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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

彷徨う大和魂-35 安穏火、消せよ!?-219

Because our country can't say a thing in the territorial problem that must be the basis of the country, it may be a commonplace that it can't be said in any clarity by a comfort woman problem(国の根幹である領土問題でモノを言えないのだから、慰安婦問題で何も明確に言えないのは当たり前かも)!

親分がデタラメなら、子分もデタラメ。
それは、人類誕生以来の不変の真理。
親分が公言する約7%のGDP成長率に何も異議を挟めない子分は、いつのまにか何についても極めて小声。
サプア産業通商資源部が、10月のサプア輸出額を発表。
それによると、前年同月比15.8%減と、リーマン・ショックがあった2008年9月前年同月比20.9%減以来の落ち込み。
そして、その要因については、「業績不振が深刻な造船、原油価格低下を受けた石油関連。自動車、鉄鋼、半導体なども低迷。内需も低調で、輸入額も16.6%減。まだ貿易黒字は45ヵ月連続だが、輸出よりも輸入の落ち込みの方が大きい。輸出、輸入ともに減少するのは10ヵ月連続」とほとんど囁き状態。
とりわけ、その輸出相手国になると、「中国、USA、EU向けがいずれも減少」と全く聞き取れない状態。
それはそうだと思わないか。
サプアの対中輸出依存度は、驚異の25%。
その輸出品は、加工貿易に使う中間財が中心。
ところが、肝心の親分の中国は、人件費が上昇している影響もあって、付加価値の低い加工貿易からの脱却を図っていて、サプアからの輸出品はもはや無用の長物。
それどころか、中国メーカーの方がサプア勢と競合して、追い越しそうな勢い。
政治的に中国依存を強めても、経済的にはすでに中国に頼る構造は破綻しているのでは?
その意味では、サプアは中国にとって反日の鉄砲玉として以外に用ズミなのでは?
そこで、中韓が、今後、結託してなりふり構わず実行する反日領土分捕りにつて触れざるを得ない。
◎3月8日、人民日報は、「日本の自民党原田義昭衆議院議員が中国で1969年に作成された尖閣諸島が日本の沖縄県に組み込まれた地図を発見し、中国側との交渉材料にするべきだとしているが、尖閣諸島をめぐる地図合戦について、羅少将は『日本側の論拠は、中国を排除したサンフランシスコ条約。この不法な条約では琉球諸島をUSAの管轄下に置くとしているが、尖閣諸島はUSAが管轄する琉球諸島に含まれていない。琉球諸島は歴史上、中国の属国だ。1372年から当時の明朝に貢物を献上し始め、琉球国王は明の皇帝から冊封を受けていた。1609年薩摩藩主の島津家が武力で琉球を制圧し、その後、琉球国王は明朝と薩摩の両方に貢物を献上していたが、引き続き中国から冊封を受けていた。これは清朝まで続いたが、1872年明治政府が中国側と相談もせず、琉球王国を廃止して強制的に琉球藩とした。1879年琉球藩を強制的に併呑して沖縄県とした。それでも、第二次世界大戦後、国際社会は琉球が日本領とは認めていなかった。ポツダム宣言第8条は日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならないとあり、ここに琉球諸島は含まれていない。もちろん尖閣諸島もだ』と持論を展開した」と報道。
どうだろう?
ここまで具体的に思い込まれると信憑性があるように見えるかもしれないが、どこまでも錯誤。
つまり、ハッタリ的大ウソ。
その手の歴史的な話で言及すれば、では、今の中国が「明」の後継かという問題になってくるはず。正直言って、「元」を追い払って築いた「明」だって、本をただせば、江南のチワン族。
それはさて置いておいて、では、戦勝国と自負なされる中国がなぜ「サンフランシスコ条約」締結の席に呼ばれなかったかということだけで十分。
今の中国には自国の領土を主張する権利もなかったということだけ。
本当にいい加減な国。
ともあれ、その地図を根拠に、脆弱な我が政府は、みっともない姑息な行動。
