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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-18

I wonder as if two assholes of these cases should be same(この2つの事件の犯人は同じ)?

東仙坊、あの佐世保小6同級生殺人事件とこの長野義妹殺人事件が、限りなく酷似している点を検証しているので、間髪入れず続ける。もちろん、2人の被害者の不運な共通点が、兄2人と長女兼末っ子という同じ3人兄弟構成だった、などという表面的なことなどには、一切触れない。
どちらも、「殺しても殺し足りない。元通りの普通になれるかな」、「今日こそ殺してやる。殺せば元の幸せな生活が取り戻せる」と相手を殺したくて殺そうと計画し、全く容赦なしにメッタ刺しにし、相手の人生を瞬時に奪い、自分の身勝手な欲求を満たし、ホッとしながら今も生きている犯人がいることを問題にしたいだけである。

検証プロファイリング 長野義妹殺人事件

■事件の残忍極まりない犯行詳細

小春日和ののどかで穏やかな日が続き、いつの間にか誰もが爽やかな気分になっている。
異常気象で、もしかしたら冬が来ないのでは?という噂までが飛び交っている。
2007年11月7日、勤務日を間違えてしまったヘチャムクレは、時間を持て余し、急に思いついたように実家に向かう。
持っていた合鍵で家に入る。
コジュー・ドゥーの部屋に行き、泥棒猫のように何かを探し始める。
そして、ついにタンスの引き出しの中で、自分の名前の表札プレートを見つける。
今日こそは殺してやる
そう決意すると、再び鍵をかけ、外に出る。
まだお昼までには時間がある。
コジュー・ドゥーさえいなくなれば、普通の生活ができる
と、何度も何度も考えながら、茅野市のスーパーに向かう。
そして、食料品を買い込み、それを自分の車のトランクにしまう。
殺害後、家に帰って、夫に見せ、アリバイにするためである。
一旦、家に戻り、自分で作った証拠隠滅計画ノートを1人で何度も読み返す。
子どもは保育園に預けてあるので、家にはいない。
午後4時頃、犯行を決意し家を出ると、まずいことに夫から電話が入る。
仕方なく一緒に、富士見町内のスーパーに行き、買い物をする。
「ガソリンを入れて帰る」
と、ウソをつき、夫と別れ、再び実家に向かう。
駐車場をチェックすると、コジュー・ドゥーの車が止まっている。
コジュー・ドゥーは施設のクリスマス飾りを買いに行かなければならず、洗濯物を取り込むために、一時帰宅している。
「よし」と、ヘチャムクレは近くの町役場駐車場に車を止め、ハンマーと血がついても分からないようにと選んだ黒い軍手、家のピンクの紐ではばれやすいと仕事先で紙紐を三つ編みにした特製紐、それらの入った手提げバッグを持ち、実家まで歩く。
「どうせ自分もいなくなるのだから」と、もう怖いものはない。
中の様子を窺いながら、軍手をはめ、無施錠の玄関のドアを静かに開ける。
そっと家に入ると、バッグからハンマー(約30cm、重さ約400g)を取り出す。
すぐに居間に行くことはやめ、まず誰かが来るとまずいので玄関の鍵をかける。
すると、中からコジュー・ドゥーが玄関の方へ出てくる。
やおらハンマーをかざし、殴りかかるヘチャムクレ。
それで数回思いっきり殴りつけても、逃げようとするコジュー・ドゥーの衣服を掴んで、廊下に倒し、さらに殴り続ける。しかし、コジュー・ドゥーは逃げようとする。
ああ、全然死なない。お願い、早く死んでよ
と、夢中で殴り続け、20回以上殴ったあたりで、コジュー・ドゥーがぐったりする。
急いで玄関に行き、用意してあった紐を取って戻り、思いっきり首を絞める。
それでも死んだ気がしなかったのか、台所の下から刃渡り16cmの包丁を持ちだすと、軍手を外し、包丁の取っ手に指紋がつかないよう布巾を巻き付け、コジュー・ドゥーの頚動脈を7回も切りつける。
そのうえ、とどめを刺そうと、さらに頭や首を数10カ所メッタ刺し。
吹きだす大量の血。
それは瞬く間に廊下中に広がり、あたり一面真っ赤に染まる。
顔の周りに血が溢れ、血に中に顔が沈む。
そのあまりの出血の凄さに、予定していた、死体を車の助手席で運ぶことを止める。
最初は、1人で寝ている人を動かす介護で学んだコツを利用し、コジュー・ドゥーの死体をどこか遠くへ遺棄するつもりだったのである。
それでもほぼ計画通りに進んでいるので、慌てない。
返り血がベットリ付いた服をバッグに隠し、タンスにあったスウエットに着替え、台所のサッシ戸から人に見られていないか、様子を窺ってから家を出る。

車に戻り、バックミラーでウェットティシュを使って顔に付いた返り血を拭き取り、夫に「茅野市のスーパーに寄って帰る」とメールする。
ただし、予定していた、コジュー・ドゥーの携帯から義母に「友だちの家に泊まりに行く」と偽装メールすることは止める。
車を走らせ、ハンマーを用水路内へ遺棄し、血のついた服も自宅近くの雑草地中へ投げ棄てる。
何食わぬ顔をして家に戻り、トランクに隠しておいた茅野市のスーパーで買った食料品をビニール袋ごと夫に渡す。

一方、母親が午後8時45分頃、帰宅。
閉まっていたドアの鍵を開け、目の前に、生まれて初めて見る、恐ろしく静かで、恐ろしく真っ赤な世界が広がっている。一瞬、息を飲む母親。
そのおどろおどろした血の海の中に、何とコジュー・ドゥーを見つける。
コジュー・ドゥーは全く動こうともしない。
その地獄の苦しみを味わったかのような顔が、ただ口惜しさを一杯に表している。
立ちすくんで、全く動けない母親。

ヘチャムクレは、夜中の1時に、妹に「明日土曜日だけど来る?チーズフォンデュ・パーティーしよう」とメールする。

2007年11月8日、事件翌日、茅野警察署の任意の事情聴取に呼ばれたヘチャムクレが、夫の「何でも正直に話したほうがイイよ」に促され、あたかも健気にすぐ自供したように言われているが、事実無根。
「誰か怪しい人が見つかったんですか?」、「犯人に目星は付いたんですか?」と、実際は自供までに3時間近く掛かっている。

東仙坊、ここまで生きてきて、ウソ八百、これほどまでに平気で自己中心的に自分勝手に躊躇なくウソをつけるヒトを見たことがない。
このヘチャムクレを、まるで、純朴で、真面目で、思いやりがあって、やさしい、謙虚な女性かのようにでっち上げてきたメディアに、改めて呆れる
きっと、本当の女性を知らない、軽佻浮薄な人間がメディアに増えたのかも知れない。
そういえば、メディア関係者の卑劣で卑屈な犯罪も確かに増えている。
今度は胃の中で、冷たい雹がバチバチと降り始めたので、もう止める。

Since I was born for the first time I am known with this real psychopath liar(生まれて初めて本物のサイコ嘘つきを知った)!


to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-17

I can't believe the professional firefight got be the survivor's guilt when he looked at the terrible seen of crime(プロの救急隊員が「サバイバーズ・ギルト」になるほどの凄惨さって)!

こんなにヒドイ、こんなに悲惨な、こんなにムゴイ、思わず目を覆いたくなる、メチャクチャな、残虐極まりない、言葉にならない、このまだ12歳の女の子が自分の同級生をカッターで刺殺した殺人現場を目撃してしまった人たちの率直な感想である。
本当に、こんな殺人を犯したヒトが、許されたままで、いいのだろうか?
心から、本気で考えて欲しいと、東仙坊、願っている。
余談だが、まさにこの事実こそが、東仙坊、ブログを立ち上げようとした伏線である。
プロフェッショナルの救急隊員がその現場を見て、サバイバーズ・ギルトになってしまうような凄惨な殺人事件を12歳の女の子が日本で起こすなんて…その時、錆だらけの汚いボロボロの釘が、間違いなく頭のどこかに突き刺さり、未だにそれが抜けないのである。
天真爛漫。天衣無縫。お転婆。屈託のない、無邪気で、清廉で、潔白な、純情な女の子でいっぱいの日本になって欲しい。
それこそが、こうしてブログを書き続けている原動力でもある。まさに、甘ちゃん、だろ?

検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件

■事件の残忍極まりない犯行詳細-2

午後1時5分、佐世保警察署員が到着。
「何があったの?」の警官の事情聴取に、表情一つ変えず、
自分がやった」「死ぬまで待って、バレないように教室へ戻った」「私、どうなるの?
などとほんの少しだけ答える。

午後1時55分、佐世保警察署へ移送、補導勾留。
その後、ほとんど何も話さない。
警察の方も、どうしていいのか分からなかったのが実情のようである。
夜に幕の内弁当を半分食べる。

2004年6月2日、事件翌日、事情聴取(?)が恐る恐る始まる。
事件以外のことには、はにかむように話すが、事件のことになると、難しい顔を作り、黙る。
また、家族に会いたいと言わない。
その夜、眠れない。

2004年6月3日、朝食を全部食べる。
ああ、やっちゃったと思った
何でやったのかな。よく考えて行動すればこんなことにはならなかった。手紙や掲示板でなく、会ってあやまりたい
「一人で悩んでいた」
交換ノートと掲示板以外では別に何の問題もなかった
これから普通の暮らしができるといいんだけど…
などと答えたことになっているが、弁護士による意図的情報操作が始まっているようなので、信憑性はあまりない。

2004年6月4日、初めて両親が面会。
ジャジャ馬サイコは視線を2人から外したまま、母親は涙するだけ、父親が、
朝晩手を合わせて拝むんだよ、天国に行ってくれるように」という。

やばい、完全に、胃の中でバーン、バーンと6尺玉の花火が破裂し始めた。


■東仙坊による、事件総括

「天国に行ってくれるように」ということは、ジャジャ馬サイコを立派に育てたお父さん、U.L.G.はまだ天国に行っていないということ?ということは、U.L.G.は今地獄にいるということ?あるいは、無念でまだ成仏していないということ?東仙坊、再三再四書き込んできたが、お父さん、ところで天国って本当にあるの?あなた行ったことあるの?
どちらにしても、それが人殺しの娘に語りかける言葉??
やはり、こんな父親だから、ジャジャ馬サイコがこんなことになったのかも…。
誰も言わないから、はっきり言う。
お父さん、あなたには子どもを育てる資格は全くない。
さらにこの父親への憤怒の念が強くなると思うが、事件から2年後、2006年12月3日に公開した手記をそのまま載せる。
東仙坊が、この父親に激昂する意味が、きっとわかってもらえると信じたい。
特に納得できない箇所にアンダーラインをしておく。


 私どもの娘が取り返しのつかない事件を起こしてしまってから、2年がたちました。
 娘が大切な将来を奪ってしまった被害者様とご家族様に対しましては、どのようなお詫びをしても償いをしようとしても、しきれるものではありませんが、ただただ「申し訳ございません、一生償いを続けさせてください」と申し上げるばかりです。
 私どもは、以前は、子供が被害者になる事件のことを見聞きする度に、自分の子供が被害にあわないようにするためにはどうしたらいいだろうと考えたりしておりましたが、まさか自分の子供が重大な事件を起こして加害者になるとは想像したこともなく、連絡を受けても最初は信じられませんでした
 私どもは、家庭内で娘と普通に親子の会話をしているつもりでした。娘は、学校での出来事や、好きな本のことなどをいろいろと話してくれていました。身体に障害のある私のために、着替えなども手伝ってくれました。
 娘が事件を起こす2、3日前、私は「チソン、愛してるよ」という本の広告を見つけました。交通事故で顔と身体にひどい火傷と障害を負った韓国の女子大生が、最初は絶望していたけれども、やがてありのままの自分を見つめ、全身の障害と戦いながら前向きに生きるようになるまでを書いた手記だということでした。私が娘に内容を説明して「こんな本があるよ。すごいね。読んでみる?」と尋ねると、娘は興味を持った様子で、「読んでみたい」と言いましたので、私はすぐにこの本を注文しました。
 事件の前夜、私が娘に「今日、本を発送したそうだよ。2、3日で届くよ。楽しみだね」と言いましたら、娘はにこにこして嬉しそうに「うん」とうなずいていました。しかし、その翌日に、娘は事件を起こしてしまいました。
 あのような本に興味を示して、私の話も素直に聞いていた娘の心の中に、恐ろしい考えが隠れていたとは、今でも信じられない気持ちです。(この本は、後日施設で娘に差し入れて読ませました。娘は感想文を添えた手紙を送ってくれました)
 私どもは、現在もずっと、どうして娘があんなことをするような子供になってしまったのだろうと考え続けております。いくら考えても答えは見つかりませんが、娘の考えや行動をきちんと見守ることができなかった私どもに大きな責任があることは間違いありません。
 この2年間、どのようにすれば償いができるかを考えてまいりました。どのような形でお詫びをしようと、娘が起こしてしまった取り返しのつかない行為の責任、そしてあのような娘を形作った私どもの責任の償いができるとは、とうてい思いませんが、私どもは、あの子を育てた親として、自分たちの至らなかった点を考えて反省し、娘が起こしてしまった事件から目をそらさず、決して逃げないようにするつもりです。
 娘は現在、専門の先生方のご指導の下で、人間としての正しい心を身につけるための勉強を続けております。最近では、面会のときに、自分がなぜあんなことをしたのだろうと考え込んだり、(被害者様の)お父さんは私のことをどう思っているだろうと言ったり、反省の言葉を自分から手紙に書いてくるようになり、私どもも娘の心の大きな変化を感じております
 娘には、自分がしたことの重大さをよくかみしめさせ、親子で一緒に、一生懸命謝罪し続けていくつもりです。
 事件当時の同級生、在校生、保護者の皆様、担任の先生、校長先生をはじめ諸先生方、その他の地元の皆様には、言葉では言えないほどの大変な苦痛、ご迷惑をおかけしました。大変遅くなってしまいましたが、心から深くお詫び申し上げます。
 全国の皆様にも、不安と御心配をおかけしました。この機会をお借りして、皆々様に心からお詫び申し上げます。
 最後に、被害者様とご家族様に改めて深く深くお詫び申し上げるとともに、心から被害者様のご冥福をお祈りさせていただきます



ちなみに、事件後、ジャジャ馬サイコの母親、姉、祖母は関東方面に転居し、依然父親一人だけが家でその帰りを待っている。
東仙坊、イヤでも言わざるを得ない。
こんな父親では、ジャジャ馬サイコを立ち直らすことなど、絶対にできない。
そして、こんな餓鬼姫がノコノコと世の中に戻ってくることを、絶対に許せない。
そのためにも、ムカツキ、キレ、一旦別のパーソナリティーになってしまうと、人を殺しても何の断罪されず、簡単にリセットして、元の普通の暮らしに戻れるという現状を変えなければならない。
「責任能力」って、一体、何?
誰しもが生を受け、63億分の1の個体として地球上で生き始めたときに、その個体がすでに有しているものでないのか?
生きている限り、その責任が付いてまわり、自分の魂が是認できる形での死とともに、その責任から放免されるものでないのか?
それゆえ、仮に殺人を犯した加害者は、生きている限りその責任を果たさなければならないだけでなく、そこに魂が是認できない形で殺されてしまった被害者の責任が残存し、当然その分の責任まで果たさなければならなくなる。
そうすると、人間はもともと虚弱で、自分一人分以上の責任が負えないから、魂で是認した形で自分が死ぬしかないのである。
つまり、人を殺したら、自分が死ぬしかないという自己認識能力が必要なのである。
それが責任能力なのでは、ないのか?
その意味では、人を殺したヒトに責任能力を問う必要はない。
そのぐらい簡単明瞭にさせなければ、これらの卑劣で卑怯な犯罪を絶対に抑止できない。

Someone to kill someone must die at once, that is all(自分が誰かを殺せば自分が死ぬ、そうあるべき)!

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-16

Unbelievable, unbelievable(信じられない、もうイヤだ)!

東仙坊、ここまで必死にこの検証をしてきたつもりである。
その目的はただ一つ。卑怯で卑劣な犯罪を抑止するために、一人の人間として、具体的に何ができるか?
実践的に何を知っておけば、被害者にならずにいられるか?そして加害者にならずにいられるか?
これでも、本気で模索し、七転八倒してきたつもりである。
そして、これだけグタグタ、ダラダラ懲りずに叫んできたが、too late (遅過ぎた)、useless(無駄)、それが偽らざる心境である。
despair(絶望)、その言葉しか見つからない。
この国のタガの緩みは、想像を超えているほど最悪なのかも知れない。

3月23日、茨城県土浦市のJR荒川沖駅で、19日に72歳の男性を殺害し全国指名手配中だった、オタンコナスの金川真大(24歳)が、「捕まえてごらん」と110番したために8人の警察官を配置していながら、その目の前で、何と8人が殺傷される事件が起きた。
犯人のオタンコナスには何も興味もない。
このような不逞の輩は自分に興味を持って欲しいから実行したのは一目瞭然。義憤を感じるなら、興味を持たないこと、それに尽きる。そして、すぐ涎を垂らし始めている模倣犯たちと人道派(?)弁護士たちを喜ばせないために、その場で射殺すればよかっただけ。
同じくお気の毒ながら被害に遭ってしまった方々にも興味がない。
おそらく誰も言わないから、東仙坊、偶然来日している英国人遺族に対する弔意を込め、断言するともに、一足早く謝罪しておく。
「We are so sorry It must be impossible obviously for our police to arrest the murderer who killed your daughter(あなたのお嬢さんを殺した犯人を我々の警察が逮捕するのは明らかに不可能なのでゴメンナサイ)」
あの英国人女性殺害事件のクソッタレ市橋達也(29歳)の逃亡を幇助している奇特な方、それを取り逃がす警官のようなお人好しの方、自分だけは関係ないと生きている方、そんな人が被害に遭うのである。
誤解を恐れず、勇気を持って、さらに言う。あの時あの場所に不運にもオタンコナスと居合わせた人は8人だけじゃないはず。難を逃れた人はかなりいるし、オタンコナスの方も襲うヒトをそれでも選んでいる。個人の危機管理を意識し、注意深く細心の注意を払い、いつも毅然とした姿勢や凛とした態度を見せている人には、オタンコナスだって一瞬たじろぐに決まっている。
どちらにしても、日本の警察は実に情けなくてみっともない。
それにしても、「最悪の事態を想定し、あらゆる事案に対処できるように体制を敷いてきたが、このような事態になってしまった」なんて、一体どこから言えるのか?
本当に厚顔無恥も甚だしい。せめて犯人のマネをして全員坊主頭にでもしたら、どうだろう?
気の狂った他国に何も言えず、法律も作れない政治屋たち。国民を守れないどころか、事故死させてしまう自衛隊。モラルのかけらもない、ガリガリ亡者の経営者たち。そして、犯罪者を捕まえられないどころか、自分で犯罪をする警察。本当にこの愛する日本は、何もかもがメタボリック症候群なのか?
また、脱線したようである。
ごめんなさい。
東仙坊、そんな絶望の淵でも、ほんの一縷の望みを持って、まだこの国を救えるかも?と、甘ちゃんらしくこの検証を完結させる。

ところで、この東仙坊、ホラー、オカルト、スプラッター、全部に弱い。それこそ、悪い夢を見て、眠れなくなる。
しかしながら、この検証を懸命に続けてきた目的は、個人情報保護法の名の下でマスメディアがいつのまにか作り上げてしまう、被害者の負のイメージ、逆に加害者の虚像、それらに錯誤したり幻惑されることなく、本気で卑劣で卑怯で残忍な罪を憎むことこそが、唯一明日は我が身にならないための手段、犯罪抑止の道でしかないことを証明したいからである。
そこで、この2つの殺人事件の極めて酷似した殺害状況を、できるだけありのままに記述してみたい。
そして、異常な東仙坊、このような今や普通の殺害方法を心底憎んでいることを忘れずに、お読みいただきたいと、付け加えておく。


検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件

■事件の残忍極まりない犯行詳細-1

まばゆい陽射しが、佐世保市大久保小学校の教室の奥まで、ためらうことなく差し込むようになっていた。
6年生のクラスでは、その暖かさにつられるように和気あいあいと、給食の準備が始まっていた。
2004年6月1日、午後0時15分。
殺す計画を立て、最初から殺すつもりの12歳普通の女子生徒、ジャジャ馬サイコが、
ちょっとおいで
と、正義感と慈愛に溢れ、全く殺されるなんて想像していない12歳普通の女子生徒、U.L.G.を教室の外へ呼び出す。
ちょうど直前の4校時の作文時間で、「人のシンリ」を書いていたU.L.G.は、心のどこかで思うようにうまくいかなくなっていたジャジャ馬サイコとの友情問題を真剣に受け止めていたから、
黙ってジャジャ馬サイコの後ろをついてゆく。
その同じ作文時間に、もう一度仲直りできるかもと期待していた相手のジャジャ馬サイコが、韓国ホラー映画「ボイス」を題材に、自分のことを「殺しても殺したりない」と下書きしていたことなど、U.L.G.はこれっぽっちも気づいていない。
歩く廊下は、なぜかひんやりとしている。
この時、U.L.G.にそんな反省する気持ちさえなければ、すぐにジャジャ馬サイコの異様な雰囲気に気付き、教室の中で、「何なの?イヤよ」と答えていただろう。
本当に、そう答えてさえいれば、今でもU.L.G.は大きな声を出して笑っていたに違いない。
そのまま2人は、同じ3階にある誰もいない学習ルームに入る。
不気味なほど閑散とした20畳くらいのだだっ広い空間に、1脚のイスがポツンと違和感を漂わせて置かれている。
座んな
と、ジャジャ馬サイコが、奇妙なほど静かにU.L.G.に声をかけながら、おもむろに部屋のカーテンを閉め始める。
些細なことでの仲たがいを内省し、いくら相手が好きな性格でなくても力になってあげられない自責の念まで覚えていたU.L.G.は、何も疑わず、ためらうことなく黙って座る。
もちろん、逃げ出すことなんか全然考えてもいない。
それどころか、仲直りするいいチャンスと考えている。
悲しいことに、U.L.G.の方は、とっくに成長し始めていたからである。
すると、いきなりジャジャ馬サイコがU.L.G.に、タオルで目隠しをしようとする。
「やめてよ。何するの?」
と、U.L.G.が激しく抵抗する。
その次の瞬間には、隠し持っていた黄緑色の小型カッターナイフで、ジャジャ馬サイコは、左手でU.L.G.の目を塞ぎながら、無言で右の首を思いっきり切り裂いている。
その傷は、深さ約10cm。長さ約10cmにも達していた。
瞬間的に、左手で右の首を押さえるU.L.G.。
その手の上から、さらにカッターナイフを突き刺すジャジャ馬サイコ。
U.L.G.が崩れるようにうつ伏せに倒れる。
そのU.L.G.の左手の甲からは、骨が見えている。
U.L.G.の右の首には、野球のボールがそのまま入るほどの穴が開き、中から筋肉がぶらぶらと飛び出している。
もの凄い量の出血。
なのに、やおら、そんなU.L.G.の顔を、何度も蹴り上げ、踏み続けるジャジャ馬サイコ。
瞬く間にU.L.G.の顔は変形し、不自然な形で首を反らしたまま動かなくなる。
その時突然、入口のドアが開き、低学年の女子児童がそっと顔を出す。
それを、ジャジャ馬サイコが、「キッ!」と睨みつけ追い返す。
それから、手に付いた血をハンカチで拭きながら、U.L.G.の顔を間近でのぞき込み、
死んだのかな
と、動かなくなるのをただ待ち続ける。
その出血はどんどん酷くなり、瞬く間に1リットル以上を超えても、さらに流れ続ける。
最後に、U.L.G.の体を手で突っつき、動かないのを確認してから、学習ルームを離れる。

