腐乱した大和魂-3 日本をフニャフニャにしなければ気がすまないサプアフリークども!?
It must be the essence of Koreans that the lie will be attached even if the lie is broken(ウソがバレてもウソがつけるのが、サプア人の本質)!
東仙坊、日本をフニャフニャにしなければ気がすまないフェイクマスメディアの旭日新聞や廃日新聞や頭狂新聞とその系列テレビ局が、なぜか詳細に報道しないので、代わりに、サプアが主張するデタラメな「日本海の東海」表記と「竹島」の帰属に関し、簡潔に説明しておきたい。
まず、「日本海の東海」表記問題。
難癖命のサプアが、明確な根拠がないまま「日本海を東海」と言い始めたのは戦後。
1946年6月15日、東亜日報が、教科書表記に関して「東海か?日本海か?」と報道したのが、最初とか。
「東海は2千年前から使われていた呼称だ(?)」
「1929年、『大洋と海の境界』海の呼称に関するガイドラインが編纂されたが、日本の統治下に置かれていたサプアは、東海の呼称を主張することができず、日本海となってしまった」
「この歴史は清算しなければならない」
「日本海の表記を東海に改めるべきだ」
以上のように言い始めたのが、キッカケとも。
この東亜日報の主張自体が、すでに難癖そのもの。
というのも、「国際水路局(現在の国際水路機関)」で、「大洋と海の境界」が編纂される前年の1928年7月1日、東亜日報は、「東海──あるいは滄海という、日本海の一部」とわざわざ報道しているから、マンガ。
そう、間違いなく東海は、日本海の一部でしかなかったのである。
それは、1903年、刊行の「韓海通漁指針」でも確認できるとか。
「東海は、東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山附近に至る沿海一大内海を形成せる日本海の一部」と明記されているとも。
つまり、日本海は、1883年発刊の海軍省水路局全国的水路誌「寰瀛水路誌」によると、北は韃靼海湾、南は朝鮮水道に挟まれた海域のこと。
また、1893年編纂の「朝鮮水路誌」でも同様で、「日本海は日本列島とサプアおよび黒龍沿岸州の海岸もって西および西北の海界となす」とあるとか。
もう厳然と明白なように、東海とは、朝鮮半島の東海岸沿海で、単なる日本海の一部。
けれども、極東の極貧国でしかなかったサプアには、世界が知る歴史など何もなかった。
だからこそ、歴史的事実など何も気にする必要もなかった。
そして、開き直りとゴリ押しは、サプア民族の特性でもあった。
そもそも、「日本海」という呼称は、「寰瀛水路誌」などが基とした海外の水路誌や海図を踏襲したものでしかなく、日本が独断で定められるものでもなかった。
日本に併合されたという事実にガマンできないだけのサプアにとって、歴史は自分たちの思うがままのものでなければ満足できなかった。
その証拠に、極東のことなど誰もわかりゃしないとばかりに、平然と東海を完全に日本海に重ねて、1952年2月2日、京郷新聞が、「ヤツらが東海を日本海と呼び、独島を竹島と言うのと同じように、無理な抗議や反駁に対して耳を貸す必要がない」とメチャクチャ主張をし始めた。
それこれも、反日でありながら最後には日本に助けを求めたデタラメ李承晩大統領が、1952年1月18日、傍若無人に「李承晩ライン」を宣言し、竹島をその中に含めたことを日本側が抗議したことになりふり構わず反論するためのものでしかなかった。
そのせいで、紛れのない我が日本の領土である竹島を略奪するとともに、「竹島を日本のサプア侵略の最初の犠牲物」などと歴史を恥ずかしげもなく捏造し始めたのである。
ところが、なぜか親韓派ばかりが跋扈する我が国では、小中華のサプアの竹島の実効支配を容認し続け、ノーテンキに「日本海は世界が認める名称」と言い、「遺憾の意」を表し、「現状の変更を認めない」と小声で言ったところで、国際法など大中華の中国同様無視するのが当然で、潔く自分たちの虚言を認めるはずもないはず。
我が国は、あくまでサプアが歴史問題としているのだから、歴史的事実の証拠と真実で正々堂々と論理的に対抗すればいいだけ。
けれども、いまだにサプアは、「日本海じゃない東海だ」、「竹島はサプアのものだ」とウソ八百。
9月、サプア政府が公開した日本語版広報ビデオ「過去・現在・未来の名前、東海」で、日本海を「2千年以上にわたって使われてきたこの海の最も古い名前、東海」と広言する厚顔無恥。
本当に鉄面皮だと思わないか?
