恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Since the birth of humankind, the world of survival of the fittest has continued. In a human society where hair grows on animals, when a small redneck nation awakens to power, it might be not helped to become a savage nation with a big lie(人類誕生以来、弱肉強食の世界が続く動物に毛が生えた程度の人間社会で、小さな田舎者国家が権勢欲に目覚めたとき、なりふり構わぬ大ウソつきの野蛮な国家になることは仕方がないのかもしれない)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
1453年、東ローマ帝国の滅亡後、ヴァシーリー2世以降、「モスクワ大公国」が、小狡く「ギリシャ正教会の擁護者」を自称し始めるのは、ある意味、当然でもあった。
というのも、ルーシ諸国は、東ローマ帝国をギリシア帝国と認識していたから、たかが王爵にすぎなかったのに、大ミエを切って「東ローマ帝国の継承者」と謳いたかったからに他ならなかった。
それは、1472年、イヴァン3世が、東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィアを2番目の妻としたことで、「ローマ帝国の継承者」であることを宣言するほどだった。
そして、モスクワを、ローマ、コンスタンティノープルに続く、「第3のローマ」と称し、初めて「ツァーリ(皇帝)」の称号を名乗り、ルーシの諸公国を併合し始めた。
実際、1478年、「ノヴゴロド公国」を、1485年、「トヴェリ大公国」を併合。
そ、そ、そして、1480年、ついに、イヴァン3世が、「ジョチ・ウルス」への貢納を廃止。事実上「ジョチ・ウルス」から独立。
200数十年続いた「タタールのクビキ」から、脱することに成功(?)したのである。
もっとも、完全に脱するには、16世紀初めまでかかったのだが…。
1547年、イヴァン4世が、「ツァーリ」として戴冠すると、「モスクワ大公国」は、「ロシア・ツァーリ国」と自称し始めるも、国外においては一部の国家を除き、「ツァーリ」の位は認めてもらえなかったとか。
1721年、ピョートル1世が、元老院から「インペーラトル(皇帝)」の称号を贈られたのを機に、「帝国」宣言。
対外的な国号を、「ロシア帝国」とすると、「ツァーリ」として内外から認知されることになったとか。
ちなみに、モンゴル帝国の皇帝位は、1634年の北元滅亡まで存続していたとか。
また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨していたとも。
さらに、分裂国家「ジョチ・ウルス」の末裔となった、「カザン・ハン国」、「アストラハン・ハン国」、「クリミア・ハン国」、「シビル・ハン国」、「ノガイ・オルダ」などすべては、「モスクワ大公国」・「ロシア・ツァーリ国」・「ロシア帝国」によって廃滅させられたとも。
どちらにしても、モンゴルによる支配、すなわち、「ジョチ・ウルス」が、小さな田舎者国家「モスクワ公国」を勃興させ、不気味で不似合いなインチキ「ロシア帝国」にさせたことは間違いナシ。
実際、「モスクワ大公国」が、すでに少し触れた「モンゴル帝国の支配システム」から「ジャムチ」なる駅伝制度や「ヤルリイク授与」制度、人口調査制度、財政制度、軍事組織などをパクリ、それらに貴族の封建的階層制度「門地制度(メストニチェストヴォ)」を加えて、巧妙にアレンジし、急発展したことは確か。
そう、モンゴルの世界から恐れられている権力を悪辣に利用して…。
その点で、モンゴルの侵攻が、大規模な殺戮とともに、長期的に見れば、その後のルーシにおける諸民族の形成に大きな影響を与えたことは確か。
なかでも、「東スラヴ人」は、モンゴルにどう対処するかで異なる道を歩み、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人という異なる民族のベースがカタチ作られたはず。
そう、「キエフ・ルーシ」の伝統を断絶させ、古代から中世にかけてのルーシの民族的一体性を消滅させ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどを分立させたはず。
もっとも、厳密に言えば、「キエフ・ルーシ」は、モンゴル侵攻以前の段階で、すでに文化的にも民族的にも一体の存在ではなかったとも言えるが…。
実は、野蛮なモンゴル支配の悪影響はまだある。
ルーシは、そして、イミテーション帝国ロシアは、ヨーロッパの伝統から隔絶され、その後の西ヨーロッパで起こった大きな政治的・社会的・経済的な諸改革や科学の発展から大きく取り残されてしまって、ルネサンスや宗教改革から何の影響も受けず、中産階級形成にも失敗し、どこか遅れた後進国ルーシ、「遅れた後進国ロシア」になってしまったとも言えるのである。
ともあれ、東仙坊、モンゴル侵攻における「モスクワ公国」、すなわち、偽りの帝国ロシアの最大の問題は、本当のプライドを棄ててしまったことだと確信している。
それを具体的に証明しているのが、これら。
◉17世紀のロシア貴族に関する調査で、ロシア全貴族の15%以上が、タタールほかモンゴロイドに由来する血筋であったということ。
◉歴代のギリシャ正教会聖職者に、キリスト教に改宗した「モンゴル・タタール系」人物が多数確認されているということ。
◉イスラームを受け入れなかったタタール人が、ルーシに流れ、公に仕える者も現れた結果、タタール出自のロシア人の姓が多数誕生していたということ。
どうだろう?
