検証プロファイリング 愛知豊田女子高校生殺人事件と大阪府富田林高校生殺人事件の共通点-4
I believe all boys need is a rational love(少年に必要なすべては理性的な愛)!
東仙坊、この国のモラル再生のためには、常々、少年たちが少女とは異なり、より無邪気に清廉潔白に寛容になることが肝心だと考えている。
それは、単に「男はつらいのだ」ということではなく、そんな不可解で情念的な少女を、それでも見返りなど望まずひたすら愛せるほど成熟して欲しいと願っているからに他ならない。
たかが人生、されど人生。
そんな少女にいくら翻弄されても、あるいは裏切られても、それこそ目の前で自分以外の少年と性的関係を持っていたとしても、ひたすら少年に「だからこそ、自分が愛するのだ」と少女を愛し続けて欲しいとも願っている。
少年の持つ生来のやさしさは、そのくらい器の大きなもののはず。
その意味で、少年は少女にとって太陽であると同時に、海にもならなけばならない。
いくら内心動揺しようとも、じっと黙って少女の何もかもを受け入れなければならない。
その意味で、少年にとって最も必要な要素は、自分の愛を理性的に認識することである。
それこそ、少女との間に何が起ころうとも、冷静かつ怜悧に理性で克服しなければならない。
それしか、この世にモラルを再生する方法はないと言っても過言ではない。
その観点からすると、残念ながら、この2つの事件に、少年の本物の理性的な愛は見つからない。
少年が情けなくてみっともない、少女のような直情径行なモンスターに化した時点で、すべての愛が消滅してしまうというのに…。
何を言ってるのかって?
まず大阪府富田林高校生殺人事件のケースでは、もし少年が少しでも本物の愛を知る理性的な人間だったら、2人が偶然一緒に愛するCCG(少女らしく冷酷なシンデレラ・ガール)を通して、一つの共感からの少年同士の友情を育めたのではないかとさえ思っている。
それこそ、自分にない長所をお互いに認め合うことができたのではないかとさえ思っている。
何を寝ぼけたことを言ってるのかって?
本当にそう思わないか?
この地球上で、同じ時を刻みながら、たった一人の少女を愛する偶然性って、物凄く感動的だと思うがどうだろう?
それ以上に、摩訶不思議なことが他にあるだろうか?
もっともこの前提には、IBC(無邪気な青いキャベツ)とIBL(無知な青いレタス)の2人の少年が本当にそのCCGを愛していなければならなかったということがあるが…。
確かに、学ぶことが好きではない今のジコチュウの少年たちでは難しいかも…。
事実、IBLは2歳もIBCより年上でありながら、初対面の時、「何でこんなヤツに、何でこんなダサいヤツに、自分が負けるのか」としか感じていないのだから、到底無理だった。
それを「こんなヤツよりヒドイと思われた自分が情けない」とか「こんなヤツの方がいいと言う、CCGは自分が感じていたよりセンスが悪いのでは」と思えないなんて、このIBLも相当ヒドイのかも…。
同じことがIBCにも言える。
「こんなヤツに相談してるなんて、CCGは自分がどこか感じていたようにセンスがないのかも」とか「もしかして自分がいなかったら、こんなヤツとつき合うのかよ」と思うべきだったのでは?
どちらにしても、相当幼稚なレベルであることは確か…。
それが証拠に、「いい加減にしろ、オレの女に手を出すな」と「束縛するな」と、低能な少年同士のモノの奪い合い…。
まあ、こんな少年たちでは、愛した一人の少女を通しての次元の高い友情なんて、遠い夢かも…。
その意味で、3人とも、愛についての学習が相当必要。
どうあれ、3人の幼い三角関係(?)が最悪の結末になったのは事実…。
少年から理性を引いたら、何も残らない結果でもあるが…。
さらに、その、愛に無知な少年が、嫉妬と羨望、矛盾と嫌悪に駆られたら、そこに愛の持つ独自のパワーと全く無関係な最低のドラマが創造されるのも、また事実。
それにしても、どうして少年がここまで唯我独尊的で直情径行に勘違できるのか?
どうしてここまで冷酷無比に残虐非道に人の命を身勝手に粗末にできるのか?
