彷徨う大和魂-43 東仙坊のシリアスな「ウチナーンチュ」考!?
Genuine Okinawa people would energetically practice “live for today”(本物の沖縄人たちは、エネルギッシュに「今日を生きよう」を実践している)!
東仙坊、生まれて初めてのUSA訪問以来、ハワイにだけは毎年のように行くようになったが、USA本土に行くようになるには、かなりの年月を要した。
自分の会社がそこそこになり、仕事で行くようになれるまでに、四半世紀かかった。
そして、EDカードの職業欄に、きちんと「copy writer」と書き込めて、ほんの少しだけ自信も生まれた。
しかし、逆に、沖縄には、1990年代に入ると、すぐに通い詰めになるハメになった。
そのときには、すでに沖縄は完全に日本化していた。
那覇には大型ションピングセンターができていただけでなく、定宿にした那覇のホテルも、恩納村のホテルも、メチャクチャ快適だった。
レンターカーのオープンスポーツカーをいつも借り、リサーチを目的に沖縄中をドライブしまくり、いろいろなウチナーンチュたちとコミュニケーションした。
ほとんど誰も利用しない有料高速道路で、一人レースを満喫した。
なぜかクライアントに接待される(?)久茂地のクラブもすぐに気に入った。
どうしてもダメだったのが、食事だった。
牧志公設市場に並べられていた豚の顔を見てしまって以来、豚肉は一切食べられなかった。
ともあれ、その物価の安さ、収入の低さ、いわゆるGDPの低さは生半可ではなく、仕事はすべて赤字だった。
それでも、8年間、沖縄に通い続けたのは、ウチナーンチュたちが醸し出す独特のベタベタしない人間的な機微ややさしさに触れ始めていたからに他ならなかった。
そのうえ、自分なりにウチナーンチュに対する認識を持つことができた。
それは、本物のウチナーンチュたちは、虚飾や虚構を忌み嫌い、余計な功名心や名誉欲もなく、その無為に近い日常をバイタリティーいっぱいに愛している人々だということ。
それは、本当の人生など所詮それだけのものという涅槃に近い達観だということ。
すべてが自分の捉え方一つだと熟知しているということ。
それゆえ、そこそこの食べ物と雨露を凌げる住まいさえあれば、淡々と生きていられるということ。
どうだろう?
まさに、日本人の本質に近いと思えないか?
そう、確信したのは、沖縄中探訪して気づいたあるモノの発見。
どの質素な小さな家々のすぐそばにそれなりの墓地があり、その墓が女性の子宮をカタチ取っていたこと…。
そう、人間なんてみんな母親から生まれそこに戻るのだけ、だから、生きている束の間の人生をどれだけエンジョイできるかだと言うばかりの象徴的なフォルムに、すべての答えを感じたのである。
と同時に、かなりのウチナーンチュたちから聞かされた、新たな道路や建物などそこら中にお化けが出没するという興味深い話。
なぜそんな話がまことしやかに語られるのか、それは開発のために大切な先祖の眠る墓地を平気で破壊しその上を平然と開発しているせいだという怒りに満ちた文明の欺瞞への皮肉。
どうだろう?
ウチナーンチュたちの気心が透けてこないか?
だからこそ、傲岸不遜な中国におもねろうと、優柔不断な日本におもねろうと、本物のウチナーンチュたちにとってどうでもいいことなのである。
日常をどう自分らしく生きるかということにとことん誠実なだけ。
その意味で、人のことをとやかく言うことなどその生活信条に反しているはず。
言い換えれば、政治や経済などに徹底的に無関心なのである。
それこそ、それが何?というのが本音。
それゆえ、川の中に生える雑草のように生きているはず。
そう、いくら揺れても流されることなく…。
The temperament of the real Okinawan people must be very similar to those of our Japanese prototype. It must be also evident that 16.1% of Okinawans' things are mixed in mitochondrial DNA(本物の沖縄人の気質は、我々日本人のプロトタイプと酷似している。それは、ミトコンドリアDNAに16.1%も沖縄人のモノが混じっていることでも明らか)!
