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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

彷徨う大和魂-35 安穏火、消せよ!?-152

Though Prime Minister Shinzo Abe might be not perfection, we can evaluate the spirit as the Japanese like Nadeshiko Japan(安倍晋三首相は完璧でないけど、その日本人としての気概はなでしこJAPANのように評価できる)!

1985年中曽根康弘首相が「戦後政治の総決算」を訴えたのが、30年前とか。
それなのに、70年も経っても、「戦後」は終わらず、日本をどうしても敗戦国、敵国にさせたいサプア…。
教養のないサプア人は、文化のないサプアは、そうしていないとアイデンティティがなくなるというのだから、実に始末が悪い。
本当に生産的でも前向きでもない非人間的で不可解な国とそのヒトたち…。
安倍晋三首相も「戦後レジームからの脱却」などと言葉を濁していないで、キミたちとつき合ったことは我が日本の一生の不覚、もう贖罪は終わり、二度と謝罪もしないし補償もしない。それでも、ウダウダ言うなら、絶交しようと明言すべきときなのでは?
昨年7月、オーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった(?)先の大戦にかかわる謝罪という言葉は採用せずに、「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」と言ったというのではないのか?
また、終戦の日である8月15日の全国戦没者追悼式での式辞でも、歴代のチビリ首相どもが使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする反省を踏襲しなかったのでは?
そもそも、我がお人好し国家は、やむを得ず極貧国サプアを「Annexation(アニクセーション:併合)」したが、どこの誰が「Aggression(アグレション:侵略)」したの?
しかも、サプアは我々と一緒になって世界と戦ったが、我々がいつサプアを侵略のために軍事行動をしたの?
それなのに、我が日本の政治屋どもや官僚どもや学者どもは、それをマトモに受けて、「侵略という言葉に明確な定義はない」とか、「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」とか、「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」とか、「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だから、なかなか明確な定義というものができない」とか、「植民地支配と侵略の定義についてはさまざまな議論があり、明確な答弁を行うことは困難だ」とか、「侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国家とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がない」とか、魂の抜けた言葉ばかり。
我が国を代表する国賊河野洋平にいたっては、「私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは『決して過ちを繰り返さない』ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目指し、また、海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」とメチャクチャ平和ボケ丸出しのピンボケでのたまわっただけ。
どちらにしても、70年前の戦後でツベコベ言うのなら、国交断絶すると明言すべきときなのでは?
その安倍晋三首相のオーストラリア訪問時での共同記者会見で、トニー・アボット首相が言ってくれたように、「日本に『fair go(:フェア・ゴー:オーストラリアの公平精神)』を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。70年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、日本は法の支配の下で行動をとってきた。『日本にフェア・ゴーを』とは『日本を公平に見てください』ということだ」というだけでいいのでは?
事実、安倍晋三首相も、「日本が歩んできた70年の道のりをもう一度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこう」と明言しているのでは?
どうだろう?
まだまだ頼りないところもあるが、今、日本の首相が彼でまだ本当にヨカッタのでは?
そう、まるでなでしこのようで…。
どうあれ、東仙坊、このテーマで懲りずに書き込み始めたのは、前回触れたように、日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案が成立したこと、加藤達也産経新聞前ソウル支局長が在宅起訴されたことで、この国はダメと再確認したからに他ならない。
これ以上、サプアに何を言ってもムリと再結論を出したからでもある。
自分の残り少ない貴重な時間の浪費。
そこで、エピローグとして、お嬢さん大統領の父、朴正煕大統領にもう一度触れておきたい。
的確に言うと、満州軍第8師団参謀、高木正雄。
朝鮮戦争後、アジアの火薬庫となったサプアと北朝鮮という分断国家は、東西冷戦の最前線。
