腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?
Can we trust a country that is flooded with political terrorist groups that could attack the Red Cross(赤十字を襲撃できる政治テロリスト集団が跋扈している国を信頼できるのか)?
東仙坊、そんな訴訟事案よりも深刻な問題だと思うのが、テロリストを称賛する異常な国家サプアらし過ぎる、1959年の「新潟日赤センター爆破未遂事件」。
何でも、1959年2月13日、サプアの「三・一独立運動」を支持しサプアを放棄せよと小日本主義を提唱していた石橋湛山内閣が、「在日サプア人の北帰還問題は基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」と閣議了解すると、サプアはマジ切れ。
さらに、1959年8月、カルカッタで、日朝赤十字社間の「帰還協定」が締結されると、1959年8月25日、在日サプア人たちを煽動し、「日本赤十字本社(?)」に乱入させたというから、完全にキチガイ。
1959年9月、サプア政府は、日本に戻ることなくサプアに帰還したままであった「在日義勇兵(在日サプア人サプア軍志願者)」たちに、在日サプア人の北への帰還事業を阻止するために日本に潜入して妨害工作活動を行えと命令。
そして、サプア民団にKCIAの工作員どもを偽装入会させ、政財界へたちまち浸透。
1959年12月4日、日本赤十字社と新潟港に通じる鉄道線路を破壊しようと、雷管を装填した4本組ダイナマイト3束の計12本とガソリン1ℓ缶4本を隠したウィスキー箱を持って集結したサプア人テロリストどもを新潟で一網打尽に逮捕し、日本赤十字社と新潟港に通じる鉄道線路への卑怯なテロを未然に阻止したというから、パチパチパチ。
どうだろう?
いくらそうでなくても不毛だった国土が内戦でさらに荒廃し世界最貧国になったからといって、卑劣極まりないテロを起こそうとするなんて、メチャクチャ信用できない国なのでは?
それも、サプア領事館の金永煥三等書記官が中心だったというから、正真正銘のテロ国家なのでは?
実際、サプア政府は、朝鮮戦争中、「保導連盟事件」や「居昌事件」などで、共産主義者との関係を疑われたサプア国民を裁判ナシで数十万人も虐殺しているというのでは?
本当にサプアにだけはあーだこーだ言われたくないと思わないか?
どちらにしても、このテロ計画で、イヤらしいサプア政府が、在日サプア人をいろいろな工作活動に利用することに味を占めたことだけは確実。
そして、中途半端な位置づけのまま、日本国籍を保持せず、日本国内で得意のイチャモンで勢力を拡大し続けた在日サプア人…。
それに、初めて、正式な位置づけがされたのが、1965年の「日韓基本条約」締結。
それにともない、「在日サプア人の法的地位(協定永住)」について定めた「日韓法的地位協定」締結により、在日サプア人に「協定永住」という在留資格が正式に認められたのである。
そう、「協定永住許可者」の誕生である。
ここで、「日韓基本条約」なる相互条約について、念のために触れておきたい。
お互いの国に残した財産はお互いに放棄するが、戦後もその国に住んでいる人たちの財産は例外としたはず。
ということは、在日サプア人の財産は保護されたはず。
さて、そこで気になるのが、この条約が、本来、サプアが日本に支払いをすべき条約であるべきだったはず。
なぜなら、日本がサプアに持っている財産や請求の方がはるかに多く、戦後もサプアに留まった日本人より日本に留まったサプア人の方がはるかに多かったはず。
どうだろう?
その意味では、メチャクチャ不平等条約だったと言えるのでは?
ともあれ、正式なポジションを獲得した在日サプア人は、本来のオオカミ気質剥き出しに、我が日本を気のイイ金を持ったヒツジと決め込んだに違いない。
せっかくサプア民団が、「日本語を使い、日本の風習に従う社会同化は義務」とアドバイスしてくれているのに、ことあるごとに、ゴネル、タカル、ユスル、パクルの「ル」尽くし。
実際、日本政府も、なぜか痒いところにまで手を届かせ、至れり尽くせりの大盤振る舞いのオモテナシ。
そして、少しでも、その濡れ手に粟のオモテナシがヤバくなると、たちまち、1977年、今度は、在日サプア民団(民団)主導で、「差別撤廃・権益擁護運動」や在日サプア人の参政権獲得運動を開始。
それでも、目が覚め始めた普通の日本人たちが、在日サプア人への「スペシャルサービス」に疑義を感じ始めると、親韓派だらけの我が国の議会、1991年11月1日施行の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」、いわゆる「入管特例法」を成立させ、巧妙に在日サプア人を保護。
そう、サプア人のみが対象となっていた「協定永住許可者」を、サプア籍、台湾籍の永住者も合わせて、「特別永住許可者」として、一本化。
そして、朝鮮半島や台湾から戦前・戦中に日本に移住、もしくは密航し、サンフランシスコ講和条約に基づき、日本国籍を失った人々に対して、在留の資格、または当該資格を有する者とし、その永住資格は2代目まで継承OKで、3代目以降については25年後に再協議していたのを3代目以降もOKと定めたのである。
それから、「外国人登録証明書」を廃止し、「特別永住者証明書」を交付したというのである。
また、「1991年日韓外相覚書」には、「地方自治体選挙権については、サプア政府より要望が表明された」と明記されたというのである。
I was impressed by the fact that there is a small group of Koreans in Korea, who must be majestically attacking the contractors(サプアに徴用工のウソを堂々と暴いている小さなサプア人集団がいることに感激)!
