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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-17 ポーランドの日本愛に「ポーっとなるど」!?


Do you know even Mrs. Curie is Polish about being Polish(キューリー夫人がポーランド人だということぐらいは知っているのでは)?

16世紀から17世紀にかけEUで広大な国の1つであった「ポーランド・リトアニア共和国」。
それが、18世紀、4度にわたり国土がロシア、プロイセン、オーストリアなどによって分割され消滅させられる苦難を味わっているとか。
その後、粘り強く独立運動。
そして、そんなポーランド人に大きな勇気を与えたのが「日露戦争」での小国日本の奮闘。
ポーランド独立英雄として敬愛されるヨゼフ・ピウスツキは、1904年7月、日露戦争の最中に日本を訪れ、明治政府に対し、「日本とポーランドが手を携えてロシアと闘おう」と呼びかけたとか。
それも、ポーランドがシベリア鉄道の破壊やロシア軍に徴発されているポーランド兵の脱走・投降工作をする代わりに日本はポーランド独立運動への支援を行うと具体的に。
と同時に、もう一人の独立運動指導者で穏健派のロマン・ドモフスキも来日して、ヨゼフ・ピウスツキの提案は非現実的だと日本政府に進言したとか。
結局、洞察力に富んだ明治政府、ヨゼフ・ピウスツキの提案のうち、ポーランド人捕虜に対する好意的な取り扱いだけを採用。
松山にポーランド人捕虜のための収容所を作り、特別に厚遇したとか。
その捕虜数を正確に認識していなかったが、一説には数千人超だったとも。
ちなみに、日本海海戦で日本がロシアのバルチック艦隊を破ったときには、ポーランド人捕虜全員が万歳を大声で叫んだとか。
ところで、後にポーランド大使となる兵藤長雄、外務省入省の後、1961年にUKの陸軍学校に留学してロシア語を学んだが、そのときの先生がグラドコフスキという元ポーランド陸軍将校だったとか。
そして、その先生から、イヤというほど聞かされた話があるとか。
先生の父親はロシアに徴集されて日露戦争に従軍したものの、捕虜となって数ヵ月を日本で過ごしたとか。
そのとき、周囲の見知らぬ日本人たちから親切にもてなされ、深い感銘を受けたとか。
そのために、先生の父親は日本人の温かい心と数々の善意が終生忘れられずに、そのときの話を何度も詳しく聞かせては、「オマエも日本人に出会ったらできるだけ親切にして恩返しをして欲しい」と口癖のように話したとか。
だから、その先生も、「父親が受けた日本人からの親切を、今、キミを通じてお返しできることは本当にウレシイ」としょっちゅう言っていたとも。
事実、分割割譲された後のポーランドは、簡単に引き下がらなかった。
独立を求め何度もロシアに対して武装蜂起を繰り返し、そのたびに失敗しては捕らえられ、シベリアに「流刑囚」として流され強制労働をさせられていたとか。
とりわけ、1863年から翌年にかけての「一月蜂起」では、8万人もの「流刑囚」がシベリア送りとなったとか。
そのために、その後を追って、恋人や家族がシベリアに向かったため、極寒のシベリアには何十万人(15万人~20万人?)ものポーランド人が集まってしまい、多くの子どもたちが生まれたとも。
1917年、ロシア革命が勃発すると、シベリアの「流刑囚」ポーランド人たちは祖国独立を画策しチューマ司令官の下に2000名もの部隊を結成し、シベリアで反革命政権を樹立したロシア提督アレクサンドル・コルチャークをサポートして赤軍と戦ったとか。
しかし、その試みはすぐ失敗し、ポーランド人部隊はウラジオストックに追い込まれたとか。
残虐な赤軍は、逃げるポーランド人たちに容赦なく、手当たり次第殺そうとしたとか。
その混乱で、多くの子どもたちが親を失ったり、親と離れ離れになったとも。
そのとき、境地に陥り瀕死状態なっていたポーランド人部隊を救出するだけでなく、行き場を失ったポーランド人孤児たちを大連、長崎を経て、祖国へ帰還するのを助けたのが、な、な、なんと我が日本。
というのも、日本も、革命政権成立を阻止しようとして、米英仏などとともにシベリアに出兵していたから。
そして、そんなポーランド人戦争孤児たちの救済に立ち上がったのが、鉄道技師の夫とともにウラジオストックに住んでいたアンナ・ビエルケビッチ。
ボランティアで「ポーランド孤児救済委員会」を組織し、自ら会長に就任。
一人の委員が、「日本に救援を頼んでは?」と提案すると、年配の女性委員が、「むかし宣教師を磔にしたような国が、他の国の子どもたちを助けてくれるだろうか?」と疑問を呈したとか。
そこで、ヤング医師ヤクブケビッチ副会長、「ボクはシベリア流刑囚の息子ですから、日露戦争に行ったポーランド人を知っていますが、日本人を悪く言う人はいませんよ。この春、ウラジオストックまで逃げてきたチューマ司令官たちを助けて、船を出してくれたのは、日本軍じゃありませんか?」とみんなを諭したとか。

Do you remember that Pope John Paul II who visited Hiroshima City and Nagasaki City was Polish(広島市と長崎市を訪問した教皇ヨハネ・パウロ2世がポーランド人だったと覚えているか)?

To be continued...


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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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