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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

彷徨う大和魂-35 安穏火、消せよ!?-117

The country called China improves nothing as far as it is Communist Party alliance autocracy. However, the Chinese who became able to defeat surely would become to be conscious of morals a little sometime(中国という国は、共産党一党独裁である限り、何も改善しない。けれども、喰えるようになった中国人は、いつか少しはモラルを意識するようにきっとなる)!

東仙坊、少なくともサプア人よりも普通の中国人の方に期待ができると書き込んできている。
もちろん、だからといって、所詮、どちらもサイコパス丸出しに反日に狂乱する正気を失った国、国自体が普通の国に変容するなどとはこれっぽっちも言ってはいない。
ただ、同じ異常な国でも、中国の方が建前もなしに、自分たちに金儲けをさせてくれて自分たちの今の暮らしを豊かにさせてくれるのが好きとバカ正直な点に、まだ将来的な期待があると言っているだけ。
それはそうだと思わないか?
ポリシーもビジョンもない中国共産党は、自分の富を守るためならなりふり構わないのは、いつまでも同じ。
エセ民族主義とニセ中華思想を掲げ、二言目には軍事力での脅迫、ゴロマキ…。
いつになっても、黒社会は黒社会。
◎4月14日、人民網は、「4月13日、航空自衛隊は、那覇基地で他国軍機による領空侵犯に対する戦闘機緊急スクランブル訓練を実施」と報道。
中国軍事専門家はこれについて、「日本は防空識別圏を中国沿岸からわずか100㎞の地点まで設定しているため、日本の戦闘機は中国軍機が離陸すると、直ちにスクランブルする」
中国軍事専門家尹卓は、CCTVに対し、「日本は防空識別圏を中国沿岸から100㎞の地点まで設定し、中国の空中での活動範囲を必死で狭めようとしている。日本側のこうしたスクランブル作戦は非常に危険で、中日双方が空中で想定外の事故を起こす可能性を高めている。東シナ海全域は公空である。何を根拠に日本は中国機の離陸に合わせてスクランブル発進という妨害作戦に出るのか?」
となみに、日本防衛省のデータによると、2014年4月~12月、航空自衛隊の戦闘機がスクランブル発進を行った回数は744回で、うち中国軍機に対するものは371回。
◎3月5日、 尖閣諸島を日本領土として表記した中国の1989年発行地図のコピーを日本外務省が、尖閣の領有権を主張する中国が日本の領有を認識していた事実を裏づける資料だとして、HPなどで公表。
地図は、中国国家測量局が間違いなく作成したもので、尖閣諸島を「尖閣群島」と表記し、日本領に位置づけている。
そして、菅義偉官房長官が、「尖閣諸島を中国固有の領土と宣伝している中国国家海洋局ウェブサイト『尖閣諸島-中国固有の領土(日本語版・英語版)』を削除するよう中国政府に要求」。
.すると、即座に、中国外務省華春瑩報道官が、「日本の理不尽な要求は受け入れない。尖閣諸島が中国固有の領土であることは事実だ。サイトは島をめぐる歴史的経緯と中国側の一貫した立場に対する理解を深めてもらうためのものだ」と正当化。
ちなみに、その中国国家海洋局ウェブサイトの「中国政府の基本的主張」では、自然環境、歴史的根拠、文献資料、法律文書、学者の論著、最新情報、映像資料といった項目を設け、持ち前の勝手な主張。
「尖閣諸島周辺海域は、魚介類の資源が豊富で、中国漁民の伝統的な漁場。それ以外にも、石油と天然ガス資源も豊富である」。
「主権が中国に属する歴史的根拠は、①中国が最も早く尖閣諸島釣を発見、命名かつ利用。②中国は尖閣諸島を長期にわたって管轄。③中国と外国の地図において尖閣諸島が中国に属すると明示。尖閣諸島の無人島・大正島について、明代の1403年に完成した史籍『順風相送』に中国名『赤尾嶼』との記載がある(?)。これは、早くも14、15世紀に、中国はすでに尖閣諸島を発見し、命名したことを示している。『使琉球録(1579年)』、『皇明象胥録(1629年)』、『坤輿全図(1767年)』、『皇朝中外一統輿図(1863年)』など、明代、清代に編纂された地図のいずれに尖閣諸島を中国版図の一部としている」。
「最新情報として、2014年1月27日以降、36回にわたって中国海警局公船が領海内を巡航」。
もちろん、そこでは、尖閣諸島を日本の領土として扱っていた中国共産党機関紙人民日報の記事や中国の地図の存在は伏せているだけでなく、中国が独自の主張をするようになったのは、1971年国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性があることが指摘された後ということも、一切触れていない。
どうだろう?
中国が時代遅れの共産党一党独裁国家である限り、人間同士としての普通の関係など構築することが不可能なのでは?
それでも、東仙坊、同じ傲岸不遜なエゴイスト国家でも、サプアよりも中国の方がまだマシと確信する理由は、その国民性の違い。
目先の得に正直な中国人方が、シツコクないことが救い。
◎3月26日、日本の「のどあめ」の包装に書かれた「なぞなぞ」が中国のnetで注目。
包装紙には「オレンジは英語、ぶどうは日本語、アップルは何語?」と書かれているとか。
そして、その答えは「りんご」。
これに対する、中国のnetユーザーのコメント。
「面白い!」
「なぜか笑ってしまった」
「む、難しい…」
「ダメだ、頭が混乱してきた」
「え? どういうこと?答えを理解できない」
「どこが面白いの?」
「日本のオヤジギャクみたい」
「日本人のセンスにはついて行けない」