改めて暗澹たる気持ちにさせられているのは、東仙坊だけではあるまい。
■検証プロファイリング 愛知豊田女子高校生殺人事件と大阪府富田林高校生殺人事件の共通点
●「大阪府富田林高校生殺人事件に垣間見える、高校生の心模様…」
③自分を負け犬と、いや、こんなヒドイ・ライバル(?)に負けたとだけは思いたくないIBLは、その不愉快さのはけ口として、IBCの殺害を決意した。
その意味で、「聞き入れられなかったら殺すしかないと思っていた」というのは、これもまたウソ。
その時すでに、IBLは自分が未成年であるというアドバンテージがあることも十分考慮していた。
また、殺人によってCCGを失うことも一向に構わなかった。
IBLのCCGへの気持ちなどその程度だった。
それゆえ、CCGのためにIBCを殺したという話もマユツバ。
それでも、IBCを殺害して、自分が殺人犯という汚名を浴びることにも多少まだ抵抗があった。
あんなヤツにだけは負けたくない、IBCに負けるなんて考えたくないという一心で、柄でもなく集中し、稚拙な完全犯罪を企てた。
ある意味、CCGに対する思いよりも興奮していた。
それでいて、生意気にも年上の自分にエラそうな態度を取ったIBCに対する報復にふさわしい残酷な殺害方法を模索した。
そこで、凶器は殺害後、燃やすことで証拠隠滅が図れる木製にすることを思い立ち、近所で「木製バット」を盗んだ(一体どこで?何時ごろ?)。
それから、発見されにくく犯行を犯しやすい犯行現場を探しに石川河川敷に向かった。
そして、「ここがいい(護岸から約1m川に入った浅瀬)」という絶好の場所を見つけ、そのバットを草むらに隠した。
それでも、うまくその場所へ誘導できなかったことも考え、同じく焼いて始末できる「木づち」を事件当日の午後5時前、自宅近くのホームセンターでライターや消臭剤と一緒に制服姿で購入した。
6月11日午後7時半ごろ、IBCを携帯電話メールで「彼女のことで話をしよう」と呼び出し、待ち合わせ場所の近鉄長野線富田林西口駅から、IBCを自分の自転車に2人乗りで乗せ、約1.5km東の石川河川敷の現場に向かった。
なお、ライターは(木製バットを盗みながら、なぜそんなものをわざわざ購入したのか?)、それらの木製凶器や返り血を浴びた衣服を燃やすためだった。
話し合いの途中、「心理テストをやる」とうそをついて川の護岸にIBCを座らせ、目を閉じさせたというが、これもまたウソ。
IBCの腕などに一切の防御創がないことでも明白なように、完全に卑怯な不意打ち。
IBCは抵抗する間もなく、一方的に「人間の急所だから後頭部を殴った」という言葉通り、11日夜から12日未明にかけて、これでもか、これでもかとばかりに、カバンに隠し持っていた木づちで、草むらに隠していた木製バットで、バットが2つに折れるまで何度も何度も頭を殴られたはず。
頭蓋骨の数カ所が陥没骨折していた。
当然、死因は脳挫傷。
瀕死のIBCが立ち上がろうとしたところ、川に思いきり蹴り落としたというから、悪魔の所業。
その2つに折れた木製バットの先端部分は現場近くの用水路で発見されたが、 焦げ跡がちょっぴりあるものの血痕が付着していなく、持っていたウエットティッシュで血を拭き取り、証拠隠滅工作。
どうやら、ライターだけでは火力が足りず、バットなどの凶器を焼却することはできず、計画倒れ…。
また、木づちも血が付いたシャツやライターなどと一緒に自宅近くポリ袋に入った状態で捨てられていたが、返り血を浴びたシャツにも焼いた跡はなかった。
IBLはIBCの携帯電話2台を自分のカバンに入れ持ち去り、自分とのメール交信の一部を消去し証拠隠滅を図ったうえ、IBCとCCGとの愛の交信をじっくりと見ていたというから、何をかいわんや…。
この怨念一筋の殺人って、一体どうしたら考えられるのか?
少なくとも、CCGを全く愛していなかったということだけはわかるが…。
東仙坊、少年が少女のように残酷になってしまった日本の未来を、心の底から憂慮している。
とりわけ、そのナイ頭をここまで使って、卑怯で卑劣で稚拙な完全犯罪(?)を安易に企てることに、本当に怒り心頭。
そこに日本人男子ならではの矜持、ノーブレス・オブリージュを見つけられなくて、悲しくなる。
日本人から魂の高潔を失くしたら、生きている意味も価値もないと思うが…。
さて、また少し本題に触れておきたい。
東仙坊、今だ未解決の愛知豊田女子高校生殺人事件にも、このIBLと同じ匂いを感じ、ホシは稚拙な完全犯罪(結果的には、逮捕されていないから、成功?)を計画した少年、おそらく高校生だと確信している。
Now the latest boys especially highschool boys would embarrass me completely with thier disgusting murder(近ごろの少年、特に高校生男子はその気分の悪い殺人で不愉快にする)!
