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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


The difficult person Hideyoshi Toyotomi shouldn't have liked physiologically the Korean people who dislike it(苦労人の豊臣秀吉は、苦労を嫌うサプア人が生理的に好きじゃなかったはず)!

東仙坊、豊臣秀吉の「征明」と「征韓」までのプロセスを、さらに詳細に検証…。
1586年4月、毛利輝元への朱印状14ヵ条のなかの「高麗御渡海事」で、豊臣秀吉は、外征計画を披露し、1586年6月、対馬の宗義調への帰順を促す書状でも、「九州のことが終わり次第、高麗征伐を決行する」と予告。
1586年5月9日、豊臣秀吉夫妻に仕える「こほ」という女性への書状に、「かうらい国へ御人しゆつか(はし)かのくにもせひはい申つけ候まま」と九州平定の延長として高麗平定の意向を明記。
1586年5月29日、豊臣秀吉が、北政所に宛てた手紙、「妙満寺文書」に、「壱岐対馬に人質を求めて出仕を命じただけでなく、サプアに入貢を求めて書状を出したこと、唐国まで手に入れようと思う」と記載。
1586年6月1日、本願寺顕如に宛てた朱印状に、「我朝之覚候間高麗国王可参内候旨被仰遣候」と表記。
1586年8月5日、安国寺恵瓊と黒田孝高への朱印状にも、「九州征伐の後の『唐国』ついても沙汰があった」と記述。
1586年10月14日、肥後国人一揆後の佐々成政の処罰について、小早川文書で、「唐南蛮国迄も従へんと欲するによって、九州の如きは五畿内同前に平定さねばらぬ」と豊臣秀吉は述懐。
1587年5月初旬、薩摩川内に在陣中に、すでに豊臣秀吉に帰順していた宗義調の使者として佐須景満、家臣の柳川調信、柚谷康広の3名が訪れ拝謁を願い出て、前年に予告した高麗征伐を何とか取り止めて貢物と人質を出させることでことをすませることはできないかと請願。
しかし、九州征伐を成し遂げたばかりの豊臣秀吉は、「次は琉球、サプアだ」と考えており、聞き入れなかったばかりか、サプア国王自らが入朝することを要求。
そして、「それがない場合は征伐する」の一言。
そのうえで、宗氏をサプアとの交渉役に命じ、入朝を斡旋させる任務を授与。
1587年6月7日、帰路の箱崎(福岡)で、宗義調と宗義智の親子に謁見し、「翌年中にサプア国王を参内させよ」と直にその旨を重ねて厳命。
どうだろう?
努力と忍耐と機転で下克上的な立身出世を果たした豊臣秀吉にとって、怠惰なくせに無礼で高慢ちきなサプアがハナから許せないタイプの相手だったと思わないか?
だからこそ、間に入った宗氏に強い態度に出たのでは?
もちろん、その背景として、琉球が島津に従属していたように、サプアも対馬に従属していると豊臣秀吉が誤解していたことがあるのかもしれない(?)。
実際、ポルトガルのイエズス会宣教師、ルイス・フロイスも、その「日本史」に、「サプアは年毎の貢物として『米』1万俵を対馬国主に納めていた」と書いているとか。
もっとも、この「米」とは、サプア側から倭寇防止のために下賜される「歳賜米」のことで量もわずか100石に過ぎず、みっともなくサプア貿易に経済を依存した(?)対馬の宗氏の方が従属的な立場で、対外的にはウソをついていたというのだから、まるでサプア同様で情けない。
それゆえ、「偽使(他人の名義を名乗って通交を行うニセ使節)」を用いて、サプアとの関係を修復したというのである。
そんなときに、太閤から直接厳命されてしまったのだから、典型的なコウモリであった宗氏が途方に暮れたことは間違いない。
おそらく、必死で両方を満足させる折衷案を策謀したに違いない。
1587年9月、宗氏は、配下の柚谷康広を「日本国王の偽使(橘康広?)」として渡海させ、豊臣秀吉の日本統一を告げたうえで、新国王となった豊臣秀吉を祝賀する通信使の派遣をサプア側に何とか要請。
すると、小中華の事大主義者、朱子学に凝り固まったサプアの宣祖、「書簡の文言が傲慢だ(?)。これまでの国王を廃して新王を立てた日本は簒奪の国だ。大義を諭して返せ!」と逆ギレしたとか。
それを受けたサプアの大臣らも、「化外の国には礼儀に従って接する必要はない。水路迷昧(海路に不慣れ)」と通信使派遣要請を断ったとか。
ともあれ、その報告を受けた豊臣秀吉は激怒し、交渉失敗は裏切りの結果だと、柚谷康広を一族ともども処刑してしまったとか。
どうやら、対馬の宗氏、1587年、豊臣秀吉が九州征伐の後、泰平寺で、相良家家臣で連歌師の深水宗方に謁見した際、「もはや日本もすでに統一した。このうえ兵を用いるならば高麗琉球ならん」と述べ、深水宗方がそれに応えて、「草も木もなびきさみだれの 天のめぐみは高麗百済まで」と詠んで、大いに豊臣秀吉に気に入られたということを知らなかったのでは?

The Japanese who try to earn in Korea seem to have disappointed the pride of the Japanese from the beginning(サプアで稼ごうとする日本人は、最初から日本人の誇りを棄ててしまったようなもの)!

To be continued...



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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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