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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

検証プロファイリング 佐世保高1女子高生同級生殺人事件-2

There must be an arbitrary intention of the Nagasaki Prefectural Police clearly that only bizarre testimony is leaked so as to be mysterious and provokes it to the direction of the psychiatric test(不思議なほど、猟奇的な供述ばかりが漏らされ、精神鑑定の方向へ誘っているのには、明らかに長崎県警の恣意的意図がある)!

■佐世保高1女子高生同級生殺人事件

●東仙坊が本格的にプロファイリングする前に確認しておきたい事項

○この事件発生の経緯での不可解な点

①佐世保北高校は、夏休み中なのでは?
しかも、徳勝もなみは不登校だったのでは?
一体どうやってアポイントメントを取ったのか?
もちろん、今日日、高校生同士ならお互いに携帯電話のはず。
それで、かえって気になるのだが、今どきヤングガールズで単に会うだけの場合、1週間も前にアポを取るのはかなり不自然なのでは?
ましてや、高1の夏休み、時々刻々予定の変更が起こりうると思うのだが…。
どちらにしても、計画殺人を立てた徳勝もなみの方からアプローチをしたのだろうが、一体どんな口実を作ったのか?
その内容こそが事件解明の極めて重要なカギだと思うが、どうだろう?
現在、長崎県警捜査一課は、徳勝もなみの携帯電話を押収し精査しているはず。
できることなら、その内容だけは公表してほしいと思わないか?
そして、それは無念の被害者であるMiss松尾愛和の携帯電話も同じ。
実は、東仙坊、そのついでに、Miss松尾愛和の携帯電話から指紋も採取して欲しいのだが…。
ところで、そのMiss松尾愛和の携帯電話、ちゃんと警察の手に渡されているのか?
そうしたら、それが部屋の外のマンション敷地内で発見され、証拠隠滅を図ったというのだが、これだけ計画殺人を図った徳勝もなみにしては、どこか変では?
つまり、外に投げ棄てただけなのでは?
どちらにしても、その7月26日午後6時40分ごろのMiss松尾愛和が自分の母親に送ったとされているメールが本当に本人が送ったのかどうかを知りたいからである。
それはそうである。
徳勝もなみは最初からMiss松尾愛和を残忍に殺害しようとして、自分の部屋に引っ張り込んだのでは?
では、なぜすぐにそれを実行しなかったのか?
無論、ずっとチャンスを伺っていたのだろうが、そこまででも、とっくに3時間あまりの時間が過ぎているのでは?
ということは、ことによるとMiss松尾愛和の対応一つで蛮行を取り止める喚問か何かがなされたということなのか?
それだからこそ、仮にMiss松尾愛和が何かイヤな予感を感じあえて母親に帰ると連絡したとするなら、電話にすべきだったのでは?
もしそれが普通の家庭の夕食前レギュレーション的連絡でしかなかったのなら、メールが当たり前なのかもしれない。
しかし、どうしてもそのメール送信行為がMiss松尾愛和の胸騒ぎからのような気がしてならないのだが…。
と同時に、もしそれが本当にMiss松尾愛和本人が送信していたのなら、その行為がかなり躊躇っていた徳勝もなみの蛮行への直接的引き金になった可能性もあるのでは?
どうあれ、その後、1時間強も、2人の間に一体どんなやり取りがあったのか?
それこそ、言い争いにでもなったのか?
少なくとも、Miss松尾愛和は早く帰らなきゃと相当ソワソワしながら、仕方なくそこにいるハメになったのでは?
では、どうやってそんなMiss松尾愛和を繋ぎ止めたのか?
ちなみに、東仙坊、Miss松尾愛和は、高校が7月28~31日に予定していた1年生の大半が参加する雲仙市での学習合宿に、徳勝もなみの参加を勧めていた気がするのだが…。

②徳勝もなみの部屋は、10畳の洋間と2畳のキッチンとかなり狭いのでは、いくら最初から殺す気でもあれだけの凶器をどこに隠していたのか?
第一、話をしているとなると、Miss松尾愛和が背を向けることも少なかったのでは?
ということは、徳勝もなみはMiss松尾愛和がトイレを使用するまで引き留めていたのでは?
それ以外に、凶器を取り出して後ろから殴るチャンスなどできなかったのでは?
もし、最後の最後のドアから出て行くときだったら、仮にあんなハンマーで後ろから殴られても逃げ出すか? 大騒ぎになったのでは?

③東仙坊、最も不可解に感じているのが、これ。
徳勝もなみの両親は(父親?)は、7月26日午後11時ごろ、自分の娘である徳勝もなみと電話でやり取りしていたはず。
それなのに、歩いて2分の自分の娘がいるはずのマンションに、7月27日午前3時20ごろになって、つまり、真夜中の真夜中に長崎県警佐世保署署員をともなって尋ねたのか?
しかも、なぜ自分の娘と1階のマンション入り口で話すことになったのか?
電話で話してから、4時間以上も経っているのでは?
となると、考えられることは2つ。
1つは、自分の娘の対応の仕方に違和感を感じていたか? それ以前に懐疑的になる原因があったのか?
そうだとすると、やはり尋ねるまでに時間がかかり過ぎているのでは?
そうだとすると、2つ目であるこの時間までに長崎県警佐世保署がマンションの防犯ビデオをチェックし終え、徳勝もなみの部屋にMiss松尾愛和が入ったことは確認され、そして、一歩も出ていないということを確認していたということなのでは?
もしかすると、それによって捜査令状まで発行されていたのでは?
そうでもなければ、徳勝もなみの部屋に長崎県警佐世保署員は入れなかったはず。
何しろ、徳勝もなみの父親は、弁護士のはず。
となると、保護者である父親自身も娘の部屋をチェックしたかったか?
保護者として長崎県警佐世保署員に入室許可を与えたのでは?

④無能なマスメディアは、逮捕された後の徳勝もなみが淡々と供述している、よく寝て、よく食べて、一切の謝罪や反省の言葉を発していないと大きく取り上げている。
本当にいい加減にしろ!と言いたくならないか?
すぐにそう言うくらいなら、誰もこんな蛮行をしたりはしない。
それで気になるのが、やはり、長崎県警の対応。
やたら早くから精神鑑定が必要と言い出していること。
凄く変だと思わないか?
また、何か大きな圧力が加わっているのでは?
7月28日、徳勝もなみを長崎地検佐世保支部に送検。
14歳以上の未成年者が逮捕されると通常、送検後に勾留され、地検が家裁送致し家裁が処分を判断。
故意に人を死亡させた事件では検察官送致もあり、責任能力が争点となることが想定される事件では、地検は家裁送致前に数ヶ月間、鑑定留置をするケースが少なくないとか。
果たして、地元の名士ファミリーの徳勝もなみ、どうなるのか?
ちなみに、成人の場合なら、殺人罪「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」、死体損壊罪「3年以下の懲役」 。

⑤15歳の女子である徳勝もなみが、簡単に1人で遺体を切断できるかということに懐疑的な面がある。
特に、首は、多くの筋肉が集まり、頸椎と呼ばれる7つの骨もあり、非常に頑丈にできているはず。
切断するにはよほど鋭利な刃物か鉈のような重いもので何回も切りつけないと難しいところがあるはず。
けれども、体重をかけて押さえつけるように何回も繰り返せば、時間はかかっても誰にもできるという。
特別な凶器が必要なワケではなく、自宅にある文化包丁でも切断は可能。
その意味で、瓦や壁を切断するスレート切断用ノコギリ(金属製25㎝)を用意した徳勝もなみにとっては、かなり容易だったはず。
ましてや、殺害後の切断ならば、太い血管の通る首とはいっても血液が噴き出したり、ドクドクと流れ出たりすることもなく、ジワーッと血が漏出する程度で、ますます簡単だったはず。
ただし、未成年の加害者が殺害後に首などを切断したというケースは、1997年の酒鬼薔薇聖斗以外にはほとんどないはず。
そもそも、日本のバラバラ殺人事件には、9割以上が遺体運搬を容易にするためや証拠隠滅など犯行の形跡を消すことが目的というデータがある。
けれども、今回のケースでは、胴体の切断も試みた跡があるというものの完遂していない。
それどころか、どれほど時間がかかっても人に見られたりジャマされたりしない状況下だったのに、遺棄や隠蔽も行っていない。
ということは、徳勝もなみがスレッドで告白しているように、隠蔽目的もなく、予定通りに切断し始めたが、精神的、肉体的、時間的労力が想像以上にかかりすぎて、それを断念し、そのまま遺体を世話しようとしていたということなのか?

○周りの人々から見た率直な2人の評判

◆Miss松尾愛和
①明るく面倒看がいい
②頭がよくて、明るく、はきはき話す子
③頼りがいのある子で、困っているときには助けてくれる
④どちらかといえば、あまり目立つ方ではなかった
⑤クラスを支えるようなガンバリ屋さん
⑥きちんと挨拶ができるような子
⑦オモシロくてやさしくて、便りになる子

◆徳勝もなみ
①幼少時代は元気な女の子
②勉強が好きで頭のよい子だったけど、感情の起伏が激しかった
③ケンカするとよく急に泣き出したりした
④暗い子で、ちょっと男の子っぽかった
⑤自分のことを「ボク」と呼び、男物の服を着て、化粧もしていなかった
⑥頭がよすぎて変わってる感じだった
⑦「東大を目指す」と言っていた

This case must be plan murder when a doing damage to school girl kept on certainly choosing a damage school girl as a target(この事件は、加害女子生徒が被害女子生徒を間違いなくターゲットに選び抜いたうえでの計画殺人)!

To be continued...



検証プロファイリング 佐世保高1女子高生同級生殺人事件-1

I would decide to do a report by the real name after the example of UK to restrain the most dreary case in the crime that happened in Japan(日本で起きた犯罪の中でも最も陰惨な事件を抑止するためにもUKを見習って実名報道する)!

東仙坊、かなり長いメールをもらった。
まるで、サプアの長い検証が終わるのを待っていてくれたかのように、2つの事件に対しての考察をしてほしいとのリクエストの内容なのだが、困ったことに過去の検証済み事件のパターンのようにプロファイリングしてくださいと条件が付いている。
天の邪鬼の性分からか、それにメチャクチャ逡巡したもののサプアが終わったばかりの解放感が手伝って、まず1つの事件をとりあえずトライしてみたくなった。
それは、今度の佐世保で発生した高1女子高生同級生殺人事件を、検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-1のように検証してほしいというものなのだが、正直、肝心のそれをすっかり忘れてしまっている。
それが年を取るということなのか?
あるいは、それを忘れてしまうほど次々に新たに事件が起きるということなのか?
そんな自分がもどかしくて、あーあ、梅雨明け宣言があったのに、長崎は今日も血の雨だった…と必死で探していて、さらに驚いた。
プロファイリング-2 佐世保乱射事件 馬込政義の犯行動機①
プロファイリング-19  長崎雲仙女子高校生失踪事件-1
検証プロファイリング 「長崎西海祖母・母親代行ストーカー惨殺事件」と「千葉県連続殺人死体遺棄事件」の共通点-1 …。
何だかビックリするほど長崎について、とりわけ佐世保についてプロファイリングしていることに、初めて気づいたからである。
そして、ようやく「検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点」を見つけ、熟読し、率直に、再び驚いていた。
まるで、宗リンのようにプロファイリングしていると、そのエネルギーに自分でビックリしたからに他ならない。
と同時に、今回の凄惨な事件が、その動機において、佐世保小6同級生殺人事件と限りなく共通点だらけだということに、唖然…。
そのことに触れるのをなんとか後回しにして、この胃が痛くなるムカつく事件のプロファイリングに入りたい。
それにしても、webチェックしたら、すでに事件の情報だらけで、またまたビックリ…。

■佐世保高1女子高生同級生殺人事件

●現時点で知り得る限りの事件の概要

①長崎県佐世保市八幡町に、創立1908年という長崎県立佐世保北高等学校がある。
県立としては比較的早期の2004年に併設型中高一貫校になった進学校とのことで、その高校1年6クラスのうちの1つのクラスメートとして、加害女子生徒である「私の愛人サイコ(15歳、すでに16歳)」と被害女子生徒である「U.L.G.2(UnLuckyGirl2)」がいた…と書き始め、ここは主義に反し、初めて実名表記することにした。
それは、この事件をUKのデーリー・メールが、「近年の日本で最も衝撃的な事件。日本で起きた犯罪の中でも最も陰惨なものの一つだ」と取り上げたことで、そう決心したからである。
この手の残忍非道な犯罪の抑止には、もうUKのようにそれしか道はない。
ちなみに、未成年犯罪に極めて敏感なUKでは、インディペンデント、デーリー・ミラー、BBCまでが報道。なかでも、BBCは、遺体が切断されていたことを見出しに佐世保市では2004年にも小6女児が同級生を殺害する事件があったとまで報道…。
また、すでに2人とも、特に加害女子生徒はその数々の個人的栄誉(?)からなぜか両親とともにマスメディアにたくさん取り上げられていただけでなく、その家庭環境こそが事件の背景に色濃く滲み出ているからにも他ならない。
どうあれ、2人は当然のごとく中学から同級生。
そして、加害女子生徒の徳勝もなみは、1学期出席日数3日の不登校。
しかも、4月から、佐世保市内の高台にある高級住宅街の自宅から徒歩2分(?)、長崎県佐世保市島瀬町の父親名義のフェリーチェ島瀬で1人暮らし。
ついでに、その陰惨な現場となったマンション、JR佐世保駅から徒歩約15分で、間取りは10畳の洋間に約2畳のキッチンで、家賃は約6万円(?)。
高校までの距離は、同じ徒歩圏でも実家の方が若干近く、父親の事務所にも近いとか。
一方、そこから歩いて10分ほどの距離の長崎県佐世保市祇園に住む被害女子生徒のMiss松尾愛和は、1学期無欠席。
また、徳勝もなみは、中学校までは放送部に所属し、将来は「NHKのアナウンサーになりたいの」と言っていたとか。
一方、Miss松尾愛和は、中学校から高校と写真部に所属し、日常の校内の様子や風景、大会に出場した運動部生徒の写真などを撮影。
戦国大名の本を読むのが大好きで、進路に関する三者面談では担任教諭に「文系コースに行き、大学は文学部に入って歴史の勉強をしたい」と言っていたとか。
さらに、2人ともにアニメ好きで、共通の趣味があることから仲がよさそうな雰囲気だったとのこと。
佐世保北高校も、「2人が特に親しいとは把握していない。普通に話したり、一緒に行動したりはあった。普通の同級生だと思う。親友と呼べるほど親しかったワケではなかったが、特に2人の間に問題があったとは一切聞いていない」とコメント。

②そんな2人が、事件発生、約1週間前から遊ぶ約束(??)。
7月26日午後3時ごろ、Miss松尾愛和は、両親に「徳勝サンのところへ遊びに行ってくる」と伝えて外出。
商店街(?)のアーケードで待ち合わせ、2人は一緒にショッピング。
午後4時ごろには、徳勝もなみのプラン通りに「殺すために自分の部屋に2人で行った」。

7月26日午後6時40分ごろ、Miss松尾愛和が、母親に「午後7時くらいには帰る」とメール(??)

④7月26日午後8時ごろ、徳勝もなみが前もって自分で近くのホームセンターで買っていた石頭ハンマー(金属製30㎝)で立っていたMiss松尾愛和の後頭部を何度も殴った後、同じく用意していたヒモで首を絞め殺害(??)
実際、司法解剖の結果も、死因は頸部圧迫による窒息死と判明。
死亡推定時刻も7月26日午後8~10時。
徳勝もなみ自身、「後頭部を殴り、首を絞めた。全て私が自分一人でやりました」、「午後8時ごろに殴った後、首を絞めて殺し、その後、切断した」、「殺害自体が目的だった」、「遺体をバラバラにすることに関心があった」、「内臓を見てみたかった」、「人をバラバラに切り刻んでみたかった」などと供述しているとか。

⑤7月26日午後10時5分~午後10時30分過ぎにかけ、同一のID(名も無き被検体774号+@)で、net掲示板・2ちゃんねるVIPに「[観覧注意]殺しちゃったんだけど」というタイトルのスレッドを立ち上げ、計4回の書き込みと計7枚の画像も投稿。
柄でもなく、東仙坊、生まれて初めて清水の舞台から飛び降りたつもりで、直接チェック。
今どきのヤングガールらしくなくマネキュアのない手に血の付いた写真(?)が5枚、血の付いたティッシュペーパーの写真(?)、
グロテスクな臓器(脳髄?)の写真。
「冷たくなったから温めた何で温かくならないの? 今ねお風呂入ってる。それより皆脳髄の色って何色だと思う?」
「出血はそんなにしてない。どうしよう 」
「駄目だ拭いても拭いても血が溢れてくる」
「脳髄や脊髄を培養液に漬けてずっと世話してあげるんだ」
その真偽のほどがわからないので、メチャクチャ複雑、そして、後悔。

⑥7月26日午後11時ごろ、午後7時を過ぎても帰宅してこなかったため、母親が徳勝もなみの親(父親?)に電話。
そこで、親が徳勝もなみに電話して聞いたところ「午後6時半くらいに別れた」と答えたということを聞いたMiss松尾愛和の両親が長崎県警佐世保署に捜索願を提出。

⑦7月27日午前3時20ごろ、長崎県警佐世保署署員と徳勝もなみの両親が、1階マンション入り口で徳勝もなみに再度Miss松尾愛和の所在を確認すると、「どこに行ったかは知らない」と血の付いていない服で応対(??)。
ところが、長崎県警佐世保署署員が徳勝もなみの部屋に入り、そのベッドの上でMiss松尾愛和が仰向けで死亡しているのを発見(??)

頭部から血を流し、首には絞められた痕が残っていて、頭部と左手首が切断されていたというから、あまりにも凄惨。
また、Miss松尾愛和の遺体には大小複数の切り傷があり、腹部が切り開かれていたというから、衝撃的。
さらに、ベッド上で血の付いた刃物とヒモを押収。
ベッドの下で、これも事前に購入され遺体切断に使用した打音検査用ハンマー(金属製30㎝)とスレート切断用ノコギリ(金属製25㎝)も押収。

⑧7月27日午後6時11分ごろ、現場にいた徳勝もなみを、長崎県警捜査一課が殺人で緊急逮捕。

This must be the plan murder that this shocking case targeted a damage girl as well as that Sasebo small 6 classmate murder case(この衝撃的な事件は、あの佐世保小6同級生殺人事件同様、被害少女をターゲットにした計画殺人)!

To be continued...

ああ日本砂漠-56 祝・無罪!? 中勝美殿!!! そして、呪・日本の司法のメルトダウン!?

When only this is the times when genuine psychopath appears in large quantities, “the presumption of innocence” which is a large principle of the modern law might become the thing of the anachronism(これだけ本物のサイコパスが大量に出現する時代になると、近代法の大原則である「推定無罪」までが時代錯誤のものかも)!

東仙坊、すでに新・日本砂漠化-149  舞鶴で悪魔の手先どもの手を振り払えるか!?心のブラックホール-2  「人権派」は「人権はイヤ」と読むの?-2心のブラックホール-2  「人権派」は「人権はイヤ」と読むの?-1で書き込んできた、メチャクチャ胡散臭いクソッタレ・サイコパスがいる。
そのオトコの名は、中勝美
「変わった人。日ごろから通行人に大声を上げるなどの奇行を繰り返していた」。
「廃材やガラクタを集めたゴミ屋敷のような家に住み、近所づきあいもせん」。
「酒癖は悪いわ、すぐにキレるわで厄介者だった。用もないのに自転車でウロウロして、この辺では『ハゲタカ』のあだ名で嫌われていた」。
「生活保護を受けていたと聞いているが、毎日のように居酒屋やスナック、フィリピンパブで飲んでいた」。
「女性につきまとうなどの行為を繰り返していた怖いヒト」。
「店ではヤマモトと名乗っていた。前科があったから隠したかったのか?」。
その事件前日も、黒い帽子と黒い上着姿で舞鶴市内の飲食店を訪れビールを飲んでいたクソッタレ・サイコパス、防犯ビデオ映像公開後に再び同じ店を訪れ、「店員に事件の日に着用していた黒い帽子と上着を捨てたと話していた」。
「被害者少女も、クソッタレ・サイコパスをよく知っていたはずなのに、何でついて行ってしまったのだろう」
どうだろう?
限りなくアヤシイヤツなのでは?
それだけはない。
ガキのころからグレ始め、脅迫事件で少年院
神戸市内で893の使い走り
そ、そ、そして、1973年、内縁の妻とその兄をメッタ刺しで殺害し、人質とってタテコモリ
それなのに、なぜか懲役16年なのに12年でシャバに復帰。
そして、同じくなぜか満足に定職につかないのに、20歳年下の女性と結婚。
翌年長女出産も、定番のDVで、離婚。
それでも、43歳の若さで生活保護受給
なぜか住んでいられる市営住宅を、ゴミ屋敷
それでいて、なぜか毎日酒三昧
そして、粗大ゴミを日常的に自宅から1km離れた雑木林の中まで自転車で持って行って投棄する不気味なオトコ。
1991年、舞鶴市内夜道で、イタズラ目的で若い女性の自転車に体当たりし転倒させたところを、通りかかった海上自衛官に取り押さえられ、京都府警に傷害、強制わいせつで逮捕され、懲役5年の判決を受けた、このクソッタレ・サイコパス
その肝心の2008年5月の高1年女子生徒(15歳)の殺人と強制わいせつ致死事件に関してのマスメディアとのやり取り。
事件の夜は何をしていたのか?
「寝ていた。取材がきて初めて知った」
現場に行ったことはあるか?
「ない」
被害者を見かけたことは?
「ない」
自転車に乗るのか?
「乗らない」
犯人は誰だと思う?
「犯人は知り合いだろう。そうでなければ一緒に歩かない」
解決が遅れていることをどう思うか?
「同じ年ごろの娘がいるから心配」
事件をどう見るか?
事件については言えない。ウソは言えない。真実は1つ。神様だけが知っている
そして、2008年11月15日、賽銭と女性の下着を盗んだなどの窃盗で逮捕
2009年2月26日、窃盗罪で懲役1年が確定。
それから、どうにかこうにか、2009年4月、高1年女子生徒(15歳)をレイプしようとして頭や顔を鈍器で殴るなどして殺害したと、京都府警は殺人と強制わいせつ致死で、クソッタレ・サイコパスを逮捕
すると、2011年5月、1審判決は死刑求刑に対し無期懲役。
さらに、2012年12月、2審判決は「被告を犯人と認定するに足る証拠はない」と1審判決を破棄。
もちろん、検察側は上告。
すると、昨年5月28日午前7時45分ごろ、大阪府警西成署が、大阪市西成区旭の「ファミリーマート花園町店」で、人妻特集(?)のアダルト雑誌1冊(680円相当)を盗んだ窃盗で現行犯逮捕
何でも、成人雑誌コーナーで雑誌を手に取りシャツの下に隠して店外に出るのを、控室で防犯カメラ映像を見ていたアルバイトの女性店員(34歳)が発見。
店内の男性客とともに店のすぐ近くの路上でクソッタレ・サイコパスを取り押さえ、通報で駆けつけた大阪府警西成署署員に引き渡したというもの。
それでも、「家から持ってきた」と否認したというから、本当に逮捕され慣れしたマザーファッカー。
そして、昨年8月30日、大阪地裁で、小倉哲浩裁判官は「生活保護費が底をつく中で及んだ安易で短絡的な犯行。これまでも万引などで服役を繰り返したほか、無罪判決後に社会生活を送るようになって半年もしないうちに犯行に及んでおり、今後の再犯が強く懸念される」と懲役1年2ヶ月の実刑判決。
どうだろう?
このクソッタレ・サイコパス、いつのまにか大阪市西成区梅南に住んでいたというのだが、誰の金? 誰の支援? 一体どんなヤカラどもがサポートしているの?
そ、そ、そして、7.月10日、平和ボケ日本のタガの緩み切った日本の司法は、心温かく寛大に懸念通りの無罪判決…。
東仙坊、この最高裁の裁判官どもも、大阪高裁の裁判官どもも、顏を見なくてもその相がわかると、メチャクチャ暗澹たる気持ち…。
間違いなくコヤツらは、異性から絶対にもてないばかりか、その女房も娘もクソッタレ・サイコパスどもの毒牙にかかる心配もナシ。
それだけじゃない。
日本をネガティブに捉えることがインターナショナルが優れた人間と錯覚し、もしかしたら国歌斉唱も国旗掲揚も好きじゃないに違いない。
そして、旭日新聞を信の社説だけを読み、無抵抗非武装の消極的平和和主義で平和な国になれると本気で信じているに違いない。
それから、それから人間のための法でしかないのに、自分たちこそがその法を順守する善人と思い込んでいるに違いない。
また、その学歴から優秀と誤解されているだけで内実は人間のことを何もわからずに自信喪失であるに違いない。
さらに、評判を怖れるあまり、賞賛を求めるあまり、ひたすら傲岸不遜に振る舞うことしかできないに違いない。
もしかしたら、自衛隊解体というプラカードを掲げ「オスプレイ(?)反対」を唱えたり、サプアの慰安婦像の前で反日を叫んだりしているかもしれない。
どちらにしても、このクソッタレ・サイコパスの救済のために尽力した「人権派(?)」弁護士どもと五十歩百歩。
極論すれば、サプアの司法と同じと言えるかも。
7月10日、最高裁第1小法廷(横田尤孝裁判長)は、7月8日付でこのクソッタレ・サイコパスに対する検察側の上告を棄却。
無期懲役とした1審京都地裁判決を破棄し、逆転無罪とした2審大阪高裁判決が確定してしまったというから、唖然呆然。
つまり、レイプのために頭や顔を鈍器で撲殺された舞鶴市の高1年女子生徒(15歳)の許し難いホシはいなくなってしまったのである。
では、無能極まりない京都府警はどうするのか?
当然、一から捜査を再開するのだろうが、少なくともこのホシに間違いない中勝美を二度とこの罪で問えないのである。
今のモノゴトをマルチプルに見ることなど死んでもできない唯我独尊的ナルシストである我が国の司法関係者の愛する借りものの欠陥日本国憲法に規定されているからである。
「第39条、何人も、実行のときに適法であつた行為またはすでに無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」…。
となると、クソッタレ・サイコパスの次の犯行を待つしか方法がない。
まあ、きっとまたやるだろうから、その被害に遭う女性だけは誠にお気の毒と今から言っておくしかない。
世の女性たちは、せいぜい中勝美の顔を忘れないようにしておいた方がいいと思うが…。
と同時に、世にゴマンといる中勝美のようなクソッタレ・サイコパスどもは、しっかりと学んだに違いない。
とにかく、せっせと物的証拠の隠滅に精を出すこと。
そして、万一逮捕されてもシラを切り続けること。
そのためにも、…と細かくはさすがに教えられないが…。
どうあれ、その5人の裁判官全員一致の結論に耳を傾けてみよう。
1審が有罪の根拠とした『被害少女と被告に似たオトコが一緒にいるのを見た』とする目撃証言について、オトコの年齢や目つきについての説明(??)が最終的に被告の特徴に一致するように変遷するなどしており、証言の信用性を損なう(???)
遺留品に関する捜査段階の被告の供述については、当初は曖昧だった供述が長時間の取り調べの中で具体的なものに変化しており(?)、取調官の反応を見ながら小刻みに供述した結果、実際の特徴にたどり着いたと見る余地もある(???)」。
1審の有罪の有力な根拠とした被害者の遺留品の特徴に関する被告の供述を、1審は『犯人であることが強く推認される』要素として考慮したが、2審が供述調書だけでなく警察官作成の取り調べメモなども検討し、捜査機関の示唆や誘導によってされた可能性があるとした判断は合理的(???)
えっ、何だかよくわからないって?
もともと、事件捜査は直接証拠がなく難航。
そこで、「状況証拠の積み重ねだけで重大犯罪を立証するという極めて困難な作業」を強いられたのが、警察と検察。
ちょっと具体的に言うと、1審では、クソッタレ・サイコパスが、被害少女の化粧ポーチの色を「ベージュ」、被害少女の下着を「薄いピンク色」などと説明したことを有罪の根拠の一つとしている。
ところが、警察官作成の取り調べメモには、クソッタレ・サイコパスが「何色やったかなー?うーん…」などと発言し、しばし無言になるなどしていたから、はっきり覚えていたワケではないというのである。
凄い論理的な結論だと思わないか?
夜中に人を一瞬見かけた人が、その人の推定年齢や目つきを詳細に正確無比に記憶できる人が世の中にいるというのである。
それも、何ヵ月も経って。
それだけじゃない。
後ろめたい確信犯がノラリクラリ質問を適当にはぐらかしていると、言ったことが取り調べ警官に示唆されたり誘導されたりすることになるというのである。
暗い場所で、あまり興味もない化粧ポーチの色をちゃんと覚え、興味津々の被害少女の下着の色をチャンと言えるヒトなんて、クソッタレ・サイコパスのようなオトコだけだと思うが…。
それにしても、「状況証拠による事実認定の基準が、被告が犯人でなければ説明できないか、少なくとも説明が極めて困難な事実関係が認定できることが必要との判断」だけとは、お釈迦様も気がつくまい。
それに対し、京都地検は「コメントしない」、京都府警は「やるべきことは全てやった(???)」とのたまわっているのだから、我が国はやったもの天国か?
そして、主任弁護人を務めた小坂井久弁護士、「刑事裁判の原則にのっとった極めて的確な判断。思ったよりも結果が出るのが早く、検察側の上告が無理筋だったことを表しているのではないか」と勝利宣言。
さあ、日本の何も考えない何も恐れない女性たちよ、明日は貴女の我が身なのでは?

Surprisingly, in the world where an amateur of the investigation was the only one, a professional mean murderer of professionals has been hit again(捜査のアマチュアしかいない世界に、プロ中のプロの卑劣な殺人犯が驚いたことにまた放たれてしまった)!

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-240

Finally the issue of charity dame of our country must be only the diversion tactics to become, and to fall, and not to mind to hide the shame of the human nature labor enthusiast in Korea(結局、我が国の慰安婦問題は、サプア人の性労働好きの恥を隠すためのなりふり構わぬメクラマシ戦術でしかない)!

東仙坊、今日でサプアとはお別れ!とウキウキ。
その本当の最後は、キサマらだけには性奴隷国家などと言われたくない !少なくとも和をもって尊しとなすの我らカンパンゴ人はそのような卑劣で卑怯なことしない!の一言。
そして、とにかくサプア人でなくて、カンパンゴ人で本当によかった…と惜別の辞。
そのうえで、特にサプアとUSAにだけは性奴隷国家と言われたくない確固たる理由を書き込んでおきたい。
そもそも、1950年、何で朝鮮戦争が起きたのか?
それは、戦勝国でもないのにもかかわらず、いやいや日本とともにUSA人を殺害したにもかかわらず、何を勘違いしたのかサプアはあーでもないこ-でもないと今と同じに要求することばかり、それに業を煮やしたUSA、自分たちの防衛線「アチソン・ライン」の中からサプアを外してしまった。
それはそうだと思わないか?
USAのおかげで独立しやっと一人前の国家になれたはずなのに、今の反日を叫ぶように反米の雨あられ…。
USAが自分たちのことは自分たちでやれ!とサプアにブチ切れたのも当たり前。
それを見計らって、北朝鮮が侵攻。
そこで、仕方なくハリー・トルーマン大統領がサプアを助けてくれたはず。
どうあれ、それ以来、サプアに進駐したUSA軍は旧日本軍駐屯地域に駐留。
USA軍基地龍山は、旧日本軍司令部の場所。
USA空軍平沢基地も、旧日本軍飛行場。
そして、旧日本軍用遊郭は、USA軍相手の「基地村」。
突然の戦争で、夫を失ったり、家族を失ったり、もともと貧しかった女性たちが生きていくためにできることの一つに、プロフェッショナルの売春婦があることは、世界の歴史的真実。
ましてや、サプアは一応儒教の国家だったのである。
一度生活のために自分の操を棄てた女性たちが、その極端な家父長的な社会で行き場がなくなるのも当然だった。
実際、 USA兵とUSA軍慰安婦との間に生まれた子どもたちは、な、な、なんと日本語で「アイノコ」と呼ばれ差別され、ほとんどがUSAに養子(人身売買?)に出されていたというから、ワナワナ。
ともあれ、その「基地村」はデマンドとサプライのバランスが取れたまま、ずっと継続。
と、と、ところが、1971年、USAは、「ニクソンドクトリン」により、7師団と3ヶの空軍戦闘部隊など駐韓USA軍6万2千人の内2万人余りのUSA軍撤収を断行。
それも、執拗な反米運動と「基地村」での黒人兵士への激しい人種差別と性病の蔓延が原因というから、やっぱりサプアはサプア。
それに対し、防衛上と経済上と二重の意味で顔面蒼白の大パニックになったのが、お嬢さん大統領の父親の朴正熙大統領。
何とかUSA軍の追加撤収を食い止めようと必死。
それはそうである。
1964年、サプアの外貨収入が1億ドルに過ぎなかったのに、「基地村」の稼ぎはその約10%にあたる970万ドル。
つまり、貧しいサプアのまさにドル箱。
そのために、サプア政府は、国を挙げての事実上の公娼運営。
しかも、1969年、朴正熙大統領の命令で、群山に、「アメリカタウン」なるUSA軍の快楽のための計画都市を建設したばかりだったから、余計にショック。
何しろ、その「アメリカタウン」、クラブ、食堂、美容室、各種商店、両替所、基地村女性のための500余の部屋まで備えた性売買のための自給自足型新都市で、「軍隊娼婦株式会社」のようなものだったというから、何をかいわんや。
実際、サプア政府は、「国家防衛とドルのために身を落としなさい」と大キャンペーン。
「エー、皆さんは愛国者です。 勇気と誇りを持ってドル獲得に寄与することを忘れてはいけません。 エー、私は皆さんのような隠れた愛国者の皆さんに感謝申し上げるものです。 USA軍人が我が国を助けようとしてきたので、その前で服も端正に着て、その低俗で卑しい言葉はちょっと使わないようにして下さい」とおだててつつも、USA軍慰安婦になることを教唆していたというのである。
つまり、USA軍慰安婦は、あくまでも原材料を使わずに外貨を稼ぐ「産業戦士」であるとともに、紛れもなくUSA軍を留めておくための「安保戦士」。
1970年代、サプアの新聞には、連日、「容貌端麗を条件とした『USA兵接客嬢』の募集広告」が掲載されていたとか。
どうあれ、「洋(外国人)」にサービスする「公主(お姫様)」で、「洋公主(ヤンコンジュ)」とか、外貨を稼ぐ「愛国者」とか、「民間外交官」と呼ばれていたUSA軍慰安婦たちは、サプア政府発行の身分証を持たされ、サプア軍のバスでUSA基地に連れて行かれ、直接交渉させられ、話がまとまると再び「基地村」に戻って連れ込み宿に入るシステムで働かせられたとか。
そして、真の愛国者の誇りを持って働けと言われるたびに、そんなにいいことなら自分の娘からやらせろ!とか、そうだ私たちは熱心に膣を売ってUSA兵の男根を洗おうと自嘲していたとも。また、1971年で、その数は1万人を超えていたとも。
とにもかくにも、朴正熙大統領が、大統領府直属の「基地村浄化委員会」まで発足させ、 USA軍側の要求する「ドイツ(?)や沖縄並み(?)の快適で清潔で心のこもった(?)性病予防と治療などを含めた大々的な基地村整備」を約束し、何とかUSA軍の撤収を阻止。
その「基地村浄化運動」は、「基地村のセマウル運動」と称されたとか。
どちらにしても、その「基地村浄化運動」は、基地村住民のためのものではなくどこまでもお客様である駐韓USA軍のための国家管理性売買システム。
その結果、基地村女性たちは清潔な肉体とキレイな「性」を販売するために少なくとも1週間に2回、男性医師に恥部を見せ検診を受け検診証に印鑑を貰わなければならないことになったというから、過酷。
そのまま、その検診証が営業許可証。
それを所持していないと、USA軍憲兵の「討伐」にかかり、即決審理。
そ、そ、それでも、USA軍人の性病は驚くほど増加。
1千人当り性病発生件数は、1970年389件、1971年553件だったのに、1972年には692件と急増。
そこで、USA軍部隊正門歩哨の主要任務は、兵士たちへのコンドーム配布。
そして、検診で性病にかかっていることが摘発された基地村女性は「モンキーハウス」に監禁。それから、副作用はないとひたすらペニシリンを投薬。
それで、副作用が生じても投薬用量をどんどん増やしたので、バタバタ基地村女性たちが死亡。
そして、7割ものUSA軍人の性病感染の責任を、基地村女性に転嫁。
すなわち、USA軍慰安婦こと基地村女性は、サプア政府によるUSA軍への人身御供。
無力な女性たちの肉体で、国家防衛と外貨稼ぎの一石二鳥を狙ったサプアの国策。
その意味で、韓米同盟は「セックス同盟」の色彩の濃いもの。
また、宝山里、安亭里、ヨンジュコルなどだけが「基地村」というワケではなく、サプア全体が「キャンプ コリア」であり、「巨大な基地村」だったというから、開いた口が塞がらない。
事実、国家記録院が所蔵している1977年作成の文書に、「全国62ヵ所の基地村に9935人ものUSA軍慰安婦がいた」と明記されているとか。
しかも、公然の事実として、このUSA軍慰安婦制度が1996年まで続いていたというから、まさにマンガ。
そして、それは今なお列記とした現在進行形。
ソウルから電車で約1時間、タクシーでさらに20分ほど行った38度線にほど近い山奥の辺鄙な場所にあるサプア最大規模の売春街、基地村ヨンジュコル。
何でも、「ガラス窓」と呼ばれる売春宿が100軒ほど並んでいて、実に壮観(?)だとか。
そのヨンジュコルの街の入り口には、警察や銃を持ったサプア兵が見張り役でいても、別の入り口があって、街に入ることは簡単。
つまり、警察もサプア軍も、事実上、違法のはずの売買春を黙認。
1プレーの相場は10万ウォン(約1万円)で、お客様のほとんどがサプア兵とか。
それはそうである。
実は、朝鮮戦争時(1950~53年)には、サプア軍直轄のサプア軍慰安婦も存在。
宋連玉・金栄編著「軍隊と性暴力」によると、「1日20~30回の『慰安』を強要されたものと考えられる」とのこと。
ようは、もともとサプア軍慰安婦が、USA軍慰安婦、サプア軍慰安婦と姿を変えただけ。
ちなみに、韓国戦争から今日まで、「基地村女性」の数は約30万人ほどだとか?
凄く変だと思わないか?
また30万人だというのである?
ところで、当然のことながら、1990年代に入ってもUSA軍慰安婦を巡っては惨劇が起きているとか。
1992年10月、洋公主の1人が、USA兵によって膣にコーラ瓶、肛門に傘を刺された惨たらしい遺体で発見。
1999年1月、USA兵と同居していた基地村の情婦が不審死。しかし、同居人のUSA兵に対して捜査は行われず、事件は迷宮入り。
そして、今回、集団提訴したUSA軍慰安婦122人の原告団。
「さまざまな暴力によって、強制的にUSA軍の相手をさせられた」とか、 「泥沼のような基地村を抜け出そうと、警察などに助けを求めたが、むしろ彼らに手を引っ張られて村に戻された。国の誰も私たちを保護せず、逆に外貨獲得のために使われた」と訴えているというから、看過できないのでは?
まさしく、USA軍慰安婦こそ、「強制」された慰安婦なのでは?
さあ、慰安婦問題で日本を悪罵している公主大統領、この洋公主たちの訴えをどうするのか?
どちらにしても、我が国の内にいる売国奴どもよ、USA軍慰安婦像の建立のために寄付してあげれば…。
そして、無知なグレンデール市議どもよ、この事実をどうする?
せめて、USA軍慰安婦たちにそのサプアから受け取ったニンニク臭い金でお見舞金でも払えば?
どうあれ、今こそ、サプアには、グレンデール市にも、はっきりとサヨウナラと言うときでは?
そのうえで、70年前のことではなく、この21世紀のサプアとUSAの現実について淡々とそして大々的に世界に発信してゆくべきでは?
サプアの「性労働者供給国」とUSAのサプアの「性労働者受給国」の真実を…。
東仙坊、これもどこかですでに触れているが、サプアの性労働規制強化を受け、根っからの売春好きのサプア人の海外進出は急増。
実際、USAでは、最近7年間にニューヨークなど東部地域だけで300人以上のサプア人が売春で摘発。
ロサンゼルスでも、毎月逮捕される70~80人の売春婦の9割がサプア人。
2011年には看護師資格で入国したサプア人女性が、「ポドバン(売春斡旋する出張マッサージ店?)」営業でFBIに逮捕。
ついでに、オーストラリア政府も、2011年、ワーキングホリデー・ビザで滞在していたサプア人3万5000人のうち1000人超の女性が売春。
2012年7月22日、朝鮮日報でさえが、「USA・オーストラリア政府によると、USAで売春目的で働く外国人女性の4人に1人(23.5%)、オーストラリアで5人に1人(17%)がサプア人」と報道しているほど。
えっ、日本にだっていっぱいだって?
そんなことは当たり前。
2010年10月、サプアのある議員が、「海外で売春するサプア人が10万人に達すると公言し、そのうちの5万人が日本で売春している」と認めているほど。
ニンニクいっぱいのサプア人女性が、就労ビザなしや短期滞在で稼ぐには、いいダンベーがたくさんの日本での売春が最適のはず。
もっとも、さすがに今は、表面上だけは様変わり。
ヤングサプア人女性が働くのは、「ガールズバー(?)」。
それもこれも、や、や、やっと日韓で1999年から実施されていた「ワーキングホリデー制度(2国間協定により相手国の若者に自国で一定期間の休暇を過ごすことを認めるもので、滞在費を補うための就労も認めるビザが発給されるもの)」が厳格化。
もともと、18歳以上25歳以下が原則だったのに、誰かの思惑が絡んで実際には30歳まで認められてきたというから、何をかいわんや。
それが、今年4~6月期の26歳以上の審査合格者は、0%。
なぜなら、昨年6月、ワーキングホリデービザで入国し、風俗店で働いていた28歳のサプア人女性が逮捕されることがキッカケ。
それを、聯合ニュースは、「ワーキングホリデーを口実に日本の風俗店で働き摘発されたケースが非常に多いため、日本政府が措置を取ったとみられる」と恨み節(?)。
そこで、ガールズバーは飲食店扱いなのでお咎めナシというが、果たしてその実態は?
日本のオトコたちよ、そろそろニンニク臭いプチ整形顔と決別すべきでは?
とにもかくにも、東仙坊、サプアへ「アンニョンヒ カセヨ!!!」。 

I still am quite disgusted with stupidity letting the Korean woman of the sex labor enthusiast work in “girls bar” for the true character of Japanese(今なお、本性的に性労働好きのサプア人女性を「ガールズバー」で働かせてしまっているカンパンゴ人のバカさ加減にはホトホト呆れるばかり)!

