恒久不変な日本砂漠-17 ポーランドの日本愛に「ポーっとなるど」!?
The neighboring country Poland with a big forest in between must be somewhat more human-like than a country with bad character next door(隣の性格の悪い国よりも、大きな森をはさんだ隣の国ポーランドの方が、はるかに人間的)!
東仙坊、メチャクチャ真摯に我が日本を敬愛してくれているポーランドに、正直、衝撃を覚えている。
と同時に、昨今の平和ボケによるタガの緩みとモラル崩壊の現状を気恥ずかしく感じている。
何でも、1995年10月、兵藤長雄ポーランド大使が、かつて救出した8名のシベリア孤児をポーランド大使館公邸に招待したとか。
当然のごとく全員80歳以上の高齢で1人のご婦人は衰弱が激しくお孫さんにつき添われてやっとのことで公邸に辿り着き、感涙にむせびつつ言ったとか。
「私は生きている間に、もう一度日本に行くことが生涯の夢でした。そして、日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかし、もうそれは叶えられません。しかし、大使から公邸にお招きいただいたて聞いたとき這ってでも伺いたいと思いました。なぜって、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできればもう思い残すことはありません」と。
それは、2002年7月12日、天皇皇后両陛下が、ポーランドを公式訪問したときに、さらに顕著になったとか。
そのとき、両陛下は、大広間入り口正面にいた3名の元孤児のもとに自ら歩み寄り親しく声をかけられたとか。
──「お元気でしたか?」
「日本万歳、ありがとう」
「日本のおかげで、今の私たちがあります」
「日本はまるで天国のようなところでした」
「自分たちを救い出してくれた、美しくやさしい国、日本にぜひともお礼が言いたい」
「両陛下にお会いしたことを、孫たちに語ります」
「今後数ヶ月間は、両陛下に会えた感激でぼんやりして過ごすことになりそうです」
なかでも、86歳のアントニナ・リーロは、美智子皇后の手をずっと握って離そうとしなかったとか。
というのも、彼女は、日本に救ってもらった命を人を救うことに捧げたいと、第二次世界大戦中にポーランドのユダヤ人を助けたことでイスラエル政府から表彰されたというのである。
どちらにしても、その両陛下を命の恩人以上に敬愛する姿勢に、日本への愛情が伝わってくるのでは?
ちなみに、彼女も、2006年、「日本は天国のようなところでした」と言ってワルシャワで90歳の生涯を閉じたとか。
無論、恩を忘れないのが、日本人。
2005年8月、ポーランドに招かれた阪神・淡路の震災孤児たちが10年後にポーランド大使館公邸に足を運び無事青年となれたことの感謝を伝え、「心から心へ」というテーマでワルシャワで「阪神大震災被災児童写真展」を開催したとか。
ともあれ、ポーランド人の日本好きをロジカルかつスピリチャルに証明しているのが、日本美術収集家フェリスク・ヤシェンスキの存在。
何しろ、ポーランド貴族生まれで、20代に19世紀末のパリで芸術の勉強をしていた、この彼、浮世絵に魅せられ生涯をかけて6500点にも上る日本美術の一大コレクションをしたというから、ハンパじゃない。
確かに、当時のパリに、日本の美術、特に浮世絵に対する関心が高く「ジャポニズム」という流れが画家たちにあったこともあるが、彼が日本にのめり込んでいった理由は別。
帝政ロシアやプロイセンなどに分割統治されていたポーランド民族の独立を夢見て独自の民族文化に生気を吹き込むという使命に全力を傾倒していた彼が、「日本の芸術を深く探求すればするほど、私の情熱はますます激しく燃え上がる。これほど非凡であり、洗練されており、大胆かつ精緻で、しかも感動的で魅力の溢れる芸術がほかにあるだろうか…」と、小国でありながら2000年に渡って独立を守り通し独自の文化を発展させた日本に極めて親近感を覚えたのも当然。
ポーランド人として、まさに「日本こそ、大きな森(ロシア)をはさんだ隣国」と感じたはず。
彼の死後、その膨大なコレクションは、一時、「クラコフ国立博物館」に所蔵されたとか。
そして、ナチス占領下にたまたまその一部が公開され、それを見て衝撃を受けたのが、クラコフ美術大学生アンジェイ・ワイダ。
そう、後のポーランド映画界の巨匠。
それゆえ、1987年、彼は京都財団から受賞した「京都賞」の賞金全額を寄付して、フェリスク・ヤシェンスキ・コレクションのための独自の美術館建設を提唱。
それに、ポーランドと日本の多くの人々が協力し、1994年、古都クラクフに完成したのが「日本美術・技術センター(マンガセンター)」。
というのも、フェリスク・ヤシェンスキが、「北斎漫画」からとった「マンガ」をミドルネームにしていたからとか。
ちなみに、その設計は、磯崎新とか。
I wanna go to the “Manga Center” in Krakow, an ancient capital of Poland(ポーランドの古都クラクフにある「マンガセンター」に行ってみたい)!
