恒久不変な日本砂漠-11 フェイク「平壌五輪」が撒き散らす世界へのゴミの山!?
In any sport the result of self-discipline must be ultimately determined by how mentally you can grow(いかなるスポーツでも、最終的にその自己鍛錬の成果はどれだけメンタル的に成長できたかで決まる)!
実は、東仙坊、今までの五輪のショートトラックで、金9個、銀13個、銅8個のメダルを獲得していること、サプアが金21個、銀12個、銅9個を獲得していることに奇妙なほど納得している。
ショートトラックは、人のことなど一切構わずに傍若無人になりふり構わず滑れる性格のヒト向きの競技。
その意味で、世界一のお人好し国民の我々日本人には、全く不向き。
それなのに、ジコチュウの本家の中国、平壌五輪では、な、な、なんと金1、銀2だけ。
実際のところ、この女子3000mリレーの失格で、5回目。
2月13日には、男子1000m予選4組、男子1000m予選6組、女子500m準決勝1組、女子500m準決勝2組と約30分の間に4人の中国選手が相次いで失格したというから、ハンパじゃない。
なかでも、中国勢が2002年ソルトレークシティー五輪から4連覇していた女子500m準決勝第1組では、昨シーズンの世界チャンピオン、范可新が失格したとか。
さて、この中国選手の范可新と今回注視していたシム・ソクヒとは、深い因縁があったとか。
昨年札幌冬季アジア大会女子500m決勝で、范可新と競り合ったシム・ソクヒが失格。
それを幼稚なサプアのマスメディア、「中国選手の『悪い手』に泣いた」と大々的に批判。
どうあれ、東仙坊、なぜ中国とカナダが失格になったのか?をwebで徹底検証。
なんとか判明したのが、最初は、中国の失格原因は、中国選手が決勝点手前でサプアの最後の走者に手を出したこと(?)だったのに、いつのまにか、中国の范可新が3周を残してアウトコースからインコースに入ろうとしてサプアのチェ・ミンジョンに「インペリアディング反則」を犯したということ(?)に変更されたとか。
ちなみに、「インペリアディング反則」とは、故意に妨害、待ち伏せ、攻撃、カラダのある部分で他の選手を押したときに適用される反則とか。
また、カナダの失格の原因は、最初はタッチミスということ(?)だったのに、いつのまにか、カナダの走者でない選手が最後のフィニッシュラインで内側ラインを侵犯し、サプアや中国の選手たちの進路を妨害したこと(???)とか。
ともあれ、そんな不可解な失格から、逆に失格かと思われたサプアがショートトラック女子3000mリレーで金メダルを獲得し、シム・ソクヒには初めての金メダル、姉妹弟子のチェ・ミンジョンにも2つ目の金メダルとなったとも。
これで、すべてメデタシと終らないところが、サプアのサプアたる所以。
コーチに殴られたエースのシム・ソクヒと姉妹弟子チェ・ミンジョンとの確執的ミステリアスな関係には、まだ続きがあった。
なぜかショートトラック女子最終レース1000m準決勝2組で、中国選手曲春雨のペナルティーでチェ・ミンジョンが救済され決勝進出(???)。
そう、それゆえ、決勝は、5人。
そ、そ、そして、信じ難いシーンを目撃することになる。
ラスト1周…。
スピードを上げてコーナーを回ろうとしたチェ・ミンジョンが3番手につけていたシム・ソクヒのブレードに接触し(?)、滑って同時に転倒し、2人ともフェンスに激突。
これによって、なぜかシム・ソクヒが失格になり、オランダのスザンネ・シュルティングが金メダル、カナダのキム・ブタンが銀メダル、イタリアのアリアナ・フォンタナが銅メダル、チェ・ミンジョンは4位。
つまり、サプアのメダルはゼロ。
そう、コーチから暴力を受けたサプア人選手が、同じコーチに可愛がられていたサプア人姉妹弟子チェ・ミンジョンのメダルを阻止したのである。
どうだろう?
サプア人のスポーツ観などその程度なのでは?
それを如実に証明したのが、神聖なスポーツをとことん冒涜する金の亡者IOCとおバカサプア政府がムリヤリ出場させた北のチョン・グァンボムなるデタラメショートトラックスケート選手。
しかも、なぜか、そのショートトラック男子500m予選7組、同走するのが、渡辺啓太とサプアの黄大憲とUSAのトーマス・ホン。
そう、北と日米韓。
すると、北の単なるスケーターテロリスト、スタートと同時に転びながらなぜか日本選手のスケートシューズを右手で掴もうとするも失敗。
やり直し後のスタート後、今度は再び転びながら、自分のブレードを刃物のように日本選手に当たるように向けるも、また失敗。
ニューヨーク・ポストが、「北の選手が汚い戦術で失格になった」と報道しただけでなく、世界中が、「露骨すぎ!」とか、「スポーツマンシップのカケラもない」などと怒りの声を上げたのも、至極当然。
Play and performance of internally grown athletes must be beautiful anywhere and beautiful until their expression(内面的に成長したアスリートのプレイやパフォーマンスはとにかくどこまでも美しく、その表情まで美しい)!
To be continued...