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-239

The mental distance between our country and Korea must be much farther so as not to think of the same Milky Way origin(我がカンパンゴとサプアとの間の精神的な距離は、同じ銀河系にあるとは思えないほどはるかに遠い)!

東仙坊、いよいよ本当のエンディングがきて、ホッとしている。
そのうえ、昨日、書き込んだ日に、我がイチローが今シーズンの第1号ホームランを打って、それも逆転の3ランホームランを打って、歓喜している。
その後の2打席も、思い切り振っての空振りの三振で、メチャクチャ満足している。
そして、今日も、第1打席、センターへライナーで大きなフライを打って、凄く明るい気分…。
第2打席、初球を打ち損ねて内野フライでも、一条の光明。
第3打席、2-2の無死無走者、3球目をまた打ち損ねて内野フライ。
やはり、バットを低く立てすぎる。
でも、希望はまだ棄てない。
第4打席、2-3の1死無走者、ボテボテのショートゴロ。
ヤバい、明かりが消えそう…。
それゆえ、相変わらず気の狂ったお嬢さん大統領が1mmも慰安婦問題で譲歩しないとのたまわっても、怒る気もしない。
さて、すでに何度も触れてきているが、サプアとの兄弟の縁を切るべきと断言する理由は、たった一つ。
我が日本のモラル再生を夢見る以上、サプアの悪影響を完全遮断することが絶対不可欠と確信しているからに他ならない。
サプア風の他罰的な言い方をすれば、我が国のモラル完全崩壊はサプアのせいで根底からグジャグジャ、ベチャベチャにされてしまっているからである。
そのぐらいジコチュウで自立心のない怠け者どもの我が国での跳梁跋扈は、ウイルスのようにいつのまにか日本人の魂をグニャグニャに溶かして機能不全にさせている。
我々日本人が本来の美しいその矜持を取り戻すためには、サプアとキッパリと手を切るしか手段はないはず。
そうしなければ、我が日本人のデリケートでセンスティブな感性までが喪失させられてしまうと危惧するからに他ならない。
では、どうしてそうなってしまうのか?
これも再三指摘してきたが、サプア人には、基本的にイマジネーションとクリエイティビティが欠如している。
それは確固たる自分たちのアイデンティティを見つけられないことによる致命的欠陥。
そこで、目ざとい彼らが目をつけたのが、同じナマズ仲間のカンパンゴ。
しかも、島国らしく、人を疑うことを知らない朴訥とした平和ボケのお人好し。
もともと、小中華で、「島」を差別する人種差別主義者どものこと、本気でカンパンゴと親しくしようなどという考えは毛頭なく、狡猾に利用することだけを考えただけ。
実際、サプア人にとって、カンパンゴ人は「倭奴(ウェノム)」、「チョッパリ(ヒヅメが割れた奴?)」でしかなく、在日も 「半チョッパリ」で差別の対象。
ところが、困ったことにカンパンゴ人は人間としてはるかに優秀。
そこで、小ズルいサプア人は考えた。
カンパンゴ人のバカみたいな人の好さを徹底利用することを…。
どんないいアイデアもテクノロジーも、パクってしまえばこちらのもの。
どんなにカンパンゴが稼いでも、その金を難癖やアヤをつけ、それでもダメならゴロを巻いて奪えばいいだけ。
サプアは、そう決めただけ。
反日だろうと、慰安婦問題だろうと、そのための単なる手段の一つ。
なぜこんなヤツラと仲よくしなければならないのか?
いや、どうやって仲よくなれるのか?
少なくとも、日本に何かが起きたとき、頼りにできる要素は何もないのでは?
では、ここまでソックリのナマズ兄弟であるサプアとカンパンゴがなぜそんなに違う考え方になってしまったのか?
その根幹的理由も、たった一つ。
対馬海峡とサプア海峡で隔たれていること、それだけ。
しかも、サプアは最もシビアな黒社会国家を隣にし、歴史が証明している過酷な「半島」に存在していること。
それによって、サプアは一時も油断できないキンキンしたスレッカラシになり、我がカンパンゴはどこかヌボーとしたほど大らかな性格になれただけ。
そのうえに、生来のサプアの怠惰な性格とカンパンゴのひたむきな性格が加わり、その差が決定的になってしまっただけ。
もっとも、今ではサイエンスの発達とグロバリゼーション化がそれをかなり縮めることになっているはずだが…。
どうあれ、この半島の国と島国との決定的な地政学的違いが、その魂の形成に大きく関わっていることは事実。
それを証明するのが、同じ漢民族でありながら、島に移り住むようになってたった半世紀で我がカンパンゴに近い人のいい人種になった台湾人…。
3.11で、その思いやりの精神は明々白々になったはず。
とにもかくにも、サプアはありとあらゆる角度から、自分たちに都合よく利用するために、カンパンゴを見つめ続けた。
すると、次第次第に、未開な野蛮人であるはずなのに、自分たち同様大して豊かでもないくせに、奇妙に明るく、のんびり、ゆったり暮らしを楽しんでいる姿に興味を持ち始めた。
一体が何がそんなに楽しいのか?
いつも隣の黒社会大国の圧力のもとでイジイジ暮らしているサプアには、人を疑うことも知らない平和ボケのカンパンゴ人のことを到底理解も想像もできなかった。
もちろん、それは単に島国という地政学的な幸運によるものでしかなかったが、そんなことなど全く意識しないままカンパンゴ人は肩ひじ張らずわが世の春をそこそこに謳歌していた。
サプア人は、いつのまにかそんなカンパンゴ人に憧れや思慕の念を抱くようになっていた。
そうなると、直情径行で傲岸不遜でジコチュウ丸出しのサプア人は、メチャチャ情念的でしかなかった。
オレ様が気に入っているのだから、オレ様を気に入れ!
オレ様が好きになったのだから貴様がオレを好きになるのは当たり前だ!
まさに、傍若無人のイヤやつ。
ところが、わび・さびの美を愛するカンパンゴ人は、とりわけ横柄で偉ぶるキンキラキン好きのヒトが本質的に好きではなかった。
その結果、サプア人とカンパンゴ人の間で心から愛し合う関係の構築など夢のまた夢でしかなかった。
しかし、たかが朝鮮半島の一部でしかないサプア人の厚顔無恥は、ハナから異常だった。
それどころか、カッとしやすくメチャクチャ執拗だった。
瞬く間に、サプア人はカンパンゴ人のストーカーと化した。
実は、東仙坊、このメチャクチャ一方的で粘着的で執拗な気持ちの押し売り行為を、サプアのDNA的血の混じりのせいだとかねてから感じているほど…。
そもそも、サプア人にとっては極めて自然な人を執拗に追跡し徹底的にイヤな気分にさせたり恐怖に陥れるストーカー(stalker)とは、サプアの本性。
しかも、それは何人も決して抑制できないカルト教信者のようなもの。
どうだろう?
これでもまだ、サプアとつき合う必要があるのか?
仮に我々カンパンゴが何度謝罪しようが、何度金を脅し取られようが、このサプアのストーカー行為は永遠になくならないはず。
なぜなら、彼らは自分の情念の前に、法も、論理も、真実も、無関係な民族だからである。
そのうえ、彼らほど自分の国さえも嫌っている民族は、世界に類がない。
何しろ、その国民の1割近くがすでに「韓僑」として国外脱出しているというのだから、普通じゃない。
それはそうである。
この時代に、民主主義国家を標榜しながら、言論の自由さえないのだから…。
そこで、最後の最後に、かなり重複する部分があると思うが、その異常性、本物のサイコパス度を指摘し、サプアとの決別にしたい。
サプアが、ベトナム戦争で、USA軍の威を借りて、人非人的虐殺行為や凄惨なレイプ事件を繰り返し起こしたことは、すでに歴史的に証明されている。
ここでは、ベトナムの地元紙フーイエン新聞が2年をかけて聞き取り調査し編纂した「サプア軍による虐殺の実態調査報告書」から、その安易に言葉にすることもはばかれる凄惨な実態を紹介しておきたい。
1966~1968年にかけて、サプア軍はフーイエン省やビンディン省などの海側のほぼ全域に駐留し、オゾマシイ虐殺とレイプ三昧。
①女性を輪姦し、ナイフで乳房を切り取った後、女性器にナイフを突き立て殺害。
②カエルの股裂きのように子どもの股を裂いた。
③子どもを放り投げ、兵士が持つナイフの上に落として殺害。
④村人を1ヵ所に集め、その目の前で若い女性だけをレイプした後、銃で皆殺しにし井戸に放り込んだ。
⑤少女ばかりを輪姦し、ナイフでバラバラに切り刻んで殺害。
どうあれ、その結果、サプア軍はベトナム全土約100ヵ所で、推計1万人から3万人の大量虐殺。
そして、ベトナムには最大で3万人の「ライダイハン」、サプア人孤児。
どうだろう?
どこをどう見ても、現代史の一大汚点として大問題にされるべきキチガイの蛮行では?
そこで、ついつい、旧日本軍の中で蛮行を犯したのはサプア兵なのでは?と思いたくなるのは、東仙坊だけではないと思うが…。
そして、あれだけ小うるさい知性に欠けるサプアのマスメディア、なぜこのことに触れないのか?
7月18日、慰安婦像が設置されているUSAカリフォルニア州グレンデール市で、1月のフランス・アングレーム国際漫画祭に出展した、慰安婦を題材にした漫画や絵画、デザイン画などの展示会が始まったという。
何でも、2012年にグランデール市が制定した「7月30日慰安婦の日」に向け、「旧日本軍の残虐性」や「慰安婦の悲惨さ」を主張する反日色の強いイベントが相次いで開催してゆくのだとか。
我が国の無能なマスメディアもそんなことを報道しているヒマがあったら、なぜかサプアのマスメディアが黙殺を決め込んでいるサプアでのUSA軍慰安婦の集団訴訟について、どんどん取り上げるべきなのでは?
それはそうだと思わないか?
仮にサプアが勝手に言及している「日本軍慰安婦」問題に日本に責任が責任があるなら、USA軍慰安婦問題の責任はサプア政府とUSA政府にあるのでは?
そして、在韓USA大使館やUSA軍慰安婦を管理していた青瓦台の前にUSA軍慰安婦像を建立し、毎週デモを行うべきなのでは?
そうでもしなければ、整合性が取れず、日本軍慰安婦像の設置は、日本から金をむしり取るための陰険なプロパガンダでしかないと無様にバレてしまうのでは?
それどころか、実は、USA軍慰安婦問題は、2004年に性売買特別法が施行されたはずの現在の恥ずべき問題なのでは?
それこそ、東仙坊、再三再四指摘し続けてきている、世界への性労働者供給国家サプアの証拠なのでは?

It must be a Korean to be strict with a person for oneself indulgently. And it must be a Japanese I am generous with oneself, and to be generous with a person(自分に甘く人に厳しいのがサプア人。そして、自分に甘く人にも甘いのがカンパンゴ人)!

To be continued...



彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-238

When we have no choice but to watch the large fool governor of Tokyo flattering the young lady President who had the mind of Korea upset desperately, the most of the Japanese citizen should vomit(サプアの気の狂ったお嬢さん大統領に必死に媚びている大バカ都知事を観て、日本国民のほとんどは反吐が出ているはず)!

■河野談話政府検証

□慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯

●河野談話作成からアジア女性基金まで

○サプアにおける「女性のためのアジア平和国民基金」事業の経緯

5)「基金」による新聞広告掲載(1998年1月)

①1998年1月上旬に、日韓の事務方のやりとりにおいて、日本側から、「『基金』事業に係るサプア内での理解を普及する目的として新聞広告(4紙)の掲載予定」を事前説明。
サプア政府側から、「『基金』事業の一方的な実施は問題の解決にならないとして、挺対協と『基金』との対話を進めようとしているが、挺対協からは組織内の意見がまとまるまでもう少し時間が欲しいといわれている」と回答。
②1998年1月6日、実際に広告が掲載されたことを受け、サプア政府側から、「日本側が柔軟性を発揮し、急ぐことなく、本問題が目立たずに徐々に消えていくよう対応するのが好ましいと考えており、その意味で、先日の新聞広告は極めて刺激的であった」との反応。

6)「基金」による償い金事業の一時停止(1998年2月~1999年2月)

1998年3月、金大中政権が発足し、サプア政府として日本政府に国家補償は要求しない代わりにサプア政府が「生活支援金」を元慰安婦に支給することを決定。
サプア政府から、「『基金』から受け取った元慰安婦は『生活支援金』の対象外となったものの、『基金』自体に表立って反対し、非難する措置ではない」と説明

②サプア政府は、「金大中大統領自身、本件について金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするなという意見であり、両国の問題は存在しないと思った方がよいとして、『基金』には申し訳ないが、政府間の問題にならないよう終止符を打つべき」との発言を紹介。

7)サプア赤十字社による医療・福祉事業への転換(1999年3月~1999年7月)

①「基金」は、1998年7月にオランダでの医療福祉事業が順調に開始されたこともあり、「償い金」に代わる医療福祉事業の転換を検討し、1999年1月末、サプア赤十字社に協力を打診する方針を決定。
これに対して、日韓の事務方のやりとりにおいて、「サプア側からは事業を抜本的に変更することは結構なこととして、形としては、日本側とサプア赤十字社の間で話が進み、サプア赤十字社より相談を受けた段階で前向きに対応することをそばから勧める段取りが適当と考える」との反応。
②1999年3月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、突如、サプア政府が方針を変え、この問題では何かしてもしなくても批判されるということを冷静に踏まえておく必要がある。サプア赤十字社はサプア政府の息のかかった組織であり、強い反対が予想されるので、今回の提案は勘弁してほしい」との反応
これに対し、日本側は、「事業転換は、金大中大統領訪日により醸成された未来志向の日韓関係に悪影響を与えないようにとの観点から、総理の了承も得て事業終了に強い難色を示す『基金』を説得したものであるとして、サプア側の申し入れは容易に納得し難い」と申し入れたものの、サプア側の協力が得られずに最終的に事業転換が実現できない状況

8)事業転換困難のまま基金事業終了(1999年7月~2002年5月)

①事業転換が実現できなかった「基金」は、1999年7月に事業停止することとなり、停止状態が2002年2月まで継続。
2002年2月20日、「基金」は、事業停止状態をいったん解き、サプア内での事業申請受付期限2002年5月1日にすることを決定。
②2002年4月に行われた日韓の事務方のやりとりでは、改めてサプア政府としては、「基金」の「償い金」支給、医療・福祉事業について反対。
2002年5月1日にサプアにおける全ての「基金」事業申請受付が終了し、1997年1月から始まったサプアでの事業が閉幕。

9)サプアにおける「基金」事業の終了と成果

①1995年に設立された「基金」には、基本財産への寄付を含め約6億円の募金が集まり、日本政府は、インドネシアでの事業をもって事業全体が終了する2007年3月末までに拠出金・補助金あわせ約48億円を支出。
サプアにおける事業としては、事業終了までに、元慰安婦合計61人に対し、民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(1人当たり計500万円)するとともに、これらを受け取ったすべての元慰安婦に対し、当時の総理の署名入りの「お詫びの手紙」をお渡しした。
その数は、橋本龍太郎政権下で27件、小渕恵三政権下で24件、森喜朗政権下で1件、小泉純一郎政権下で9件

②フィリピン、インドネシアやオランダでの「基金」事業では、相手国政府や関連団体などからの理解や肯定的な評価の下で実施できたところ、サプアでは、サプア国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け、同政府や国民からの理解は得られなかったものの、「基金」事業を受け取った元慰安婦からは、「日本政府から、私たちが生きているうちに、このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした、日本のみなさんの気持ちであることもよくわかりました、大変ありがとうございます」とするお礼の言葉。
③サプアの一部の元慰安婦は、「手術を受けるためにお金が必要だということで、「基金」を受け入れることを決めたが、当初は「基金」の関係者に会うこともイヤだという態度をとっていたものの、『基金』代表が総理の手紙、理事長の手紙を朗読すると、声を上げて泣き出し、『基金』代表と抱き合って泣き続けた、日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちを受け止めていただいた」との報告もなされており、サプア国内状況とは裏腹に、元慰安婦からの評価を獲得。


どうだろう?
何のために? なぜ? どうして河野談話の検証をしたのか?と言わざるを得ないシロモノでは?
一人の日本人として穴の中に恥じ入りたいだけ…。
そこで、東仙坊、これだけの労力をかけてきた以上、マネして「東仙坊談話」を出すことにした。

■東仙坊談話

●河野談話検証から、サプアについて確認できたこと

①完全なるキチガイ国家サプアを牛耳っているのは、情けなくてみっともないチンピラであるサプア政府でも、何も働かない無能な官僚どもでも、口汚いだけのサプアのマスメディアどもでもないということ。
間違いなくそれは、不気味な反日団体というより反政府団体「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」。
その意味では、更年期障害で血迷っているお嬢さん大統領も、ただの彼らの一兵卒。
その背後にいるのは、難癖やアヤツケや恫喝の戦術家北朝鮮。
だからこそ、実に困ったことに、我が日本の御し方を見事に心得ている。
自分たちが小さな犬であるからこそキャンキャン吠えまくる。
すると、人にいい大きな犬である我が国は黙って彼らに従ってあげる。
その我が国の致命的ウィークポイントを握った彼らの何もかもが独壇場。
我らこそが、金、金、金のために生きる彼らにとっての唯一無二の「金の生る国」。

②唯我独尊の小中華国家サプアにとって、我がカンパンゴとの関係は、国と国との国際関係ではないということ。
彼らにとって、我々は単に隣に住むお人好しのダンベー。
そこにあると思い込んでいるのは、歴史的な主従関係。
黙って言うことを聞いてやっている限りは、その存在すら無視。
一言でも反論したら、鬼でも追いやるように執拗にキャンキャン吠えまくってくる実に厄介な一方的な主従関係。
もし我々にスプーン一杯程度の人間としてのプライドがあるなら、吠え返さずとも噛み返すしかないはず。
そして、我々は「犬」ではないとはっきりと教えてやるしかないはず。

●河野談話検証から、カンパンゴについて確認できたこと

①我が優柔不断で曖昧模糊な政府、未熟でドン臭い外務官僚どもには、外交力が皆無だということ。
そのうえ、命懸けで国益を守るという発想まで微塵もないということ。
それだけじゃない。
吠える犬は噛まないという認識さえ持てず、吠えられるたびに逃げ回る無様な犬だということ。そして、キャンキャン吠える犬を黙らすには、肉片よりも金を与えればすむと思い込んでいるということ。
本当に悲しく切ない気持ちにならないか?
こんなテイタラクでは、我が国が疲弊するのは当たり前なのでは?

②いくら世界一のお人好し国家カンパンゴだからといって、もっともっと人間を細密に洞察すべきということ。
確かに、我々とサプアは、同じ「ナマズ(catfish)」の仲間で、隣にあるので兄弟とも言える。
実際、傍目には、今ではほとんど外見的に区別がつかない。
しかし、精神的には、月とスッポン。
地政学的に、最も遠くにある存在と言っても過言ではないはず。
何しろ、こっちは、孵化後にメスが多量の未受精卵を産み稚魚に食べさせる習性を持つかなりスマートであるだけでなく、最も多い「カワスズメ」の稚魚まで預かって育ててあげるような気のいいナマズ。
それに反し、サプアは、まず我がカンパンゴのカップルの近くでじっと様子を伺い、メスが産卵すると、あちらのメスも素早く同じ場所に産卵し、面倒はこっちに任せっ放しで知らんぷり。
そして、数日後、一足早く孵化したそのサプアの仔魚が、まだ孵化しない栄養満点のカンパンゴの卵を食べて成長してゆくというのだから、メチャクチャ小汚くてコスッカライヤツら。
何でも、「托卵」と呼ぶそうなのだが、まさに生きるためには何でもありのサプアそのものの在り方。
そんな卑怯で卑劣なヤツらとは、一刻も早く手を切るべきなのでは?
それこそ、兄弟の縁をはっきりと切ることでは?
そ、そ、それなのに、後生大事に水槽に入れて飼い、そのキックバックを手にしようとし続ける情けなくてみっともないカンパンゴの内にいる売国奴ども…。
結局、河野談話はそんな不逞の輩どもの産物ということ。
それを象徴するのが、ソウルの中心街にある日本大使館前での慰安婦の像を違法設置した「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が毎週水曜日のデモ。
5月21日、大阪市の女性グループ(?)が訪問。
5月28日、「平和な未来を子供らに-新日本婦人の会(?)」
6月4日、「新日本婦人の会 福岡県本部(?)」
7月2日、大江健三郎ら護憲派知識人(?)でつくる「九条の会(?)」が、在韓USA軍撤収や日米韓の合同軍事訓練、軍事・防衛に関する情報共有促進のための覚書取り交わしなどに反対を唱える親北朝鮮、反保守政権の運動体「平和と統一を開く人々(?)」と一緒になって、 「日本という国は、戦争ができる国になりました。日本人を代表して謝罪します」と叫び、日本大使館の敷地内に生卵や靴を投げ入れ、路上に着色スプレーで「集団的自衛権行使容認反対」と落書きをするなど、やりたい放題し放題。
そして、記念写真を撮って帰ってゆくというのだから、何をかいわんや。
今さら、7月15日、国連欧州本部(ジュネーブ)で始まった国際自由権規約委員会で、外務省人権人道課長山中修が、慰安婦を「性奴隷」と表現することを「不適切」とする見解を初めて国際社会に表明したって、それが何になるの?
それだって、中韓からのポケットマネーを手にした(?)トンチンカンどもが、日本政府に対し、「当委員会は2008年に日本政府に日本軍性奴隷被害者に対する法的責任認識と報酬を勧告したが、日本政府は履行していない。旧日本軍が強制動員した元慰安婦への謝罪が不十分であり、慰安婦(comfort women)という表現でなく強制性奴隷(enforced sex slaves)という表現を使うべきだ」と批判したのが先では?
本当に外交音痴で無能な日本政府では?

It must be the Japanese shame that there are lots of politicians thinking that a partner welcomes it willingly if we still take a modest approach(今なお下手に出れば相手が快く歓待してくれると考える政治屋どもがいること自体が、日本の恥)!

To be continued...



真実イチロー  ニューヨークにいることの暗雲状態!?

The world might be filled with big dark clouds not to mention New York. A black thunderhead opens in a heart of Ichiro in particular full(ニューヨークはもちろん世界中に大きな暗雲が立ち込めている。特にイチローの心には真っ黒な入道雲がいっぱい)!

6、7番での起用が続くイチローが、19打席振りのヒットを打った。
翌日、3-0で、2点差での9回裏、2死1塁で、代打を送られた。
それも、240台のブライアン・ロバーツではなく、280代のイチローにである。
そのイチローの怒った顔は、デタラメなストライクコールをしたアンパイアを睨んでるがごとくの鬼の形相。
すると、その代打のブライアン・マッキャンが死球。
2死1、2塁で送られた代打が、ヤンガービス・ソラルテ。
そのソラルテが簡単にショートフライを打ち上げて、ゲームセット…。
連勝中のチームが、連敗中のチームに自滅。
前日だって、またしても味方のエラーに足を引っ張られながらも好投していた黒田博樹の勝ちを相変わらずのヘボ継投で同点にされ、なんとか「サニー・ヘルプ・ヒット」でサヨナラ勝ちしたジョー・ジラルディ。
そのときも、無死1、2塁の追加点のチャンスに、秘蔵っ子のブレット・ガードナーに送りバントをさせなかったことを、実況の2人にボロクソに言われていたジョー・ジラルディ。
結局、この日の敗戦だって、単に左対左だからと速球が得意の左打者に速球しか投げられ左投手を起用した、ジョー・ジラルディの采配ミス。
そ、そ、そうしたら、そのヤンキース善戦の立役者ヤンガービス・ソラルテを、なんとトレードに出してしまったジョー・ジラルディ。
そんなジョー・ジラルディが、そのイチローの不満の態度を見逃すワケもない。
翌日、干されたイチロー。
それも、ライトに初めて守る240台のケリー・ジョンソンを起用して…。
そして、一打逆転のチャンスで代打に使われたのは、試合途中にブロンクスに着いたばかりのケース・ヘッドリー。
さらに、イチローは延長にでもならない限り打順の回らない守備固め。
それでも、延長になって、無死1、2塁で、絶妙の送りバント。
そう、イチローにサヨナラヒットを期待しないばかりか、サヨナラヒットを打たせたくないのが、ジョー・ジラルディ。
そして、せっかく1死2、3塁になっても、サヨナラはナシ。
続く打席も、ショートゴロ、これでまた6打席ノーヒット。
東仙坊、なぜ7番打者で喜んで野球をやっているなら、7番打者らしくサヨナラホームランを狙ったようなバッティングができないとガッカリ。
そして、今シーズン初めてのダルビッシュ有との対決。
2死2塁で、ど真ん中のストレートを見逃した後、またしてもど真ん中のストレートを無様に空振りの三振。
そして、第2打席、初球を打ってちょっと大き目のライトフライ。
東仙坊、そのバッテイングだよ…と一言。
さて、Ichigagaとして、イチローにどうしても言わざるを得ないことがある。
まず、今のバットを低くしたフォーム。
創意工夫のあるクレバーなキミのこと、考えに考えた結果だろうが、全くキミにフィットしていない。
それはカラダのキレがあるときやエネルギーがあるときならまだしも、やっぱり衰えている今の動体ではムリがあり過ぎる。
そのせいで、引っ張れないだけでなく、鋭い打球が打てなくなっている。
もちろん、今のままではあの狭いヤンキーススタジアムでも永久にホームランはゼロに違いない。
そして、致命的なのが、184という得点圏打率の低さ。
高校生じゃあるまいし、打ちたい気持ちが空回りし過ぎ。
その気持ちはわからないではない。
イチロー自身、「自分をレギュラーだと思っていない。そんな風には、ボクには見えない。そうだったら、どんなときでもライトにいるでしょう。左投手のときだってね。実際、どういう理由でそこにいるか、ボクにはわからないけど。ボク自身がそう思うべきではないと思う」と謙虚に感じていることは大切だが、7番打者として使われている理由があるはず。
いい加減、そのことを本気で理解すべきなのでは?
トップバッターではないのだから、コンスタントに出塁することよりも、打者返すかホームランを狙うバッティングに徹するしかないのでは?
それには、バットをもっと上げて力強くスウィングをするしかないのでは?
特に、インコースのファーストボールを思いっきり引っ張れなきゃダメなのでは?
そこで、超リッチなくせいに目に配慮しない意固地なイチロー。
東仙坊、ちゃんと度付きのサングラスをかけていたが、サングラスをかけるだけで余計に目の衰えを促進した経験をしているから言えるのだが、できるだけサングラスを外すべき。
そのいつも不満の表情をジョー・ジラルディに隠したいせいだろうが、止めた方がいい。
サムライブルーの誰かさんのように人相まで変わってしまうようなレーシック手術をしろとは言わないが、視力をもっと大切にすべき。
年齢的な衰えでどうやっても阻止できないのが、動体視力。
そう、我がイチローの最大の選手生命の重要なポイント。
だからこそ、そうしてもイチローに聞いてみたい。
今のヤンキースの野球の一体どこかオモシロい?
いや、ジーター以外に魅力のある選手がどこにいる?
いやいや、チャンピオンズリングを手に入れられる可能性がどこにある?
弟分の宗リンを見習え!
喪失してしまったサプアライ魂を取り戻せ!
サンディエゴにトレードされたヤンガービス・ソラルテが、今日、2番セカンドで大活躍したのはなぜか?
ボストンをクビになったグラディ・サイズモアが、フィアデルフィアでトップバッターを打っているのはなぜか?
もっともっとノビノビと野球に取り組める環境に替われ!
頼むから、これ以上に、イチローファンを失望させるな!
少なくとも、ヒットを打って一塁ベース上で相手の一塁手と交わす笑顔を見せ続けてくれ!!!
すべては気持ちの問題なのでは?と絶望的。
そ、そ、それなのに、今日のデーゲーム、ニューヨークは曇り空なのに、外野手でイチローだけサングラス。
東仙坊、それだけで、もうダメかも…と憂鬱。
また、7番ライト。
それも、1番にジャコビー・エルズベリー、2番にブレット・ガードナー、3番にウドの大木カルロス・ベルトランを起用してまで、イチローを7番。
ジョー・ジラルディのイチローへの気持ちが滲み出ているオーダー。
第1打席、無死無走者、メズラシク初球を思い切り振ってセンターに大飛球。
おそらく今シーズン一番の大きな当たり。
ファンプレーに阻まれたものの、メチャクチャ明るい光…。
第2打席、無死無走者、ストレートの四球。
次打者のレフト線の二塁打で、怒りの生還。
そのスピードに、さらに明るい光…。
第3打席、3-1とリードの2死無走者、再びど真ん中の2球を見送り、たちまち0-2。
そして、3球目クソボールをファールし、4球目のクソボールをレフト前にヒット。
せっかくニューヨークに陽射しが見え出したのに、再び複雑…。
それにしても、100試合を消化して、277になってしまうあたりに、イチローの終焉が近づいているのかも…。
もっともそれ以上に、終焉が近づいているのはジョー・ジラルディかも。
本当に無能な監督。
無死2塁で、次打者は初球をサードゴロ、その次がレフトフライ、辛うじて3人目が奇跡の同点ヒット。
そして、3-1でリードの7回表、またしてもお気に入りのいつもの継投。
すると、それに応えるように、アダム・ウォーレンがハンギングカーブでホームランを打たれ、たちまち1点差。
そして、バッターが左になると、懲りずに左のマット・ソーントン。
何とか抑えたものの風雲急。
そ、そ、そうしていたら、柄でもなく4-2になって、ないと思っていた第4打席が、2死3塁で回ってきて、いやな予感。
案の定、初球のど真ん中のファーストボールを見逃して、2球目のボールのファーストボールを当たり損ねの二塁ゴロ。
どこをどう観ても、美しくなく、思わず引退したら…と言いたくなってしまって、つくづくショック。

My only definite aim is gonna be right lost now(唯一の生きがいが、今まさに失われようとしている)!

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-237

It might not be still possible for the Japanese Government even to change so low-level Kawano statement because diplomacy thinks with distributing money(今なお外交が金を配ることと思っているくらいだから、我がカンパンゴ政府は、こんなに低レベルの河野談話を変更できないのかも)!

■河野談話政府検証

□慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯

●河野談話作成からアジア女性基金まで

○サプアにおける「女性のためのアジア平和国民基金」事業の経緯

1)「基金」設立まで(1993年~1994年)

④1995年6月13日、日本政府は、「サプア、台湾、インドネシア、フィリピン、オランダを対象にした基金を翌日に公式発表することを決定し、その設立目的や事業の基本的な性格などを記した『基金構想と事業に関する内閣官房長官発表』の内容」をサプア側に事前通報。
サプア政府から、「〈1〉全般的な感想としては、当事者団体にとって満足いくものでないにしても、サプア政府としては評価できる点もあるような感じがする 〈2〉従来より金泳三大統領は、慰安婦に対する補償金は要らないが、徹底した真相究明が行われるべきということ明らかにしている 〈3〉サプア側が要請してきた日本政府としての公的性格を含める必要があることおよび日本政府としてのお詫びの気持ちを表明することの2点がおおむね含まれており、こうした点において評価したい」と返答。関係団体に対し日本側の措置を説明するにあたっては、「サプア政府としてもできるだけ協力したい」との回答。
1995年6月14日、五十嵐広三官房長官が五十嵐談話を発表(抜粋)を発表。
1994年8月の村山談話を受け、また与党戦後50年問題プロジェクトの協議に基づき、政府において検討の結果、戦後50年にあたり過去の反省に立って「女性のためのアジア平和友好基金」による事業を次の通り実行。
元従軍慰安婦の方々のため国民(?)、政府協力のもとに次のことを実施。
〈1〉元従軍慰安婦の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金。
〈2〉元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府資金などにより基金が支援。
〈3〉この事業を実施するおりに、政府は元従軍慰安婦の方々に国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明。
〈4〉政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓。
女性の名誉と尊厳に関わる事業として、〈2〉にあわせ、女性に対する暴力など今日的な問題に対応するための事業を行うものに対し、政府資金などにより基金が支援。
「女性のためのアジア平和友好基金」事業に広く国民のご協力を願う「呼びかけ人」として、これまでご賛同を得た方々は次の通り(以下略)。

これを受け、1995年6月、サプア外務部は、外務部論評を発表。
〈1〉サプア政府は従軍慰安婦問題についてのフォローアップは、基本的に日本政府が1993年8月に発表した実態調査の結果により自主的に決定する事項であるが、従軍慰安婦問題の円満な解決のためには、当事者の要求している事項が最大限反映されることが必要であることを指摘してきた。
〈2〉このたびの日本政府の基金設立は、一部事業に対する政府予算の支援という公的性格は加味されており、また、今後右事業が行われる際、当事者に対する国家としての率直な反省および謝罪を表明し、過去に対する真相究明を行い、これを歴史の教訓にするという意志が明確に含まれているとの点で、これまでの当事者の要求がある程度反映された誠意ある措置であると評価している。
〈3〉サプア政府は、今後日本がこのたびの基金設立を契機に、さまざまな過去史問題に対する史実を明らかにし、右解決のための努力を積極的に傾けていくことによって、正しい歴史認識を土台にした近隣各国との未来志向的な善隣友好関係に発展させていくことを期待する。


2)「基金」設立初期(1995年~1996年)

①サプア被害者支援団体は、「『基金』を民間団体による慰労金と位置づけ、日本政府および『基金』の取組み」を批判。
これを受け、1995年6月、サプア政府は、「官房長官発表をサプア外務部としては評価する」と声明。
その後、サプア政府から、「被害者支援団体からサプア外務部に強い反発がきて困っている、このような事情からも表立って日本政府と協力することは難しいが、水面下では日本政府と協力していきたい」と連絡
②1996年7月、「基金」は、「『償い金』の支給、総理による『お詫びの手紙』、医療福祉事業」を決定。
特に、サプア政府から、「総理からの『お詫びの手紙』については、日本政府はサプア政府に対してお詫びをしているが、被害者は個人的にはお詫びをしてもらってないと感じている」と連絡
そこで、日本政府は、お詫びを表明するに当たっては総理による手紙というカタチを取ることを決定。
そして、日本政府からサプア側に説明するために、サプア政府を通じ「遺族会」および「挺対協」に対して面談を申し入れたが、「『民間基金』を受け入れることはできない」との両団体からの返答
③サプア政府からは、「〈1〉日本政府がどのような形式であれ、被害者たちが納得できる措置をとってほしい 〈2〉日本が法的に国家補償を行うことはムリであると明言したうえで、政府の謝罪の気持ちを表明し、何らかのカタチで、国家補償と同じように見えるものができないか? 〈4〉 『サプアとの関係については今後誠意を持って話し合いたい』というメッセージを日本政府より発出して頂けないか、その後、具体的にどう対応するかについて、時間をかけて日本側と静かに話し合っていきたい」との意向。
④1996年8月、フィリピンにおいて「基金」事業が開始されたこともあり、「基金」はサプア政府から認定を受けた被害者に対して事業を実施するとの方針の下、「基金」運営審議会委員からなる対話チームがサプアを訪問し、十数人の被害者に会い、事業の説明を実践。
1996年12月、元慰安婦7人が「基金」の努力を認め、事業の受け入れを表明。

3)元慰安婦7人に対する「基金」事業実施(1997年1月)

①日本政府は、7人に対する事業を実施するに当たり、実施前日の1997年1月10日、「在日サプア大使館に、『基金』事業を受け取ってもいいとの意思を表明したサプア元慰安婦に対し『基金』事業をお届けすると決めた」と事前通報。
サプア政府は、「〈1〉関係団体と被害者の両方が満足する形で事業が実施されるのでなければ解決にはならない 〈2〉何人かの元慰安婦だけに実施されるのであれば、関係団体が厳しい反応を示すこととなろう。日韓外相会談、首脳会談の直前であり、タイミングが悪い」と反応。
②1997年1月11日、「基金」代表団は、「ソウルにおいて元慰安婦7人に対し、総理の「お詫びの手紙」をお渡しし、サプアのマスコミ各社に対し、事業実施の事実を明らかにするとともに、『基金』事業について」説明。
元慰安婦の方々に対する内閣総理大臣の手紙
拝啓 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々への我が国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。
私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げます。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるワケにはまいりません。
我が国としては、道義的な責任を痛感しつつ、お詫びと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。
敬具
日本国内閣総理大臣
歴代内閣総理大臣署名 橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎

これに対し、サプアのメディアは、「基金」事業を非難し、被害者団体等による元慰安婦7人や新たに「基金」事業に申請しようとする元慰安婦に対するハラスメント攻撃。
被害者団体は、元慰安婦7人の実名を対外的に言及したほか、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春婦」であったことを認める行為であるとして非難

また、その後に、「新たに『基金』事業の受け入れを表明した元慰安婦に対しては、関係者が家にまで押しかけ『日本の汚いカネ』を受け取るな」と脅迫。
サプア政府から、直後に、「サプア政府としては、当然『基金』から目録などを誰に伝達したのかにつき通報を受けてしかるべきであった。日本側は少し性急すぎるのではないか?また、『基金』のサプアにおける事業実施につき本当に困惑している」と遺憾の意が通告
④その翌週の日韓外相会談において、柳宗夏サプア外務部長官より、「先週末に『基金』が事業を開始し、元慰安婦に支給を行ったことは極めて遺憾である、この撤回と今後の一時金支給の中断を求める」との発言
また、池田行彦外務大臣の金泳三大統領表敬訪問において、金泳三大統領より、「この問題は国民感情の面から見ると敏感な問題である、外相会談でこの話が取り上げられたと報告は受けているが、最近とられた『基金』の措置は国民感情にとって好ましくない影響を強く与えるものであり、遺憾である。このような措置が今後再びとられることのないようお願いしたい」との発言

4)「基金」事業の一時中断(1997年2月~1998年1月)

①「基金」事業を受け取った7人の元慰安婦が、サプア内で継続的にハラスメントを受けることになったことを踏まえ、「基金」は、一時事業を見合わせることとして慎重な対応に変更。
その一方で、一部被害者支援団体から、事業の受け取りを希望する元慰安婦との調整に前向きな反応もあり、そうした元慰安婦の数を増やすためにも引き続き事業に対するサプアでの理解が得られるようさまざまな方策を検討し、サプア国内で新聞広告を掲載することなどを模索。
②1997年夏から秋にかけて、日本政府と「基金」関係者との間で、サプア国内での広告掲載や事業再開について幾度も折衝。
日本政府は、サプア大統領選挙や日韓間の漁業交渉の状況もあり、延期するよう働きかけたところ、「基金」は、納得できないとの立場を堅持しつつも、日韓およびサプア国内のセンシティブな状況に配慮し、新聞広告の掲載を数回にわたって見送り。
③少しでも多くのサプア人元慰安婦に「基金」事業の内容を知ってもらい、理解を得たいと「基金」側が強く希望し、サプアの新聞社からも広告掲載の了解があったため、日本政府としても、1998年12月18日に終了する大統領選挙後であれば、静かに目立たないカタチで事業を実施し、広告についても掲載することはやむを得ないと判断し、小渕外務大臣までの了承を獲得。

We did the nonsense act named “the peaceful friendship fund for women of Asia” and did Japan waste the tax of how much nation? And how long are there the lawless people which they pocketed from there(「女性のためのアジア平和友好基金」なる意味のない行為をして、日本はどれだけの国民の血税をムダにしてきたのか? そして、そこからネコババした不逞の輩どもがどれだけいたのか)?