To be continued...
東仙坊、メチャクチャ真摯に我が日本を敬愛してくれているポーランドに、正直、衝撃を覚えている。
と同時に、昨今の平和ボケによるタガの緩みとモラル崩壊の現状を気恥ずかしく感じている。
何でも、1995年10月、兵藤長雄ポーランド大使が、かつて救出した8名のシベリア孤児をポーランド大使館公邸に招待したとか。
当然のごとく全員80歳以上の高齢で1人のご婦人は衰弱が激しくお孫さんにつき添われてやっとのことで公邸に辿り着き、感涙にむせびつつ言ったとか。
「私は生きている間に、もう一度日本に行くことが生涯の夢でした。そして、日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかし、もうそれは叶えられません。しかし、大使から公邸にお招きいただいたて聞いたとき這ってでも伺いたいと思いました。なぜって、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできればもう思い残すことはありません」と。
それは、2002年7月12日、天皇皇后両陛下が、ポーランドを公式訪問したときに、さらに顕著になったとか。
そのとき、両陛下は、大広間入り口正面にいた3名の元孤児のもとに自ら歩み寄り親しく声をかけられたとか。
──「お元気でしたか?」
「日本万歳、ありがとう」
「日本のおかげで、今の私たちがあります」
「日本はまるで天国のようなところでした」
「自分たちを救い出してくれた、美しくやさしい国、日本にぜひともお礼が言いたい」
「両陛下にお会いしたことを、孫たちに語ります」
「今後数ヶ月間は、両陛下に会えた感激でぼんやりして過ごすことになりそうです」
なかでも、86歳のアントニナ・リーロは、美智子皇后の手をずっと握って離そうとしなかったとか。
というのも、彼女は、日本に救ってもらった命を人を救うことに捧げたいと、第二次世界大戦中にポーランドのユダヤ人を助けたことでイスラエル政府から表彰されたというのである。
どちらにしても、その両陛下を命の恩人以上に敬愛する姿勢に、日本への愛情が伝わってくるのでは?
ちなみに、彼女も、2006年、「日本は天国のようなところでした」と言ってワルシャワで90歳の生涯を閉じたとか。
無論、恩を忘れないのが、日本人。
2005年8月、ポーランドに招かれた阪神・淡路の震災孤児たちが10年後にポーランド大使館公邸に足を運び無事青年となれたことの感謝を伝え、「心から心へ」というテーマでワルシャワで「阪神大震災被災児童写真展」を開催したとか。
ともあれ、ポーランド人の日本好きをロジカルかつスピリチャルに証明しているのが、日本美術収集家フェリスク・ヤシェンスキの存在。
何しろ、ポーランド貴族生まれで、20代に19世紀末のパリで芸術の勉強をしていた、この彼、浮世絵に魅せられ生涯をかけて6500点にも上る日本美術の一大コレクションをしたというから、ハンパじゃない。
確かに、当時のパリに、日本の美術、特に浮世絵に対する関心が高く「ジャポニズム」という流れが画家たちにあったこともあるが、彼が日本にのめり込んでいった理由は別。
帝政ロシアやプロイセンなどに分割統治されていたポーランド民族の独立を夢見て独自の民族文化に生気を吹き込むという使命に全力を傾倒していた彼が、「日本の芸術を深く探求すればするほど、私の情熱はますます激しく燃え上がる。これほど非凡であり、洗練されており、大胆かつ精緻で、しかも感動的で魅力の溢れる芸術がほかにあるだろうか…」と、小国でありながら2000年に渡って独立を守り通し独自の文化を発展させた日本に極めて親近感を覚えたのも当然。
ポーランド人として、まさに「日本こそ、大きな森(ロシア)をはさんだ隣国」と感じたはず。
彼の死後、その膨大なコレクションは、一時、「クラコフ国立博物館」に所蔵されたとか。
そして、ナチス占領下にたまたまその一部が公開され、それを見て衝撃を受けたのが、クラコフ美術大学生アンジェイ・ワイダ。
そう、後のポーランド映画界の巨匠。
それゆえ、1987年、彼は京都財団から受賞した「京都賞」の賞金全額を寄付して、フェリスク・ヤシェンスキ・コレクションのための独自の美術館建設を提唱。
それに、ポーランドと日本の多くの人々が協力し、1994年、古都クラクフに完成したのが「日本美術・技術センター(マンガセンター)」。
というのも、フェリスク・ヤシェンスキが、「北斎漫画」からとった「マンガ」をミドルネームにしていたからとか。
ちなみに、その設計は、磯崎新とか。
I wanna go to the “Manga Center” in Krakow, an ancient capital of Poland(ポーランドの古都クラクフにある「マンガセンター」に行ってみたい)!
To be continued...