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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Japan, which has historically built an equal relationship with China historically, only needs to be close to China in order to deal with Korea, which continues to belong to China(中国とほぼ対等な関係を歴史的に構築してきた我が日本は、その中国の属国であり続けるサプアと対処するには、中国と親密になればいいだけ)!

⑥10世紀、「新羅」が衰退し、「後高句麗」と「後百済」との「三国時代」。
そして、「後高句麗」を継承した「高麗」が統一。
また、926年、「渤海」が、「契丹(遼)」に征服されたとか。
812年~906年、小規模な海賊による「新羅」の入寇(外国から攻め入ってくること)」。
997年~1001年、高麗海賊(?)による入寇。
1019年、「高麗(&傘下の女真族)」による「刀伊」の入寇。
1224年から、5回に渡って、「高麗」の金州(現・中国領)や巨済島などに、初めて倭人海賊が襲来。
いわゆる「倭寇」。
「高麗」は、大宰府に、海賊取締りを要請するも、日本は無視
やがて、元に攻められ、「高麗」は降伏し、元の保護国化。
1271年、珍島や済州島に逃げた「三別抄(高麗王朝軍事組織)」が、日本に救援を求めるも、日本は無視
1274年と1281年、元の軍勢(モンゴル人、南宋人、高麗人)が日本の九州北部を侵攻
いわゆる、「元寇」。
ちなみに、歴史的に日本を攻めたことは一度もないと平然とうそぶく茶髪大統領がいるキチガイの国では、現在でも、これを「麗蒙の日本征伐」とのたまわっているとも。
ともあれ、その「文永の役(1274年)」、「弘安の役(1281年)」の二度の蒙古襲来を、北条時宗の鎌倉幕府が勇猛果敢に撃退したというから、パチパチパチ。
どちらにしても、元と「高麗」のクソッタレどもの、対馬や壱岐での童女や童子への蛮行は許し難いものがあったとか。
⑧日本は、南北朝時代の動乱期で、1350年ごろから、「倭寇(庚寅倭寇)」が活発化。
それもこれも、「承久の乱(1221年)」で敗者を支持し厳しい立場となった西国武士団が海に活路を求めたのを始まりだとか。
どうあれ、倭寇襲来に脅える「高麗」、軍備が荒廃して満足に戦えず、倭人(投化倭人:投降する倭寇)を巨済島や南海県などに住まわせ、ときに食料を供給することで鎮撫しようとしたが、倭寇はそこを新たな出撃地としただけで海賊活動は止めなかったとか。
そのうち、逃亡した禾尺・才人といった高麗賤民なども倭寇に合流。
1375年、家臣団を連れて投降した倭人の藤経光を誘殺しようとして失敗し、逆に倭寇から「高麗」は激しい報復を受けたとか。
1380年、サプアで、「鎮浦大捷」と呼ばれる高麗水軍による倭寇500隻の撃退。
そして、海賊取締を要請したが日本の北朝に無視され、1389年、対馬に高麗軍を差し向ける「康応の外寇」を行ったとか。
⑨「高麗」が滅び、「李氏朝鮮」に代わると、太祖李成桂は日本に禁寇を要求。
1392年、南北朝合一を果たし動乱を治めたばかりの足利義満は、日本側として初めてこれに応じ今川了俊を倭寇取締に抜擢し、守護大名大内義弘に命じて倭寇を鎮圧。
⑩1402年、足利義満は、京都北山に明使の返礼を受け入れて、建文帝の「冊封」を受諾。
中国で「靖難の変」。
1404年、永楽帝は改めて足利義満を「日本国王」として「冊封」して金印を下賜。
以後1547年までの150年間で19回に及ぶ、遣明船(勘合船)が出されて、「勘合貿易」。
ところで、実質的には朝貢でしかない「冊封」、日本の場合、10年1貢という特異なもので、あくまで儀礼的。
それゆえ、4代将軍足利義持、1411年、冊封関係は断絶。
6代将軍足利義教、一時復活させるが、以後も途切れがちで、1551年、勘合貿易を独占していた大内氏の滅亡によって、日明関係はほぼ断絶
ここで、東仙坊、「冊封」について、少々。
「冊封」を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、中国皇帝と君臣関係を結ぶこととか。
これよって中国皇帝の形式的臣下となった君主の国のことを、「冊封国」と呼ぶとも。
だからといって、「冊封」関係を結んだからといって、そのまま中国の領土となったという意味ではないとか。
「冊封国」の君主の臣下たちは、あくまで君主の臣下であって、中国皇帝とはどこまでも無関係。
ただし、毎年の朝貢、中国の元号・暦を使用することなどが義務づけられ、中国から出兵を命令されることもあるが、その逆に、攻撃を受けた場合は中国に対して救援を求めることができるとか。
ようは、「冊封国」の義務は多くが理念的なものでしかなく、違約しても、中国王朝側もその他に実利的な理由がない限りは、これをわざわざ咎めるようなことをしないのが通例だったとか。
まあ、その根底にあるのが、勘違いハナハダシイ「華夷思想」。
世界を「文明」と「非文明」に分ける文明思想で、中国を文化の高い華(文明)であるとし、周辺部は礼を知らない夷狄(非文明)として、峻別すること。
実にオモシロいと思わないか?
中国はともあれ、なぜそんな「華夷思想」をサプアが持っているのか?と笑いたくならないか?

If we wish for peace in Asia, Japan and China should be mutually exclusive with the Korean peninsula(アジアの平和を願うなら、日中は、お互いに朝鮮半島と関わらないようにすればいいだけ)!

To be continued...
















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東仙坊 


人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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