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-236

I think that people who supported rotten Yohei Kawano and Hyogo member of prefectural assembly of the head couldn't appear with entering the hole at this time(頭の腐った河野洋平や兵庫県議支持したヒトたちは、今ごろ穴に入ったまま出てこれないはず)!

■河野談話政府検証

□慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯

●河野談話作成からアジア女性基金まで

○河野談話の作成の経緯

5)河野談話の文言を巡るやりとり

③河野談話の文言を巡る日韓間の具体的な調整は、外相会談を受けて開始。
けれども、河野談話原案は、聞き取り調査終了前の1993年7月29日までに、それまでに日本政府が行った関連文書の調査結果を踏まえてすでに起案完成。
河野談話の文言調整は、談話発表の前日となる8月3日までの間、外務省と在日本サプア大使館、在サプア日本大使館とサプア外務部との間で集中的に実施。
遅くとも7月31日には、サプア側から、「最初のコメントがあった」ことが確認。
その際、サプア側は、「発表内容は日本政府が自主的に決めるものであり、交渉の対象にする考えは全くない。本問題を解決させるためには、サプア国民から評価を受け得るものでなければならず、かかる観点から、具体的発表文を一部修正されることを希望する、そうした点が解決されることなく日本政府が発表を行う場合は、サプア政府としてはポジティブに評価できない」と述べた。
その後、サプア側は、文言調整の期間中、複数回コメント。
これに対し、日本側は、内閣外政審議室と外務省との間で綿密に情報共有・協議しつつ、それまでに行った調査を踏まえた事実関係を歪めることのない範囲で、サプア政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、談話の文言についてサプア政府側と調整。
主な論点となったのは、〈1〉慰安所の設置に関する軍の関与 〈2〉慰安婦募集の際の軍の関与 〈3〉慰安婦募集に際しての「強制性」の3点。
慰安所の設置に関する軍の関与について、「日本側が提示した軍当局の『意向』という表現に対して、サプア側は、『指示』との表現を求めてきたが、軍の『指示』は確認できないとしてこれを受け入れず、『要望』との表現」を提案
慰安婦募集の際の軍の関与についても、サプア側は「軍または軍の指示を受けた業者」がこれに当たったとの文言を提案し、募集を『軍』が行ったこと、および業者に対しても軍の『指示』があったとの表現を求めてきたが、日本側は、募集は、軍ではなく、軍の意向を受けた業者が主としてこれを行ったことであるので、『軍』を募集の主体とすることは受け入れられない。また、業者に対する軍の『指示』は確認できないとして、軍の『要望』を受けた業者との表現」を提案。
これらに対し、サプア側は、「慰安所の設置に関する軍の関与、および、慰安婦の募集の際の軍の関与の双方について、改めて軍の『指図』という表現を求めてきたが、日本側は受け入れず、最終的には、設置については、軍当局の『要請』により設営された、募集については、軍の『要請』を受けた業者がこれに当たったとの表現」で決着。
「お詫びと反省」について、日本側は、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた方々一人一人に対し、心からおわび申し上げる」との原案を提示。
サプア側は「お詫び」の文言に「反省の気持ち」を追加することを要望し、日本側はこれを受容。
この交渉過程で、日本側は宮沢喜一総理、サプア側は金泳三大統領まで案文を上げて最終了解
慰安婦募集に際しての「強制性」について、どのような表現・文言で織り込むかがサプア側とのやりとりの核心。
1993年8月2日の段階で、サプア側は、「いくつかの主要なポイントを除き、日本側からサプア側の期待に応えるべく相当な歩み寄りがあり、その主要な点についても双方の認識の違いは大きくない。越えられない限界がありサプア国民に対して一部の慰安婦は自発的に慰安婦になったとの印象を与えることはできない」と発言。
具体的には、日本側原案の「業者の甘言、強圧による等本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」との表現について、サプア側は、「事例が数多くあり」の部分の削除を求めるも、日本側はすべてが意思に反していた事例であると認定することは困難であるとして拒否。
また、朝鮮半島における慰安婦の募集に際しての「強制性」にかかる表現について、最後まで調整が実施。
1993年8月2日夜までやりとりが続けられ、「当時の朝鮮半島は我が国の統治下」にあったことを踏まえ、慰安婦の「募集」「移送、管理等」の段階を通じてみた場合、いかなる経緯であったにせよ、全体として個人の意思に反して行われたことが多かったとの趣旨で、「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」という文言で最終的に調整。
1993年8月3日夜、最終的に、在日本サプア大使館から外務省に対し、「本国の訓令に基づく。金泳三大統領は日本側の現(最終)案を評価しており、サプア政府としてはその案文で結構である」と連絡があり、河野談話の文言について最終的に意見の一致。
④以上のとおり、日本側は(2)にあるように、関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、さらには軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等の一連の調査を通じて得られた、いわゆる「強制連行」は確認できないという認識に立ち、それまでに行った調査を踏まえた事実関係をゆがめることのない範囲で、サプア政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、河野談話の文言を巡るサプア側との調整に臨んだ。また、日韓間でこのような事前のやりとりを行ったことについては、1993年8月2日、日本側から、マスコミに一切出さないようにすべきであろう旨述べたのに対し、サプア側はこれに了解するとともに、発表の直前に日本側からFAXで発表文を受け取ったと言うしかないであろう旨述べた。また、8月4日の談話発表に向けて日本側事務方が用意した応答要領には、サプア側と「事前協議は行っておらず、今回の調査結果はその直前に伝達した。」との応答ラインが記載された。
⑤1993年8月4日、日本側では、河野洋平官房長官より、これまで行われてきた調査をまとめた結果を発表するとともに、河野談話を発表。
河野洋平官房長官は、その記者会見に際し、「強制性」の認識に関し、「今回の調査結果について強制連行の事実があったという認識なのか?」と問われ、「そういう事実があったと。結構です」と返答
また、「『強制』という言葉が慰安婦の募集の文脈ではなく慰安所の生活の記述で使われているのでは?」と問われ、河野洋平官房長官は、「『甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた』というふうに書いてあるんです。意思に反して集められたというのはどういう意味か。おわかりだと思います」と言明
さらに、「公文書で強制連行を裏づける記述は見つからなかったのか?」と問われ、河野洋平官房長官は、「強制ということの中には、物理的な強制もあるし、精神的な強制というのもある。精神的な強制という点では「官憲側の記録に残るというものではない部分が多い「そういうものがあったかなかったかということも十分調査をし、元従軍慰安婦から聞いた話や証言集にある証言、元慰安所経営者等側の話も聞いたとしたうえで、いずれにしても、ここに書きましたように、ご本人の意思に反して、連れられたという事例が数多くある。集められた後の生活についても、本人の意思が認められない状況があったということも調査の中ではっきりしております」とも言明
⑦河野談話発表後、サプア外務部は、「日本政府が今次発表を通じ、軍隊慰安婦の募集、移送、管理などにおいて全体的な強制性を認定し、また軍隊慰安婦被害者に対する謝罪と反省の意とともに、これを歴史の教訓として直視していくなどの決意を表明した点を評価したい」と発表。
また、在サプア日本大使館から外務省に対し、「サプア側報道は事実を淡々と述べ比較的肯定的な評価のものが多いこと、サプア外務部は積極的に協力していたことを指摘したうえで、その背景として、調査結果と談話が全体として誠意に満ちたものであったことに加え、同問題の扱いをめぐっては頻繁にサプア政府と協議をしつつ、日本側の率直な考えを伝え、かつサプア側のコメントを可能な限り取り入れてきたことがあると考えられる」と報告。
⑧日本側において検討され、サプア側とも種々やりとりが行われてきた日本側による元慰安婦への「措置」のあり方については、河野談話の発表を受け、両国間でより詳細な議論が開始。

○サプアにおける「女性のためのアジア平和国民基金」事業の経緯

1)「基金」設立まで(1993年~1994年)

①慰安婦問題を巡る日韓政府のやりとりでは、真相究明と後続措置がパッケージ。
1993年8月4日の河野談話でも、「お詫びと反省の気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える」と言及。
元慰安婦への「措置」について、日本側が、「いかなる措置をとるべきか?」とサプア政府の考え方を確認したところ、サプア側は、「日韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきものであり、サプア側がとやかくいう性質のものではないと理解している」と反応
②元慰安婦に対する具体的な措置についてサプア政府側とやりとりを重ねたが、「日本政府が何らかの具体的な措置を講じるとしても、日韓両国間では、慰安婦の問題を含め、両国および両国民間の財産・請求権の問題は、法的には完全かつ最終的に解決済みであり、サプアの元慰安婦に対しては、個人的な賠償となる措置は実施しないことを想定している」とサプア側に確認。
サプア側は、「日本側が戦後処理の清算の次元で自主的に処理すべきものであり、またサプア政府は日本政府に対し物質的な補償を求めず、かつ、日本側の措置には関与しない」と反応。
1994年の夏に入り、日韓の事務方のやりとりにおいて、サプア側からは、「サプアの世論の一つには被害者とその関係団体があり、彼らの要求は補償をしろというものである。一方、慰安婦問題であれ、何であれ、日本政府に何かを求めることはそろそろ止めにしようという世論もあり、数でいえばこちらの方が多い」との率直な意見
③1994年12月7日、与党三党(社会・自民・さきがけ)による「戦後50年問題プロジェクト・チーム」の下に設けられた慰安婦への対応を議論する小委員会で、「第一次報告」…国民参加の基金を設置し、元慰安婦を対象とした措置を行うとともに、過去の過ちを繰り返さないために女性に対する暴力など今日的な女性の名誉と尊厳にかかわる問題の啓発・予防・対応・解決に向けた活動の支援を行うこと、政府がこの基金に対する資金拠出を含め可能な限りの協力を行うことを表明。

Though it is big, and the indiscreet lip service of the politician who overflowed in one ambition and a honorary desire and thought to Korea continues spoiling Japanese national interest, what is not yet impeached formally must be wrong(一人の功名心と名誉欲と韓国への思いに溢れた政治家の無思慮なリップサービスが、日本の国益を大きく損ない続けているのに、いまだに正式に糾弾されないことは間違っている)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-235

I think the responsibility of the conventional Japanese Government which we make the diagram which Japan should paymoney for immediately if Korea keeps complaining and gave must be heavy(サプアがゴネればカンパンゴがすぐ金を払うという図式を創り上げた、今までのカンパンゴ政府の責任は重い)!

■河野談話政府検証

□慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯

●河野談話作成からアジア女性基金まで

○河野談話の作成の経緯

3)加藤紘一官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(1992年7月~1993年8月)

サプア側は、それまで真相究明のやり方についてはサプア側としていちいち注文を付けるべきことではなく、要は誠意をもって取り進めていただきたいとの姿勢であったのが、「1993年4月1日の日韓外相会談を境に、サプア国内の慰安婦関係団体が納得するようなカタチで日本側が真相究明を進めることを期待する、また、サプア政府自体は事態収拾のために国内を押さえつけることはなし得ない」との姿勢を示し始めた
1993年4月上旬に行われた日韓の事務方の意見交換の際にも、日本側の働きかけに対し、「〈1〉日本側が真相究明のためにあらゆる手をつくしたと目に見えることが必要、いたずらに早期解決を急ぐべきではない 〈2〉慰安婦は一部のみに強制性があったということでは通らないのではないか? 〈3〉サプア政府としては、日本側と決着を図り、サプア世論を指導するとか押さえ込むということはなし得ない、要は日本政府の姿勢をサプア国民がどう受け取るかにつきる」との見解。
1993年4月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、サプア側は、「仮に日本側発表の中で『一部に強制性があった』というような限定的表現が使われれば大騒ぎとなるであろう」と述べた。
これに対し、日本側は、「『強制性』に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできない」と応答。
また、協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より、「慰安婦全体について『強制性』があったとは絶対に言えない」との発言
⑨1993年6月29日~30日の武藤嘉文外務大臣訪韓時に、武藤外務大臣より、「客観的判断に基づいた結果を発表し、本問題についての我々の認識を示す。具体的にどういう表現にするかについては、日本側としてもサプア国民の理解が得られるようぎりぎりの努力を行う所存であるが、その際にはサプア政府の大局的見地からの理解と協力を得たい」との発言。
韓昇洲外務部長官からは、「日本側の誠意あふれる発言に感謝するとしつつ、重要な点として、『「第1に強制性の認定、第2に全体像解明のための最大の努力、第3に今後とも調査を継続するとの姿勢の表明、第4に歴史の教訓にするとの意思表明』。これらがあれば、サプア政府としても本問題の円満解決のために努力していきたい」との発言。
また、サプア側からは、「日本に対し金銭的な補償は求めない方針」との説明

4)元慰安婦からの聞き取り調査の経緯

①元慰安婦からの聞き取り調査に関しては、1992年7月~12月にかけてたびたび、サプア側からは、「〈1〉被害者および加害者からの事情聴取を行ってほしい 〈2〉日本側の誠意を示すためにも、全ての慰安婦とは言わないまでも、その一部より話を聞くべき 〈3〉日本政府が最善を尽くしたことがサプア人に伝わることが重要である 〈4〉日本政府だけでなく地方や外国でも調査を行ったり、関係者の証言も聴取することが望ましい」などとの指摘。
また、サプア側からは、「聞き取り調査によって関係者の感情を和らげることができ、また、自分の意思でなかったことを主張しているヒトに対し誠意を示すことになる」との見解。
②日本側においては当初、元慰安婦からの聞き取り調査を始めると収拾がつかず、慎重であるべきとの意見もあったが、1992年12月までに、そのサプア側見解を踏まえ、「真相究明の結論および後続措置に関してサプア側の協力が得られるメドが立った最終段階で、元慰安婦からの意見聴取を必要最小限の形で実施する」と対応方針が決定。
1993年3月の日韓の事務方のやりとりでは、日本側より、「サプア政府の仲介が得られれば、本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意がある」と打診。
これに対し、サプア側は、「評価すべきアイデア」とコメントするとともに、「全員から聴取する必要はない。証人の立ち会いを求めることはあり得るが、サプア政府は立ち合いを希望しない」と通告
③1993年4月ごろより元慰安婦からの聞き取り調査に関するやりとりが本格化。
その際に、サプア政府から、「慰安婦問題関係団体への打診を行ったが、慰安婦問題関係団体の主張は厳しく、解決を急ぐあまり当事者から証言をとってお茶を濁そうとしている」との反発があるとの説明
また、サプア政府は、「真相究明のあらゆる手段を尽くしたうえでの最後の手段として本人のインタビューが必要であるといった位置づけを説明する必要があり、いきなりインタビューを行うと一方的に決めるのではなく、時間の余裕をもって対応する必要がある」とも通告。
そのうえで、サプア政府が、「太平洋戦争犠牲者遺族会」および「サプア挺身隊問題対策協議会」に打診。
すると、サプア政府から、「『遺族会』は、聞き取り調査に応じる用意があるが、『挺対協』は、聞き取り調査には難色を示しているので、『挺対協』が出している証言集を参考とすることも一案」との見解提示。
1993年5月中旬には、サプア政府は、「聞き取り調査によって新たな事実が出てくるとは思わないが、この問題の解決の一つの手続きとして行うということであろう」との反応
1993年7月上旬に行われた日韓の事務方のやりとりで、サプア側より、「聞き取り調査の実施は最終的に日本側の判断次第であり、不可欠と考えているワケではないが、聞き取り調査は日本側の誠意を強く示す手順の一つであり、実現できれば調査結果の発表の際にサプア側の関係者から好意的反応を得るうえで効果的な過程の一つとなる」との意向
④1993年5月末~7月にかけて、日本側は、「遺族会」と「挺対協」と元慰安婦からの聞き取り調査の実施のための接触・協議。
なかでも、「『挺対協』の厳しい立場の根底には日本政府に関する不信感があり、それを和らげるためには現地調査の実施やインタビューへの民間人の立ち会いが必要である」とサプア政府から示唆。
そこで、1993年5月下旬、在サプア日本大使館が「挺対協」との協議に着手したが、聞き取りの実現には当時日本政府が行っていた追加調査結果の事前提示、「強制性」の認定などを条件として掲げてきて、日本側とのやりとりを経てもその立場を翻意させることは不可能だった。
また、その過程で、「挺対協」側より、「日本の役人、しかも男性がいきなりきても誰も心を開いて話はしない。慰安婦らの証言については自分たちががとりまとめていた証言集を参考にすることで十分」とのことで、最終的に「挺対協」からの聞き取り調査は断念し、代わりにその証言集をもって参考にする結果。
⑤在サプア日本大使館は、「遺族会」とも協議を開始し、複数回に亘る交渉を経て、聞き取り調査実施で合意。
この際、「〈1〉聞き取りは静かな雰囲気で行うこととし、場所は遺族会の事務所とすること 〈2〉聞き取りに当たっては、全国人権擁護委員連合会所属の弁護士1人および訴訟に関与した弁護士1人が日本側のオブザーバーとして、遺族会関係者1人が遺族会側のオブザーバーとして、それぞれ立ち会うこと 〈3〉遺族会の募集により希望する全ての慰安婦から聞き取りを行うこと 〈4〉外部の記者は入れず、また、遺族会の内部記録用としてビデオ撮影を行うが、本ビデオは公表したり法廷で使用したりしないこと 〈5〉慰安婦関連の訴訟で原告側の訴状の中に出てくる元慰安婦9人の証言については、被告である日本政府が訴状をそのまま参考にはしないが、遺族会側がそれら元慰安婦の証言を別の形でまとめたものを参考資料とする」ということで一致。
聞き取り調査は、事前調整の時間が限られていたこと、また日本側としては元慰安婦の話を聞きにいくという姿勢であったこともあり、遺族会側が手配した遺族会事務所で行われ、日本側は対象者の人選を行わなかった

また、聞き取り調査の実施に向けた日本側と遺族会の間の具体的な調整に際し、対象となる慰安婦の選定等については、サプア政府側が何らかの関与・調整等を行った事実は未確認。⑥最終的に、遺族会事務所での聞き取り調査は、1993年7月26日に始まり、当初は翌27日までの2日間の予定であったが、30日まで実施され、計16人について聞き取り。
日本側からは、内閣外政審議室と外務省から計5人が従事し、冒頭で聞き取りの内容は非公開である旨述べて聞き取り。
元慰安婦の中には淡々と話す人もいれば、記憶がかなり混乱している人もおり、さまざまなケースがあったが、日本側は元慰安婦が話すことを誠実に聞くという姿勢に終始。
また、サプア政府側からは、聞き取り調査の各日の冒頭部分のみ、サプア外務部部員が状況視察。
聞き取り調査の位置づけについては、事実究明よりも、それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで、日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図。
そのために、結果について、事後の裏づけ調査や他の証言との比較は不実行。
聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前にすでに河野談話の原案を作成済み


5)河野談話の文言を巡るやりとり

①1992年7月の加藤官房長官発表以降、日本側は真相究明および後続措置について何らかの表明を行うことを企図し、サプア側との間で緊密に議論。
1993年3月に行われた日韓の事務方のやり取りでは、サプア側から、「日本側による発表は、サプア側との協議を経て行われるような趣旨のものではなく、あくまでも日本側が自主的に行ったものとして扱われるべきものとしつつ、発表内容はサプア側をも納得させ得る内容に極力近いことが望ましい」との感想。
1993年5月の日韓の事務方のやりとりでは、日本側から、「発表に対してサプア政府からネガティブな反応は避けたい。『強制性』などの認識については、一言一句というワケにはいかないものの、サプア側とやりとりをしたい」と提案。
サプア側は、「種々協力したく、発表文については、その内容につき知らせてほしい」と要望。
1993年7月28日の日韓外相会談において、武藤嘉文外務大臣より、「発表の文言については内々貴政府に事前にご相談したいと考えている。この問題については右をもって外交的には一応区切りをつけたい」と要請
「金泳三大統領が、日本側の発表が誠心誠意のものであったならば、自分から国民に説明する考えであり、そうすればサプア国民にも理解してもらえると考えていると発言していた」ことを念頭に、「ぜひ大統領に日本側の考えを伝えてほしい」とも要請。
これに対し、韓昇洲サプア外務部長官からは、「本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領よりサプア国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待するとともに、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけることを期待している。サプアもこのような結果を待ち望んでいる」と発言。
②日本側では、加藤官房長官発表以降も引き続き関係省庁において関連文書の調査を行い、新たにUSA国立公文書館などでの文献調査を行い、これらによって得られた文献資料を基本として、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や「挺対協」の証言集の分析に着手。
政府調査報告も、ほぼ集約。
これら一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる「強制連行」は確認できないというもの。
In the Japanese future when there are only disgusting politician-likes and bureaucrats when diplomatic negotiations are not made majestic, it must be not bright at all(威風堂々と外交交渉ができないみっともない政治屋どもと官僚どもしかいないカンパンゴの未来は、決して明るくない)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-234

As much as we investigate Kawano statement thoroughly, we could understand the process when Japan made Korea a hooligan growing arrogant well(河野談話を精査すればするほど、カンパンゴがサプアを増長するチンピラにしていった過程がよくわかる)!

■河野談話政府検証

□慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯

●河野談話作成からアジア女性基金まで

○河野談話の作成の経緯

1)宮沢喜一総理訪韓にいたるまでの日韓間のやりとり(~1992年1月)

①1991年8月14日、サプアで元慰安婦が最初に名乗り出て、1991年12月8日、元慰安婦3人が東京地裁に提訴。
1992年1月に宮沢喜一総理が訪韓予定。
そんななか、サプアにおける慰安婦問題への関心および対日批判の高まりを受け、日韓外交当局(?)は慰安婦問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念(?)。
1991年12月以降、サプア側より複数機会に、「慰安婦問題が宮沢喜一総理訪韓時に懸案化しないよう、日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましい」との考えが通告。
また、サプア側が「総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のようなカタチで何らかの立場表明を行うことも一案。日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしい」と総理訪韓前の慰安婦問題への対応要求。

1991年12月の時点で、日本側における内々の検討においても、「できれば総理より、日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意の表明を行っていただく方が適当で、単に口頭の謝罪だけではサプア世論が収まらない可能性がある」として慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置を取ることも選択肢
②日本側は、1991年12月、内閣外政審議室の調整の下、関係する可能性のある省庁において調査開始。
1992年1月7日、防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見(?)
1992年1月11日、この文書について旭日新聞が報道したことを契機に、サプア国内における対日批判が過熱。
1992年1月13日、加藤紘一官房長官が、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与は否定できない。いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」と表明
③1992年1月16日~18日の宮沢喜一総理訪韓時の首脳会談で、盧泰愚大統領から、「加藤紘一官房長官が旧日本軍の関与を認め、謝罪と反省の意を表明いただいたことを評価。今後、真相究明の努力と、日本のしかるべき措置を期待」というリクエスト。
宮沢喜一総理は、「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が関与していた動かしがたい事実を知るに至った。日本政府としては公にこれを認め、心から謝罪する立場を決定。従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを表明したい。昨年末より政府関係省庁において調査してきたが、今後とも引き続き資料発掘、事実究明を誠心誠意行っていきたい」と応対。

2)宮沢総理訪韓から加藤紘一官房長官発表(調査結果の発表)までの間の期間の日韓間のやりとり(1992年1月~1992年7月)

①宮沢喜一総理訪韓後の1992年1月、サプア政府は「挺身隊問題に関する政府方針」を発表し、「日本政府に対して徹底的な真相究明とこれに伴う適切な補償などの措置」を要求。
日本側では、真相究明のための調査に加えて、「1965年の法的解決の枠組みとは別途、いわゆる従軍慰安婦問題について人道的見地からわが国が自主的にとる措置について、サプア側とアイデアを交換するための話し合いを持つ」とサプア側の考え方を内々に聴取(?)。
②日本側は、1991年12月に開始した各省庁における関連資料の調査を1992年6月まで実施。サプア側から、「調査結果発表前に、当該調査をサプアの政府および国民が納得できる水準とすることや、調査結果発表について事務レベルで非公式の事前協議を行いたい」と申し入れ。
また、発表直前には、サプア側から、「調査結果自体の発表のほか、当該調査結果についての日本政府の見解の表明、調査に続く措置の案の提示が含まれるべき旨」と意見が呈される
など、調査結果の発表ぶりについてサプア側と種々のやりとり。
調査結果の内容について、サプア側は、「日本政府が誠意をもって調査した努力を評価しつつ、全般的にサプア側の期待との間には大きな差があり、サプアの国民感情および世論を刺激する可能性がある」と指摘。
そのうえで、「募集時の『強制性』を含めて引き続きの真相究明を行うこと、『後続措置(補償や教科書への記述)』をとること、当時の関係者の証言などで明らかな『強制連行』や『強制動員の確信となる事項』が調査結果に含まれていない点に対するサプア側世論の動向の憂慮」も指摘。
なお、サプア政府は、日本政府による調査結果の発表に先立ち、1992年7月、「慰安婦問題等に関する調査・検討状況」を発表。
その際にも、「日本側に対し事前にコメントするよう」要請。
結果として、両国で事前調整。
③1992年7月6日、加藤紘一官房長官は、それまでの関係資料が保管されている可能性のある省庁において資料の調査結果を発表。
慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったこと。いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。このような辛酸を舐められた方々に対し、我々の気持ちをいかなるカタチで表すことができるのか、各方面の意見を聞きながら、誠意を持って検討していきたいと考えております」。
「徴用の仕方に関し、強制的に行われたのか? あるいは騙して行われたのかを裏づける資料は調査で出てこなかったのか?」と問われ、「今までのところ、発見されておりません」と回答。
サプア側は、「補償やその日韓請求権・経済協力協定との関係については、法律論で請求権は処理済みか検討してみないとわからない」とか、「現時点では日本側に新たに補償を申し入れることは考えていない」などと、サプア国内にも種々の議論の様子。

3)加藤紘一官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(1992年7月~1993年8月)

①加藤紘一官房長官発表の後も、サプアの世論においては慰安婦問題に対し厳しい見方。
かかる状況を受け、内閣外政審議室と外務省の間で、慰安婦問題に関する今後の措置につき引き続き検討。
1992年10月上旬、外務省内で行われた議論では、「盧泰愚政権の任期中に本件を解決しておく必要がある」と認識。
また、石原官房副長官の下で、内閣外政審議室と外務省の関係者が、慰安婦問題に関する今後の方針につき協議。
「慰安婦問題につき、今後検討する事項を、〈1〉真相究明に関する今後の取組 〈2〉サプアに対する何らかの措置 〈3〉サプア以外の国・地域に対する措置 〈4〉日本赤十字社への打診と〈2〉を実施するための協力要請 〈5〉超党派の国会議員による懇談会の設置とする方針」が確認。
真相究明については、資料調査の範囲を拡大するが、元慰安婦からの聞き取りは困難。
また、「サプアへの措置については、日本赤十字社内に基金を創設し、サプア赤十字社と協力しつつ、元慰安婦を主たる対象とした福祉措置を講ずること」を確認。
②10月中旬に行われた日韓事務レベルのやりとりでは、日本側より、「非公式見解としつつ、〈1〉日本赤十字社に基金を設置し、サプア等の国々に慰安婦問題に対する日本の気持ちを表すための措置を講ずる 〈2〉真相究明については、対象となる省庁の範囲を広げたり、中央・地方の図書館の資料を収集する等の措置を講じ、これら2点をパッケージとするアイデアがある旨」を伝達。
これに対し、サプア側からは、「〈1〉重要なのは真相究明である 〈2〉強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明はサプア国民からすれば形式的であり、真の努力がなされていないものと映る 〈3〉被害者および加害者からの事情聴取を行い、慰安婦が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要」との返答。
③こうしたサプア側の反応を受け、日本側において改めて対応方針の検討。
10月下旬、「未来志向的日韓関係の構築のためにサプアの政権交代までに本件決着を図るよう努力するという基本的立場の下、〈1〉真相究明(資料の調査範囲の拡大、元従軍慰安婦代表者(数人)との面会の実施といった追加措置をとり、結論。「強制性」については明確な認定をすることは困難なるも、『一部に強制性の要素もあったことは否定できないだろう』というような一定の認識を示す、〈2〉 『我々の気持ちを表すための措置」(日本赤十字内に基金を創設し、サプア赤十字と協力しつつ、主に福祉面での措置を想定)』をパッケージとすることで本件解決を図る」とサプア側に提案。
④1992年12月の大統領選挙との関係で、サプア側では検討はあまり進んでおらず、「本格的な議論は大統領選挙後に行いたい」との反応。
日本側は、サプア新政権のスタッフと調整を行い、早期かつ完全な決着をめざすとの方針を決定。
その際、今後の対応として、〈1〉真相究明のための措置を実施する 〈2〉後続措置の内容について可能な限りさらに具体化する〈3〉 「後続措置とセットの形で、真相究明の措置の結果として」、「一部に『強制性』の要素もあったと思われる」など一定の認識を示すことを再度サプア側に打診することを決定。
その際、真相究明のための措置として、〈1〉調査範囲の拡大 〈2〉サプア側調査結果の入手 〈3〉日本側関係者・有識者よりの意見聴取 〈4〉元従軍慰安婦代表からの意見聴取が挙げられているが、元慰安婦代表からの意見聴取については真相究明の結論および後続措置に関してサプア側の協力が得られるメドが立った最終段階で必要最小限のカタチで実施
⑤1992年12月、サプア大統領選挙と前後して、日本側は繰り返し、サプア側に対して基本的な考え方を説明。
「〈1〉日本政府はこれまで真相の究明に努力してきたが、100%の解明はそもそも不可能 〈2〉慰安婦の募集には、「強制性」があったケースもなかったケースもあろうが、その割合をあきらかにすることはできない(?) 〈3〉最後の段階で、日本政府関係者が慰安婦代表と会って話を聞き、またサプア政府の調査結果を参考にして、強制的な要素があったということを何らかの表現にして政府の認識として述べてはどうかと考えている」。
これに対し、サプア側は、「〈1〉理論的には自由意思で行っても、行ってみたら話が違うということもある 〈2〉慰安婦になったのが自分の意志でないことが認められることが重要」と反応。
後続措置に関しては、日本側より、「法律的には片づいているとしつつ、ことの本質から考えて単に違法行為があったということでなく、モラルの問題として誠意をどう示すかの問題として認識している」と伝達。
措置を取るにあたって、「サプア側の意見は参考としてよく聞くが、基本的には日本が自発的に行うものである」と説明。
⑥1993年2月、金泳三大統領が就任。
1993年2月~3月ごろの日本側の対処方針に係る検討においては、基本的考え方として、「真相究明についての日本政府の結論と引き換えに、サプア政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディールで本件解決を図る。真相究明については、半ば強制に近いカタチでの募集もあったことについて、何らかの表現により我々の認識を示すことにつき検討中。措置については、基金を創設し、関係国(地域)カウンターパートを通じた福祉措置の実施を検討。『強制性』については、例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、『自らの意思に反したカタチ』により従軍慰安婦とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意がある」とサプア政府に打診。
また、元慰安婦の代表者からの事情聴取に関しては、真相究明の結論および後続措置に関し、サプア側の協力が得られるメドが立った最終的段階で、他の国・地域との関係を考慮しつつ、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討。
⑦1993年3月13日、金泳三大統領は、慰安婦問題について、「日本政府に物質的補償を要求しない方針であり、補償は来年からサプア政府の予算で行う。そのようにすることで道徳的優位性をもって新しい日韓関係にアプローチすることができるだろう」と発言
1993年3月中旬に行われた日韓の事務方の協議において、日本側は、〈1〉慰安婦問題の早期解決 〈2〉サプア政府による世論対策の要請 〈3〉大統領発言を受けてのサプア政府の方針と日本による措置に対するサプア側の考え方の確認などを軸とする対処方針。
この対処方針の中で日本側は、「真相究明の落とし所として、日本政府として『強制性』に関する一定の認識を示す用意がある」と具体的に打診。
また、「サプア政府の仲介が得られれば、本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意がある」とも打診。
サプア側は、日本側の認識の示し方について、「事実に反する発表はできないであろうが、例えば、何らかの強制性の認定の前に、『軍は募集に直接関与したことを示す資料は発見されなかったが』」などの複雑な前置きは避けるべき」と要請。
1993年4月1日の日韓外相会談では、渡辺美智雄外務大臣より、「強制性」の問題について「全てのケースについて強制的であったということは困難である。両国民の心に大きなシコリが残らないようなカタチで、日本政府としての認識をいかに示すかぎりぎりの表現の検討を事務方に指示している。認識の示し方について、サプア側と相談したい」と韓昇洲外務部長官に伝達。

It must be only blackmail to merely get merely money on an anti-day in Korea and to do it(サプアの反日は、単に金をただ貰いするための恐喝)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-233

It must be necessary for our country immediately that the real diplomat who can catch Japan in the world objectively, and the whom the liver which can mean a lot majestically towards the world sat down on(我が国には、世界の中での日本を客観的に捉え、威風堂々と世界に向かってモノが言える肝の据わった外交官が早急に必要)!

東仙坊、まるでJack off用にしか使えない無意味な河野談話検証報告書に、心の底から絶望している。
この国の政治屋や官僚には外交のDNAが皆無なのかも…。
そこで、もう一度、我が日本政府の本音を推し量るべく菅義偉官房長官の言い訳を再チェック。
●河野談話作成過程検討チームの報告書発表を受けた菅義偉官房長官
 「河野談話の作成過程に関し、これまで明らかにされていなかった事実が含まれている。2007年に閣議決定した政府答弁書を継承する政府の立場は変わらない。慰安婦問題については筆舌に尽くしがたい辛い思いをした方々の思いに非常に心が痛む。政府の立場は変わらない」
─検証結果についてサプア側に連絡は?
 「報告の直前に概要を通報した(?)。報告書の詳細は今後説明したい」
─日韓での談話の文言のすり合わせが証明された
「そうしたことも含めて当時の事実関係を検証する必要があるというカタチで検証した」
─談話の見直しは?
 「談話は20年以上前だ。元慰安婦の聞き取りの裏づけ調査もしていない。見直しは事実上不可能だ(?)」
─サプアとの関係改善は?
 「サプアは最も重要な隣国だ(?)。今後も日韓関係を重視し、さまざまレベルの対話を通じて協力関係を進めていく」
─談話の有名無実化だ(???)
 「お互いに言い分があるから専門家の手に委ねた。指摘は当たらない。日本がサプアと談話を外交交渉で発表したワケだから、相手がいるので一方的に見直すことはできない(?)」
─アジア女性基金の経緯に触れた狙いは
 「日本が何もしていないとかなり流布されている。我が国が対応してきたことを明らかにすることは極めて重要だ(?)」

どうだろう?
菅義偉をしてこれでは、我が国は永久的に外交音痴なのでは?
東仙坊、別れるのに金のことに触れるヤツは最低だと決めつけているが…。
そ、そ、それなのに、元慰安婦に「償い金」を支給したアジア女性基金に関し、事業終了までにサプアの元慰安婦61人に1人当たり「償い金」200万円を支給したことも明示したとは、ただただ醜悪。
こんなクソの役にも立たない河野談話検証報告書なのに、サプアに組みする我が国のマスメディアはどんな反応をしたのか?
○毎日新聞、「これで論争を打ち止めに(?)」。
○日経新聞、「棚上げ論」。
○読売新聞・産経新聞、見直し必要論。
○サプアとグルの旭日新聞、「問題解決の原点に返れ(?)」、「もっとも大切なのは元慰安婦たちの救済(?)」、「もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ(?)」。
もはやサプアの新聞?
そもそも、旭日新聞、サプア政府が2005年8月、「国民の知る権利」に応じるとして、1965年の日韓条約に関連する外交文書3万6千ページを一方的に公開したことをどう捉えているのか?
どちらも、「国民の知る権利」という点では同じでは?
それで、やはり不可解極まりないのが、今や完全にキチガイのサプアの反応。
あれだけ歴史を見直せ!とさんざん言っておきながら、それをすればまた文句。
ただのアヤツケ、因縁とはわかっていても、ただただ呆れるだけ。
検証結果公表前から激しく反発していたと思ったら、発表に合わせ、島根県竹島沖の日本の領海を含む海域でチンピラらしく射撃訓練を強行する「力による恫喝」。
そのあまりの発狂度に、大丈夫? 病院に行けばと言いたくなるほど。
そして、すかさずサプア外務省報道官は、「日本政府が談話を継承すると言いながら検証すること自体が矛盾した行為で無意味だ。事実関係をゴマカシ談話の信頼性を損なう結果を招く内容を含んでいる。深い遺憾だ」と声明を発表。
そして、「河野談話は日本が主体となった調査と判断に基づいて作成したもので、談話の文言確定にサプア政府は関与していない」と主張。
さらに、「反論や資料を提示するし、対抗措置を取る」と示唆。
◎文化日報、「サプア政府が日本の挑発と見なし、超強硬な対応を取る」
北朝鮮?
◎中央日報、「日韓関係は破綻する」
そっちが破綻させたのだろうが…?
と、ここまで書き込んで、東仙坊、メチャクチャ困惑。
岸田文雄外相は、「河野談話を見直すことはない。韓国は大切な隣国であり対話を積み重ねながら、2国間関係を進めていきたい」と言っているのに、???
そして、「日韓外務省局長級協議で、河野談話検証結果について詳細に説明し、河野談話自体の見直しは行わない点を強調してサプアに理解を求める」とまで言っているのに、???
何で? どうして?
そちらにとって、いいことばかりなのでは?
そこで、ああ、そうか!とようやく納得。
強制連行を認めた河野談話を使ってサプアは日本の非道徳性を世界に発信し、日本の国際的な地位を貶め、自分たちが日本よりも道徳的にすぐれた国であるとプロパガンダを展開してきたはず。
そして、河野談話はサプアが戦時中の日本の加害責任を威風堂々と正攻法で認めさせた「貴重な成果物」、「優位性の証明」ということにしていたはず。
つまり、サプアはお互いにすり合わせたことを内密にしようという日本の提案を悪用し、未開で野蛮な日本を自分たちなら簡単従わせられると吹聴してしまっていたはず。
そ、そ、それなのに、実際のところは、サプアの執拗な難癖に辟易した日本が面倒になって、不承不承サプアにお伺いを立てながら、言われるままにその「強制連行」の香りをつけたのだと知られたら、面目丸潰れなのだ。
それどころか、全面的にサプアが作成したようなものだということになったら、その信憑性までなくなってしまうのである。
その意味からも、河野談話が日韓共作のシロモノであっては困るのだ。
なぜなら、「日本と事前協議した事実は絶対にない」とすでに国内外に言ってしまっているから、メチャクチャ都合が悪いのだ。
いくら現代の国際社会にふさわしくウソが得意でも、そうなるとかなり厄介なのだ。
本当にウソツキは大変だと思わないか?
それは、日本の内なる売国奴どもも同じだと思うが…。
さて、では、いよいよ何のためにやったのか全く理解に苦しむ河野談話検証について、徹底検証することにする。
何でも、河野談話の見直しはしないという制約のもとで、一切の評価、提言はもとより美辞麗句や傍論のたぐいも排し、事実の経過だけを淡々と記述する手法を採用し、河野談話作成までの日韓両国政府のやりとりを主とする事実経過を閲覧した限りで内容がほぼ妥当なものと判定できる公文書に依拠して復元し、国民の「知る権利」に応えようとした作業だったとのことだが…。

■河野談話政府検証

●検証作業のスタンス
できるだけ公正な立場で、河野談話が出てきた経緯を検証。
信憑性には立ち入らないことが条件。
当時の内閣外政審議室が持っていた約240冊、外務省が持っていた約10冊のファイルなど、日本が持っている資料はほぼすべて検証対象としたかなり密度の高い検証。

●河野談話作成の背景
当時の日韓両政府は、慰安婦問題を乗り越えて新しい未来志向の日韓関係を築きたいという願いがあって(?)、互いの立場を踏まえて談話の文言の調整を実行。

●聞き取り調査の目的
第二次大戦が終わったのが1945年、元慰安婦16人への聞き取り調査が行われたのは1993年と48年のブランクがあるために、元慰安婦の方々がいろいろな思いを持っていたとしても、必ずしもすべて正しい記憶を言えたかどうかは不明。
聞き取り調査は、これまでの調査結果が客観的に正しいものであるかどうかの確認作業と日本政府が慰安婦の方々に寄り添って心情をくみ取ることに主眼(?)。
必ずしも、新しい事実を発見するとか、談話の文言を確定するとかの目的ではなかったので、法廷証拠のような信用性を問う性格のものになっていないとのこと。

●河野談話検証の背景
○河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果の裏づけ調査は未実行。
○河野談話の作成過程でのサプア側との意見のすり合わせがかなりあったということ。
○河野談話の発表によりいったん決着した日韓間の過去の問題が、最近になり再びサプア政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が生かされておらず非常に残念だということ。
○秘密保全を確保するとの前提の下、当時の政府が行った元慰安婦や元軍人等関係者からの聞き取り調査も閲覧。
○元慰安婦からの聞き取り調査を担当した当時の政府職員からのヒアリングが内閣官房により実施。

●河野談話検証のためのチームスタッフ
○弁護士(元検事総長)但木敬一(座長)
○亜細亜大学国際関係学部教授秋月弘子
○元アジア女性基金理事ジャーナリスト有馬真喜子
○早稲田大学法学学術院教授河野真理子
○現代史家秦郁彦

ところで、東仙坊、昨日、プロファイリングしたばかりの「岡山県倉敷市小5女児行方不明事件」で昨夜、大展開があった。
その成熟した女性に絶望したというよりも、成熟した女性に歯牙にもかけられないみっともないペドフィリアのクソッタレ、
無職、藤原武(49歳)が逮捕され、11歳の小5女児WMGが無事(???)に保護されたというから、とにかくホッとして、独り乾杯…。
何でも、このクソッタレ、WMGの母親が記憶していた数字と一致するナンバーのシルバーの小型セダン(トヨタ製)を所持し、WMGの携帯電話のGPSが位置表示していた倉敷市の北東2kmからさらに北東6kmの岡山県岡山市北区楢津の2階建て一軒家に独り暮らししていたというから、開いた口が塞がらない。
それも、その家は実家で、数年前に父親が死亡し、約1年前に県外から戻ってきたのだとか。
おそらく親の身上でも食いつぶし、ブラブラしていたに違いない。
そして、情けなく本気で幼女に夢中になっていたに違いない。
この手のタイプは決して懲りないので、市中引き回しのうえ獄門晒し首に処すべき。
そんなクソッタレのことより、東仙坊、飲みながら心配しているのは、WMGの今後のことばかり…。
それはそうだと思わないか?
すでに6日も経ってしまっているのでは?
本当にWMGの瞳は、まだ白い朝顔のままなのか?
その「PTSD」、「トラウマ」はハンパじゃないのでは?
あるいは、ファザーレスチャイルドでもあるWMG、「プリンセス症候群」と呼んでいいような「ストックホルム症候群」になってしまっている可能性も大なのでは?
どちらにしても、慎重かつ繊細なメンタルケアが絶対に必要なのでは?
WMGが、薄紫色の朝顔になってしまわないためにも…。
というのも、捜査員たちが踏み込んだとき、クソッタレが横にいるのに、2階建て住宅1階の洋間のベッドに白いパジャマを着て寝転んでテレビを観ていたWMGは、驚いた様子で「何、何」と声をあげたというのでは?
頼むからWMGの母親、そして祖父母、ここはWMGのために思い切った決断が必要だと思うのだが…。

What did our Japanese Government inspect nonsense Kawano statement for again(我が日本政府は、ナンセンスな河野談話を、何のために再検証したのか)?

