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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Those who claim to be pro-Korean intellectuals of great left-wings! How do you need to get along with the assholes of the country who say that pro-Japan must be like the enemy of the parent(左向きのおエラい我が国の親韓派の知識人を自称するお歴々よ! 親日であることが親の敵のように言い切る国のヤツらとどうして仲よくなる必要があるのか一度きちんと説明すべきでは)?

東仙坊、もうサプアについて書くのは止める、かなり少なくなった残りの人生の貴重な時間がムダになる、そう、心に誓ったら、連日、サプアからの信じ難い反日かつ日本愚弄の言動ばかり。
それを聞くたびに、ワナワナと血圧を上げながら、忍耐、忍耐、日本人らしくひたすら忍耐の日々。
その結果、本当に具合が悪くなってきて、危険な状態…。
これでは、あちらで福澤諭吉に叱責されるに違いないと、沈思黙考、明鏡止水、独り反省会。
そして、ふと気がついた、まだまもなく消えゆくに違いサプアに対し、最後通牒を通告していないということに…。
そこで、サプアへの弔辞として、い、い、言わずはいられないことをとことん言い切ってやると、改めて決意。
そして、まず、思ったことが、福澤諭吉が、今のサプアを観て何と言うだろうか?という想像。
それと、福澤諭吉は、なぜあれだけ「内心、亜細亜東方の悪友」に絶望しながらも、サプア論を書き続けたのか?という疑問。
そ、そ、そうしたら、偶然、東仙坊、勝手に畏敬している先人の1人のMr.渡辺利夫が同じようなことを考えてみてくれていたことを見つけて、大感激。
その極めて興味深い考証を、東仙坊、不躾でも独自の味つけさせていただき、ご紹介。
何でも、世界一のお人好し国家の我が日本、よせばいいのに「隣の超赤貧国サプアに普通の文明国になってもらいたい、そうすれば、我が国の国防にとっても有意義になる」などと、サプアの宗主国だった清国に勝利した勢いをかって、サプアに近代化してもらいたいとその政治改革に打って出たとか。
そう、日清戦争の主たる目的が、どこまでも「サプア国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコト(日清講和条約第1条)」だったというのだから、その当然結果。
そのサプアの政治改革を、「甲午改革」と呼んだとも。
ところが、日清戦争後、我が国は、三国干渉に遭い、遼東半島の清国還付をシブシブ吞まされてしまうと、それを見て、事大主義者どもの集団であるサプア、こともあろうにそそくさと「日本は恃(たの)むに足らず」とロシアに急接近。
本当に根っからのイヤな性格の卑怯者どもだと思わないか?
すると、サプアではたちまち親露派が反っくり返り始め、国王高宗をロシア公使館に移し、国王が公使館から詔勅を発するという摩訶不思議な国になったというから、まさに、サプアの正史。
ちなみに、それは「露館播遷」と呼ばれているとか。
どうあれ、それで、せっかく我が国が命懸けで独立自主の国に変えてあげようとしたのに、サプアは実質的にロシアの属国。
当然のごとく、「甲午改革」は失敗。
その失敗について、1897年10月7日付「時事新報」で、福澤諭吉が、「事実を見るべし」という論説を掲載しているとか。
サプア人は、エラいヤツらの間だろうが、下のヤツらの間だろうが、一般のヤツらの間だろうが、どこもかしこもニセ君子の巣窟にして、一人として信を置くに足る人がいないことは、自分の長年の経験で見比べても明白。されば、このようなヒトびとに対していかなる約束を結んだところで、背信違約はサプア人の持前にして少しも気にすることなどナシ。すでに今までの国交の際でのルールに則ってたびたびやってみたけど、サプア人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実として自分たち自身で怒りを抑える以外に方法もナシ
ここで大切なことは、福澤諭吉は、ハナからエモーショナルにサプア人への諦観を抱いたのではないということ。
そう、福澤諭吉はバカみたいに本気でサプアを近代国家にさせたいと願ったのである。
それゆえ、選りすぐりの人間らしいサプア人を集め懸命に教育し、サプア人たちの手で政治改革をしてほしいと夢見て、金弘集を総理衙門(内閣総理大臣)に、朴永孝、兪吉濬などを要職に配し、「甲午改革」を必死に進めたのである。
にもかかわらず、「甲午改革」は、頓挫し、しかも、1896年、その金弘集が、「中華を尊んで夷狄を攘う」とか「国母復讐」などと叫ぶサプア人得意の民衆クーデターによって総理衙門の座を追われ、光化門外で撲殺され、その屍を残忍にも市中に晒されてしまって、福澤諭吉の儚い夢は木っ端微塵に砕かれてしまったというのである。
そう、いわゆる民衆の凄惨なリンチによって惨殺されてしまったというのである。
どうだろう?
メチャクチャエモーショナルで残酷な民族なのでは?
その長いものに巻かれるだけの、法など一切無視の、自分だけが正しくエラいと思い込んだだけの小中華思想国家のくせに、何と恐ろしい国だと思わないか?
どうあれ、これで福澤諭吉が門下の井上角五郎に命令したサプア国の国威発揚を促すためのハングル文字を使用してまでの「甲午改革」は徒労に帰してしまったのである。
どちらにしても、本気でサプアのために、ひいては日本のために、サプアを近代国家にさせたいと目論んだ、福澤諭吉が、肝心のサプアに心の底から絶望したことだけは間違いないはず。

Unstudyable non-intelligents who regard Yukikichi Fukuzawa as a main battle group should resign from the Japanese(福澤諭吉を主戦派のごとくみなす不勉強なエセ知識人どもは、日本人を辞めべき)!

To be continued...
















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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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