この間、たったの15分。もの凄い手際のよさ。
U.L.G.は永遠に2度と生き返ることはなくなり、友だちのシツコサ、その友だちとの友情の育て方で、悩むこともない。

学習ルームを出たジャジャ馬サイコが、カッターをハンカチに包みながら、教室のそばまで戻る。
午後0時35分。
ちょうどジャジャ馬サイコとU.L.G.が教室にいないことに気付いていた担任の男性教師(35歳)が、全身血だらけのジャジャ馬サイコが廊下に立っているのを見つける。
なんと、ジャジャ馬サイコ自身に、「救急車を呼べ」と動転した男性教師が叫ぶ。
私じゃない。私の血じゃない。もう一人は別の場所にいます
と、ジャジャ馬サイコが学習ルームの方を指さした。
慌てて学習ルームに向かう男性教師。
そして、血だらけで倒れているU.L.G.を発見し、「救急車!」と大声で叫ぶ。

その間、ジャジャ馬サイコは、階段を下りて行こうとする。
偶然、5年生の担任女性教師と出会う。ジャジャ馬サイコは、U.L.G.の名前を呼び、
「救急車を呼んで」
と呟く。
しかし、その女性教師は、ジャジャ馬サイコ自身がケガをしていない様子なので、
「大丈夫よ」
とその場で1分ぐらい階段に座らせる。
たっぷり浴びている返り血がジャジャ馬サイコ本人のものではないと判断し、そのまま1階保健室に連れて行き、手を洗わせ、学校に用意してある服に着替えさせた。
その間、ジャジャ馬サイコは、沈黙したままで取り乱した様子がないので、何も訊かず、その女性教師は手を握り続けている。

「児童がカッターで首を切られて倒れている」
と119番通報したのが、午後0時45分。
午後0時52分、救急隊員3人が学校に到着。
2人は現場に直行。
1人は、勝手に大阪池田小学校のような事件を想定したらしく、校内を負傷者を探して捜索し、保健室でジャジャ馬サイコを見つけ、「大丈夫か?」と声をかけるが、無言。


現場に向かった救急隊隊長は、その目撃してしまった、この世のものとは到底思えない残虐至極の地獄絵図に、同じ歳ぐらいの女の子を持つ父親だったために、何とPTSD(心的外傷後ストレス障害)survivor's guilt(サバイバーズ・ギルト:PTSDの一種、生存者罪悪感)を発症し、事件直後から家族と話ができなくなってしまったのである。

Tell me frankly how you should think about this case to read it in detail(これを読んでどう思ったか正直に言って欲しい)!


to be continued…




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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-15

I don’t know why the mongoose used to win a fight with the habu like that usually (なぜ戦いでマングースがいつもハブに勝つのかわからない)!

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。

③2人が同居してから事件当日までのプロセス-4

●2007年7月16日、2回目の3者による話し合い。
結局、何の成長もないままbabyマングースとbabyハブでしかない2人は、実は、初めて直接言い争ったのである。
嘲笑することなく(苦笑かも)、東仙坊、ダイジェストにしてみる。
どうやら、ヘチャムクレのヘナチョコ夫が、愛する妻の我慢できないという訴えを聞き、冗談じゃないと、母親に金を出させて、家を出ることになったのである。
それで、コジュー・ドゥーが「早く出てってくださーい」とヘチャムクレにメールしたことが発端。
純朴で控え目でおっとりした内気なヘチャムクレが、あまりの酷いイジメについにプッツンしたことに、法廷ではなっている(?)。


 ヘチャムクレ「どうしてそういうことするの?」
 コジュー・ドゥー「ワタシのどこが気に入らないか、言ってみろ」
 「別に嫌いじゃない」
 「オマエはいつも何でホントーのことを言わねーんだ
 「……」
 「オマエは結婚式の日とか教えてくれないーんだよ」
 「……」
 「子ども、何で自分で面倒みれねんだよ。連れてくんなよ
 「……」
 「母さんに迷惑かけてるんじゃねぇ
 「表に出ろ」
 「荷物全部持って、2階から出て行け」
突然、ヘチャムクレがコジュー・ドゥーに殴りかかる。それも拳で数回も。
 「言って分からないヤツはこうしてやる」
DVにトラウマがあるコジュー・ドゥーが、今度はプッツンする。
 「ほら、やれよ」
 「……」
 「オマエもスカタンと同じことすんだな」
 「死にたいのか
 「ああ、死にてぇんだよ
 「……
 「ほら、どうしたんだよ。オイ、死にてぇって言ってるだろ
 「……
 「やれねぇんなら、死なないでくださいって言え
 「……」
 「オマエのせいで家族はバラバラだ。オマエには兄ちゃんも娘もいる。楽しそうにしているオマエが許せない」
 「……」
 「いいか、死んでいなくなるか、離婚するか、どっちかにしろ。さもないと、オマエの一番大切なものを奪ってやる

ああ、疲れた。どうかお許しください、このバカバカしさ、幼稚さ。
それにしても、こんな売り言葉に買い言葉で、人を殺していいなんて、東仙坊、今の今まで全く知らなかったし、吃驚している。
誰も、人を殺してイイなんて言ってないって?
いるいる、少なくとも7,000人以上のヘチャムクレ・サポーターと1人のヘナチョコ?。
求刑が15年?
あの昔懐かしの克美しげるは、10年の判決で7年で出所し覚醒剤でまた刑務所。
母親殺しで少年院送致だった山地悠紀夫(23歳)は、出院後すぐに「人を殺す快感が忘れられなかった」と大阪府寝屋川市で27歳と19歳の姉妹を殺害。
東京渋谷区で、自分の夫をバラバラに刻んで棄てて歩いた三橋歌織(33歳)や、同じく自分の妹をバラバラに切り刻んで冷蔵庫に入れた武藤勇貴(22歳)が、「心神喪失」で世の中を闊歩するのも時間の問題。
まあ、当然こんなことは「対岸の火事」なんだろう?
とにかくやさしさでいっぱいで、心が広く、幸せで美しい日々をお過ごしのヘチャムクレ・サポーターの方々は、自分の身に、自分の家族の身に、万一そんなことが起きても、決して怒ったり、嘆いたり、涙しないようにして欲しいもの。
お天道様は、きっと見ている。
さて、ここで、一番注目する点は、内気で控えめで他人への配慮ができる(?)ヘチャムクレが、何とコジュー・ドゥーに、話し合っている途中いきなり、拳で殴りかかったという直情径行的暴力に走ったことである。何か、話が可笑しいと思わないか?
事実、それを目撃していた義母兼母親が、その光景に驚愕し、もしかしたら孫もそうだったのか?と疑ったと法廷で証言している。


同日、ヘチャムクレとヘナチョコは、子どもを連れ、近くのアパートに引越し
これで、何はともあれ、2人の間の諍いが収束する、あるいは沈静化する、と誰もが思ったのは、当たり前ではないのか?
正直、東仙坊も、そう思う。それどころか、その選択が遅過ぎたとまで思う。
どんな家庭でも、家族でも、酷いケンカが起これば、冷却期間を設けるのが当然ではないのか?
普通なら、家出、別居、引きこもり、離婚、そうなるのではないのか?
その意味では、ヘチャムクレが、ここまでウダウダ言いながら、コジュー・ドゥーをイジメ、いや間違い、コジュー・ドゥーにイジメられ、ここまで我慢した理由は、一体何だろう?
事実、裁判官も、そんなにコジュー・ドゥーのイジメに苦しんでいたのなら、「どうして実家に戻ったりしなかったのか?」とヘチャムクレに直接尋ねている。それに、「自分の部屋にはすでに兄夫婦が暮らしているから、できなかった」と、ヘチャムクレは答えている。
このピントの外れかた、ジコマン、幼稚さ、ヘチャムクレの正体が垣間見えないか?
どうあれ、「実家に帰らせていただきます」これって、妻の最大最高の決め台詞、核爆弾より有効な実践的武器ではないのか?
それなのに、一体どこから、ヘチャムクレはコジュー・ドゥーに対し、「雷に打たれて死ねばいい」とまで、毎日思い込むようになったのだろう?
言われているコジュー・ドゥーのイジメが本当だったら、一日も早く逃げ出せばよかっただけではないのか?


●2007年8月、ヘチャムクレが、2回目となる、コジュー・ドゥーの車への傷つけ。
ここで明らかになるのが、実質的イヤガラセを仕掛けたのは、間違いなくヘチャムクレの方。この車に傷を付けるという行為は、やはり極めて陰湿でオゾマシくてネバネバする犯罪と言えないか?
巷間、この殺人事件の要因が、あたかもコジュー・ドゥーのイヤな性格にあるかのように言われてきたが、冷静に見てみると、単純にそれだけだとは思えないが、どうだろう?
どちらにしても、家を出て以来、ヘチャムクレが自分の周りの友だち(?)へのメールで、「子どもが殺されそうだ」、「コジュー・ドゥーのイジメが酷いので、訴訟する」、「子どもが心配だから、防犯カメラを設置する」など、ほとんど過剰な思い込み、被害妄想的言動が増える。
実際、訴訟とか防犯カメラなどの実現には、ヘナチョコの理解や助言が必要だと思うが、法廷での夫の証言によると、それらのことは一切聞いていなかったという。
また、そのヘチャムクレの友だち(?)の1人が、「思い余って自殺するのでは?」と心配していたと言うが、そんな気配が微塵もないのは、なぜ?
東仙坊、これらの不可解で偏執狂的思い込みは、断言してある通り、全てヘチャムクレの「子育て嫌悪忌避症候群」に原因があると思うのだが、どうだろう?
どこをどう考えてみても、邪魔者を追い出せたコジュー・ドゥーの方から、あえてイヤガラセをする理由が全く見つからないのだが?


●2007年10月、ヘチャムクレが、実家の表札から、自分のネームプレートが外されていることに気付き、激怒。
これもとても変だと思わないか?とっくに家を出ているのである。3ヶ月も離れているのである。
第一、こんなことが殺人の動機になったら、ギネスものではないのか?それが「苦しい思いをするのはコジュー・ドゥーのせい。コジュー・ドゥーが死んでいなくなれば、以前の幸せな生活を取り戻せると、本当に殺人動機になっていいのだろうか?
それにしても、このツルンツルンでペラペラの軽薄さ、リアリティのなさ、24歳で同じくギネス狙いなのか?その自己中心的なシツコサも特筆ものだが、佐世保事件ジャジャ馬サイコがいるから、ギネスは難しいかも知れない。
どう考えても、このヘチャムクレ、義母の手助けのない子育てが耐えられなかっただけである。
事実、この頃、ヘチャムクレは、具合が悪いと職場も休みがちになり、病院にまで行っている。
病院の診察で、「気分転換のために、赤い服を着れば元気になれる(?)」と言われたというが、これって普通の病院?


●2007年10月、生まれて初めての家族の死との直面、ヘチャムクレの祖父が逝去。
裁判長が、法廷で、あえてヘチャムクレに尋ねたことで明らかになった、この事実。
裁判長は、人間が身内の死に直面すると、愛する人間の喪失感、命の尊さや儚さの自覚、他人への無償の愛、と一気に成長するはずなのに、なぜ人殺しをしてしまったのか?と諭し戒めていたが、ヘチャムクレは終始無言のまま。
それどころか、その祖父の葬式後、非人間的でアンビリーバブルなことに、ヘチャムクレはますます過激な言動。
義母に「コジュー・ドゥーから、死んでいなくなるか、離婚していなくなるか、どっちか選べと言われたことは今でも忘れない」と、友だち(?)に「初めて身内の葬儀で悲しかった。だから、いなくなれ、と言われたのは許せない」とメールしている。


●2007年10月25日、「今日こそ殺してやる」ヘチャムクレはコジュー・ドゥーの殺害を決意し、茅野市のホームセンターに行き、犯行に使ったハンマーと黒い軍手を購入。
そして、ルーズリーフの証拠隠滅計画ノートを作成。
陰険で執拗で自己中心的で傍若無人な普通の24歳主婦が、その独りよがりの単なる誇大妄想的被害妄想で、義妹殺人完全犯罪を計画する。まるで、12歳の佐世保事件ジャジャ馬サイコのように直情的に幼稚に…
そこまでなら、実はそこら中に転がっている、何の変哲もない、バーチャルでライトな四方山話。
東仙坊、そこまでなら許すし、こんなに必死になって検証などしない。
ところが、この内気でおとなしい雰囲気をわざとらしく作り上げている普通のサイコパスが、実際に残虐非道な殺人をしたからこそ、絶対に許せないのである。まるで、素直でいい子を悲劇のヒロインのように演じている普通のサイコパスのように…。



Naturally the man shall be growing up boundlessly, since he met the death of own family(家族の死と直面すると人間はどんどん成長し始める)!

to be continued…




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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-14

What a silly sisters-in-law they are(何と幼稚な義姉妹なのか)!

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。

③2人が同居してから事件当日までのプロセス-3

●2人の職場での軋轢は、心底バカバカシイので羅列。
◎4月、コジュー・ドゥーが、自分の携帯が紛失したと騒ぐ。
◎5月、コジュー・ドゥーが、自分の財布がないと騒ぎ、警察を呼ぶ。それが常軌を逸脱していると職場上層部の逆鱗(?)に触れ、コジュー・ドゥーをキチガイ呼ばわり。今度はそれに逆上した母親が名誉毀損被害届を交番に出すが却下される。
これでは、幼稚園ではないのか?
職場の事なかれ主義はよくわかるけど、2人と義母兼母親は、そしてそれを放置したままの夫兼次兄は、佐世保事件ジャジャ馬サイコ以下の低レベル (その意味では、あちらの方が卓越し過ぎかも…)なのか?
少なくとも、大人のライセンスだけは返却すべきではないのか?
あのジャジャ馬サイコですら、私の筆箱のカッターがないとは騒がなかったはず。
そう、それこそ誰かが盗んで置けばよかったのに…。


●2人の家庭での軋轢はさらにバカバカシイけど羅列。
◎ヘチャムクレが、ハンドクリームをせっかくあげたのにコジュー・ドゥーがごみ箱にポイした(?)。
◎コジュー・ドゥーが、子どもの泣き声がうるさいと文句(?)。
◎ヘチャムクレが作ったヒジキの料理を、コジュー・ドゥーから「ババ臭い!」と言われ、3日間連続でヒジキ(?)。
◎コジュー・ドゥーが、家政婦のようにヘチャムクレに洗濯させた(?)。
◎コジュー・ドゥーが母親に、ヘチャムクレが健康食品を盗んだと訴える(?)。
東仙坊、正直な感想を聞いてみたい。
ヒジキをババ臭いと言うことと、それを聞いて3日間連続でそれを出すのと、どちらが人間的にイヤなやつ?
もちろん、基本的に、呆れるほど五十歩百歩。3日間出すほうが完全にケンカを売っていると思うが、どうだろう?
どちらにしても、ハンドクリームが、ヒジキが、子どもの泣き声が、洗濯が、健康食品が、残虐無比に人を殺していいことになって、本当にいいのか?


◎コジュー・ドゥーが子どもの口にタバコを(?)。
これも、その真偽は全く不明。
また、冗談ですまない子どものことなのに、誰も第三者が実際見ていないのである。
それこそ、119番をするべきではなかったのか?
どう考えても、この陰湿この上ないヘチャムクレに針小棒大に言う虚言癖があると思うが、どうだろう?
事実、法廷で、検察側はそれを簡潔明瞭に指摘している。
しかも、後に、これについても、コジュー・ドゥーが「子どもをホッタラカシにしているオマエが悪いんだ。子どもが勝手に部屋に入ってくわえたんだ」と反論しているようだが(?)、こんなことはどこの家でも日常的に起こらないか?
2歳くらいの子どもの世話って、思ってた以上に集中力とエネルギーが必要で、大変なのではないのか?だから、「子育て嫌悪忌避症候群」の母親が増えているのではないのか?


●2007年5月19日、見かねた母親兼義母が仲介して3者で第1回目の話し合い。
本当に呆れないか? 24歳の大人同士ではないのか?
佐世保事件の時にも言及したが、本当のコミュニケーションとは、お互いに向かい合って直接口と口で会話することではないのか?
でも、佐世保事件の2人よりは恵まれていないか?佐世保の2人には間に入ってくれる義母兼母親みたいなヒトもいなかったのだから…いたのは何も気が付かなかったという35歳のダメ男性教師だけ。
結局、「お互いに言いたいことは言うようにしましょう」という義母兼母親の提案も、残念ながら効果がなかったようで、2人の亀裂はより深まってゆく。
それはそれで、当然だと思わないか?
誰かが介在すれば、お互いにもっと自己中心的になってしまうのは、自明の理
中国が仲介している6カ国協議が始まって、一体どのくらいの月日が経つと思う?
あの北朝鮮は改心したんだっけ?


●2007年6月、母親兼義母の依頼で、ついにヘチャムクレが「知的障害者地域活動支援センター」に異動。
この際、コジュー・ドゥーと出会ったとき、「かわいそうだね」「いつ言われたの?」と言われたことにヘチャムクレが口惜しくて逆恨み(?)。
母親が「2人を同じ場所で働かせないで欲しい」と、社協に配置転換を頼んだのは事実。
これも、とっても変だと思わないか?家庭での躾けができない母親が、学校の先生にクラス替えの構成の文句を勝手に言っているみたいじゃないか?
いけない、いけない。いつもの癖が出てきそうで、今回だけはこの弁慶の仁王立ちのように生きている、義母兼母親については我慢しようと誓ってプロファイリングし始めたのだから…。
さて、まさに今、ちょうどこの季節、世の中、いろいろなところで、いろいろな悲喜こもごもの異動が盛ん。それが、自分の意に沿おうと沿うまいと、それに従うのが悲しいかな社会の趨勢。それを愚痴るも、我慢するも、その人の器量の問題。
送別会で、周りに、それを表面上喜びながら内心嫉んでいるヒトがいようといまいと、表面上同情しながら内心喜んでいるヒトがいようといまいと、そんなの一切関係ない。
何があろうと、like a river flows(川の流れのように)、粛々とdo my best、それが人間の宿命だと思うが、どうだろう?
その意味で、仮に義母兼母親がごり押しをして、2人の職場を離したからといって、現実に義姉であり、一児の母であり、経済的な援助を受けている以上、何でそんなにへちゃむくれになったのだろう?
ヘチャムクレの強い責任感が作る自尊心の瓦解?几帳面に作っていた人生設計の破綻?やさしさからくる世話をしていた老人たちへの深い愛情?一体なんでだろう?
どちらにしても、このヘチャムクレの度量のなさ、懐の浅さには、呆れるものがあると思わないか?
ヘチャムクレには佐世保事件U.L.G.の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい
それにしても、そんな子どもじみたイヤミの一つや二つが、堂々と殺人事件の法廷で、取り上げられたり、受け入れられたりしているこの国の司法レベルって、一体どうなってるのか?
もしかして、裁判所は、今や佐世保の大久保小学校状態?
東仙坊、何よりも、それが悲しくて、怖い。
異動の時のイヤミで殺人OKなら、この自然少子化の始まった日本、あっという間に誰もいなくなると思わないか?


●2007年7月7日、ヘチャムクレが結婚式を挙行。
まさに、何をか言わんや。誰か、東仙坊を助けて欲しい。
これを世にも不思議な物語というのではないのか?
このリアリティのなさは、どこから?
ヘチャムクレはもちろん、男とは思えないこの夫、それにミステリアスな義母の頭をほんの少しでも覗けたら…。
例え前もって計画していたとしても、なぜこれほどまでに2人の確執が強まった、この時期に、あえて結婚式を挙行したのだろう?
青天の霹靂。薮から棒。そのコジュー・ドゥー以外の3人の取った行動を考えていると、こっちまでが鈍感人間になりそうだから、止めておく。
何しろ、言われている意地の悪い鬼婆コジュー・ドゥーのことだから、棚からボタモチ、狼の前の子豚(?)、格好のイジワル本領発揮の場だったはずと、いくら探せど、何のイヤガラセもなし?
それどころか、そのためのお手伝いをしていたというから凄く変じゃないか?
さすがのコジュー・ドゥーでも、世間体を気にしたから、この日ばかりは遠慮したのだろうか?
確かに、後に、日取りを教えてくれなかったことを怒るが、結婚式自体に反対していない。
やはり、この2人は両方とも、とても陰湿で姑息で凄く幼稚だと思うがどうだろう?
証言では、コジュー・ドゥーは幸せそうなヘチャムクレに嫉妬し、意地悪の限りを尽くしていたのではないのか?
こんな絶好のチャンスに何もイヤがらせをしないなんて、可笑しくないか?
ところで、その結婚式の費用は一体誰が?それこそ、大きなお世話?
逆に、それでは、なぜヘチャムクレとヘナチョコは、すぐに結婚式を挙げなかったのだろうか?
母親の性格を考えると、それ自体も変だと思わないか?
つまり、生真面目なヘチャムクレと同じく生真面目な母親とその息子、本来なら何があってもすぐに結婚式を挙げたのではないのか?
東仙坊、この期に及んでのこの結婚式こそが、陰険極まりないヘチャムクレが仕組んだ、コジュー・ドゥーへの意図的イヤガラセだった、と断言する。


It may not end to play lots of nasty tricks each other(お互いのイヤガラセのし合いには終わりがないかも)!