To be continued...





緊急プロファイリング 岡山県倉敷市小5女児行方不明事件

If something worst rises to this 11-year-old small 5 girl, I can never permit Okayama Prefectural Police Kurashiki station(この11歳の小5女児に最悪な何かが起きたら、岡山県警倉敷署を断じて許せない)!

東仙坊、この終わりなきテーマでの検証をリクエストしてきた副団長から、久しぶりにメールをもらった。
半狂乱になっている東仙坊への暑中見舞い的メールだろうと思って、わざわざメガネを替えて読んだ。
本当に近ごろ乱視と老眼がヒドイ。
老いて卵子?と紅顔?かと苦笑しつつ、メールを読んで、見て、ちょっとビックリした。
そして、慌ててwebチェック。
それから、柄でもなくテレビのニュースチェック。
確かに、副団長の指摘するように、どこか似ている…イヤな予感もする。
ずっと彼女を狙っていたのだとしたら、それもありえる?
それはそうである。
単にタガの緩み切った我が国にやたらめったら増加している、大人の女性を相手にできないだけの卑怯で卑劣で情けないペドフィリア(paedophilia)やチャイルド・マレスター(child moleste)rの拉致監禁強姦なら、何ヵ月も1人の少女をターゲットに狙ったりはしないはず。
何が何でもその被害少女でなければならない確固たる理由があるはず。
となると、第一は、父親(?)周辺のオトコ?
第二は、母親に好意を寄せるオトコのイヤガラセ?
実際、母親も一緒につけ回されているのでは?
もっともそうだとしたら、母親が顔を見れば誰だかすぐ特定できたと思うが…。
えっ、誰が誰に似ているのか?って?
今回の行方不明というよりは拉致誘拐された不運な岡山市の11歳小5女児が、あのMiss横田めぐみに…。
それで、日朝急接近している現状に、副団長は「『横田めぐみの拉致事件を忘れるな!』とサプア人が見せしめのために拉致したのじゃないの? と一瞬思ってしまったというのである」。
東仙坊、さすがにそういう事件ではないと思いながらも、その似ていること自体には、思わず絶句…。
では、こんな汚れなき瞳をした少女を連れ去ったクソッタレオトコは、どんなヤツなのか?
とにかく、少女の無事を心の底からひたすら祈りながら、緊急プロファイリング。

■岡山県倉敷市小5女児行方不明事件

●現時点で知り得る限りの事件の時系列的概要

①7月14日午後4時ごろ、岡山県倉敷市立中庄小学校の小5女児(11歳。便宜上、White Morning Glory:ホワイトモーニンググローリィ:白朝顔「WMG」と呼ぶ)が、母親に、「これから帰るから迎えにきて」と自分のGPS付携帯で電話。
しかし、母親(39歳)が、「今、妹の付き添いで病院にいるから(?)迎えに行けない。歩いて帰って」と返答。
そこで、WMGは親しい友だちと学校で別れ、同じ方向に帰る児童らと一緒に、中庄小学校の東門から下校。

②WMGの岡山県倉敷市徳芳にある自宅は、学校から北東約2km。
子どもの足で歩いて40~50分(?)。
同じころ、学校を出るWMGの姿を同級生が見かけているとか。
おそらく帰宅コースは、田んぼが点在する住宅地内の道を通るルート(?)。
周辺道路は、比較的交通量があり、しかも日中は農作業する地元住民も行き交うとか。
そして、野球場「マスカットスタジアム」などがあるスポーツ公園内を通るのだが、この日は高校野球の夏の予選会があり、かなり混雑。
ただし、その公園を出ると道幅は途端に狭くなり、車2台がすれ違うのがやっと。
周囲は田んぼが広がり、あぜ道。
やがて、田んぼと住宅が混在する地域になると、道路の見通しが悪くなり、建物の陰に入ると、1本隣の道からも死角になるとか。

③WMGが自宅近くまで帰っているのを見た目撃証言も多数。
なかでも、 7月14日午後4時半ごろ、自宅の西約140m(?)の路上で、シルバーの小型セダンの前で、黒っぽいスーツを着て、メガネをかけた30代から40代とみられる背の高い短髪のオトコと話しているWMGを見たという目撃情報はメチャクチャ重要。
なぜなら、5月、下校するWMGを迎えに行ったところ、自宅近くの通学路で帰ってくるWMGのすぐそばに不審なシルバーの小型セダン銀色の車が止まっているのをWMGの母親が見かけ、ナンバーの一部を記憶し、翌日、倉敷署に相談していたというから、ハンパじゃない。
そして、その車には気味の悪いオトコが1人で乗っていたというから、まさに母親の勘。
そのために、母親は、WMGにGPS機能付きの携帯電話を持たせたというから、相当の違和感だったのでは?
実際、そのシルバーの小型セダン、6月上旬にも母親が目撃していただけでなく、「6月ごろから何度か、WMGの家の近くに長く駐車しているシルバーの車を見た。眼鏡をかけスーツ姿のオトコの人が乗っていた」と多数の近所の住民も目撃していたというから、普通じゃない。
しかも、「違法駐車かなっていうぐらい、ずっと止まってたらしいんで」と母親と同じくシルバーの車のナンバーを控えていたという人もいたというから、さらにビックリ。
さらに、事件当日の午後3時30分ごろ、「シルバーの車。運転席にオトコの1人。髪形が、たぶん若いんやと思う。黒で短髪」というWMGの自宅がある集合住宅横の駐車場に止まっていたシルバーの小型セダンの目撃証言があるというから、唖然。
また、付近の住民たちによると、WMGの自宅周辺では6月以降、女児に声をかける不審なオトコの情報が相次いでいたというから、何をかいわんや。
さらにまた、WMGの同級生によると、1~2年前、スタジアムがある公園をWMGが下校中、自転車に乗る不審者に背後から声をかけられ、前から「あの人怪しいよ」という話は子どもの間で出ていて、WMG)に「逃げて!」と同級生が叫んだことがあったとか。

④7月14日午後5時、母親が帰宅するも、WMGはいない。
近くや通学路を探すも見つからない。
そこで、7月14日午後5時半過ぎ、WMGの携帯に電話すると、着信音が鳴るもののWMGは電話に出ない。
それゆえ、WMGの携帯電話のGPS機能で位置検索すると、自宅の約2km北東の倉敷市上東地区付近の倉敷市立庄中学校近くの住宅街の2ヵ所にほぼ集中
つまり、学校と逆方向。
と同時に、7月14日午後5時半、岡山県警倉敷署に捜索願提出。
ちなみに、7月14日午後9時過ぎまでに、約20回、GPS機能の位置検索した結果は、ずっと同じ場所
そして、7月15日午前0時半過ぎ、再び電話をかけたが応答はなく、その約10分後、WMGの携帯電話は電波圏外になったのか? 電源が切れたか? 電源が切られたか? 電話は不通。

⑤WMGは、母親と妹2人の4人暮らしで、近くに祖父母が住んでいるという。
また、「JR倉敷駅前で写真に似た女の子がオトコといた」など、7月18日朝までに集まった一般情報は、約110件(?)。
しかし、残念ながらいまだに未発見というから、メチャクチャもどかしい。

●東仙坊がプロファイリングするこの事件の致命的な欠陥

①これだけ自分より歴然と弱い立場の女性(?)にしかアプローチできない情けなくてみっともないオトコどもが、街中に溢れている時代。
警察は、身代金目当ての誘拐などというトンチンカンな発想を棄て、まず「チャイルド・マレスター」の蛮行を念頭に超スピーディーな捜査を必要とされる。
この「チャイルド・マレスター」とは、ロリコン趣味とも無関係なほど単に自分のリピドーのハケグチとして幼女を狙い、とにかくその性的満足を直接手に入れようとするクソッタレに他ならない。
つまり、人間としてのプライドはもちろん、男としてのプライドなどどこにもないから実に始末に悪い。
あえて言うなら、「退行型嗜好的児童性虐待者」。
そして、その道具として必ず使用するのが、モータリゼーションの世界らしく車。
その観点からも、クソッタレの使用している車を特定することが、最優先課題。
今回のケースでも、頻繁に犯行現場周辺に出没していることから見て、半径100km圏内にクソッタレの住家か会社があることは確実。
しかも、被害女児の母親や近隣住民もその車のナンバーの一部(最後の4桁?)を記憶していたはず。
そこで、今回のケースではメズラシク事件翌日には公開捜査を実施した倉敷署に、東仙坊、正直、感心していた。
巷間言われているように、この手の幼児拉致事件では、「First 48 hours(最初の48時間)」が無事に保護できるかどうかの勝負。
と、と、ところがである。
公開捜査に踏み切るということは、その前に、可能な限りの重要な物的証拠の捜査を終えていないと、被害女児の生死に関わってしまうはず。
このケースでは、そのクソッタレの使用したと思えるシルバーの小型セダンの割り出しなどは、一部でもナンバーが判明しているのだから車のデータベースで容易にできたはず。
と同時に、WMGの自宅周辺や小学校周辺、さらには近くの主要道路の防犯カメラの解析も終えていなければいけなかったはず。
さらに、今や拉致誘拐事件の決め手といっても過言ではないWMGの携帯電話を発見していなければオカシイはず。
だからこそ、WMGの公開捜査をする段階で、この重要参考車としてシルバーの小型セダンの写真を目撃者たちから証言で確認し、一緒に公開捜査すべきだったはず。
本当にこの国の科学捜査はどうなっているのか?

②このクソッタレは、午後3時ごろから午後6時ごろに車に乗っていられる立場なのでは?
そして、それが逆に変装かトリックなのかもしれないが、このクソ暑い季節に黒っぽいスーツのようなものを着ているというのでは?
それも、かえって目立つシルバーの小型セダンに乗って、それこそ人の目も気にしないで徘徊しているのでは?
どうあれ、それで気になることは、出入りに目立たないマンションか一軒家に住んでいる可能性が高いのでは?
それより何より、危惧していることは、WMGの顔形、体躯、服装…。
あどけない顔、150㎝のやせ形、セミロングの黒髪、白い半袖ポロシャツと紺のスカート(制服?)、白いソックスと白いスニーカー、ピンクのランドセル、ブルーの携帯電話。
そして、WMGが長女であること。
この手のクソッタレ、ターゲットが清楚で大人しくて純真無垢なほど、グジャグジャにしたがる性向を持っているからである。
その意味では、このWMGは、クソッタレの白い朝顔にされてしまう確率が高過ぎると、メチャクチャ気をもんでいる。
どちらにしても、岡山県はもちろん、広島県、島根県、鳥取県、兵庫県、四国の4県の方々に、シルバーの小型セダンの情報提供をぜひ倉敷署に、お願いしたいのだが…。

③最後に、どうせ誰も言わないだろうから、東仙坊、どうしても言わざるを得ない。
WMGの母親よ、女の直感でそこまで憂慮していたのなら、なぜ必ず自分でWMGの送り迎えをしなかった。
もし本当にWMGの妹のどちらかが病気で病院に行かざるを得なかったのなら、なぜ祖父母のどちらか病院を一緒に連れて行かなかったのか?
そして、しばらくの間、妹の面倒を看てもらい、WMG迎えに行って再び病院に戻ればよかっただけなのでは?
あるいは、病院に事情を話、ひとまずWMGを迎えに行けばよかっただけなのでは?
そこだけは、どうしても不可解なのだが…。

It will not be only us to have felt that the photograph of this disappearance girl resembles “Miss Megumi Yokota”(この行方不明女児の写真が「ミス横田めぐみ」と似ていると感じたのは、私たちだけではあるまい)!





















彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-232

Korea which must be only a Japanese stoker could assert themselves only by looking down on Japan(カンパンゴのストーカーでしかないサプアは、カンパンゴを貶めることでしか自己主張ができなくなってしまっている)!

東仙坊、前回が長くなりそうなので、苦肉の手法…。
河野談話とは、歴史の厳密な事実関係よりも、強制性の認定を求めるサプア側への政治的配慮に基づき、日韓両国が姑息かつ狡猾にすり合わせて作成した日韓合作の政治的妥協の産物ということ。
その日韓による情けないデタラメのデキレースの醜悪な裏側を垣間見みてみよう。
主役は、今や世界の恥でしかない無能な外務省。
とにかく当たり障りのないように自分に責任がこないように働こうとしない外務官僚どもは、まるで中国の官僚のごとく。
すべてを「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」通りに運ぼうと、いたるところでまず布石。
1993年3月、内閣外政審議室長谷野作太郎が、「強制の定義を、『単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合を含む』と拡大解釈すべき」と伏線。
それで何とかサプアの意向にだけは応えようと画策。
1993年7月、日韓外相会談で、武藤嘉文外相が「河野談話の文言は内々に事前に相談したい」と申し入れ。
河野談話の根本的な問題は、国民不在の密室で作成したうえ、発表後に慰安婦問題で対外折衝をしなければならない政府内担当者らにすら作成経緯や実態を秘匿にし続けたこと。
そして、河野談話作成に直接関わった少数の不可解な関係者どもが囲い込み、密封してしまったこと。
そのせいで、主犯格の外務省の後進はもちろん、ほとんどの人々が本来引き継がれるべき情報や河野談話の事実関係や発表にいたるまでの事情もわからないまま、河野談話に呪縛されるようになってしまったこと

実際、河野談話発表から2年後の1995年8月に内閣外政審議室長になった平林博は、「一度きちんと唯一の根拠となったサプアでの元慰安婦16人の聞き取り調査の中身を教えてほしい。我々も関係文書を見せてもらえないんです。あれは『秘』だというのです。『マル秘』なんだと」と言っていたとか。
凄い話だと思わないか?
河野談話の原案を、前任の内閣外政審議室長谷野作太郎が言葉遣いも含めて中心になって作成したにもかかわらず、後任の平林博は見る機会さえ与えられなかったというのである。
そこで、平林博のさらに後任の内閣外政審議室室長登誠一郎は、1998年3月、わざわざOBの谷野作太郎らを呼んで慰安婦問題に関する政府調査や河野談話の作成過程などについていろいろ問いただしたとか。
すると、谷野作太郎はヌケヌケと「河野談話を巡る日韓のすり合わせなどとんでもないことだ。サプア政府と一言一句文言を詰めたということは絶対になかった。また、そういうことがあったとの根も葉もないウワサが出ること自体も大変遺憾なことだ」と答えたとか。
もっとも、内閣外政審議室室長谷野作太郎が、河野談話発表時にまとめたダメ役人ならではの「想定問答」に、「サプアに対しては、発表案文について事前に協議しなかったのか?」との問いに、 「事前協議は行っておらず、今回の調査結果はその発表直前に伝達した」という模範解答があったというのだから、至極当然なのかも。
どうあれ、宮沢喜一首相と河野洋平官房長官の国民裏切りの売国奴内閣が意図して国民を欺こうとしたことだけは事実。
その徹底したデタラメぶりを証明したのが、1997年3月12日、内閣外政審議室長平林博と自民党小山孝雄との国会でのやり取り。
「これまでの調査では慰安婦の強制連行はなかったのか?確認したいが…」
政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述はなかった
「慰安婦の聞き取り調査の裏づけはとったか?」
個々の証言を裏づける調査は行っていないが、軍が強制連行をした形跡もない。調査の信頼性もさることながら、周りからの影響を受けながら元慰安婦の方は証言をされたという気がする。相当昔の話なのでかなりムリがあったと思う。とにかく、河野洋平が自分で作った談話を自分流に解釈した。資料では少なくとも見つからなかった。見つからなかったからこそ、曖昧な表現になった
そして、平林博は今回の河野談話の検証を評価し、こう強調しているとか。
慰安婦問題は、日本を道義的、政治的に貶め劣位に置くためのサプアと中国の道具。当時の日本政府のやり方がオカシければ明らかにした方がいい。日本と日本人の名誉ために正面から戦っていくしかない」。
また、聞き取り調査に関しては、1997年3月19日、自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の会合で、内閣外政審議官東良信が、「強制性認定の明確な根拠として使えるものではなかった」と吐露していたとも。
さらに、2007年、第1次安倍晋三内閣は、「政府発見の資料の中に強制連行を示すような記述はない」との答弁書を閣議決定しているとか。
そ、そ、それなのに、煮え切らない日本政府は、今年2月まで、サプアとの事前協議の事実を否定していたというから、開いた口が塞がらない。
そして、今なお、その元慰安婦16人の聞き取り調査報告書は、「非開示」というから、ますます呆れるだけ。
また、1994年~1996年に内閣外政審議室審議官として戦後50周年記念事業担当美根慶樹は、元慰安婦への聞き取り調査報告書を初めて読んだとき、「非常にもどかしい思いだった。事実関係がもっとはっきりできるのではないかと思っていたが、今一つはっきりしない。調査では元慰安婦とされる女性の証言への反証もなく、話を詰めるプロセスもナシ。強制を感じていた女性はいたが、肝心要の誰に強制されたかは判然としない。『あなたが言っている根拠は?』『誰が強制したのか?』と詰めていけば、立ち往生するような話。物事をはっきりさせる裁判などに耐えうる証拠ではない。質は低い」と感想をもったとか。
それでも、所詮、役人は役人、美根慶樹は「いろんな問題はあるにせよ、日本として慰安婦問題に無関心ではなく取り組んでいくという姿勢を国際社会に示し、評価されたことは本当に大きい」とのたまい、「聞き取り調査に関しては一定の結論を得るための儀式だとあらかじめ織り込んでいた」と、本音トーク。
そこで、「調査はそういうものだったから、杜撰でもしようがないということか?」と問われると、「そうですね。調査記録を読む心得としてそういう気持ちがあった。それが当然の前提という感じがあった。そうでないと調査報告書はほとんど意味がない」と答えたというから、何をかいわんや。
そうしたら、驚いたことに、サプアからも河野談話に関わる日韓間のすり合わせの事実を証言する奇特な人が出現。
1993年の河野談話作成時、駐日サプア大使館歴史問題担当だった元サプア外務省東北アジア局長で、現・東西大特任教授だという、趙世暎。
日本側から「内々に相談に乗ってほしい」と要請があった。
8月4日の談話発表直前には、日本側から「こういう表現だがどうだろうか?」という案文提示まであった。
そこで、サプア側から「『こうした表現ならば大丈夫ではないか』と意思表示した」というのである。
もともと、サプア側から、日本側が河野談話の一部修正に応じなければ「サプア政府としてはポジティブに評価できない」と通告していて、サプアペースで最終調整できた。
また、こうしたすり合わせについて、日本側からサプア側に「マスコミに一切出さないようにすべきであろう」と申し入れがあったので、サプア側も了解した。
というのも、我がサプア政府は、日本側が出すという慰安婦問題に関する談話についての核心は「強制性」であり、どうしても「強制性」は必要というスタンスだった。
ただし、聞き取り調査結果の中身は「具体的には日本側が自らの判断で発表すべきだ」との立場でもあった。
そこで、サプア外務省からは「日本側と談話の案文の交渉はしない」とまで文書指示をしていた。
そうしたら、日本政府高官から、「日本側で決めてほしいという気持ちはわかる。後ですり合わせをしていたことが明らかになれば、世論から批判される恐れがあると心配するのもわかるが、内々に相談に乗ってほしい」と要請があった。
この高官の名前(???)は明かせないが、「後からサプアに責任転嫁するつもりはない」とも言っていた。
凄く惨めな気持ちにならないか?
これが日本政府のやり方なのでは?
こんな稚拙な隠蔽工作をするあたりに、その無能さが如実に表れていないか?
国民への最低な背信行為だと怒る前に、メチャクチャ悲しくならないか?
これだからこそ、河野洋平を簡単に吊るせないし、閣議決定もしていない河野談話を簡単に引込められないのでは?
全く根拠のない河野談話がこれだけの国辱的負の遺産だということが明白になっても、拙速に政治決着を急いだ河野談話の虚構性が明確になっても、破棄、撤回できないのはそのへんの事情からなのでは?
結局、すべては卑屈で脆弱な日本政府のテイタラクが招いた結果なのでは?
事務方トップ官房副長官だった石原信雄が、「USA国立公文書館の文書調査まで行ったが、日本軍や官憲が女性たちを強制的に集めたことを客観的に裏づけるデータは見つからなかった。一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる『強制連行』は確認できないというものだった。また聞き取り調査の裏づけ調査はしていない」というのが、唯一無二の真実だったのでは?それにしても、簡単に謝罪し、いつも平身低頭で誠意を持って接すれば相手に通じると思ってしまう我が日本のなんと時代錯誤のことか?
とっくに世界は国益第一の何でもありの裏切り社会のでは?
そうだとすると、生来の893国家でしかない中韓との接し方は相当な覚悟と勇気がいるものなのでは?
どちらにしても、や、や、やっとのことで、日本政府は、6月20日、慰安婦募集の強制性を認めた百害あって一利なしの河野談話の作成過程についての内閣官房・外務省・有識者による検討チームの報告書を公表した。
それも、いまだに情けなく政府の公式見解というカタチを取らず、民間有識者チームの検証結果報告というカタチをとって、なるべく波風を立てないように配慮しつつ…。
それだけじゃない。
まるで日韓関係の悪化を好まないUSAの脅かしに屈したかのように(?)、安倍晋三政権は「河野談話の見直しを断念し、引き続き河野談話を継承する」と公言して…。
実際、みっともない外務省は一貫して「穏便に、穏健に」とビビりながら…。
そして、検証結果報告後、岸田文雄外相に、「河野談話そのものの見直しはまったく考えていない。この点をサプア側に説明し、理解してもらいたい。日韓関係で前向きな方向でとらえられるように努力していきたい」と言わせ、菅義偉官房長官にも、「国会から要請を受けて検証チームにお願いして、国会に報告するのは民主国家であれば、どこの国でも同じではないか?すでにサプア側へ報告書の概要を伝えた。河野談話を見直さないという政府の立場に何ら変わりはない」と釈明させて…。
確かに、個々の事例や事実関係への評価は見事に避けられていて、有識者チームの但木敬一座長が言う通り、「この報告書は信用性を問う性格のものではない」。
では、一体何のためにこの検証を行ったのか?
日本側の遠吠え用の主張のためなのか?
昨年11月でも57.1%の河野談話の見直し要求があったのでは?
国際社会に対しての我が国の「性奴隷国家」という汚名をそそぐためではなかったのか?
我が日本政府は本当に救い難い外交音痴病患者だと泣いているのは、東仙坊だけではないと思うが…。

Traitors whom there must be on Japan which they use an obstinate false charge of Korea skillfully and obtain a right is the worst(サプアの執拗な難癖を巧妙に利用して利権を得ているカンパンゴの内にいる売国奴どもが最悪)!

To be continued...







彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-231

With a disgusting man of Yohei Kawano and the Hyogo member of prefectural assembly who became fired, it should like two peas in a pod(河野洋平とクビになった兵庫県議のみっともないオトコとは、瓜二つ)!

東仙坊、その名前を書くのも汚らわしいので省略するが、その生きている間に同じ日本人として二度と顔も観たくない典型的パラノイア男性兵庫県議…。
その辞表が受理されたうえ、虚偽公文書作成・虚偽公文書行使で兵庫県警に刑事告発されたと聞いて、鉄格子の中で兵庫県、国民のために命を捧げることがどういうことなのか、イヤと言うほど学習しろ!と一言。
そして、こんなカスを冗談でも県議にさせた兵庫県民よ、しばらくは自粛しろ!穴に入っていろ!とさらに一言。
そこまで言いたくなる理由は、たった一つ。
この河野洋平なる薄らバカの政治屋を、冗談でも首相にしようとした国民が、いやいや衆議院議長にしたのが、我々自身だということになるからに他ならない。
どちらにしても、自民党がまだ政党の体をなしているのなら、この薄らバカを、そして、今なお河野談話を評価できるとのたまわっているサプアとの折衝経緯を知る当時の関係者どもを早急に国会に参考人招致し、説明責任を果たさせるべきなのでは?
そして、売国罪(?)で刑事告発すべきなのでは?
東仙坊、本格的に河野談話の検証に入る前に、どうしてもそう思ってしまうのだが…。
というのも、この平和ボケのタガの緩んだ日本では、どちらもジコチュウで自分の功名心のことばかりを考え人のために何をなすべきかも知らない無知蒙昧なアンポンタンでしかないからに他ならない。
とりわけ、河野洋平なる薄らバカは、日本を性奴隷国家の汚名を着せられる直接的原因を作ったのだから、まさに万死に値する。
なぜそこまで明確に糾弾できるのか?
それは、パラノイア男性兵庫県議と同じで、河野談話発表後の記者会見での自分は特別と勘違いしたジコチュウオトコが、唐突と発してしまった一言…。
ついついノリで口がすべったのか?
あるいは、どこかで勝手にそう信じ込んでしまっていたのか?
それとも、日韓和解のためにはウソも方便と思い込んだのか?
あるいは、サプアから点数を稼ぎたかっただけなのか?
とにかく、不気味な元慰安婦支援組織の強硬な突き上げを口実に「談話に『強制連行』の4文字を入れろ!」と迫るサプア政府の脅迫に動ぜず、その脆弱な恥知らずの日本政府でも何とか最終的に「総じて本人たちの意思に反して集められた」という玉虫色の表現で食い止めていたのに、それを一人勝手に覆した確信犯の無責任な売国奴が、河野洋平。
 「調査結果は、強制連行の事実があったという認識でいいのか?」
 「そういう事実があったと。結構です
 「客観的資料は見つからなかったのか?」
 「強制には物理的な強制もあるし、精神的な強制もある。精神的な強制は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし、関係者、被害者の証言、それから加害者側の話を聞いている。いずれにしても、本人の意思に反した事例が数多くあるのははっきりしている

こ、こ、この一言に、狡猾なサプアが「強制連行を日本側に認めさせた」と国際社会に大プロパガンダ。
瞬く間に、どこにも「強制連行」の4文字のないはずの河野談話が、日本政府が「従軍慰安婦強制連行」を認めたという事実に変容し、世界に「性奴隷国家」かのような最悪のイメージを広めてしまったのである。
どうだろう?
間違いなく国家反逆罪と言っても過言ではないのでは?
それなのに、いまだに日本国民に対し心からのお詫びと反省の気持ちを表していないばかりか、臆面もなくその河野談話を自画自賛し、ヌケヌケと「安倍晋三首相は議員に上から目線で接していることが少なくない。議員の背後にいる国民に著しく礼を失している」などとほざいているのでは?
自分こそが日本の「顔」、国民などには事実を知らせる必要はないとばかりの「上から目線」で河野談話を作り、戯言をのたまい日本を貶め、いかなる批判にも一切耳を傾けようとしてこなかったくせに、とんでもないオタンチンだと思わないか?
そして、こんなオタンチンをそのまま日本憲政史上最長期間衆議院議長を務めさせ、今なお血迷った余計な活動をさせている情けない自民党も同罪なのでは?
いくら正直者がバカを見る国際政治の世界だといっても、サプアのウソに騙される程度のバカな頭じゃ存在そのもがマイナスなのでは?
どうあれ、河野談話以前に河野洋平を政治屋にしたこと自体が大きなミステークなのでは?
もちろん、こんな薄らバカに投票したノーテンキなヒトびとの責任も甚大。
まさに、パラノイア男性兵庫県議のケースと同じ。
そこで、本格的な河野談話検証の前に、薄らバカ河野洋平を先にチェックしておきたい。
●河野洋平の「いわゆる『河野談話』検証結果の公表を受けて」とするコメント
今から21年前、私が宮沢内閣の官房長官として、宮沢総理をはじめ関係部局と相談しながら、国内外の多くの資料、旧軍人や慰安所経営者など幅広い関係者の証言、そして元慰安婦の方々の聞き取り調査などをもとに作成したものが、いわゆる「河野談話」であり、当時、私自身、日韓関係の大きな問題を乗り越えるために懸命の努力をし、その結果が「河野談話」だと思っています
すでに安倍総理ご自身が「河野談話の見直しは行わない」と発言されており、私としては今回の検証チームの報告が出たことで、新たに付け加えることもなければ、差し引くこともないと考えております
私は、当時いわゆる慰安婦と呼ばれた人たちが総じて自らの意思に反して働かされたということに対して申し訳ないという日本人の気持ちが、今も変わってはいないと思っています
日韓関係の厳しい環境が続く中、私としては日韓双方の指導者の大局的な判断により、一日も早く両国の関係改善がなされることを切に願っております。
2014年6月20日
河野洋平

どうだろう?
当時の恥知らずの日本政府の統一見解だった「いかなる意味でも、日本政府の指揮命令の下に強制したということを認めたワケではない」を独断で無視し、一番の争点だった軍や警察による「強制連行」を認めた発言をし、その「強制連行」を独り歩きさせた責任者の言うことか?
それだけじゃない。
1997年3月31日付の旭日新聞インタビューに「サプアとすり合わせるような性格のものではありません」と大ウソをついていたのでは?
それでいて、「批判に耳を傾ける謙虚さも自分を抑制する姿勢も見られない」とか、「政権が談話を継承する以上、それ以外の発言は不規則発言だと首相がはっきり言わなければならない」と安倍晋三首相を厳しく批判したのでは?
もはや、ただの妖怪でしかないのか?
どうあれ、念のために、その1993年8月4日の河野談話とはどんなものだったのかをチェック。
●慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。
慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた。

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。
我々は、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

どうだろう?
確かに曖昧でも強制連行の「レ」もないのでは?
どちらにしても、まずこの河野談話作成にいたるまでのプロセスを検証したい。
河野談話が、サプアでの元慰安婦16人への聞き取り調査にって作成されたものではないということ。
1993年2月、無能でとにかく穏便に波風を立てないようにと事なかれ的対応のメッカである外務省で作成された内部文書「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」に基づいて作成されたもの。
つまり、河野談話の原案は聞き取り調査が終了する前に作成済みだったということ。
そのために、外務省はあらかじめ一定の「結論」を想定し、事前に何度も何度もサプア側のリクエストを聞き、すり合わせにすり合わせを重ね修正に修正を重ね、サプアの了解を事前に得て原案を作成したもの。
そのために、ハナから真相解明など眼中になかったというもの。
サプアの意向を汲んだ日本政府の結論と引き換えに、サプア政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディールで本件解決を図ろうと勝手に夢見ただけだということ。
それによって、サプアの方で慰安婦問題の決着を何らかのカタチで表明してくれるに違いないと期待した甘い考えだったということ。
7月26日から30日までの5日間、ソウルの「太平洋戦争犠牲者遺族会」事務局で、元慰安婦16人の聞き取り調査を実施。
しかし、おくまでそれは「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」の結論を正当化するためのもので、しかもその「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」に沿ったものだったということ

政府自らが、「真相究明の結論および後続措置に関しサプア側の協力が得られるメドが立った最終的段階で、必要最小限の形でいわば『儀式』として実施することを検討する」と位置づけていたもの。
そして、その「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」のシナリオ通りに、最初から儀式としてサプア政府とのすり合わせて実施したもの
元慰安婦1人当たりの聴取時間、わずか2時間半から3時間。
裏づけ調査のない調査報告書(?)はおよそ証拠能力の認められない杜撰なもの。
A4判13枚で、「慰安婦にされた経緯」、「慰安所での生活」、「その他の状況」の3点が記されているが、16人中、生年月日が記載されているのは半数の8人だけ。
そのうち別のインタビューでは異なる年月日を回答している例も複数。
大阪、下関、熊本など戦地ではなく(?)、一般の娼館はあってもそもそも慰安所がなかった地域で働いた(?)というどこまでもバカバカしい不自然な証言まであるというから、マンガ。
氏名に関しても「呂」と名字だけのものやカタカナだけのもの、「白粉」と不完全なものもあり、出身地についても大半の13人が不明・不詳。
しかも、その半年前に安秉直ソウル大教授と「挺対協」が2年がかりで聞き取り調査した慰安婦40人余のうち、信頼性の低い21人分は切り捨て、19人分の結果を刊行していたが、サプアが日本政府のヒアリングに差し向けたのは、その切り捨て組の面々だったというから、ますます最悪。
そのうえ、元慰安婦らの原告側弁護士福島瑞穂なるキチガイ売国奴をオブザーバーとして聞き取りに同席させ、サプア政府も反日団体である「太平洋戦争犠牲者遺族会」と「挺対協」を協力をさせていたというから、もうメチャクチャ。
本当に不毛なだけのパフォーマンス。
つまり、苦心惨憺してサプアのために「強制性」を認めた結果になった負け犬宮沢喜一首相が、「国内外をいくら探しても強制性を認めるための物理的な証拠は出てこないので、自分は強制連行されたと述べる元慰安婦の聞き取り調査をもって証拠とした」と言っていたことも、大ウソ。

Why is it a reason not to review Kawano statement(なぜ河野談話を見直さない理由か)?

To be continued...







彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-230

It may be to be a DNA-like problem that a Japanese should lack in such diplomatic power(日本人がこれほどまでに外交力に乏しいのは、DNA的な問題なのかも)!

