緊急プロファイリング 祇園責任転換(!!)無差別暴走テロ事件-3
I wonder if we couldn't live without car and nuclear power generation(自動車も原発もなしでは、本当に生きていけないのか)!
■祇園責任転換(!!)無差別暴走テロ事件
●東仙坊が、原発再稼働と比較してプロファイリングする事件の本質
○自動車が誕生して、100年ちょっと。
今や単なる文明の利器にとどまらず、文明の必需品としての確固たるステータスを確保するとともに、根幹的な経済活動の基盤にさえなっている面まである。
しかしながら、東仙坊のような天邪鬼は、やがて世界の道路が自動車で飽和状態になったらどうするのだろう?それでも、生産し続けるのか?と、ついついシニカルに考えてしまう…。
なぜなら、かつて文明人のステータスシンボルとしての王座すら獲得してきた自動車は、今や単なる交通移動手段ツール、それどころか地球を破壊する排気ガスを出す厄介モノであり、年間大量の人間を殺戮凶器にまでなり下がっている。
また、まもなく枯渇するだろうガソリンを燃料とすることから、エコロージーの大合唱のもと、電気自動車などが開発されたり、パーム油メチルエステルなどのありとあらゆるバイオ燃料の開発に血眼になっている。
にもかかわらず、その「自動車ムラ」の稼ぐ巨額マネーに群がる大バカ者どもは、世界でもメズラシイ買い替え需要喚起のための車検システムを維持したり、酔っ払い運転すらその罰則を軽減したり、何でもアリ…。
①今回の癲癇患者の運転免許取得に関しても、その病気の申告を強制しないのは、そこまでも自動車を一台でも多く売るためだと思うが、どうだろう?
それに、我が国はもちろん、今、世界中で自転車が見直されているのでは?
どう考えても、100万台の車を減らすわけにはいかないということが、その根底にあるのでは?
一方、原発が稼働し始めて、60年近く。
まるで人類の叡智が創造した理想の廉価でエコなエネルギーかのように詐称され、今回のフクシマノブイリで露呈したように安全管理など狡猾に二の次。
その誰も基本コストがわからないことをいいことに、陰険な原子力ムラのクソッタレどもが巨額マネーを貪り尽くしている。
何しろ、あれだけの人災を起こしておきながら、何もしない天下り顧問どもにも月90万円ずつ払っていたというのだから、普通じゃない。
しかも、その誰一人として、東仙坊が糾弾し続ける、使用済み核燃料処理について解決策に言及しない恥知らず。
そして、フクシマノブイリの廃炉への道だって、一向に見えてこないのに、もう再稼働とは呆れるばかり…。
電力が足りない足りないと言うけど、国民はもちろん企業は原発のない状態を想定して行動していると思うが、どうだろう?
これだけの地震大国では、脱原発を考えるのは当然なのでは?
目に見えず、臭い一つない放射能の恐怖は、ハンパじゃないのでは?
にもかかわらず、これだけの被害を受けながら、今日にも大地震が起きるかもしれないのに、その対策は数年後のまま再稼働するなんて、まさに狂気だと思うが、どうだろう?
第一、ウランだって、ガソリン同様すぐになくなるのでは?
どう考えても、再稼働うんぬんよりも、使用済み核燃料の処理をどうするかが優先だと思うが…。
それでも、なし崩し的に再稼働するということは、抗癲癇剤を服用していたらある程度問題ない、それでも事故を起こしたら仕方ないと高をくくっているからに違いない。
つまり、リスクマネージメントなんてこれっぽっちも考えていないのでは?
②それは、癲癇患者の方への運転免許交付も同じ。
万一事故起こしそうなら運転しないで、何とか薬を飲んで発作を止めて、ともかく病気を申告して、事故を起こさないで!と他力本願。
○原発の安全は、原子力安全委員会、原子力安全保安院などのクソの役にも立たない組織が責任転換(!!)するので、原発規制庁なるものを作るというが、それすらできないうちに再稼働というのだから、開いた口が塞がらない。
何もかもがデタラメ、懲りない日本。
癲癇患者の運転に関しても、何だかよくわからない日本てんかん協会やその専属医師が、どこまでも本人のモラルの問題化のように責任転換(!!)するテイタラク。
何もかもがいい加減、ぬるま湯日本。
そんな中で、最も卑屈で陰険なのは、やっぱり究極のカーキチの家族と言わざるを得ないと思うが、どうだろう?