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-13

I think the most spiteful mischief is what she done to her(ヘチャムクレのようないたずらが、一番悪意がある)!

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることを、お断りしておく。

③2人が同居してから事件当日までのプロセス-2

●2007年1月、2人の間に1回目の諍い。コジュー・ドゥーのスカートが盗難(?)。
これは、実は何の証拠もなく事実関係も一切不明。
どちらにしても、生まれたてのマングースと生まれたてのハブのゴングは鳴らされたということ。
この段階では、2人とも、間違いなく佐世保事件ジャジャ馬サイコより自意識が欠如している分だけ、もっと未熟で自分勝手で厚顔無恥で陰湿だと考えざるを得ない。
東仙坊、この隠微なヘチャムクレは、スカート隠し(?)の実行犯、ただの誇大妄想的虚言症だと断言しておく。


●2007年2月、ヘチャムクレが就職予定だった「社協」に、介護士臨時職員としてコジュー・ドゥーが就職。
これが、例えコネ(?)だとしても、何がヘチャムクレの気分をそんなに損なったのだろうか?
全くわからないと思わないか?
どうあれ、諍いが始まったのなら、家の中で2人で四六時中顔を突き合わせているのは、誰だってイヤ。どちらかが家を空けるのは、これ幸いでしかなく、願ったり叶ったりだったのでは?
ここに、ヘチャムクレの抱えている悩みが何なのかが見えてこないか?
そう、広い家の中で、子どもと2人っきりになってしまうことが、単にイヤだったのではないのか?
東仙坊、ヘチャムクレが、今日本中で流行り(?)の「子育て嫌悪忌避症候群」だったと、断言する。
ところで、そのコネって何なのだろう?もしかして、「触らぬ神に祟りなし」とか「臭いものに蓋」とかいう、この家族を取り囲むヒトたちの慇懃無礼で、侮蔑を含んだ、独特の遠巻きにしてせせら笑うような差別ではないのか?
つまり、間接的に父親の出来事を嘲笑し、平然と町で生活し続ける母親を、小馬鹿にしながら哀れんでいるのではないのか?
どちらにしても、東仙坊、自分の就職内定場所で、義妹が働き始めたことを殺人動機として、不可解にも挙げていること自体、断じて許せない
こんなことで人を殺していいなら、日本中時々刻々、殺人の雨、嵐、バイオハザードの世界になってしまうのでは?
あたかも、これがヘチャムクレへのいい面の皮(?)とか、イジメとか、何かとても酷いことのように言われているが、一体なぜなのだろう?
単なる嫉妬、羨望、逆恨み、バカなプライド、つまり、介護福祉士資格を持っている人間が、持っていない人間によって、その独善的優越感を損なわされたことへの不満、それ以外に考えられないのだが、どう考えても謎でしかない。
やはり、家に子どもと2人だけで取り残されてしまうことへの不安なのではないか?
と同時に、この時、極めて内気で陰湿なヘチャムクレの心の奥に、極めて明るくて単純なコジュー・ドゥーへの自分勝手なライバル心、特に義母の愛情に対する相克が芽生えていたのかも知れない。


●2007年3月、自分の娘がいつの間にかお腹に赤いアザを作っていたのを見た(?)ヘチャムクレが、コジュー・ドゥーをその加害者と勝手に断定。
これだって、実は何の証拠も事実関係も不明。
なにはともあれ、自分のことならともかく、大切な子どもに係わることなのだから、母親なら簡単に放ってはおけないことではないのか?
これは、幼児に対する重大な暴行ではないのか?
にもかかわらず、ヘチャムクレはただの1度も直接コジュー・ドゥーに詰問していないのである。
これっていろいろな意味で、とても変だと思わないか?
どちらにしても、このことによって、コジュー・ドゥーのイメージは一気に悪くなっている。

後に、コジュー・ドゥーが、このことに対し、わざわざ「オマエが酒に酔ってやったんだろ?」と言い返す。
この真偽を考える時、法廷で、味方弁護士が「子どもがどうやって泣いてたの?」と尋ね、『痛い、ママ!オバチャンにやられた』と言わせようとしたのに、ヘチャムクレは「私が目を離したすきに、娘が泣きわめいて」としか答えていないということを忘れて欲しくない。
普通の人間って、自分の昔の後ろめたい話しはなるべく蒸し返さないと思うが、どうだろう?
特に、幼児に対する暴行という不名誉で不道徳な話は、すぐに消えてなくなることを望むのでは?


●2007年4月、ヘチャムクレが、コジュー・ドゥーの車に傷をつけるイヤガラセ。
これは事実。凄くネバネバべとべとする行為だと思わないか?
少なくとも、こんなタイプの女性とは結婚したくないのでは?子どもなんか絶対に産ませたくないのでは?どんな陰険な子どもになるか、想像するだけで吐き気がしてこないか?
ついでに、東仙坊がコジュー・ドゥーのサイドだと、誤解されたくないので明確にしておく。
あくまで、もう2度と話せない被害者の代弁をしているだけ。
ところで、少なくともヘチャムクレのオプティより、イイ車(?)を傷付けられたのに、なぜコジュー・ドゥーは怒らなかったのだろうか?
とっても変だと思わないか?
誰もがわかるように、スカートよりは金額がかかると思うのだが、どうだろう?
実際、怒らなかったから、余計ヘチャムクレを逆上させたというのである。
これは、佐世保事件ジャジャ馬サイコのU.L.G.の反応に対する心境とそっくりだと思わないか?
意図的に相手をへこませようと悪さをして、相手がへこまないと自分で頭に来るという、自己中心的人間の典型的な特徴
なのである。
ちょうどいいので、東仙坊、留置場のヘチャムクレに「いつまでも友達だから」とか「独りじゃないから」とかいう心温まるメールを出している、寛大で人間的で愛情に溢れているヒトたちに、聞いてみたい。
人の車にそっと傷をつけるという一見些細でも極めて悪意に満ちたイヤガラセ、これをやるようなヒトのどこが、『やさしくて、責任感が強くて、周りに気を使う、几帳面で、生真面目な人間』なのか?

当初の予定通り、ヘチャムクレが「社協」に就職。義妹同僚。
このヘチャムクレの未成熟さ傲岸不遜さシツコサって、一体どこからくるのか?
このネチネチの不屈の戦闘精神、鈍感さは何なのか?
生まれたてのマングースは、いつのまにか生まれたてのハブなしでは生きていられなくなっていたのだろうか?
これを変だと感じないヒトは危ないと思うが、どうだろう?
無用な戦いは、回避すればすむだけだと、思わないか?
もし、言われているように、コジュー・ドゥーが極悪非道のイジメ人間だとしたら、その辛酸を一番味あわされているのが自分だとしたら、そんなに頭のよくないヒトでも、あえてその同僚になろうとはしないのでは?
つまり、どこの職場にも、いろいろな性格の人がいるはずである。そこに就職する時、心の中で、最も願うことは、どうか意地悪な人がいないように、ではないのか?
誰が見ても、自己中心的に独善的にケンカを仕掛けているのはヘチャムクレだと思わないか?
普通の世の中では、まず子どもありきのはずだから、子どもに手がかからなくなったら、仕事を考えるのではないのか?
もちろん、生活のため断腸の思いで子どもの心配をしながら、仕事をしなければならない場合もある。
ヘチャムクレの場合は、その生活費や養育費をほとんど義母にオンブにダッコなのである。
それ以上に、まず人を介助する仕事の性格上、介護福祉士資格があるなら、介助を必要としている人のいるところなら、どんな職場でも献身的に働くのが普通ではないのか?
はっきり言おう、介護の仕事は、思いやりに溢れる人、他人にとにかくやさしい人ではないと、勤まらないはず。冗談でも人を殺すようなヒトが、絶対にやってはいけないのではないのか?
介護に今、かなり深く係わっている東仙坊、誰もいないところで、見えないところで、こんなイヤガラセをするようなヒトに死んでも介護を頼みたくない。
ついでに、介護にまだ無関係な人に、アドバイスしておく。
介護施設に被介護人を預けるということは、人質を渡すこと。こんな性格の介護士がいる施設にだけは、何が何でも大切な家族を頼んでは絶対にダメ。とにかく、人間的に成熟している介護士たちが1人でも多くいる施設を、何が何でも探し出すことが最重要優先事項。
さらに付け加えて明言しておく。こんな陰湿なサイコパスを雇うような、そしてこんな自己中心的なキチガイに減刑嘆願書を出した7,000人以上の介護士(?)のいる長野の介護施設には、東仙坊、死んでも大切な家族の介護を頼まない。
どちらにしても、冒頭から、再三指摘している、働きに出てからの子育て状況がどうなったのか全く解らない。おそらく保育園に預けたのだろうが、その真意がわからない。もしくは、家族全員が介護関係だから、仕事はシフトのはず、交代で面倒をみたのだろうか?
どうあろうと、大切な子育て中心に生活を考えていなかったことだけは明白である。
どちらにしても、何より大嫌いな義妹の働いている職場へ、なぜ?何のために?どうしていったのか?摩訶不思議でしかない。


Do you know the children centric life(子ども中心生活を知ってる)?


to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-12

How childish the Japanese court is just like her(なんと日本の法廷は、ジャジャ馬サイコのように幼稚なのか)!

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることを、お断りしておく。

ここからのあらゆる経緯が、ヘチャムクレが蚊の鳴くように供述し、いくら一見内気に清廉潔白に見えても、陰険かつ狡猾に完全犯罪計画を実行した、psychopath(サイコパス)の自作自演の可能性が色濃く残っていることをぜひ念頭に入れ、話半分としてお読みいただくことを、東仙坊、改めて強く希望する。
というのも、いつのまにか鬼小姑にしたてられてしまっているコジュー・ドゥーは、永遠に何一つ自分で反論できず、例え百歩譲って実際言われているように執拗で粘着的性格だったとしても、公平性を欠くと考えるからである。
また、正直言って、2人の間に起こったとされている確執は、およそ低レベルで幼稚極まりなく、それこそ猫(?)も喰わぬものばかりで、佐世保事件の2人より12歳も年上なのに、いかにも子どもじみていて情けなくみっともない。
東仙坊、記述するだけで茫然自失、絶望的な気分になるが、何と正式法廷で取り上げられているので、やむを得ず簡素化して列記する。
さらにまた、5月までの出来事の全ては、5月19日の2人に義母兼母親を加えた3者による初めての“話し合い”で表面化、その真偽のほどは全くわからないということも、お断りしておく。
どちらにしても、24歳同士の義姉妹が、お互いに義母兼母親を介さなければ、面と向かって、口喧嘩一つはもちろん、話し合いさえできない関係であること自体、世も末と思うのは、東仙坊だけなのか?
その意味では、2人とも佐世保事件ジャジャ馬サイコの完全ダミー、クローンだと言わざるを得ない。

③2人が同居してから事件当日までのプロセス-1

●2006年12月、2人は今どきの24歳同士らしく、ごく普通に携帯番号とメールアドレスの交換
これは、よくよく考えてみれば、凄く変ではないか?というのも、ヘチャムクレが結婚したのは3年前なのである。つまり、とっくに義姉妹。
では、なぜ、それまで携帯番号とメールアドレス交換をしていなかったのか?
その全ての責任が2人を媒介するはずのヘナチョコ次兄にあると思うのは、東仙坊だけなのか?
それどころか、この兄妹愛のないヘナチョコは、結婚前から、自分の妹への悪い先入観をヘチャムクレに与えている。実に情けないと思わないか?
それが自分のトラウマと父親の保険金を好き勝手に浪費している妹への嫉妬が原因だと決めつける、東仙坊が間違っているのか?
「冗談じゃない、自分の金でもあるんだぞ」と次兄はずーっと思い続けていたに違いない。
だから、所帯を構え子どもまで作った一人前のはずの26歳のオトコが、必死で働く母親から、その生活費や養育費を平然と受け取っていたのではないのか?
事実、2007年7月再び家を出て部屋を借りた時も、またその部屋代と生活費を母親から受け取っている。
また、2006年1月、妹がそのスカタンと一緒に、娘の1歳の誕生日を祝ってくれると言いだしたのを断ったのは、間違いなくこのヘナチョコである。
その点では、この次兄が共同正犯と言ってもいいと思わないか?
事実、警察もそれを視野に入れていた。


同じ12月、ヘチャムクレは面接を受け、翌年4月から、後にコジュー・ドゥーともめることになる富士見町社会福祉協議会「社協」への就職内定。
ここに、実は大きな重要問題があることを見逃さないで欲しい。
ヘチャムクレの子どもはまだ手の大変かかる2歳なのである。誰にその面倒を見させるつもりだったのか?夫?義母?義妹?保育園?なぜか全員が介護関係で、シフト仕事だろうから、一概に不可能でないことは分かるが…。
一緒に冷静に考えてみて欲しい。
ヘチャムクレは炊事、洗濯、掃除が好きな今どき珍しい貴重で稀有な若い女性ではなかったのか?自分のものなど何一つ買わず、それどころかチラシを見て少しでも安いものを買いに行く夢のように理想的で献身的な主婦だったのではないのか?
可笑しくないか?生活が大変だったとしても、夫と義母がすでに一生懸命働いているうえ、義妹までが働きそうなのである。
もしかすると、父親の保険金が、それこそ長兄の保険金(?)までが、残っていたかも知れない。
第一、生活費はとっくに義母の世話になっている。仮に保育園に頼んだとしても、介護士仕事の収入ではコストパフォーマンスが悪いと思わないか?
そうだとしたら、一体誰に家事をやらせるつもりだったのだろう?
家事が好きなのだから、喜んで専業主婦をやればいいだけではないのか?
誰もこの可笑しさを指摘しないので、東仙坊、とりあえず少し触れておきたい。家政婦は立派な仕事だと思うが、どうだろう?
そして、それ以上に摩訶不思議なのは、このヘチャムクレ、警察の取調べや自分の友だちへのメールでは、子どもが「どうされた」、「こうされそうだった」と、やたら言っている割には、実は子どものために何一つしていない
ここに、この事件の全ての本質があるのである。
この事件の核心は、ヘチャムクレのbaby blue(ベビー・ブルー)が全ての原因。
子育てに悩む未熟な母親が、頼りない夫を見ていて、単にどうしていいかわからなくなっただけである。そして、思い余って子どもを殺し、自分が自殺することを選ばず、子育てを義母に依存しようとしたことを見破った義妹を殺害することで、子育てから逃げ出しただけである。
不運なことに、コジュー・ドゥーは、長女の身代わりとして、ヘチャムクレの身代わりとして、殺されてしまったというのが真相

事実、ヘチャムクレは、法廷で、なぜか「自分には母親の資格がない」と明言している。
これを、殺人犯になったから資格がなくなった、と聞くのは、早計かつ浅薄である。
なぜなら、子殺しとその後の自殺と同じ、いやそれ以上の悲惨な結果を作ったからである。
自分の子と義母と周りを精神的に殺し、夫に精神的な復讐を間違いなく与え、自分は子育てを放棄できたのである。
東仙坊、ここまで言い切る、確信的根拠がある。
ヘチャムクレは、出産当初から、夫に、「子どもの寝つきが悪い、夜泣きが酷い」と愚痴を言っている。それに対し、コジュー・ドゥーの最初の文句は、「子どもの泣き声がうるさい」なのである。
実際、どんな幸せな家庭でも、子どもの夜泣きや泣き声の大きさと言う現実には悩まされるのではないのか?
子どもが泣くのは、自分のストレスやフラストレーションや欲求からであることぐらい、誰もが知っていること。
とすると、このヘチャムクレの子どもは、それに対する母親の対応に不満をいつも感じていたのではないのか?そう、どこか自分が大切に扱われていないといつも感じていたのではないのか?
そして、ヘチャムクレ自身が、本当に子どものことで苦悩していたからこそ、その自信のなさをストレートに指摘してきたコジュー・ドゥーに対し、反発を覚えたのではないのか?
人間だれしも、自分の弱点を的確に指摘されると、逆にその指摘をする人間に対し、凄い反感と怨恨を持つものではないのか?
つまり、ヘチャムクレは、コジュー・ドゥーが自分の内面の具現者、自分の弱さの象徴のように見えて、許せなくなったのである。
もちろん、それだけで長女とヘチャムクレの身代わりにされたのではない。
やはり、一番の理由は、コジュー・ドゥーの存在によって、自分勝手に決め付けていた“義母という名の家政婦”、“我が家”を取られたからに他ならない
これを、法廷でのヘチャムクレの証言に基づいて言い直すと、「コジュー・ドゥーさえいなくなれば、もとの幸せな家庭が取り戻せる」とは、「コジュー・ドゥーさえいなくなれば、元通りに子どもの面倒は義母が見てくれ、自分は安心して仕事に行ける生活が取り戻せる」ということに他ならない.
その意味で、この義妹殺人事件は、一つの子殺しなのである。
それを裏付ける夫の供述がある。
裁判長の「お母さんがいなくなって、その3歳に満たない長女は何て言ってる?」という質問に、夫は「聞かれたら、仕事に行ってると答えているが、あまり聞かない」と答えたのである。
これって、凄く変だと思わないか?すでに顔を見なくなってから、4ヶ月近くも経っているのである。
もし、ヘチャムクレが子どもを溺愛していたなら、当然、子どもの方も、「ママはどこ?ママはどうしたの?」と何度も父親に聞くのが自然ではないのか?


Why doesn’t that baby cry to call “where is mom?” (なぜこの子どもは「ママはどこ?」って泣いて呼ばないのか)?

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-11

I wonder if the unhappiness might be calling the unhappy unfortunately (不運にも不幸は不幸を呼ぶのかも)?

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることを、お断りしておく。

②コジュー・ドゥーがヘチャムクレと同居するまでのプロセスとそのバックグラウンド

●1983年、事件現場近くの父親の実家で出生。父親は町役場の職員、母親は保健師。
そして、少女として最も多感な14歳の時、父親が世間体の極めて悪い死に方で急死。何と愛人宅で心筋梗塞、その愛人がその亡骸を自宅玄関に棄てて行ったのを残酷にも母親が発見。
それで、仕方なく生を奪われることになる長野県諏訪郡富士見町の事件現場の家に引っ越し。
これが、のんびりした山間の町でどのようなネガティブ波及効果があるか、誰もが想像できるはず。
口さがない普通のヒトたちが、いろいろな尾ひれをつけ、隣の芝生は真っ黒とばかりに、徹底的に貪り尽くすに決まっている。アフリカのサバンナのハゲワシのように…。
その意味で、屈辱的で自嘲的な立場にされた母親の心中は、肩身の狭くなった思春期の子どもたちの心中は、いかばかりだったか?
ましてや、コジュー・ドゥーは母親の動揺と恥辱をイヤでも感じてしまう“娘”なのである。
何はともあれ、ナイーブな娘では到底理解できない父親の外にも出られなくなるほど恥ずかしい死によって、コジュー・ドゥーも、佐世保事件のジャジャ馬サイコと通じる未成熟さ、視野の狭さ、意固地さ、独りよがりの絶望感を持ってしまったのは当然だと思わないか?
つまり、父親がいたことさえ一日も早く忘れたいほど、それは汚くて迷惑千万な嫌悪の対象でしかなくなり、そうさせてしまった母親への怒りと侮蔑になったはず。きっと母親のように見かけを真面目にしてたって、幸せに何かなれないと、短絡的に思い込んだに違いない。
どちらにしても、母親の味わった辛酸、悔悟、葛藤、忸怩、憤懣は半端なものではなかったはず。
それゆえ、いつのまにか、デリケートな世代だった子どもたち全員、いつも母親のそっと顔色を窺い、自己主張をためらい、卑屈なイジケ虫になっていったと思わないか?
そして、それをハンデと思い込んでしまった母親は母親で、必要以上に子どもたちに気を使い、すっかり遠慮するようになってしまったと思わないか?

一家の近所付き合いが、自然に減少。

●2000年、地元県立高校卒業後、専門学校(次兄やヘチャムクレと同じ長野市の福祉専門学校?と思うが確証がない)に入学するも中退、スーパーに就職。
と同時に、高校3年生の時から付き合っていたteddy boy(スカタン)と同棲。
やけくその不釣合いな浪費生活(これが世間の顰蹙を買い、悪者にされる原因?それって、単なる妬みでは?)
父親の保険金の一部の1000万円を、そのスカタンにアフリカのサバンナのチーターのように嬲(なぶ)り尽くされたという。
それでも、このコジュー・ドゥーは青あざを作り、DVの限りを受けてもじっと我慢してたという。もちろん、これはこれで未熟で無知で浅はかな乙女心でしかない。
でも、母親の精神的苦痛や敗北感を感じてたからこそ、それを反面教師に、公務員だった父親とは真逆の一見粗野で自堕落でお調子者のスカタンを選び、コジュー・ドゥーはそれなりのバカなプライド、自己陶酔的反抗を見せただけでは?

事実、次兄は、高3の妹の喫煙を注意した際、その妹のスカタン彼氏に脅かされ、それがトラウマ。
本当に情けなくてみっともない兄貴だと思わないか?
そして、母親はそんな娘のひたむきな一途さに、スカタンにも係わらず結婚までを提案(?)。

●2001年5月、何と次兄と同じ福祉専門学校生(?)だった長兄(21歳)が、金沢からのドライブ帰りに対向車線にはみだし、11tトラックと魚津市内で正面衝突し、全身打撲で交通事故死
これが、またまた母親に、残された兄妹にどれだけのダメージを与えたか、想像に難くない。
これを何と悲劇的な不運と捉えるのか、そんな残酷なことがあっていいわけがないと捉えるのか、もしや自殺?と捉えるかで、世の中の見方が大きく変わると思うが、どうだろう?
どちらにしても、最低な父親の死後、大黒柱にと期待していた母親の心中は、父親代わりと思っていたコジュー・ドゥーの心中は、さすがの東仙坊でも、これ以上言及したくないが、佐世保事件のジャジャ馬サイコの父親が脳梗塞で倒れたことにどこか似ていると思わないか?


