腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?
The cooperation of Koreans living in our country and enjoying life must be absolutely essential if we really wanna eradicate the anti-Japanese movement(反日運動の撲滅を本気で目指すなら、我が国に住んで人生を謳歌しているサプア人たちの協力が絶対不可欠)!
東仙坊、最終的に、サプアのストーカー気質丸出しのどこまでの執拗でエモーショナルな反日をストップさせるには、我が国の内にいるサプアになぜか媚びたり、おもねったりし続けるニセ日本人どもに改心してもらうしかないと結論している。
とりわけ、サプアとの二重国籍を持つ在日サプア人方々に、母国も好きだけど日本はもっと好き、だから、日本で暮らしたいと本気で思ってもらいたいと考えている。
それも、サプア人らしくどこまでもエモーショナルに、なぜ日本が好きなのかは理屈じゃない感覚的にそう感じてしまうからと思ってほしいと考えている。
そう、俗っぽくポピュラーにいいじゃん、日本が好きだから…それでって感じて…。
というのも、今さら、サプア人の方々に、歴史的に論理的に社会教養的に科学的に理解してほしいなんて言ったところで、何も変わらないからでもある。
その意味で、常軌を逸した意固地なおバカの茶髪大統領よりも、母親が済州島に出自を持つ大阪出身の在日サプア人で、幼少期から日本人専属料理人が作った寿司を好んで食べた、東京タワーに興味を持っていた、そして、スイスに留学し公立小中学校でドイツ語を学んだ、金ボンボンの方が、どこか期待できるとついつい思ってしまうのは、東仙坊だけではあるまい。
もっとも、茶髪大統領の娘も国士舘大に留学していたというから、ちょっと複雑だが…。
ともあれ、この狭い我が国に一体どれだけの本当はサプア人がいるのか?
東仙坊、改めてリサーチしたサプアの歴史によると、2600年前に成立していた我が国は、4000年前に成立していた大国の中国とほぼ互角の関係を築き、5世紀ごろまでには、国の体をなしていなかった未開の地サプアのほぼ半分を手中に収めていたとか。
それゆえ、そのころから、我が国に漢族人と一緒にサプア人が来日し始めたはず。
そして、それは我が国とどこかウマが合った仁那や百済との交流で自然増加し、それらが滅亡すると、難民として一気に増加したはず。
特に、百済王の子孫が帰化し下級官僚になりその娘を傍系である天智天皇の孫の側室にさせその子どもが天皇になったこと、さらに、その「和」氏である桓武天皇の母、百済永継(藤原内麻呂の妻)を通じ、DNAが一気に混じったということは確か。
実は、同じようなことが、戦後、1948年4月3日、「済州島四・三事件」でも起きている。
何でも、済州島で南朝鮮だけで選挙したことで南北分断に繋がると民衆が蜂起。
そのために、島民全人口の20%にあたる6万人が南朝鮮政府に虐殺され、島内の70%が焼き尽くされたとか。
また、1948年10月19日、「麗水・順天事件」が発生し、USA軍が、反乱軍のみならず暴徒8000人(???)を射殺。
これらの虐殺事件の際にも、済州島や全羅南道から、多くのサプア人が日本に不法入国し、在日サプア人化。
事実、1949年、吉田茂首相が、「在日サプア人は100万人ほどおり、その半数は不法入国で、日本で犯罪を犯す者も多く、日本の復興に全く貢献していないので、『日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われるサプア人』以外は、日本が費用を持つので母国たる朝鮮半島に帰還してほしいという『在日サプア人に対する措置(1949年)』文書」を国連軍司令官ダグラス・マッカーサーへ提出したとか。
さらに、1950年、「朝鮮戦争」の戦火で、数多くのサプア人が日本へ密航し、日本国内の混乱に乗じて「永住権(後の特別永住資格)」を半ば強奪。
その数は、1955年までに、1万2500人超になったとか。
これに関しては、1955年、小泉純也(小泉純一郎の実父、小泉進次郎の祖父)法務政務次官が、国会答弁しているとか。
「在日サプア人らは、母国に帰りたいという者が一人もいないと言える状態で、一方半島からは手段・方法を選ばず、命懸けでどんどん密航をしてきており、日本が彼らを強制送還をしようとしても、サプア政府はこれを受け入れないため、日本に入れっぱなし状態であり、朝鮮戦争で密航してきた者らを収容していた大村収容所も人員が一杯で、入国管理局だけでは手に負えない状況である」
どうだろう?
戦後の荒廃し切った我が国の方が、基本的に赤貧のサプアよりもよかったということなのでは?
では、どのくらいいたのか?
ほとんどが密航者なので精確には言えないようだが、1950年の報告では、終戦後、我が国に不法入国したサプア人の総延人員は約20万人~40万人と推定され、在日サプア人推定80万人の中の半分だったとか。
そして、その密航した彼らは「外国人登録証明」を暴力と買収で獲得し、それをそのまま強引に合法化させたとも。
また、ある統計によると、18万人近くがが戦後に日本に渡って「特別永住資格」を得たとも。
About 1700 years after the exchange between Japan and Korea started, how mixed are Korean people in our country(日本とサプアとの交流が始まって約1700年、一体我が国にサプア系の人々がどのくらい混じっているのか?想像すらつかない)?
