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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

彷徨う大和魂-35 安穏火、消せよ!?-60

When a human being is kept about the past, one will waste time in an extremely useless thing now(人間が過去のことに囚われると、現在で極めて無益なことに時間を浪費する)!

東仙坊、次は反日モンスター退治のために、在日サプア人でありながらより日本人であろうとしている反日モンスター・バスターの声にも耳を傾けたい。
決して永野鉄男(姜尚中?)のようなイヤなヤツばかりではないことに、ホッとしながら…。
◎1月3日、 「日韓併合時代に無関心でいいか」、首都大学東京特任教授Mr.鄭大均。
「日韓併合」やその時代をいかに評価するかの問題は日韓の最大の政治的争点である。この点でサプアの公定史観がこれを違法であり無効であるとしているのは周知の通りである。
と同時に、かつて「日政時代」と呼ばれていたこの時代が「日帝時代」を経て、近年では「日帝強占期」と呼ばれていることからもわかるように、日本の「悪意」や「悪政」を語る物語は、時間の経過とともに強度を高めつつ国民に共有されているのである。
旅行者でも気がつくことだが、今日の韓国には「日帝」の「蛮行」を語る物語があふれている。学校教科書で学んだ「日帝強占期」の日本像は歴史ドラマや日常のニュースで反芻されるとともに、国中の博物館や記念館を訪問すると、その「実物」に向き合えるという仕組みである。
一方の日本はというと、「日韓併合」などといっても、そもそもピンとくる人が少ない。これは戦後日本の学校教育やメディアが、日本国の地図にかつて朝鮮や台湾が含まれる時代があったのだということをきちんと教えてこなかったことの代償である。
ただし、左翼の一部に早くから自国の加害者性の歴史の糾弾に熱心な人びとがいたことを忘れてはならない。この時代を熱心に語り続けたのは彼らであり、侵略への負い目意識からサプアや中国のいうことを無条件に尊重する風潮を作りだしたのは彼らである。
もっとも近年の日本には、負い目意識を蹴散らすような議論が流行で、一見元気がよい。サプア人のいう歴史が到底信頼に値するものではないという証拠を彼らは次々に提示してくれるのだが、それでも日本が安泰とはいえない。
「日韓併合」の問題は国際社会でも言及されることが多くなっているというのに、日本人の多くは無知、無関心のままであり、それを英語でスピーチできる人間もほとんどいない。負い目意識を蹴散らすような議論が流行といっても、これは身内同士のサークルの中でしか通用しないアジテーションであることが多い。
これではいかにもまずい。ではどうしたらいいのか。前から考えていることだが、『日韓併合の時代ベストエッセー集』のような本を何冊か刊行し、まずは「日韓併合」の時代をリアルタイムで経験してもらうのはどうだろうか。エッセーだから、難解な論文や政治的アジテーションや小説は含めない。そもそも小説や論文などより、エッセーのほうが時代の息吹をよく伝えてくれる。
この時代には、たとえば安倍能成のような魅力ある書き手がいて、そのエッセーを読むと、この時代の風景がよく見えてくる。安倍は京城帝大で15年以上も教えた後、旧制一高校長を経て学習院院長を歴任した人だが、京城の町をよく歩き、人間や自然をよく観察し、多くの魅力的なエッセーを残してくれた。
エッセー集の刊行を通して期待しているのは、日韓併合の時代が、われわれが考えるほど、良い時代でも悪い時代でもなかったということである。この時代については、なにせ、政治主義的、民族主義的な議論ばかりが多くて、当たり前の人間の当たり前の日常があったことが忘れられている。日本人もサプア人も、まずはそういう当たり前のことに気づいてもらわないとお話にならない。
「強制連行」という魔術語を使って在日の由来を語ったのは朴慶植の「サプア人強制連行の記録(未来社、1965年)」である。この本には1960年代末に出合ったが、ひとごとのような気がした。私は父が「強制連行」で日本にきたのではないことを知っていたし、周囲の在日一世にもそれらしき人はいなかった。一世とは、無理算段して朝鮮の故郷を脱出した人びとではなかったのか。
とはいえ、この言葉。ときおり左翼のメディアに現れることはあっても、それ以上の影響力を発揮することがないという時代が長く続いた。
転機になったのはサプアブームが起き、日韓の間に教科書問題が生じ、在日たちの指紋押捺拒否運動が展開された1980年代のことである。メディアで水先案内人の役を担ったのは左派系の人びとであり、この言葉の流布に一役買ったのは彼らである。「強制連行」は大衆化すると変わり身の早い言葉となり、かつてあった名前(徴用、労務動員)をかき消すとともに事実を攪乱させ、やがては「慰安婦」というような言葉に結びついて、有頂天の時代を迎える。
