、冷蔵庫、掃除機、自家用車、コンクリート住居、携帯電話などのモノを基軸に、ウソ、ウソ、ウソで塗り固めてきただけのウワベだけの薄っぺらな家庭の臨界は、とっくに始まっていた気がする。
誰が何と言おうと、本来、家庭とは心のよりどころになるべき芯のようなものであって、モノの都合で集まるものではなかったはず。
ましてや、我が国独特の思いやり、もののあわれ、儚さなどは、その家庭こそで熟成されるものだったはず。
その精神性を体現する父親、それをそっとフォローする母親を核に、祖父母たち、兄弟たちとの打打発止、コミュニケーションこそ、そして、心の底からの大笑いこそ、家庭の価値だったはず。
そ、そ、それなのに、モノ、モノ、モノで、ウソ、ウソ、ウソになってしまっていたのだから、こうして破綻するのは時間の問題だったはず。
それが、3.11を契機に、一気に加速し完膚なきまでに崩壊してしまった気がする。
そして、それは宗主国の忌まわしきあの9.11後とも明らかに違うもの。
それなのに、またしてもウワベだけ宗主国のマネをし、こんなときこそモノを買うのが支援とますます魂を喪失させているだけなのでは?
確かに、あちらは人為的なテロであり、こちらは大自然の猛威という相違はある。
しかしながら、あちらは何もかもが神のご意志であり、こちらは無宗教のうえ大自然の前で平伏しながらも淡々と魂を大切にして生きる民族のはず。
今回のような声も出ないような大自然災害に遭ったら、あえて大自然に逆らおうとはせず、一切のモノがなくなっても、心の安息さえあれば何もいらないとばかりに強靭な精神で粛々と生きようとするのが、真の日本人のはずなのでは?
そして、その何よりも揺るぎない心の安息を与えてくれるのが、本物の家族の絆のはず。
それがなくなってしまったのだから、精神の流浪の民になってしまったのは仕方がないのかも?
それしても、その家族の絆を司っていた、父親の沽券、母親の従順、子どもの天真爛漫は一体どこへ消えてしまったのか?
東仙坊、それは核となるべき父親の精神性の愚鈍さ、それを見て見ぬフリをする母親の欺瞞、その未熟な両親から一切の修養を身につけさせたもらえない子ども、そのすべてに原因があると確信しているのだが…。
そして、それを適切に象徴しているのが、狭い日本の道路を傍若無人にマナーのカケラもなく走り回っている大きなワンボックス・ファミリーカーだと、かねてから思っていたのだが…。
さて、「鉄砲」という言葉がある。
ここでは、いわゆる「gun(鉄砲)」のことではなく、「ホラ」とか「大言」という意味で使いたい。
実は、東仙坊、その言葉の意味を初めて知ったのは、大学3年のとき、雀荘、つまり、麻雀屋。
真夜中、突然、隣の卓が大騒ぎになる。
「この野郎。とんでもねぇ、野郎だ。いい格好しやがってよ、鉄砲でくるなんて、ふざけたタマだ」と、当時の父親ぐらいのオトコが、3人のオトコたちにボコボコニされるのを見ながら聞いた言葉で、「鉄砲…」、「無一文のくせに、金を持っているような風情を見せ、それこそ、命懸けで勝負すること」と頭にしっかり叩き込んだので、今もよく覚えている。
おそらく、そんな鉄砲ギャンブラーは、今、かなり減っているに違いない。
その代わりと言っては語弊があるが、まさか「鉄砲パパ」、「鉄砲ダディ」、「鉄砲ファーザー」、「鉄砲お父さん」、いわゆる「鉄砲オヤジ」がこれほどまでに増えていたとは?
東仙坊、それこそが家庭崩壊、家族の絆喪失の最大の原因と確信している。
ただ、「鉄砲」には、他にも「相撲のもろてづき、両手を伸ばして相手の胸を強く突っ張ること」という意味もある。
そこで、ここではあえてその二重の意味を重ねて使ってみたい。
誰だって、3.11のような自然の大災害に直面すれば、その言いようのない恐怖感から、ともすると絶望的な気持ちになりがち。
そんなときほど、どんな家庭でも、その父親が精神性と理性で人間性を的確に高めることによって、その大自然のパワーと対峙し、モラルを保持することによってその恐怖を克服するするしかないはず。
そ、そ、それなのに、肝心の父親が「鉄砲オヤジ」のようなテイタラクでは、フクシマノブイリ同様、日本の家族の未来は開けてこないのでは?
どうあれ、そんな「鉄砲オヤジ」が近い将来どういう結末を迎えるのか?
東仙坊、3.11以後の象徴的事件、3.11以前の象徴的事件をそれぞれ1つずつ挙げて、証明してみたい。
当然、その切り口は、父親の沽券、母親の立ち位置、子どものモラル…。
どちらにしても、それを始める前に、先日、作家曽野綾子が産経新聞の「小さな親切、大きなお世話」というコラムで久しぶりに美味しいプリンを食べたときのようなウレシイ気分になったので、失礼ながら、勝手に一口ずつ一緒にもう一度食べてみたい。
…NHKの「ニュースを見ていて、私はおかしな気分にとらえられた。そこに出てくる、たくさんの人たち―校長先生、保母さん、母親たち、視力障害者、漁港の人、アナウンサー―などが流行語のように「安心して…したい」と言うのである。安心して仕事を始めたい。安心して子どもを外で遊ばせたい。安心して昔と同じように暮らしたい。
私は私の人生で、かつて一度も、安心して暮らしたことはない。今一応家内安全なら、こんな幸運が続いていいのだろうか。電気も水道も止まらない生活がいつまでできるのだろうか。私の健康はいつまで保つのだろうか、と、絶えず現状を信じずに暮らしてきた。
…安心して暮らせる生活などというものを、人生を知っている大の大人が言うものではない。そんなものは、地震や津波が来なくても、もともとどこにもないのである。アナウンサーにも、最低限それくらいの人生に対する恐れを持たせないと、お子様放送局みたいになって、聞くに堪えない軽さで人生を伝えることになる。
安心して暮らせる生活を、約束する人は嘘つきか詐欺師。求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。前者は選挙中の立候補者にたくさん発生し、後者は女性か老人に多い。自分で働いてお金を得ている人は、現実を知っているから、なかなかそういう発想にならない。
しかしこれほど多くの人が「安心して暮らせる生活」なるものが現世にあるはずだ、と思いはじめているとしたら、それは日本人全体の精神の異常事態だ。ことに、これだけの天災と事故が起きた後で、まだ「安心して暮らせる状況」があると思うのは、不幸な事態から何も学ばなかったことになる。
しかし物事に「絶対安全」ということはないのである。
…「安心して暮らせる」とか「絶対安全でなければ」とかは、共に空虚な言葉だ。それはこの世に、完全な善人も悪人もいないのに、幼稚な人道主義者が、自分は善人でそうでない人は悪人と分けることと似ていて、こんな子供じみたやり方では、政治はもちろん、経済も文学も成り立ちえない。国民全体が知らず知らず感染している「安心病」をまともな感覚にまで引き戻す特効薬はないものか。
It must be not possible for such a reckless father to give to his own child the cultivation of aesthetic sensitivity(鉄砲オヤジでは、子どもの情操教育はできない)!
To be continued...