To be continued…
東仙坊、この国のモラル再生のためには、常々、少年たちが少女とは異なり、より無邪気に清廉潔白に寛容になることが肝心だと考えている。
それは、単に「男はつらいのだ」ということではなく、そんな不可解で情念的な少女を、それでも見返りなど望まずひたすら愛せるほど成熟して欲しいと願っているからに他ならない。
たかが人生、されど人生。
そんな少女にいくら翻弄されても、あるいは裏切られても、それこそ目の前で自分以外の少年と性的関係を持っていたとしても、ひたすら少年に「だからこそ、自分が愛するのだ」と少女を愛し続けて欲しいとも願っている。
少年の持つ生来のやさしさは、そのくらい器の大きなもののはず。
その意味で、少年は少女にとって太陽であると同時に、海にもならなけばならない。
いくら内心動揺しようとも、じっと黙って少女の何もかもを受け入れなければならない。
その意味で、少年にとって最も必要な要素は、自分の愛を理性的に認識することである。
それこそ、少女との間に何が起ころうとも、冷静かつ怜悧に理性で克服しなければならない。
それしか、この世にモラルを再生する方法はないと言っても過言ではない。
その観点からすると、残念ながら、この2つの事件に、少年の本物の理性的な愛は見つからない。
少年が情けなくてみっともない、少女のような直情径行なモンスターに化した時点で、すべての愛が消滅してしまうというのに…。
何を言ってるのかって?
まず大阪府富田林高校生殺人事件のケースでは、もし少年が少しでも本物の愛を知る理性的な人間だったら、2人が偶然一緒に愛するCCG(少女らしく冷酷なシンデレラ・ガール)を通して、一つの共感からの少年同士の友情を育めたのではないかとさえ思っている。
それこそ、自分にない長所をお互いに認め合うことができたのではないかとさえ思っている。
何を寝ぼけたことを言ってるのかって?
本当にそう思わないか?
この地球上で、同じ時を刻みながら、たった一人の少女を愛する偶然性って、物凄く感動的だと思うがどうだろう?
それ以上に、摩訶不思議なことが他にあるだろうか?
もっともこの前提には、IBC(無邪気な青いキャベツ)とIBL(無知な青いレタス)の2人の少年が本当にそのCCGを愛していなければならなかったということがあるが…。
確かに、学ぶことが好きではない今のジコチュウの少年たちでは難しいかも…。
事実、IBLは2歳もIBCより年上でありながら、初対面の時、「何でこんなヤツに、何でこんなダサいヤツに、自分が負けるのか」としか感じていないのだから、到底無理だった。
それを「こんなヤツよりヒドイと思われた自分が情けない」とか「こんなヤツの方がいいと言う、CCGは自分が感じていたよりセンスが悪いのでは」と思えないなんて、このIBLも相当ヒドイのかも…。
同じことがIBCにも言える。
「こんなヤツに相談してるなんて、CCGは自分がどこか感じていたようにセンスがないのかも」とか「もしかして自分がいなかったら、こんなヤツとつき合うのかよ」と思うべきだったのでは?
どちらにしても、相当幼稚なレベルであることは確か…。
それが証拠に、「いい加減にしろ、オレの女に手を出すな」と「束縛するな」と、低能な少年同士のモノの奪い合い…。
まあ、こんな少年たちでは、愛した一人の少女を通しての次元の高い友情なんて、遠い夢かも…。
その意味で、3人とも、愛についての学習が相当必要。
どうあれ、3人の幼い三角関係(?)が最悪の結末になったのは事実…。
少年から理性を引いたら、何も残らない結果でもあるが…。
さらに、その、愛に無知な少年が、嫉妬と羨望、矛盾と嫌悪に駆られたら、そこに愛の持つ独自のパワーと全く無関係な最低のドラマが創造されるのも、また事実。
それにしても、どうして少年がここまで唯我独尊的で直情径行に勘違できるのか?
どうしてここまで冷酷無比に残虐非道に人の命を身勝手に粗末にできるのか?
