検証プロファイリング 神奈川県座間市9人殺害頭部保管事件
The development of advanced machine civilization must be definitely hindering communication by conversation which is the root of human beings. It must be also directly connected with the collapse of the household(高度機械文明の発達が、人間の根源である会話によるコミュニケーションを間違いなく阻害している。それは、家庭の崩壊にも直接繋がっている)!
11月6日、twitter日本法人は、「自殺や自傷行為の助長や煽動を禁じます」との項目をtwitterルールに追加したと明言。
こうした投稿が見つかった場合は、削除を要請する方針と発表したとか。
何でも、これまでは「自殺の助長」に関するルールがなかったので(???)、11月4日、助長や煽動の禁止を明文化したのだとか。
まあ、遅きに失した感は否めないが、これはこれで素直にイイと思わないか?
我が国には、東仙坊のような無神論者が多いせいか、潔い死に様でしかない「切腹」を潔い生き様と錯覚してしまうトンチキがかなりいて、卑怯で卑劣で醜悪な自殺を美しいものと思い込んでしまっていて、実に情けない。
もしかしたら、一神教信者で、地獄に堕ちたいだけのヒトもいるのかもしれないが…。
さて、本題に入る前に、無性にワナワナしつつ、どうしても触れざるを得ないことが1つ。
我が日本を後にしてサプアに向かったドナルド・トランプ夫妻を、早速、国賓として歓待しているはずの下品なサプア政府と幼稚なサプアのマスメディアども。
そのたった一晩の晩餐会に、88歳のハルモニ元売春婦を参加させ大統領にハグさせるプロパガンダ。
実に興味深いと思わないか?
この88歳の胡散臭いハルモニ、1938年3月4日「軍慰安所従業婦等募集に関する件(陸支密第745号)」を発令された79年前には、なんと9歳、その面影などどこにも全くない元売春婦と妻の前でハグをしたドナルド・トランプ、一体そのとき何を感じたのか?
それだけじゃない。
ただのボタンエビを、「独島エビ」として食べさせておいて、日本のマスメディアが怒って、「竹島エビ」ではなく「独島エビ」と表記したので、してやったりと欣喜雀躍とか。
それに対し、菅義偉官房長官、「外国が他国の要人をどのように接遇するかについて政府としてはコメントは差し控えますが、しかし、どうかとは思います。そのうえで申し上げれば、北への対応に関し、日米韓の連携強化が求められ、トランプ大統領が日本とサプアを最初の訪問先に選んでいる中に、日米韓の緊密な連携に悪影響を及ぼすような動きは避ける必要がある」と不快感を表明したものの、「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した一昨年の日韓合意の趣旨に反すると外交ルートを通じて申し入れた。「竹島エビ」を「独島エビ」として使った料理を並べたことにも、「竹島は日本固有の領土であり、サプアが独島の名前が入った食材で領有権を主張することは受け入れられない」と抗議しただけというから、本当に情けなくてみっともない。
少なくとも、ドナルド・トランプに、安倍晋三手法自ら、国同士の約束事すら自分勝手に反故にするサプアとは協力など絶対にできないとコミュニケートすべきなのでは?
そう、我が日本は朝鮮半島と恒久的に関わらないと…。
では、本題に戻る。
東仙坊、「コミュニケーション・ブレイクダウン」の現代社会が、無目的な劇場型無差別テロリスト大量殺人鬼、サイコパスのシリアルキラーをジャンジャン生み続けていると書き込んできた。
そこをもう少し掘り下げてみたい。
戦後、我が日本がUSAをひたすら追従しUSAの奇妙なほどの大らかさのおかげで高度成長期に入ると、我が国もそこそこの民主主義国家であること、法治国家であること、自由主義国家であること、資本主義国家であること、高度機械文明国家であること、先進国家であることをようやく自負できるようになった。
と同時に、社会全体が、少しずつ少しずつUSAよりもはるかに小さいはずなのに、まるでUSAのように無機質に、ドライになり始めてきた。
そこに、東仙坊、このブログの「カテゴリー」で、やたら「日本砂漠」とつけたがる最大の理由がある。
では、なぜ本来の日本人らしくなくそこまで無機質になってしまったのか?
今、振り返ると、歴史的な初めて敗戦の辛酸を舐めていた、父のように単に幸運に戦地から命からがら帰還できたオトナたちも、母のように単に幸運に焼夷弾の嵐の中を逃げ惑って内地で生き残ったオトナたちも、ある種の心理的なトラウマから、PTSDに陥ってしまっていたことが大きく影響しているはず。
ともかく、その自信喪失と一種の贖罪意識から、社会全体のタガが緩み始めていたことは事実。
それは、昔のような父親と食卓を中心と座しての家長制の崩壊を意味し、家族バラバラのダイニングテーブルでのここの食事に繋がり、日本人ならではのお互いに見つめ合っただけでの阿吽の呼吸でのコミュニケーションさえ蝕み始めたということ。
そう、一人一人がどこまでも自由になり、それぞれの個性、いわゆるパーソナリティーそのものが最も重要になるということは、その反動として、今までにない「Isolation(アイソレーション:孤立無援)」をイヤというほど味わうことになるということでもあったのだ。
実は、「コミュニケーション・ブレイクダウン」のジコチュウ社会では、この「アイソレーション」こそが最も厄介なもの、諸悪の根源。
それは、ときとして、瞬く間に無知で刹那的で怠惰なヒトを狂人に変貌させてしまうからでもある。
そして、その具体例は、間違いなく我が国の先を行く、自由主義と物質主義の機械文明のリーダーであるUSAで、すでにたくさん見つけることができていた。
Even if it is not so, modern people who are momentarily transformed into killer monsters by isolation with huge power(そうでなくても刹那的な現代の人間は、巨大なパワーを持ったアイソレーションによって突然殺人モンスターに変貌する)!