●2006年2月、スカタン彼氏の一向によくなる兆しのなさを、見るに見かねた母親の強い進言をコジュー・ドゥーがようやく受諾。そのスカタンと別離。
どんな経過であれ、次兄に子どもが生まれ、母親に初孫ができ、何らかの新たな生きる希望が生まれたことだけは確かかも知れない。だからこそ、久し振りに、母親本来の生真面目で融通の利かない頑固な性格に準じた、積極的な行動が取れたのである。
卑屈極まりなく遠慮がちだった母親が、次兄の嫁と初孫の出現で、ようやく世間体や体面を普通に気にし始めたんだと思わないか?
一方、コジュー・ドゥーはコジュー・ドゥーで、言われているようにもちろん嫉妬や羨望が次兄夫婦に多少あったとしても、それが間違いなく大きな刺激となって、もう一度人生をやり直そうと本気で考え始めたに違いない。
そう考えるのが普通だと思うが、どうだろう?東仙坊の見方が甘いのか?
仮にコジュー・ドゥーに対して言われている、非難や中傷が全部本当だったとしても、あれだけのイヤガラセを実際にできる、そんな元気な人間(?)って、世界中探してみてもあんまり見つからないと思うが、どうだろう?
1人の人間が、素直に自省し、謙虚に自分で努力しようとし始めた時、その自信のなさ、当惑、試行錯誤、失敗の恐怖は、自然に他者の支援、助言、示唆、理解を求めるようになるはず。
そして、なかなかそんな人が見つからなかったり、それが全然いないと性急に思い込むと、全てを他者のせいにして、さらなる自分の努力を怠ってしまいがちになるものでは?
そう、もともと人間とは弱い存在。
誰も1人では生きられない。だから、誰かを探し続けている。
成長するためには、周りに成熟した誰か他者が絶対不可欠だと知っているからである。
ところが、高慢でジコマンなヒトは周りが見えないから、容易には見つからない。
そうすると、狡猾に、「世の中ロクなヤツがいない」「アイツが悪い」と、どこか頭の片隅で、いつも言い訳や責任転嫁を用意し始める。
その意味で、有無を言わさず諌めてくれる、何があっても支えてくれる親、兄弟が大事になる。
せっかく24歳で再出発しようとし始めたコジュー・ドゥーにとって、唯一無二サポートしてくれそうな次兄が、あまりにもヘナチョコだったことが、一番不幸の原因だったかも知れない。
ヘナチョコ次兄自身も、未熟で無知で一人前の男になっていないのだから、次兄の責任を全く果たせないのも、当然といえば当然かも…。
あの佐世保事件のジャジャ馬サイコの父親と全く同じな気がしないか?
極論すれば、ヘチャムクレとヘナチョコが子どもを作ったこと自体が、すでに問題。
その意味で、2人の長女がとても哀れで仕方がない。
そして、長女の未来がとても心配だと思わないか?


●2006年12月、コジュー・ドゥーが、事件現場になる実家に戻り、ヘチャムクレとの同居開始。




I don’t know how this murderer took care of her baby at all(この殺人鬼が子育てをどう考えていたか全くわからない)!

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-10

How do you think about the prosecution's demands of 15 years' imprisonment in this case(この懲役15年という求刑をどう考える)?

一昨日、スウェーデン・イエーテボリのフィギュアスケート世界選手権女子で、浅田真央が転びながらも優勝した。フアンの東仙坊大喜びだったけど、表彰式の現地の方々のアカペラの日本国歌を聞いて、複雑な気持ちになった。あの難しい歌をソラで即興で、何でできるのか?何で中野友加里の得点があれだけだったのか?
やっぱり、フィギュアスケートの採点って、日本の裁判みたいじゃないか?
3月18日、大阪府寝屋川市で、缶ビール12本などを万引き後、追いかけてきたコンビニ店員(27歳)を持っていた折り畳みナイフで刺し殺害した19歳のassholeに、大阪地裁が無期懲役の判決を下した。
そして同日、東仙坊、今から検証しようとしている長野義妹殺人事件の29歳のヘチャムクレに、長野地裁松本支部で、検察側は懲役15年を求刑し、そのヘチャムクレは「外にでられたら、一番に手を合わせられるよう罪を償っていきたい」と供述した。
「オイオイ、殺した後自分も死ぬつもりで殺人を犯したって言ってなかったけ?確か?」
ここでは、ぐっとまだ我慢しておく。
東仙坊、再三再四喉が痛くなるほど叫んでいるように、犯罪者に対するその懲罰事なんかに一切関心がない。ただ、万一、殺人を犯したら、いかなる理由があろうと、そこに情状もへったくれもなく、殺された人間と同じ気持ちを味あわす以外、このような卑怯で卑劣な犯罪が抑止できないのではと大声を上げているだけである。
今生きている誰一人として、たった1度の人生を自分の意志に反し、一瞬のうちに完全消滅されてしまった被害者から、今どんな気持ちでいるのか?と、直接聞いたことはないはずではないのか?
もし、本人から直接その気持ちを聞いたことがある人がいるなら、ぜひ、そのことを、その方法を教えて欲しいものである。
さしずめ今の東仙坊なら、hush hush little baby don't cry(よしよし、いい子だから泣かないで!)と大阪守口の生後18日で残酷に殺されてしまった赤ん坊の所に飛んで行って、直接この耳で、「息ができなくなったとき辛かっただろ、可哀想にね、苦しかったろ?口惜しかったろ?どんな気持ちだった?おじさんが敵を取ってやるから、誰に殺されたのか教えてくれるかい?」と何が何でも聞いてみたい。
また胃の中で熱いボールがゴロゴロしだしたから、本題に入る。

検証プロファイリング 長野義妹殺人事件

■裁判で明白になった証言を核とした「長野義妹殺人事件」当日までのプロセス

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることを、お断りしておく。

①ヘチャムクレがコジュー・ドゥーと同居するまでのプロセスとそのバックグラウンド

●1983年、ヘチャムクレがこの世に出生。映画「もののけ姫」の舞台になった、のどかで静かな山間の長野県諏訪郡富士見町の現場から、さらに車で3時間の山奥で生まれ育ったようだが、詳細は一切不明。
両親は健在で、少なくとも兄と妹がいるようである。また、2007年10月に祖父が逝去するまで、家族の死とは出会っていないようである。
さらに、わずかな情報として小学校卒業時の交換作文に、「もっと明るくなれよ」とか「中学校に行ったら、もっと友達ができるといいね」と、ヘチャムクレの極めて陰湿で独りよがりの性格の本質をすでに指摘するものがある。
2001年県立高校卒業後、長野市内の福祉専門学校に入学。ここでコジュー・ドゥーの次兄であり、自分の夫と出会い、2年生時の研修旅行で付き合い開始。
東仙坊、ただただ驚嘆している。ここまでヘチャムクレについての情報がないとは、見事なまでというより怖いくらいの個人情報保護法の適用である。
それに比して、何と被害者のそれは守られないことか?
この雲泥の差が、そのまま今の我が国のモラルの崩壊に繋がっていると感じるのは東仙坊だけなのか?誰が考えても、市中引き回しのうえ晒し首にされ、断罪されなければならないのは加害者の方だと思わないか?
まるで、佐世保小6同級生殺人事件の被害者だったU.L.G.のようではないか?あちらのケースでは犯人が刑罰対象未年齢だったから、あれほど加害者ジャジャ馬サイコを保護したのでは?こちらの犯人は間違いなく成人なのではないのか?
ところが、あまりにも素行の悪かった(?)コジュー・ドゥーの過去ばかりが浮き彫りになり、人を殺したヘチャムクレが被害者かのようで開いた口が塞がらない。
どうあれ、突然、不運にも殺人の被害者になることも想定し、殺されたうえに加害者かのごとく扱われないためにも、せいぜい常日頃から自分の行動を慎重にしておくべき、と、東仙坊、進言しておく。


●2003年、飯山市の介護施設に就職するも、2004年夫とできちゃった婚で婚姻届を提出。2005年1月長女を出産。
ここに、近未来的破綻を予兆するものを感じないか?
これはまるで、佐世保事件のジャジャ馬サイコの両親と同じにも思えないか?
どこに子どもの環境、子どもの将来の生活設計、子どもへの両親のどうしていいか解らないほどのこみ上げてくる熱い愛情があるのだろうか?
この夫婦は自分たちの生活のことで手いっぱいだったのではないのか?生活が苦しいからこそ、子育てが大変だからこそ、姑がいる実家に戻ったのではないのか?
事実、ヘチャムクレは長女出産後に1人でアパートで子育てしながら、子どもの寝つきが悪いと悩んでいる。
そこにあるのは2人の打算だけで、どこにも子どもに対する愛情を感じないのは、東仙坊だけなのか?
例え、夫が付き合わない方がいいというコジュー・ドゥーがハチャメチャな穀潰しだったとしても、それとどこが違うのか?
東仙坊、経済的な画策だけでなく、実際、保健師で、初孫に喜ぶはずの祖母を子育ての手伝いに使おうとしたと思うのだが、どうだろう?
だから、現実の結果として、自分の子に、「母親が伯母を殺した子ども」というユニークで画期的で不幸で不名誉なレッテルを貼ることになったのではないのか?
どちらにしても、今や流行でしかない「できちゃった婚」の高い離婚率について、一言厳密に言及しておく。何も婚前交渉がimmoral(非モラル)だなんてネボケタコトを言うつもりはない。
単純にその統計的数字の高さ、何と平均婚姻期間が10カ月(平均妊娠期間)未満であること、それに通常結婚の5年以内離婚率が約30%強であることを加味すると、25歳までの結婚の半分である「できちゃった婚」の離婚率は、ほぼ3組に1組の高さなのである。
東仙坊、その最大の理由が、両親ともが未成熟なままで「仕方ない」と受動的な姿勢になってしまうからだと思うが、どうだろう?どうか生まれてくる子どものために、生む前に熟慮して欲しいものである。



Please think it again well before you should give birth to your baby(子どもを産む前にもう一度よく考えて)! 


●2006年7月、ついに事件現場になる夫の実家に引っ越し。

●2006年10月、偶然実家に遊びにきたコジュー・ドゥーと遭遇。その帰宅後、自分の財布から、現金が消えたことで、ヘチャムクレはコジュー・ドゥーに疑念を覚えたという。
ここに、ヘチャムクレの人間的な未成熟さをもう見つけないか?
どこまでも自己中心的で執拗な思い込み、無知蒙昧さ、邪気、佐世保事件のジャジャ馬サイコと少しも変わらないと思うがどうだろう?
仮に義姉妹だとしても、この問題をそのままにすることが、どれだけ今後の人間関係保持に影響するかということを、全く考慮していない。こういうのを、思いやりがないというのでは?
まず第一に、親子だろうと夫婦だろうと、申告すると立派に窃盗罪が成立する。それ以前に、やはりモラルの問題。確信があるなら、義妹、夫、姑を交えて即解決すべきではないのか?それより、少なくとも夫には相談すべきではないのか?なぜなら、夫の可能性がゼロではない。
どちらにしても、直接的な口と口でのやり取りを一切していないのがナンセンスで、全く大人気ない。まさに佐世保事件の2人と同じではないのか?
次に、そんな閉鎖的社会で夫の実家に行ったのだから、実の妹にお小遣いをあげたという風になぜ考えられないのか?そして、なぜすぐに忘れることができなかったのか?そんな度量が微塵もないと、どうあれ、いい母親にはなれないと思うが、どうだろう?
子育てには、もの凄いエネルギーと集中力が必要ではないのか?自分の勝手な懸念、危惧、期待で、子どもをギュウギュウ締め上げると、ロクな結果にならないと思うが、どうだろう?
そう、いくら同じ年齢でも本気で姉になる決意が最初に必要だったのではないのか?
その意味では、一番ヘチャムクレの夫が情けなくてみっともないと思わないか?
事実、次兄は、ヘチャムクレと知り合った段階で、自分の妹を断定的に中傷する先入観を与えていたのである。それにしても、そんなインプットがあったからといって、すぐに義妹の行為とみなしているヘチャムクレの心の狭さ、思いやりのなさもかなり問題だと思うが、どうだろう?
一方、コジュー・ドゥーも、きちんと貸してくださいと頼めばいいだけだはないか?もちろん頼んだ結果は別として…。
要するに、どちらも幼稚で、それこそ佐世保の2人よりも低劣なのである。


●2006年12月、ヘチャムクレはアパートを引き払って実家に戻ってきたコジュー・ドゥーと同居。

Surely something ignorant shall happen to them when the ignorant meets the other (無知な人間同士が知り合うと、必ず無知な出来事が起きる)!

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-9

I doubt this small smart psycho should know the criminal law well(この小さな狡猾なサイコは刑法をよく知ってたのでは)!

東仙坊、便宜上、12歳加害者女生徒をジャジャ馬サイコ、12歳被害者女生徒をU.L.G.(UnLuckyGirl)と呼んでいる。

③2人が出会ってから事件当日までのプロセス-4

東仙坊、このまだ絶対的に“普通”でしかないジャジャ馬サイコの直情的な思い込み、利己的な不遜さ、類い稀な狡猾さが、もしかしたら、このGW期間中に、刑法41条、責任年齢、「14歳に満たない者の行為は罰しない」まで知ったうえで、犯罪計画を立て始めていたのでは?と疑っている。

●2004年5月7日、「昨日学校ズル休みしました」とジャジャ馬サイコがHPに記述。
この年齢の生徒がこのことを公言してしまうことは、極めて厄介なはず。にもかかわらず、あえてそれを書き込んだのは、もう自分は普通じゃないというパフォーマンス、殺人計画を開始したと考えられる。

●2004年5月10日、「30キロ代に痩せるどーっ!中肉中背だけどね、絶対痩せます」
実は東仙坊、更新をしていなかった3月頃から、ジャジャ馬サイコがそれこそストーカーのようにU.L.G.のHPをくまなくチェックしていたと確信する。
後から立ち上げたにもかかわらず、そのキャラとイラストと文章力から、U.L.G.はネット上でも学校と同じように人気者になってしまっていて、凄い量でチャットや掲示板のやりとりをしていたはず。
それを、ジャジャ馬サイコは、言いようのない羨望と嫉妬と憤怒で、毎日毎日眺め、「せめて、デブになりたくない。なったら何もかもが負け」と焦っていたはず。
事実、U.L.G.はどんどんチャットや掲示板で友だちが増えてゆくことに対する懸念と杞憂と驚嘆を作文で書いている。当然、それをfocus(追跡)し続けるジャジャ馬サイコの書き込み方も、意識するあまりU.L.G.の書き方を真似し始めたと確信している。


●2011年12月26日付で、ジャジャ馬サイコは今まで間接的だったU.L.G.へのHP攻撃を、極めて直接的に表現したのである。あの陳腐な小説「BATTLE ROYALE -囁き-」にもその予兆として、「仲の良い友達はこのクラスにはいないが、クラス替えの時に離れた。今は5月だ」とあるにはあったが、これだけストレートな表現はやはりこれが最初といえる。

「うぜークラス つーか私のいるクラスうざったてー。 エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、 下品の愚民や 失礼でマナーを守っていない奴や 喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレや 高慢でジコマンなデブスや カマトト女しったか男、  ごく一部は良いコなんだけど大半は汚れすぎ。 寝言言ってんのか? って感じ。 顔洗えよ。」
この「高慢でジコマンなデブス」という表記には、さすがの大ようで懐の深いU.L.G.も、相当気分を害したに違いない
それでも、その性格と責任から馬耳東風、そんなジャジャ馬サイコに反撃しないどころか、相手にしなかったに決まっている。
どちらにしても、直接的なネット上の罵詈雑言ほど始末に負えないものもない。言葉に一切の温もりややさしさがないから、それが稚拙であればあるほど、誤解を生じ、深刻なものになってしまうのである。どこにも「ネチケット」なるものは存在しなくなる。
ともあれ、ジャジャ馬サイコは、この書き込みをした後、今まで以上にU.L.G.のHPを見守ったはず。しかし、不愉快千万にも、何の反応もなかったはず。それが、一気に身勝手なその殺意を膨張させていったはず。
事実、ジャジャ馬サイコのHPの更新が、5月21日以後、5月30日まで突然なくなっている。
ところで、東仙坊、この沈黙のもう一つの最大の理由は、小説家を目指すジャジャ馬サイコの「BATTLE ROYALE -囁き-」の反響と評判が皆無だったこと、特にU.L.G.の感想が何もなかったことだと断言する。これはジャジャ馬サイコの独りよがりのバカなプライドをズタズタに切り裂き、さらなる逆恨みに繋がったのである。


●2004年5月27日、ついに直接的な衝突が2人に生まれる。
「おんぶごっこ(?)」なるものを2人でやって、U.L.G.に背負われたジャジャ馬サイコが、U.L.G.の「重い」という言葉にブチ切れ、「あやまれ」とU.L.G.に迫って、ケンカになったのである。
東仙坊、このことが理解できず、真剣に考察した。
なぜ、すでに決裂していたはずの2人が物理的に接触し合わなければならないゲームをしたのか?どうしても合点がいかなかった。学校授業強制なのか?間違いなくU.L.G.は本音では関わりたくないはずなのである。
どうやら、何の反応も示してくれないU.L.G.に対して、ジャジャ馬サイコが直接的な勝負を挑んだと考えるのが自然だと思うしかない。
そして、本心では相手をしたくないと考えていたU.L.G.が、太ったことを気にし始めていて、なおかつ自分をデブスと呼んだジャジャ馬サイコに対し、意図的に思わず「重い」と言った気がする。
ところが、その「あやまれ」と言ったジャジャ馬サイコの剣幕の凄さに、吃驚して、言葉を失ったのである。つまり、その性格上、いくら売られた喧嘩とは言え、他者に対して肉体的な本人の悩みに触れた自分に、すぐに反省しているのである。
それは、5月29日のU.L.G.のHP上に「最近正直に言えないことが多い。前の方が良かった」と書き込んでいることでも明らかである。


その日のU.L.G.のHPに、それでもその尋常ではないジャジャ馬サイコの反応に不快感を抱いたのであろう、初めて、間接的にジャジャ馬サイコを非難する書き込みをしたのである。
しつこい/自己中心的/孤独をアピールする人は嫌いなタイプ。中でも、『失礼じゃない』と言う高慢なブリッコが一番嫌い
なんと、これを見たジャジャ馬サイコは、自分が教えたために覚えていたU.L.G.のパスワードを使ってU.L.G.のHPにログインし、その書き込みを消してしまったのである。
と同時に、こともあろうにこの時点でU.L.G.を殺そうと決意したというのである。そして、翌日学校で、工作時間がなかったため実行しなかっただけだと言うのである。
確かに、他人のHPに侵入し、その書き込みを消す行為を遂行してしまうということは、間違いなく犯罪であるだけでなく、カッターナイフを取りだし、切りかかってゆくことと変わらないほど、卑劣で卑怯なことに違いない。
けれども、だからといって、本当に相手を切りつけていいことにはならないと思うのだが、どうだろう?東仙坊、そのあまりの幼稚さに、ただただ身震いする。


●2004年5月28日、U.L.G.はHPに、それでも直接的にジャジャ馬サイコの名前を出すことなく、自分の書き込みが消されたことに対し、静かに抗議する。
「荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかワわかるケド。心当たりがあるならでてくればイイし。ほっとけばいいや。ネ。ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイ」
そして、このU.L.G.の書き込みを読んで、ジャジャ馬サイコは「この世からいなくなってしまえ」と思ったと証言している。

●2004年5月30日、大久保小学校の運動会で、2人の間で2回目の直接的なケンカが起こる(?)。応援団リーダーをしていたU.L.G.に対し、「交換日記での自分のオリジナルな書き方を真似しないで」と口論を仕掛けたというが、この事実すら信憑性がない。
なぜなら、ジャジャ馬サイコはすでに殺害を決意しているのである。仮に本当だったとしても、当然、楽しい運動会の最中のことだから、不愉快にも自分の書き込みを消されてしまっていたからと言っても、責任感の強いU.L.G.は取りあわなかったに違いない。
それが、世間では人を殺していい条件と認められている(?)、ジャジャ馬サイコを“キレ”させたというのは、ジャジャ馬サイコ自身の創作の気がするが、どうだろう?。
証言によると、この日のうちに、ジャジャ馬サイコは明確な殺害方法を考えている。手で首を絞めるか、紐で首を絞めるか、アイスピックで刺すか、カッターナイフで切るかのどれかの選択だったという。
そして結局、2日前にも考えたように、バトル・ロワイアルと同じように、カッターナイフを選んだのだという。
もう一つ付け加えておけば、事件前日の5月31日、TBS系列で放送された月曜ミステリー劇場「ホステス探偵危機一髪」の中で、犯人がカッターナイフを使っていたことも最終的にカッターを選んだ要因になったという。
この辺の証言は、その執拗な犯行の計画性、ない頭でどうやっても罰せられないことを前提に完全殺人を目論んだとしか思えないのだが、どうだろう?
その日のジャジャ馬サイコのHPには、「今日運動会だったんだけど、バナナの皮で滑った…(ウソ)移動中にこけました。ギャグ漫画並みにずるっと。私は手を伸ばしてうつ伏せで。つーか、両肘両膝すりむけた。骨盤うって腫れた。でこも土ついた」と、なぜか2人のケンカについてやU.L.G.に対する憎しみの表現は一切ない。とっても変だと思わないか?
ところが、この日のうちに、ジャジャ馬サイコは再びU.L.G.のHPに侵入し、ただ書き込みを消すだけでなく、そのアバターまで消してしまったのである。
それを受けて、U.L.G.がそのHPで、「チッマタカヨ。なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。アノ人もこりないねぇ」と応酬したことになっている(?)。
東仙坊、本当に複雑な心境である。どこから見ても、12歳同士の幼稚なケンカにしか思えない。
なのに、なぜこれで人が殺せちゃうのだろう?なぜこんなことで人を殺した人が何の罰も受けないのだろう?
多分、残りの人生、ずっと考え続けても納得できる答えは見つからない気がする。
罪を憎んで、ヒトを憎まず、どこまでもすばらしく人間的で寛容でお人好しの日本人であり続けるのだろう?
どうあれ、再三再四言っているように、このバーチャル餓鬼姫、ジャジャ馬サイコはもうすぐシャバに戻ってくる。本当にみんなの注意がいるのではないのか?
ところで、どう読んでも、最後のU.L.G.がHPに書き込んだ内容が解せん。まるでジャジャ馬サイコが書いたような文章なのである。
一応、文章のスペシャリストとして、この疑念だけはどうしても指摘しておきたい。


This selfish psycho made it completely to get satisfied as she wanted(この自己中心的サイコは望んでいたようにすべてやり遂げた)!


to be continued…





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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-8

I think even if any girl would love herself so much, Almost of them will never ever kill her fellow(女の子が自己愛者になっても、普通は仲間を殺さない)!