◎3月16日、日本の外務省は、「中国政府が1969年に発行した、尖閣諸島を日本名で表記した地図をHPに掲載」。
そして、「尖閣諸島が、歴史的、国際法的に日本領土だと証明する数々の動かぬ証拠はこれまでも複数知られているが、またしても中国の主張を根底から否定する史料が公になった」と女々しいナルシスト。
すると、早速、外務省の公表に対し、中国は「1、2枚の地図を探したところで歴史的事実は覆せない(?)」、「必要ならば尖閣諸島が中国に属すると明確に表記する地図を100枚でも1000枚でも探し出せる(???)」と反発。
それに対し、堂々とその地図を早く提示して!と中国には言わず、重要なのは枚数ではなく、その史料が信用に足るかどうかだと新たな資料を付加。
その史料とは、外務省外交史料館に所蔵されていた「井澤弥喜太外二名、清国へ漂流したる節、救助したる同国地方官へ謝意伝達之件」と題した日本人の遭難記録。
日清戦争直前の1893年のもので、日清間の往復書簡など計9通からなり、熊本県在住の井澤ら3人が石垣島からアホウドリ捕獲のために「胡馬島」へ向かう途中で遭難し、清国に漂着した経緯が記されているとか。
さらに、注目すべきは9通目の書簡とも。
清国地方官に保護された井澤らは上海経由で日本に移送された。
その後、当時外務大臣だった陸奥宗光の命を受けた上海総領事館が、地方官に謝意を伝える公文書を作成し、福建省海防官に送った。
9通目の書簡は、その公文書を清側が受領、了承したことを日本政府に返信したものとか。
一連の記録を発見、解読した、長崎純心大学比較文化学科准教授石井望が解説。
「清国側の対応は『茲准前由、除呈報移行外(ここに上述の通り、各地方官に報告及び通知する)』というものでした。史料に登場する『胡馬島』とは、当時刊行された『南島探験』などの書物から、尖閣諸島の魚釣島を指すことがわかっています。仮に清国が尖閣を領有していたのなら、井澤らが渡航しようとしたことに対して何らかの抗議をするはずです。その形跡が見られないということは、清国が尖閣諸島を自国の領土とは見なしていなかったことの証左なのです。そうでなくても、尖閣諸島の西側には清国の国境線を記録した史料がちゃんと多数あるので、無主の地であることは明らか」。
どうだろう?
これだけでも、日清戦争に乗じて「日本が強奪した」という中国の主張は覆せるのでは?
どうあれ、この公文書を精査。
それは、日本内外の漂流事例を記録した「困難船及漂民救助雑件(外務省外交史料館所蔵)」に収録されていた、「熊本県民井澤弥喜太外二名清国、漂流したる節救助したる同国地方官、謝意傳達之件」。
何でも、日清間の動向を記録した公文書が確認されたのは、初めてとも。
熊本県の井澤弥喜太は1893年6月、2人の鹿児島県民とともに、胡馬島を目指して八重山島(石垣島)を出航。
胡馬島は、尖閣諸島の魚釣島か久場島。
だが、途中、暴風雨に遭い、清国の浙江省に流れ着いた。
3人は清国の官憲に保護され、取り調べを受けた後、上海経由で1893年9月に日本に移送。
1893年12月、陸奥宗光外務大臣は、3人の保護・移送に協力してくれた清国の地方官へ感謝する趣旨の公文書を、上海総領事館に作成させ、福建省福州海防官宛てに送付。
その中で、漂流の経緯については、3人は八重山島から、胡馬島を目指したが、中国沿岸に流れ着いたと説明。
公文書を受け取った海防官は「胡馬島が目的だった」という日本側の説明を引用したうえで、「ここに上述の趣旨の通り、各地方官に報告および通知する」と記すのみで、3人が胡馬島を目的地とした点について、抗議などした形跡はナシ。
翌1894年7月に日清戦争が勃発。
明治政府は戦争中の1895年1月に閣議決定し、尖閣諸島を日本の領土に正式編入。
筑波大名誉教授尾崎重義(国際法)も、「当時、中国側が尖閣諸島を台湾の一部と認識していたなら、領土侵犯として問題にすべき話だった。尖閣は清国外の無人島という認識だったのだろう。『無主地』として日本領土に編入した明治政府の決定が正しかった傍証となる」と指摘。
どうだろう?
我が日本は、これらの資料を英語に翻訳し、どんどん世界に発信すべきなのでは?
それこそ、東京都に寄せられた14億円の寄付金でも活用して…。
そ、そ、それなのに、2012年9月の尖閣諸島国有化以来、「1カイリ(1852m)接近禁止」となって日本の漁船が尖閣諸島に近づこうとすると海上保安庁の巡視船やボートに立ちはだかられる矛盾。
それまでは、上陸こそ禁じられていたものの尖閣の島々に接近ができ、潜り漁もできたというのでは?