To be continued...
東仙坊、最終的に、サプアのストーカー気質丸出しのどこまでの執拗でエモーショナルな反日をストップさせるには、我が国の内にいるサプアになぜか媚びたり、おもねったりし続けるニセ日本人どもに改心してもらうしかないと結論している。
とりわけ、サプアとの二重国籍を持つ在日サプア人方々に、母国も好きだけど日本はもっと好き、だから、日本で暮らしたいと本気で思ってもらいたいと考えている。
それも、サプア人らしくどこまでもエモーショナルに、なぜ日本が好きなのかは理屈じゃない感覚的にそう感じてしまうからと思ってほしいと考えている。
そう、俗っぽくポピュラーにいいじゃん、日本が好きだから…それでって感じて…。
というのも、今さら、サプア人の方々に、歴史的に論理的に社会教養的に科学的に理解してほしいなんて言ったところで、何も変わらないからでもある。
その意味で、常軌を逸した意固地なおバカの茶髪大統領よりも、母親が済州島に出自を持つ大阪出身の在日サプア人で、幼少期から日本人専属料理人が作った寿司を好んで食べた、東京タワーに興味を持っていた、そして、スイスに留学し公立小中学校でドイツ語を学んだ、金ボンボンの方が、どこか期待できるとついつい思ってしまうのは、東仙坊だけではあるまい。
もっとも、茶髪大統領の娘も国士舘大に留学していたというから、ちょっと複雑だが…。
ともあれ、この狭い我が国に一体どれだけの本当はサプア人がいるのか?
東仙坊、改めてリサーチしたサプアの歴史によると、2600年前に成立していた我が国は、4000年前に成立していた大国の中国とほぼ互角の関係を築き、5世紀ごろまでには、国の体をなしていなかった未開の地サプアのほぼ半分を手中に収めていたとか。
それゆえ、そのころから、我が国に漢族人と一緒にサプア人が来日し始めたはず。
そして、それは我が国とどこかウマが合った仁那や百済との交流で自然増加し、それらが滅亡すると、難民として一気に増加したはず。
特に、百済王の子孫が帰化し下級官僚になりその娘を傍系である天智天皇の孫の側室にさせその子どもが天皇になったこと、さらに、その「和」氏である桓武天皇の母、百済永継(藤原内麻呂の妻)を通じ、DNAが一気に混じったということは確か。
実は、同じようなことが、戦後、1948年4月3日、「済州島四・三事件」でも起きている。
何でも、済州島で南朝鮮だけで選挙したことで南北分断に繋がると民衆が蜂起。
そのために、島民全人口の20%にあたる6万人が南朝鮮政府に虐殺され、島内の70%が焼き尽くされたとか。
また、1948年10月19日、「麗水・順天事件」が発生し、USA軍が、反乱軍のみならず暴徒8000人(???)を射殺。
これらの虐殺事件の際にも、済州島や全羅南道から、多くのサプア人が日本に不法入国し、在日サプア人化。
事実、1949年、吉田茂首相が、「在日サプア人は100万人ほどおり、その半数は不法入国で、日本で犯罪を犯す者も多く、日本の復興に全く貢献していないので、『日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われるサプア人』以外は、日本が費用を持つので母国たる朝鮮半島に帰還してほしいという『在日サプア人に対する措置(1949年)』文書」を国連軍司令官ダグラス・マッカーサーへ提出したとか。
さらに、1950年、「朝鮮戦争」の戦火で、数多くのサプア人が日本へ密航し、日本国内の混乱に乗じて「永住権(後の特別永住資格)」を半ば強奪。
その数は、1955年までに、1万2500人超になったとか。
これに関しては、1955年、小泉純也(小泉純一郎の実父、小泉進次郎の祖父)法務政務次官が、国会答弁しているとか。
「在日サプア人らは、母国に帰りたいという者が一人もいないと言える状態で、一方半島からは手段・方法を選ばず、命懸けでどんどん密航をしてきており、日本が彼らを強制送還をしようとしても、サプア政府はこれを受け入れないため、日本に入れっぱなし状態であり、朝鮮戦争で密航してきた者らを収容していた大村収容所も人員が一杯で、入国管理局だけでは手に負えない状況である」
どうだろう?
戦後の荒廃し切った我が国の方が、基本的に赤貧のサプアよりもよかったということなのでは?
では、どのくらいいたのか?
ほとんどが密航者なので精確には言えないようだが、1950年の報告では、終戦後、我が国に不法入国したサプア人の総延人員は約20万人~40万人と推定され、在日サプア人推定80万人の中の半分だったとか。
そして、その密航した彼らは「外国人登録証明」を暴力と買収で獲得し、それをそのまま強引に合法化させたとも。
また、ある統計によると、18万人近くがが戦後に日本に渡って「特別永住資格」を得たとも。
About 1700 years after the exchange between Japan and Korea started, how mixed are Korean people in our country(日本とサプアとの交流が始まって約1700年、一体我が国にサプア系の人々がどのくらい混じっているのか?想像すらつかない)?
To be continued...