To be continued...
東仙坊、生まれて初めてのUSA訪問以来、ハワイにだけは毎年のように行くようになったが、USA本土に行くようになるには、かなりの年月を要した。
自分の会社がそこそこになり、仕事で行くようになれるまでに、四半世紀かかった。
そして、EDカードの職業欄に、きちんと「copy writer」と書き込めて、ほんの少しだけ自信も生まれた。
しかし、逆に、沖縄には、1990年代に入ると、すぐに通い詰めになるハメになった。
そのときには、すでに沖縄は完全に日本化していた。
那覇には大型ションピングセンターができていただけでなく、定宿にした那覇のホテルも、恩納村のホテルも、メチャクチャ快適だった。
レンターカーのオープンスポーツカーをいつも借り、リサーチを目的に沖縄中をドライブしまくり、いろいろなウチナーンチュたちとコミュニケーションした。
ほとんど誰も利用しない有料高速道路で、一人レースを満喫した。
なぜかクライアントに接待される(?)久茂地のクラブもすぐに気に入った。
どうしてもダメだったのが、食事だった。
牧志公設市場に並べられていた豚の顔を見てしまって以来、豚肉は一切食べられなかった。
ともあれ、その物価の安さ、収入の低さ、いわゆるGDPの低さは生半可ではなく、仕事はすべて赤字だった。
それでも、8年間、沖縄に通い続けたのは、ウチナーンチュたちが醸し出す独特のベタベタしない人間的な機微ややさしさに触れ始めていたからに他ならなかった。
そのうえ、自分なりにウチナーンチュに対する認識を持つことができた。
それは、本物のウチナーンチュたちは、虚飾や虚構を忌み嫌い、余計な功名心や名誉欲もなく、その無為に近い日常をバイタリティーいっぱいに愛している人々だということ。
それは、本当の人生など所詮それだけのものという涅槃に近い達観だということ。
すべてが自分の捉え方一つだと熟知しているということ。
それゆえ、そこそこの食べ物と雨露を凌げる住まいさえあれば、淡々と生きていられるということ。
どうだろう?
まさに、日本人の本質に近いと思えないか?
そう、確信したのは、沖縄中探訪して気づいたあるモノの発見。
どの質素な小さな家々のすぐそばにそれなりの墓地があり、その墓が女性の子宮をカタチ取っていたこと…。
そう、人間なんてみんな母親から生まれそこに戻るのだけ、だから、生きている束の間の人生をどれだけエンジョイできるかだと言うばかりの象徴的なフォルムに、すべての答えを感じたのである。
と同時に、かなりのウチナーンチュたちから聞かされた、新たな道路や建物などそこら中にお化けが出没するという興味深い話。
なぜそんな話がまことしやかに語られるのか、それは開発のために大切な先祖の眠る墓地を平気で破壊しその上を平然と開発しているせいだという怒りに満ちた文明の欺瞞への皮肉。
どうだろう?
ウチナーンチュたちの気心が透けてこないか?
だからこそ、傲岸不遜な中国におもねろうと、優柔不断な日本におもねろうと、本物のウチナーンチュたちにとってどうでもいいことなのである。
日常をどう自分らしく生きるかということにとことん誠実なだけ。
その意味で、人のことをとやかく言うことなどその生活信条に反しているはず。
言い換えれば、政治や経済などに徹底的に無関心なのである。
それこそ、それが何?というのが本音。
それゆえ、川の中に生える雑草のように生きているはず。
そう、いくら揺れても流されることなく…。
The temperament of the real Okinawan people must be very similar to those of our Japanese prototype. It must be also evident that 16.1% of Okinawans' things are mixed in mitochondrial DNA(本物の沖縄人の気質は、我々日本人のプロトタイプと酷似している。それは、ミトコンドリアDNAに16.1%も沖縄人のモノが混じっていることでも明らか)!
To be continued...