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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

彷徨う大和魂-27  世界一モラルの欠如した民族と決別のとき-8

We should pay our attention to having chosen the way where Prince Shotoku puts the Korean Peninsula and Mainland China and distance(聖徳太子が朝鮮半島や中国大陸と距離を置く道を選んだことに着目すべき)!

東仙坊、今回のプロファイリングをしながらイヤと言うほど痛感したのは、兄の弟に対する言いようのない嫉妬と羨望と悪意…。
やはり、半島と島とでここまでモラルに対する認識が違うとすると、我々日本人は、心からその僥倖と幸運に感謝するしかない。
これもそれも、聡明な先人たちの慧眼のおかげ。
とりわけ、賢人の聖徳太子が、半島や大陸と距離を置いたことは、驚くほど卓見。
その十七条憲法の十四で、「嫉妬の気持ちを持ってはならない。自分が人に嫉妬すれば、人もまた自分に嫉妬するものだ。嫉妬の憂いは限りがない。そのため、自分より英知が優れている人がいると悦ばず、才能が勝っていると思えば嫉妬する。それでは、500年たっても賢者にあうことはできず、1千年の間に1人の聖人が出ることを期待することすら困難である。聖人賢者といわれるすぐれた人材がなくては国を治めることはできない」と、嫉妬は和を以て貴しとなすの精神に反するものと断言したのも、半島のヒトたちへのメッセージと思えるほど…。
結局、関係を持たないことが日本の繁栄と発展に繋がったのでは?
それにしても、神聖な仏像を盗んで開き直ったり、対馬が自分たちの領土だと言い出したりの三流ヤクザのチンピラごとき狼藉に、一切ガマンする必要はないと思うが、どうだろう?何しろ、口下手、表現下手、プロパンガンダ下手のお人好しの弟を仲間に外れにし、女性大統領が育ての親のUSAに行き、生みの親の中国との新たな米中韓の枠組みを構築しようとしているのだから…。
どうあれ、金のために魂を売るくらい何とも思わない兄弟の国、生みの親の中国と結託し、やりたい放題し放題になることだけは間違いない。
さて、東仙坊、どうしても危惧することが一つ。
4月28日、日本国との「サンフランシスコ講和条約」が発効し日本が主権を回復したこと、国際社会復帰60年の節目を記念し、日本政府主催で「主権回復の日」式典を東京都内で初開催した。
けれども、条約発効後もUSA施政下に置かれた沖縄では露骨に式典への反発を表明した。
その様子を観ながら、そんなに共産党一党独裁の中国が好きならば、県民投票でもしてどうするか決めれば!と言わざるを得ない権幕だったことにショックを覚えていた。
実は、その中国では、「沖縄は中国の領土だ」とまことしやかに叫ばれているのである。
「USAから日本への1972年5月の沖縄返還は国際法違反だ。歴史的経緯からみて琉球の主権は、日本ではなく中国にある。琉球の主権問題では『カイロ宣言』、『ポツダム宣言』を尊重しなければならない。日米は国際法に反する行為で琉球を売り渡した。そもそも琉球人は中華民族の血を受け継いでおり、ひとつの民族として国を分けてはならない。中華民族の一部として琉球特別自治区を設置せよ」…。
何でも、1943年の「カイロ宣言」を基礎にした1945年7月の「ポツダム宣言」では、「日本の主権は本州、北海道、九州と四国、および連合国決定の諸小島に限られる」と明記されているというのである。
それなのに、1951年9月の「サンフランシスコ講和条約」でUSAの施政下に置かれた沖縄を勝手に日本に売り渡したというのである。
確かに、明治初期の琉球処分で、日本と清に形式的に両属していた琉球王国が沖縄県となり、清への朝貢を禁じられた経緯があるのだが、昔はいちいちそれを書面にしてはいない。
また、大らかな我が国も、実にズボラ。
海洋権益獲得など海洋強国をめざす中国が、沖縄に集中する眼の上のタンコブのUSA軍施設の取り崩しに入るのは至極当然。
どうやら、DNAの問題ではなく、沖縄にも中国の札束攻勢に目のくらんだ内なる売国奴がたくさんいるのでは?
我が国が普通の国に戻るには、それらの売国奴どもの排斥が急務なのでは?

そこで、どうしても気になるのが、島根県隠岐の島町の「竹島」。
竹島は、隠岐諸島の北西約157km沖の日本海上に位置し、2つの小島と周辺の数十の岩礁から成る島。
総面積、約0.21平方km、は東京・日比谷公園の1.4倍、東京ドーム5つ分の大きさ。
昭和初期に漁師らが竹島に昭和3年9月27日から10月20日まで滞在した際の状況を示したとみられる手書きの地図「竹島略図」では、西島を「男島」、東島を「女島」と記載。
ちなみに、地図は、島根県文書「渉外関係綴」に収録。
そのほか、洞窟で水が湧いた場所をさすとみられる「水」、火山の噴火口とみられる「穴」、西島の北側付近でアシカを頻繁に目撃したという話通りに「トド狩場」、東島には「竹島渡航の際には植え付けのよい葉ネギを1束持っていき、東島の畑に植えた。ダイコン、ハクサイの種も畑に植えた。20~30日もするとダイコンやハクサイも葉っぱが出始めるので食べることができた。竹島の畑で育った青物はみそ汁の具として食べた」という証言通りに耕地の跡を示す「畑跡」。
これは、昭和初期に隠岐の漁民に竹島が経済的に利用されていた具体的な実態二も弱くてもなるのでは?
また、隠岐汽船が1940年に発行した隠岐諸島のカラー刷りで折り畳み観光パンフレット(縦38cm、横53cm)には、竹島を名所として取り上げており、隠岐汽船の寄港地や後鳥羽上皇行在所跡など隠岐の名所、牛突きなどの名物を写真とともに紹介し、「西郷港より百浬、島後の西北海中に吃立する2個の大岩嶼と多数の小岩とより成る無人の島嶼であり、海驢の生息地である」と解説。 
そして、裏表紙の隠岐諸島の地図「隠岐國略図」には、左上に竹島が記され、そばにアシカとクジラのイラスト。
さらに、大日本帝国陸地測量部(国土地理院の前身)発行の地図は、1942年の「太平洋素図」、1943年の「太平洋全図」には、左上に「竹島」とあり、鬱陵島は「欝陵島(松島)」と記載。
なかでも、「太平洋素図」には航路上に「小樽-大連」、1925年に開設された航路「大連・朝鮮・北海道線」が表記され、竹島が日本海を通る日本船舶の目印。
しかも、両地図とも、1905年の竹島の島根県編入後、明確に島根県所属とも記載。
ちなみに、同じ地図が国会図書館や東北大学に所蔵されているというから、これもアピールすべきでは?
どうあれ、これらの事実がありながら、兄弟の国に竹島を野蛮に実効支配させてきた我が国の無能な政治屋どもの怠慢、内なる売国奴どもの悪意こそが問題なのでは?
事実、北方4島だって、せっかくロシアが返還の意向を伝えてきたとき、それをビビッて拒んだのも、そんな政治屋どもなのでは?
どうだろう?
経済の復興もそれはそれで重要かもしれないが、政治屋には正々堂々とした政治力が、怜悧で巧妙な政治力が必要なのでは?
そろそろ聖徳太子が言及していた500年に1人の賢者、1千年の間に1人の聖人が出てきてほしいと願っているのは、東仙坊だけではないと思うが…。

I believe it must be a shortcut of the first to break off Korea and diplomatic relations for morals reproduction of Japan(日本のモラル再生には、兄弟の国との国交断絶が一番の近道)!






 

      




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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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