正直に告白しているように、いつか究極のカーキチが重大事故を起こすと確信していたはず。
だからこそ、想定通りに(?)、すぐにそれを癲癇のせいに責任転換(!!)したと思うが、どうだろう?
実は、東仙坊、究極のカーキチ自身とそう打合せしていたとさえ感じているのだが…。
すなわち、
③今回の事件は、車が好き、ドライビングが好き、運転の仕事しかしたくないという一人の究極のカーキチが、そのドライビングテクニックを過信し、自分の病気を受け入れず、自分だけは大丈夫と思い込み起こしてしまった自動車追突事故であることは間違いない。
と同時に、「どうしよう? どうしよう?」と事故を起こしてしまったことからパニックになり、「こうなったら大きな人身事故にして、何もかもを持病のせいにしてしまおう!」と無差別テロリストに化して、家族を助け、自分も言い逃れようと決行した事件であるに違いない。
どちらにしても、そんなことで命を落とすことになった被害者たちには、絶対ガマンできないことだと思うが…。
どうだろう?
原発の人災とそっくりだと思わないか?
極論すれば、自分が癲癇になんかなると考えてもみなかった究極のカーキチが、再発防止のために道交法改正などを求める請願書が提出されたりし始めた世の中に、運転を辞めた方がいいとウルサイ病院と家族に反発、「うるさいんだよ! 放っておいてくれ! 自分は誰よりも運転がうまいのに…あまりウルサイと目にもの見せてやるぞ!」と自爆テロを企てたともいえる側面があるのでは?
その意味で、
④この事件は、癲癇が起こしたのではなく、自分が事故を起こしたことで、その癲癇気質に火がつき、破れかぶれになって、そのドライビングテクニックを披露し、逃げ切ろうとしたのが真実だと思うが、どうだろう?
This kind of crazy driver didn't cause an accident for epilepsy and he caused an accident and suffered from epilepsy(癲癇で事故を起こしたのではなく、事故を起こして癲癇になっただけ)!
■祇園責任転換(!!)無差別暴走テロ事件
●東仙坊が、原発再稼働と比較してプロファイリングする事件の本質
○自動車が誕生して、100年ちょっと。
今や単なる文明の利器にとどまらず、文明の必需品としての確固たるステータスを確保するとともに、根幹的な経済活動の基盤にさえなっている面まである。
しかしながら、東仙坊のような天邪鬼は、やがて世界の道路が自動車で飽和状態になったらどうするのだろう?それでも、生産し続けるのか?と、ついついシニカルに考えてしまう…。
なぜなら、かつて文明人のステータスシンボルとしての王座すら獲得してきた自動車は、今や単なる交通移動手段ツール、それどころか地球を破壊する排気ガスを出す厄介モノであり、年間大量の人間を殺戮凶器にまでなり下がっている。
また、まもなく枯渇するだろうガソリンを燃料とすることから、エコロージーの大合唱のもと、電気自動車などが開発されたり、パーム油メチルエステルなどのありとあらゆるバイオ燃料の開発に血眼になっている。
にもかかわらず、その「自動車ムラ」の稼ぐ巨額マネーに群がる大バカ者どもは、世界でもメズラシイ買い替え需要喚起のための車検システムを維持したり、酔っ払い運転すらその罰則を軽減したり、何でもアリ…。
①今回の癲癇患者の運転免許取得に関しても、その病気の申告を強制しないのは、そこまでも自動車を一台でも多く売るためだと思うが、どうだろう?
それに、我が国はもちろん、今、世界中で自転車が見直されているのでは?
どう考えても、100万台の車を減らすわけにはいかないということが、その根底にあるのでは?