東仙坊、便宜上、12歳加害者女生徒をジャジャ馬サイコ、12歳被害者女生徒をU.L.G.(UnLuckyGirl)と呼んでいる。

③2人が出会ってから事件当日までのプロセス-3

●2006年2月18日、この日のジャジャ馬サイコのHPに、あろうことかU.L.G.の母親の死までに触れた中傷的かつ悪意に満ちた書き込みがある。
2人の亀裂を象徴している以外に意味はないのに、世の中の偉い先生が、これをジャジャ馬サイコの家族がいなければいいという願望とその孤独感が伝わってくるとおっしゃられていたが、飛んでも8分(happen)、歩いて10分(十分)である。
ジャジャ馬サイコ独特の浅薄な勝ち誇った表現であり、U.L.G.への宣戦布告の意味でしかないのである。もうこの段階で、U.L.G.はジャジャ馬サイコをそっと同性仲間の輪から外し始めていたのである。この年代の時期に、仲間外れほど過酷なものもなく、その空気が伝わってくるほどの焦燥も他にない。特に、女同士の場合は、本来、自殺を脳裏に浮かべるしかないほどのものなのである。
かといって、誤解があるといけないのできちんと説明しておく。
再三言っているように、U.L.G.やその仲間が露骨にジャジャ馬サイコをイジメだしたのでは決してない。何と言っても、U.L.G.は母親の躾けのお陰で、父親や兄たちに母親代りができるような女の子なのである。今までのようなジャジャ馬サイコの環境への同情や仲間としての義理からの、その荒唐無稽な幻想話や自己中心的自慢話を熱心に聞いたり、いちいち丁寧に答えたりする態度を、さりげなく止めるようにしただけである。それもこれも自業自得の結果でしかないのに、この勘違いジャジャ馬サイコは、それを許しがたい裏切り行為と勝手にみなしたのである。そして、唯一U.L.G.に勝てる材料である、現実的には大嫌いでも辛うじて揃っている両親の存在を武器にしたのである。


「恨めしい。親なんていらないなんて…。親を亡くした私の気持ちわかる?親がいなくなったらこんなに…さみしい。親のいるヒトが羨ましい。家事とかの問題では無い。心の事だ─身内の人が死んでも悲しいでしょう?なのに皆はいなくなって欲しいと言った。その皆の親がいるのがずるい。私なんて、親が死んでもう親なんて…いないのに─楽しかった時には戻れない。親に怒られてもそれはそれで良かった
これでも、ジャジャ馬サイコなりに、U.L.G.の深層心理を読み切ったつもりなのである。そして、心理的にU.L.G.の心臓を「フン。死んだ母親とケンカもできないだろ」とえぐったつもりだったのである。後の結末を思えば、ここでU.L.G.が冗談でもそんな風情を、傷心した雰囲気を見せておけばよかったのかも知れない…そうしてさえおけば、本当に首をかっ切られることにだけはならなかったに違いない。
しかし残念ながら、オマエの母さん出べそやオマエの母さんチンドン屋の攻撃では、自然体で生きることを学び取ってしまっていたU.L.G.は少しもへこたれなかった。
逆に、そんなジャジャ馬サイコを不憫な仲間ととらえ、もしかしてますます表面上同情し始めてしまったのかも知れない。そんなU.L.G.の態度が間違いなくジャジャ馬サイコを逆上させてゆくとは少しも考えずに…


ただし、このようなジャジャ馬サイコのU.L.G.に対する婉曲的な文章攻撃は決してこれだけではない。
例の「将来の夢」の作文で、自分のベスト5として、1番目に売れっ子マンガ家としながら、わざわざ2番目に声優を挙げ、夢のまた夢と、U.L.G.を揶揄しているのである。
どちらにしても、この時期から、ジャジャ馬サイコは、授業中、マンガを書いたり、頬杖ついたり居眠りしたりし始める。
そして、「おまえ、うざいんだよ!とっと帰れ!」と男子同級生徒を叩いたり蹴ったり、自分の頭を壁に何度もぶつけたりし始めている。
ここにも、一向に成長しないジャジャ馬サイコの一端が垣間見られる。
本来なら、同性仲間との確執や葛藤を経験すると、自然に異性の方に目覚めてゆくものなのに、その兆候が微塵も感じられない。これも内面的な未熟さによるものだと思うが、もしかすると、すでに異性からも見放され始めていたのかも知れない。


●2006年3月、ジャジャ馬サイコのHPの書き込みがなくなる。

●2006年4月、6年生進級時の2人の交換日記ノートにおけるプロフィール比較

U.L.G.は、「B型。牡牛座。好きなアーティスト、Smap・宇多田ヒカル。好きな食べ物、ジャガイモ・イチゴ。しゅみ、読書・PC・音楽かんしょう・小説。ハマってる事、チャット・ムービーをみる。好きな本、キノの旅・スラムダンク・etc。好きなスポーツ、特にナシ/キェー。習い事、うーん別に…おしえなくてよーし。将来の夢、声優、カナ」と、その清廉な性格そのままであり、その自分のイラストをメガネデブがシュワッチと空を飛んでいるようにコミカルに描いている。

ジャジャ馬サイコは、「A型。さそり座。好きなアーティスト、平原綾香。好きな食べ物、梨。しゅみ、PC(パソコン)。ハマってる事、小説書くこと。好きな本、ボイス・バトルロワイアル。好きなスポーツ、ドッチボール。習い事、バスケット。将来の夢、小説家」と、淡々と気取って書き、その自分のイラストを可愛い子のように目を大きく描いているが、表情がわからないようにその目を真っ黒にし、鼻もなしの孤独な雰囲気を意図的に醸し出している。
ここに、重要な要素が隠れている。
あれほどマンガ家にこだわっていたジャジャ馬サイコが、将来の夢を小説家と変えているのに気づいてもらえただろうか?あの高慢ちきそのもののプライドを見せていたバーチャル餓鬼姫が素直に敗北を認めるだろうか?
これは、表層的なrhetoric(レトリック:修辞)しか知らない井の中の蛙であるジャジャ馬サイコが、文章力では自分がU.L.G.より勝っているとまた自己判断したからに違いない。まだまだ、ジャジャ馬サイコはU.L.G.に対して執拗に勝負を挑んでいるのである。
どうしたら、ここまで勘違いできるのだろうか?それは、人間としての最低必要な修養がまだインプットされていないからである
誰がそうしていないのか?親、姉、祖母、その他の周りの血縁の大人たち、学校の担任、教頭、校長、自治体の教育委員会、国、世界、地球、太陽系、銀河系、宇宙、そして、通学バスの運転手まで、誰もジャジャ馬サイコに何もインプットしていないから、何も成長しないし、何も感じないし、何も変わらないのである。
これって、もしかして、そうは思いたくはないかもしれないけど、みんな一緒で、みんな“普通”ってことじゃないのか?
自分の気分が悪ければ、必ず誰かのせいであって、決して自分自身に問題があるかもとは疑わない
現代人の根幹的な姿勢に原因があると思うが、どうだろう?少なくとも、他人ばかりを攻撃するジャジャ馬サイコはそうだと思うが、どうだろう?


●2006年4月8日、このジャジャ馬サイコは新小学6年生として、HPを再開。
「ヒッマだぁぁぁ暇暇暇」

東仙坊、不本意にも、事件間近なのでジャジャ馬サイコのHP文章をできるだけ簡略化してまた列記する。
また、この頃、姉の会員カードで、この事件ですっかり有名になったR-15指定(実際その2は発売延期になっている)「バトル・ロワイアル」をレンタルビデオショップをジャジャ馬サイコが借りている。その中には、女生徒が別の女生徒の頭を背後から左手で押さえカマで首を切り裂くという事件を暗示するようなシーンがある。

●2006年4月27日、チャット仲間に映画「バトル・ロワイアル」に関するアンケートを実施。
「私は…殺し合い、なんて、人を奪う事は許されないんで殺し合いなんてしません(何綺麗事吐いているんだ)」

●2006年4月30日、「小説書くのに力入れますヨ、覚悟しときーや、おまえさん。多分GW明けには私の本性見えちゃうかもょょいゃ~んこまっちんぐぅ~」

●2006年5月3日、「つーカこの頃ヤバイッス。なぜかって?この頃『記憶』が所々飛んでます。まじ。昼飯食べてカラ何をしたカ記憶にナイ」

●2006年5月4日、「友達と遊ぶのそんなにスキでわないんで別にいいでやんす。住宅地に離れてるんで、遊びに行くのメンドクセー!」

●2006年5月5日、「BATTLE ROYALE -囁き- 」という小説を書き上げている。
この犯罪予告小説(?)なるものは、読むに価しない低劣極まりないものである。
しかしながら、多くの専門家(?)と呼ばれる方々が、ここにジャジャ馬サイコの深層心理を見つけ、いろいろ好き勝手に言っているので、東仙坊、それらの方々への礼儀として少しだけ触れる。
この軽佻浮薄ナンセンス短編小説は、恐ろしく自惚れの強いジャジャ馬サイコの理想の自分と現実の自分をただ喧伝しているだけ。内容のほとんどが、自分自身の苦笑するしかないほどカッコイイ外見(?)、夢見る親の職業(?)が描かれているだけ。
それにしても、この年頃の女の子である以上、単純に外見にこだわったり夢見ることは理解できないこともないが、なぜそれほどまでに親の職業にこだわるのかだけは幼稚すぎて理解できない
どちらにしても、この時期には、ジャジャ馬サイコとU.L.G.を含むそれ以外の女生徒たちとの単純なship(関係)は親密なものでなくなっていることだけはよくわかる。
そして、執拗なジャジャ馬サイコが自分の孤立感と疎外感の原因をすべてU.L.G.のせいと決めつけ、それが殺意になり始めたのも明確である。


I wonder how this girl had a grudge against her fellow like this(どうしたらここまで仲間を恨めるのか)!

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-7

The honesty shall ever knock down the vanity, Is it true(正直さはいつか虚栄をノックダウンする。そうではないのか)?

東仙坊、便宜上、12歳加害者女生徒をジャジャ馬サイコ、12歳被害者女生徒U.L.G.(UnLuckyGirl)と呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることをお断りしておく。

③2人が出会ってから事件当日までのプロセス-2

●2006年2月、U.L.G.も、ジャジャ馬サイコが先生役になってHPを開設
これは、人一倍プライドの高いジャジャ馬サイコにとって、久し振りの快感、してやったりの快挙、内心拍手喝采し小躍りしていたに違いない。どう考えても、U.L.G.がネットに精通しているようには見えないからである。おそらくこの時点では、その性格上の理由で、ほとんどの仲間をすでにU.L.G.に奪われていたに決まっている。
ところが、U.L.G.は一回りも二回りも人間としてのスケールが大きく、寛容で、謙虚なのである。だから、自分にHPの作り方をアドバイスしてくれるジャジャ馬サイコに素直に従い、自分のパスワードまで教えてしまうのである。
事実、U.L.G.はジャジャ馬サイコに対して「ホント感謝感謝」と掲示板に書き込んでまでいる。そして、そんな成長した大人のような懐の深いU.L.G.の対応が、困ったことに、未成長で自己顕示欲の怪獣のようなジャジャ馬サイコをますます苛立たせていったのだけは間違いない。
なぜなら、それは孫悟空がお釈迦様の手の中から逃げられないように、ジャジャ馬サイコの独り合点のバカなプライドを木端微塵に粉砕したからである。


東仙坊、聡明でなく異常なので、このジャジャ馬サイコのHPの書き込んだ、全く表面的で深みも味もない文章に興趣を覚えないどころか、チンプンカンプン??一昨日おいでと言いたいところである。しかしながら、プロファイリングを始めてしまった責任で仕方なく、要所要所を抜粋し列記してから、後で一気に検証する。

●2006年2月1日、「闇をこえてこそ光はきっとある─苦汁、絶望、苦しみが私を支配するけど、全てと戦い、闇を葬り光とこの身の有り難さをそのぶん欲したい─皆で頑張ると、月よりも明るく照らし合えるはず」

●2006年2月2日、「虫も魚も動物も木も花も、たった一つだけのかけがえのない、『命』をもっているのだから…殺さないで─森の木も人の手によって焼き払われたりしたよ─木や花も動いたり、話したりはしないけど、生きているのだよ…」

●2006年2月4日、「皆がこのつながっている『地球』にいる。忘れないで欲しい。今この時間『苦しみ』の呪縛を解き放てない人々を」
東仙坊、茫然自失、絶望の淵、やっぱりこの普通のジャジャ馬サイコの文章をもっと割愛する。
12歳にもなって、山間に住んでいるのに、木や花が動くし、話すことすら感じないなんて、それが生きていることを他人に説くなんて、何たる不遜、何たる利己的遺伝子、開いた口が塞がらない。
それに、苦しみの呪縛を解き放たないで生きている人間なんて、世界に1人もいない。地球が繋がっていないように、実は時間も繋がっていない。不連続の連続。
だからこそ、人間はいつももがき苦しみながらも、必死に前に向かって、微かな希望を胸に苦しみを毎日乗り越え、例えそこに死が待ちかまえていたとしても、這いつくばっても進んでいるんだということさえも知らないのか?
それどころか、東仙坊の知っている5歳の幼稚園児でさえ、「この世は闇だ」ってよく言っている。
それは話が違うとしても、闇を葬れないからこそ光が重要で、光があるからこそ人間は生きられるし、まるで一本の松明が消えたら人類が滅亡してしまうかのごとく、その貴重な光を消さないように助け合って暮らしていることさえ知らないのか?
オリンピックの聖火リレーを見たこともないのか?
第一、月自体は光ってなどなく、太陽の反射で光っていることも知らないのか?
しかも、たかが月は地球の衛星で、その反射光が小さいということさえ知らないのか?
それとも、U.L.G.よ、おまえたちが力を合わせてガンバレば月よりは光れるんじゃない、私は太陽だけど、というイヤミなのか?
東仙坊、あまりの腹立たしさに、興奮してきて、危ない。
あの残忍この上ない殺され方をしたU.L.G.は永遠に生き返らないのに、このバーチャル餓鬼姫、ジャジャ馬サイコはもうすぐ堂々と我々の世界のどこかに戻ってくるのだから…神様はいるのですか…助けて下さい…


What was this girl thinking? At least she might feel nothing(何を考えていたのか?少なくとも何も感じてなかった)!


●2006年2月7日、HPを作ったばかりの天衣無縫なU.L.G.が、律義にも、この日急遽ミニバスケットチームに戻りレギュラーとして試合に出れたことに欣喜雀躍しているジャジャ馬サイコのHPに、
「おめでとー☆」と書き込んでいる


2006年2月15日、この能天気で思いやりのかけらもないジャジャ馬サイコは、この日のミニバスケットボールの試合に逆転勝利した直後、佐世保ケーブルテレビのインタビューを受け、喜色満面、その唯我独尊振りを無際限に発揮したのである。それは、その翌日のジャジャ馬サイコの奇妙に余裕のある率直な書き方のHPに如実に表れている。
「昨日試合ですたー。後半で逆転勝利、20点差でぇ勝ちです。もしかして優勝」
この臆面もない自慢が、さすがのU.L.G.の琴線に触れたのである。おそらく仲間4人で、「バカみたい。1人ではしゃいでいれば…」と決定的な亀裂が生じたのである。
これは現代の子どもたち全体に言えることかも知れないが、他人が自分と違う感情を持っていることを全く理解できないどころか、感じることさえできないのである。
自分が愉快なときはそれを当然相手も愉快に思っていなければ許せず。逆に、自分が不愉快なときは自分だけがそれを背負って不愉快に耐えている気になり相手を許せないのである。
一言でいえば、ただワガママな子どもなのである。
もちろん、この最大の要因は、偏に直接的な口と口での会話ベタ、communication break down(コミュニケーションの破壊)に他ならない。
ただこれが子どもの世界だけに留まっていないから、問題なのである。出る杭は打たれ、出る杭を打つ。これがいつのまにか社会コンセンサスになってしまっているのである。
どちらにしても、あのU.L.G.が堪忍袋の緒を切ったのだから、テレビに出たジャジャ馬サイコの有頂天振りは目に余るものだったに違いない。

ここで、U.L.G.のHP(ホームページ)というかウエブ上でのchat(チャット)に関する、健気で正直な作文を紹介しておく。
顔や姿が見えないけれど、仲良くなればここまで親密になれるんだなぁとおもいました。逆に顔や姿が見えないからこそ相談に乗ったりできるんだなぁとおもいました

I think this kind of the ordinary people is all like a pure her(こんな純粋なU.L.G.のような普通の人が全て)!

to be continued…





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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-6

Being called the best friend only by being together is ridiculous(一緒にいるだけで親友と呼ばれるのはバカげてる)!

東仙坊、便宜上、12歳加害者女生徒をジャジャ馬サイコ、12歳被害者女生徒U.L.G.(UnLuckyGirl)と呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることをお断りしておく。

③2人が出会ってから事件当日までのプロセス-1

●1学年1クラスであるので2人は必然的に同級生、同期生。
男子18名、女子20名のsmall world(小さな世界)。
この頃の「将来の夢」という作文がある。
ジャジャ馬サイコは「マンガ家。絵をかくのがヘタ、お話をつくるのも一工労。パソコンで上手にかけるようにしている。でも、マスクや機能をあまりつかわず、一作できあがるのも一~二時間かかる」と書いている。
U.L.G.は「声ゆう。なぜこの仕事をしたいかというとアニメのキャラクターと同じになれるから。そうかんがえるとすてきな仕事だなって思った」と書いている。
ここに、すでに2人の関係がどのようなものになってゆくか、予想できるファクターがある。
U.L.G.は母親の死まで経験しさらに成長したらしく、言われているように明るく大ような性格なようで、感じるままに自分の言葉で自分の内面をそのまま吐露している。
それに反し、ジャジャ馬サイコは表面的な体裁にこだわり、心模様が表現されていないばかりか、論理展開ができていないのにパソコンを使い始めていることを自慢しつつあえて漢字を使おうとしている。
それが2人の関係と直接どう係わるのかというと、この段階でU.L.G.には父親譲り(?)の文才があり、事実、前の小学校時代に自作マンガまで作り上げていたのである。
つまり、自己中心的に都市生活者のようなイメージだけを演出しながら我が世の春を謳歌していたジャジャ馬サイコに、新たなライバルで詩と絵で羨望の的である本当の都市生活経験者の同性が、自分のナルシズムの世界に闖入してきたのである
誰もが経験したように、この時期、異性より同性の仲間が最優先であり、そこでは羨望と嫉妬のブリザードが吹き荒れるのは世界中同じ。
最近、chumship(チャムシップ)などと呼んで、したり顔の先生たちがいるが、こんなことは何十年も一緒で「チビッコ・ギャング」時代なのである。実際、gang age(ギャング時代)とも呼ばれているはずである。
そこで、狡猾なジャジャ馬サイコは抜け目なく自分からU.L.G.に近付いてゆく。
なぜなら、そうでなくても転校生は最初はいい意味でも悪い意味でも注目される上、U.L.G.は社交的で屈託がなく人見知りもしない性格ですぐみんなにどんどん溶け込んでゆく。
けれども、やや大柄でメガネをかけ、自分より見掛けが可愛くはないことが、ジャジャ馬サイコを安心させていた。
そして、成績も人柄もよくみんなのアイドルになりそうな、それでいて自分に対する何の先入観もない同性を仲間にすることで、自分の地位を確固たるものにしようと狡猾に考えた
唯我独尊タイプの幼児的プライドの権化のジャジャ馬サイコにとって、まさしくU.L.G.は格好のターゲットだったのである。それを如実に表しているのが、ミニバスケットボールへ一緒に参加することなのだが、それはまた後で述べる。



●2005年4月、クラス替えがないので、2人は相変わらず同級生で同期生。
2人は一緒にミニバスケットボール部に参加
そして、2人は4~5人の仲間と交換日記ノート作成開始。
ここにも、マンガ家志望だったジャジャ馬サイコの恣意がある。
一つはどこから見ても運動好きには思えない、それどころか運動自体がが好きではなかったU.L.G.を誘って自分の優位を見せつけようとしたのである。それだから、ジャジャ馬サイコは授業中に居眠りするぐらい必死に練習し3ヶ月でレギュラーの座を勝ち取ったのである。
それに反し、U.L.G.は当然のごとくすぐに退部している
また、交換日記をすることで、ジャジャ馬サイコはU.L.G.からその文才と絵の才能をそっと学ぼうとしたのである。
どちらにしても、ジャジャ馬サイコはミニバスケットボールでU.L.G.に溜飲を下げていたから、バスケットボールを止めたくなかったはずである。


●2005年12月下旬、ジャジャ馬サイコは成績が下がったことを理由に、地区大会優勝まで味わい自画自賛し有頂天の極みだったミニバスケットボール部を退部
いつも両親の前では「はっきりNOと言えない自己主張のできない、いい子」だった、さすがのジャジャ馬サイコもこれには珍しく抵抗し、レギュラーを失うことを恐れた部員仲間まで一緒にジャジャ馬サイコの両親に嘆願したが、姉が受験に失敗した原因を部活のせいと思い込んでいた母親がガンとして承諾しなかった
事実、「止めたくないのに止めさせられた。お父さんが怖い」とミニバスケットボールの顧問教師にも訴えている。というのも、元々父親が家にいるだけで緊張し、いなくなると笑顔を見せるような陰日向のある子どもが、初めて反抗したのである。それを父親が容認するはずもなかった。以後、夕方午後5時までに帰宅しないと、それこそ1分でも遅れたら、父親に叩かれ、泣かされるようになったのである。
そうでなくとも、本来が独りぼっちで遊び、テレビを観ている子なのである。
そんなジャジャ馬サイコが、HP(ホームページ)を立ち上げたのだから、それに一心不乱に没頭し始めるのも当然だった。
このことが、巷間言われてるようにジャジャ馬サイコを、異常な子どもに果たして本当に変貌させたのだろうか?
実は、東仙坊、このジャジャ馬サイコをなぜ普通だと主張し続けるのか、その理由がここにある。
今の時代、このような状況下にある子どもの方がほとんどと言えないだろうか?
あたかも子どもの意志を尊重しているかのように見せながら、半ば育児放棄し自分の時間を優先させている親。
諍いの面倒臭さを避けるためだけで、あたかも仲がいいかのように装っている仮面夫婦の親。
全てに自分の思い通りにならないことを、他人や世の中の責任に転嫁している無責任な親。
自分の自信のなさを悟られることを恐れるあまり、頭ごなしに子どもを叱ることで誤魔化す、きちんと躾けられない親。
子どもが自分の鏡であることさえ知らない親がほとんどではないのか?
つまり、そんな親が普通だからこそ、そこら中に、ジャジャ馬サイコのような状況下の普通の子がいるのではないのか?
確かに、未成熟で幼稚なヒトにとって、掲示板やチャットやメールが必要以上に、直接的な喜怒哀楽にコンセントされてしまう側面がない訳ではない。その関係が濃密に親密になったような錯覚が生まれるからである。あたかも、日常できない本音トークができているようにさえ思えたりする。
その反面、言葉として残されることで、一つの言質にされたり、何度も読み返されることでいい意味でも悪い意味でも感情が増幅され、その喜怒哀楽だけが勝手に一人歩きしてしまう懸念もある。
誰もがメールを送ってすぐ返事がないと、なんとも言えない不安や猜疑心を持った経験が1度や2度あると思うが、どうだろう?
ましてや、本物の人間関係を構築できない薄っぺらな人間同士が言いたい放題のネット会話をした場合、誤解やflaming(フレーミング:炎上)を生じたときは最悪でしかない。
いくら「ヘルプ」をクリックしても、「FAQ」を見ても遅いのである。その意味で、ネットには人力を超えた恐ろしい力もある


実際、ジャジャ馬サイコはHPを連日更新。その内容も、見知らぬ相手のせいか、「ありがとう教えてもらったことが出来ました」、「友達探し中。良かったら友達になりませんか?」、「友録しました」などと、普通過ぎるほど普通である。

Is the parson who is crazy about the net abnormal(ネットに夢中な人は異常なのか)?


to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-5

It should be complete nonsense to marry without a total life plan because of being pregnat (妊娠したからって生活設計なしに結婚するのは全くナンセンス)!

