恒久不変な日本砂漠-5 八百長をヘンテコな組織論で擁護する日本の時代錯誤の歪み!?
Who is responsible for making paddle tolerance SUMO wrestling public interest corporation(八百長容認SUMOを公益法人にした責任は、誰にあるのか)?
「ヤバい経済学:悪ガキ教授がモノゴトに隠された部分を探し当てる」のスバらしいところは、八百長相撲をどうやったら止めさせることができるかということにまで言及していること。
①八百長は、勝ち越しを狙う力士のインセンティブとそれを察知した相手力士の心情や思惑とが絡み合って織りなす「相撲文化の心性」―計量経済学では「不可算な要素」―によって生まれる。
したがって、このインセンティブの背後にある歪み(例えば、負け越せば幕下に落ち、十両力士の持つ特権をすべて剥奪される)を緩和することが、不正行為によって生じる金銭上のやりとりをなくすのに役立つ。
②八百長は探知・発覚に敏感である。
つまり、マスメディアが八百長疑惑などを大々的に報道すると、実際の八百長相撲は姿を消したり、減ったりする。
マスメディアによる監視、および発覚した場合の厳重な処罰も撲滅に有効。
③八百長相撲に関する情報、誰が不正行為を働いているかについては、協会内部の関係者が最もよく知っている。
内部告発者への強力なインセンティブを与えることが不正行為の抑制に効果的。
特に、告発が客観的なデータ分析を伴うものであればなおさら。
④上記の措置が協会内部で実施不可能であり、自浄行動ができないいのであれば、第2相撲協会の創設を考える必要があるかも。
どうだろう?
さすが!と唸らされる解析では?
やはり、相撲には「Fixed(八百長)」、力士らによる星の回し合い、星の暗黙の譲り合いがあることは、現実なのでは?
それに、出稼ぎのために日本にきて「他人の犬を育てるよりは、自分の犬を育てろ」というモンゴル人力士たちが、それを躊躇いなくするのもまた当然では?
どちらにしても、中国か北かのように「組織」を適切にチェックする機能がないモンゴルSUMO協会。
それも、公益法人であるがゆえに理事が経営責任を取ることもないモンゴルSUMO協会。
「弟子~親方~理事という一貫した終身雇用的システム」、「年功序列型の番付の上下による賃金パラダイム」、「モンゴルSUMO協会内の『モンゴル会』」という「三種の神器」のような施策がまかり通る旧態依然とした時代遅れのモンゴルSUMO協会。
もしガバナンスやコンプライアンスを一人の人間として最優先したら、何よりも法令順守の観点から、監視する純然たる第三者である外部組織も持たないいい加減な協会の指示を待っていてはあれほどの傷害事件でもうやむやにされてしまうと、警察に届けたことのどこが悪いのか?
その段階で、警察の刑事捜査では何も語ってはいけないのでは?
第一、「公益通報者保護法」なるちゃんとした法律があるのでは?
ともあれ、教育評論家とか称するオカマチックな気色の悪い小木(?)ナンチャラカンチャラというオトコよ、キサマは社会心理学用語や経営学用語の一つに「集団凝集性」なるものがあるのを当然ご存知なのでは?
そう、「集団が構成員を引きつけて、その構成員を集団の一員となるように動機づける度合いのこと」。
まあ、「個人を集団に留まらせるように働く力のこと」。
そして、それには、「集団内の人間がお互いに好意を持つことにより生じる集団の魅力」という「対人的凝集性」と、「集団に所属することで自分の目標を達成できることにより生じる集団の魅力」という「課題達成的凝集性」の2つがあり、「集団凝集性」が高くなるほど組織そのものの拘束力や団結力やお互いの協力が強くなり、自然に成果が高くなる。
と同時に、過度に「集団凝集性」が高くなると、批判的な意見を受け入れられなくなったり、多様な意見が出なくなったりし、単一化し、一切外部を遮断する歪んだ集団になる。
どうだろう?
小木(?)ナンチャラカンチャラというアンポンタン、モンゴルSUMO協会は、まさに過度に「集団凝集性」が高くなってしまったな内部統制の取れない恥知らず組織と言えないか?
It must be a mad organization that the organization himself selects an organization that manages the personnel rights of the organization(組織の人事権を管理する組織を、その組織自体が選出するなんて気の狂った組織)!
To be continued...