本当に情けないと思わないか?
中国公船は悠々と領海侵犯をしているというのに…。
「公務員の常駐と周辺漁業環境の整備」とか、「「安定的な維持管理」と豪語していたとは、一体どこの誰?
いつのまにかオバマパクリ政権になってしまったのか?
少なくとも、あの14億円を有効利用し、船だまりか通信施設ぐらい設置すべきなのでは?
それよりも、みっともないのは竹島への対応。
親分よりもチンピラが怖いのか、いまだになされるがまま。
◎8月24日、島根県が設置した竹島問題研究会(座長・下條正男拓殖大教授)が、「サプアが不法占拠している竹島の日本の領有権を改めて裏づける報告書をまとめ、山谷えり子領土問題担当相に初めて提出したのではなかったのか?
それには、サプア側が竹島の領有権を主張する論拠に具体的かつ客観的な反論を示してあるというのでは?
何でも、竹島問題研究会が、2014年2月に一般向けに竹島問題を解説した啓発本「竹島問題100問100答」に関し、サプア研究者が発表した批判への再反論だというのでは?
なかでも、サプアが竹島を占拠する歴史的根拠としてきた「世宗実録」や「東国文献備考」などの証拠能力の無効性まで明確にしているというのでは?
「竹島は我々の鬱陵島の属島であり、かつて『于山島』と呼ばれていた」とサプアは主張するが、その古文書や古地図に描かれた「于山島」は位置が曖昧で、鬱陵島の東約2kmに位置する小島の「竹嶼」であるということ。
日本は、江戸時代から漁業を通じて竹島の領有権を確立、1905年の閣議決定で正式に島根県に編入。
1951年9月のサンフランシスコ平和条約でも、竹島が日本固有の領土であることが明確。
連合国側は、日本に「済州島、巨文島、鬱陵島を含むサプア」を放棄することを規定。
サプアは放棄地に竹島も含むようUSAに求めたが、「竹島は1905年ごろから島根県の管轄下にあり、かつてサプアによって領有権の主張がなされたとは見られない」と一蹴され、サプアへの帰属が明確に否定されていること。
1872年ドイツで作製された地図では、竹島と朝鮮半島の間に日韓の境界線が引かれ、竹島は日本領と認識されるということ。
19世紀末~20世紀初頭のヨーロッパ諸国が作成した地図では、竹島が日本領と記載されている例が複数確認されたということ。
そして、決定的な物証が、竹島の西側に位置するサプア領鬱陵島に「竹島」に関する資料を展示する竹島博物館あるというのだが、その博物館屋外にサプアの古地図を彫った石碑があり、それは15世紀末に李朝皇帝の命で作られた朝鮮全図「八道総図」だとか。
「そこに記載される于山島こそ、現在の竹島だ」とサプアは領有権を主張し博物館内にも同じ八道総図を基にしたはずの立体地図が展示されているのに、この石碑地図では、鬱陵島の東に位置するはずの竹島が正反対の西に位置している
というから、サプアらしくてお笑い種。
当然、昭和初期に竹島周辺で行ってきたアシカ猟に関する聞き取り調査を改竄し、明治時代に日本人と友好関係にあったサプア人を反日的な人物としてすり替えて紹介しているとか。
本当に一事が万事、ウソだらけ。
それで、もっと笑える話が、1つ。
日本政府の「内閣官房領土・主権対策企画調整室」のサイトが、島根県元小学教諭杉原由美子(71歳)が作った絵本「メチ(アシカ)のいた島」の動画を紹介したら、すぐ「アシカを殺したのは日本人」とサプアが反発してきたとか。
そうしたら、竹島問題研究会下條正男座長、「1970年代のサプア新聞が『警備隊員たちの銃撃で絶種』と伝えている」とか。
WWF(世界自然保護基金)の1977年度報告書では、サプア人研究者さえ「最上の保護策は警備隊の島からの撤収だ」と主張しているとも。
目血のサプア人らしいとメチャクチャ笑えないか?

The government of our country should become the Obama crib government all too soon(我が国の政府は、いつのまにかオバマパクリ政権になってしまっている)!

To be continued...





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人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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