東仙坊、便宜上、12歳加害者女生徒をジャジャ馬サイコ、12歳被害者女生徒U.L.G.(UnLuckyGirl)と呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることをお断りしておく。


①ジャジャ馬サイコがU.L.G.と出会うまでのプロセスとバックグラウンド

●ジャジャ馬サイコの父親(45歳)は、静岡県の西伊豆の出身。4人兄弟の二男。地元高校卒業後、東京で衣料品メーカーに勤務。そこで、ジャジャ馬サイコの住居になる佐世保出身、1歳年上のジャジャ馬サイコの母親(46歳)と出会い、できちゃった婚
1986~1987年のこと。
ここに、すでに愛情の昇華という土台が希薄になる要素が生まれている。
子どもを本当にかすがいと考えるなら、できちゃたから仕方ないでは、子どもに無礼だということぐらい、子作りには綿密な将来の子どものための生活設計プランが必要だということぐらい、そろそろ気づいて欲しい。結局離婚した広末涼子、竹内結子、安室奈美恵は、ところで何で結婚したんだったっけ?


母親は、3人姉妹の末っ子で、上の2人が嫁いで家を離れていたことから、親が寂しくて可哀想だからということを理由に、父親が婿養子として佐世保に2人が帰郷
ここに、多種多様な甘えと打算と勝手な思惑と致命的な無思慮がある。
地方の閉鎖的な村社会が東京暮らしをしてしまったヒトに、どれだけタフで辛辣なものか全く考慮していない。
事実、この佐世保の山間のイノシシが出没する小村は、同じ姓が多く、隠れキリシタンという話しまであるのである。ということは、圧倒的な血縁関係中心社会なのである。
また、クリスチャンの色彩が強いと中絶はできないはずである。
どちらにしても、異邦人である父親の孤立感は相当のはずである。
ちなみに、あのクソッタレ馬込政義も佐世保のクリスチャンだったのでは?
東仙坊、犯罪と宗教の因果関係を言及していないので、念のため…。


そこで、高校生だった長女を出産。
1992年、ついに、このジャジャ馬サイコを出産。


●1995年(一部には1999年という説もあるが、そうだとすると、ジャジャ馬サイコがもっと繊細で思いやりのある子どもになっていたはずなので、東仙坊はこちらを取る)、ジャジャ馬サイコの父親が何と36歳の若さで脳梗塞発症。幸い一命をとりとめ、懸命のリハビリの結果、今では右半身に多少のマヒが残るものの言語障害もなく、自分で車を運転し、立派に社会復帰し、佐世保のおしぼりレンタル会社で週2、3回のアルバイト。
これも、心配したisolation(孤立無援)のストレスがあったと思わざるを得ない。
これによって、大黒柱である父親の入院加療が生活の中心になってしまい、本来最も注目されるはずのジャジャ馬サイコから、家庭におけるピンスポットが外されてしまったことだけは確実である。


当然(?)、この時期から、母親は佐世保のスーパーの下着売場で、午前10時から午後7時までパートタイマーとして勤務。
この時の母親の心模様は、極めて重要である。
一見順風満帆な家庭生活を送っている主婦の誰が、まだ30代の自分の夫が脳梗塞で倒れることを考えるだろうか?もちろん、多発している交通事故もあるから、全く皆無ではないと思うが、明らかに交通事故とは違う焦燥や不安や後悔が生まれるはず。
自分の人生そのものに懐疑的になるのが自然である。
自分だって女盛りの30代なのである。すると、そのストレスやフラストレーションの矛先が子どもに向かうのは自明の理。
しかも、女の子はイヤでも父親に似ているのである。
事実、自分のスーパーでジャジャ馬サイコが洋服選びで悩んでいると「はよう選ばんとね」と急き立てている。
また学校のボランティア活動にも、授業参観の後の懇親会にも参加していない。
ミニバスケットボールだって、ただ反対するだけで、バスケットシューズも買ってあげず(そのせいで、レギュラーで1人だけジョギングシューズだった)、お揃いのジャージまで買ってあげていない。
これは単純に金銭的問題だけなんかではない。なぜなら、長女を中高一貫の私立に入れようとしているのである(これも受験に失敗している)。
そうでなくても、全てに東京帰りの虚栄が働いていたのに、夫の予想外の疾病がそれを増大させたのである。


母親の母親(ジャジャ馬サイコの祖母)も、近所で食品関係のパートを開始。
これは、ジャジャ馬サイコが物理的に放任され始め、1人で遊ぶことが自然と増えてしまったことを意味する。
なぜなら、姉はジャジャ馬サイコが物心ついた時には小学校に通っているはずだからである。
多種多彩な偉い(?)先生方が諸説紛々におっしゃられているが、この第1次性徴期が情操形成にとって最重要だと、東仙坊、確信する。
その観点から言えば、ここでisolation(孤立感)をイヤというほど味わってしまった、このジャジャ馬サイコに、ほんの少しだけ同情する点がない訳ではないが…。



Even though it is sure low tide far from offshore, the death and the fatal disease shall come out near from you in sudden(沖の干潟が確かに遠くまで続いていても、死と命に係わる病気は突然近くからやってくる)!


●1998年、殺人現場となる佐世保市郊外の山腹にある大久保小学校、全校生徒数187名、1学年1クラスのまさに小学校に、ジャジャ馬サイコが入学。
ここに、実はもう表面化していた大問題があった。
こんな小さな学校なのに、いわゆるcity life(都市生活者)とcountry life(山間生活者)が混在していたのである。
これは実に微妙で複雑な問題をイヤでも引き起こす。
ニューヨークやロスアンゼルスのダウンタウン、東京新宿歌舞伎町を想像すれば一目瞭然である。
文化の幼児的衝突が起きるのは当たり前。ましてや、未成熟でわがままな子どもの世界なのである。
これは、イナカっぺ!とカッコつけ!の永遠に終わりのない堂々めぐりでしかない。
どちらも他意がない上に妥協もないのである。
これを巧みに調和させるには、余程習熟された含蓄のある教師でないとまず勤まるはずがない。
それなのに、この学校には、せっかく野山に囲まれた自然豊かでのどかな山間の小学校であるのに、なぜかパソコン教育に力を入れるモダン(?)な教師しかいないのである。
東仙坊、ハナから、イジメなんか問題にしていない。
また、子どもがHPなんて作ったから、そのせいでこんな事件が起きたんだと短絡に言っていない。
英語教育問題と同じで、学校は何よりも先に心を健やかに清々しくさせるための修養をさせるところだと言いたいのである。
英語もパソコンもその後のオマケでしかないはずなのである。


その変な小学校にジャジャ馬サイコはバス通学開始。
そこそこ成績(?)がよく、そこそこ見栄え(?)がいいぐらいで自己陶酔できるほど傲岸不遜で、東京の生活臭のある両親から見栄を張ること表面的に他人と付き合うことだけを学んだ、自意識過剰で自惚れが強い、自分を棚に上げて平気で他人ばかりを攻撃する自分勝手で厚顔無恥な、直情径行で微塵もデリカシーがなく、それでいて鑑識眼のかけらもない親や教師に「成績がよく、しっかり者で、頑張り屋(?)」と呼ばすほど姑息で狡猾な[普通の女生徒]ジャジャ馬サイコが、2002年4月、この大久保小学校に転校してきたU.L.G.と出会うのである。


②U.L.G.がジャジャ馬サイコと出会うまでのプロセスとバックグラウンド

●U.L.G.の父親(45歳)は、大分県の出身。九州大学卒業後、1981年毎日新聞社関西本社入社。1983年結婚。U.L.G.には、家を離れていた大学生の長兄、同居していた中学生の次兄の兄弟。
1999年~2000年のこと。
U.L.G.の母親が不運なことに乳ガンで繰り返し入退院。
2001年父親が妻と家族を心配し、単身赴任していた本社編集センターから諌早通信部に転勤。
2001年9月、母親が病死。U.L.G.はその葬儀で、気丈にも、お母さんありがとう、と「さよなら」をピアノ演奏。
2002年、父親が自分で家族の面倒を見ようと、毎日新聞社佐世保支局長に転任。それに伴って、U.L.G.は何とこの殺されることになる大久保小学校に転校。
そして、このバーチャル餓鬼姫であるジャジャ馬サイコとU.L.G.は偶然出会うのである。

Anybody have no choice to meet any kind of friends at school(学校ではいろんな友だちと出会うしかない)!

to be continued…




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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-4

Always we have to listen to the voice of the father of this victim(この被害者の父親の叫びにいつも耳を傾けるべき)!

2004年佐世保で、全く成長も成熟もしなかった、無知で自己中心的で、それでいて無邪気さの微塵もない、12歳小6女生徒が引き起こした同級生殺人事件。その極めて幼稚で残忍な犯行背景、犯行動機、犯行手口。
2007年長野で、全く成長も成熟もしなかった、無知で自己中心的で、それでいて思慮分別の微塵もない、24歳女性介護士が引き起こした義妹殺人事件。その極めて幼稚で残忍な犯行背景、犯行動機、犯行手口。
ここまで環境と年齢が大きく違う2人が、なぜここまで酷似した犯罪を起こしたのか?
その酷似点に、徹底的に焦点を合わせ、その事件前プロセスと事件のディテールを可能な限り具体的に記述し、それに東仙坊の独自の考察を付加することで、現代日本の抱える根本的病巣を鮮明に浮き彫りにしてみたいと考え、佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件を検証プロファイリングする。

検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件

■漏れ伝わっているわずかな加害者証言を核とした「佐世保小6同級生殺人事件」当日までのプロセス

東仙坊、便宜上、12歳加害者女生徒をジャジャ馬サイコ、12歳被害者女生徒U.L.G.(UnLuckyGirl)と呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることをお断りしておく。

最初に、U.L.G.の父親の手記をそのまま全文掲載する。
本来取材する側である新聞記者という立場にもかかわらず、単なる被害者の父親として滅茶苦茶な取材攻勢の矢面に立たされてしまっている、何という因果、何という皮肉、何という矛盾、何という残酷、そして簡単に表現できるわけのない心中を何とか文章にしなければという自制と体面。
その葛藤が、胸が痛くなるほど感じてくるはずである。
まだ12歳でしかない長女である我が子を、何と学校で、何と同級生の女生徒に、何とあれほどまでに滅茶苦茶に惨殺されてしまっている、受け入れようにも受け入れられない現実、想像してあげようにも想像のしようのない我が子の苦痛、こみ上げようとしても一向にこみ上げてこない憤怒、わかろうとしても全くわからない苦悩、そして娘を返せ!元に戻せ!何という酷いことを!ふざけろ、キサマ!と取り乱せないという自責と後悔。
その憔悴の前の忍耐が、手に取るように伝わってくるはずである。

U.L.G.、今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい?どこで遊んでいるんだい。
U.L.G.。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏が飛び出しそうになる。お腹の中で熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯をかみしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。
もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。
あの日。U.L.G.を学校に送りだした時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、U.L.G.。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。
「体操服は要らないのか」
「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」
「ナーイ」
うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。
5人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
でも、本当にU.L.G.は、すぐに友だちができたよな。これはもう、父さんにはできないこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のU.L.G.を見て。
母さんがいなくなった寂しさで、何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。
「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」
「くよくよしたって仕方ないじゃない」
何度言われたことか。
それと、家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。
家の中には、U.L.G.愛用のマグカップ、ご飯とおつゆの茶碗、箸、他にもたくさん、ある。でもU.L.G.はいない。
ふと我に返ると、時間が過ぎている。
俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。
いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。
ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるU.L.G.は、いない。
なぜ「いない」のか。それが「分からない」
新聞やテレビのニュースに父さんや、U.L.G.の名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。U.L.G.がいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いている時は冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
U.L.G.。ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。



I cann't help crying on and on when I used to read this letter. But(この手記を読むたび涙が止まらない。でも)!

東仙坊、間違いなくこの手記を書き上げ発表したことを称賛し、読むたびに慟哭している。
でも、本当はそんな社会的立場なんかクソ喰らえだと、この極悪非道のジャジャ馬サイコを大声でなじり恫喝し新聞で糾弾して欲しかった。
確かに、子を守れなかった自戒、子の成仏を考えれば、せめてあちらの世界で亡くなっている母親の胸で安らかであって欲しいと願う気持ちが全然解らなくもなく、当然といえば当然なのかも知れない。
でも、あちらの世界などある訳がないとしたら、U.L.G.の味わった苦痛は、ショックは、口惜しさは、無念は一体どうなるのか?
もうU.L.G.は、叫び声を怒りの声を上げることも、掲示板に書きなぐることもできないのではないのか?理性ある見識のある大人だから、大目に見るのか?
悪魔の化身のようなジャジャ馬サイコに、残虐無比に冷酷非情に惨殺されたのは、同じ歳の娘じゃないのか?
もしかして、U.L.G.自身が許してあげてと言ったのか?
学校から「ケガをした」と連絡を受け駆けつけた時、校長、教頭、担任に何を尋ねても「わかりません」と答えられ、現場で衝撃的な娘の惨殺された姿を見て、「うそだろ!」と声を上げたのじゃないのか?
東仙坊も、義憤に駆られ、お腹の中で熱いボールがゴロゴロ回り始めたので、もう止めてプロファイリングを始める。


Dear the families of victims ! You much better express your own deep anger more and more(被害者家族はその大きな怒りをもっともっと表すべき)!

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-3

We have to call the motherfucker who killed somebody a mad man(人を殺したタコをキチガイと呼ぶ)!

東仙坊、本題はまだかって?
今回は、検証なので、最初に重要なポイントを理解して欲しいので、もう少し続けさせてもらう。

もう一つのこの国の卑劣で卑怯な犯罪増加原因は、煽動するマスコミとそれに安易に乗せられる我々自身の精神的薄弱さ、事なかれ主義である。
それは、よってたかって犯人を異常者キチガイに仕立てることで、自分たち自身の深奥にある不安を払拭しようとする利己的な欺瞞と傲慢さである。
つまり、犯人が普通のヒトでは、日頃普通でありたいと渇望している自分が、あるいは独り善がりに普通であると思い込んでいる自分が、いたたまれなくなるほど情けなくてみっともなくて恥ずかしくて我慢できないからである。
そのためには、まず悪いのが、犯人の異常さや心の闇に気づかなかった家族、同僚、学校など周辺のヒトたちであり、次に悪いのが、そんな社会環境を作ったシステムや心のケア不足でなければならないのである。そのためには、時には犯人に誰も罵声を浴びせず糾弾しないばかりか、下手をすれば犯人を社会の被害者にしてしまうのである。
そして、被害者のプライバシーは、ガラスの箱に入れられ太陽サンサンの表通りのオープンカーに、加害者のプライバシーは、青いブルーシート、グレーのカーテンに包まれ裏通りのポンコツトラックの荷台に、置かれるのである。
本当に無茶苦茶だと思わないか?
完全に本末転倒じゃないのか?
もう一度確認しておきたいけど、キチガイが人を殺すのではなく、人を殺した瞬間キチガイになるのではないのか?
だから、犯行後に精神鑑定したら、百人が百人キチガイになるのは当然じゃないのか?
そして、殺されたくて殺されたのではない被害者は、2度と誰とも話せないのに、殺したくて殺した加害者は、奇特な弁護士先生などというステキな(?)新しいお友だちまでできて、生ある限り話し笑い続けるのではないのか?
ちなみに、加害者が謝罪したり、被害者の冥福を祈ったりすると、今までの被害者たちの誰かが喜んだり感激したということを、実際に誰か聞いてきたことがあるのか?
もしいるなら、東仙坊、その方に個人的にお伺いしてみたい。
「ところで、有無も言えず殺されてしまった悲劇的な被害者って、本当に天国にいるの?大体、本当に天国があるの?」
もし本当にあるなら、普通に死んでも天国なんかに行けないとか、天国なんかないと思っている人たちは、何が何でも誰かに殺されて天国に行きたくならないか?
少なくとも、東仙坊は不謹慎でもそうしたい。
そう、被害者の無念を察すると、こんな考えは不謹慎この上ないはずなのである。
東仙坊が図らずも被害者になったら、何が何でも三途の川の途中で引き返し、最低でも自分が味わった苦しみや痛さと同じ分だけは、できることなら倍返しで、必ず加害者に復讐してやる。
これこそが、東仙坊の本心である。
とすると、本当はほとんどの被害者の本音は、この東仙坊と同じ気持ちだろうと思うがどうだろう?
いくら大勢の人からご冥福を祈ってると言われても、そう簡単に天国に行って安穏としてなんかしていたくないのでは?
考えてみよう。たった1度の人生を傍若無人に奪われてしまったのである。
「Bullshit(ふざけろ!クソでも喰らえ)!」そう思っているに違いないと思うのは、この東仙坊だけなのか?
そう考えたら、殺したくて殺し念願が叶って満足し喜んでるクソッタレどもに、被害者の変わりに、
「何という酷いヤツだ!早く死んじまえ!」と、堂々と言い放つべきではないのか?
そうしないから、次々と極悪非道な卑劣で卑怯な犯罪が続くのである。
東仙坊、命の話しを金銭的に言及するのは本意ではないが、その結果、被害者家族には数百万円(実際はかなり低い)、加害者assholeには1人当たり数千万円(酷いキチガイだと軽く億を超える)の税金が使われ、被害者自身には1銭も渡らないのである。
こんなことって、本当にあっていいものなのか?
殺されたら、いくら2度とお金を使えないからって言っても、差があり過ぎないか?

It must be unfair absolutely for any victims that any murderers could speak to someone freely on this earth(加害者が地球上で自由に話せるなんて被害者には不公平)!

東仙坊、70年代に海外生活を経験している。
「故郷は遠くにありて想うもの」と意気揚々と出発したのに、たった1週間で、恥ずかしながらホームシックになった。典型的日本人でしかなかった東仙坊にとって、全てが繊細でなく、大味で完全にブルーにさせられた。間仕切りのないトイレでのおおらかな日常会話に、「トイレぐらい1人でゆっくり入りたい」と、ストレスと羞恥心と劣等感でいっぱいにさせられた。そして、何よりも閉口させられたのが、自分の私物がすぐに無くなることと肉体的喧嘩だった。誰だって同じだろうが肉体的喧嘩には、本当に苦悶させられた。ハリウッド映画で観た男らしい素手での殴り合いなどどこにもなかった。ヤツラは異常に頑強なくせに、そこにビール瓶があればビール瓶で、そこに棒状のものがあればそれで殴りかかかってきた。本当にずーっと緊張し続け、一瞬でもスキを見せるわけにはいかなかった。
だからこそ、毎日毎日、日本がどれだけ住みやすいか、どれだけ安全なのか、どれだけ美しい国(?)なのか、イヤでも想い出させられた。
ただ、そのお陰で、たった一つだけイヤというほど学習できたことがある。
そのpersonalism(個人主義)の神髄というところを実体験で体得できたからである。
自分のことは自分で全てmanage(何とかどうにかする)することを覚えさせらた。
とりわけ、身の安全は自分で守ること。それが自分の常識、習慣になった。
そして、他人は思っていた以上にはよくないけど、思ってる以上に悪くもないと悟った。
基本的に、誰もが本当に普通なのである。

その普通のヒトが、罪を犯した瞬間、異常になるだけである。
ということは、犯罪者は、その見えないけど絶対的にある厳粛な一線を超え、生まれてからその罪を犯すまでのかけがえのない普通の自分、未来に満ちた可能性と人生の歓喜、独自の63億分の1のpersonality(人格)を、自分の理不尽な衝動で棄て、全て責任を負うと宣言したということなのである。
それゆえ、その責任を犯罪者1人できちんと取らせればいいだけである。
その意味で、犯罪者の伴侶、親、兄弟、家族などに一切の責任は生じない。
もちろん、その犯罪者の環境は副次的要因に大きく影響するが、決して主因にはならない。
東仙坊、「弱気をくじけ!ひとりひとりがもっと大人になれ!」でも記述した、あの「コロンバイン高校銃撃事件」の犯人の母親が、顔も隠さずテレビのインタビューに答え、息子が自殺したと聞いて、「よかった!息子を許さない。自分で殺そうと思ってた」と言っていたことが、それを象徴していると思う。
だからこそ、例え何歳でも、いかなる理由や情状があろうと、卑劣に卑怯に人を殺し、キチガイになってしまった時点で、その罪を絶対許してはいけないのである。

All the people in the world is just same .Each of them is an ordinal(世界中の人が同じ、みんな普通)!