東仙坊、我が国が「性奴隷国家」などという世界的不名誉のレッテルを貼られることになった原因は、再三指摘してきた通り、サプアの言いがかりや因縁に日本政府の事なかれ的曖昧模糊な対応をしてきたこと。
極論すれば、わざとサプアのイヤらしいプロパガンダの餌食に自らハマってきたと思えるほど。
とにかく、この情報化のグロバリゼーション社会で、情けなくてみっともない日和見的対応をしてきた自縄自縛的結果。
正直、時代錯誤の外交音痴の証明。
とっくのとうに世界は生き馬の目を抜く情報戦に突入しているのでは?
そんななかで、決定的致命傷になったのが、今ごろサプアの良識を信じて裏切れられたと泣き言を繰り返している「強制性」を認定したことになってしまった河野談話…。
それによって、世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと既成事実化され、「クマラスワミ報告書」に繋がってしまったこと。
そして、それに対し、ただ指をくわえていた日本政府のテイタラク。
それを的確に証明する証言がある。
1996年3月、国連人権委員会でのクマラスワミの演説を現場で聞いた在ジュネーブ国際機関代表部公使美根慶樹。
 「クマラスワミは可哀想な元慰安婦のお婆さんたちのために一生懸命働いていると評価されていた。物凄い力があり、彼女が舌鋒鋭く『ワーッ』と説明すると、聴衆はスタンディングオベーションだ。日本政府には答弁権を行使して反論することは制度上認められていたが、そうしたら大変なことになっていた。もし日本が個別の事実関係の誤りを指摘しても、日本が悪者になるばかりで逆効果だった」。
どうだろう?
こんな程度のヤツらが我が国の外交を担っていたのだから、イヤにならないか?
そもそも、元慰安婦に限らず、日本国内の真摯な議論が英語にならないことが、英語に訳されているのが左翼系メディアや学者の文章だけというのが、ハナから問題なのでは?
そして、英語で丁々発止、流麗にロビー活動は元より、デイスカッションができないことが問題なのでは?
それより何より、前面に「300000」という数字が掲げられた南京大虐殺記念館などをノコノコ尋ね、言われるままに謝罪する村山富市首相、鳩山由紀夫首相、自民党幹事長古賀誠などの売国奴どもが我が国にいることが一番の問題なのでは?
どちらにしても、情報戦とは、どんなに七面倒臭くても逐一冷静沈着かつ論理的かつ徹底的に潰し合わもの。
それをしなければ、負け。
ましてや、相手は世界一デタラメで執拗なストーカーチンピラ国家サプアなのでは?
それにしても、何から何まで不可解極まりないサプアだと思わないか?
あれだけ正しい歴史、正しい歴史と喚きながら、中国との一切の歴史的事実には触れず、そのかつての紛れのない宗主国と共闘し、我が国に正しい歴史の事実の追求すら許さない摩訶不思議なメチャクチャ国家。
ある意味、隣のキチガイの国よりも今やキチガイなのでは?
東仙坊、その頭の腐り方の度合いをサプアの内の声から見つけてみた。
◎国立外交院院長尹徳敏、「中国に接近して逆に取り込まれることは、同盟を結ぶUSAの不信を招き、サプア自身の立場を危うくはしないか?」。
全くその通りだと思わないか?
実際、サプアの同盟国であるUSAも、「歴史問題が焦点になればなるほど、サプアと中国が一つになる。これは日本にとって戦略的によくない」とか、「歴史問題で日本にサプアとうまくやってほしいと求めているが、サプアが過去にこだわり過ぎるのもよくないのでは?」と懸念を明確にしているのでは?
それなのに、露骨に中国にシッポを振っているのは、なぜ?
◎あるサプアの政治学者、 「中国外相王毅が5月に訪韓した際、『サプアは親類みたいなものだ』と言ったが、どういう意味か? 気分が悪い。朝鮮日報に中国の当局者がサプア側に『朝貢外交に戻ったらどうか』と言ったと書いてあったが本当か? 中国は時折、こうしたサプアを見下した態度を取るから信用できない」。
それなのに、なぜ自ら属国への道を選んでいるのか?
◎趙世暎元サプア外務省東北アジア局長、 「サプアはそれほど中国に傾いていないと思う。サプアは歴史的に中国に対して被害意識が物凄く強い。それこそDNAの中に刻まれている」。何とノーテンキだと思わないか?
ここまで大きくシッポを振っているのでは?
2011年8月、サプア憲法裁判所が「サプア政府が具体的な措置を取ってこなかったのは違憲」とする判決を下した。
それに対し、自民党幹事長石破茂が、「これは未来永劫続くんでしょう。サプアとしては問題提起を止めちゃったらダメなんでしょ」と言うと、趙世暎元サプア外務省東北アジア局長は、「判決は日本に補償や誠意ある措置を求めたものではない。そうではなく『論争しろ』というものだ。1965年の日韓請求権協定には、その解釈に関する紛争は第三国の委員も含む仲裁委員会に付託しその決定を受けるという条文があるはず。論争した結果、サプアが負ける可能性だってある。日本側は論争が日韓関係に及ぼす影響とかいろいろ考えて応じなかったようだが、論争しないことが日韓関係のためになっているか? そうはなっていない。淡々と協議した方がいい。それが日韓が大きく対立しているように見えても、むしろシコリが少なくてすむ方法という気がする」と対応。
6月23日付のハンギョレ新聞でも、趙世暎元サプア外務省東北アジア局長は、「交通事故に比喩してみると、運転者同士が顔を赤らめて取り組むよりは、弁護士を通じて法規定により淡々と処理することだ」と解決済みの問題について協議に応じることは相手の土俵に立つことになると極めて普通のモノの見方。
それなのに、なぜここまでの難癖的反日を放っておけるのか?
この異常な甘えは一体何?
どうあれ、趙世暎元サプア外務省東北アジア局長の言っている「『挺対協』がサプア政府の政策について最終的な拒否権を持っている」、そのことが大問題なのでは?
◎ソウル大国際大学院教授朴喆熙、 「道義的責任では物足りない。可哀想だから小遣いをあげるという気持ちにしかならない。ただ、法的責任は慰安婦以外の被害者との公平性や政治的手続きを考えれば、認めるのはそう簡単ではないという日本の立場も理解できる。日本が歴史的責任を認めてはどうか? 意味としては非常に重い。しかし、政治的負担はそんなに重くないものを通じて問題解決を図った方がいいのではないか? 国家責任ではなく、戦前から連続する国としての歴史的責任の延長線上で何らかの措置をとったらどうか? 国民から寄付金を募ったアジア女性基金のようなやり方ではなく、政府の予算で金を出すべき。金額の問題ではない。女性を日本の軍や官憲が強制的に連れ去ったことはおそらくない。当時、関わった人に聞いたが、サプア人の業者が『お金になるから行こう』と勧誘し、それを私服の憲兵とか警察が見守っていた。憲兵はともかく、当時の巡査はほとんどサプア人だったはず。慰安婦となった女性の境遇には同情するが、日本に譲歩を求めるのならばサプア政府もサプア人の関与をきちんと表明すべき。その折り合いができないワケではない。『挺対協』などいろいろな団体が言っている20万人強制連行という話は行き過ぎだ。善意で河野談話を出し、アジア女性基金をつくって失敗した日本政府だって、それ以上のことを求められてもどうしたらいいのかわからないのでは? そして、サプア政府も、実はどうしたらいいのかわからないということだと思う」。
どうだろう?
かなり核心をついていると思うが、どうだろう?
だとすると、なぜバカな反日を続けさせるのか?
◎世宗研究所日本研究センター長陳昌洙、 「今、一番問題だと思っているのは、日本もサプアも政府内に真剣に関係改善に向けてやろうとする熱気がないことだ。日本側が河野談話の検証結果を発表した後、日本の世論がどう動くかをみて、それを踏まえて日韓が本音で話し合いができる雰囲気になると思う。まず雰囲気作りだ。世論の動向を変えることだ。慰安婦の問題は両国のトップにとって政治的負担になる。それを乗り越えてリーダーシップで決断しなくてはならない。20万人は嘘だということははっきりしている。20万人がウソだというのはみんな知っていることだから…」
◎サプア外務省東北アジア局長李相徳、「元徴用工の訴訟問題はサプア内で何とか解決するという流れだ。結局、残るは慰安婦問題だけ。だが、かつて元慰安婦に償い金を支給したアジア女性基金は『挺対協』の反対もあってサプア政府にハシゴを外され、成功しなかった。今では、『挺対協』だけでなく、さまざまな市民団体が協力してUSAで慰安婦像を建てるなど執拗に日本攻撃を続けている。これも日韓関係がよくなると運動団体の力も弱くなる。『挺対協』も、そろそろ他の争点に移って運動しなくてはならないと気づいている。市民団体の活動についても、最近は『元慰安婦たちが本当にそう思っているのか?』と問題提起する人が出てきた。以前だったら絶対にあり得ない。サプアもだんだんと多元化している」。
どうだろう?
こうなると、サプアの反日は反政府組織「挺対協」と自虐史観の虜になっているサプアのマスメディアの問題とほぼ見えてくるのでは?
実際、6月21日、日本政府による河野談話の検証結果発表を受け、「挺対協」は、直ちに「国際社会に対する重大な挑発だ(?)。今後、各国政府、市民社会との、より強力な連帯によって、日本政府を糾弾、圧迫していく」と声明を出しているのでは?
それだけじゃない。
◎中央日報、「河野談話は殻だけが残ることになった(?)」。
◎京郷新聞、「検証の名で暴露するのは信義に欠け無礼な国家がするような野蛮な振る舞いだ」。
◎朝鮮日報、「報告書は21年前の河野談話に大きな傷をつけるもの」。
◎ハンギョレ、「今になって検証うんぬんすること自体が天に唾する行為だ」。
◎東亜日報、「河野談話の無力化」。
◎朝鮮日報、「元慰安婦を中心に始まった駐韓日本大使館前での水曜デモは23年にわたり続いている。そうして日本はこの問題をこれ以上隠し通せない状況になったことから、河野談話を準備する以外にない状況に追い込まれたのだ」。
どうだろう?
盗人猛々しいというか、いつのまにか「お人好しのおバカ日本政府の善意」で作った河野談話をサプア側はあくまで自分たちの圧力で談話を作成させたということにしてしまっているのでは?
頭が腐っているだけでなく、それこそがチンピラの正体なのでは?
すると、サプア外務省趙太庸第1次官は、別所浩郎駐韓大使を呼び、「慰安婦問題の強制性は全世界が認めている(?)。検証作業は談話を傷つけるものだ(??)」と抗議。
キツネ目外相は、「談話の検証結果をめぐる報告書が強制連行した証拠はなかったと結論したことに、日本政府が当時の外交記録を悪意を持って編集、あるいは除外したことを詳細に明らかにしていく(?)」と非難。
河野談話発表当時の外相韓昇洲が、(談話作成段階での交渉や調整はなかった」と偽証(?)。
サプア最大野党新政治民主連合共同代表金ナンチャラは、「河野談話検証作業は、日韓関係に破局をもたらしかねない。安倍晋三政権が検証結果を国会に報告することに憂慮を覚える。検証作業を批判し、談話を修正、破棄にもちこみ慰安婦問題の責任を否定しようとする意図としか見えない(?)」。
同じく安哲秀共同代表、「河野談話が日韓関係の基本的な線。中韓はともに日本から被害を受けた(?)ため似た立場になるしかない(??)」。
どうだろう?
頭の芯がメチャクチャに溶けてしまっているのでは?
そもそも、あれだけ正しい歴史認識と言っておきながら、日本が事実関係を明らかにしたり、少しでも何か主張したりするとやみくもに感情的に反発するだけ。
歴史の「レ」がないどころか、知性が微塵もないのでは?
第一、いまだに優柔不断で煮え切らない日本政府は、河野談話を継承するとのたまい、みっともない売国奴の河野洋平自身が「正しく書かれている。足すべきところも引くべきところもない」と認めているのでは?
こんなサプアのキチガイどもとつき合うくらいなら死んだ方がマシなのでは?
と、と、ところで、そんなサプアからまた本当にウンザリするニュースが2つ。
1つは、7月12日から開催予定していた日本の人気漫画「ワンピース」の特別企画展が、突然中止になったこと。
呆れるイヤガラセでも、東仙坊、率直に言って、この話はどうでもいい。
そもそも、胡散臭い「戦争記念館」なるものが、「展示内容には存在しないが、原作の中の一部に旭日旗とみられるイメージが何度か登場しているのを確認した。日帝強占期など対外抗戦の歴史を教訓として伝える戦争記念館で、『ワンピース企画展』を強行することは不必要な騒動を引き起こすため、やむを得ず貸館を取り消すことにした」と発表したところで、何を今さら川端柳。
すべて、日本のマンガで稼ごうとしたサプアの株式会社WAYSBEの問題。
企画費や舞台など商品開発でいくら損しようともサプア内の話。
ともかく、「戦犯旗のイメージが登場するからと単純に貸館を取り消すのは理解できない」と正々堂々とそのトンチンカンな「戦争記念館」と戦って…。
断固許せないのは、もう一つのケース。
7月10日、在韓日本大使館の「自衛隊の日」記念レセプションの開催を前日になってドタキャンした「ロッテホテル」。
しかも、昨年もロッテホテルで開催されていたのにというから、言語道断。
菅義偉官房長官は「ロッテホテル側が開催前日になってこのような措置を取ることは極めて遺憾だ。ホテルには抗議したが、サプア政府にも懸念をはっきり伝えたい」と相変らず生ぬるい対応をしているが、そんなことですますべきことではないのでは?
これがサプア人経営のホテルならまだしも、「ロッテホテル」とは一応在日サプア人がオーナーでも、日本のホテルではないのか?
だからこそ、歴代首相をはじめ日本の政財界要人はほとんどロッテ・ホテルに泊まり、日本関係の行事開催も多かっただけでなく、日本人も喜んで利用していたのでは?
実際、ソウルの中心地にあるサプア最大のホテル、もともと日本統治時代の唯一の本格的な洋式ホテル「半島ホテル」で、戦後、サプア国営ホテルであったものを、1979年、日本のチューインガムの「ロッテ」が買い入れたものなのではないのか?
東仙坊、いつもロッテ・マーリンズを応援してきたけど、もう二度と応援しない。
それどころか、独りロッテ不買運動を起こしてやる。
それはそうだと思わないか?
仮にも日本国籍も持ち、日本で成功したのでは?
それで、こんな卑怯で卑劣な裏切りをするなんて、人間のクズ。
ましてや、その安全を守ってもらっている自衛隊に対し、この仕打ちはないだろうが?
オーナーの重光武雄、いやいやもう辛格浩と呼ぶべきか、本当にこんな卑劣なことを許したの?
少なくとも、日本から出て行くべきでは?
早速、不気味な「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を喜ばせ、「サプアでこうした行事を開くべきではない」と言わせしめるなんて、本当に許し難い蛮行では?
そもそも、外国公館の公式外交行事にイチャモンをつけること自体、とんでもないルール違反なのでは?
何とか、日本大使公邸で代替開催したというが、今後、日本政府も日本人客も絶対に利用してはいけないのでは?
それだけじゃない。
日本政府も日本のマスメディアも、国際社会にこのサプアのどこまでも無礼な態度をジャンジャン知らしめるべきなのでは?
さすがに、ソウル大学パク・チョルヒ教授が、「日本の集団的自衛権行使に対し、国内外に懸念があるものの、毎年行われてきた大使館行事をホテル側が開催直前に一方的に拒否するのは、両国間に不必要な誤解を生む可能性がある」と。
世宗研究所陳昌洙日本センター長が、「日本国内の極右政治家やマスコミがこの出来事を口実に『両国関係を台ナシした責任はサプアにある』という嫌韓認識を広めるかもしれない」と。
なぜか毎日新聞澤田克己ソウル支局長までが、「昨年から会場を予約してあったのに、前日に覆したということで、日本人の間には『サプアは信じられない』、『ロッテホテルはプロらしくない』といった認識を与えるのではと懸念している」と言っているのでは?
どうだろう?
今こそ、日本は、国際社会に対し、「とにかくすべてに感情的で、日本にやたらケチをつけるだけでなく、ここまで無礼で横柄で不謹慎なサプアと何のために我々は仲よくしなければならないのか?」と訴えるときなのでは?

It must be needed that absolutely indispensable for a modern diplomat to have the linguistic ability and a firm will and the overwhelming insight to a human being(現代の外交官には、圧倒するほどの語学力と確固たる意志と人間への洞察力が絶対に不可欠)!

To be continued... .
























彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-229

I am disappointed from the heart to the diplomacy power that must be not refined in Japanese immaturity(日本の未熟で洗練されない外交力には、心の底からガッカリ)!

東仙坊、いよいよこの検証もクライマックスに近づき、一つの結論を導き出そうとしている。
それは、永遠にサプアとは我がカンパンゴは本当の意味で仲よくはなれないということ。
いくらカリソメの兄弟だったとしても、本物の同志にはなれないということ。
つまり、一所懸命血を流し、我を顧みず命懸けで助けるような相手ではないということ。
もちろん、我々の持っているモノをすべて捧げるような相手ではないということ。
近くで最も遠い隣人でしかないということ。
そのために、完全無視するか、恒久的に国交を断絶するしかないということ。
なぜなら、サプア人は、我々カンパンゴ人を「飼い犬」としかみなしていないからである。
未開で野蛮で人間じゃないから、どんな扱いをしても自分たちの思い通りになる存在と決めつけているのだから、メチャクチャ厄介。
それもこれも、確固たるアイデンティティを持たないがゆえのカルマ。
つまり、何が何でも小中華らしく自分たちの文化的優位さを誇示するために、日本を劣位に置くことしか考えられないのだから、本当に困ったもの。
とにかく、カンパンゴあってのサプアだとの頑なな思い込み。
と、と、ということは、日本の植民地にされたとか、元慰安婦なども本当のところは無関係…。
自分たちの文化こそ、日本などの遥か上をゆく文化人と信じ切っているパラノイア。
その意味で、日本との関わりだけは国と国との国際関係とは思わず、痴話ゲンカとしかみなしていないのだから、もうどうしようもないのでは?
えっ、サプアと断絶したら、困るヒトが多いって?
今までそんなチンピラを利用して丸儲けしたようなヤツラには、損させればいいだけなのでは?
どうあれ、サプアがはっきりと中国の子分であることを宣言した今、その日本を叩きにさらなる拍車がかかると思うが…。
東仙坊、不見識なので、東京・九段北の靖国神社境内に、東京裁判で被告全員無罪を主張したインド代表のラダ・ビノード・パール判事の顕彰碑なるものがあることを全く知らなかった。
ともかく、その碑文には、判決文意見書を引用した有名な言葉が刻まれているのだとか。
 「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう
戦後、70年をまもなく迎えるというのに、今なお、「熱狂と偏見」のままに、その我が国の過誤をあげつらい、何とか金を搾り取ろうとするサプア。
そのために、「危険な歴史修正主義者」と我々をなじりつつ、理不尽な謝罪と反省を強要し続け、ありとあらゆる難癖とアヤツケに明け暮れるサプア。
確かに、戦争に負けることは、自らの歴史を奪われ、他国の歴史を押しつけられるということ。それこそが、歴史の根本的条理。
だから、戦勝国の国々が、自分たちの既得権益を守るために、あーでもないとかこーでもないと口を挟んでくることも、ある意味了解するしかないところがあるもの。
実際、この21世紀になっても、その「戦勝国と敗戦国の枠組み」は公然と現存しているはず。
どんなに口惜しく矛盾を感じても、ときとして戦勝国がその優位性を歴史問題を自分たちの既得権益保持のために利用するのもやむを得ないもの。
いくら作家江藤淳が、「敗戦国とその国民を、蔑視し、差別し、その心を不当に傷つける『正義』を、勝者はどこから得たのでしょうか?」と言おうとも、ラダ・ビノード・パール判事が判決文で 「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」と言ってくれていても、その傲岸不遜は紛れのない真実。
し、し、しかし、なぜサプアがまるで戦勝国かのように歴史問題を振りかざせるのか?
サプアはそれが本意であろうとなかろうと、我々と手と手を組んで戦勝国になった国民を殺害し、一緒に敗戦国民となったのでは?
それは、今、サプアと一緒になって歴史問題を振りかざしているサプアの親分の中国共産党も同じなのでは?
我々に勝ったのは、中国国民党であって中国共産党ではないはず。
どうだろう?
この歴史的真実に平然と目を瞑るサプアの一体何を信じるのか?
サプアは本当に我々にとって大切な隣国なのか?
そこで、東仙坊、我が国のサプアに組みするマスメディアに聞いてみたいことが、一つ。
我々は、一体いつまで「戦勝国と敗戦国の枠組み」の中に閉じ込められていなければならないのか?
何でも、A級戦犯容疑者とされた岸信介首相は、1946年11月、ラダ・ビノード・パール判事の判決文を日本タイムスの記事で知り、日本タイムス以外の一部しかこの事実を報じなかったことについて、「獄中日記」で、 「これは各新聞社の卑屈か非国民的意図に出づるものである。これらの腰抜けどもは宜しくラダ・ビノード・パール判事の前に愧死すべきである」と書いているのだとか…。
どちらにしても、サプアとは国交断絶すべきとまでに断言する明確な具体的理由がある。
それは、我が国の小学校の社会科の歴史教科書。
このたび、領土や伝統文化などの記述が充実することになったというのに、いまだに自虐史観に基づいた偏向的な記述があるということ。
日本文教出版、6年用社会科で、1941年12月8日の対米開戦以降の戦争について「アジア・太平洋戦争」と表示。
検定意見で、「理解しがたい表現」と指摘され、やっと「太平洋戦争」に修正したとか。
また、南京事件について「日本軍が、占領したナンキンで、ほりょにした兵士をはじめ、多くの人々の生命をうばったと外国に報じられ、非難を受けました(ナンキン事件)」と説明。
検定意見で、「非難を受けたことがナンキン事件ではない」と指摘され、やっと「…多くの人々の生命をうばいました(ナンキン事件)」という断定的な表現に修正したとか。
光村図書出版、創氏改名について「植民地だったサプアで、日本は、サプアの人々の姓名を日本名に変えさせたり…」と表記。
検定意見で、「誤解する恐れのある表現」と指摘され、やっと「日本名」の部分を「日本式」に修正したとか。
どうだろう?
サプアと関わっていると、このような卑屈に非国民的意図を持った不逞の輩どもが後を絶たないのでは?
そこで、我が国のサプアに組みするマスメディアに聞いてみたいことが、新たに一つ。
1月21日、島根県竹島問題研究会が、「江戸時代後期に作製された複数の地理学者らによる地図5点に、いずれも竹島が日本領として記載されている」ということを確認にできたという調査結果を発表したはず。
そして、我が日本政府は、「竹島が記された初期の日本地図『改正日本輿地路程全図(1779年初版、長久保赤水)』などをもとに、遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立した」と主張したはず。
それを自虐史観の虜である我が国のマスメディアは、なぜガンガン報道しないのか?
1790年作製の「蝦夷風俗人情之沙汰付図全図、最上徳内」、「蝦夷草紙全図、最上徳内」。
この2点は、幕府の蝦夷地調査隊に参加した探検家最上徳内が作製し、現在の竹島と鬱陵島を日本領として茶色に彩色。
特に、「蝦夷風俗人情之沙汰付図全図」には紀州徳川家の文庫「南葵文庫」の蔵書印。
1796年作製の「寛政亜細亜地図、本多利明」、「日本並北方図、本多利明」。
この2点は、地理学者本多利明によるサハリンや朝鮮半島などの東アジア地図で、竹島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と日本領として明記。
1806年作製の「華夷一覧図、山村才助」。
これは、地理学者山村才助のアジアやEUを描いたもので、竹島を「松シマ」、鬱陵島を「竹シマ」と示し日本領として赤く彩色したうえ、同時代の地図にはメズラシク「日本海」も明記しているとか。
どうだろう?
怠け者で内向きで赤貧だったサプアに、地図など知うシロモノは出てこないのでは?
あまりにも文化度が高過ぎて?
えっ、サプアと国交断絶すべきということは、なんとなくわかったけど、その親分の中国とはどうするのかって?
親分は親分、チンピラとはどこまでも違うのでは?
今回のライバルの親分であるUSAへのちょっぴり脅かしでも明々白々なのように、彼らが大切にするのは目先の実利。
その意味で、チンピラよりもよっぽど御しやすいと考えているのは、東仙坊だけではあるまい。
だからこそ、その実利を損なわないように堂々と渡り合えばいいだけでは?
第一、彼らは急に尻尾を振ってきた犬のようなサプアをそんなに重要に思っていないと思うが、どうだろう?
特に、中国の普通の国民は、横柄極まりないジコチュウのサプアをあまり好きではないと思うが…。
それどころか、間違いのない民主主義と自由主義の先進国でありながら、ちっとも偉そうにしない日本人が好きだと思わないか?
いやいや、超大国としてのステイタスにこだわる大中華の中国のこと、ありとあらゆる見地から一番日本の協力を、属国化を欲しているのでは?
それもこれも、現実に日本を訪れ、本物の文明国の現実とその高い文化に触れ、清潔で平和な日本を自然に好きになる人が急速に増加していること。
同じ漢民族で日本の強い影響を受け日本と同じように清潔で凛としている台湾人と触れる機会が増え、日本への憧憬を深めていること。
そのせいだと思うが…。
実際、日本にくる中国人留学生の4分の1は日本で就職したがり、富裕層は観光名義で来日し日本の高い医学の恩恵に浴したり、日本の高い不動産を手に入れているのでは?
少なくとも、少しでもインテリジェンスを持つ中国の人々は、日本人を「日本鬼子」だとは思っていないのでは?
それゆえ、親分中国との解決は、我が日本政府が「過去に積み重ねてきた謝罪や補償の実績ばかり強調する」というみっともない事なかれ主義的対応を止め、偽りの友好関係で誤魔化すことなく、正々堂々と事実関係を争い反論し、それでも、日中関係を大事にしてゆきたいと伝えてゆけば、すぐにできるはず。
親分の親分である習近平国家主席が明言しているように、今の893の戦いは言葉と言葉。
3月28日、親分がベルリンで、 「南京事件では旧日本軍が30万人以上の兵士や民間人を殺害する凶悪な罪を犯した」と言ったときも、「30万人という数に根拠は全くない」と不快感を示しただけだったが、そんな脆弱な対応ではダメ。
即座に、ドイツ語と英語で、その「30万人」という数字が荒唐無稽でデタラメかということを、全世界に発信すべき。
そして、冗談でもそれが二度と使えない数字と親分に悟らせるべき。
それこそが、本物の外交なのでは?

When will Japan understand that Korea must be the neighbor whom there is in the distance from Japan(日本はいつになったらサプアは日本から最も遠くにいる隣人だとわかるのか)?

To be continued...









彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-228

What must even freedom of speech run out of few Korea and our Japan for(言論の自由さえないサプアと、我がカンパンゴは何のためにつき合わなければならないのか)?.

◆安重根義士記念館
ソウル市中心部の南にある南山公園中腹の安重根義士記念館。
その「参拝ホール」に鎮座する安重根像。
花が供えられ、背景には血文字で「大韓独立」とあるというから、オゾマシイだけ。
日本の初代首相で初代サプア統監だった伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根の写真入りポスター。
安重根が伊藤博文の「罪悪」と指摘した「政権を強制的に奪った罪」、「教育を妨害した罪」、「東アジアの平和を壊した罪」…など15項目も列挙されているだけでなく、「明治天皇の父、孝明天皇を殺した罪」もあるというから、メチャクチャ。
学問的事実など無関係に、国民の寄付金と国家予算で2010年10月に建て直されたという「安重根義士記念館」。
入場無料。
受付に置かれた日本語のパンフレットには、「この記念館は、安重根義士の愛国精神と民族を愛する心そして、平和思想を広く伝え、民族間の友好と世界平和を願う場所」と書かれているというから、かなり笑えるかも。
また、安重根が中国・ハルビン駅で伊藤博文を狙撃するシーンがリアルに人形で再現されていて、その際に使用した銃「ブローニング」の複製まで飾られているというから、完全に893の事務所。
それでも、親分に甘え、中国にまで安重根記念館を創設するほどの気の狂ったお方々。
やっぱり、チンピラとは関わるべきなのではないのでは?
もっとも、このチンピラどもをここまで増長させてきたのも、当たらず触らず、そっと言いなりになってきた我々自身の不甲斐なさが原因。
それを本気で反省し、今後は一切無視し続けるしかないと思わないか?
それはそうである。
あれだけ正しい認識を持て!と言っておきながら、正しい歴史は一切無関係。
そもそも、サプアよりも文化的に劣らなければならない我々が、自分たちのモノの見方や自分たちの歴史を持つことさえ許さないのだから、それも当たり前。
とにかく、サプアにとって都合の悪いことを一言言っただけで、「親日派(チニルパ:売国奴)」と社会的に抹殺されてしまう国。
どうだろう?
曲がったことがキライなうえ、すぐ過去を水に流す日本人らしい美徳とは、まさに水と油なのでは?

◆「戦争と女性の人権博物館」

2012年5月5日、ソウル市麻浦区にオープンした「戦争と女性の人権博物館」。
あの不気味な「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が元慰安婦の経験を記憶・教育するためにと(?)建設した妖怪館。
古代から現在にいたるまでの武器や戦闘の模様が展示。
なかには、日本と戦ったサプア水軍の亀甲船の復元物まで。
また、シミュレーション射撃体験もできるコーナーも。
外塀には、蝶を型どった黄色い紙に書かれた訪問者の感想がベタベタ。
日本人による 「歴史問題についてさらに深く考え、改めて被害にあわれた方の思いを実感しました」とか「知らないことがたくさんありました。本当のことを知り、伝えていくべきだと思います」という言葉もあるとか。
さらに、壁には、苦痛に満ちた元慰安婦老女の顔が突き出ているのだとか。
ショップコーナーでは、慰安婦バッジ(?)や慰安婦ストラップ(?)までが販売さているというから、マンガ。
そして、竹島の大きな写真の前では、記念撮影する家族連れがいっぱいだとも。
凄いのは、入館料。
一般3000ウォン、青少年(中高生)2,000ウォン、子ども(小学生)と高齢者(65歳以上)1000ウォン。
そして、日本で募金活動した「戦争と女性の人権博物館日本建設委員会代表梁澄子によると、集まった募金は団体・個人は1700余人、総額で約5500万円。
特に、大阪市労組、JR東労組、自治労東京本部、ピースボート、広島県教職員組合などがあるというから、フムフム…。
どうだろう?
こんなテイタラクでは無視は難しかもしれないが、やはりそれしか選択はないのでは?
とにもかくにも、こんな気色の悪いヒトびと、親日的な言動や日本に理解を示すような発言をしたら抹殺されてしまうような国とははっきりオサラバすべきでは?
そもそも、あれだけ正しい歴史認識を持てと叫んでは自分たちの歴史を改竄し、あれだけ謝罪しろと叫んでは謝罪しても受け入れないヤツらとは、完全に遮断できる壁を作るべきでは?
そして、それに組みする我が国の内なるの売国奴どもをどんどん断罪すべきでは?
4月29日、ソウル中心部のプレスセンターで、慰安婦問題の解決を図ろうという趣旨で、「慰安婦問題、第三の声」と題したシンポジウムが開催されたとか。
サプア側からは学者、慰安婦支援団体幹部、記者どもが参加。
日本側からは慰安婦への「償い」のための事業「アジア女性基金」に設立当初から関わった東京大学名誉教授和田春樹などの胡散臭い「良心的な日本人学者」が参加。
約4時間におよぶシンポジウムで、2人目か3人目かに手を挙げた若い一般男性が和田春樹に質問。
 「慰安婦の強制性を認めた河野談話。日本政府は日本人慰安婦に謝罪しましたか?」
「河野談話はサプア人に限定していません。理論的には日本の慰安婦をも前提にしています」と和田春樹は日本政府が日本人の慰安婦も対象に謝罪した(??)と説明。
「それでは、日本の慰安婦には補償がなされましたか?」
「日本人慰安婦には補償されたことはない」
「日本に対して法的な責任を求めるのは変じゃないですか。補償金を一部のサプア人慰安婦はもらっていますねえ。あれこれ言うのなら我が国政府にも言えばいいじゃないですか?」
まさにその通りなのでは?
少なくとも、彼は慰安婦問題はサプアの国内問題と正しく理解しているのでは?
すると、当然のごとく慰安婦支援団体高齢女性の横やりが入ったという。
「何てこと言って怒らせるの! そんなこと言わないでよ。侮辱だよ! アナタ、どこに住んでいる人なの?」…。
さらに、「冷静に話し合えない人はこの場にいる資格がない!」とパネリストの1人も声を荒げた。それで、彼はやむを得ず席を追われてしまったという。
「ただの24歳の一般人ですが、言論の自由はありますからね」との一言を残して…。
どうだろう?
どこからどこまでも、自由主義や民主主義に基づく先進国ではないのでは?
いくらサプア人学者のパネリストが「慰安婦問題の解決には主流の意見だけではなく、多様な声を聞く必要がある」と言ったところで、焼け石に水なのでは?
実際、サプアでは償い金をもらった元慰安婦もいるが、ガンとしてこれを拒むヒトもいるという。それなのに、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺身協)」はどこまでも日本の「法的責任」を求め、日本政府に「賠償」としての措置を要求し続けてきている。
1993年、金泳三大統領が、「徹底的な真相究明が重要であり、日本に物質的な補償は求めない」と断言し、「サプア政府予算で元慰安婦への生活保護をする」と表明しているのにである。
そもそも、このサプア民主化後初の文民出身金泳三大統領、「サプアの歴史の立て直し」を掲げ、日本統治時代の歴史の払拭をし始めたお方。
そのせいか、日本の動向にばかり耳ダンボ。
自民、社民、さきがけ連立の村山富市内閣の閣僚発言一つで、日韓関係はすぐ紛糾。
その度に、閣僚更迭と歴史の共同研究と(?)いうサプア側の難癖やアヤツケに屈し、情けなく政治的決着。
歴史認識を巡る根本的な溝が埋まることはなかっただけでなく、サプアに味を占めさせただけ。
特に、1995年11月、江藤隆美総務庁長官が「植民地時代に日本はサプアにイイコトもした」と極めて正当なことをオフレコで言っただけで、なぜかその発言をリークした売国奴のマスメディアのせいで、サプアのマスメディアが一斉に報道。
それも、「妄言(?)」と激しく反発。
サプア外相孔魯明は「元のモクアミになる」と公然と憂慮。
すると、1995年8月に、恥知らずの村山富市総理が「植民地支配に対する心からのお詫び」を表明。
おかげで、それから、日本の閣僚が正しい発言をするたびに、辞任しない限り収まらないハメに。
そして、金泳三大統領をのぼせ上らせ、中国国家主席江沢民に、「日本のポルジャンモリ(でたらめ根性)を直してやる」とまで言わせるようになったというから、何をかいわんや。
これこそが、サプアの「告げ口外交」のプロトタイプ。
もともと、日本統治時代に少年期を過ごした金泳三大統領に強い反日感情はなかったのだとか。
日本語も堪能で、NHKの衛星放送を観ては通訳の日本語の間違いを正したりするほどだったとも。
しかし、光復50年に当たる1995年、旧朝鮮総督府庁舎を撤去するなどの日本の痕跡を消し去る事業を推進。
竹島に船の接岸施設を建設し、実効支配を強化。
成熟した政権運営ができないと、政権の正統性を示すために日本に厳しい態度になるというサプアの典型的パターンを創り始めたのも、金泳三大統領。
それでも、1995年の首脳会談に合わせ、「歴史観の統一は難しくとも、相互理解には事実の共同認識を広げていく努力しかない」と孔魯明が提案したのが、「日韓共同の歴史研究事業」。
1997年、共同研究のための有識者会議が発足。
2002~2010年、共同研究が実施。
しかし、政治的に「正しい歴史」を掲げるサプア側研究者と客観性にこだわる日本側の認識の隔たりが縮まることはなく、「共同認識」とはほど遠い結果だったというから、予測通り。
それはそうである。
政治からの自由がない学術研究などハナからナンセンス。
それより何より、どの国だって自分たちの国の歴史は自分たちで作る主観的なもの。
それを客観的にし共同認識を持てば外交手段になると考えること自体が、極めて幼稚。
第一、親日派というだけで口を塞がれてしまう国に客観性など求めることは不可能なのでは?
それでも、このときにはサプア外交官で最大の知日派とされ外相前に駐日大使も務めた孔魯明がいたことは、日韓関係においては希望の灯でもあったのだとか。
何しろ、いつも辞表を懐に金泳三大統領をなだめ、金泳三大統領から「どこの国の外相か?」と非難されていたという孔魯明が、「サプア政府として日本に補償要求すべきでない。歴史問題では折り合わずとも、請求権協定は守るべき国同士の約束」と尽力したおかげで、金泳三大統領も「日本に物質的補償は求めない」と表明したのだとか。
また、元慰安婦に対しても、1997年1月、 立ち上げた「女性のためのアジア平和国民基金」という名の民間基金を通じ、元慰安婦ごとに「償い金」200万円と首相のお詫びの手紙を届け始めたはず。
ただし、孔魯明は言っている。
「大半が公金でまかなわれているのに、日本政府が建前にこだわったため禍根を残した」と。
確かに、政府補償については、一度認めれば、戦時徴用問題に加え、中国などへも際限なく派生する恐れがあったことも事実。
しかしながら、日本政府からのもっと多額の補償金獲得を企てる掲げる「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の策謀で、受け取りを拒む元慰安婦が多かったのもまた事実。
「日本国民の血の通ったカネを受け取れないとはあんまりじゃないか?」と憤慨するより、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を一気に黙らせるような方法があったのでは?と思わないか?
そうしてさえいれば、今ごろ「性奴隷国家」の汚名など着せられなかったのでは?

We shouldn't only do trust at all from the beginning to be related with totally few Korea of morals(モラルの全くないサプアと関わるには、初めから信頼など一切しなければいいだけ)!

To be continued...










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彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-227

Though I am a vegetarian and liked Namul, I feel already sick now and couldn't eat it(ベジタリアンでナムルが好きだったのに、今はもう気持ちが悪くて食べられない)!

東仙坊、早くこのテーマを終えなければと、メチャクチャシリアス…。
そして、他のやりたいことが何もできないと、かなり焦燥…。
結局、たかが人間のやることは、所詮、自分の正当化と人の揚げ足取り、そのために人を貶めること。
おかげで、されど人間、自分がどう生きるかがすべてで人は無関係という淡い期待は、雲散霧消。
今やどの世界もサプア化。
イスラエルとパレスチナのユダヤ教とイスラム教、イラクのシーア派とスンニ派、いやいやアラブ諸国のシーア派とスンニ派、アフリカ諸国のイスラム教とキリスト教、インドのヒンドゥー教とイスラム教、ミャンマーのキリスト教と仏教。
あの中国だって、法輪功、全能神など20近くのカルトの海。
もちろん、サプアにだって、世界平和統一家庭連合(世界基督教統一神霊協会)などワンサカ。無神論者、東仙坊、どれもこれも「とうとうカルト」、「トトカルチョ(?)」とどれも無縁でどうでもいいのだが、世界平和を考えるには厄介でも簡単に放置して置くワケにもいかない。
どうあれ、世界を動揺させる問題は、決して解決することのできない宗教問題。
その根幹は、自分の信じることだけを信じ、人の信じることを決して信じないこと。
そうなると、世界の平和など夢のまた夢、永遠に絵に描いた餅。
それはそうだと思わないか?
そんな狭小で薄っぺらな世界にあるものは、マインドコントロールと煽動だけ。
実は、自立心に乏しい怠け者のサプアでは、反日もカルトみたいなもの。
そんな観点から、本格的に河野談話検証に入る前に、もう一度、サプアでの慰安婦のあり方の現実を徹底検証。

◆「ナヌムの家」

広州市にある元慰安婦女性(?)ら集められて暮らしている家が、「ナムルの家」だと知って、唖然呆然。
そのネーミングにサプア人どもの真意があるようで、ビックリ、ビビンバ。
それはそうだと思わないか?
塩茹でした野菜を調味料やスープとゴマ油で合えたナムル。
大豆モヤシ、ゼンマイ、ホウレンソウ、ニンジン、大根、ナス…。
どれも見た目はオイシソウではなくても、ヘルシーで、滋養満点。
まさに、性労働者、特に年配の性労働者のキャッチフレーズにはピッタリでは?
そこに、どこか差別意識の強いサプア人の本音が垣間見られるようで、凄くイヤな感じがしないか?
それはそうである。
人間はみんなほとんど同じ。
しかも、職業に貴賤などないはず。
それなのに、サーカス小屋の見世物かのように、元慰安婦(?)となった経緯はもちろん考え方も生き方もそれぞれ違うはずの高齢女性たちを、「日本軍被害者」という観念的な枠組みでひとくくりにし、画一的に扱い、それでまだまだ稼ごうとする魂胆が見え見え。
だからこそ、その家の前庭に、顔のシワや髪の撫でつけ方までリアルに再現した老婆たちの胸像を並べられるのでは?
すべてが金、金、金。
そして、金とは世界一のお人好しでサプアよりも位の低い日本から奪うものという考えに、本当にウンザリしないか?
ともあれ、中央日報が、「6月8日、日本軍慰安婦被害者、裵春姫が死去」と報道すると、「ナヌムの家」にその死去を悼む更年期障害大統領の名前を冠した白い花輪が並べられたというから、ただただビックリ。
実際、「ナヌムの家」には、慰安婦の少女像の写真、登録元慰安婦の生存者の名前と年齢が掲げられていて、なかには現在80歳と記され終戦時には10歳か11歳だった慰安婦もいるというから、凄まじいというよりもメチャクチャミステリー。
どうあれ、今回お気の毒にも裵春姫が91歳で亡くなったことで、サプア政府に登録された237人の元慰安婦の生存者は残り54人になったのだとか。
ところで、この亡くなった裵春姫、当然のごとく「ナヌムの家」で晩年を過ごしていたが浮いていた存在だったのだとか。
というのも、彼女は戦後、自ら日本に渡って約30年間、日本で暮らしていて、日本語がうまいだけでなく日本の演歌が得意。
それだけじゃない。
彼女は「朝鮮人女性を強制的に連れて行ったなんて見てないよ」とか、「日本を許したい」と言っていたというほど。
そんな1人の人間や女性としての彼女の本音などは一切無視して、「ナヌムの家」所長安信権は、 「一日も早く日本政府の公式的謝罪が行われ、元慰安婦の被害女性たちが人生の恨みを晴らし、心安らかに余生を送れるといい」とのたまうだけ。
どうあれ、この「ナムルの家」を尋ねるヒトびとは、まず最初に、共産党元参院議員吉川春子が代表世話人を務める団体(?)が企画し、「韓国挺身隊問題対策協議会」が協力作成したビデオ「15のときは戻らない ナヌムの家のハルモニ(お婆さん)たちの証言」を見せられるのだとか。
そして、李玉善が「15歳のときに養女となり、その家の手伝いをしていた。そこから他の家の養女に売られ、お使いに出たところを日本人に連れ去られた」とか、「慰安所は人を殺すところです」とか、「天皇は私たちの前にきて謝罪しなくてはならない」と聞かされるのだとか。
また、その「ナヌムの家」の前庭に掲げられた李玉善の日本語紹介文(?)には、「サプア人と日本人の2人によって連れていかれた」と書いてあるのに、ビデオではなぜか「サプア人」は省かれているのだとか。
それから、ビデオを見終わると、今度は「日本軍『慰安婦』歴史館」という展示場に案内されるのだとか。
その入り口には、サプアで初めて元慰安婦だったと名乗り出て旭日新聞が1991年8月に大きく取り上げたことで慰安婦問題が日韓間政治問題化するキッカケとなった金学順の「私たちが無理強いされて抗えずにしてしまったことを、歴史に残さなければならない。私は母親に40円で妓生に売られた」という証言を読まされるだとか。
さらに、そこには、旭日新聞が1992年1月に日本軍関与の証拠としてニセスクープした「軍慰安所従業婦募集に関する件」という文書、1993年8月の河野談話発表を「慰安婦『強制』認め謝罪」と報じた旭日新聞のコピー、共産党系団体の寄せ書き、「水曜デモ」に参加した民主党国家公安委員長岡崎トミ子の写真パネルなどがあるのだとか。
そして、「慰安婦のその数は5万から30万程度と推定されている」とか、「大日本帝国は特にサプアの女性たちを軍慰安婦として広範囲に動員」とかデタラメのオンパレード。
どうだろう?
日本人の内にいる売国奴どもや旭日新聞が、この「ビックリハウス」ならぬ「ビビンバハウス」を保持し、反日の発信基地に使っていると言っても過言ではないのでは?
そういえば、今年3月、 「彼女たちは慰安婦ではなく、性奴隷だったと訪問者にきちんと伝えるようにしている」と豪語する「ナヌムの家」所長安信権が、外務省アジア大洋州局地域政策課長山本恭司らに、 「安倍昭恵首相夫人を『ナムルの家』に招待したい」と言ったとか、言わないとか。
東仙坊、まさか韓流の軽いノリで行ったりしないでよと願っているのだが…。
また、今年1月、あのキツネ目の外相も、サプア外相として初めてここを訪れ「日本は軍国主義時代の過ちを否認している。河野談話を認めず過去の悪行を正当化している」と日本を批判していたはず。

◆サプア女性家族省のHP

サプア女性家族省のHPに掲載されている慰安婦問題コーナー。
そこには、真偽が明らかでない元慰安婦たちの証言がそのまま真実のように扱われ、子どもたちの教育資料として使用されているというから、言語道断。
そのサイト内にあるのが、「日本軍慰安婦歴史館」。
何でも、子どもたちにも慰安婦問題をわかりやすく理解してもらいたいと(?)、写真やアニメーションなどを使って制作された「おバアさんの一生」という動画コーナーだというが、かなり奇怪。
元慰安婦のおバアさんが、「日本軍慰安婦とは何ですか?」とか、「慰安婦たちはどのようにしてどこへ行ったのですか?」という子どもの質問に答えるカタチだというが、観る気もしないのでは?
「慰安婦を日本軍の性的奴隷になった女性たちのことと定義したうえで、日本の軍人に虐待されて死に、生きて帰ってきた人は多くなかった」
「朝鮮総督府が警察と憲兵などを動員して暴力的に女性たちを強制的に連れて行ったりした」
「拒否すればムチで打たれ、徹底的に日本軍が監視していたので逃げるのも難しかった」
「日本軍は性犯罪の残虐性が世の中に知られるのを恐れ、戦争に負けると同時に私たちを慰安婦生きたまま土に埋めたり、自殺を強要するなどさまざまな方法で殺そうとした」
どうだろう?
これを子どもに教えて何がしたいのか?と思わないか?
本当のこのサプアとつき合う必要があると思うのか?
そろそろ、我々も本気でサプアの性向を考え、そのチンピラ気質を完全無視するときなのでは?
サプアは日本に植民地の恥辱を受けたせいで、気の狂ったように謝罪しろとか!とか反省しろ!と言っているのではないということに気づくべきでは?
もともと、カンパンゴを自分たちよりも劣る未開の野蛮民族と思い込んでいて、今なおそう思い込みたいだけなのである。
つまり、文化的エリートである自分たちの方が日本よりも上だという優越感に浸りたいだけなのである。
ということは、この慰安婦問題をはじめ、いかなる問題を片づけても、その異常性には変わりがないのである。
それどころか、ここまで世界で日本文化が認められ評価されてしまっているのに、自分たちこそが世界有数の文化を持つ民族と誇示したがるから、本当に困ったもの。
そのために、日本を貶めようというのだから、まさにチンピラの発想。

◆駐韓日本大使館正面の公道上の「慰安婦像」と「水曜デモ」

1992年1月、宮沢喜一首相のサプア訪問直前のタイミングで始められた「水曜デモ」。
それから現在まで毎週水曜日、そこで「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」主催の謝罪と賠償を求める抗議集会。
平日のソウルのオフィス街に「賠償しろ!」のシュプレヒコールだというのだから、本当にウンザリ。
6月11日、元慰安婦李容洙が車イスで現れると、隣の席には、死去したばかりの元慰安婦裵春姫の額縁入りの遺影。
そして、2011年12月、「公館の安寧妨害」や「公館の威厳の侵害」を禁止したウィーン条約に抵触して建立した慰安婦を表す少女像の周りで、集まった100人以上のヒトびとは思い思いに像の前で記念撮影。
それから、デモ開始時刻になると、 「春姫姉は痛みも心配もないあの世に旅立ったけれど、私たちは一生懸命、闘い続けるのでどうか力をちょうだい」と李容洙が嗚咽。
どう見ても、元慰安婦は反日の道具。
英語やハングルで「性奴隷の戦争犯罪を認めろ」、「犠牲者に賠償しろ」、「慰安婦像を建てろ」などと書かれたプラカード。
そのオマケで、 「私たちの領土である対馬を返還しろ」とビラ配り。
本当に執拗な民族だと思わないか?