そして、1961年5月の軍事クーデターで政権を取ったのが、彼。
そのために、政権の正統性や大義名分は「反共」だけでは不十分で、飢餓や貧困にあえぐ民衆の救済こそが第一義、特に体制競争する北の金日成を制するためにも経済開発に一刻の猶予もナシ。
そこで、サプアと日本の育ての親であるUSAは、日韓国交正常化を実現し、それをアジアにおける自由主義陣営の砦とすることを画策。
兄弟であるはずの日本とサプアの両方に圧力をかけた。
とりわけ、1962年に始めた経済開発5ヵ年計画は莫大な資金を必要としていて、サプアは条件として金銭を要求してきた。
サプア経済企画院が、1976年に発刊した「請求権資金白書」に、「日本の資金に関し『1960代初頭から始まった経済開発5ヵ年計画を遂行するのに効果的に使用されたのは事実だ』と記載されている通り。
それはそうである。
朝鮮戦争で壊滅的打撃を受けたサプア経済は最貧国状態。
「近代化のための資金を何としても捻出しなければならなかったのだ」、「反日より、『用日』こそ困難な道である」、「日韓国交正常化をクーデターに続く第2の革命だった」と言いながらも、満州国の経済発展をしようとする彼が、「極東の自由主義陣営相互間の結束力強化のために、極東の安全と平和維持に寄与するという大局的見地に立脚し、同時に両国間の善隣関係の樹立が相互の繁栄の前提を準備するのみならず、現在の国際社会における現実的な要請であることを勘案し…政府は現在進行中の韓日会談を早期妥結させるべく、超党派的な外交を推進する」と日韓国交正常化に向かい、その資金をアテにしたのは当然。
事実、この決意表明から約1年半後の1965年6月22日には、日韓外相が東京で日韓基本条約に署名、国交を正常化。
彼は、非常戒厳令を宣布してまで、条約を批准。
そして、日本政府から手にした無償3億ドルと有償2億ドル、それに日本の民間ベース資金。
ともあれ、1965年サプア国家予算の55%(国家予算は総額で3億5千万ドルだったという話も?)だったという5億ドルは、1966~1975年に10次にわたり供与。
そこで、その使用実績を産業別にみると、鉱工業が55.6%と最大。
国土開発などの社会間接資本が18%、農林水産業が13.2%。
浦項総合製鉄所建設(1973年に第1期工事完了)に約1億1950万ドル(資金全体の23.9%)。
アジア最大の貯水量を誇った昭陽江ダム建設(1973年完工)に約2160万ドル(4.4%)、ソウルと釜山を結ぶ大動脈、京釜高速道路建設(1970年開通)に約690万ドル(1.4%)。
彼の実績は、それだけじゃない。
日韓国交正常化で自分の政権の正統性を世界にアピールしたから、お見事。
さらに、スマートだったのが、32万人派兵してのもの大義名分と実利が結びついたベトナム参戦。
それが、サプア経済にもたらしたのは、USAからの恩返し的サプア経済発展、韓米関係強化、サプア軍の戦闘能力向上。
そして、その最大の目的が、日本が朝鮮戦争特需で戦後復興を成し遂げたことのパクリ。
その結果、1965年~1972年まで、USAからのベトナム特需で潤い、その総額は10億2200万ドル。
そのうち72%が、労働者や軍人の送金、道路建設、浚渫工事、輸送など貿易外。
それはそうである。
極貧のサプアには売る物が何もなく、労働力を提供するしかなかったのだから。
実際、「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉に、兵士も労働者も企業も、我先にとベトナムに向かったのである。
もっとも、それ以上に現実的に役立ったのが、日本統治時代の物的・制度的・人的インフラのはず。実は、興味深いのは、その実態を、1964年6月3日、ソウルで「韓日交渉を中止せよ」、「屈辱外交を許すな」、「売国奴を殺せ」と1万5千人以上がデモ隊が集結し、治安当局と衝突したときの学生運動のリーダーの1人だった玄勝一(73歳)と金道鉉(72歳)が証言していること。
「デモ隊がやり玉に挙げたのは、日韓国交正常化秘密交渉に当たっていた朴正煕大統領側近で、その軍事クーデターの中心人物の1人で、後に首相を務めるKCIA初代部長金鍾泌だったということ」。
「反日デモというより、クーデターで樹立された朴正煕政権への不満、批判が爆発したデモだった」。
「朴正煕のリーダーシップでサプアが発展を遂げたのは事実だ。が、だからといって軍事クーデター、人権・民主化弾圧などを許すことはできない」。
「日韓条約を破棄する気など毛頭ない」。
ちなみに、朴正煕暗殺後、1979年USAから帰国した玄勝一はその後、国民大学総長や国会議員となり、.金道鉉も、金泳三政権時代に文化体育省次官などを歴任しているとか。
それでも、朝鮮日報のように、今なお「1962年から10年間の借款の7割は米欧からで、日本は2割にすぎない」と日本の貢献を意地でも過小評価するオタンチンマスメディアがあるところが、サプアのサプアたる所以。

Though we don't say, for Korea, when you thank for Japan silly thing wants you to turn off only the stoker to Japan immediately(サプアに日本に感謝しろとなどと野暮なことは言わないけど、日本へのストーカーだけはすぐ止めて)!

To be continued...
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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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