少し言い方を換えて、説明する。
東仙坊、人生とは、陸上のトラック競技だと思う。
それも、何m走とも決まっていない、それこそ短距離とも長距離とも、もちろんタイムレースでもなく、生まれた時にはもうスタートの号砲が鳴ってしまっている、摩訶不思議で残酷な競技なのである。
「ちょっと待ってよ!みんなフライングだよ!一体何メートル走ればいいの?どんなペースで走ればいいの?ゴールはどこなの?」と聞いても、誰も、それこそ神様も教えてくれない競技なのである。
その意味で、人間は弱い存在だと、東仙坊、再三言ってるのである。
にもかかわらず、全力で走らなければ行けない雰囲気しかないから、壮絶なのである。

そして、犯罪は、走り幅跳びだと思う。それも、試技が一回限りの走り幅跳び。
人を殺してはいけないという踏み切りの白線は、真っ白くはっきりと引かれているのである。
だから、ただ勝ちたいため、栄誉に浴して自己満足したいため、自分のエゴのため、ファールを犯しては絶対にいけないのである。例えギリギリでも白線の内で、跳躍しなければならないのである。
これは競技ルールだから、「ワザとじゃない!」も、「自分では内だと思った!」も、「誰かが押したんだもん!」も、どんな屁理屈も通用しないのである。
そして、ファールを犯したら、自動的に失格であり、「お願いだから、もう一回!」なんて、もっての外なのである。
どうだろう?東仙坊がキチガイなのだろうか?

Please don't forget the rule of Long Jump for the justice which has the only one trial (正義のための走り幅跳びの試技は1回だということを忘れるな)!

それでは、ようやく本題の検証プロファイリングに入る。

to be continued…



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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-2

We have to call the motherfucker who killed somebody a mad man(人を殺したタコをキチガイと呼ぼう)!

この国のモラルがなぜここまで完膚なきまで喪失してしまったのか?
なぜここまで自己中心的な犯罪が止まないのか?
実は、そんなに複雑怪奇な原因がある訳ではない。
いつからか誰もが一見善人面をしなければいけないような世間の悪しき風潮ができ上がってしまったからである。
明朗快活で清廉潔白を演じていなければ、生きにくい社会が完成させられてしまったのである。
つまり、絶対的な一つの神を信仰していなかった国民が、神様の言う正義や博愛や平等の前で、なぜかよくわからないまま跪き、あたりをそっと見回しながら、敬虔に従順に協調し合うことが日常になってしまったのである。
そこでは、自分の直感や勘は抑圧され、できるかぎり衝突や摩擦を避けなければならなく、どんなに不快なことや不愉快なことがあっても、じっと忍耐しなければならなくなったのである。
それはそれで、適正な面もある。
少なくても、自分の感情をコントロールする必要があるからである。
ならば、なぜこのように、簡単に人を殺せるようになってしまったのか?
ここに問題がある。
そうでなくとも、元々臆病で控え目で恥ずかしがり屋だった日本人が、ことさら浅薄で表層的な取り繕うだけのつきあい的人間関係を構築してしまったために、communicationコミュニケーション以前のconversationカンバセーションまでができなくなってしまったのである。
つまり、たわいのない言い争いや些細な口喧嘩までが、全然できなくなってしまったのである。
ましてや、口角泡を飛ばしてのdiscussionディスカッションなんて夢物語なのである。
なんとも言えないようなやさしい眼差し、とろけてしまうように心地よい抱擁や手触り、熱気を帯びたsomethingやvibrationバイブレーションのある生の会話がなくて、生きていて何が楽しいのだろう?
そう言えば、警察庁が発表した、昨年度(2007)の全国の警察が受理したDVの相談・被害は、ついに2万件(前年比15.1%増)を超え、過去最高(2万992件)を記録したという。そして、ストーカー被害も1万1581件(前年比7.7%増)と過去最高になったという。その関係は、交際相手が6631件(57.2%)で、動機は「好意の感情」が8026件(67.9%)、「好意が満たされず怨恨の感情」が3527件(29.9%)だという。
相手をどこにも思いやらない好意となるものって、一体何なのだろう?
自分の好意を寄せる対象に、より生き生きとしてもらう、より輝くようになってもらう、より幸せになってもらう以外の意味があるのだろうか?
東仙坊、全く理解できない。
その意味で、恋愛に対するこのような未熟さ、無知蒙昧さ、鈍感さも、間違いなく犯罪増加の一因になっていると言える。

I would better die even though I could talk to nobody with my mouth(生で話せないくらいなら死んだほうがマシ)!

この東仙坊、以前にも正直に告白した通り、時間さえあれば人と話をしている。
生きていることそのものが、話していることだと言っても、過言ではない。
どんなwonderfulな恋人同士だろうと、夫婦だろうと、家族だろうと、友だちだろうと、sense of humor(ユーモア)やwitty(機知)やsmile(微笑)のある生の会話がなかったら、何の感動があるのだろう?
現人類は、言語の発達によって、約6万年前に、旧人類に代わって、前回書き込んだように他の動物に食べられないようにしながら、生き残ってきたはずなのである。
まさか、その頃に、GPSやインターネットや携帯電話や無線があったかも?と考える人もいないと思うが…?
全ては口と口とでの生の会話が本質なのではないか?
それは、今後どれだけ科学が発達しても、変わらないと思うが、どうだろう?
例え、匂いを持つロボットや温もりのあるサイボーグが作られても、生の会話はできないと思うがどうだろう?
ところで、人を殺してもいいアスペルガー症候群患者って、生の会話はできなかったんだっけ?
どうか思い出して欲しい。
我々の先人である戦国武士たちは、戦場で殺し合う前に、自分の氏素性をお互いに大声で名乗り合ったのだということを…。
可笑しいだろ?笑えるだろ?
でも、どこか尊敬できると思わないか?
日本人の本性は、beautifulなあの国の人たちと違って、顔も見えないような遠くからライフルで撃つのではなく、超至近距離で大声を出し合いながら泥臭く、それでも卑屈にならず正々堂々戦うことだったのじゃないのか?
その意味で、泣いたり喚いたりすることもなく、殴り合うことさえなく、時間が経ってから、自分の身近な人を不意討ちにすることが、どれだけ卑怯なことなのかということは、わかってもらえただろうか?
それも背後から、カッターでノドを掻き切ったり、ハンマーで殴りかかったりなんて、言語道断だと思わないか?
どうあれ、東仙坊、人と話ができなくなったら、侃々諤々、喧々囂々でのargument(議論)ができなくなったら、その時は潔く死ぬときだと覚悟している。
えっ、障害や病気で話せない人はどうするんだって?
そういう考え自体が、表面的で薄っぺらだと言っているのである。
念のために言っておくが、障害や病気で話せない人だって、きちんと生の会話をしている、そんなことも知らないのか?
それどころか、それらの人たちの方が、類い稀なinspiration(インスピレーション)で我々より流暢に話をしている。
また、話しがそれそうなので、もう一度まとめておく。
なぜ、こんなに卑怯で卑劣な犯罪が増えたのか?
自分の素直な感情をぶっつけ合っての直接的な言い争いや口争いができなくなってしまったからに他ならない。
そのために、内面的な成長が全くないのである。
それが、間違いなく原因の一つである。

Anybody couldn't grow up any more without lots of quarrels(口喧嘩なしでは誰も成長できない)!

to be continued…





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検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-1

Do you know that unreal homicidal maniac princess should be back into our lives before soon(あの殺人鬼姫がもうすぐ我々の生活の中へ戻ってくるのを知ってる)?

3月5日、佐世保銃乱射殺人事件のあのアホンダラ馬込政義を、被疑者死亡のまま不起訴処分と長崎地検佐世保支部が決定した。
つまり、あのアホンダラの散弾銃によって、たった1度の貴重な人生を、自分たちの意思を無視して突然寸断崩壊されてしまった2人の被害者の事件、その残忍卑劣な犯人が不意にいなくなっただけでなく、事件そのものが全くgone(消滅)してしまったのである。
これは、このうえ窮まりない生き地獄の恐怖を味あわされた6人の重軽傷者たちの事件そのものも、どこか宇宙の彼方に葬り去られてしまったことでもある。
こんなことって、世の中に本当にあっていいのだろうか?
これだから、卑劣で卑怯な犯罪が跡を絶たないのではないのか?
それで思い出した。

2002年3月7日、佐世保で、29歳の新婚2ヶ月の主婦が、気の狂った20歳のキチガイ(?)に、顔と胸をハサミと包丁でメッタ刺しにされて殺された事件も、たった6ヶ月の捜査で心神喪失(?)とやらで、同じく長崎地検佐世保支部で不起訴処分になっている。

2007年7月1日、長崎市で、12歳のコザカシイ男子中学生サイコパスが、4歳の男児を全裸にし殴る蹴るの暴行を加えたうえ性器をハサミで切り刻んで、大型家電店の屋上から投げ捨てて殺した事件も、長崎家庭裁判所が、「アスペルガー症候群」とやらで児童自立支援施設「国立武蔵野学院」収容(?)と強制措置と決定し、その本物の餓鬼は今ものうのうと生きている。

東仙坊、無教養なせいか、そのアシタニハ ベロダシテル ダローガーなんちゃらの病名?が、ちゃんちゃらおかしくて、思わずヘソで茶を沸かした。
それだって最近では偏見だと抗議を受け、「統合失調症」とか「広汎性発達障害」とかとネーミングを変えさせられている、フレキシブルで実体のない正体不明のものなのである。
ようは、相手の仕草や状況や雰囲気の読めない心の障害なので、知的障害のほとんどないという摩訶不思議な犯罪責任を負わなくてすむ病気らしい。
でも、これって、今流行(?)の KYのことじゃないのか?
そうしたら、我が国1億2000万人のほとんどがアスペルガー症候群で、ほとんどの人が殺人を犯してないことが奇跡ということにならないのか?
まさか、フィギュアスケートの採点が絶対公平だと今さら言うわけではないだろう?
世界一のお人好しで、罪を憎んでもヒトを憎まぬ世界一の宗教人口を誇るキリスト教徒よりも神様を信じる(?)日本人だから、それでいいのかもしれないが…。
そう言えば、東仙坊が始めようとしている検証プロファイリングの事件、佐世保小6同級生殺人の12歳のバーチャル餓鬼姫も、あれほど当初精神鑑定が必要ないと言われてたのに、いつのまにかされてたらしく、アスペルガー症候群となっていて、どうやらこの現実社会に今年復帰してくるらしい。
また、一方の長野義妹殺人のヘチャムクレも裁判で精神鑑定を請求する方向である。
こんなことで、本当にいいのか?
ついでながら、東仙坊、セレブ妻っていうだけで苦笑して書き込むのもイヤだった、夫バラバラ殺人犯、三橋歌織(33歳)も、このままだと心神喪失で不起訴になるかもしれないという。
こんなのってアリなのか?!
もし、この不届き千万のサイコパス妻が無罪になったら、世の中ノーガードの殺し合いになると思わないか?
ちなみに、マスコミに尋ねてみたい、バラバラ殺人をしても「セレブ」なのだろうか?
「セレブ」とは、あの国のNY州知事のように1回43万円で高級娼婦を買い、妻と一緒に報道会見で謝罪する人を指すのではないのか?

Anybody in the whole world would love the Japanese. Because our taste is just so sweet(とっても味が甘いから、日本人は世界中で愛されている)!

そもそも、東仙坊、このブログを立ち上げようと決意した最大の直接的契機が、昨年、2007年、11月7日、長野県富士見町で、ヘチャムクレの五味咲(24歳)が、同い年の義妹を殺した事件が起き、その犯行手口と動機が明らかになり始め、
「これじゃ。一回りも歳が違うのに、佐世保の小6同級生殺人事件と同じじゃないか!何と稚拙で未成熟な2人なんだろう」と瞬時に直感したことだった。
そして、その後、報道が被害者の小姑の非人間性ばかりにスポットライトが当たり、
「何でいつもこうなのだろう?何でいつでも被害者がストリップにされ、加害者には十二単衣を着せベールを何重にもかけるのだろう?どんなイイコもイイヒトも、殺人を犯した時点で、200%許しがたい悪者で、何て酷いヤツ!何て言う恥さらし!生きている価値も権利もない、縛り首だとストレートに言えないんだ」と強い義憤に駆られたからだった。

直後から、東仙坊、真剣に考えに考え抜いた。
それこそ、アスペルガー症候群患者のように、眠らずに一心不乱にアイディアを練った。
「どうしたらヒトにこれ以上殺人をさせなくさせられるか?」
「どうしたらヒトに簡単に殺されなくさせられるか?」
どうせ「そんなことは無理だ。どうやってキチガイを止められるの?どうやったら、キチガイから身を守るの?」と聞かれるだろうから、先に答えておく。
どちらも一緒。
まず世の中にキチガイなんかいない、みんな同じと正直に認めること。
次に、殺した相手は2度と元に戻らず、殺されたら2度と生き返れず自分の一巻の終わりだと、それこそ死ぬほど痛感すること。
最後に、目には目、歯には歯、死には死しかないと覚悟しあうこと。
東仙坊の答えが過激でhuman じゃないと言う方に教えて欲しい。
今の今まで(この先は分からないけど)、核抑止力は効果的だったのではないのか?
誰だって、いくら所詮いつかは死ぬ運命だと分かっていても、自らの手でそれをあえて早めたくないのは本音じゃないのか?
いかなる理由があろうと、何人も、それこそ神さえも、人の命を傍若無人に意のままに操ることも弄ぶこともできないと思わないか?
だから、犯罪者に一切の情状酌量があってはいけないのではないのか?
これも、もう一度言う、フィギュアスケートの採点じゃないのか?

たかが、人間。
人間が弱い存在であることは、東仙坊も認める。
ましてや、あれこれと悩んだり、思案できるから始末が悪い。
されど、人間。
あれこれ悩めるから、生きて存在する意義があるのではないのか?
殺人という卑劣で卑怯なか細い一線を、will(強い意志)とunder control (自制心)で踏み留まるところに、人間の尊厳と価値があるのではないのか?
東仙坊、言われてきたように、今まで人類は、「Man the hunter」、他の動物をハンティングで制圧してきたと思っていたら、ドナ・ハートとロバート・サスマンの「Man the hunted(ヒトは食べられて進化した)」によると、実際は真逆だという。



その自然人類学的調査によると、ヒトは食べられ続け、それから必死に逃れようとして仲間と協力して戦い、人間らしく助け合って、生き延びてきたために、社会性が強くなってきたのであるという。
これは、現代社会の1条の光明と言えないか?
スピーディーにリスクを伝え合い、共有し合うことで、リスクをヘッジする。これは本来我々日本人の得意分野で、甘ちゃんアマチュア探偵団の結成理由でもある。

どちらにしても、そんな日本の箍がここまで緩んでしまったのはなぜなのか?
それを、東仙坊、12歳同士の女子生徒同級生が引き起こした事件と24歳の義姉妹が引き起こした事件に、その共通した原因を見つけたので、検証したい。

Exactly stare at yourself around, or you must be involved in something wrong(よくよく自分の周りを見てないと、イヤなことに巻き込まれる)!

to be continued…




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プロファイリング-7 静岡沼津女性殺害事件-2

Why is it so different about the detail of this case by a newspaper(事件の詳細がなぜ新聞によってこんなに違うのか)?

今、東仙坊、ことあるごとに、あの「アース・オデッセイ 地球とは何だ!?」の番組内で、コメンテーターのモデルSHIHOが、感涙しながら叫んでいた言葉を脳裏で反芻している。
「(20億年前の景色をヘリで一望しながら)こうして生きていて、これを見てること自体がすばらしいことですよね!」
「(2億年前の木の化石を手にしながら)2億年後ぐらい、誰かにこうして、これが人間なんだ!これが人間の化石なんだ!なんて言われちゃうんですかね?」
それにしても、SHIHOの感性には感心させられた。
たかが人間、されど人間。
そう自分に必死で言い聞かせ、東仙坊、
「こうして生きているだけで丸儲け!」と微笑み、
「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団。勇気凛々…」とカラ元気を出しながら、
このブログを書き込んでいる。


■東仙坊がプロファイリングする、この事件の犯人像

①ホシは、被害者と肉体関係のあるオトコの一人で、パトロン的存在である。
そのために、やむを得ず被害者を金銭的サポートしていた、かなり嫉妬深く、傲慢で、自己中心的なドケチ・アマン(情夫)である。


東仙坊、再三再四声が嗄れるほど叫んでいるように、どんな人間でも生活をしてる以上、その糧(カテ)が絶対的に必要なのである。それゆえ、いつもその見地に立った洞察を最優先にすべきである。
誰一人としてカスミを食べて生きてはいられない、超現実を抱えている。
被害者の生活環境、どう考えてみても、普通と感じられないのだが、どうだろう?
これだけ実家に寄生してるのだから、両親が金持なのか?
夫が死んで高額の保険金を手にしたのか?
夫と離婚して高額の慰謝料を手にしたのか?
被害者自身が、各種宝くじ、サッカーのBIG、各種ギャンブル、day trading(個人株取引)か何かで、大金を手にしたのか?
至極当たり前の生活者にしか見えないが、どうだろう?
昨年、沼津市内のスナックで働いていたというが、暇つぶしでやっていた訳ではないのでは?
では、その前は、どうやって生計を立てていたのか?
それが、病弱で働けなくなって、せっかく実家を出たのに、また戻らなければならなくなったのではないのか?
事実、12月8日、被害者は「病院に行くから」と取っていた新聞を断っている。
そんな情況になると、まだ43歳の女盛りであることを利用してしまうのは自然ではないのか?
東仙坊、何もhookerと言っているのではない。
人類生誕以来、女性が女性だけが持つskill(特殊な力)に頼って生きることは、極めてnormal(普通)であり、男性だってそれを喜んで受け入れると思うのだが、どうだろう?
それどころか、女性が至福の時間を過ごしているのを見守ることが、男性の生きがいなのではないのか?
事実、当日も知人なる男性(?)と一緒に実家に帰っている。
その女盛りの年齢の女性に、好意を持ったオトコが1人や2人いるのは当然じゃないのか?
実際、被害者がわざわざ実家から出てアパートを借りたということも、それと関わっていると思わないか?
長女が学校に行って部屋を空ける時間に、逢えるオトコがいたのでないのか?
どうあれ、悲劇的なことに、被害者は男の風上にも置けない卑劣なドケチ・アマンによって、むごい殺され方で殺害されたのである。
断じてそんなドケチ・アマンを許してはいけない。
その胸くその悪いドケチ・アマンは、女性の携帯電話をチェックするようなイヤなオトコなのである。
だから、被害者はわざわざ携帯電話を実家に残して出かけたのである。
そして、そんな被害者の日常性向を証明しているのが、多感なはずの長男が母親との別居を選択していることである。
その考察は、八戸母子3人殺害事件を思い出せば明白である。

②ホシは、被害者とすでに実家付近で、決められた日の決められた時間に、たびたび密会している。
その意味で、決しておおらかでなく、粘着的で執拗で、女性をモノのように扱う低劣なオトコである。


被害者がなぜ家族に何も言わずに外出したのか?
それは、間違いなくそのホシの要求を拒めず、仕方なく逢いに行ったのである。
特に、この日は予定外(?)の別のオトコと一緒なので、あるいは内心会いに行きたくない気持ちがあったので、余計そっと家を離れたはずである。
つまり、被害者の実家に訪ねることができた当日のオトコと違い、堂々と被害者両親と会えない、もしくは、被害者自身が両親と会わせたくない、そんな立場のオトコなのである。
事実、2月上旬頃から、遺棄現場周辺で不審な外車が目撃されている。その車は民家前の路上にエンジンをかけたまま停車し、数十分置きに、細かく移動していたという。
それがホシの車だと東仙坊は断言する。
それゆえ、警察の捜査は、その車の割り出しに全力を注ぐべきだと進言する。
このドケチ・アマンは、被害者に直接連絡すること自体を、被害者の家族の周りに自分の存在が知られることを、極めて恐れている。
当然、自分の家庭があり、社会的な立場(名誉な地位、もしくは不名誉な地位)もあり、自由にコンタクトし合えないということもある。
だから、ドケチ・アマンから被害者への発信は皆無のはず。
そして、逢うこと自体も自動的に決められた場所、決められた時間になっているのである。
その意味では、被害者の携帯電話の送信歴が、極めて重要で、もしかしたら実在する被害者の友人女性名ではないのかと思うだが?どうだろう?