強制連行論者は、サプア人の男たちが炭鉱や建設現場に送り込まれ、重労働を強いられたのは怪しからんというが、日本人の男たちは戦場に送られていたのではなかったのか。日本帝国時代には、日本人もサプア人も日本国民だったのであり、徴兵であれ、徴用であれ、戦時期に国民に課せられた運命共同性のようなものだった。戦場に送られた男たちのことを無視して、サプア人の男たちの被害者性を特権的に語るのが強制連行論であるが、それはあきれるほどの偏向ではないのか。
拙著「在日・強制連行の神話(文春新書)」はそんな違和感を動機にしたもので、ある程度の影響力を発揮したとは思うが、十分なものではない。今読み直してみると、強制連行論の「おかしさ」には触れても、「こわさ」には十分に触れていないことにも気がつく。サプアに長くいて、強制連行論が教科書に記述され、博物館に陳列され、歴史テーマパーク化し、ドラマ化され、独断的な被害者性の主張が民族的、宗教的な情熱で自己実現していく様を目撃していたはずなのに、そのこわさを十分に伝えてはいないのである。
一方で朴慶植の衣鉢を継ごうとするものたちの努力も続いている。2005年に岩波書店から刊行された「朝鮮人戦時労働動員」の著者の一人である山田昭次は「鄭大均の朴批判は朴の思想を単純化して理解したために、朴の思想の根底に無理解な批判となっている」という。「無理解な批判」とは何か。私は、平壌・朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に共鳴する朴慶植には思想的にも方法論的にも問題があまたあると記したのではなかったか。
外村大の「サプア人強制連行(岩波新書、2012年)」は「日本のサプア植民地支配はさまざまな苦痛をサプア民族に与えた。そのなかでも第二次世界大戦下の労務動員政策は食料供出と並んで、とりわけ民衆を苦しめたものとして知られている」という文に始まる。外村は1966年生まれの東大准教授。この若さでこんな常套句の羅列では先が思いやられる。この本、本文では「強制連行」よりは「労務動員」や「徴用」の言葉を使うのに、書名には「サプア人強制連行』とあるのはなぜか。
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そして、サプアに長く住み、反日バスターと奮戦している日本人、東仙坊、勝手に畏敬しているMr.黒田勝弘にも注目。
もっとも、ここのところあまりにもサプアに知己ができすぎたのか?、あるいは、年を取ったせいなのか? あるいは、病気のせいなのか?
その舌鋒が奇妙に慈悲深くなってきているところが気になるのだがも…。
◎1月9日、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘、最近「サプア人の研究(角川oneテーマ21)」を出版し、「反韓の情熱に驚くばかり」と吐露しているとか。
近いうちの拝読させていただくつもりだが、まだ読んでいない。
正直言うと、あまり読みたい気がしない。
というのも、サプアメディアが「極右言論人」との枕詞をつけて紹介するというMr.黒田勝弘なのに、現在の反韓・嫌韓ブームには強い違和感を感じていると言っているからである。
──衰えを知らない日本の反韓・嫌韓。この現象をどう見ていますか?
サプア滞在もすでに30年以上、サプアの反日に慣れきってしまった身からすれば、現在の日本の反韓・嫌韓ブームには非常に驚くほかない。なぜここまで広がってしまったのか。そんな中で出版した本書は、親韓本では決してない。かといって、「反韓本」として見てもらっても困るのだが、あえていえば「中間、これが真相本」だ。
──どういう点が特に驚くべき事象なのでしょうか?
かつて日本でも反韓はあった。たとえば1973年の金大中事件の後がそうだった。この時は第1次反韓ブームと言ってもいいかもしれない(?)。サプアの工作員が後にサプア大統領となった金大中を日本で拉致したという傍若無人ぶりが、日本人の怒りに火をつけた。だが、このときのサプア叩きは政治レベルでの反韓だったと言えるだろう。
ところが、現在の反韓は一般大衆にまで深く根づいてしまった(?)。韓流ブームの反動という感じがするほど、情熱的ともいえるようなコリア批判になっている。実に不思議な現象だ。韓流ブームと同じく、反韓もサプアへの強い関心の結果だから、日本にとってサプアがそれほど大きな存在になっていた(??)ことに改めてビックリしている。
──日本の書店には「反韓本」があふれています。
何冊か目を通してみたが、これら反韓本の著者の大部分はサプアの専門家やゆかりがある人ではない。専門家でもない人がなにゆえそれほどサプアに関心を持ち、サプアを批判するのか。読者を含め、その情熱がどこから出てくるのか。
サプアに住んでみると、サプアは発展したものの、生活のあちこちで「まだまだだなあ」と思うことが多い。それを考えると、サプアを目の敵にしてまで批判する感情は覚えない(?)。日本でサプアがあれほど袋叩きにされているのを見ると、逆にサプアに同情したくなるほどだ(???)。