一方、原発が稼働し始めて、60年近く。
まるで人類の叡智が創造した理想の廉価でエコなエネルギーかのように詐称され、今回のフクシマノブイリで露呈したように安全管理など狡猾に二の次。
その誰も基本コストがわからないことをいいことに、陰険な原子力ムラのクソッタレどもが巨額マネーを貪り尽くしている。
何しろ、あれだけの人災を起こしておきながら、何もしない天下り顧問どもにも月90万円ずつ払っていたというのだから、普通じゃない。
しかも、その誰一人として、東仙坊が糾弾し続ける、使用済み核燃料処理について解決策に言及しない恥知らず。
そして、フクシマノブイリの廃炉への道だって、一向に見えてこないのに、もう再稼働とは呆れるばかり…。
電力が足りない足りないと言うけど、国民はもちろん企業は原発のない状態を想定して行動していると思うが、どうだろう?
これだけの地震大国では、脱原発を考えるのは当然なのでは?
目に見えず、臭い一つない放射能の恐怖は、ハンパじゃないのでは?
にもかかわらず、これだけの被害を受けながら、今日にも大地震が起きるかもしれないのに、その対策は数年後のまま再稼働するなんて、まさに狂気だと思うが、どうだろう?
第一、ウランだって、ガソリン同様すぐになくなるのでは?
どう考えても、再稼働うんぬんよりも、使用済み核燃料の処理をどうするかが優先だと思うが…。
それでも、なし崩し的に再稼働するということは、抗癲癇剤を服用していたらある程度問題ない、それでも事故を起こしたら仕方ないと高をくくっているからに違いない。
つまり、リスクマネージメントなんてこれっぽっちも考えていないのでは?
②それは、癲癇患者の方への運転免許交付も同じ。
万一事故起こしそうなら運転しないで、何とか薬を飲んで発作を止めて、ともかく病気を申告して、事故を起こさないで!と他力本願。
○原発の安全は、原子力安全委員会、原子力安全保安院などのクソの役にも立たない組織が責任転換(!!)するので、原発規制庁なるものを作るというが、それすらできないうちに再稼働というのだから、開いた口が塞がらない。
何もかもがデタラメ、懲りない日本。
癲癇患者の運転に関しても、何だかよくわからない日本てんかん協会やその専属医師が、どこまでも本人のモラルの問題化のように責任転換(!!)するテイタラク。
何もかもがいい加減、ぬるま湯日本。
そんな中で、最も卑屈で陰険なのは、やっぱり究極のカーキチの家族と言わざるを得ないと思うが、どうだろう?
正直に告白しているように、いつか究極のカーキチが重大事故を起こすと確信していたはず。
だからこそ、想定通りに(?)、すぐにそれを癲癇のせいに責任転換(!!)したと思うが、どうだろう?
実は、東仙坊、究極のカーキチ自身とそう打合せしていたとさえ感じているのだが…。
すなわち、
③今回の事件は、車が好き、ドライビングが好き、運転の仕事しかしたくないという一人の究極のカーキチが、そのドライビングテクニックを過信し、自分の病気を受け入れず、自分だけは大丈夫と思い込み起こしてしまった自動車追突事故であることは間違いない。
と同時に、「どうしよう? どうしよう?」と事故を起こしてしまったことからパニックになり、「こうなったら大きな人身事故にして、何もかもを持病のせいにしてしまおう!」と無差別テロリストに化して、家族を助け、自分も言い逃れようと決行した事件であるに違いない。
どちらにしても、そんなことで命を落とすことになった被害者たちには、絶対ガマンできないことだと思うが…。
どうだろう?
原発の人災とそっくりだと思わないか?
極論すれば、自分が癲癇になんかなると考えてもみなかった究極のカーキチが、再発防止のために道交法改正などを求める請願書が提出されたりし始めた世の中に、運転を辞めた方がいいとウルサイ病院と家族に反発、「うるさいんだよ! 放っておいてくれ! 自分は誰よりも運転がうまいのに…あまりウルサイと目にもの見せてやるぞ!」と自爆テロを企てたともいえる側面があるのでは?
その意味で、
④この事件は、癲癇が起こしたのではなく、自分が事故を起こしたことで、その癲癇気質に火がつき、破れかぶれになって、そのドライビングテクニックを披露し、逃げ切ろうとしたのが真実だと思うが、どうだろう?
This kind of crazy driver didn't cause an accident for epilepsy and he caused an accident and suffered from epilepsy(癲癇で事故を起こしたのではなく、事故を起こして癲癇になっただけ)!