③ホシは、もちろん計画的に殺害したのではなく、この夜の被害者の態度と言動に逆上し、ふざけろ!と、突発的に直情的に殺害したのである。

誰もが知ってるように、社会的な立場を持ったり、経済的に安定した脂っこいオトコは、往々に独善的で吝嗇な傾向が強い。
特に、このドケチ・アマンのようなcheapな手合は、女性を経済的に支援することがそのまま女性を自分の所有物と勘違いする。
ましてや、単なるその場の乗りや欲望で関係を持った場合は、本来あまり金銭を支払いたくないのである。いわゆる最低なオトコなのである。かといって、その関係を絶つのももったいなく、仕方なくその関係を維持するために、もったいぶりながら最低限の金銭的援助をするのである。だから、ネチネチベタベタとするし、焼きもちを凄く焼くのである。
そうなれば、当然女性の方も、そんなオトコがイヤになり始める。
被害者は、自分から仕掛けて、あるいは自分の意志に反して、この夜、別のオトコを実家に呼んでいる。
そして、それを知ってか知らないでか、ホシはいつものような行動を取ることを被害者に要求する。
ところが、この夜に限って、被害者は拒絶したのである。
もしかすると、そのこと自体をホシに告げてしまったのである。
それが、そのドケチ・アマンの逆鱗に触れ、残酷にも殺害されてしまった。
それが真相なのである。
被害者の「舌骨」が折られる殺され方は、ドケチ・アマンの逆上の度合いがそのまま出てしまったものなのである。
そして、そんな巧妙な手口で殺害し、サンダルをわざわざ揃えて置いたなら、そのまま海に投げ込めば自殺を装えたはずである。なぜそうしなかったのか?
どちらにしても、この嫉妬深いドケチ・アマンは、犯行後数日経って、わざわざ現場に行き、被害者のサンダルと靴下とズボン(?)を脱がせて、砂浜に置いたのではないのか?
というのも、千本浜の砂浜の南東は沼津港大型倉庫で遮られていて、砂浜の捜索さえすれば、夜明けには、そんなサンダルなどが見つかるのが当たり前ではないのか?
なぜそんなリスキーな行動をホシが取ったのか?
それは被害者と付き合ってた別のオトコたちへの独占のメッセージなのである。
ドケチ・アマンはドケチ・アマンで、そのぐらい自分のモノにちょっかいを駆けた他のオトコたちに対しても怒り心頭なのである。


それにしても、各新聞によって、これほど情報ソースが違う事件も見たことない。
N.P.D.がダメなのか?報道がダメなのか?とっても変な感じである。
とりわけ、N.P.D.は、2004年11月7日の夕方、静岡県沼津市内の実家に帰省していた女性(当時25歳)が、1人で犬の散歩途中、拉致され、実家付近の沼津市宮本地内山林内で、のこぎり刃兼用大型カッターで首を切られ失血死させられた、殺人・死体遺棄事件がまだ未解決であることを忘れているとしか思えない。
そう言えば、あの事件だって、あんなお粗末な不審者の手配書イラストで、本当にホシが見つかると考えているなら、頭が腐ってるとしか思えない。
それに、いくら捜査特別報償金対象事件だからといって、「応募期間」という表現はないだろうが!?
「応募」とは、何か楽しい懸賞に積極的に参加する気持ちにさせるということでは?
つまり、犯人逮捕に協力しようとする人は、懸賞金が目的ではなく、純粋な義憤からなのでは?
言語道断の不適切な表現は直ちに変えるべきだと思うが、どうだろう?
どちらにしても、一念発起、N.P.D.の一刻も早い両事件の解決を、心から期待している。

以上が、東仙坊の静岡沼津女性殺害事件プロファイリングである。

I got be disappointed to look at the WANTED of that case(あの事件の手配イラストにはガッカリ)!



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日本砂漠化プロファイリング 番外編 どうしたんだ?マスコミ?

I don’t know what happens to the Japanese mass media now(日本のマスコミに何が起きてるんだ)!

東仙坊、引くに引けない状況から、後悔しつつも「世界不可視的戦争」プロファイリングをしている間に、我が国は、とっても変なことになってしまっている。
国を揺るがす大不祥事である海上自衛隊衝突問題も、道路特定財源問題も、中国輸入食品問題も、すっかりどこかに追いやられ、連日、訳の分からない三浦和義の逮捕にマスコミは集中砲火を浴びせている。
凄く変だと思わないか?
こんな深刻な現状なのに、なぜいまあんなクソッタレの権化の顔を毎日見せられなきゃならないのだろう?
正直、あんなセコイ万引きで裁判中の時代遅れのクソッタレが、ロスで煮られようが、USAで焼かれようが、どうでもイイと思わないか?
顔も見たくない、虫ずが走る、反吐が出る、そんな気持ちじゃないのか?
ここまで稚拙なマスコミ誘導をされると、腹が立って、腹が立って、胃が疼いて、
「いい加減にしろ!」と、テレビのリモコンを投げつけたくならないか?
どこか一つでもいいから、「どうなってるんだ捜査は、守口警察署!」って、やって欲しいと思わないか?

I might be suffering from acute gastroenteritis (急性胃腸炎になったかも)!

お陰で、憔悴し切っていた、よせばいいのに東仙坊、先週の土曜日、3月1日、TBSがイギリスBBCと共同制作した、「アース・オデッセイ 地球とは何だ!?」を観てしまい、胃がピョコンピョコンなってしまった。
特に、地球の20億年前の姿が地球上で唯一見られる大渓谷グランドキャニオン(全長446km:東京から岩手、最深地点1,600m)の話しには、目が飛び出て、息ができなくなった。
あれだけ見ていたのに、遊覧飛行までしていたのに、この東仙坊、何にも知らなかった。
7千万年前に大地殻変動で隆起し、標高2,300mの1番高いところに2億5千万年前にできた海底があるのだということ(これだけは何となく感じてはいた…)。
それが、全長2,333kmのコロラド川が600万年間もかけて削り続け、今の形を作っていて、さらに何百万年後には、モニュメントバレーと同じような何もないビュート(残丘)になってしまうこと。
そして、最も衝撃だったのが、バーミリオンクリフス国定公園にある、the waveと呼ばれる1億9千万年前の砂でできた岩、すなわち砂漠の化石だった。
その模様は、完全に東仙坊の胃をとらえた。
ちょうど胃カメラで見た、自分の胃に似ていたからである。
どちらにしろ、地球が人間と同じ生命体だということを再確認させられた。

知っているだろうか?
地球が1度死にかけたことを。
知っているだろうか?
今ここに私たちが存在していられること自体が宇宙規模のまぐれ当たりであることを。
知っているだろうか?
あと、5億年で地球上の生物は死滅し、さらに数十億年で地球自体が太陽に焼き尽くされてしまうことを。



この言葉は、疼いている東仙坊の胃にカラシを塗った。
コヨーテビュートに住むインディアンのナバホ族の長老が言っていた、
「大地は母で、雨や川は血液で、我々人間は大地に生かされている」と。
なのに、なぜ、北極海で、大地の血液かもしれない石油、大地のリンパ液かもしれない天然ガスを、わざわざ大地を傷つけ無理やり奪おうとするのか?
なにが金儲けなんだ?なにが経済なんだ?
東仙坊には、やはり到底理解できない。

偶然にも、その翌日、3月2日、フランス国営放送制作のテレビ番組で、ロシアの「ガスプロム」の特集と、「Puさん」の特集を観た。
東仙坊がプロファイリングした通り、相当ヤバイと思う。
誰が考えても、三浦和義でバカ騒ぎしている場合ではないと思うのだが、どうだろう?

どちらにしろ、東仙坊、今反省して、小さく小さく事件のプロファイリングに戻ろうと決意している。アカギレを作り、シモヤケを作り、自分の立場をわきまえることにした。
ぜひ、ご期待あれ。

I will be back to where I belonged, I swear(もとの事件プロファイリングに戻ると誓う)!


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プロファイリング-7 静岡沼津女性殺害事件-1

This case is so strange what it is (この事件は何か変)!

東仙坊、約束通り、首をうなだれ、タバコをガンガンに吸いつつ、本来の事件プロファイリングに入ることにする。
「5億年後に地球が消滅しようと、人間が自分たちの手でそれをどんどん早めようが、お好きなように」、そんな諦めの境地である。
そんなことよりも、今我が国のモラル低下の最大原因といえる、残忍な犯罪者がすぐ捕まらないことのほうが大問題だと、確信してもいる。
3月5日、博報堂の社員、矢飼清正(41歳)と上崎史登(24歳)の2人が、「セレブ飲み会」と称し、睡眠薬入りワインを飲ませ、準強制わいせつ罪で逮捕された。
どれも本当に卑劣で情けなくてみっともない犯罪で、同業である東仙坊まで、恥ずかしい。
「そんな仕事をやってるのなら、女性の方からどんどん好意を持たれるような男になれ!」
どうあれ、東仙坊が、今なぜか気になっている「静岡沼津女性殺害事件」のプロファイリングから始めたいと思う。


■現時点で、新聞記事などで知りうる限りの事件の断片的概要

先月、2月25日午後2時頃、静岡県沼津市千本郷林の雑木林で、43歳の女性が、仰向けに裸足で殺害されているのが発見された。
遺体発見現場は、JR沼津駅から南西1.5km、駿河湾に面した千本浜海岸近くの閑静な住宅街にある大きな民家の敷地内。その民家は40年前に建てられ、ここ10年は誰も住んでいない。
この残忍な犯行の被害者は、2月16日、現場から100mにある自分の実家で、両親、長女(15歳)、知人の5人で夕飯を共にとった後、午後9時頃(?)、家族に内緒で外出して帰らず、翌17日午前3時、母親(69歳)がNumazu Police Department(N.P.D.:沼津警察署)に捜索願を出し、行方が探されていた。
被害者は最近、沼津市上香貫三園町に長女と2人でアパートを借りていたが、当日も、いつものように近くの実家に戻っている。
被害者は、携帯電話や財布を実家に置いたままで外出し、白いダウンジャケット、サンダルという普段着のままだった。
遺体発見数日前に、遺棄現場から数十メートル離れた海岸の砂浜で、被害者のサンダルと靴下とズボン(?)が一緒に見つかり、その付近の重点捜索により、ようやく遺体が見つかったのである。
その遺体発見現場の民家では、偶然16日から新しい入居者のためにほぼ連日改築作業の施工業者たちが数多く出入りしていたが、建物裏の奥の雑木林の下で、約2mのブロック塀に囲まれ、昼間でもかなり薄暗く、なかなか発見されなかったようである。
司法解剖の結果、死因は頚部圧迫による窒息死。しかし、被害者の首の回りにはロープなどで締められた後に残る索条痕や素手で首を締めたときにできる指の痕もなく、それでいて、顎の下の「舌骨」と近くの軟骨2ヶ所の骨が折れていたという。
おそらく腕を巻かれて強く締められたか、手袋をはめた手でかなり強く喉の奥を圧迫されたとみられる。
また、死亡推定時刻は、16日から17日にかけてで、胃の内容物がほとんど消化されていなかった。
被害者の遺体には、顔と手足に若干の擦り傷があったが、むき出しにされた脚と裸足の足の裏には傷がなく、遺体そのものを引きずった跡はなかったという。
また、着衣に乱れはなかった。
2月16日夜、現場近くの防犯カメラに不審な男が映っており、その男は一人で民家から北西約50mある路地を抜け、海岸方向に歩いていったようである。
また、事件後、現場近くで暮らしていた路上生活者が行方不明になったとわかり、捜査本部はその行方を追っているという。
なお、被害者の携帯電話の着信履歴には、別段怪しい内容(?)はなかったということである。


■この事件の重大ないくつかの不可解な点

①被害者女性は、なぜ、家族に何も伝えず外出したのか?
なぜ、携帯電話も財布も持たずに外出したのか?

②誰も被害者が出かけたことに気づかなかったというのに、なぜそれが午後9時だとわかるのか?
それが家族の誰かが最後に被害者を家の中で確認した時刻というなら、それは誰なのか?

③一緒に夕飯を食べたというが、それは厳密に何時頃だったのか?
そして、一緒に夕飯を食べた知人とは、男性なのか?女性なのか?
おそらく被害者と交際している男性の一人だと思うが、食後帰ってしまったのか?
被害者が行方不明になった時はどこにいたのか?
両親と一緒に捜索に加わったのか?

④家族は当然まず自分たちだけで被害者を捜索したはずだろうが、それは何時頃からやったのか?家に被害者がいないことを家族が気にしだしたのは一体何時なのか?
一番敏感な年ごろの長女がいたのでは?
N.P.D.への捜索願はなぜ午前3時になったのか?
つまり、被害者は、実家に戻るたびに、このように無断で外出することが多かったのではないのか?

⑤遺体遺棄現場が実家とたった100mしか離れていないのになぜ発見までに9日間もかかったのか?
とりわけ、サンダルと靴下とズボン(?)は砂浜にあったのではないのか?
なぜすぐにそれがみつからなかったのか?

⑥なぜ靴下まで脱いだのか?あるいは脱がされたのか?
2月中旬といえばまだ極寒。被害者が自ら脱いだのか、ホシが脱がせたのかは別にしても、それは一体何のためなのか?

⑦被害者は財布を持っていなかった。レイプもされていなかった。
ではホシは何のために被害者を襲い、殺害したのか?

⑧被害者は15歳の子どもの母親である。それでは、一体どのように生計を立てていたのか?
被害者は病弱で働いていなかった。
この親子は、両親にたかるパラサイトだったのか?
昨年、沼津市内のスナックで働いていたようだが、なぜ辞めてしまったのか?
しかも、わざわざ実家からすぐ近くのところへ昨年8月にアパートを借りているのである。
では、その家賃はどうやって払ったのか?
何のために、部屋を借りたのか?

⑨被害者には、長男(年齢不明)もいるが、別居しているという。
おそらくは、まだ高校を出たばかりくらいの年齢ではないかと推察するが、なぜ彼は、母親のために、妹のために、家を支えようとしなかったのか?

⑩どうあれ、被害者には夫がいないようだが、それは死別したのか?それとも離婚したのか?
仮に離婚していたとしても、その父親と子どもたちと接点はなかったのか?
特に、長男とは?
そして、その父親はいまどこで何をしているのか?

I can’t understand that such a mother should try to take care of her children without a job (働かずに子どもを育てようとするシングルマザーがどうしているのだろう)?

To be continued…

プロファイリング-6 「世界不可視的戦争」今すぐそこにある重大危機-11

I feel there are anything strange again(再び何か変だ)!

東仙坊、今、いやというほど感じさせられている。
世界中で蠢く金の亡者どもは、一体人類をどうしたいのか?
どんな未来を描いているのか?
実は、何も考えていないし、何も解っていないだけでは?
とにかく経済だ、金だ、それが世界のたった一つのコンセンサスなのでは?
果たして、それが日本人の精神性に本当に合うのだろうか?
我々日本人は、摩訶不思議な生命というものに、厳粛に対峙し、ひたすら自らに苦行を課し、自分の魂のうちに涅槃を求める、魂の求道者ではなかったのか?
安息は、お金からではなく、その魂からもたらされるのではなかったのか?
そんな我々日本人が、どんなにねじり鉢巻きしても、ここまで冷酷にはなれないのでは?
東仙坊、このプロファイリングの冒頭で、あの国の大統領選のことを取り上げ、テキサス石油資本とウォール街との戦争だと明言した。
それに付け加えると、実際は、新興石油資本と、ヨーロッパ系ユダヤ金融資本と、老舗成金ユダヤ石油資本との三つ巴の戦争なのである。
厳密には、ウォール街の中で、ヨーロッパ系ユダヤ金融資本と老舗ユダヤ石油資本が毎日別の戦争を繰り広げているが、こと大統領選の時だけは利害が一致し、はた目には、一つに見えるのである。
目を大きく開けて聞いて欲しい。
ウォール街は、金のためなら何でもありである。そのためなら、ヒットラーのスポンサーもするし、スターリンのスポンサーもするし、気骨のある日本人を滅亡させるために、戦争に追い込むし、原爆も落とすし、その後チョコレートも配るのである。
そして、冷戦まで創作し、軍需産業でまた儲けるのである。
東仙坊は断言する。民主党のF・ルーズベル大統領、H・トルーマン大統領は間違いなく「GRU」のスパイで、老舗ユダヤ石油資本のpuppet(傀儡:かれらはわが国の天皇をこう呼んでいた)に決まっている。
つまり、世界中、最初からどこにも、イデオロギー問題なんて存在しないのである。
全てが錬金術に絡んだ巧妙なトリックなのである。
ヨーロッパ系ユダヤ金融資本がロシア革命を仕掛け、世界一の金保有者だったロマノフ王朝の金を半ば強奪してガッポリ稼ぐと、負けじと老舗ユダヤ石油資本がスターリンを使って稼ごうとしたのが、第二次世界大戦なのである。「コミンテルン」のスポンサーが老舗ユダヤ石油資本なのだ。
それだって、ヨーロッパ系ユダヤ金融資本が、中近東の石油でヘマし、老舗ユダヤ石油資本に出し抜きを喰らい、仕方なく当時勢力を拡大し始めていた我が国に接近したのが原因である。そうはさせないと老舗ユダヤ石油資本が「GRU」を使って、日本をペテンにかけただけなのだ。
何か凄く納得できないか?
東仙坊、何十年間の胸のつかえが取れた気がする。
有名なスパイであるゾルゲが「GRU」に属していたこと、張作霖事件を起こしたのが「GRU」だったことはすでに証明されている。
もっと知りたければ、英国に亡命した元KGB対外情報局文書課長ミトローヒンが書いた「The Mitrokhin Archive」も読むといい。ただし、これも英語版だけ。



誰もが推測できるように、これが出版されると困る日本人の政治屋たちがゾロゾロいるから、相当な圧力を掛けているのに決まっている。
やっぱり、この国の政治屋どもは情けない。

ところで、昨年2007年9月10日、民主党の両大統領候補に、中国人スパイ、ノーマン・シュー(56歳)から、多額の迂回献金があったことを覚えてるか?
何かすごく変だと思わないか?

そんなことより、この先、我々日本はどうなるのかって?
いつも日本人が日本人らしく真摯に思いやりを忘れず正々堂々としてさえいれば、まだまだ十分に活路があると、東仙坊、まだ諦めていない。

1番目の活路は、日高義樹が記述している通り、「いくら石油が金になると言っても、石油は見つける、掘り出す、輸送する、精製することが大変難しい」はず。
ましてや北極海の石油って、一体どんな環境下でそれらをしなければならないと思う?
今、世界中の石油産業において、どれだけの分野で、追随を許さない日本の高度技術が必要とされていると思う?
ほぼ全ての分野でと言っても過言ではないのである。
とにかく、これからは、それらの卓越したハイテク技術を決して安売りせず、絶えず交渉のためのjorker(最後の切り札)として小出しに使い続けるしかない。
よくどんな映画やドラマでも、極悪人がエンジニアだけはなかなか殺さないだろ、それを狙うしかないと思う。結局最後は殺されてしまうにしても…。
特に、ロシアは日本のハイテク技術をヨダレ垂らすほど欲しいはず。
これほどスパイ活動しているの見れば、一目瞭然。
だから、絶対にスパイになってはいけないのだ!!

2番目の活路は、同じく日高義樹が記述している「石油に関する全てのパテントをヒューストンが持っている」とあったこと。
東仙坊、実はこれで初めて、北極海の石油に、USAが泰然自若と余裕を見せている理由が解ったのである。
そのキー・カンパニーが、あの「aviator(アビエイター:飛行士)」、ハワード・ヒューズの会社だと分かって、理屈ぬきで凄くホッとしてこないか?



彼がどう見てもユダヤではない、とかいう問題でなく、ハワード・ヒューズ(これも映画のせいかも…)に、人間的な共感を覚えるからである。
それにしても、何でこんなお人好しの日本人をユダヤ人がここまで嫌うのか、東仙坊、10数年前に、ユダヤ人の友人に率直に聞いてみたことがある。
「嫌いじゃない。ただ、平気で神様なんか信じてないと言うことは多少気にはなるけど…。オマエのように、こんな風に面と向かって何も聞かないし、一体自分がどんな風に思われてるのか不安になるときがある…。本当にユダヤ人を差別していないなら、オマエ、ユダヤ人だろ?って聞いてみたってイイと思うし…。聞くは聞くで、その聞くときの態度や声の調子が…何かこう…。信じにくいんだよ、はっきりしなくて、どこか小ばかにされているようで…」
東仙坊、正直言って、この問題の解決は簡単じゃないと思っている。
片や、いつも光を探し、いつでも光を求め、いつまでも光の彼方にあるものをじっと見つめて生きている人種。
片や、いつも影を意識し、時には影に脅え、いつのまにか光が織り成す影をそっと見つめて生きている人種。
本質的には、本物のデラシネ(根無し草)と心のデラシネとして仲間のはずなのに、太陽と月ほどの距離が遠い関係だと、東仙坊、感じている。
どうあれ、我が国がそんなヒューストンとピッタリ深く結びつけば、ちょっとは安心と思わないか?
それは、国を挙げて、共和党を応援しなきゃ、ということでなく、どこまでも人間的な絆を優先すべきだということなんだけど…。
でもこのままじゃ、なんとなく民主党の大統領が誕生しちゃうと思わないか?
東仙坊、このプロファイリング冒頭でも念を押したとおり、民主党のどちらが大統領になっても、そんな意味を含めて将来は明るくないと思うが?

最後の楽観的希望は、Puさんはともかく、ロシア国民が、なんとなく日本を、日本人を好きなんじゃないかと感じるのは、東仙坊だけの自惚れなのか?
決して街にロシアンパブが氾濫してるからではない(それも多少あるかも…)。かってのルーズソックス、厚底サンダル、109系ファッション、カラオケ、マンガ、寿司ブームの比じゃないほど、ロシアは今、大日本ブームなのである。それに、折からの石油高騰が重なり、高級日本車、日本製バイク、日本製高額電化製品、メイドカフェやマンガレストラン(?)などが大人気で、幸運なことにロシア人は日本のファッションが、日本の文化が好きなようなのである。
それこそが、わが国が生き延びてゆくための、たった一つの希望ではないのか?
ちょっと甘過ぎるかもしれなくても、ちょっと寂し過ぎるかもしれなくても、他に方法はないのでは?
どんどん技術と文化を向上させてゆけば、活路になると思わないか?

大きな借金を、2人の他人からしている。
そして、返済できないと2人に開き直っている。
そのうち、ひょんなことからその2人がケンカして、なぜか両方とも死んでしまう。
その時、自分の借金は一体どうなる?
ウォール街って、なんとなくそんな考え方してるようで、怖くないか?
ちなみに、あの国って今、凄い借金大国ではなかったか?
そして、同じ借金国なのに、なぜかあの国に大金を貸しているのは、どことどこの国か?
もしかして、わが国?新宗主国?
ということは、凄く怖くないか?



これで、「世界不可視的戦争」のプロファイリングを終わりにする。
蛇足ながら、2月29日、新たにイージス艦中枢情報漏洩で内部調査を受けていた、海上自衛隊3等海佐(34歳)が、23日に失踪していることが分かった。
本当に何か変じゃないか?

I believe nobody could destroy this earth immediately (誰も今すぐこの地球を壊すことはできない)!



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