腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?
※SHOHEI fatigueのために、up忘れ、sorry!!!
With regard to the Korean peninsula, it should be answered that becoming irrelevant with China becomes a national interest for each other(朝鮮半島に関しては、中国とともに無関係になることがお互いの国益になると答えを出すべき)!
東仙坊、サプアの歴史を改めて顧みて、最終結論に至ったことが、いくつか…。
◇サプアに国家としてのアイデンティティが欠如していることは、今に始まったことではなく、歴史的にあった試しが一度もないということ。
それもこれも、もともと隣の大国である中国にずっと従属せざるをえない環境にあるだけでなく、そのコミュニティの基盤がずっと漢民族であり、せいぜいそれに満州族とモンゴル族が混じった民族。
その意味でも、純粋なサプア民族など存在の痕跡、全くナシ。
あえて挙げておくなら、サプアのルーツとされている「新羅」の王族の3始祖、「朴」、「金」、「昔(ソク)」のうち、「昔」氏が、日本の但馬か丹後あたりの出身ということ。
また、遠い昔から我が日本とケミストリーができた仁那や百済の人々、とりわけ、百済王の子孫が帰化し下級官僚になりその娘を傍系である天智天皇の孫の側室にさせその子どもが天皇になったということ。
さらには、その「和」氏である桓武天皇の母、百済永継(藤原内麻呂の妻)を通じ、DNAが混じったということ。
実際、仏教や木綿などノ伝来は百済の人々のおかげ。
◇再三再四指摘してきたように、半島が持つ「吹溜り」としての独特の悲哀が、サプアにも明白にある。
逃れ者、イジけ者、はみ出し者、一攫千金を夢見る者などなど…。
とにかく、人を信じられない、人からの愛を受けたことのない、人のために自分を捧げたことのない、それゆえ、大きな徒党を組んだことのないジコチュウどもが自然に集まった場所。
そう、モラルと全く無縁なうえ、教養など全くなく読み書きすらできないヤカラどもばかりの世界。
そういうヤツらの共通の特徴は、何でも人のせいにすること、そして、必要以上に教養に弱いということ。
そのせいか、サプアからの我が国への最悪の贈り物が、女性蔑視と封建制のベースになる朱子学。
特に、女性をモノのように贈り合う習慣の伝来は、我が国の劣化に直結。
それにしても、サプアの女性を貢ぐこと、貢ぐこと、その数は昔からハンパじゃない。
どうあれ、宗主国の中国以上の中華思想や華夷思想や事大主義に基ずくサプアのデタラメ外交は、昔から。
その約束事など何とも思わない、目先の自分益を追うための朝令暮改どころか、時々刻々豹変ぶりは、まさに彼らの真髄。
それゆえ、我が国が昔からサプアと距離を取ったのも、極めて自然。
また、こんなデタラメな国に従ったり、負けたりする国もナシ。
事実、サプアは自分たちが勝手に下と見下していた蛮族(?)の満州族の従属国に長い間なったほど。
さらに、5世紀には、我が日本が朝鮮半島のほとんどを抑えていたはず。
雄略天皇が、明確に、「昔から我が祖先は、自ら甲冑をつけ山川を越え、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五五国、西は衆夷を服すること六六国、北の方の海を渡って平らげること九五国に及んでいます」とおっしゃられているはず。
どちらにしても、我が日本がサプアよりも下だったことどころか、対等であったことさえ一度もナシ。
では、なぜそんなサプアにいつまでも寛大な対応を取ってきたのか?
「盗人猛々しく」、「盗人にも三分の理」とばかりに平然とウソをつくサプアに、「盗人に追い銭」的に忍耐を重ねるのは、なぜ?
まるで書き言葉さえなかったサプアにハングルを創ってあげたように…。
我々はサプアのようなニセ兄弟ではなく、本物の兄弟である中国から、「宋襄之仁(ソウジョウノジン)」という言葉を学んだはずなのでは?
そう、不必要な情けや哀れみをかけたために、かえってヒドい目に遭うこと。
東仙坊、これでイヤでも考えざるをえないのが、明治以降の「日鮮同祖論」や「日鮮両民族同源論」や「日韓両言語同系論」。
そもそも、「宋襄之仁」とは、古代中国、春秋時代に宋の襄公が、敵国の楚と戦った泓水の戦いからきているはず。
紀元前638年、楚軍は宋を攻めようと泓水を渡り始めた。
宋軍も川のほとりまで迎撃に出た。
襄公の部下、目夷が、「楚軍が川を渡りきる前に攻撃しましょう」と進言するも、襄公は、「そんな卑怯なことはできん。敵の弱みにつけ込むのは君子ではない」と情けを見せ、敵が川を渡りきってから戦闘に入る。
結果、宋軍は大敗し、襄公自身も矢を受け、その傷がもとで2年後に世を去ることになったとか。
この故事が、「春秋左氏伝(シュンジュウサシデン)」にある「宋襄之仁」の由来のはず。
ようは、敵に対する情けを否定的な意味として伝えるもので、大陸的価値観では、襄公は無能で愚かな人物のはず。
ともあれ、この故事、現代でも、「ビジネスには機略も必要、宋襄之仁だけではいけません」といったカタチで使われているとか。
ちなみに、同じ中国の兵法書「孫子」で、「兵は拙速を尊ぶ」とか、「兵は詭道なり」と、とにかく勝てばいい、勝つために手段を選ばないのが戦いのセオリーと教えているとか。
どうだろう?
東仙坊、何度も何度も繰り返し指摘してきたが、サプアの扱いは中国に学ぶべきなのでは?
Why do we Japanese soon become generous to Koreans()?