どうだろう?
中国人の方が可愛げがあると思わないか?
そこで、取り上げたいのが、次の中国人の作文。
◎第4回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国への日本人の貢献(段躍中編、日本僑報社、2009年)」、長沙明照日本語専修学院の黄海萍(の作品「日本の思いやりに包まれて、学生の体験から」。
私は広西チワン族自治区の山あいの寒村に生まれた。改革開放初期だった当時、故郷の村は貧しく、私も子どものころから、貧困の辛酸を舐めた。放課後は飛んで帰って、棚田や段々畑に腰を屈めて農耕に従事した。家計を助けるため、ときにに山へ入って狩猟もした。私の祖父は中医で、両親も教師だったことがあり、教育に理解があったから、かろうじて高校へは行かせてもらえた。谷底の村に高校は無かったから、町の学校である。
高校では優等を通した。優秀学生として共産党員に推薦されたが、貧乏で入党費が払えないと思ったのか、先生方がお金を出し合って入党費をまかなってくれた。僻地とはいえ「インテリ」の我が家。娘を大学へやりたい気持ちは山々だったが、先立つものがなかった。切羽詰まった母はわずかなツテを頼って山を下り、広東省東莞市の陶器工芸の工場を訪ねた。小さいとはいえ、日系企業である。日本企業が教育に理解があると聞いていたからだ。社長に面会を求め、恥を忍んで懇願した。
「私たち夫婦を雇って下さい。収入がないと娘を進学させられません。学費分さえいただければ他の待遇には一切望みを申しません。どうか娘だけは学校へ送らせてください」。地に伏さんばかりにせまる母に、社長はさぞ驚かれたろうが、快諾して下さった。こうして私は高校からただ一人、大学進学を果たせた。社長は折に触れて便宜を図ってくださった。私は国立大学本科へ進学できた。日本語科である。卒業したら社長の会社でなくとも、せめて日系企業に就職して恩義に報いたいという思いもあった。
大学生活は充実していた。私はチワン語が母語なので中国語と日本語の二つを学ばねばならなかった。1年生の時は最下位だったが、翌年、クラスでトップになれた。成績優秀で大学から奨学金もいただき、学内の日本語スピーチ大会で優勝もした。大学構内で暮らしていても、中国の研究、教育に対する日本の政府や企業、個人の貢献は目に着いた。校舎は日本政府の援助で建てられたと、プレートに刻まれていた。JICA派遣の教官もいたし、日本企業の奨学金をもらう人もいた。日本企業や日本人に頼むと教材を寄贈してくれた。図書館にも日本語の書籍は少なかったが、何人もの日本人が個人で日本語科閲覧室に寄贈してくれた。こうした貢献で、私は夏目漱石全集なども読むことができた。今は短大で日本語を教えているが、短大の図書館の日本語文献は全て「中国へ本を贈る会」からの寄贈だ。
今回のコンクールに、私自身社会人として応募しつつ、学生にも執筆指導している。だが、学生はなかなか書けない。日本の貢献を知らないからだ。思えば中国側も、日本側も、あまり知らせてこなかった。陰徳を積むだけでは足りない。天は知っても、人民は知らない。これからは双方とも広く知らせる努力が必要であろう。恩のある社長の会社は2008年に倒産した。私は恩に報いる機会を失ったが、日中友好、日本語教育に邁進することで日本の恩に報いる決心である。