It must be nonsense to be convinced that you should get along well because it is a neighboring country without permission(隣の国だから仲よくすべきと勝手に思い込むことはナンセンス)!

To be continued...




真実イチロー ボセ・テム・ソルテ、ネイマール&イチロー! バイ、ソリアーノ!! 

Only one life that was made to anyone. It must be not revealed what rises to whom really tomorrow(誰にもたった一度の人生。本当に明日は誰に何が起きるかわからない)!

東仙坊、あんな壮絶な土石流に見舞われた一家の運命も凄まじいが、それ以上に、家族4人の内12歳の長男だけが不運にも亡くなってしまうという現実に、改めて人生の儚さと無常を痛感している。
本当に人間の命とは何なのか?
そして、個々の運命とはどうなっているのか?
本当に日々どう生きるか?こそが重要なのかも…。
そう言えば、「歴史的屈辱」の敗戦をしたブラジルの至宝ネイマール・ダ・シルバ・サントス・ジュニオールが、あと2cm腰椎骨折の箇所がズレていたら下半身不随だったかもしれなかったと聞いて、さらに当惑。
そして、その背後から強烈な跳び膝蹴りを見舞うハメになってしまったコロンビアのDFフアン・カミロ・スニガ・モスケラに、ブラジルの最凶(?)犯罪組織「首都第一コマンドPCC」が「我々は非常に憤りを感じている。決して許すことのできない蛮行だ。彼がブラジルから帰ることはないだろう」と報復宣言し、その首に賞金をかけたという噂も。
偶然、そのシーンをテレビで観戦していた、東仙坊、スニガは故意ではなく国の勝利のために「ボクは、キミを称し、敬意を払い、そして世界最高の選手の1人だと思っている」という相手を自由にさせまいとしただけと断言できる。
それこそ、サムライブルーの恥知らずどもにその垢を煎じて飲ませたいほど。
ともあれ、それで思い出したのが、かつての同じコロンビアのDFアンドレス・エスコバル・サルダリアガ。
1994年のワールカップUSA大会でのUSA戦、エスコバルはオウンゴールでUSAに先制点を与え、1-2で敗戦。
帰国後郊外のバーで暴漢に「オウンゴールをありがとう」と12発もの銃弾を撃ち込まれ、殺害されてしまったという凄惨な事件。
本当に人生明日は何が起きるかわからないもの…。
そのためにも、今日を目いっぱいに生きたいもの。
さて、アルフォンゾ・ソリアーノがクビになってから、絶好調の我がイチロー。
やはり、人の子だったんだなぁとかなり複雑…。
実際のところ、東仙坊、すっかり成金太りしてしまった彼を起用するジョー・ジラルディのセンスの悪さを非難しても、日本語をかなり理解しイチローや広島のときの同僚黒田博樹に話しかけるソリアーノはそんなに嫌いではなかったから、イヤな気分。
デレク・ジーターも、「ソリアーノは自分にとって家族みたいなもの。初めてヤンキースにきたとき、それからまた戻ってきた今まで長い間一緒にプレーしてきた。だから、彼のここニューヨークでのトレメンダスなプレーの軌跡を見てきた。今年は難しかったかもしれないが、彼はいい仕事をした。. キミたちは毎日そんな結果だったかのようにいつも言うけど毎日がそんな酷かったわけではない。とにかく、いつもいい結果を出すなんてムリだと言えるよ。ボクには彼の気持ちがわかるから、心配しているし、接触もするよ、兄弟みたいなもんだからね。そして、彼がどのようなことをやるかどうかはわからないけど、今年のようなじゃないベストになることを祈ってるよ」と言っているほど。
とにもかくにも、選手をモノのように扱うジム・ミラーのやり方には反吐が出る。
そして、ヤンキース唯一の3割打者であるイチローを、指定席のトップバッターにしない、得意の左投手に打席に立たせないジョー・ジラルディに怒り心頭。
特に、第2のポイントゲッターの6番に起用するな!と連日絶叫。
ましてや、ご贔屓のブレット·ガードナーがお腹が痛い集中できないヘルニアかもしれないと休ませるときぐらい、なぜトップバッターにしない!と大絶叫。
本当にイヤなヤツ!
それだったら、いっそのこと、9番にして毎日プレーさせろ!と大大絶叫。
ともあれ、7月6日、そのソリアーノがクビになったツインズ戦に「8番ライト」で出場すると、4-3と4月4日以来の今季2試合目の3安打。
それも、すべて初球打ち。
それは、前日、自信を持って見送ったコースをストライクに取られ見逃し三振に倒れ、アンパイヤを睨みつけたせい。
イチローも自分で、「もちろん、前日と繋がってます。最後の3安打目だってスライダーを待ってるのに、真っすぐを打ってるからね」と言うほど。
しかも、「3安打はちょっと気持ちいいよね」とまで…。
そ、そ、そうしたら、翌日のインディアンズ戦も驚きの3安打。
2012年9月以来の2試合連続3安打というから、こちらの方が目がマンマル。
すると、再び6番ライト。
第1打席で、内野安打を打ったものの後は5-0。
それも、最後の3打席は連続三振。
これでまた調子がオカシクなる?と心配していたら、な、な、なんとお休み。
本当にイチローのことを理解できないオタンコナスのジョー・ジラルディ。
この日も、3-0とリードの7回裏、また定番の迷采配、単純な投手交代で逆転され、3-4。
すると、8回表、イチローを代打に起用。
レフト前クリーンヒットで、無死1塁。
イチローは、な、な、なんと代打で7-5。
それなのに、秘蔵っ子ガードナーがダブルプレーでポシャン。
そ、そ、そうしたら、まだ1点のビハインドなのに、ピッチャーをジム・ミラーに交代。
実は、このピッチャーをなぜヤンキースが投げさせるのか?かねてからある疑念を抱いていた。
このピッチャー、ボルチモア、オークランド、コロラドをクビになって、昨年からヤンキース。
そして、昨年、1試合、1.1インニングだけ投げ、3安打、1被ホームラン、1与四球、自責点3で防御率20.25。
今年も、すでに1試合、1イニング投げ、1被ホームラン、1与四球、自責点1で防御率9.00。
そんな大したことのないピッチャーが、なぜメジャーでまた投げられるのか?
それも、1点差の接戦で?
そして、今回も1.2インニングだけ投げ、6安打、2被ホームラン、1与四球、自責点5で防御率20.25。
試合はグジャグジャ。
えっ、じゃあなぜ投げさしたのかって?
それは、ジム・ミラーの顔のせい。
まるでどこから観てもジョー・ジラルディ。
そもそも、実は、東仙坊、ヤンガービス・ソラルテへのジョー・ジラルディの仕打ちにブチ切れていた。
誰がどう言おうと、今まで、ヤンキースが5割前後をウロチョウロできているのは、前半の彼の活躍のおかげ。
それが、当然のごとくオールドルーキー波がくる。
すると、なぜか自分で呼んだケーリー・ジョンソンに気兼ねして、すぐに併用。
それが、ソラルテに余計なプレッシャーをかける。
そんなある日、控えだったソラルテ、投手が左に変わったので自分の出番とベンチ内で必死に素振り。
と、と、ところが、ジョー・ジラルディ、それに気づくと、ソラルテを無視。
その後、ソラルテが20数打席無安打になってしまった理由は、明らかにそれ。
そして、AAAに送り込む残酷な仕打ち。
本当に人の気持ちを考えない最低の人間。
そこで、この無能なジョー・ジラルディがソリアーノに対し、どう言ったのか、再検証。
“It's extremely difficult, because he's been a great Yankee and a great player. He never made excuses. Never. I knew his wishes. I knew he wanted to play every day in the outfield. But that was Ich. That was Carlos, too. It was kind of difficult.”
(凄く難しい選択だった。なぜなら、ソリアーノは偉大なるヤンキーで偉大な選手だったから。彼は決して言い訳しなかった。決して…。彼の希望は知っていた。毎日外野手としてプレーしたいということぐらい。しかし、それはイチローで、カルロス・ベルトランだった。それは難しく感じる選択だった)…。
どうだろう?
よく言えると思わないか?
実は、現在、MLBで大きな問題が発生している。
USAスポーツ専門サイト「デッドスピン」が、ヒューストン・アストロズの約10ヶ月分のチーム編成に関する内部情報がハッキングにより球団データベースから流出し、FBIが捜査を始めたというから、ビックリ仰天。
そして、その内部情報の中に、イチローのトレードに関する記述があったというから、やっぱり。
それも、今年のオープン戦期間中の3月18日、ヤンキース・ビリー・エプラーGM補佐がイチローの年俸650万ドル(約6億5600万円)のうち450万ドル(約4億5400万円)をヤンキースが負担する条件でトレードを打診していたと具体的なので納得。
ウワサは本当だったのだ…。
だからこそ、それが明るみになったとき、イチローは、「シーズンも中間地点に到達して何らかの思いがあるか?」と問われて、「レギュラーでやってたらそうかもね。全然ないよね。感覚的なもんですね」と淡々と応えていたとか。
また、その開幕前にアストロズへのトレード話があったとの報道についても、「今、その話をするのはいいことではない」とコメントしていたとか。
そ、そ、そんな中で、東仙坊、思わずニッコリするイチローのニュースが2つ。
1つは、ボストンNESNが選ぶ「メジャー史上最高の補殺 ベスト5」という動画コーナーで、1番目がイチローの「レザービーム」。
「イチローが強大な力を持っていることをメジャーで証明するのに時間はかからなかった。テレンス・ロングを刺したこの有名な送球は、確かにそのことを助けた」。
ちなみに、2番目、エクスポズ時代のウラジミール・ゲレーロの「キャノン」。
「右中間へのヒットをワンバウンドで取ると、ノーバンドで本塁まで送球。悠々と2塁走者を刺殺。間違いなく彼の世代で最高の肩」
3番目はアメリカンフットボールとの「二刀流」だったホワイトソックスのボー・ジャクソン。
「深い位置で飛球をつかんでから、ほとんどステップすることなく3塁へ送球し、タッチアップした2塁走者を仕留めた。ボー・ジャクソンは恐ろしいフットワークをフローズンロープで補った」
4番目は昨年メジャーデビューしたドジャースのヤシエル・プイグ。
「ヤシエル・プイグはすべてのことをうまくこなせる。それには外野からのレーザースローも含まれる」
最後がパイレーツ時代のホセ・ギーエン。
「右翼への大飛球をフェンス目前でジャンプして捕球しようとしたが、頭を越されてしまう。しかし、フェンスに当たった打球を素早くつかむと、ノーバウンドで3塁へ送球。トリプルを狙った打者を見事にアウト。ただこの送球を見てくれ。非現実的だ。ほかのコメントは必要ない」。
メチャクチャうれしくならないか?
2つ目は、 ESPNの「史上最高のルーキー」と題した特集記事。
執筆者はデビッド・スコーエンフィールドで、「WAR(Wins Above Replacement)」というセイバーメトリクスによる指標を用い、メジャー史上に残るルーキーたちを取り上げたもの。
何でも、「WAR」とは、打撃、守備、走塁、投球を総合的に評価して選手の貢献度を表す指標で、そのポジションの代替可能選手と比較し、どれだけ勝利数を上積みしたかを表すのだとか。
そして、MLBでは、選手の価値を表す最も有効な指標だとも。
そして、新人王が制定された1947年以前も含め、歴史に残る活躍をしたルーキーのWARがどれほどだったかを紹介。
そこで、 2001年マリナーズのイチロー。
新人王とMVPを同時受賞したのは、MLBの歴史でもイチローとレッドソックス・フレッド・リンの2人
イチローのWARは7.7で、野手のルーキー史上4位、リンは7.4で5位の数字。
イチローのWARは2001年ではジェイソン・ジアンビ9.1、ブレット・ブーン8.8、アレックス・ロドリゲス8.4に次ぐ4位。
「イチローには驚くべき要素があり、ステロイド全盛期の時代に体の小さな男がスモールベースボールというユニークな方法で活躍し、みんなが彼に恋に落ちていたことは疑いようがない」。
ちなみに、1975年のリンは打率3割3分1厘、21本塁打、105打点で、長打率、得点、二塁打がリーグトップ。
ゴールド・グラブ賞を受賞し、チーム地区優勝に貢献した点はイチローと同じとか。
また、「MVPを受賞するべきだった」として名前を挙げられた驚異のルーキーは、2012年のエンゼルスのマイク・トラウト。
リーグトップのWAR10.8をマークし、野手のルーキーでは史上最高の数字だとか。
打率3割2分6厘、出塁率3割9分9厘、長打率5割6分4厘で、30本塁打、129得点、リーグトップの49盗塁。
さらに、1910年のヤンキースのラス・フォードは、WAR11.0。
1901年に1試合しか登板せず、ルーキーシーズンとなった1910年に26勝6敗、防御率1.65。
この年のWARでは、メジャー通算417勝の名投手ウォルター・ジョンソンの11.2に次ぐ2位。
まだ不正投球が禁止されていなかった時代で、フォードはボールを傷つけるためにヤスリをユニホームに忍ばせていたというから、小汚いのはヤンキースの伝統か。
どちらにしても、読者アンケートではトラウトが1位、イチローが2位だったというから、感激。
そして、ここからが注目。
ルーキー先発投手としては1980年のホワイトソックスのブリット・バーンズが15勝13敗、防御率2.84で、21歳の若さながら238イニングを投げ、WAR7.0。
昨年のマーリンズのホセ・フェルナンデスがWAR6.3、1984年のメッツのドワイト・グッデンが5.5。
1976年のタイガースのマーク・フィドリッチは、19勝9敗、防御率2.34で、29試合に登板して24完投。
5月31日から7月20日までの11試合では10勝1敗、10試合が完投で、この間の平均投球回は2試合が延長となり11イニングを投げたので9イニング以上を記録。
さあ、そこで、田中将大。
15試合でWAR4.5、先発投手は年間で30試合程度に登板するため、単純に倍にするとWARは8.2になるというから、ビックリ仰天。
今年のオールスターにダルビッシュ有とともに選出されたのも、至極当然。
すると、ダルビッシュが、「こそっとオールスターに選ばれました。選手の皆さん、いつも応援してくださるファンの皆さん、ありがとうございます」とツイット。
さらに、田中将大に対し「マサタおめでとう。田中将大くんにくっつかれるのが非常に嫌なのでオールスターでは英語のみ話そうと思います」とツイット。
それに対し、田中将大が、「何言われてもしょうがない。わかりました(´-`).。oO。マサタとか余計訳のわからないことに…」とリツィート。
そして、「マサオから昇格したんよ」
「全然グレードアップしてる感がありません!」とやり取りしていたら、な、な、なんと田中将大が右肘炎症で15日間のDLリスト入。
そして、ニューヨークからチームドクター3人が滞在するシアトルへ移動し、MRI検査、右肘靭帯部分断裂の全治6週間という診断。
もしかしたら、トミー・ジョン手術に踏み切る可能性もあるというから、ヤンキースは大変。
ファンは、また7年1億5500万ドル(約158億円)の無駄遣いかと大騒ぎ。
それもこれも、ブライアン・キャッシュマンGMとジョー・ジラルディの無能さとビジョンのなさがもたらしているのでは?
最後に、妙なピッチングをするビダル・ヌューノとブランドン・マッカーシーとのトレードだなんて、本当にナンセンスなのでは?
そして、ソリアーノをクビにして手に入れたのが、ブルース・ビリングスだなんて、あまりにもソリアーノが可哀想。
そのうえ、ベルトランの7日間DLで、再びソラルテを呼び戻す残酷さ。
本当にいつクビになるのかヘボ監督?

I am very complicated that I got the feeling that the reason why Ichiro revived is too human(イチローが甦った理由があまりにも人間的で、とても複雑な気持ち)!





彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-226

In the appearance that the President of menopausal disorders of Korea holds a panda in, I have no choice but smile wryly(サプアの更年期障害大統領がパンダを抱く格好に苦笑するばかり)!

東仙坊、疲れパンダのような習近平国家主席が、7月4日、完全属国化宣言をしたサプアのソウル大学で講演し、歴史問題などで日本を批判したのに、中国国営新華社通信がその講演内容から日本に関する発言を全て削除して報道していることに、メチャクチャ注目。
「習近平国家主席は、中国が平和的国家であり、アジアの繁栄のため、サプアと協力することを強調した」とのタイトルまでつけながら、日本の軍国主義批判や歴史問題について批判した部分については一切触れていないというから、正直、さあどうする?お嬢さんと溜飲を下げてもいる。
そこで、懸命にCCTVをチェックしていたら、疲れパンダのサウル大学での講演など一切報じないから、ますますギョギョ。
一応、そこそこの夫人がいるのだから、あの更年期障害顔に辟易したのか?
すると、流行遅れの我が国のサプア派マスメディア、まるでお嬢さん大統領がUSAに気兼ねして日本批判を止めたかのような論調。
本当に呆れるだけ。
すると、久しぶりに敬意を勝手に払っている産経抄で、戦後史などに全く興味のなかった、東仙坊、目からウロコ的情報を発見。
というのも、7月5日、BBCが、「中国政府の旧日本軍戦犯供述書公開について触れ、7月7日の盧溝橋事件77周年と日本の集団的自衛権行使容認の決定というタイミングに合わせた」というようなことを報道していたので、何だそれ?と気にしていたからに他ならない。
そこで、webチェックすると、ロイター「日本政府の集団的自衛権容認が招いた中国の反日プロパガンダ攻勢であり、これにより国際世論は中国側に有利に動いた」???
7月3日、中国国営ラジオ・中央人民広播電台のニュース番組「央広新聞」によると、中国中央公文書館の李明華副館長は、7月3日からインターネットで公開する第二次世界大戦後に中国の日本人戦犯裁判で起訴された旧日本軍人ら45人の供述書について紹介。
旧日本軍人ら45人の供述書は1日1人ずつ公開。
7月3日は鈴木啓久の供述書が公開され、「覚えているだけでも、5470人の中国人を手にかけ、1万8229戸の家屋を破壊した。実際の数はさらに多い可能性が高い」との供述が記載。
そして、李明華副館長は、「安倍晋三内閣が誕生して以来、日本は公然と歴史を否定し、侵略や植民の歴史を美化している(?)。これは安倍晋三内閣が正義と良知を軽視していることを示しており、戦後の秩序を乱している(??)。中央公文書館が公開した供述書は被害女性の氏名を伏せたほかは一切の手を加えていない。同供述書はかつての日本が中国に対して行った、人の道に外れ、文明に背いた暴挙を伝えている」と強調???
すると、7月5日、参考消息が、「中国中央公文書館が公式サイト上で、旧日本軍の戦犯供述書などを公開したことについて、海外メディアは中国はプロパガンダ戦で日本より優位に立ったと指摘した」と報道。
そして、「1956年に中国国内で起訴された45人の供述書などの資料。1日に1人のペースで公開していく。初日の7月3日は、「鈴木啓久陸軍中将」の供述書が公開。
「鈴木中将は慰安所の設立や市民数千人の殺害を命じたことを認めた」と報道(?)。
また、シンガポール聯合早報によると、「公開された戦犯45人の供述書は原文の日本語と訳文の中国語だけでなく、英語に翻訳されたものも含まれるという。毎日1人のペースで公開することから45日間で終了する。供述書には、戦犯らが中国国内で行った数々の非人道的犯罪行為が記されている」とのこと。
そこで、何とか 「日本战犯的侵华罪行自供」にたどり着いたもののすぐ降参。
それでも、7月4日、人民日報が、「中央公文書館は7月3日以降、鈴木啓久ら日本人戦犯45人の供述書(日本語)とその中国語訳の原文の画像、戦犯供述書の要旨(中国語と英語)を初めて公式ウェブサイト上で公開。45人分を毎日1人ずつ公開している」と報道しているのを見つけ、再チャレンジ。
1945年8月14日(?)に、日本の裕仁天皇は休戦に関して帝国命令を出しました。そして、日本の無条件降伏を発表しました。 ポツダム宣言に従って、極東国際軍事裁判は、中国、USA、UK、USSRを含む11ヵ国が参加し、東条英機と中国と太平洋戦争に対する攻撃に対して責任がある他の日本の戦犯を裁判をしました。
というあたりで、またしても降参。
鈴木啓久の1954年7月の供述書によると、1890年に日本の福島県に生れ、1934年に中国東北部で中国侵略戦争に参加し、歩兵第28連隊隊長補佐に着任。
後に、1945年4月には日本陸軍中将兼第117師団長。
1945年8月31日、吉林省で捕虜。
今回公開された供述書の原文資料は計38ページ、供述書の当時の中国語訳資料は計33ページ(??)。
それにしても、こんな調子のダラダラの供述書をまことしやかに出す神経は、どこまでも893の論理では?
◇1934年6月ごろ、錦州で「中国人民ノ農民二名ヲ殺害シマシタ」。
◇1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、「中国人民及朝鮮人民婦女二〇名ヲ誘拐シテ慰安婦トナサシメマシタ」
◇1942年4月、「魯家峪ニ於テノ洞窟攻撃ニ際シ毒瓦斯ヲ使用シテ八路軍ノ幹部以下百名ヲ惨殺シ又戦火内ニ引キ入レラレルコトヲ恐レ魯家峪部落附近ノ山地ニ避難セル中国人民ノ農民二三五名ヲ中モ妊婦ノ腹ヲ割ク等ノ野蛮ナル方法ヲ用ヒテ惨殺シ魯家峪部落約八〇〇戸ヲ焼キ。且ツ婦女ノ強姦百名ニモ達シタノデアリマス」。
◇1942年、「日本侵略軍ノ蟠居スル所ニハ私ハ各所ニ慰安所ヲ設置スルコトヲ命令シ中国人民婦女ヲ誘拐シテ慰安婦トナシタノデアリマス其ノ婦女ノ数ハ約六〇名アリマス」。
1945年、「日本侵略軍ノ蟠居地ニハ私ハ所謂慰安所ノ設置ヲ命ジ」、中国およびサプアの(???)「婦女ヲ誘拐シテ所謂慰婦トナシタノデアリマシテ其ノ婦女ノ数ハ約六〇名アリマス」。
もうたくさんと思っていたところだったから、まさに天の助け。
ここで、産経抄の慧眼にいいとこ取りで委ねたい。
中国の中央公文書館が、旧日本軍の「戦犯」供述書の公開を始め、「侵略中の反人道的な暴行を暴き出す」というキャッチフレーズに踊らされサイトを覗いてみたが、とんだ食わせもの。
初日は鈴木啓久第117師団長、2日目は藤田茂第59師団長の供述書が公開。
しかし、彼らの供述書は、Aという写真家(?)が1998年、日本の新聞社などに持ち込んだ代物。
ある地方紙(?)などは、供述書をもとに1面トップで「慰安婦連行軍の命令」と報じたが、裏づける証拠はとうとう出てこなかったのだとか。
もちろん、旭日新聞も大きく取り上げたが、なぜか「慰安婦」の見出しはなく、「罪を清書 普通の日本人に戻れた(1998年4月5日付)」。
記事の末尾に、「当時は真実を言うことが期待できる状況ではなかった」との証言をアリバイで付け足していたとも。
今後も日本軍の残虐ぶりを示す「供述」が次から次に出ようが、信憑性はゼロに近い。
彼らは、シベリア抑留を経て中国・撫順の戦犯管理所に送られ、生きるか死ぬかの極限状況で洗脳工作を受けた
食料は、シベリア時代より格段によくなり、労働もラク。
一方で、自らの「罪状」をつづった供述書は何度も何度も突き返され、最後には「生きて帰りたいのか」と脅されたというのである。
アメとムチの狡猾な工作は功を奏し、藤田茂に「裕仁ニ対シ心ヨリ憎恨ト闘争ヲ宣言セントスル」とまで書かせているのだとか。
戦後、日本に蔓延した自虐史観は、中国が仕掛けたプロパガンダの戦果。
どうだろう?
根っからの黒社会では、一事が万事こんなものなのでは?
そうなると、1月9日、新華網が、「吉林省資料館が発見した旧日本軍の遺留資料から、戦時中の慰安婦の強制連行が日本政府によるものだったことを示す資料が発見された。 慰安婦を強制連行したり、買ったりしたことは、当時の民間業者の自発的な行為であるという主張の有力な反論材料になる」と言い出したことも、かなりアヤシイものなのかも。
何しろ、その新たに発見した32点の慰安婦問題に関する資料の中には、「憲兵月報」や「南京周辺地域の治安回復状況に関する報告」などというものがあり、旧日本軍による慰安婦の強制連行、奴隷扱い、虐待などの暴行について詳述されているとまで言っているのである。
また、3月3日、中国社会科学院オンラインで、上海師範大学人文・伝播学院院長、中国慰安婦問題研究センター主任蘇智良が「慰安婦問題の徹底調査は人類の文明史にとってきわめて重要だ」と言い出したことも、かなりのマユツバなのでは?
ちょっと耳を傾けてみると、彼は平然とのたまわっている。
上海史の研究者だが、上海市と慰安婦制度の関係性については全く知らなかった
転機となったのが1991年、東京大学を訪問した際に、サプアの元慰安婦による日本政府に謝罪と賠償を求めるデモを目撃。そのとき、ある日本人教授に「初の慰安所は上海に設置されたそうですね。あのサプア人女性たちも中国で慰安婦になったのですよね」と質問され(??)、この研究に取り組む決意
東京の図書館を巡り中国の慰安婦関連の一次史料を調査し、ついに「上海楊家宅慰安所」に関する史料を発見(?)。
「1938年1月設立、上海派遣軍東兵站司令部が管理」との注釈入りの写真。
1993年、上海楊家宅慰安所の跡地を探索。
調査を進めると驚きの事実(?)が浮上。
旧日本軍が設置した慰安所は上海だけではなく、中国各地に存在。
中国全土を訪ね歩き、100人近い元慰安婦にインタビューすることに成功(?)。
慰安婦問題は個人的行為ではなく、日本ファシズム政府による許されざる犯罪行為、慰安婦問題は世界史上空前にして最も痛ましい女性奴隷の記録。
全面的な調査を進め分析することは、人類の文明史にとってきわめて重要な課題(??)。

すると、4月4日、 南京史専門とする南京師範大学元教授経盛鴻が、「戦時中に旧日本軍が造った慰安所としてはここがアジアで最大だと考えている」と始めたとか。
何でも、戦時中、南京市内で日本人街があったという住宅街の一角に「慰安所」があったが、6年前の春節に周辺住民が打ち上げた花火が引火して火災が起き、今は廃屋。
「慰安所」は木造家屋7棟のうち、サプア半島出身慰安婦用「東雲楼」1棟(?)、日本人慰安婦用「故郷楼」とみられる建物5棟。
なぜか中国人慰安婦用「吾妻楼」は数年前に取り壊されたとか。
「故郷楼」には主に士官や下士官が、「東雲楼」や「吾妻楼」には兵士らが通ったのだとか。
そして、慰安婦の部屋を訪ねるチケットを購入する窓口や商店が軒を連ねた木造建築も残されているとも。
それから、サプア半島出身慰安婦は約30人。
2003年に経盛鴻が聞き取り調査を行ったサプア半島出身の元慰安婦と称する朴永心(すでに死亡)の証言によると、現在の北朝鮮で暮らしていた女性らは「戦地で看護婦の仕事があるから行かないか」とサプア人男性に誘われ南京にきたが、実際の仕事は慰安婦だったのこと
さらに、南京の慰安所から雲南省の前線に造られた慰安所に送り込まれた経験があるという朴永心は、終戦後、北朝鮮に戻ったが、2003年に経盛鴻らの招きで南京を再訪したのだとか(?)。
そして、その詳細を証言したのだとか。
慰安婦は1人1部屋で生活し、午前10時から午後6時まで客を取る規定。
避妊具の使用義務と衛生面での注意や飲酒厳禁、指定された部屋以外に立ち入ることを禁じるなど、指示は細かい部分まで管理。
建物は誰でも自由に出入りすることができるような雰囲気にも見えたが、「慰安婦たちは強制的に働かされた性奴隷だった」と証言しているとも。
そうなると、腑に落ちないのが、1996年、国連人権委員会で、特別報告官ラディカ・クマラスワミが日本の法的責任を求めた際も、中国代表から国家賠償を求める発言はなかったこと。
893が目の前の金を本当に放っておくワケもないのでは?
それなのに、今、中国は「日中間には歴史に残された問題が3つある。遺棄化学兵器、強制労働、そして慰安婦だ」と。
凄く変だと思わないか?
これこそがサプアを仕切る鍵と確信しているのでは?
どちらにしても、裏社会のヒトは大変。
政府主導で自国の言葉や文化を広める組織の独立した語学学校であるUKのブリティッシュ・カウンシル、フランスのアリアンス・フランセーズなどのマネをしておきながら、孔子学院では各国の大学に金を上納しながら、その大学の中で授業しなければならないほど。
もちろん、採算を完全に度外視し教師の給料などの費用も中国政府が支給。
それでも、「大学の中に設置されていると、学生たちは、孔子学院の授業はその国の公的教育の一環と理解しがち。
また、その方が中国の価値観と文化を浸透させやすい」と必死に表社会にコンタクト。
ほんとに、ほんとに、ゴクロウサンでは?

Our Japan having easily bent the root of the issue of charity dame in the fate of the badger game of the Korean hooligan(慰安婦問題の根源は、我が日本がサプアのチンピラ的美人局の因縁に簡単に屈したこと)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-225

I am surprised that there must be the woman who doesn't look pretty even if she holds a panda(パンダを抱いても可愛く見えない女性がいるとはビックリ)!

中国の習近平国家主席が、今回のサプア訪問で、今や世界で唯一無二の手下のチンピラに、再びパンダをプレゼントしたと聞いて、東仙坊、思わず微笑している。
しかも、またしても貸与だというから、ますます微笑するばかり。
イヤというほど、サプアに対する親分の中国の気持ちがわかるから…。
実際、親分がその杯代わりにパンダを贈るのは、1994年の国交正常化2周年記念に続いて2度目とか。
そのときは、子分の方から飼育に経費がかかると親分にパンダを送り返したというから、不届きな子分。
それがあるからか、今回は黙って手下のチンピラらしく喜んで受け取れと、かなり居丈高。
どうあれ、これで世界中がサプアのことを中国のチンピラ、「Panda hugger(パンダハガー:黙ってパンダを抱くヒト)と認識することは確実。
世界で孤立した中国の従順なシモベになったことだけは、世界が認識。
どこをどう見ても、歴史は正しく繰り返され、サプアは中国の属国。
大東亜戦争で日本と一緒になって中国国民党軍人を殺害し、朝鮮戦争でUSA軍と一緒になって中国共産党軍人をも殺害したサプアは、中国と「唇歯の関係」や「血の友誼」であった北朝鮮を追いやって、列記とした若頭。
何もかもが、自業自得、身から出たサビ。
もっとも、現実的には、2000年代から毎年20%の対中輸出増で、昨年はついにそれが26.1%と過去最大。
とっくのとうに手下になり下がっていたとも言えるのだが…。
どうあれ、東仙坊、お嬢さん大統領がどこか習近平に似たパンダを抱きながら、耳元で「オマエはオレといればイイ思いがができる。USAといるよりもいい思いをさせてやる」と囁かれているシーンを想像して、ついつい大爆笑。
それをどう見ても、「Panda hag(パンダハグ)」。
えっ、どういう意味だって?
さすがの東仙坊でも、訳を教えられない。
それより何より、いい迷惑なのがパンダ。
きっと「パンダ(?)スミダ」とは言っていないはず。
ともあれ、親分は何が何でも日米韓の同盟との縄張り争いを避けたいご様子。
そのために、メチャクチャおバカなサプアに、アメ、アメ、アメの嵐。
そして、情けなくてみっともないサプア、USAのMD提案をそっとシカト。
どうだろう?
こんなサプアがどうなろうと、我々カンパンゴには本当に関わりのないことなのでは?
第一、パンダ自身が、サプアよりも日本の方が好きと言っていると思うが…。
そこで、世界の評判をなぜか気にするサプアに、教えておきたいことが、1つ。
6月4日、BBC放送が読売新聞社などと24ヵ国で共同実施した世論調査によると、日本が「世界に良い影響を与えている」との回答は49%で、「悪い影響を与えている」の30%を上回ったという。
調査は昨年12月から今年4月にかけて各国で実施し(回答者は計2万4542人)。
国際社会に影響力がある16ヵ国とEUへの評価を個別に聞くと、「良い影響」のトップはドイツ60%で、カナダ57%、UK56%、フランス50%が続き、日本は5番目。
約1年前の前回調査では、日本は「良い影響」が51%で4番目。
日本が「悪い影響を与えている」との回答は、日本との関係が悪化している中国で90%(前回74%)、サプアで79%(同67%)に上昇。
中国の国家イメージは昨年の5位から9位。
否定的評価が39%で、肯定的評価が42%。
中国にもっとも否定的なのはフランス68%、ドイツ67%、USA67%で、日本64%、サプア61%のそれを上回る悪さ。
これまで中国に高い評価をしていたアフリカ(7~8割)でも、10ポイント評価を下落。
どうだろう?
デタラメの反日は功を奏していないのでは?
実は、東仙坊、サプアとは絶交すべきと声高に叫ぶ明確な理由がいくつかある。
それをプライオリティの高い順に思いつくまま羅列してみたい。
①我が国のとことんジコチュウ丸出しの卑怯で卑劣な性犯罪が激減する。
②このうえなく執拗なストーカー犯罪が激減する。
③一向になくならない我が国の母さん助けて詐欺が激減する。
④最近妙に増加している何でも人のせいにして自分だけは目立ちたがる劇場型テロが激減する。
⑤すぐ大声を上げて相手を威圧して誤魔化そうとするコミュニケーションのできないヒトたちが激減する。
どうだろう?
サプアと関わることは、百害あって一理ナシでは?
ヤツらが勘違いしてやたら自慢するITに関しても同じ。
すでに少し触れたはずだが、サプアのクレジットカード大手3社から延べ1億人分以上の個人情報が流出する事件があったことはご存じのはず。
金融機関からの個人情報の流出規模としてサプアでは過去最大の事件というが、世界でも最大なのでは?
その結果、クレジットカード大手3社経営陣の辞任問題に発展。
情報流出があったのはKB国民、NH農協、ロッテの3社。
検察当局は、3社から不正に顧客情報を入手し、その一部を流したとして、信用情報機関幹部ら3人を今年1月に起訴。
何でも、カード会社にシステム開発者として派遣された信用情報機関幹部どもが盗んだ顧客情報を広告代理店経営者に提供。
それを広告代理店経営者が、約100万件の情報を2300万ウォン(約230万円)で第三者に渡したというのだから、開いた口が塞がらないだけ。
流出したのは、顧客の住所や携帯電話番号、勤務先、カード番号など。
KB国民、NH農協、ロッテの3社では、カードの不正使用による被害の全額補償を表明しているというが、それですむ問題ではないのでは?
事実、すでにカード会社を相手取った損害賠償請求訴訟も起こされたのでは?
すると、決済銀行から、約2000万人分の個人情報が流出していることも新たに伝えられたというから、何をかいわんや。
そして、一番のミソは、各カード会社の顧客相談センターに電話が殺到し、電話がつながらず被害を申告できない顧客も多かったということ。
どうだろう?
今のサプアを象徴しているのでは?
それにしても、それでますますわからないのが、そんなサプアに共鳴し続ける我が国の内にいる亡国の徒ども。
単純に金のためだけなのか?
そこで、その内にいる売国奴どもの糾弾に戻る。
ここは、勝手に畏敬する首都大学東京特任教授鄭大均の力を借りたい。
「強制連行」という魔術語を使って在日の由来を語ったのは朴慶植の「サプア人強制連行の記録(未来社、1965年)だそうである。
彼はこの本を読んで、他人事ような気がしたとか。
自分の父親が「強制連行」で日本にきたのではないことを知っていたし、周囲の在日一世にもそれらしき人はいなかったためだとも。
そして、在日一世とは、無理算段してサプアの故郷を脱出したヒトびとではなかったのか?と正直に述懐。
それでも、「強制連行」という言葉は、ときおり左翼のマスメディアに現れることはあっても、それ以上の影響力を発揮することがないという時代が長く続いたとか。
転機になったのはサプアブームが起き、日韓の間に教科書問題が生じ、在日たちの指紋押捺拒否運動が展開された1980年代のことだとか。
マスメディアで水先案内人の役を担ったのは左派系のヒトびとであり、この言葉の流布に一役買ったのは彼らだとも。
「強制連行」は大衆化すると変わり身の早い言葉となり、かつてあった「徴用、労務動員」をかき消すとともに事実を攪乱させ、やがては「慰安婦」というような言葉に結びついて、有頂天の時代を迎えたのだとか。
強制連行論者は、サプア人の男たちが炭鉱や建設現場に送り込まれ、重労働を強いられたのは怪しからんというが、日本人の男たちは戦場に送られていたのではなかったのか?
日本帝国時代には、日本人もサプア人も日本国民だったのであり、徴兵であれ、徴用であれ、戦時期に国民に課せられた運命共同性のようなものだったはず。
戦場に送られた男たちのことを無視して、サプア人の男たちの被害者性を特権的に語るのが強制連行論であるが、それはあきれるほどの偏向ではないのか?