It must be eerie that only one country in Korea is the only country to disagree with the naming “Sea of Japan”(「日本海」というネーミングに異を唱えるのは、世界中でたった1国サプアだけであるという不気味さ)!
To be continued...
東仙坊、日本をフニャフニャにしなければ気がすまないフェイクマスメディアの旭日新聞や廃日新聞や頭狂新聞とその系列テレビ局が、なぜか詳細に報道しないので、代わりに、サプアが主張するデタラメな「日本海の東海」表記と「竹島」の帰属に関し、簡潔に説明しておきたい。
まず、「日本海の東海」表記問題。
難癖命のサプアが、明確な根拠がないまま「日本海を東海」と言い始めたのは戦後。
1946年6月15日、東亜日報が、教科書表記に関して「東海か?日本海か?」と報道したのが、最初とか。
「東海は2千年前から使われていた呼称だ(?)」
「1929年、『大洋と海の境界』海の呼称に関するガイドラインが編纂されたが、日本の統治下に置かれていたサプアは、東海の呼称を主張することができず、日本海となってしまった」
「この歴史は清算しなければならない」
「日本海の表記を東海に改めるべきだ」
以上のように言い始めたのが、キッカケとも。
この東亜日報の主張自体が、すでに難癖そのもの。
というのも、「国際水路局(現在の国際水路機関)」で、「大洋と海の境界」が編纂される前年の1928年7月1日、東亜日報は、「東海──あるいは滄海という、日本海の一部」とわざわざ報道しているから、マンガ。
そう、間違いなく東海は、日本海の一部でしかなかったのである。
それは、1903年、刊行の「韓海通漁指針」でも確認できるとか。
「東海は、東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山附近に至る沿海一大内海を形成せる日本海の一部」と明記されているとも。
つまり、日本海は、1883年発刊の海軍省水路局全国的水路誌「寰瀛水路誌」によると、北は韃靼海湾、南は朝鮮水道に挟まれた海域のこと。
また、1893年編纂の「朝鮮水路誌」でも同様で、「日本海は日本列島とサプアおよび黒龍沿岸州の海岸もって西および西北の海界となす」とあるとか。
もう厳然と明白なように、東海とは、朝鮮半島の東海岸沿海で、単なる日本海の一部。
けれども、極東の極貧国でしかなかったサプアには、世界が知る歴史など何もなかった。
だからこそ、歴史的事実など何も気にする必要もなかった。
そして、開き直りとゴリ押しは、サプア民族の特性でもあった。
そもそも、「日本海」という呼称は、「寰瀛水路誌」などが基とした海外の水路誌や海図を踏襲したものでしかなく、日本が独断で定められるものでもなかった。
日本に併合されたという事実にガマンできないだけのサプアにとって、歴史は自分たちの思うがままのものでなければ満足できなかった。
その証拠に、極東のことなど誰もわかりゃしないとばかりに、平然と東海を完全に日本海に重ねて、1952年2月2日、京郷新聞が、「ヤツらが東海を日本海と呼び、独島を竹島と言うのと同じように、無理な抗議や反駁に対して耳を貸す必要がない」とメチャクチャ主張をし始めた。
それこれも、反日でありながら最後には日本に助けを求めたデタラメ李承晩大統領が、1952年1月18日、傍若無人に「李承晩ライン」を宣言し、竹島をその中に含めたことを日本側が抗議したことになりふり構わず反論するためのものでしかなかった。
そのせいで、紛れのない我が日本の領土である竹島を略奪するとともに、「竹島を日本のサプア侵略の最初の犠牲物」などと歴史を恥ずかしげもなく捏造し始めたのである。
ところが、なぜか親韓派ばかりが跋扈する我が国では、小中華のサプアの竹島の実効支配を容認し続け、ノーテンキに「日本海は世界が認める名称」と言い、「遺憾の意」を表し、「現状の変更を認めない」と小声で言ったところで、国際法など大中華の中国同様無視するのが当然で、潔く自分たちの虚言を認めるはずもないはず。
我が国は、あくまでサプアが歴史問題としているのだから、歴史的事実の証拠と真実で正々堂々と論理的に対抗すればいいだけ。
けれども、いまだにサプアは、「日本海じゃない東海だ」、「竹島はサプアのものだ」とウソ八百。
9月、サプア政府が公開した日本語版広報ビデオ「過去・現在・未来の名前、東海」で、日本海を「2千年以上にわたって使われてきたこの海の最も古い名前、東海」と広言する厚顔無恥。
本当に鉄面皮だと思わないか?
It must be eerie that only one country in Korea is the only country to disagree with the naming “Sea of Japan”(「日本海」というネーミングに異を唱えるのは、世界中でたった1国サプアだけであるという不気味さ)!
To be continued...