To be continued...
11月6日、twitter日本法人は、「自殺や自傷行為の助長や煽動を禁じます」との項目をtwitterルールに追加したと明言。
こうした投稿が見つかった場合は、削除を要請する方針と発表したとか。
何でも、これまでは「自殺の助長」に関するルールがなかったので(???)、11月4日、助長や煽動の禁止を明文化したのだとか。
まあ、遅きに失した感は否めないが、これはこれで素直にイイと思わないか?
我が国には、東仙坊のような無神論者が多いせいか、潔い死に様でしかない「切腹」を潔い生き様と錯覚してしまうトンチキがかなりいて、卑怯で卑劣で醜悪な自殺を美しいものと思い込んでしまっていて、実に情けない。
もしかしたら、一神教信者で、地獄に堕ちたいだけのヒトもいるのかもしれないが…。
さて、本題に入る前に、無性にワナワナしつつ、どうしても触れざるを得ないことが1つ。
我が日本を後にしてサプアに向かったドナルド・トランプ夫妻を、早速、国賓として歓待しているはずの下品なサプア政府と幼稚なサプアのマスメディアども。
そのたった一晩の晩餐会に、88歳のハルモニ元売春婦を参加させ大統領にハグさせるプロパガンダ。
実に興味深いと思わないか?
この88歳の胡散臭いハルモニ、1938年3月4日「軍慰安所従業婦等募集に関する件(陸支密第745号)」を発令された79年前には、なんと9歳、その面影などどこにも全くない元売春婦と妻の前でハグをしたドナルド・トランプ、一体そのとき何を感じたのか?
それだけじゃない。
ただのボタンエビを、「独島エビ」として食べさせておいて、日本のマスメディアが怒って、「竹島エビ」ではなく「独島エビ」と表記したので、してやったりと欣喜雀躍とか。
それに対し、菅義偉官房長官、「外国が他国の要人をどのように接遇するかについて政府としてはコメントは差し控えますが、しかし、どうかとは思います。そのうえで申し上げれば、北への対応に関し、日米韓の連携強化が求められ、トランプ大統領が日本とサプアを最初の訪問先に選んでいる中に、日米韓の緊密な連携に悪影響を及ぼすような動きは避ける必要がある」と不快感を表明したものの、「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した一昨年の日韓合意の趣旨に反すると外交ルートを通じて申し入れた。「竹島エビ」を「独島エビ」として使った料理を並べたことにも、「竹島は日本固有の領土であり、サプアが独島の名前が入った食材で領有権を主張することは受け入れられない」と抗議しただけというから、本当に情けなくてみっともない。
少なくとも、ドナルド・トランプに、安倍晋三手法自ら、国同士の約束事すら自分勝手に反故にするサプアとは協力など絶対にできないとコミュニケートすべきなのでは?
そう、我が日本は朝鮮半島と恒久的に関わらないと…。
では、本題に戻る。
東仙坊、「コミュニケーション・ブレイクダウン」の現代社会が、無目的な劇場型無差別テロリスト大量殺人鬼、サイコパスのシリアルキラーをジャンジャン生み続けていると書き込んできた。
そこをもう少し掘り下げてみたい。
戦後、我が日本がUSAをひたすら追従しUSAの奇妙なほどの大らかさのおかげで高度成長期に入ると、我が国もそこそこの民主主義国家であること、法治国家であること、自由主義国家であること、資本主義国家であること、高度機械文明国家であること、先進国家であることをようやく自負できるようになった。
と同時に、社会全体が、少しずつ少しずつUSAよりもはるかに小さいはずなのに、まるでUSAのように無機質に、ドライになり始めてきた。
そこに、東仙坊、このブログの「カテゴリー」で、やたら「日本砂漠」とつけたがる最大の理由がある。
では、なぜ本来の日本人らしくなくそこまで無機質になってしまったのか?
今、振り返ると、歴史的な初めて敗戦の辛酸を舐めていた、父のように単に幸運に戦地から命からがら帰還できたオトナたちも、母のように単に幸運に焼夷弾の嵐の中を逃げ惑って内地で生き残ったオトナたちも、ある種の心理的なトラウマから、PTSDに陥ってしまっていたことが大きく影響しているはず。
ともかく、その自信喪失と一種の贖罪意識から、社会全体のタガが緩み始めていたことは事実。
それは、昔のような父親と食卓を中心と座しての家長制の崩壊を意味し、家族バラバラのダイニングテーブルでのここの食事に繋がり、日本人ならではのお互いに見つめ合っただけでの阿吽の呼吸でのコミュニケーションさえ蝕み始めたということ。
そう、一人一人がどこまでも自由になり、それぞれの個性、いわゆるパーソナリティーそのものが最も重要になるということは、その反動として、今までにない「Isolation(アイソレーション:孤立無援)」をイヤというほど味わうことになるということでもあったのだ。
実は、「コミュニケーション・ブレイクダウン」のジコチュウ社会では、この「アイソレーション」こそが最も厄介なもの、諸悪の根源。
それは、ときとして、瞬く間に無知で刹那的で怠惰なヒトを狂人に変貌させてしまうからでもある。
そして、その具体例は、間違いなく我が国の先を行く、自由主義と物質主義の機械文明のリーダーであるUSAで、すでにたくさん見つけることができていた。
Even if it is not so, modern people who are momentarily transformed into killer monsters by isolation with huge power(そうでなくても刹那的な現代の人間は、巨大なパワーを持ったアイソレーションによって突然殺人モンスターに変貌する)!
To be continued...