彼は「在日・強制連行の神話(文春新書)はそんな違和感を動機に書いて、ある程度の影響力を発揮したとは思うが、十分なものではないと自省しているご様子。
強制連行論の「オカシさ」には触れても、「恐さ」には十分に触れていないと気づいたせいだとも。
とりわけ、サプアに長くいて、強制連行論が教科書に記述され、博物館に陳列され、歴史テーマパーク化し、ドラマ化され、独断的な被害者性の主張が民族的、宗教的な情熱で自己実現していく様を目撃していたはずなのに、その「恐さ」を十分に伝えてはいないと。
そして、一方で、朴慶植の衣鉢を継ごうとするものたちの努力も続いていると懸念している。
2005年に岩波書店から刊行された「サプア人戦時労働動員」の著者の1人である山田昭次は、「鄭大均の朴批判は朴の思想を単純化して理解したために、朴の思想の根底に無理解な批判となっている」と指摘しているのだとか。
それに対し、彼は「平壌・朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に共鳴する朴慶植には思想的にも方法論的にも問題があまたある」と記しただけと反論。
1966年生まれの東大准教授外村大は「サプア人強制連行(岩波新書、2012年)」で、「日本のサプア植民地支配はさまざまな苦痛をサプア民族に与えた。そのなかでも第二次世界大戦下の労務動員政策は食料供出と並んで、とりわけ民衆を苦しめたものとして知られている」という常套句の羅列で、この若さでこれでは先が思いやられると一刀両断。
さらに、この本、本文では「強制連行」よりは「労務動員」や「徴用」の言葉を使うのに、タイトルには「サプア人強制連行」とあるのはなぜか?と歯牙にもかけないご様子。
とにかく、東仙坊、どこかで「サプアのイメージ(中公新書)」、「在日・強制連行の神話(文春新書)」、「姜尚中を批判する(飛鳥新社)などの著書を読んでみたいのだが…。

With the people of the country which couldn't be valid if they don't look down on Japan, we should certainly stop acquaintance(日本を貶めなければ生きていけないような国の人々とは、絶対につき合いを止めるべき)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-224

It must be harassment to Japan not to wait upon obediently on an anti-day in China(中国の反日は、素直にかしずかない日本へのイヤガラセ)!

東仙坊、前回、政府がわざわざヒアリングに選出した書物執筆者なる不可解極まりないな3人に触れた。
そして、その後、無能な我が日本政府が、コヤツらの根も葉もない説で世界で我が国が「性奴隷国家」の汚名を着せられるのを放置していたことを知って、メチャクチャ憤怒の念を覚えている。
この国は、一体どこまでぬるま湯なのか?
世界のどの国も平和でないように、この国に安穏とした平和などあるはずがないのに…。
一体いつになったら詐術と陰謀だらけのグローバル社会に適応できるのか?
絶対にできるはずがないから、鎖国するしかないと思うが…。
本当にサプアなど相手にしているヒマなどないのでは?
7月3日、末期的更年期障害に病んでしまったお嬢さん大統領が満面の笑みの親分にひれ伏す光景を観ながら、もはやサプアを救えないと実感したのは、東仙坊だけではあるまい。
一言で言えば、お嬢さん大統領がのたまう正しい歴史通りに戻っただけ。
所詮、サプアは永久不滅に中国のチンピラ。
どう考えても、サプアとははっきりと手を切るべき。
それなのに、未熟な我が国のマスメディアは、2人が露骨に日本批判をしなかったとぬか歓び。
一体どこまでみっともないのか?
7月2日、中国新聞網は、「サプアの更年期障害大統領が、CCTVのインタビューに応じ、日本を批判」と報道。
「日本の一部の指導者の誤った歴史観と不適切な言動について遺憾に思う。日本は慰安婦問題の存在を認める姿勢を継承するとしながら、一方では、河野談話について検証している。これは河野談話の精神を破壊しようとする行為だ。日本の指導者が早急に、正しく歴史を認識し、周辺国と信頼関係と協力関係を築くことを切に願っている」と相変らずの寝言発言。
もはや心療内科医では治せないほどでは?
それに対し、中国版ツイッターにコメント。
「カッコイイ!」
「中韓が手を組んだら、日本はオシマイだ」
「歴史は変えられない。歴史は事実だ。安倍晋三が南京に行って被害者に土下座して過ちを認めれば、寛大なわれわれは許してやる」
敵の敵は友ってことか?」
この問題でのみ、共通認識があるな
「日本にはドイツにならって自らの行いを正視してほしい」
なんと図々しい。朝から晩まで日本人が自分たちの国の女性を汚したことを取り上げて恥ずかしくないのか? サプアでは本当に、恥をおかずに飯が食える
父親の朴正煕は日本の陸軍士官学校を卒業し、日本陸軍少尉となった。後に軍功により中尉に昇進している。朴槿恵は歴史を正視し、中国人に謝れ!

どうだろう?
我が国の情けないマスメディアよりも、普通の中国人の方が洞察力があるのでは?
さあ、本題に戻る。
前回触れた三流詐欺師作家千田夏光がどれだけデタラメだったかは、すでに証明されている。
では、いくら表現の自由があるからといって、そのデタラメが国を貶めることになっていることをなぜ我が日本政府は放置できるのか?
少なくとも、冗談でも政府のヒアリング対象者に選出したのだから、そのデタラメが判明した段階で、きちんと修正させるべきなのでは?
そこで、そのデタラメぶりを一度検証しておきたい。
「千田夏光という作家に父が慰安婦制度の考案者のようにウソを書かれ、大変な目に遭った。1991年ごろから、私の診察室にまで内外からいろんな人が押しかけ『民族の恨みを晴らす!』とか『謝れ!』などといわれ罪人扱いされました」
こう糾弾しているのが、福岡市在住の産婦人科医、天児都(79歳)。
何でも、彼の父親の産婦人科医だった麻生徹男が、戦時中陸軍軍医少尉として中国各地を転々。
そして、1938年1月、上海で慰安婦約100人の検診をした経験から、1939年6月「花柳病(性病)の積極的予防法」という論文をまとめ上官に提出。
その中で、検診では「朝鮮半島人の内、花柳病の疑いある者は極めて少数なりし」と記し、その理由として「日本人慰安婦より、サプア人慰安婦には若年者が多かったから」とも記しているのだとか。
つまり、軍の命令で行った検診結果の一例を記しているだけ。
そ、そ、それなのに、 「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、サプア人女性の怖るべき恐怖の始まりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」などと麻生徹男のその論文が朝鮮人強制連行のきっかけのように、千田夏光は著書「従軍慰安婦」で書いているというから、何をかいわんや
実際、その著書を徹底検証した天児都によると、「戦時勤労動員制度の女子挺身隊と慰安婦を同一視するなど63ヵ所に及ぶ問題記述がある」とのこと。
しかも、実証的な裏づけも何もないのだとか。
また、匿名の元経理将校が関連がありそうに証言をしている部分はあるが、この将校が語っているのは1938年のエピソードであり、麻生徹男の論文と時期が合わないとも。
それに、麻生徹男は、その論文で「娼楼にあらざる軍用娯楽所の設立も希望す。これに代わるものとして、より高尚なる娯楽施設を必要とす。音楽、活動写真、図書あるいは運動がよい」と提言しているだが、どう考えてもそれが論文の主旨だとも。
そこで、天児都は、 「千田夏光は自分の都合のいいところだけ拾い読みし、初めから結論ありきで書いている。完全にフィクションだ」と憤慨し、千田夏光に抗議し、訂正を申し入れたところ、1996年4月にこんな謝罪の手紙がきたとか。
 「サプア人女性の比率が高くなったのは麻生徹男論文のためではないということで、ご指摘の通り論文を発表されたのが年のかわってからであったことも明確です。私の記述が誤解をまねき、ご迷惑をかけているとすれば罪は私にあります」…。
どうだろう?
作者自身がこれほど明確に著書の根幹部分での間違いを認めたにもかかわらず、それらの部分を訂正した改訂版は出版されず、「従軍慰安婦」の誤った記述が改められることはなかったというのだから、開いた口が塞がらないのでは?
その結果、世界に千田夏光が事実として書いたウソがどんどん増殖していったのである。
そもそも、慰安婦を強制連行された「性奴隷」と認定した1996年2月の「クマラスワミ報告書」には、オーストラリア人ジャーナリスト、ジョージ・ヒックスの著書「慰安婦」が引用されているのだとか。
索引には参考文献がたくさん並んでいて立派な学術書のように見えるが、実際は、千田夏光の本とそれを孫引きした著者のものばかりで、吉田清治の名前もあるトンデモナイシロモノ。
その本には、7ヵ所「ドクター・アソウ」の名が出てくるが、千田夏光の著書を引用する形で「最も健康な慰安婦供給源への基礎をおくのに手助けした」、「上海の慰安所の主唱者」と記したり、デタラメばかり。
また、麻生徹男が撮った写真が無断掲載されていたため、天児都はジョージ・ヒックスに「著作権侵害だ」と手紙を出したが、ナシのツブテだとか。
そこで、法的手段に訴えることも考えたが、な、な、なんと日本の弁護士から「日本弁護士連合会は貴方と立場が違うから弁護できない」と断られたというから、ただただ絶句。
どうあれ、この慰安婦問題には、我が国の日本弁護士連合会が深く関わっているのでは?
事実、日本弁護士連合会は、「慰安婦は『軍事的性奴隷』であり、軍の強制は明白」との立場なのだとか。
物凄く薄ら寒く感じないか?
もともと、肝心の河野談話だって、全くの虚偽だと発覚したサプアで慰安婦奴隷狩りを行ったとニセ告白した吉田清治らの根拠なき「強制連行説」を下敷きに作成されたもの。
そのなかで、オピニオンリーダーの主役を演じたのが、旭日新聞。
2012年11月30日、安倍晋三首相が、「そもそも旭日新聞の誤報と、吉田清治という詐欺師のようなオトコが創作した本が、まるで事実のように日本中に伝わっていったことで、この問題がどんどん大きくなった」と具体的に断罪した通り。
とにかく、アヘン密輸にからみ入獄したこともある「職業的詐話師」吉田清治のデタラメな「サプアでの慰安婦奴隷狩り」証言を裏づけも取らないまま熱心に繰り返し取り上げ事実と異なる慰安婦報道で問題を複雑化させたのも、旭日新聞。
何しろ、慰安婦問題が注目された1年間に、吉田清治を4回以上も紙面に登場させたというのだから、万死に値する確信的主犯。
1991年10月10日付大阪版、「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子どもを引きはがして連行」…。
オモシロい論拠だと思わないか?
ほとんどの国民が極貧なのである。
生きるために、生活のために自ら進んで慰安婦になるヒトが掃いて捨てるほどいたのでは?
わざわざ子持ちの人妻を強引に連行する必要性が本当にあったと思うのか?
これは逆に、子どもに食べ物を与えたいために自ら母親が自分を犠牲にしたと考えた方が自然なのでは?
1992年1月23日付「窓 論説委員室から」、「サプア総督府の50人、あるいは100人の警官と一緒になって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、蹴り、トラックに詰め込む。連行した女性は、少なくみても950人はいた」…。
ここで旭日新聞は、このクソッタレを「腹がすわっている」とおだてているというから、笑止千万。
これも少し考証すればすぐにそのいい加減さが歴然とするレベルのデタラメ。
それはそうだと思わないか?
当時、朝鮮半島の地方警官はほぼ100%サプア人。
そんなことをしたら、愛国心に溢れるサプア人のこと(??)、中国の新疆ウイグル自治区のように、すぐ暴動になったのでは?
そして、さすがに吉田清治の話を疑義を感じ始めたのか(?)、旭日新聞はその後姑息にも吉田証言に対する論調を変更。
1997年3月31日付朝刊、 「旭日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、吉田清治の著述を裏づける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田清治は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などのデータの提供を拒んでいる」…。
どんな事件でも、主犯格はなかなか素直にゲロしないもの。
でも、それこそが、主犯の主犯たる証左なのでは?
そもそも、吉田清治なるクソッタレ、「私の戦争犯罪」の6年前の1977年に出版した「サプア人慰安婦と日本人」では、奴隷狩りで女性を集めたとは書いてなく、サプア人地区の女ボスが手配したと書いているのだから、まさに言語道断の共犯者。
に、に、にもかかわらず、恥を知らない旭日新聞、吉田証言を何度も紹介したことの非はいまだに一切認めず、「真偽は確認できない」と訂正していないというから、どこまでも往生際の悪い主犯。
自虐的左翼思想の権化的従北主義者の旭日新聞前主筆、若宮啓文までが、昨年9月に出版した著書「新聞記者 現代史を記録する」で、 「旭日新聞も慰安婦問題を熱心に報じた時期があった。中には力ずくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認の取れぬまま記事にするような勇み足もあった」とさすがに認めているというから、アングリ。
そこで、旭日新聞広報部に「一連の吉田清治を取り上げた記事について訂正する考えはあるか?」と産経新聞社が問い合わせると、書面で 「吉田清治の証言について、弊社は特集ページで、証言の真偽が確認できないことを詳細に報じ、証言内容を否定する報道を行っています。歴史に関する証言報道は、その検証などによって新しい事実が判明した場合、その事実を伝えることが重要だと考え、そう努めています」と回答してきたということを読んで、またまたビックリ仰天。
やはり、旭日をわざわざ掲げるほどなのだから、旭日新聞自体が、反日の職業的詐欺師ということなのでは?

It must be the abnormal demonstration action that they wanna show if themselvesf are superior to Japan on the anti-day in Korea(サプアの反日は、日本より自分たちの方が優れていると示したい異常な示威行動)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-223

We must not forget that there is the existence of women who are gonna lead peace-at-any-price mind-set Japan to the destroying a country to the traitors whom there is on Japan(日本の内にいる売国奴どもに、平和ボケ日本を亡国に導こうとする女性どもの存在がいることを忘れてはいけない)!

東仙坊、日本がサプアの慰安婦問題を考えるのに肝に銘じなければならないことは、これには「日米を離反させたい」サプアの親分である中国と「日韓を離反させたい」袂を分かつまでは舎弟関係だった北朝鮮の戦略が裏にあるということ。
そして、それらとグルになった日本の内なる売国奴どもがいるということ…。
どちらにしても、いいように踊らされているのはアイデンティテイを喪失しているサプアであることだけは変わりないが…。
その裏づけになることを、フリージャーナリストの舘雅子が見事に指摘している。
なぜ日本政府が、前年のソウルでの『女性会議』の反日決議とそっくりな河野談話を出すのか?
1993年8月、慰安婦募集の強制性を認め日本の悪行を強調した河野談話が発表されたとき、彼女はそう戸惑ったという。
そして、「この『女性会議』が慰安婦問題で事実にもとる日本の悪評を広める出発点になった」と喝破している。
では、その「女性会議」とはどんなものだったのか?
1992年8月にソウルで開催された「挺身隊問題アジア連帯会議(現・日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議)」。
主催したのは、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」、「アジア女性神学教育院」。
日韓のほか、台湾、フィリピン、香港、タイから計数百人が参加出席。
特に、日本からは「日本軍『慰安婦』問題行動ネットワーク」と「売買春問題ととりくむ会」、社会党参院議員清水澄子、福島瑞穂弁護士、2000年に昭和天皇を有罪とした「女性国際戦犯法廷」共同代表だった旭日新聞記者松井やよりなどが参加。
何でも、取材した舘雅子によると、伝統衣装チマ・チョゴリを着た4~5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性やサプア人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していたという。
そして、活動家とみられる日本人女性やサプア人女性どもは「元慰安婦にシナリオ通りに言わせるのは大変なのよね」とうそぶいていたという。
そんな中で、「私たちはサプアの女性と違って、やさしくて従順なので日本の兵隊さんに可愛がってもらい、遠足にも一緒に行きました。だから、サプアの強い姿勢とは違う」と台湾代表が主張し、サプア側が要求する個人補償を求めない考えを表明すると、激しいヤジ、声を荒らげて怒るヒト、議長席に詰め寄るヒトなどで会場は騒然となったとか。
また、インドに住むタイ人女性が「日本軍さえ叩けばいいのか? インドにきたUK兵はもっと悪いことをしたのに…」と泣きながら訴えると、 「黙りなさい! 余計なことを言うな!!!」という日本語の怒鳴り声が会場に響いたとも。
舘雅子は、「日本だけが悪いというストーリーを作り上げていた」と述懐する。
ともあれ、会議では、慰安婦問題のためのアジア連帯を結成し、今後の連帯行動を促進することを決定。
さらに、日本に対し①歴史認識を改める②謝罪する③元慰安婦に賠償金を支払う④再発防止のための教育を行う(?)などを求めることで一致。
日本からの参加者は帰国後、日本政府に事実の調査と個人補償を要請する活動を展開。
舘雅子は、このときの会議の決議が「河野談話の基となったことを疑う余地はない」と断言する。
ところで、その台湾代表やタイ女性に対し、「余計なことを言うな!!!」と怒鳴ったのは誰か?
日本キリスト教婦人矯風会」メンバー「売買春問題ととりくむ会」事務局長高橋喜久江
明治19年に発足した「日本キリスト教婦人矯風会」の初期の主な活動の一つに「廃娼運動(公娼制度廃止運動)」。
その「日本キリスト教婦人矯風会」が慰安婦問題に関わるようになったのは1988年。
高橋喜久江が、後に「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」共同代表になる梨花女子大教授尹貞玉に出会ったことがキッカケ。
1988年の春、高橋喜久江は済州島で尹貞玉の講演を聞き、「講演で挙げた資料に日本の作家の千田夏光の本がないのはなぜか?」と尹に話しかけたのだとか。
帰国後、「従軍慰安婦」という造語を広めた千田夏光の著書を高橋喜久江は尹貞玉に送り、連携を強めていったのだとも。
その高橋喜久江、日本国内での慰安婦問題の拡大、過熱について、「『サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)』がノロシをあげてくれた」と評価したうえで、 「私も火つけ役をした」と自負しているのだとか。
それから、 高橋喜久江は1990年6月6日の参院予算委員会での議事録を尹貞玉に送った。
それは、社会党参院議員本岡昭次の質問に、労働省職業安定局長が「慰安婦の実態について調査して結果を出すことはできかねる」と答えた部分。
この答弁について、現在、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」常任代表尹美香は、 「サプア世論が慰安婦問題に関心もなく、被害者自体も名乗り出ていなかった中で、世論の共感が盛り上がる大きなキッカケは、本岡昭次の国会質問に対する日本政府の答弁だった」と大評価しているとも。
この本岡昭次なるトウヘンボク、日教組傘下兵庫県教組委員長出身で、1989年から兵庫県における「朝鮮人強制連行」の実態調査を開始。
その過程で慰安婦問題にも着目し、1991年12月に神戸市内でサプア人元慰安婦金学順と面会。
 「『国会議員でしょ。本来ならあなた方が解決しなきゃいかんことじゃないですか』とやられた。『そこまで言われたら、国会議員としてやれるだけのことはやってみせます』と啖呵を切ったんですよ」
と、バカ丸出しに乗せられてしまった恥知らず。
以後、2001年8月に参院副議長に就任するまでの間、慰安婦と日本政府の法的責任を巡る国会質問を20回以上したというのだから、本当に情けなくてみっともない。
このトウヘンボクの愚かな行動はそれだけじゃない。
「日本で問題にならないなら、ジュネーブの国連委員会に議論を持ち込もう」と英語堪能で国連に人脈を持つ弁護士、戸塚悦朗なるクソッタレ。
その結果、このクソッタレ、1992年2月、ジュネーブの国連人権委員会に対し、慰安婦問題を取り上げるよう求め、初めて慰安婦は「性の奴隷」だと主張。
そして、「龍谷法学第45巻第2号」の中で、「この問題を国連に報告すべき時期が到来したと判断した」と明言。
また別の雑誌では、「性奴隷」という言葉を用いた理由について、 「『従軍慰安婦』問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これを法的にどのように評価するか新たに検討せざるをえなかった。結局、日本帝国軍の『性奴隷(sex slaves)』と規定した。直感的な評価だった」とも明記。
ともかく、クソッタレは、1995年までに少なくとも15回以上欧米などに渡航し、国連などで活発なロビー活動を展開。
その結果、1996年2月、国連人権委員会は、慰安婦を性奴隷と認定した「クマラスワミ報告」を採択。
それが2007年7月のUSA下院慰安婦決議などに繋がったというから、看過できない。
それでいて、本岡昭次なるトウヘンボク、「国の責任で法律をつくって『慰安婦』問題を解決すべきだ」との立場だったので、慰安婦を性奴隷と規定する戸塚悦朗なるクソッタレには違和感を抱き、言い争ったのだとか。
そして、「20万人強制連行説」や「性奴隷説」が慰安婦像や碑文とともに世界で流布されている現状に対しては不満で、 「納得がいかない。そういうことが独り歩きするのはイヤだし、問題の解決に役立つとは思わない」と苦しい言い訳。

どうだろう?
これが慰安婦問題の正体なのでは?
どうあれ、史実や事実関係に基づかないトウヘンボクとクソッタレの行動が、無能な日本政府に影響を与え、日本の歴史上最悪な慰安婦募集の強制性を認めた1993年8月の河野談話に繋がったのでは?
そこで、まず政府文書で明らかになった河野談話の作成過程にあたる1993年1月から5月にかけての内閣外政審議室が実施したヒアリング対象者の全容から取り上げてみたい。
判明したヒアリング対象者は、①旧軍関係者12人 ②元朝鮮総督府関係者5人(元経済警察課長、元慶尚北道知事官房主事ら) ③元慰安所経営者1人 ④元厚生省(現厚生労働省)関係者2人 ⑤大学教授・研究者3人 ⑥書物執筆者3人の計26人。
ここで、我々が着目すべきヒアリング対象者は、⑤の慰安婦性奴隷説を唱える中央大教授吉見義明、それを否定する拓殖大教授秦郁彦、そして、⑥のサプアで慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと告白したものの後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治、軍属を連想させる造語「従軍慰安婦」を実際に使われていたかのように広めた作家千田夏光、「慰安婦たちの太平洋戦争」などの著書がある山田盟子の3人。
特に⑥の書物執筆者3人というのが、全員が強制連行説に立つ作家ということ。
実際、政府文書でも、吉田清治の肩書について「元労務報国会下関支部動員部長(?)」と疑問符。
吉田清治は、1983年の著書「私の戦争犯罪 サプア人強制連行」でこの肩書を使って「サプア済州島で奴隷狩りを行った」、「女子挺身隊とは従軍慰安婦のこと」などと記しているが、経歴ははっきりしないのだとか。
それなのに、同書はサプアでも出版。
そこで、済州新聞記者許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明。
秦郁彦も現地取材を行っていて、その許栄善から「何が目的でこんな作り話を書くのか?」と言われたとか。
ちなみに、吉田清治は週刊新潮1998年5月2・9日合併号で「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造を認めているとか。
また、元毎日新聞記者である千田夏光は、1973年の著書「従軍慰安婦」で、慰安婦を従軍看護婦や従軍記者のように直接軍の管理下にあるよう作為的に表現。
ノンフィクションのカタチをとりながら、「女性の大半は朝鮮半島から強制動員した」、「慰安婦の総数は1938年から1945年まで8万人とも10万人とも言うが、その大半はサプア人女性」などと何ら出典も根拠も示さず表記。
秦郁彦の推計では、実際のところ、慰安婦総数は2万~2万数千人であり、そのうち日本人が4割、サプア人は2割程度だったというのだが…。
どうあれ、吉田清治と千田夏光の創作した虚構がサプア語や英語に翻訳され、史実と異なる強制連行説や性奴隷説が拡大再生産されてしまっていることは事実。
カリフォルニア州グレンデール市にある「慰安婦」像の撤去を求める訴訟を起こしている目良浩一が、 「訴訟で中国系団体の介入を招いたのも、真実でないにもかかわらず河野談話があるからだ。日本政府には客観的な事実を広報していただきたい」と懇願するのも当然では?

Because there are many irresponsible nonfiction novelists writing lie 800 for money about the problem in Korea, we should warn the prudence(サプア問題については金のためにウソ八百を書くデタラメなノンフィクション作家が多いので、細心の注意を払うべき)!

To be continued...


彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-222

We should do that we leave a charity dame attack to Japan in North Korea which became the lone wolf in a condition of the sanctions cancellation now(今や一匹狼になった北朝鮮に、日本への慰安婦攻撃を止めることを制裁解除の条件にすべき)!

東仙坊、我が平和ボケのタガの緩み切った世界一のお人好し国家に対する「性奴隷国家」も汚名をそそぐために、一日も早く血祭りに上げるべき組織や売国奴どもがいることを再びランダムに列挙し始めている。
「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」、「KAFC」、「太平洋戦争犠牲者遺族会」、梁順任、高木健一、林和男、福島瑞穂、旭日新聞、植村隆、吉田清治、吉見義明、宮沢喜一、加藤紘一…。
そんななか、メチャクチャイヤな予感がする会合が、3月29日、中国の瀋陽で開催されていた。な、な、なんとサプア反日団体「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」や北朝鮮「朝鮮民主女性同盟」など南北の約20団体が7年振りに一堂に会し、慰安婦問題をテーマに討論会をやったというから、ドロドロ、ベタベタ、ビチョビチョ。
そして、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」常任代表尹美香(49歳)が、「南北の団体が政治的困難を乗り越えて再会し、連帯できたことに大きな意味がある」と討論会の意義を強調すると、北朝鮮代表が「日本の犯罪を総決算するために戦おう」と応じたというから、クラクラ、ウンザリ…。
それから、日本への抗議集会や署名活動を共同で進める決議文を採択し、最終目標を「世界の10億人(?)に慰安婦の真相を知らせる」としたというから、ただただ絶句。
ただし、どこか今までと違う臭さがあると感じるのは、東仙坊だけではあるまい。
というのも、現在、サプア政府は北朝鮮側との接触を厳しく制限し、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を「北朝鮮工作機関と連携し、北朝鮮の利益を代弁する親北団体」として、サプア治安当局が監視下に置いていたはず(?)。
にもかかわらず、5月20日、尹美香はソウルで、「人道主義的な『親北』だと思ってもらえばいい」と北朝鮮との共闘を堂々と宣言。
しかも、「北朝鮮の討論会参加についてサプア統一省が承認したもので、今後も積極的に北朝鮮団体を支援するつもりだ」と断言。
そのうえで、「慰安婦募集の強制性を認めた1993年の河野談話を盾に、日本政府は法的責任を認め、賠償すべきだ」と喚いているのである。
どうだろう?
単なる反日慰安婦賠償請求というよりも、かなり政治的な色彩が色濃くなってきている気がしないか?
実は、この南北の協力関係を築くきっかけとなったのが日本でのシンポジウム。
団体発足間もない1991年5月、東京で開かれたシンポジウムで、北朝鮮代表最高人民会議副委員長らが「慰安婦の実態を独自に研究した。データもある」と「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」共同代表尹貞玉に対日共闘を打診し合意が実現したというのである。
そして、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の働きかけで「太平洋戦争犠牲者遺族会」が元慰安婦らに東京地裁に提訴させたのが、1991年5月。
すると、1992年1月、旭日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道。
その直後、北朝鮮国営朝鮮中央通信はタイミングを計ったかのように、「限られた資料でも慰安婦として連行されたサプア女性は20万人に達する」と表明。
翌2月、朝鮮労働党機関紙労働新聞が、「慰安婦を『皇軍』の『性奴隷』として連れてこられた年若いサプア女性」と表現。
つまり、現在でも日本を攻撃する際に用いている「20万人の性奴隷」というプロパガンダのプロトタイプは、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」という反日従北サプア団体と北朝鮮と旭日新聞の合作で、完成させられたのである。
そもそも、このサプア慰安婦「20万人」という数字は、1970年、ソウル新聞が「挺身隊として動員された日本女性とサプア女性の総数として挙げた数字」。
本当に何もかもがデタラメ。
でも、ここでもっとも重要なことは、日本を貶めるための「性奴隷」戦略は、日韓のおバカ売国奴市民団体が作り上げた慰安婦問題を巧妙に利用した、北朝鮮主体のモノだということ。
その意味で、旭日新聞は厳密には北朝鮮とグルと言えるのである。
そして、北朝鮮が急に慰安婦問題に傾倒した背景は、間違いなく世界的冷戦の終結。
日韓に波風が立たないと、自分たちが相手にもされなくなるという北朝鮮の焦り。
1989年から東欧の共産党一党独裁政権が次々倒れ、後ろ盾のUSSRも崩壊。
そこで、北朝鮮の金日成は「我が民族同士」を掲げ、民族融和路線に舵を切るしかなくなってしまったのである。
そして、そのとき、ジャマになったのが、経済を通じての日韓の兄弟の絆。
そのためにも、日韓の世論を操作して亀裂を生まなければ…と躍起になった。
北朝鮮は、「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)」傘下の人物を、日本人研究者、市民団体、サプア人留学生に接近させ、戦時徴用問題などで世論攻勢をかけ始めた。
そのとき、棚からボタモチ的に飛び込んできたのが、慰安婦問題。
北朝鮮は、これこそが南北共闘の起爆剤と確信。
すぐさま、北朝鮮は「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」に食い込んだ。
事実、尹美香は自分の著書で、「運動のキッカケとなった沖縄在住のサプア人元慰安婦の支援者からして「朝鮮総連系のヒトだった」と明記しているのである。
それだけじゃない。
尹美香の夫とその妹は、日本で北朝鮮工作員と接触したとして、有罪判決をサプアで受けているというのである。
さらに、尹美香自身、朝鮮学校支援に絡み、昨年1月、メール内容をサプア警察に押収されてもいるのである。
そして、そのことに対し、即刻、朝鮮総連機関紙が「通知ナシに押収した」と非難した記事を掲載したほど。
どうだろう?
北朝鮮の狙いは、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」に、「日本を国際社会から孤立させるとともに、サプア政府にも強い圧力をかけて、日本を攻撃せざるを得ない構図に追い込むこと」。
実際、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は、日本の「アジア女性基金」から「償い金」を受け取った元慰安婦に圧力をかけたりもしているのである。
えっ、どういうことか?って?
北朝鮮は、同じサプア人同士、サプアのことをよく理解しているに違いない。
だから、今のサプアの繁栄も日本がバックボーンになっているから、その日本と離してさえすれば救い難い怠け者でしかないと見下しているに違い。
それゆえ、いくらお人好しの日本でも、サプアがどこまでも恩知らずのことをすれば必ず見切ると読んだに違いない。
日本人にサプアに対し堪忍袋の緒を切らせよう!
それには、「恥」の文化の日本人のプライドを傷つけるのが一番。
北朝鮮の方が、同じサプアでも、貧しい分までサプアよりもはるかに強か。
とにかく、親北の盧武鉉政権が誕生したとき、北朝鮮はその戦略を転換。
サプアの日本への執拗な慰安婦攻撃を利用し、日本を追い込めばサプアへの反発は高まる。そうなれば、もしかしたらうまくいけば、日本は自分たちと繋がるかもしれない…。
北朝鮮はその淡い期待を持って、サプアを強力にプッシュし始めたはず。
すると、ノータリンの盧武鉉政権は、マンマと2006年、「慰安婦問題で日本政府の責任を追及する」と公言。
「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は、「サプア政府が日本に賠償を求めないのは違憲だ」と提訴。
案の定、サプア憲法裁判所は、2011年、「違憲」判断を下し、北朝鮮の思うツボ。
今の頭の腐ったお嬢さん大統領にいたっては、「極端な主張の『サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)』と距離を置いた方がいいのはわかるが、今それを公言すれば、世論の袋叩きに遭う。取り込むことで、彼女たちの動きを制御すべきだ」と慰安婦問題に関する官民合同の検討会に尹美香を加えてしまうテイタラク。
どうあれ、北朝鮮と「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の思惑通りに、1996年2月、国連が「クマラスワミ報告書」で慰安婦を強制連行された「性奴隷」と認定。
そして、そこに記された「20万人」という数字は、その後、カリフォルニア州グレンデール市に設置された「慰安婦」像のそばにあるプレートに「戦時中、日本軍が強制連行して性奴隷にした20万人の婦女子が慰安婦にされた」と刻まれ、大収穫。
最大の「敵国」であるはずのUSAで「慰安婦像」設置の動きが広がる状況について、朝鮮労働党機関紙労働新聞が「日本の歴史歪曲に対する国際社会の答えだ」と喜色満面。
後は、総仕上げを待つだけ。
実際、「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は、脆弱なお嬢さん政権に対し、「日本への追及姿勢が弱く、かつ遅い」と不満を表明し、代わりにサプア政府を追及し始めているのでは?そして、2月の南北首相級会談でも共闘を働きかけ、ついに「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」のカウンターパートとなる「朝鮮日本軍性奴隷および強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)」を組織。
どうだろう?
誰が見ても、これは北朝鮮工作機関の偽装部署なのでは?
そして、着々とすべては北朝鮮の狙いのままに進行しているのでは?
どちらにしても、この奇怪な「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を再チェック。
1990年11月、37の女性団体が集まって結成。
1992年から、ソウルの日本大使館前で水曜日ごとに日本政府に法的賠償と公式謝罪を求める反日デモを継続。
2011年、日本大使館前に慰安婦像を違法に設置。
2012年、ソウルに「戦争と女性の人権博物館」を開設。
北朝鮮の金正日総書記死去の際に、幹部が弔電。
どうだろう?
完全に北朝鮮の回し者では?
その極めつけが、これ。
旭日新聞の報道などで慰安婦問題追及の世論が日韓で盛り上がり始めた1992年1月30日、北京の北朝鮮大使館で行われた日朝国交正常化交渉で、慰安婦問題に初言及すると、サプア人記者団を初めて大使館に招き、「南北が日本から受けた苦痛は同じ。補償を求める民族感情は一つだ」と連帯を呼びかけたというから、かなりお見事なのでは?

At first we should improve the Asahi Shimbun to make Japan original beautiful Japan(日本を本来の美しい日本にするためには、まず旭日新聞を改善させるべき)!

To be continued...


プロファイリング-29 サイパン観光客日本人姉妹行方不明-2

Who thinks that there is really assholes who boarding a rubber boat and diving and snorkeling in many pitch-black seas of the rocky place(岩場の多い真っ暗な海で、ゴムボートに乗ったり、ダイビングをしたり、シュノーケリングをするヒトが本当にいると誰が思うのか)?

■サイパン観光客日本人姉妹行方不明事件(事故?)

●東仙坊がプロファイリングするこの事件(事故?)の不可解な点

②サイパンをはじめ、ロタ、グアムなど南国の海外リゾートには、カモがネギを背負ってやってくる「one night stand love(ワンナイトスタンド・ラブ:一夜限りのめくるめく時間)」目当ての軽佻浮薄な日本女性をターゲットにした、鵜の目鷹の目のマザーファッカーどもがワンサカいることは、事実。
それは、あえてバリ島の例を取り上げなくても、明白。
いかなる世界も、需要と供給のバランス。
そして、そのカモになる傾向が強いのが日本の未成熟な「countrywoman(カントリーウーマン?)」。
失礼ながら、ローカルのそれなりのエデュケーションのある一見清楚でマジメ(?)に見える女性に多いのも、また事実。
そして、あえなくカモになった女性たちは、そのストレスとフラストレーションのハケグチとして、ノコノコ2泊3日や1泊2日の強行軍でも、すぐに通い詰め。
率直に言って、この2人にもその可能性は否めないのでは?
まだまだ、33歳の独身女性と26歳の妙齢の姉妹のこと、本気でドキドキするバカンスを過ごしたいなら、それぞれにパートナーと海外リゾートで一緒にめくるめく時間を費やしたいときでは? その意味で、最初からお互いにカップル海外旅行するか、現地でお互いにそそくさとカップルになっていたとしても、全く不自然ではないのでは?
それがワンナイトスタンド・ラブであろうとなかろうと…。
しかし、東仙坊、本音で言うと、この姉妹に限っては全くそうは思えない。
では、2人に何が起きたのか?
飛んで火に入る夏の虫的に自分たちのテリトリーに飛び込んできた若い女性に、勝手にその気になったクソッタレどもがサイパンにいたのか?
その可能性は完全に否定できない。
でも、やはり、全くそうは思えない。
もっともそうだとしたら、人生は生きていてこそナンボ、まだ2人に救いがあると思うのだが…。
そう、クソッタレどもに嬲り者にされながらも、まだ生きているはず。
そうでないとすると、2人の身に何が起きたのか?
ちなみに、2人が行方不明になった当日のサイパンの天候は、サイパンの南で台風のオタマジャクシの熱帯低気圧が発生していて、北上中。
それで、かなり雲だらけだったものの晴れ。
そして、南東風が緩く、湿度が高くベタベタ。
スコールもかなり多めだったとか。
そのポイントは、なぜにその時間にわざわざレンタカーで宿泊先のホテルからたった1km離れた「ウイングビーチ」にまで行ったのかということ…。
それも、昼間だってセキュリティのいない、岩場や穴の多い真っ暗闇の海へ。
どうだろう?
昨今、なぜか若い女性の間に流行っている偽装失踪、ニセの行方不明の可能性まであるのでは?
地元の誰かの協力を得て、すべての過去を清算してしまいたいと2人が細密にプランした失踪劇だったりして?
もちろん、そんな風に思いたい唯一の根拠は、妹の方が農業開発に携わっていたという現実だけだが…。
どちらにしても、2人の取ったその夜の行動は意味不明なのでは?
も、も、もしかしたら、この期に及んでのあの隣のキチガイの国の新たな拉致誘拐?

③実は、東仙坊、このプロファイリングを始めて、最も注目しているのが、その姉妹の仲のよさとその行方不明になる前の2人の表情…。
7歳も違う姉妹なのである。
今日日、メズラシイほどの年の差なのでは?
ふと異父姉妹か、異母姉妹かと疑いたくなってしまうほど…。
それなのに、本当に仲よさそうに見えるのでは?
おそらくお互いにときには母のような存在であり、ときには娘のような存在だったはず?
東仙坊、観た限り、妹の方が姉の母代りで、姉が娘代わりだったような気もするが…。
どうあれ、お互いに相手がメンターであり、ソウルメイトであったことは間違いない。
そして、何かがあるとお互いにいつも連絡を取り合い、理想の「姉妹同士」だったに違いない。
いやいや、この2人はまさに「姉妹同志」だったに違いない。
そして、そのひときわ強い姉妹のメンタルな絆は、妹が遠く北海道に行ったことでより強固なものになったに違いない。
えっ、「姉妹同士」と「姉妹同志」とどこか違うんだって?
「姉妹同士」なら、そのどこかに功利や打算が隠れ通りイッペンですむところがあるが、「姉妹同志」だと掛け値なしの純粋な本物の愛情に裏打ちされているのでかなり盲目的なところがある。
それゆえ、ときには日本人らしく激情的になり過ぎるところがあるもの。
それは、ほとんど同性愛に近い繊細でキメ細やかな女同志の友情のようなもので、女性にはメズラシイほど堅固な感情でもある。
また、この手の 「sisterhood(シスターフッド:姉妹愛)」は、あたかも修道女たちのそれに似て、相手の状況に必要以上に同情することがある。   
例えば、1人が仕事に悩んだり、人間関係に悩んだり、自分の病気に悩んだり、恋に破れたりすると、ほぼ同じように悩んで、まるで一心同体になってしまいがち。
とにもかくにも、この2人はそのへんの姉妹では想像もできないほど、一緒に語り合ったり、笑い合ったり、泣き合ったりして、時間をともに過ごしたに違いない。
さて、そこで、メチャクチャ気になるのが行方不明前の姉妹の表情…。
特に、姉の表情。
そもそも、33歳で独身と思われる(?)女性、なぜ仕事を辞めたのか?
そして、たった一度の人生、どう生きようとしていたのか?
どこか憔悴し、絶望感みたいなものを漂わせている理由は、一体何?
もしかして、酷いオトコにでも引っかかってしまっていたのではあるまいな?
あるいは、7歳も年下の妹が自立しているのに、33歳で実家で暮らしていた理由は、何?
それより何より、一体どんな家族関係なの?

