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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

恒久不変な日本砂漠-17 ポーランドの日本愛に「ポーっとなるど」!?


Poland orphans should testify, the Japanese soldiers were kind(ポーランドの孤児たちは証言している、日本軍の兵隊さんたちは親切だったと)!

「ポーランド孤児救済委員会」会長アンナ・ビエルケビッチは、シベリアのポーランド人孤児救済のために東奔西走したとか。
人道を第一に掲げるEU諸国に孤児たちの輸送と援助を頼んでも、国際関係の緊張から煮え切らない態度でショックを受けていた。
実際、脱出に最適なシベリア鉄道が交戦中で使えず、孤児を母国に帰すのはかなり困難だった。
第一、たとえポーランドに無事に辿り着いても、孤児たちには住む家もなかった。
彼女は焦った。
そして、一大決心をする。
自分の叔父が日露戦争で捕虜になったのに日本人に親切にされたということを頼りしようと決意したのである。
事実、日本は赤軍に敗れたチューマ将軍たち義勇軍のために船を出し、ポーランドへそっと戻してもいた。
そこで、1920年6月、自ら日本に渡り、帝国陸軍や日本外務省にポーランド孤児救済を直談判した。
すると、驚いたことにその依頼は直ちに日本外務省から日本赤十字社に伝えられ、たった17日後には孤児救済が決定され、さらにその2週間後には帝国陸軍の助力で、56名の孤児第一陣がウラジオストクから、敦賀経由で東京に到着、渋谷の宿舎に収容されたとか。
これは、メチャクチャ画期的だと思わないか?
日本とポーランドの間には、正式な外交関係もなかったのである。
それなのに、財政が苦しかったのに子どもの命は金では買えないと、祖国と分断された在シベリア民間ポーランド人のコストと手間がかかる頼みごとを即刻受け入れたというのである。
ともあれ、1920年9月~1921年7月で、5回に分け、1~16歳の375人のポーランド孤児を日本に脱出させたとか。
ところが、日本に到着した孤児は痩せ細り衰弱し、ほとんどが病気だったとか。
そこで、敦賀に入港後、服を脱がし消毒し、一人一人に衣服、肌着、靴、靴下などを新調し、食事やお菓子や果物をたくさん与えたとか。
また、ポーランド孤児たちのことが報道されると、寄付金、玩具、お菓子などがどんどん集まり、歯科治療、理髪、慰問演奏、慰安会などがボランティアによって行えたとか。
さらに、1921年4月6日、貞明皇后が日赤本社病院を行啓され、ポーランド孤児たちを励ましたとか。
3月29日に退院したばかりの3歳幼女ゲノヴェハ・ボグダノヴィチを抱き上げ、「ゲノヴァハさんと言われるのね。ゲノヴァハさん、アナタは、一人ではありませんよ。アナタが、ここにこられたのは、アナタのお父様やお母様が、我が身を犠牲にして御守りくださったからなのですよ。このたびも、入院なさったのですね。でも、アナタはこうして、無事に退院することができました。だから、一所懸命に生きて行くのです。決して、命を粗末にしてはなりませんよ。大事になさい。そして、健やかに生い立つのですよ。それが、アナタを守ってくださったご家族と、この病院の方々の願いなのですから…」とやさしく語りかけたとか。
とにもかくにも、「ポーランド児童救済委員会」は、日本人がウワサ通りに子どもを分け隔てなく大事にすることを目の当たりにして日本を選んだことに安堵し、さらなるポーランド孤児を日本に送るために捜索活動の範囲を広げたとか。
「壊れた列車や、兵舎にまぎれこんでいる子どももいました。ポーランド人が住んでいると聞けば、足を棒のようにして、その家庭を尋ねました。父親を亡くした家庭では、『せめて子どもだけでも、助け出してください』と母親たちが、泣いてワタシたちに頼むのでした。でも、シベリアで子どもたちを集められたのは、日本軍がいる町だけでした。日本軍の助けナシには、何もできなかった」と「ポーランド児童救済委員会」は報告しているとも。
しかし、シベリアにはまだ200人以上のポーランド孤児が残されていた。
1922年3月、日本政府は2度目の救済事業を行い、390人の孤児を大阪に脱出させ、そのまま日本船でポーランドに送り届けたとか。
そのとき、親身に世話をしてくれた日本人との別れを悲しみ、ポーランドの孤児たちは船のデッキから、「アリガトウ」とか「サヨウナラ」と日本語で叫び、必死で覚えた「君が代」と「ポーランド国歌」を歌って感謝の心を表したとか。
孤児の一人で後に日本に助けられたバツワフ・ダニレビッチは、「街には、飢えた子どもが溢れていましたね。その子たちは、日本のヘイタイサンを見ると、『ジンタン、クダサイ。ジンタン、クダサイ!』と、せがむのです。日本のヘイタイサンは、やさしかった。ワタシもキャラメルをもらったことがあります。孤児の中には空腹をまぎらそうと、雪を食べている子どももいました。シベリアはもう、まったくの地獄でした」と証言しているとか。

For Poles, there must be a reason to hear Japanese national anthem “Kimigayo” comfortably. That is just...(ポーランド人にとって、日本国歌「君が代」が心地よく聞こえる理由がある。それは…)!

To be continued...




 







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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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