◎第9回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人の心を動かした『日本力』日本人も知らない感動エピソード(段躍中編、日本僑報社、2013年)」、中国医科大学の李渓源の作品「キャンドルの光」。
「日本での実習で小さな感動。それまで抱いていた日本や日本人に対するイメージを変えてしまう体験」。
皆さんは、知り合って1週間の人に感動させられたことはありますか?
私にはあります。そして、その感動が生み出したものに深く考えさせられました。
2013年の1月、私は日本の病院で1ヵ月間実習しました。
ある日、私が部屋に戻ると、突然電気が消えて、リビングから「Happy birthday to you」の歌声が聞こえてきました。
誰かの誕生日なんだと思ったら、友だちのナホちゃんが「ほら、あなた今日は誕生日でしょう、何ボーッとしてんの、早くきて」と私を引っ張りながらリビングに行きました。
キャンドルの光が穏やかに揺れていて、その中にみんなの笑顔がありました。
私は感動のあまり、言葉が出なくなりました。
友だちの手作りのケーキを食べて、メッセージカードを見て、思わず涙が出ました。
そのとき、私は世界で一番幸せな人間だと感じました。
生まれて23年、誕生日が冬休みの期間だったので、友だちと一緒に祝ったことはありませんでした。
人生で初めて、しかも日本の友だちに祝ってもらうとは思いもよりませんでした。彼女たちは私と知り合ってわずか1週間なのに、何で私にそんなにやさしいのかどうしてもわかりませんでした。
ナホちゃんに「何で外国人の私にそんなにやさしいの? 日中関係の悪い今、私のことをほっといても不思議じゃないのに」と聞いたら、彼女は笑いました。
「何言ってんのよ。日本と中国は兄弟のようなものよ。ときどきケンカもするけど、仲よくしないといけないの。それに国は国で、個人は個人だから、国が原因で中国人を拒否したら理不尽じゃない?」。
その言葉を聞いて、私はビックリしました。ここにくる前、何度も親戚に「こんな時期に日本に行くのは危ないんじゃない? 何かあったらすぐに逃げるのよ」と忠告されました。
自分も正直、ちょっと不安がありました。
でも実際は中国人だと知られても、困ったことは一度もありませんでした。
逆に、病院の先生たちはわらないことを細かく説明してくれて、道に迷ったときはいつも助けてもらいました。今振り返ってみれば、どれもが小さなことですが、その小さな感動こそが私にとっての宝物です。
「どの国の人に対しても親切に接する」という彼女の考えに感動させられました。
これこそが愛のあふれる世界につながるのではないでしょうか。
国籍の色眼鏡をかけたら、ただ誰かを傷つけるだけです。
双方に不利なことをやっても何の意味もないと思います。誰に対しても変わらない気持ちで接したら、感動のバトンは永遠につながっていきます。
誕生会の穏やかに揺れるキャンドルの光は、今でもはっきり覚えています。
それと同時に、彼女の言葉も耳に残っています。これからも彼女のように、その感動を自分の手で周りの人に伝えていきたいです。
.
どうだろう?
率直に人間として信じられる部分があると思わないか?
ついでに、中国人はサプア人と決して未来永劫いい関係を築けないと確信している論拠の1つである、サプア人と長い間確執を持つ中国人サプア族の作文も1つ。
◎第1回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「日中友好への提言2005(段躍中編、日本僑報社、2005年)」、延辺大学の崔英才の作品「私の夢―私と日本語―」。
