腐乱した大和魂-10 「ゲイ色文化」?「芸職文化」?「迎蝕文化」?「鯨食文化」?
Because a human being is a living thing, we have to eat something, we couldn't live. And it must be quite natural for food to change with our civilization(人間が生物である以上何かを食べなきゃ生きていられない。そして、食べ物がその文明とともに変化するのは極めて自然なこと)!
東仙坊、我が日本で7世紀あたりから捕鯨が本格的に始まった、そして、やはり日本中で捕鯨がポピュラーになったのは、江戸時代以降では?とすでに書き込んだ。
もちろん、それはあくまで沿岸での捕鯨でしかなかったと想像するのも簡単。
遠洋に出かけるような船と航海技術とそれなりの道具もなかったはずだからである。
でも、どうあれ、海岸地域に住む多くの日本人が何百年も捕鯨をしてきたことは真実で、そのまま今の今までも継続していることも、これまた真実。
では、日本以外の国々はどうだったのか?
特に、世界の海を支配していたUKはどうだったのか?
20世紀の半ばまでは、世界中が盛んに捕鯨をしていて、中でも、1904年に始まった南極海でのUKやUSAなどによる鯨油(機械油用・石鹸用)だけを目当てとした乱獲にで、20万頭いたはずの(?)シロナガスクジラは、数百頭にまで減少してしまったことも事実。
そう、ほとんどの国が鯨食のためではない捕鯨だったのである。
そのために、クジラを絶滅野生動物と捉え、慌てて全世界で保護しようとし始めたのである。
そう、鯨食のための捕鯨など日本、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド、フェロー諸島、USA先住民イヌピアック・ヌーチャヌルス・マカー、カナダ先住民イヌイット、そして、何でも日本のマネをし日本以上に何でも食べる中国とサプアぐらい。
そんななか、何にでも創意工夫と忍耐力を惜しまない我が国の捕鯨船は、1930年代には大活躍。
それが、第二次世界大戦の敗戦であっというまにハングリー国民。
すると、日本を占領していた連合国のダグラス・マッカーサー元帥のサジェスチョンで、USA海軍のタンカーを改造して捕鯨船2隻を作り、南極海に捕鯨に向かうことになったとか。
そう、我が国の伝統である捕鯨は、日本近海に流れ着いたクジラを、漁師が小型船で捕獲する沿岸漁業的なものだったのに、腹を空かせた動物性タンパク源の不足した日本国民を救おうと、決死の捕鯨漁師が誕生したのである。
そのおかげで、1940年代末から60年代半ばまで、日本人の最も主要な動物性タンパク源は、鯨肉。
何しろ、1964年、史上最多の2万4000頭以上を捕獲し、そのほとんどが巨大なナガスクジラやマッコウクジラだったというから、ハンパじゃない。
当然のごとく、たちまち捕鯨世界一。
1960年代は20万トン以上。
と、と、ところが、高度成長で豊かになった日本は、すぐさまUSAやオーストラリアから牛、豚、羊、鶏などの食肉を輸入するようになり、新しモノ好きの日本人が鯨肉をあまり食べなくなったのも、これまた自然。
実際、日本人が鯨肉を大量消費したのは、正直、この高度成長期のみ。
それはそうだと思わないか?
食べる肉の種類は、一気に増加。
牛肉では焼き肉、ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶ、豚肉ではトンカツ、生姜焼き、鶏肉では、フライドチキン、唐揚げ、羊肉ではジンギスカン…。
そのうえ、海外旅行が人気になり、ホエール・ウォチング。
テレビでは、わんぱくフリッパー 。
水族館では、イルカショー。
鯨食が敬遠さえ始めるのも、当然だったのでは?
ともかく、ここは重要なポイントなので、ぜひご注目あれ。
いかなる食文化だって、人気がなくなったら、採算が合わなくなったら、従事者がいなくなったら廃るのは、当然の帰結。
そのうえ、いろいろな規制が強まったら、ますます食べる気がしなくなるのも、これまた人間の摂理。
1982年、IWCが、「商業捕鯨モラトリアム(一時停止)」を採択。
何でも、IWC科学委員会の勧告に基づくことなく、クジラの捕獲頭数を定める出生率、死亡率等科学的数字には不確実性があるからとの理由で導入されたとか。
ただし、この決定には、「1990年までにゼロ以外の捕獲枠を設定する」との合意があったとも。
1990年、IWC科学委員会は、鯨資源包括的評価の結果、南氷洋のミンククジラは76万頭と認め、現在の管理方式に基づけば、100年間に毎年最低2000頭から4000頭を捕獲することが資源に何の問題も及ぼさず可能であるということを提示。
しかしながら、反捕鯨国側の反対によってその同意は反故にされたとか。
Could you say that raising a loud voice as if you can't live without eating a whale can be called our culture(クジラを食べなければ生きていけないかのように大声を上げることを、果たして自分たちの文化と呼べるのか)?
