彷徨う大和魂-36 なぜ今日日食糧としてイルカがイルカ!?
The town promotion strategy without orderly plans should fail in the stage for which they depended on nationalism(きちんとしたプランなき町興し戦略は、ナショナリズムを頼りにした段階で破綻する)!
東仙坊、すでに軽佻浮薄な和歌山県太地町とJAZAの安直な戦略ミスが、その守りたかった利権を手放す原因になったと断定している。
いくらクジラムラが食文化でそこそこイイ思いをしているからと言って、クジラの仲間だから同じとイルカ肉を食文化と強弁するのは、どだい無理があったのでは?
誰もイルカを神のようには考えていないが、誰にとってもどこか愛さずにはいられないラバブルでミステリアスな存在であることは紛れもない事実なのでは?
そんなイルカを惨殺して食するのは、本当の飢餓がきてからでも遅くはないはず。
ともあれ、どこか不安になって、東仙坊、日本の食肉文化の歴史を緊急検証…。
基本的に、日本では、古来、食用の家畜を育てる習慣がなく、狩猟で捕獲したシカやイノシシの肉を食べたとか。
何となく納得しつつも、ウマとシカの肉からでなく、メチャクチャ安堵。
それが、仏教伝来以降、獣肉全般が敬遠されるようになったとか。
それでも、狩猟で捕獲した獣肉はOKでも、家畜を殺した獣肉はNG、そして足が多いほどNG。
どこか凄く納得。
そこで、もう少し歴史的時系列で詳細に検証。
○縄文時代
シカ、イノシシ意外に、クマ、キツネ、サル、ウサギ、タヌキ、ムササビ、カモシカ、オットセイ、アザラシ、クジラなど60種以上の哺乳動物。
そして、その臓器を食べることで有機酸塩、ミネラル、ビタミンなどを摂取。
○弥生時代
農耕社会になったせいかイノシシを食べるのが増え、有機酸塩は海水から摂取するように変化。
○奈良時代・平安時代
肉食禁止令。
ただし、家畜はNGでも、狩猟した肉はOK。
○鎌倉時代
武士が台頭し狩で捕獲したウサギ、イノシシ、シカ、クマ、タヌキなどの食したが、公卿は相変わらずタブー。
○戦国時代
貿易で食肉文化も伝来。
ジャン・クラッセ「日本西教史」に、「日本人は、西洋人が馬肉を忌むのと同じく、牛、豚、羊の肉を忌む。牛乳も飲まない。猟で得た野獣肉を食べるが、食用の家畜はいない」と記述されているとか。
また、阿波などで商業捕鯨が始まったとも。
さらに、1587年、豊臣秀吉が、宣教師ガスパール・コエリョに、「牛馬を売り買い殺し、食うこと、これまた曲事たるべきのこと」と詰問すると、コエリョは、「ポルトガル人は牛は食べるが馬は食べない」と弁明をしたとか。
○江戸時代
建前として獣肉食はタブー。
東仙坊、個人的にニンマリしたのが、これ。
「狸汁」は戦国時代にはタヌキを使っていたが、江戸時代には、コンニャク、ゴボウ、ダイコンを煮たものをタヌキの代役にしたということ。
徳川綱吉による1687年の「生類憐れみの令」が施された元禄時代。
○明治時代
誰もが学習して知っている、「牛肉を食べることが文明開化の象徴」。
それから、最も重要なのは、我が国で獣肉消費量が魚肉を上回ったのは、第二次世界大戦後の高度成長期より後のコト。
そう、イルカ食を我が国の食文化と主張するには、かなりの無理があると思わないか?
しかも、追い込み漁の開始は、戦前だというのでは?
Without eating a dolphin, when selling dolphins, Wakayama-ken Taiji-cho could make undue profit more more(和歌山県太地町は、イルカを食さずにイルカを売っていればもっともっとボロ儲けできた)!
To be continued...