改めて暗澹たる気持ちにさせられているのは、東仙坊だけではあるまい。
■検証プロファイリング 愛知豊田女子高校生殺人事件と大阪府富田林高校生殺人事件の共通点
●「大阪府富田林高校生殺人事件に垣間見える、高校生の心模様…」
③自分を負け犬と、いや、こんなヒドイ・ライバル(?)に負けたとだけは思いたくないIBLは、その不愉快さのはけ口として、IBCの殺害を決意した。
その意味で、「聞き入れられなかったら殺すしかないと思っていた」というのは、これもまたウソ。
その時すでに、IBLは自分が未成年であるというアドバンテージがあることも十分考慮していた。
また、殺人によってCCGを失うことも一向に構わなかった。
IBLのCCGへの気持ちなどその程度だった。
それゆえ、CCGのためにIBCを殺したという話もマユツバ。
それでも、IBCを殺害して、自分が殺人犯という汚名を浴びることにも多少まだ抵抗があった。
あんなヤツにだけは負けたくない、IBCに負けるなんて考えたくないという一心で、柄でもなく集中し、稚拙な完全犯罪を企てた。
ある意味、CCGに対する思いよりも興奮していた。
それでいて、生意気にも年上の自分にエラそうな態度を取ったIBCに対する報復にふさわしい残酷な殺害方法を模索した。
そこで、凶器は殺害後、燃やすことで証拠隠滅が図れる木製にすることを思い立ち、近所で「木製バット」を盗んだ(一体どこで?何時ごろ?)。
それから、発見されにくく犯行を犯しやすい犯行現場を探しに石川河川敷に向かった。
そして、「ここがいい(護岸から約1m川に入った浅瀬)」という絶好の場所を見つけ、そのバットを草むらに隠した。
それでも、うまくその場所へ誘導できなかったことも考え、同じく焼いて始末できる「木づち」を事件当日の午後5時前、自宅近くのホームセンターでライターや消臭剤と一緒に制服姿で購入した。
6月11日午後7時半ごろ、IBCを携帯電話メールで「彼女のことで話をしよう」と呼び出し、待ち合わせ場所の近鉄長野線富田林西口駅から、IBCを自分の自転車に2人乗りで乗せ、約1.5km東の石川河川敷の現場に向かった。
なお、ライターは(木製バットを盗みながら、なぜそんなものをわざわざ購入したのか?)、それらの木製凶器や返り血を浴びた衣服を燃やすためだった。
話し合いの途中、「心理テストをやる」とうそをついて川の護岸にIBCを座らせ、目を閉じさせたというが、これもまたウソ。
IBCの腕などに一切の防御創がないことでも明白なように、完全に卑怯な不意打ち。
IBCは抵抗する間もなく、一方的に「人間の急所だから後頭部を殴った」という言葉通り、11日夜から12日未明にかけて、これでもか、これでもかとばかりに、カバンに隠し持っていた木づちで、草むらに隠していた木製バットで、バットが2つに折れるまで何度も何度も頭を殴られたはず。
頭蓋骨の数カ所が陥没骨折していた。
当然、死因は脳挫傷。
瀕死のIBCが立ち上がろうとしたところ、川に思いきり蹴り落としたというから、悪魔の所業。
その2つに折れた木製バットの先端部分は現場近くの用水路で発見されたが、 焦げ跡がちょっぴりあるものの血痕が付着していなく、持っていたウエットティッシュで血を拭き取り、証拠隠滅工作。
どうやら、ライターだけでは火力が足りず、バットなどの凶器を焼却することはできず、計画倒れ…。
また、木づちも血が付いたシャツやライターなどと一緒に自宅近くポリ袋に入った状態で捨てられていたが、返り血を浴びたシャツにも焼いた跡はなかった。
IBLはIBCの携帯電話2台を自分のカバンに入れ持ち去り、自分とのメール交信の一部を消去し証拠隠滅を図ったうえ、IBCとCCGとの愛の交信をじっくりと見ていたというから、何をかいわんや…。
この怨念一筋の殺人って、一体どうしたら考えられるのか?
少なくとも、CCGを全く愛していなかったということだけはわかるが…。
東仙坊、少年が少女のように残酷になってしまった日本の未来を、心の底から憂慮している。
とりわけ、そのナイ頭をここまで使って、卑怯で卑劣で稚拙な完全犯罪(?)を安易に企てることに、本当に怒り心頭。
そこに日本人男子ならではの矜持、ノーブレス・オブリージュを見つけられなくて、悲しくなる。
日本人から魂の高潔を失くしたら、生きている意味も価値もないと思うが…。
さて、また少し本題に触れておきたい。
東仙坊、今だ未解決の愛知豊田女子高校生殺人事件にも、このIBLと同じ匂いを感じ、ホシは稚拙な完全犯罪(結果的には、逮捕されていないから、成功?)を計画した少年、おそらく高校生だと確信している。
Now the latest boys especially highschool boys would embarrass me completely with thier disgusting murder(近ごろの少年、特に高校生男子はその気分の悪い殺人で不愉快にする)!
To be continued…