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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


I am convinced that Hideyoshi Toyotomi, a well-known and intelligent, must have studied Korean well(聡明で情報通の豊臣秀吉が、サプアについてよく研究していたに違いない)!

東仙坊、豊臣秀吉が、糞尿とともに生活しながら意識だけはジコチュウ丸出しに自分たち民族はエラいと勝手に思い込む朱子学狂信者(?)のサプア人たちに、なぜそこまでの「恨」を与えたのか? 興味津々で「征韓」に至るそのプロセスの検証を継続。
とにかくエラぶるのがお好きなサプア、とっくに期限を越えているに、さらに1年間も応答ナシ。
1589年3月、豊臣秀吉は、サプア国王遅参を責め、入朝の斡旋を再び宗義智に厳命。
1589年6月、宗義智は、博多聖福寺の外交僧、景轍玄蘇を正使とし、自らは副使となり、家臣の柳川調信や博多豪商の島井宗室など25名を連れ「日本国王使」としてサプアへ渡海。
漢城の東平館に滞在し、サプア通信使の派遣を要求したが、交渉は難航。
1589年8月28日、仁政殿で、サプア国王の宣祖と謁見。
けれども、サプア側は、「水路迷昧」との理由で、再度、サプア通信使の派遣を拒否。
宗義智は、「海路は自分が十分知っているから、ついてくるだけでよい」と自らが水先案内人を務めるとまで申し出たとか。
すると、サプア側は、「先に誠意を見せろ!」と数年前に倭寇が起こした事件を持ち出し、対馬へ逃亡したと疑われるサプア人叛民、沙乙背同(沙火同?)なる人物の引き渡しを要求。
宗義智は、これに応え、すぐに柳川調信を対馬に帰し、沙乙背同と数名の倭寇を捕縛して連行。
それで、サプア側はついに通信使の派遣を了承。
返礼として、宗義智は、孔雀と火縄銃を献上したとか。
1590年3月、ようやく漢城府を発したサプア通信使は、正使に西人派の黄允吉、副使に東人派の金誠一、書状官許筬(許筠の兄)ほか管楽衆50余名を含む200名という大使節団。
1590年4月29日、釜山から対馬に渡って滞在1ヵ月。
対馬の山寺で宗義智が通信使を接待した際、通信使が先に座している状態で、後からやってきた宗義智が轎に乗ったまま門をくぐり、階段の下まできた時点でを轎降りたことに対し、金誠一がブチ切れ。
というのも、儒教文化、イヤ、朱子学文化の強いサプアの「礼」では、作法の誤りは相手に対する侮辱なのだとか。
それゆえ、金誠一は、執拗に宗義智の欠礼を咎め激怒して席を立ったところ、宗義智はそれを轎夫の責任と斬首し、その首を通信使に差し出して謝罪したとか。
ちなみに、その事件を、同行していた柳成龍が「懲毖録」に書き記しているとか。
1590年7月22日、サプア通信使一行は、京都に到着、大徳寺を宿舎にしたとか。
しかし、豊臣秀吉は、北条氏の小田原征伐と奥州仕置のために、1590年9月1日まで不在。
そして、京都に帰還するも、屋敷の修理(?)やらなんやらでサプア通信使と会見しようとせず、1590年11月7日、ようやく聚楽第で引見。
この豊臣秀吉の彼らへのぞんざいな対応を、宗義智と小西行長が共謀して通信使は服属使節であると偽って説明したので、豊臣秀吉がサプアは日本に帰服したものだと思い込んでいたせいだとノーテンキにおっしゃられている我が国のおエラい学者さんたちが大勢いらっしゃるようだが、東仙坊、プラグマティックでないサプア人を心底軽蔑していたせいだと確信しているのだが…。
ともあれ、豊臣秀吉は定められた儀礼もほとんど行わずに、サプア通信使から、「豊臣秀吉の日本統一を祝賀する」という内容の国書と入貢を受け取ると、中座して赤子の鶴松を抱いて再び現れ、彼らの眼の前で小便を漏らした我が子を笑い、女性を呼んで後片づけさせるパフォーマンス。
どうだろう?
インテリジェンスに長けていた豊臣秀吉、サプアに関するインフォメーションはほとんど完璧に入手していたと思わないか?
そう、すでに明を小バカにしていたのだから、明に尻尾を振っているサプアなんかをハナから相手にするつもりなど毛頭なかったのでは?
その証拠に、その対応にサプア通信使どもが憤慨している様子を見て、正使と副使に銀400両を、その他の者には身分に応じて品物を与えてすぐに黙らしているのでは?
もちろん、そんなことだから国書への返答の用意もナシ。
それは儀礼に反するとサプア通信使が抗議してきたので、仕方なく僧録西笑承兌が起草させ、堺で逗留していたサプア通信使一行に国書を届けたのでは?
もっとも、その国書には、豊臣秀吉の本心が満載だったとか。
概要的に列挙すると、①豊臣秀吉、自らが「日輪の子」であるという感生帝説の披露。
②大明国を征服し日本の風俗や文化を未来永劫に中国に植えつけるという大抱負。
③先駆けて「入朝」したサプアを評価して安堵を約するという甘言。
④「征明嚮導」、つまり、「明遠征軍」を先導をすることの上意下達的命令。
と同時に、応じるならば盟約はより強固になるが、応じないと片づけるという脅迫。
まあ、全てのベースに、「ただただ佳名を三国に顕さんのみ」という豊臣秀吉個人の功名心の誇示も、確かにあるが…。

Who will respect the country where leaders in politics are self-centered and not united(政治を司るリーダーたちがジコチュウでで一つにまとまらない国をどこの誰がリスペクトするのか)?

To be continued...















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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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