──そうした「情熱」はどこから出ていると思いますか?
友人で京都大学の小倉紀蔵教授から「日本の反韓感情の背景には、日本の若い世代の剥奪感がある(???)」と聞いたことがある。剥奪感とは、「サプアのおかげで損をしている」というものらしい。これをサプア人が聞いたら、むしろ彼らがビックリするだろう。サプア人は、今なお日本に対して剥奪感を感じているからだ。
2000年代から日本や世界で広まった韓流などでようやく、「対日赤字」を少し解消してバランスが若干改善したとサプア人の大半は考えている。ただ、それと「日本から何かを奪っている」とはサプア人は考えないだろう。あくまでも自国の国力回復によって剥奪感の解消はあるからだ。
もともと、サプア人は今でも歴史を含め日本に対する被害意識が強い。日本の方がサプアと比べて圧倒的に強いという意識がある。日韓のこの意識のギャップは非常に大きい。
──お嬢さん大統領の、いわゆる「告げ口外交」などを見ると、「サプアは日本をジャマする存在(?)」との見方は首肯する人が多いかもしれません。
反韓の情熱は、確かにそのような告げ口外交から生じているのかもしれない。サプアはことあるごとに日本の足を引っ張る。安倍晋三首相を右翼だなんだとバッシングすることもそうだ。ところが、サプアが日本を批判するたびに、それがnetなどを通じて日本に流れる。それに対して日本人が「また反日か」「けしからん」とすぐ反応する。
そんな反韓ぶりを今度は、サプアメディアが本国に伝える。サプアメディアは反日メディアであり、そんなメディアが毎日のように垂れ流す情報がいかに日本人を刺激しているのかを、彼らは伝えようとはしない。これの堂々巡りであり、誤解が誤解を生み出しているのだ。
──記者もサプアに住んだことがあります。当時を振り返っても、実生活でそれほど「反日」を感じたことはありません。
そうだと思う。サプア人は確かに反日だが、24時間365日、いつも反日をしているワケではない。しかし、日本の反韓は「コリアンは365日、いつも反日」を前提にして、それに怒り、不満を述べている。これは、サプアの現状とはどこかズレている(?)。サプアを見て不愉快になってストレスをためる日本人がいるとすれば、そんなストレスを解消するために私が今回本を書いたのだと言っても過言ではない。
私は1970年代からサプアを見てきた。そして住んできた。そして隣国や隣人には多様な側面があることを痛感している。前著の「サプア 反日感情の正体(角川oneテーマ21)」では、「昼は反日、夜は親日」と書いたが、その続編として、そんなサプアの現実と情報を知ってもらいたい。──反韓・嫌韓の感情を持つ日本人に知ってほしい、現実の例を教えてください。
現実としてサプアにはまだ「日本に学べ」という意識が強い(?)。政治・外交的にメディアは過度に反日的な報道をするが、一般の人たちが日本に対する拒否感を持っているかと言えば、日常的には壊滅的と言ってもいい。長年サプアに住んできた日本人にとっては逆に寂しいぐらいだ。サプアに住む日本人として、以前は感じざるを得なかったある種の緊張感は今はまったくない。
ところが、そういう現状にもかかわらず、あるいは、そういう現状であるがゆえに、逆にメディアや知識人、政治家がことさら「反日」を叫ぶ。これは「サプア人は反日であるべき」という「べき論」からだ。彼らが意地になって「べき論」で反日を叫んでいる印象が強い。基本的には、これが日本の反韓を刺激しているという構造だろう。
サプア人には「理」の世界と「気」の世界がある。サプアのメディアや知識人が反日を唱えるのはこの「理」の世界、すなわち「べき論」の世界だ。理の世界では「日本を許してはいけない」という意識がある。それが彼らの中で維持されているのだ。
──黒田さん自身、「サプアに厳しい記事を書く」として、サプアメディアから「日本を代表する極右記者」と紹介されることがあります。サプアで生活をしていて、問題は生じませんか?
日常生活で、私が被害に遭うことはまったくない。昔は産経新聞の支局にも押しかけて記事の内容について抗議されることはあったが、近年はほとんどない。
それもそうだろう。日本の観光客がソウルの地下鉄に乗って日本語を話しても何も問題がない時代だ。昔は露骨に嫌がるか文句をつけられたりしたものだが、今は何もない。これだけ見ても、サプアにおける日常的な反日が完全に後退していることがわかるだろう(?)。
日本からすれば、サプアは世界中で反日行動をやっている、慰安婦問題でよその政府まで焚きつける国と考えるかもしれない。そうした、一見、激しい反日は、日本から見れば確かに迷惑で不愉快だが、これは「彼ら自身のため」でもある。
反日はサプア人にとっては今なお「元気のもと」であり、サプア人のアイデンティティ確認の材料であり、世界でサプア人がガンバれるエネルギー源なのだ。いまだ「日本あってのサプア」だから、それ自体は切ないことだが