To be continued...
With regard to the Korean peninsula, it should be answered that becoming irrelevant with China becomes a national interest for each other(朝鮮半島に関しては、中国とともに無関係になることがお互いの国益になると答えを出すべき)!
東仙坊、サプアの歴史を改めて顧みて、最終結論に至ったことが、いくつか…。
◇サプアに国家としてのアイデンティティが欠如していることは、今に始まったことではなく、歴史的にあった試しが一度もないということ。
それもこれも、もともと隣の大国である中国にずっと従属せざるをえない環境にあるだけでなく、そのコミュニティの基盤がずっと漢民族であり、せいぜいそれに満州族とモンゴル族が混じった民族。
その意味でも、純粋なサプア民族など存在の痕跡、全くナシ。
あえて挙げておくなら、サプアのルーツとされている「新羅」の王族の3始祖、「朴」、「金」、「昔(ソク)」のうち、「昔」氏が、日本の但馬か丹後あたりの出身ということ。
また、遠い昔から我が日本とケミストリーができた仁那や百済の人々、とりわけ、百済王の子孫が帰化し下級官僚になりその娘を傍系である天智天皇の孫の側室にさせその子どもが天皇になったということ。
さらには、その「和」氏である桓武天皇の母、百済永継(藤原内麻呂の妻)を通じ、DNAが混じったということ。
実際、仏教や木綿などノ伝来は百済の人々のおかげ。
◇再三再四指摘してきたように、半島が持つ「吹溜り」としての独特の悲哀が、サプアにも明白にある。
逃れ者、イジけ者、はみ出し者、一攫千金を夢見る者などなど…。
とにかく、人を信じられない、人からの愛を受けたことのない、人のために自分を捧げたことのない、それゆえ、大きな徒党を組んだことのないジコチュウどもが自然に集まった場所。
そう、モラルと全く無縁なうえ、教養など全くなく読み書きすらできないヤカラどもばかりの世界。
そういうヤツらの共通の特徴は、何でも人のせいにすること、そして、必要以上に教養に弱いということ。
そのせいか、サプアからの我が国への最悪の贈り物が、女性蔑視と封建制のベースになる朱子学。
特に、女性をモノのように贈り合う習慣の伝来は、我が国の劣化に直結。
それにしても、サプアの女性を貢ぐこと、貢ぐこと、その数は昔からハンパじゃない。
どうあれ、宗主国の中国以上の中華思想や華夷思想や事大主義に基ずくサプアのデタラメ外交は、昔から。
その約束事など何とも思わない、目先の自分益を追うための朝令暮改どころか、時々刻々豹変ぶりは、まさに彼らの真髄。
それゆえ、我が国が昔からサプアと距離を取ったのも、極めて自然。
また、こんなデタラメな国に従ったり、負けたりする国もナシ。
事実、サプアは自分たちが勝手に下と見下していた蛮族(?)の満州族の従属国に長い間なったほど。
さらに、5世紀には、我が日本が朝鮮半島のほとんどを抑えていたはず。
雄略天皇が、明確に、「昔から我が祖先は、自ら甲冑をつけ山川を越え、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五五国、西は衆夷を服すること六六国、北の方の海を渡って平らげること九五国に及んでいます」とおっしゃられているはず。
どちらにしても、我が日本がサプアよりも下だったことどころか、対等であったことさえ一度もナシ。
では、なぜそんなサプアにいつまでも寛大な対応を取ってきたのか?
「盗人猛々しく」、「盗人にも三分の理」とばかりに平然とウソをつくサプアに、「盗人に追い銭」的に忍耐を重ねるのは、なぜ?
まるで書き言葉さえなかったサプアにハングルを創ってあげたように…。
我々はサプアのようなニセ兄弟ではなく、本物の兄弟である中国から、「宋襄之仁(ソウジョウノジン)」という言葉を学んだはずなのでは?
そう、不必要な情けや哀れみをかけたために、かえってヒドい目に遭うこと。
東仙坊、これでイヤでも考えざるをえないのが、明治以降の「日鮮同祖論」や「日鮮両民族同源論」や「日韓両言語同系論」。
そもそも、「宋襄之仁」とは、古代中国、春秋時代に宋の襄公が、敵国の楚と戦った泓水の戦いからきているはず。
紀元前638年、楚軍は宋を攻めようと泓水を渡り始めた。
宋軍も川のほとりまで迎撃に出た。
襄公の部下、目夷が、「楚軍が川を渡りきる前に攻撃しましょう」と進言するも、襄公は、「そんな卑怯なことはできん。敵の弱みにつけ込むのは君子ではない」と情けを見せ、敵が川を渡りきってから戦闘に入る。
結果、宋軍は大敗し、襄公自身も矢を受け、その傷がもとで2年後に世を去ることになったとか。
この故事が、「春秋左氏伝(シュンジュウサシデン)」にある「宋襄之仁」の由来のはず。
ようは、敵に対する情けを否定的な意味として伝えるもので、大陸的価値観では、襄公は無能で愚かな人物のはず。
ともあれ、この故事、現代でも、「ビジネスには機略も必要、宋襄之仁だけではいけません」といったカタチで使われているとか。
ちなみに、同じ中国の兵法書「孫子」で、「兵は拙速を尊ぶ」とか、「兵は詭道なり」と、とにかく勝てばいい、勝つために手段を選ばないのが戦いのセオリーと教えているとか。
どうだろう?
東仙坊、何度も何度も繰り返し指摘してきたが、サプアの扱いは中国に学ぶべきなのでは?
Why do we Japanese soon become generous to Koreans()?
To be continued...