To be continued...
東仙坊、我が日本で7世紀あたりから捕鯨が本格的に始まった、そして、やはり日本中で捕鯨がポピュラーになったのは、江戸時代以降では?とすでに書き込んだ。
もちろん、それはあくまで沿岸での捕鯨でしかなかったと想像するのも簡単。
遠洋に出かけるような船と航海技術とそれなりの道具もなかったはずだからである。
でも、どうあれ、海岸地域に住む多くの日本人が何百年も捕鯨をしてきたことは真実で、そのまま今の今までも継続していることも、これまた真実。
では、日本以外の国々はどうだったのか?
特に、世界の海を支配していたUKはどうだったのか?
20世紀の半ばまでは、世界中が盛んに捕鯨をしていて、中でも、1904年に始まった南極海でのUKやUSAなどによる鯨油(機械油用・石鹸用)だけを目当てとした乱獲にで、20万頭いたはずの(?)シロナガスクジラは、数百頭にまで減少してしまったことも事実。
そう、ほとんどの国が鯨食のためではない捕鯨だったのである。
そのために、クジラを絶滅野生動物と捉え、慌てて全世界で保護しようとし始めたのである。
そう、鯨食のための捕鯨など日本、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド、フェロー諸島、USA先住民イヌピアック・ヌーチャヌルス・マカー、カナダ先住民イヌイット、そして、何でも日本のマネをし日本以上に何でも食べる中国とサプアぐらい。
そんななか、何にでも創意工夫と忍耐力を惜しまない我が国の捕鯨船は、1930年代には大活躍。
それが、第二次世界大戦の敗戦であっというまにハングリー国民。
すると、日本を占領していた連合国のダグラス・マッカーサー元帥のサジェスチョンで、USA海軍のタンカーを改造して捕鯨船2隻を作り、南極海に捕鯨に向かうことになったとか。
そう、我が国の伝統である捕鯨は、日本近海に流れ着いたクジラを、漁師が小型船で捕獲する沿岸漁業的なものだったのに、腹を空かせた動物性タンパク源の不足した日本国民を救おうと、決死の捕鯨漁師が誕生したのである。
そのおかげで、1940年代末から60年代半ばまで、日本人の最も主要な動物性タンパク源は、鯨肉。
何しろ、1964年、史上最多の2万4000頭以上を捕獲し、そのほとんどが巨大なナガスクジラやマッコウクジラだったというから、ハンパじゃない。
当然のごとく、たちまち捕鯨世界一。
1960年代は20万トン以上。
と、と、ところが、高度成長で豊かになった日本は、すぐさまUSAやオーストラリアから牛、豚、羊、鶏などの食肉を輸入するようになり、新しモノ好きの日本人が鯨肉をあまり食べなくなったのも、これまた自然。
実際、日本人が鯨肉を大量消費したのは、正直、この高度成長期のみ。
それはそうだと思わないか?
食べる肉の種類は、一気に増加。
牛肉では焼き肉、ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶ、豚肉ではトンカツ、生姜焼き、鶏肉では、フライドチキン、唐揚げ、羊肉ではジンギスカン…。
そのうえ、海外旅行が人気になり、ホエール・ウォチング。
テレビでは、わんぱくフリッパー 。
水族館では、イルカショー。
鯨食が敬遠さえ始めるのも、当然だったのでは?
ともかく、ここは重要なポイントなので、ぜひご注目あれ。
いかなる食文化だって、人気がなくなったら、採算が合わなくなったら、従事者がいなくなったら廃るのは、当然の帰結。
そのうえ、いろいろな規制が強まったら、ますます食べる気がしなくなるのも、これまた人間の摂理。
1982年、IWCが、「商業捕鯨モラトリアム(一時停止)」を採択。
何でも、IWC科学委員会の勧告に基づくことなく、クジラの捕獲頭数を定める出生率、死亡率等科学的数字には不確実性があるからとの理由で導入されたとか。
ただし、この決定には、「1990年までにゼロ以外の捕獲枠を設定する」との合意があったとも。
1990年、IWC科学委員会は、鯨資源包括的評価の結果、南氷洋のミンククジラは76万頭と認め、現在の管理方式に基づけば、100年間に毎年最低2000頭から4000頭を捕獲することが資源に何の問題も及ぼさず可能であるということを提示。
しかしながら、反捕鯨国側の反対によってその同意は反故にされたとか。
Could you say that raising a loud voice as if you can't live without eating a whale can be called our culture(クジラを食べなければ生きていけないかのように大声を上げることを、果たして自分たちの文化と呼べるのか)?
To be continued...