小学校の時から文章を書くのが好きで、時々「作家になりたいな」と漠然と思うことがありました。大学に入って本格的に日本語を専攻するようになってからは、その願望が次第に強くなってきました。
私は中国で生まれたサプア族です。そもそも日本語の勉強を始めるようになったのも、私がこのサプア族の出身だということがキッカケだったと言ってよいでしょう。私は日常的に使っているサプア語とよく似た文法を持ち、中国語と同じ漢字を使っている日本語が自分にぴったりだと思ったのです。
日中韓三国の間には、長い間「近くて遠い国」という表現がよく使われてきました。三国は地理的に近い隣国同士であることはもちろん、歴史的にも文化的にも同じ漢字圏にあって、相互に影響を与え合ってきました。しかし、不幸なことに、隣国同士というのは、よく不和と摩擦を繰り返すものでもあります。近年の大規模な反日デモを目にし、私は日中戦争が終わって何十年も過ぎたのに、いまだに三国は戦争の影響から抜けきれていないことを実感しました。
大学に入って、三国の人たちと実際に交流する機会を持つようになった私は、三国の人たちがお互いに理解不足なこと、そして、常に自分の物差しでしか相手を判断しようとしていないことに気がつきました。もっと残念なことは、私が読んでみた何冊かの日中韓三国を比較した本の中にさえ、偏見や感情的要素が入っているのを感じざるを得なかったことです。それは、筆者自身が三国のいずれかに属する人間だから仕方のないことかも知れません。
私は中国で生まれたサプア族です。今まで完全な中国人だと思ったこともなければ、一度も行ったことのないサプアのサプア族だと思ったこともありません。そればかりでなく、日本語を専攻してからは、中国やサプアより経済のみならず、いろいろな面で発達している日本に強く引かれるようになりました
こういう愛国心も、民族心も、どちらも足りない自分に、あるときは複雑な気持ちになり、恥ずかしいと思うことさえありました。しかし、今は違います。こういうどちらにも偏らない立場から、日中韓三国を一つの視野に入れて比較することによって、三国のそれぞれの個性を浮び上がらせ、その同質性と異質性が理解できるのではないか、と気がついたからです。
今までは中国の学校教育やマスコミ報道だけに限られた狭い視野しか持てなかった私は、日本語の世界にひたっていると、国籍にも、民族にも縛られないで、世界人の一人として自由に物事を見て、判断できるような気がします。そして、社会のアリサマをありのまま表現できるのが、文学にほかならないのではないか、と考えるようになったのです。
「これからの21世紀は、東洋の時代、アジア太平洋の時代」と言われている今日においても、三国の間に理解不足による不和と摩擦があることは、実に残念なことです。私は、日本語を勉強している中国のサプア族の一人として、自分が持っているこの有利な条件を充分に生かし、三国のいろいろな分野の問題について、比較研究した文章をたくさん書いて発表していけたらと心から思っています。


Originally it must be that the Chinese dream becomes a hermit of the agelessness and deathlessness and lives calmly in the heart of a mountain(もともと中国人の夢は、不老不死の仙人になって山奥で静かに暮らすこと)!

To be continued...

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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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