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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

I don't know how much Hideyoshi Toyotomi was interested in China, but I could only understand that he didn't like Korea(豊臣秀吉が、どこまで中国に興味を持っていたかわからないが、サプアが好きではなかったことだけはよくわかる)!

東仙坊、にわか仕立てで検証した結果、我が国の多くの歴史家たちや日本史学者たちが、豊臣秀吉の「征韓の役」の考察で、豊臣秀吉がサプアに送った国書に、「ただただ佳名を三国に顕さんのみ(名声をはっきり目立たせたいだけ)」とあることを有力な根拠にしていることがわかった。
◎公卿、近衛信尹(征明討伐に参加しようとした公家??~??)
「三藐院記」…「征明の遠征準備中に弟である豊臣秀長の病死、息子の豊臣鶴松の死という大きな悲しみに遭遇し悲嘆に暮れ、その極みに至って、かえって自らの出陣と明国を隠居の地とする決意を新たにした」
◎親韓派の朱子学派儒学者、林羅山(1583~1657)
「豊臣秀吉譜」…「愛児鶴松を喪ったその憂さ晴らしで出兵した(?)」
◎儒学者、山鹿素行(1622~1685)
「中朝事実」…「サプアは日本の属国。豊臣秀吉が死去しなければ『明』も日本領になっていた(?)」、「神功皇后のころより『凡サプアは本朝の属国藩屏』なのだから従わぬサプアを征伐して『本朝の武威を異域にかがやかすこと』は至極当然である
◎儒学者、貝原益軒(1630~1714)
「欲のために出兵するは『貧兵』であり、驕りに任せた『驕兵』や怒りに任せた『忿兵』でもあって、天道に背いたがゆえの失敗であった」
◎儒学者、頼山陽(1781~1832)
「日本外史」…「サプア出兵は、国内の動乱を外に転じるための戦役だった(?)」、「豊臣秀吉が日本国王に冊封されて激怒したという有名な記述は近代以前に流布された典型的な誤解であり、基本的な史実に反する点があった。史料から豊臣秀吉自身が足利義満のように望闕礼を行ったと十分に判断でき、史学的には豊臣秀吉が意図して冊封体制と崩そうとしたという論拠は存在しないといっていい」
◎歴史家、徳富蘇峰(1863~1957)
「豊臣秀吉は英雄だったが、遠征動機は征服欲の発作だった」、「豊臣秀吉は、サプアを異国とは思わず、サプア国王は、島津義久同様、入洛し、豊臣秀吉の節度に服すべきものと思ったので、豊臣秀吉をあまりにも近世化した人間と考えてはならない」
◎歴史学者、中村栄孝(1902~1984)
「豊臣秀吉は名声不朽に残さんがために、我が国に知られていた東洋の諸国をば、打って一国と為すのを終局の希望として、海外経略の計画は進められていた。大帝国建設が目的で、政権確立のため、支配体制の強化を所領と流通の対外的拡大に求め、東アジア征服による解決を目指していた。その目的も手段も、ほとんど海内統一に際して群雄に臨んだ場合と異なることがなかった。征明の不可能なるを覚った後、所期の結果とは別に、勘合貿易の復活を考えただけである」
◎日本史学者、田中義成(1860年~1919年)/辻善之助(1877年~1955)など
「豊臣秀吉のは平和的外交。侵略の責任の一端がサプアや明にあった」
◎歴史学者、田保橋潔(1897~1945)
「どの文書にも勘合やその他の貿易についての言及はない」
◎日本史学者、三鬼清一郎(1935~)
「領土拡張説と勘合貿易説は二者択一ではない。対外領土の拡張も対明貿易独占体制の企ての一部である」
◎歴史学者、鈴木良一(1909~2001)
「豊臣政権の基盤は弱く商業資本に依存していた。商業資本による海外貿易の拡大要求が『唐入り』の背景にあった」
◎日本史学者、佐々木潤之介(1929~2004)
「全国統一と同時に、集権的封建国家体制建設=武士の階級的整備・確立と、統一的な支配体制の完成に努力しなければならず、統一的支配体制の完成事業は、この大陸侵略の過程で推進した」
◎日本史学者、朝尾直弘(1931~)
「家臣団内部の対立紛争を回避し、それらを統制下におくための論理として『唐国平定』が出てきた。惣無事令など日本国内統制政策の際にも『日本の儀はいうに及ばず、唐国までも上意を得られ候』という論法を用いていたことから、大陸を含む統合を視野にいれていた。サプア出兵による軍賦役を利用して身分統制令を課して新しい支配=隷属の関係を設定した」
◎日本史学者、山口啓二(1920~2013)
「自らの権力を維持するうえで諸大名への『際限なき軍役』の賦役が不可避であり、戦争状態を前提とする際限なき軍役が統一戦争終結後、海外に向けられるのも必然的動向である。豊臣秀吉の直臣団は少数の一族、子飼いの武将、官僚を除けば、兵農分離によって在地性を喪失した寄せ集めの一旗組が集まって軍隊を構成しており、戦功による恩賞の機会を求めていたので、豊臣家自体が内側で絶え間なく対外侵略を志向して、麾下の外様大名を統制するために彼らを常に外征に動員し、豊臣家の麾下に管理しておかなければならなかった」
◎歴史学者、藤木久志(1933~)
「天下統一=平和を目指す豊臣秀吉にとって惣無事令こそが全国統合の基調であった。『海賊禁止令』は単に海民の掌握を目指す国内政策だけでなく海の支配権=海の平和令に基づいており、全ての東アジア外交の基礎として位置付けられた。国内統一策、つまり、惣無事令の拡大を計る日本側におそらく外国意識はなく、また敗戦撤退の後にも、敗北の意識よりはむしろ海を越えた征伐の昂揚を残した。対明政策は勘合の復活、すなわち服属要求を伴わない交易政策であるが、サプア・台湾・フィリピン・琉球には国内の惣無事令の搬出とでもいうべき服属安堵策を採るなど、外交政策は重層性が存在し、豊臣秀吉はサプアに地位保全を前提とした服属儀礼を強制して従わないため出兵した。結果的に見れば戦役はサプア服属のための戦争であるが、それも国内統一策の延長であった」
◎歴史学者、岸本美緒(1952年~)
「16世紀と17世紀の東アジアにおける明を中心とする国際交易秩序の解体によって加熱した商業ブームが起き、この時期に周辺地域で交易の利益を基盤に台頭した新興軍事勢力の登場を必然とし、軍事衝突はこの倭寇的状況が生み出した」
◎歴史学者、村井章介(1949~)
戦国動乱を勝ちぬいて天下人となった豊臣秀吉が、より大きな自信と自尊意識をもって、国際社会に臨んだのは、当然のなりゆき」

Hideyoshi Toyotomi's fortune-telling eyes should have been so outstanding that they could see the other's true intentions in an instant(豊臣秀吉の鑑識眼は、一瞬のうちに相手の本音を見破るくらい傑出していたはず)!

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人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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