ロシア人が凄く無節操このうえないと思うのは、東仙坊だけではないと思うが…。
As evidenced by the many surnames of Tatar origin, Russians have more Mongoloid blood than other East Slavs(タタール出自の姓が多いことでも明白なように、ロシア人には他の東スラヴ人たちよりもモンゴロイドの血が多く流れている)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
1453年、東ローマ帝国の滅亡後、ヴァシーリー2世以降、「モスクワ大公国」が、小狡く「ギリシャ正教会の擁護者」を自称し始めるのは、ある意味、当然でもあった。
というのも、ルーシ諸国は、東ローマ帝国をギリシア帝国と認識していたから、たかが王爵にすぎなかったのに、大ミエを切って「東ローマ帝国の継承者」と謳いたかったからに他ならなかった。
それは、1472年、イヴァン3世が、東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィアを2番目の妻としたことで、「ローマ帝国の継承者」であることを宣言するほどだった。
そして、モスクワを、ローマ、コンスタンティノープルに続く、「第3のローマ」と称し、初めて「ツァーリ(皇帝)」の称号を名乗り、ルーシの諸公国を併合し始めた。
実際、1478年、「ノヴゴロド公国」を、1485年、「トヴェリ大公国」を併合。
そ、そ、そして、1480年、ついに、イヴァン3世が、「ジョチ・ウルス」への貢納を廃止。事実上「ジョチ・ウルス」から独立。
200数十年続いた「タタールのクビキ」から、脱することに成功(?)したのである。
もっとも、完全に脱するには、16世紀初めまでかかったのだが…。
1547年、イヴァン4世が、「ツァーリ」として戴冠すると、「モスクワ大公国」は、「ロシア・ツァーリ国」と自称し始めるも、国外においては一部の国家を除き、「ツァーリ」の位は認めてもらえなかったとか。
1721年、ピョートル1世が、元老院から「インペーラトル(皇帝)」の称号を贈られたのを機に、「帝国」宣言。
対外的な国号を、「ロシア帝国」とすると、「ツァーリ」として内外から認知されることになったとか。
ちなみに、モンゴル帝国の皇帝位は、1634年の北元滅亡まで存続していたとか。
また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨していたとも。
さらに、分裂国家「ジョチ・ウルス」の末裔となった、「カザン・ハン国」、「アストラハン・ハン国」、「クリミア・ハン国」、「シビル・ハン国」、「ノガイ・オルダ」などすべては、「モスクワ大公国」・「ロシア・ツァーリ国」・「ロシア帝国」によって廃滅させられたとも。
どちらにしても、モンゴルによる支配、すなわち、「ジョチ・ウルス」が、小さな田舎者国家「モスクワ公国」を勃興させ、不気味で不似合いなインチキ「ロシア帝国」にさせたことは間違いナシ。
実際、「モスクワ大公国」が、すでに少し触れた「モンゴル帝国の支配システム」から「ジャムチ」なる駅伝制度や「ヤルリイク授与」制度、人口調査制度、財政制度、軍事組織などをパクリ、それらに貴族の封建的階層制度「門地制度(メストニチェストヴォ)」を加えて、巧妙にアレンジし、急発展したことは確か。
そう、モンゴルの世界から恐れられている権力を悪辣に利用して…。
その点で、モンゴルの侵攻が、大規模な殺戮とともに、長期的に見れば、その後のルーシにおける諸民族の形成に大きな影響を与えたことは確か。
なかでも、「東スラヴ人」は、モンゴルにどう対処するかで異なる道を歩み、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人という異なる民族のベースがカタチ作られたはず。
そう、「キエフ・ルーシ」の伝統を断絶させ、古代から中世にかけてのルーシの民族的一体性を消滅させ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどを分立させたはず。
もっとも、厳密に言えば、「キエフ・ルーシ」は、モンゴル侵攻以前の段階で、すでに文化的にも民族的にも一体の存在ではなかったとも言えるが…。
実は、野蛮なモンゴル支配の悪影響はまだある。
ルーシは、そして、イミテーション帝国ロシアは、ヨーロッパの伝統から隔絶され、その後の西ヨーロッパで起こった大きな政治的・社会的・経済的な諸改革や科学の発展から大きく取り残されてしまって、ルネサンスや宗教改革から何の影響も受けず、中産階級形成にも失敗し、どこか遅れた後進国ルーシ、「遅れた後進国ロシア」になってしまったとも言えるのである。
ともあれ、東仙坊、モンゴル侵攻における「モスクワ公国」、すなわち、偽りの帝国ロシアの最大の問題は、本当のプライドを棄ててしまったことだと確信している。
それを具体的に証明しているのが、これら。
◉17世紀のロシア貴族に関する調査で、ロシア全貴族の15%以上が、タタールほかモンゴロイドに由来する血筋であったということ。
◉歴代のギリシャ正教会聖職者に、キリスト教に改宗した「モンゴル・タタール系」人物が多数確認されているということ。
◉イスラームを受け入れなかったタタール人が、ルーシに流れ、公に仕える者も現れた結果、タタール出自のロシア人の姓が多数誕生していたということ。
どうだろう?
ロシア人が凄く無節操このうえないと思うのは、東仙坊だけではないと思うが…。
As evidenced by the many surnames of Tatar origin, Russians have more Mongoloid blood than other East Slavs(タタール出自の姓が多いことでも明白なように、ロシア人には他の東スラヴ人たちよりもモンゴロイドの血が多く流れている)!
To be continued...