──それでも行き過ぎた反日には、日本人として非常に不愉快になるときがあるのも事実です。
そこまで反日にこだわるのは、サプア人の特殊な考え方、つまり文化があるためだろう。日本の植民地になって、「日本にやられた」「日本の下だ」というコンプレックスがあり、それが民族的鬱憤になっている。これはなった者でないとわからない。日本人としてはなかなか実感しにくいのだが、それが「コリア」なのだと理解するしかない。
サプアのメディアには日本に関する記事が非常に多い。よきにつけ悪しきにつけ、毎日のように日本、日本、日本なのだ。スクラップしていくとすぐに段ボール箱が一杯になる。「そんなにイヤであれば無視すればよいのに」と思うが、肯定的にも否定的にも日本には関心がきわめて高い。
日本がけしからん存在ならば、無視すればよい。それでも、何かあると日本を見るし、日本に聞いてくる。近現代史を踏まえても、憎悪だけでは説明できない関心の高さだ。そんなサプア人を私はとても切なく思う。愛憎織りなす日本への思いは、日本に対する接近感かもしれない。反日だけでは説明できないサプア人像を、反韓を主張する前に知っておいたほうがいいのではないだろうか(???)。
サプアは「日本は先進国だ」と思っていると同時に、自分たちが「日本を上回った」とも思っていない。これまでの自動車や電化製品をはじめとするハードの製品や技術だけではなく、今はソフトパワーの世界で日本はやはり先進国だと思っている。
サプアもハード面ではいいところにきているが、もはやモノではないとサプア人自身が思い始めた。特に、日本を訪れた人たちはソフトでも日本は先進国だと考えている。そのソフトとは、社会的秩序や安全、安心システム、清潔さ、人々の立ち居振るまい、サービス文化といったものだ。
現在、日本で広がっている反韓は、基本的には国際的に大きくなったサプアの存在感(?)とその特異な反日行動に刺激されたものだ(??)。しかし、サプア自体を「とんでもないことをやらかす存在」と思い込み、そんなサプアのマイナス情報をせっせと集めて溜飲を下げているのは見苦しいと思う。サプア人に対し、日本人はそこまで落ちぶれる必要はない。

どうだろう?
そこまでご理解なされるなら、切ないと同情してオシマイでは、かえってサプアに失礼なのでは?
何のためにわざわざサプアでサプアの方々と直接接しておられるのか?
それこそ、寛容の中で辛辣に示唆し、その反日を留めてあるのが本当の愛情なのでは?
犯罪者と同じで、人間は自ら犯罪を犯して犯罪者になるのでは?
そして、犯罪者になって、人間性を喪失してゆくのでは?
となると、人間に犯罪を犯させないことが、人間の務めなのでは?
まさか、彼が犯罪者になってしまったのには理由があるんだよとしたり顔で言うことがしたいワケではないと信じたいが…。

It lets you rather work as them servilely that a Japanese is gonna become generous to a Korean(カンパンゴ人がサプア人に対し寛大になろうとすることが、かえって彼らを卑屈にさせている)!

To be continued...
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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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