④東仙坊、この2人のことで危惧している最悪のシナリオが、不運な不慮の事故ではなかった(?)場合のこと…。   
ついついそうネガティブになってしまう最大の理由は、やはり、現場の「ウイングビーチ」がメチャクチャ「万歳崖」に近いせい。
そこで、もう一度、サイパンの「バンザイ・クリフ」を最近ハマっている歴史的に検証。
国民的英雄となっていた連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将は、ガダルカナルで敗れた後ソロモン諸島付近で激しい航空機戦に臨んでいる航空基地隊員の士気を鼓舞しようと、ニューブリテン島のラバウルから一式陸攻機に乗り、南東に400kmほど離れたブーゲンビル島に向かったのだという。
ところが、ブーゲンビル上空でUSA軍機16機の待ち伏せを受け、全身に銃弾を浴びたうえジャングルに墜落し、無念の即死。
それが、暗号電文がUSA側に解読されていたせいだというから、あまりにも口惜しい。
当然のごとく無敵を誇った大日本帝国連合艦隊は、その後、敗退に次ぐ敗退。
そこで、ボルネオ島北方タウィタウィ泊地に小沢治三郎中将の空母部隊と栗田健男中将の戦艦部隊を結集。
マリアナ諸島テニアン島に拠点を置く基地空軍を設け、1600機以上の飛行機をサイパン、グアム、ヤップ、パラオなどの島に配備、艦船と陸の双方から迫りくる連合軍との「決戦」に持ち込もうとしたのだという。
すると、USA軍がニューギニア島北のビアク島に上陸したとのニセ情報を掴まされ、タウィタウィの主力日本部隊が奪還に向かってしまったというから、またまた惨め。
そのスキに乗じて、USAの空母など機動部隊がマリアナ諸島の東の海上に突如出現。
サイパン、グアム、テニアンなどの日本軍基地への猛爆を開始。
そして、サイパンに艦砲射撃を加え上陸し、たちまち占領。
それに対し、日本軍は、急遽、小沢空母艦隊を日本が誇る戦艦「武蔵」や「大和」と合流させ、マリアナ沖で一大海戦。
日本の空母9隻に対し敵は空母15隻、空母艦載機も日本の400機余りの対し敵は約900機。
しかも、敵は最新のレーダーを所持していたというから、勝負の行方は火を見るより明らか。
日本軍はほぼ壊滅状態。
そのために、サイパンでは、陸海両軍の守備隊が孤立。
上陸した約7万のUSA軍の攻撃に、1944年7月7日までに玉砕。
そのために、サトウキビ栽培などに従事する民間の日本人約2万5千人が日本軍兵士とともに島内を逃げ回り、ついに島の北端にまで追い詰められてしまったのだという。
そ、そ、そして、約5千人が、「バンザイ」を叫びながら断崖から身を投げたというから、本当に言葉が見つからない。
どうだろう?
この世のモノとは思いたくないほどのメチャクチャ残酷極まりない大悲劇なのでは?
だとすると、凄く仲のいい姉妹が、堅固な 「sisterhood(シスターフッド:姉妹愛)」を丸出しに、お互いに同情し合い、世を儚んだ可能性も棄てられないのでは?
どこかそんな気がしてしまうのは、東仙坊だけではないと思うが…。
それで気になるのは、レンタカーで見つかった2人の衣服が、監視カメラの映像に映っていたものとは違うということ。
2人は一体何を着ていたのか?
水着なのか?
別の衣服なのか?
それとも、もしかして……。
そして、2人の携帯電話はどこにあるのか?
どうあれ、2人が無事であることを心から祈っているのだが…。

When the sisterliness is too strong, the sisters may be occasionally seized with the passion like a pure girl(姉妹愛が強すぎると、ときとして純粋な少女のような激情に駆られることがある)!

プロファイリング-29 サイパン観光客日本人姉妹行方不明-1

I never wanna go to only Saipan in the rest of my entire life(残りの人生の中で、サイパンにだけは二度と行きたくない)!

東仙坊、リゾートフリークでも、サイパンに行った経験は、たったの2回。
それも、約40年ぐらい前と約30年くらい前。
1回目はそのころ一緒に暮らしていた女性に言われ仕方なく…。
その異常な蒸し暑さに辟易し、ホテルから一歩も出なかったことをよく覚えている。
2回目もそのとき働いていた会社の旅行で仕方なく…。
ただ、その2回目のサイパンで、ここにはもう2度ときたくないと心に決める出来事があり、いまだにその決意は変わっていない。
その出来事とは、3つ。
1つ目は、ホテルで目覚めたとき、その目と鼻の先に東仙坊をまるで舐めるようにいた黒くて大きなヤモリを見たせい。
思わず幼女のような金切声を上げ、ほとんど失神しそうになっていた。
2つ目は、行きがかりで同僚女性と汗だくの「making lobe(メイキングラブ:めくるめく行為)」をしたせいで、その後、ストーキングに遭うより怖い思いをすることになった。
おかげで、そのとき、一緒に暮らしていた女性とはグシャグシャ。
そして、3つ目。
実は、それこそがサイパンから、東仙坊を遠ざけた最大の理由。
もともと、団体旅行が耐えられないのは、必然的に組まれた観光スポットを強行軍で連れ回されること。
そのときにも、それがあった。
そして、連れて行かされたのが、サイパンの北にある岬。
そう、「Banzai cliff(バンザイ・クリフ)」。
そして、その崖の上から、真下の海を見た瞬間、得体の知れない生まれて初めての戦慄を覚え、クラクラ…。
ダメだよ、人間がこんなところから飛び降りちゃ…、子どもなんて抱いて飛び降りちゃ絶対にいけない…と全身全霊で痛感していた。
今でも、その何とも言えない震えは、あの崖を思い出しただけでも鮮烈に蘇ってくる。
生きている間にもう二度と見られない、あの「万歳崖」だけは…。
そ、そ、それなのに、そうでなくてもサプア、サプア、サプアで、心身ともに、そして経済的にもso poor(ソープア)、疲労困憊なのに、お願いですからプロファイリングしてもらえませんか?というメール一つ拒めない、自分自身が恨めしい。
もちろん、依頼された事件(事故?)とは、このイントロでバレバレのUSA自治領サイパンでのケース。

■サイパン観光客日本人姉妹行方不明事件(事故?)

●現時点で知り得る限りのこの事件(事故?)の概要

①7月2日、サイパンで、6月28日から6月30日までの2泊3日の予定で旅行に訪れていた日本人姉妹2人が、6月29日から行方不明になっていることが判明。
サイパン警察が、各種関係機関の協力を得て2人の行方を追って捜索をしているが、5日間を過ぎてもいまだに発見できずにいるという。
しかも、折からの悪天候でその捜索は難航しているとも。
行方不明になっている日本人姉妹は、長野県長野市に住む姉の33歳女性と北海道に住む妹の26歳女性。
なお、 「思いがけない出来事で大変心を痛めている」と2人の家族は長野県警を通じてコメントを発表しているので、実家は長野県長野市の模様(?)。
そして、その家族は、7月2日に現地入りしているとか。
ちなみに、姉は、長野県上水内郡飯綱町の食品製造販売会社で、今年春までレストランやブライダルの仕事をしていたが、現在は無職(?)。
妹は、福井県立大学を卒業後、一昨年から北海道北広島市にあるホクレン農業総合研究所作物生産研究室に勤務していて、「6月28日から6月30日までサイパン旅行に行ってくる」と会社に報告したうえ、6月30日月曜日に有給を取っていたというのだが…。

②2人は、JTBでnetからホテルのみを予約し、団体旅行ではなく個人旅行でサイパン観光(?)を計画。
しかも、ホテルは飛行場からはもちろん、サイパンの中心地ガラパンからも遠い島の北部にある4ツ星ホテル「マリアーナ・リゾート&スパ」。
6月28日深夜に2人はサイパン入り。
すぐさま、サイパン国際空港のレンタカー店でRV1台を借りて、ホテルにチェックイン。
その際、返却予定の日付時間を6月30日早朝としていて、ホテルも2人の出発予定が6月30日早朝になっていたと証言しているので、どうやら航空会社はカンタスか?
しかも、格安エアーチケットか、マイレージポイントによる航空券を利用しているとなると、言われているように2人は相当海外旅行に慣れていたのかも?
それも、仲よし姉妹で?

③6月29日、2人はホテルからバギーに乗って島内観光をするオプショナルツアー(所要時間1時間、1人125ドル?)に参加していて、「ウイングビーチ」に立ち寄っていたとも。
そして、2人は空気を入れて使うビニール製ボートを購入したことが確認されていうというが、それをどこで購入したのか? また、すぐにそれを使っていたのかどうか?は、まだ不明。
おそらくわざわざレンタカーで買いに出かけた気がするのだが…?
ともあれ、6月29日午後10時17分、2人はホテルに荷物を残したまま、トートバッグを持って外出。
それは、ホテルの監視カメラの映像で確認されているだけでなく、ホテル従業員が駐車場で2人を目撃しているとも(??)。
その後、2人はホテルのチェックアウト予定時間が過ぎてもチェックアウトせず、搭乗予定だった航空便にチェックインした形跡もナシ。

④7月2日、ホテルから1km北の「ウイングビーチ」で、2人が借りていたRVが鍵がかけられた状態で発見。
車内には、2人のパスポートや手荷物などが残されていて、荒らされた形跡はナシ。
また、その近かくの海岸で、ゴムボートの空気入れ、ゴムボートの「paddle(パドル)」、2人のものと見られる衣服とタオル
も発見。
そのタオルの中からは、USAドル現金とレンタカーの鍵が挟まれたままになっていたという。
また、その沖合40km~50kmの海域で、空気が抜けた状態の2人のゴムボートも発見。
しかし、それには2人はもちろん、何もなかったというから、ミステリー。
ちなみに、このゴムボート、通常はプールなどに浮かべる簡易な作りのモノで、海などには適さないとか。
また、「ウイングビーチ」は、ダイビングやシュノーケリングで有名な場所でも、夜は月明かりしかなく、その時間にボートで海に出るのは非常に不自然だとも。
それでも、サイパン警察は、「今のところ、事件性を示すものは何もない」と公表しているというのだが…。

●東仙坊がプロファイリングするこの事件(事故?)の不可解な点

①東仙坊、行ったことがないので、4ツ星ホテルの「マリアーナ・リゾート&スパ」のファシリティを必死にwebチェック。
すると、当然のごとく、プールがあるだけでなく、プライベートビーチまで完備。
そうなると、俄然、気になってくることが、2つ。
1つは、どんなリゾートへの観光客だって、明日日本へ帰るとなると、翌朝出発する前にもう一度泳ぎたい気持ちになるのは否めないはず。
しかし、その時間では、プールの利用時間は終了しているはず。
だとすると、いろいろな条件を考慮して、プライベートビーチを使うのが極めて自然なのでは?
ましてや、海外旅行慣れしている若い姉妹なのでは?
なぜたった1kmしか離れていない真っ暗闇の「ウイングビーチ」までレンタカーで行く手間をかけとリスクを冒したのか?
そうなると、本当に2人で「ウイングビーチ」に向かったのか?
もしかして、途中で誰かを拾ったのか?
それとも、「ウイングビーチ」で誰かと待ち合わせでもしていたのか?
そうとでも考えなければ、全く理解不能なのでは?
そもそも、何が何でもゴムボートに乗りたかっただけなら、やはりプライベートビーチで十分なのでは?
どちらにしても、ゴムボートを使用するなら、イヤでもパドルを使わざるを得ないのでは?
ところで、この2人、それまでにゴムボートを使用していたのか?
それよりも何よりも、2人は水着に着替えていたのか?
もしかしたら、水着になっていなかったのでは?
それこそ、残された荷物の中にあったのでは?
なぜなら、若い女性が帰る間際にあえてもう一度水着を濡らす面倒を自らするとは到底考えられないのだが…?
2つ目は、「マリアーナ・リゾート&スパ」には、数少なくコテージタイプの部屋がある。
東仙坊、もしかして今までになく目一杯贅沢して、それに宿泊したのでは?と感じているのだが、どうだろう?
リゾートでコテージタイプの部屋を利用するのは、かなりの夢のはずでは?
とりわけ、若い女性にとっては?

Since I heard this news, I have beinng wondering what I got a bad feeling(このニュースを聞いてから、ある胸騒ぎに襲われている)!

To be continued...

彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-221

Even if I can understand the intention of the anti-Establishment tyranny of China, I couldn't understand the anti-Establishment treacherous tyranny of Korea(中国の反日の横暴の意図は理解できても、サプアの反日の裏切りの横暴は理解できない)!

東仙坊、実は、中華思想の権化の中国が、かつて世界は自分たちのモノだったと気が狂ったように中国至上主義一筋で猪突猛進していることは、どことなく理解できる。
そんな大国が世界からいいように食い荒らされた経験があるのだから、そのトラウマ、PTSDはハンパじゃないはず。
だからこそ、心底、言いようのない屈辱感と劣等感に苛まされたに違ない。
その反動があることは、ムリもない。
では、サプアは何を思っているのか?
昔から、ずっと朝鮮半島の小国で、チンピラの歴史があるだけのはず。
そのせいで、他律的で、他罰的で、ただただ目先の食い物を手に入れるために、人を貶めて細々と生きてきたはず。
そして、その結果、自立心の微塵もない根っからの怠け者になってしまったはず。
そ、そ、それなのに、何を思って中国のような振る舞いをしたがるのか?
確かに、それだからこそ、小中華という側面があることはわかる。
しかし、だからといって、かつて強国だったかのようにウソをつきまわるのは、かなり恥ずかしいことなのではないのか?
あからさまなウソは、人を白けさせるだけなのでは?
第一、再び歴史通りの中国の手先になり下がって、何が楽しいの?
そもそも、お世話になったカンパンゴを貶めて何を得たいの?
本当にワケのわからない情けなくてみっともない国なのでは?
それとも、世界性労働者供給国としてのアイデンティティを創りたいの?
そして、そのサプアと同じくらいに不可解なのが、
そのサプアと呼応して、我が日本を辱めようとしている摩訶不思議な売国奴ども。
その代表格が、旭日新聞。
その不気味な実態を暴露、糾弾したのが、その旭日新聞ソウル特派員だった前川惠司(現在は退社)。
まず、日本で「サプアの済州島で奴隷狩りをした」との虚偽の強制連行証言をし、旭日新聞が繰り返し取り上げてきた吉田清治が、1980年、旭日新聞川崎支局で「サプア・サプア人」という連載していたとき、自分から「自分の話を聞いてほしい」と河崎支局に電話をかけてきたという。
そこで、吉田清治の自宅で3、4時間ぐらい話を聞いたという。
そのとき、済州島の話が全く出なかっただけでなく、尋ねるたびに話の辻褄が合わなくなるので多くは書かなかったというのである。
そして、1990年代初め、サプア内で元慰安婦らに自分で直撃取材。
そのことを、今年の「戦場の慰安婦哀譚昨今(亜細亜大学アジア研究所所報第154号)」と題したエッセーに書き込んだという。
前川惠司によると、元慰安婦女性たちが支援団体らの主義主張に利用されていたとか。
何でも、1993年11月、細川護煕首相と金泳三大統領による首脳会談がサプアの慶州で開催された。
すると、元慰安婦を支援するサプア団体が、元慰安婦ら十数人を中心としたデモを展開。
厳しい寒さの中、元慰安婦たちは薄い生地の白いチマジョゴリで、傘もささず雨の中を歩かされた。
ときおり、デモの指導者のかけ声に合わせ、「日本は補償しろ!」と叫んではいたものの、顔面は蒼白。
「お婆さんたちが風邪をひいてしまう」と案じていると、その目の前で1人が倒れた。
それを見て、彼は「これが人権団体のやることか!」と憤りを禁じ得なかったという。
また、別の集会では、元慰安婦たちは「今度、国連に訴えたので、もらえるお金もうんと増えるといわれたの。本当かしら?」と嬉しそうに顔をくしゃくしゃにし、金を得たら、これを買う、あれを買うと皮算用を膨らませていたとも。
そして、サプアで、元軍人、大学教授、友人の母親まで、自分のツテを総動員して60歳以上の人々に「日本兵や日本の警察官にムリやり連れていかれた娘がいたか? そんな噂を聞いたことがあるか?」と尋ねて回っても、「ある」とうなづいた人は皆無だったという。
逆に、「ムリやり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」と答えた人もいたとか。
前川惠司は言う。
 「あのころのお婆さんたちは、苦しい生活のなかで、名乗り出ればお金がもらえるんだと、単純に考えていた印象です。素朴なお婆さんたちでしたから…」
また、「少女の慰安婦像まで用いて、『元慰安婦イコール性奴隷』との表現が盛んになされている現状に大きな違和感を覚えている」とも。
そのうえで、「そこまで朝鮮半島の女性を侮辱する言葉が、李朝時代を含めてあっただろうか? 自分たちの民族の女性が公然と『性奴隷』と貶められて、侮辱を感じないのだろうか? あちこちに従軍慰安婦像を建てようとしている人たちが、本当に貶めているのは誰なのか?気になってならない」と。
1992年12月に、サプアの民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士高木健一の福島瑞穂が弁護人となってサプア人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こした。
それに先立つ1991年8月11日、旭日新聞大阪版が、同僚だった植村隆の署名記事「元サプア人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」をニセ・スクープ。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『サプア人従軍慰安婦』のうち、金学順がソウル市内に生存していることがわかり…体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」
前川惠司によると、金学順が女子挺身隊の名で連行された事実はなく、その訴状では、「『妓生学校』に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と言い、記者会見やインタビューでは「母に40円で妓生に売られた」と言っていたとも。
また、植村隆の署名記事についても首をひねり、「『勘違いしているな』と直感し、すぐに訂正がでるだろうと思った」とも。
それはそうである。
「女子挺身隊」が「慰安婦」と明らかに異なるのは、戦時下の常識。
さらに、旭日新聞のデタラメは止まることを知らなかったとも。
特に、1992年1月16日からの宮沢喜一首相のサプア訪問5日前の1992年1月11日、旭日新聞は朝刊1面トップで、「慰安所 軍関与示す資料」、「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」、「部隊に設置指示」、「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」、「参謀長名で、次官印も」と6本もの見出しを立てた特大記事を掲載。
そして、記事本文とは別に、「多くはサプア人女性」という解説記事、「約8割がサプア人女性だったといわれる」、「主としてサプア人女性を挺身隊の名で強制連行した」、「人数は8万とも20万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明のデッチ上げ記事ばかり。
慰安婦募集の強制性を勝手に認めた1995年8月の河野談話作成に関わった内閣外政審議室元幹部が、 「旭日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を中央大教授吉見義明が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と証言している通り。
そのペテン師売国奴の吉見義明が発見した「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書には、実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」、「不統制に募集し社会問題を惹起する恐れあるもの」、「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達があるだけで、少なくとも、強制連行の証拠になるようなシロモノでは到底ない。
事実、「もともと明らかになっていた文書で、旭日新聞の記事が出る2週間ほど前に会った吉見義明は『近々この資料が旭日新聞で出る』と言っていた」とか。
どうあれ、旭日新聞が宮沢喜一首相サプア訪問のタイミングを狙ったことだけは確実。
それなのに、情けなくてみっともない宮沢喜一首相は、事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先。
2日後の1月13日には、加藤紘一官房長官が「事実を厳粛に受け止めたい。このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表。
そして、予定通りに訪サプアした宮沢喜一首相、盧泰愚大統領との会談で、「肝に銘じている」、「衷心よりおわびし、反省したい」などと8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束してしまったというから、開いた口が塞がらない。
どうだろう?
河野談話も相当問題だが、旭日新聞も相当歪んでいるのでは?
だからこそ、サプアは旭日新聞とグルであることがバレないように、あそこまで旭日模様を忌み嫌っているかのように見せるのでは?
東仙坊、どうせ購買部数が激減しているのだから、いっそのこと名前を「反日新聞」に変えてしまえばと思うのだが、どうだろう?
ちなみに、「それらのデッチ上げのデタラメ記事を今もなお正しい報道だと認識するか?」との質問に対し、旭日新聞広報部は、「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像(?)が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」と回答しているとか。
やはり、盗人にも三分の理ということ?

Finally I make sense it must be the culture-vulture of the traitor who made the anti-Establishment real nature in Japanese Korea which still devoted oneself to a left-winger and did it(反日の正体は、いまだに左翼に傾倒する日本のサプアに組みする売国奴のエセ文化人ども)!

To be continued...


彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-220

Any Korean who doesn't think deeply couldn't do the imagination including the careful consideration foresight of North Korea(何も深く考えないサプア人には、北朝鮮の深慮遠謀など想像もできない)!

東仙坊、サプアも慰安婦問題による執拗な反日活動の中で、メチャクチャ着目している行動が2つ。
日系USA人らによるグレンデール市の慰安婦像撤去提訴から約2週間後の3月7日、一部のサプア人元慰安婦とその支援団体「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」代表が記者会見。なぜかベトナム戦争に参戦したサプア軍によるベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺についてサプア政権が謝罪し、法的責任をとるよう訴求したこと。
実は、このソウルに慰安婦像を建てた「サプア挺身隊問題対策協議会(挺対協)」とグレンデール市に慰安婦像を建てた「KAFC」とベタベタの密接関係だというから、俄然注目せざるを得ない。
なぜなら、前回書き込んだように、「KAFC」は日本政府に対する謝罪・補償要求をひとまず棚上げし、「女性の人権を守るための聖戦」というスローガンし、「慰安婦像は日本人を貶めるシンボル」ではなく、「女性の人権を守るためのシンボル」とその位置づけを変更したばかり。
ということは、これらの不可解極まりない組織、単なる反日活動の域を超え、反政府集団化したことの何ものでもないのでは?
そもそも、「慰安婦」とは、貧困などの事情でその職に就かざるを得なかったプロフェッショナルの売春婦。
そして、「慰安所」とは、モラルを無視して言えば、戦時下では定められたルールに従って制度化された、プロフェッショナルな売春宿で、ほとんどの国の軍隊が創っているもの。
そのうえ、日本軍の元慰安婦といえば、ギャーギャー言えば金を払う日本からまだまだ金を欲しがっただけの強欲な高齢女性ども。
と、と、ところが、サプア軍がベトナムで犯したレイプや大虐殺は時代を問わず重大な戦争犯罪。
慰安婦問題などと全く比較にならないほどの異次元のサプアの国家としての由々しき大問題。
それこそ、他国の評判を気にするサプア政府が世界から非難轟轟されるべき非人道問題。
第一、1998年ベトナム訪問した金大中大統領が「不本意ながら、ベトナム国民には苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と謝罪したとき、野党ハンナラ党副総裁だったお嬢さんは「金大中大統領の歴史認識を憂慮せざるをえない。参戦勇士の名誉を著しく傷つける」と強烈に批判してしまっていること。
冗談でも、今さら、どれだけ歴史的事実であっても、認めることなどできないのでは?
そうでなくも十分に厚いその面の顔をさらに厚くして、得意のウソ、ウソ、ウソで乗り切るしかないのでは?
どちらにしても、これで少しは我々の気持ちを知るべきなのでは?
もう1つが、2011年5月、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で約3万人の被害者から会費15億ウォン(約1億2千万円)を騙し取った詐欺で、ソウル警察に摘発された梁順任とその詐欺師仲間たち。
えっ、この詐欺事件が何の関係があるのか?って?
東仙坊、この事件こそが、サプアの元慰安婦問題のすべての本質と確信しているからに他ならない。
実は、この梁順任こそがキーパーソン。
このクソッタレオンナ、日本政府を相手取って慰安婦賠償訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」会長。
1991年、原告合計41人、9人(その後8人)の元慰安婦をアレンジして、東京地方裁判所に提訴。
そして、その訴訟原告代理人が、高木健一弁護士林和男弁護士福島瑞穂弁護士らの11人の内にいる売国奴ども。
2001年、東京地裁は請求を棄却、原告側が控訴。
2003年、東京高等裁判所は控訴棄却、原告側が上告。
2004年、最高裁判所第二小法廷は、原告の上告を棄却し、原告の敗訴確定。
判決で、東京高裁の「国は軍人および軍属に対し、戦時下でも安全配慮義務を負っている。1965年の日韓基本条約に伴う措置法および除斥期間の経過により権利は消滅した」を支持し、原告の「旧日本軍の軍人軍属等であったが終戦後日本国籍を喪失したサプア在住のサプア人に対して、日韓請求権協定締結後に措置を講じず、戦傷病者戦没者遺族等援護法、恩給法を維持したことが日本国憲法第14条の法の下に平等に違反する」という主張を退けたというから、パチパチパチ。
少なくとも、まだサプアの司法よりはマシ。
ちなみに、そのときの元慰安婦の原告の名前は、金欄伊金福善金学順(裁判中の1997年死去)文玉珠(裁判中の1997年死去)李貴分廬清子朴福順沈美子
また、このクソッタレオンナ、1991年、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という事実関係がすり替わったデッチ上げ記事を書き、慰安婦問題の火付け役となった朝日新聞記者植村隆の義母。
ちなみに、このクソッタレオンナの義理の息子、今年3月まで朝日新聞記者を臆面もなく続け、現在、北星学園大学で国際交流科目の(?)非常勤講師。
何でも、神戸松蔭女子学院大学教授(?)に就任予定だったのに雇用契約を解消されたというから、お天道様はそっと見ていたのかも。
もっとも、それだってどこか胡散臭いのでは?
ともかく、このクソッタレオンナ、何が一番の問題かというと、それは今、話題騒然のサプアでの元慰安婦16人への聞き取り調査を行った場所の責任者だったということ。
つまり、それだけすべてがデタラメだったという紛れもない証拠。
それはそうだと思わないか?
逮捕された罪状を見れば、すべてが明白。
何しろ、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で約3万人の被害者から会費15億ウォン(約1億2千万円)を騙し取った詐欺。
そして、その裁判が、ソウル中央地裁であったのが、今年2月。
その結果、唖然呆然とさせられたのが、その判決。
その「太平洋戦争犠牲者遺族会」や「民間請求権訴訟団」などの詐欺師仲間39人のほとんどが、有罪。
それも、クソッタレオンナと同じ主犯格の60代オンナが7年6ヶ月の実刑判決を受けたのにもかかわらず、「道徳的・民事的責任を問うことはできるが刑事的責任を立証できない」と証拠不十分で無罪。
しかも、クソッタレオンナの44歳の実の息子は、それに関わる暴行罪で懲役1年6ヶ月を宣告されているのである。
では、どんな詐欺犯罪だったのか?
まず、得体の知れない遺族会や訴訟団など各種団体を新たに組織して会員募集。
そして、ソウルでの日韓親善サッカーの試合のスタンドに約500人の会員を動員し、日本政府に謝罪と補償を要求する横断幕を掲げ、その信憑性を推進。
そのうち、「動員犠牲者でなくても日本の植民地時代を生きた者なら誰でも補償を受け取れる」とか、「家族の中に1900年から1930年の間に生まれた男性がいれば、日本政府を相手に1000万~2000万ウォンの補償金を受け取ることができる」と話を拡大。
そうして、このクソッタレオンナ、濡れ手に粟で大儲けしていたというのである。
そ、そ、それなのに、頭の腐り切ったサプアのソウル中央地裁は、近代の法治国家ではありえない前代未聞の判決。
「1900~1930年に生まれた人の遺族なら誰でも日本政府から賠償を受け取ることができるという雲をつかむようなウソで社会の不信感を招いた。同じ犯行で裁判を受けているにも、自粛どころか遺族会の団体を引き込んで再び詐欺犯行を犯したことに対して実刑が避けられない」と同じ主犯格の60代オンナを7年6ヶ月の実刑判決にしたのに、「国が日帝強占期の被害者の権利の規制に直接出ない以上、遺族会など団体が賠償請求権のために出ることに対して実現可能性が少ないから違法だと見ることはできない」とクソッタレオンナを無罪放免。
そ、そ、それだけじゃない。
「検察が、日帝強占期時代の被害者が訴訟を提起するのは2004年に太平洋戦争犠牲者遺族たちが日本政府を相手に出した補償請求訴訟で敗訴が確定判決を受けたことに照らして基本的に不可能だということを前提とし、公訴提起した。日帝強占期当時、日本が韓半島を占領したことは不法であることが明白なので(?)、賠償請求権自体が否認されることは憲法の価値に反する(?)」と的外れの結論。
それを簡潔かつ具体的に言うと、クソッタレオンナが旧知の弁護士から「日本民主党が政権を取った2010年度が日帝時代の被害賠償に最も適切な時期だ」との説明を受けていた。
実際、①2010年1月ごろ、鳩山由紀夫首相が2007年7月にUSA下院で採択された慰安婦問題での対日非難決議の提出者であるマイク・ホンダ下院議員と会い強制徴用被害者らに対する段階的な個人補償の意思を伝えていた。
②2010年7月7日、仙谷由人官房長官が朝鮮戦争以降の補償が不十分だったと、政府見解を大きく逸脱し、「日韓基本条約は法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか」と個人補償の可能性を示唆していた。
そのような状況下、展開下では、 「将来的計画という側面において『太平洋戦争犠牲者遺族会遺族会』の原告募集の広報活動は欺瞞手段にすぎないとは断定できない(???)」とのたまわれたのである。
つまり、「太平洋戦争犠牲者遺族会」会長であるクソッタレオンナが、日本政府の鳩山由紀夫首相や仙谷由人官房長官によるサプア側に譲歩をにおわせる言動があったのだから、日本からカネを取れると考えたのはムリもない(???)。
あえて言うなら、日本の2人の無責任な発言がサプア側にあらぬ期待を抱かせ、結果的に詐欺事件の誘発・拡大に繋がったのはやむを得ない(?)というのである。
どうだろう?
本当にメチャメチャな判決だと思わないか?
こんな詐欺犯罪が起きたのは、これまた日本の大バカ2人のせいだというのである。
どうだろう?
結論はたった1つ。
アナタはこんなサプアを同志と信じ、血も愛もお金を無尽蔵に注ぐことができますか?
それとも、金輪際、おつき合い自体を止めますか?
どちらにしても、少し見えてきたのが、反日、そして慰安婦問題の正体。
サプアなんかに民主主義も自由主義もありしないとそそくさと逃げ出したサプア人が、地獄の沙汰も金次第なのだからラクして稼ぎたいと始めただけ。
そして、カモはカンパンゴと決めつけていたのに、あまりにも露骨に取り立て過ぎて予想だにしていなかったカンパンゴの抵抗を受け始めた。
そこで、仕方なくカモを自国政府に変えたということ。
そのために、893らしく年老いて食えなくなってきた民主党のマイク・ホンダを見棄て、同じ民主党の知的所有権専門弁護士でシリコンバレーの企業とパイプの太いロー・カンナに乗り換えたのである。
しかも、この金の亡者のアンポンタン弁護士、「尖閣諸島は中国、台湾のもの」と明言しているから、親分の「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」にとって、メチャクチャ好都合。
実際、そのシリコンバレーの一部を選挙区に含むカリフォルニア州下院第17区は、アジア系有権者が半数を占め、その大半が中国系。
どうだろう?
すべての真実はこんな程度のものなのでは?

Korean ease to think to appeal for an anti-day, and to be able to earn money must be a cause taken advantage of in China and North Korea(反日を叫んで金が稼げると考えるサプア人の安直さが、中国や北朝鮮につけ込まれる原因)!

To be continued...









彷徨う大和魂-32 「サプア」を水槽に入れて飼い続ける「カンパンゴ」-219

It must be the babyhood characteristics of the Korean mass media where the anti-Establishment ringleader would imitate the Japanese mass media(反日の元凶は、日本マスメディアのマネをするサプアマスメディアの幼稚性)!

サプアのDNAである「怠け者で自立心が足りず他人の世話になること」が生んだ「恨」の文化が、金、金、金の「市場原理主義」と融合すれば、単なる「逆恨み」の文化。
そして、そこで行われるのは、893のチンピラ的難癖。
そのためのなりふり構わぬウソ、ウソ、ウソ…。
さらに、そのウソを維持たるための新たなウソ、ウソ、ウソ。
そして、それを推進するのが、我がカンパンゴのマスメディアの悪しき影響を受け自虐史観に駆られた浅薄なサプアのマスメディア。
6月26日、和訊網が、それを「日本政府が6月20日に発表した河野談話の検証報告書についても、サプアのマスメディアが連日の批判的報道」と伝えている。
与党、野党、市民団体にいたるまで、サプア世論は反日一色。
サプア側にとっては、安倍晋三首相が河野談話の継承を唱える一方で、その再検証を強行したことは矛盾でしかない。
サプア政府は、昨年末に日韓首脳会談の開催を呼びかけながら、安倍晋三首相は靖国神社に参拝した。この時点でサプアの日本に対する不信感は最高潮に達した。
だが、>日本は常にサプアに配慮してきた。
1995年に設立したアジア女性基金はその典型例。
慰安婦問題で批判を受けた村山内閣はアジア女性基金を設立し、国民から受け取った寄付金を「償い金」としてサプアに支払った
日本側からすれば、法律上の賠償問題は日韓国交正常化協定で最終解決されている
アジア女性基金は当時の日本が示すことのできる最大限の誠意だった
しかし、サプアの市民団体は「これは賠償ではない。日本はこの金で問題をごまかそうとしている」と猛反発(!!!)。
日本人はサプアに対し、「一体いつまで謝り続ければいいんだ!」という蓄積した不満を抱えており、こうした感情が現在の「嫌韓」に繋がっている。
菅義偉官房長官はサプア側に日本のこれまでの努力を知らしめるべきだとして、すでに61人の元慰安婦がアジア女性基金の償い金を受け取っている事実を公表するよう関係部門に指示。
今年4月から日韓両政府は外務省局長級協議を開催している。
サプアは日本に「慰安婦問題の解決策」を一貫して求めているが、「サプアが協力的でなければ解決策など出せない」というのが日本政府内の主な意見。

どうだろう?
見事な洞察だと思わないか?
6月27日、環球時報は、「日韓が慰安婦問題をめぐって外交戦を展開、USAまで一直線」という記事を掲載。
中国やサプアなどアジアの隣国から「河野談話」を揺るがせることを強く反対されたにもかかわらず(?)、日本政府は6月20日、事実上、慰安婦問題を否定する「河野談話」の検証報告を発表。
サプア政府は「今回の日本の行動にはよからぬ動機が存在する」と指摘、様々な措置を講じて対応する構えをみせている。
遠く離れたUSAが日韓両国の「歴史外交戦」の中心となっている。
日本の在米外交機関は多方面からUSAの歴史問題における不快感を緩和させようとしているが、サプア側も官民を総動員してUSAに「日本をしっかり監督するよう」要求。
ハンギョレは「日本が『河野談話』の検証結果を発表したことをめぐり、日韓両国がUSAで外交戦を始めた」と報道。
サプア外交部趙太庸第1次官は24日、USA国務省で行われた韓米次官級戦略対話でウィリアム・バーンズ国務副長官に直接、日本が「河野談話」を揺るがせたことに対するサプア側の強い憂慮を伝えている。
日本側も動きを見せている。在米日本大使館は日本政府が検証結果を発表した後、すぐさま「先手」を打ち、英語版の資料を米国の各シンクタンクの専門家に配布、「報告は学者や専門家など第3者による研究に基づいた客観的なもの」だと強調。
6月22日、共同通信は、日本政府はUSAを味方に引き入れるため、「サプアを刺激する意図はない」とUSA側に説明。
6月26日、韓民族新聞も、「河野談話を巡り、日韓はワシントンで外交戦を展開している」
談話自体は事実に基づくものであると評価し、継承する姿勢を見せたが、談話作成においてサプア側と綿密に調整していたと述べた。
これに対しサプアは、「検証報告は河野談話が日韓外交当局の政治的妥協の産物だと示唆」しているもので受け入れられないと批判。
SBSは「外交ルートのみならず、サプア政府は在USAサプア人を通し、民間レベルでも日本への抗議を行っている」
どうだろう?
サプアの他罰性、告げ口に反吐が出ないか?
そこで、すでに少し触れた6月25日、「サプア女性団体連合」と「基地村女性人権連隊」が、ソウルで記者会見を開き、「サプア政府は『基地村(売春街)』でのUSA軍慰安婦制度の被害者に謝罪し、賠償すべきだ」と主張をもう一度じっくり検証。
「サプアには日本軍慰安婦だけがいるのではない。サプア政府は『USA軍慰安婦』制度を作り、徹底的に管理した。国の誰も私たちを保護せず、むしろ外貨稼ぎに利用した。戦後、貧しかったり、または人身売買され『基地村』に連れてこられた私たちは、さまざまな暴力を受け強制的にUSA軍の相手をさせられた。どん底の基地村を抜け出そうと警察などに助けを求めても連れ戻された。サプア政府が基地内で違法だった売春を容認し、女性に対するUSA軍の犯罪も黙認していた。サプア政府は基地村のUSA軍慰安婦制度の歴史を謝罪し、被害を明らかにして法的な責任を果たす必要がある」。
どうだろう?
どうやら、ミソもクソも一緒の状態のようだが、USAはこの「USA軍従軍強制慰安婦」を一体どう捉えるのか?
票のために魂を売ってしまっているUSA議会下院のエド・ロイス外交委員長は何と応えるのか?
相変らずノーテンキに趙太庸サプア外交部第1次官にせっつかれ、みっともなく「我々は歴史から学ばねばならず、歴史の失敗を繰り返してはならない。最も重要な歴史の教訓は、過ちを認めること。議会で旧日本軍による慰安婦被害者たちの証言を聞く機会があったが、数万人の女性が性奴隷としてつらい日々を送った。USA下院は7年前、慰安婦決議案を可決することで、この問題に対する強い立場を表明した。この決議案はマイク・ホンダ議員が主導して発議し、私も共同発議者となった。私は下院の外交委員長に就任して以降、ロサンゼルス近郊のグレンデール市に設置された慰安婦像を訪れたこともある。今回、河野談話の検証報告書が出されたことについて、韓国政府と同様に懸念する。過去に実際に起きたことを否定すれば次の世代に迷惑をかけることになるため、日本は過去を否定すべきではない。歴史を書き直そうとする努力は決して成功しない」となんて応えている場合ではないのでは?
どうあれ、我が国のマスメディアはこのトウヘンボクにインタビューすべきでは?
それは、民主党のロレータ・サンチェス下院議員に対しても同じでは?
何しろ、このアンポンタンも、趙太庸サプア外交部第1次官に脅かされ、「河野談話についての日本の検証は日韓関係の改善に役立たない。慰安婦問題について韓米両国が同じ立場を維持していかなければならない」と答え、趙太庸サプア外交部第1次官にヌケヌケと「河野談話を日本が毀損すれば、USA政府は反対の意思を表明するだろう」と言わせしめているのだから…。
もちろん、この2人だけに対してでは不十分。
慰安婦像を建てたカリフォルニア州グレンデール市議会、慰安婦碑を建てたニュージャージー州ハッケンサック市議会&パリセイズパーク市議会、ニューヨーク州ウエストバリー市議会、新たに慰安婦碑を建てようとしているバージニア州議会、慰安婦像を建てようとしているミシガン州サウスフィールド市議会にも、ぜひ感想を聞くべきでは?
USAのセックス・スレーブについて、じっくり…。
それにしても、USAでのサプアの「日本叩き」は止まることを知らないばかりか、ますます小賢しくサプアになるばかり。
そこで、暗躍する不気味なサプア団体の、多いこと、多いこと。
「KAFC(カリフォルニアサプア系USA人フォーラム)」。
日本政府に対する謝罪・補償要求をひとまず棚上げし、「女性の人権を守るための聖戦」というスローガンにし、「慰安婦像は日本人を貶めるシンボル」ではなく、「女性の人権を守るためのシンボル」との位置づける狡猾さ。
そして、親分をそっと巻き込む強かさ。
5月15日、在米日本人らがカリフォルニア州グレンデール市が設置した慰安婦像撤去を求めた訴訟に対し、な、な、なんと在米中国系「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」が「日本政府は慰安婦制度を認め謝罪してきた」との意見陳述書をロサンゼルス連邦地裁に提出。
いよいよ、陰に隠れていた親分が登場してきたから、何をかいわんや。
いくら意見陳述書、訴訟とは無関係の第三者でも裁判所に提出可能といっても、あえて表に出てきたところが、親分の狙い。
そして、河野談話の部分で、「慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」との箇所を下線で強調し、日本が「慰安婦計画」を繰り返し認め、謝罪してきたことを詳述したというから、ある意味さすが。
どうあれ、これではっきりしたのが、世界的な反日での中韓の親分子分の連帯。
その「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のベイエリアを拠点に、世界的に反日運動を展開する団体で、アジアを中心に世界に約50の組織が傘下団体として活動する厄介な存在。
しかも、「Global Alliance For Preserving The History Of WWⅡ In Asia」と「抗日」の文字を入れていないというから、やはり、さすが。
それに対し、原告側も、「グレンデール市がUSA連邦政府の独占的領域である外交権を侵したことが訴因であり、意見陳述書は訴訟の本質から外れている」との反論文書を裁判所に提出。
そう言えば、そのカリフォルニア州グレンデール市が設置した慰安婦像撤去を求めた訴訟で、キナ臭い動きも。
原告側代理人を務めていたUSA大手メイヤー・ブラウン法律事務所の弁護士が、突然、連邦地裁に代理人辞任申請。
それも、被告側が「提訴棄却要請」の書面を連邦地裁に提出した数日後。
もっとも、その中韓の脅かしに屈した情けない法律事務所、原告側に「責任を持って弁護士を紹介する」と約束していて、訴訟は継続。
何でも、中韓側が主張する「従軍慰安婦」説に反対しているとみられることで、他の顧客が離れていくことを懸念し、弁護士を代理人から退かせることを決定せざるをえなかった、特にシリコンバレーのIT会社による「契約解除」の圧力が強烈だったというのだから、どこまでも893は893。
これまでに支払った費用の全額を返済すること、新しい弁護士が仕事を引き継ぐまでは今の弁護士が無償で対応することを提示したというが、我々日本人は、メイヤー・ブラウン法律事務所の名前を忘れてはいけないのでは?
どちらにしても、何もかもが金、金、金で本当にウンザリでは?

If the economy that became the Chinese dependency of Korea declines, Korea will be given up by USA(中国の属国になったサプアの経済が衰退したら、サプアはUSAに見放される)!

To be continued...










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東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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