To be continued...
東仙坊、そんな訴訟事案よりも深刻な問題だと思うのが、テロリストを称賛する異常な国家サプアらし過ぎる、1959年の「新潟日赤センター爆破未遂事件」。
何でも、1959年2月13日、サプアの「三・一独立運動」を支持しサプアを放棄せよと小日本主義を提唱していた石橋湛山内閣が、「在日サプア人の北帰還問題は基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」と閣議了解すると、サプアはマジ切れ。
さらに、1959年8月、カルカッタで、日朝赤十字社間の「帰還協定」が締結されると、1959年8月25日、在日サプア人たちを煽動し、「日本赤十字本社(?)」に乱入させたというから、完全にキチガイ。
1959年9月、サプア政府は、日本に戻ることなくサプアに帰還したままであった「在日義勇兵(在日サプア人サプア軍志願者)」たちに、在日サプア人の北への帰還事業を阻止するために日本に潜入して妨害工作活動を行えと命令。
そして、サプア民団にKCIAの工作員どもを偽装入会させ、政財界へたちまち浸透。
1959年12月4日、日本赤十字社と新潟港に通じる鉄道線路を破壊しようと、雷管を装填した4本組ダイナマイト3束の計12本とガソリン1ℓ缶4本を隠したウィスキー箱を持って集結したサプア人テロリストどもを新潟で一網打尽に逮捕し、日本赤十字社と新潟港に通じる鉄道線路への卑怯なテロを未然に阻止したというから、パチパチパチ。
どうだろう?
いくらそうでなくても不毛だった国土が内戦でさらに荒廃し世界最貧国になったからといって、卑劣極まりないテロを起こそうとするなんて、メチャクチャ信用できない国なのでは?
それも、サプア領事館の金永煥三等書記官が中心だったというから、正真正銘のテロ国家なのでは?
実際、サプア政府は、朝鮮戦争中、「保導連盟事件」や「居昌事件」などで、共産主義者との関係を疑われたサプア国民を裁判ナシで数十万人も虐殺しているというのでは?
本当にサプアにだけはあーだこーだ言われたくないと思わないか?
どちらにしても、このテロ計画で、イヤらしいサプア政府が、在日サプア人をいろいろな工作活動に利用することに味を占めたことだけは確実。
そして、中途半端な位置づけのまま、日本国籍を保持せず、日本国内で得意のイチャモンで勢力を拡大し続けた在日サプア人…。
それに、初めて、正式な位置づけがされたのが、1965年の「日韓基本条約」締結。
それにともない、「在日サプア人の法的地位(協定永住)」について定めた「日韓法的地位協定」締結により、在日サプア人に「協定永住」という在留資格が正式に認められたのである。
そう、「協定永住許可者」の誕生である。
ここで、「日韓基本条約」なる相互条約について、念のために触れておきたい。
お互いの国に残した財産はお互いに放棄するが、戦後もその国に住んでいる人たちの財産は例外としたはず。
ということは、在日サプア人の財産は保護されたはず。
さて、そこで気になるのが、この条約が、本来、サプアが日本に支払いをすべき条約であるべきだったはず。
なぜなら、日本がサプアに持っている財産や請求の方がはるかに多く、戦後もサプアに留まった日本人より日本に留まったサプア人の方がはるかに多かったはず。
どうだろう?
その意味では、メチャクチャ不平等条約だったと言えるのでは?
ともあれ、正式なポジションを獲得した在日サプア人は、本来のオオカミ気質剥き出しに、我が日本を気のイイ金を持ったヒツジと決め込んだに違いない。
せっかくサプア民団が、「日本語を使い、日本の風習に従う社会同化は義務」とアドバイスしてくれているのに、ことあるごとに、ゴネル、タカル、ユスル、パクルの「ル」尽くし。
実際、日本政府も、なぜか痒いところにまで手を届かせ、至れり尽くせりの大盤振る舞いのオモテナシ。
そして、少しでも、その濡れ手に粟のオモテナシがヤバくなると、たちまち、1977年、今度は、在日サプア民団(民団)主導で、「差別撤廃・権益擁護運動」や在日サプア人の参政権獲得運動を開始。
それでも、目が覚め始めた普通の日本人たちが、在日サプア人への「スペシャルサービス」に疑義を感じ始めると、親韓派だらけの我が国の議会、1991年11月1日施行の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」、いわゆる「入管特例法」を成立させ、巧妙に在日サプア人を保護。
そう、サプア人のみが対象となっていた「協定永住許可者」を、サプア籍、台湾籍の永住者も合わせて、「特別永住許可者」として、一本化。
そして、朝鮮半島や台湾から戦前・戦中に日本に移住、もしくは密航し、サンフランシスコ講和条約に基づき、日本国籍を失った人々に対して、在留の資格、または当該資格を有する者とし、その永住資格は2代目まで継承OKで、3代目以降については25年後に再協議していたのを3代目以降もOKと定めたのである。
それから、「外国人登録証明書」を廃止し、「特別永住者証明書」を交付したというのである。
また、「1991年日韓外相覚書」には、「地方自治体選挙権については、サプア政府より要望が表明された」と明記されたというのである。
I was impressed by the fact that there is a small group of Koreans in Korea, who must be majestically attacking the contractors(サプアに徴用工のウソを堂々と暴いている小さなサプア人集団がいることに感激)!
To be continued...