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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?


Where did you come up with the Korean idea of being able to live in a country richer than your homeland, but that remorse defeats the laws of that country and makes it easy to kill people(せっかく祖国よりも豊かな国で生活できる身分になれたのに、その恨みからその国の法を破り人殺しを簡単にしてしまうサプア的発想はどこから生まれるのか)?

1908年3月22日、4人のサプア系USA人テロリストどもは、そのダーハム・ホワイト・スティーブンスに詰め寄り、流暢な英語を話すリーダーのアール・リーがホテルで2つの質問をした。
「新聞の声明は本当に自分自身によるものなのか? 」
「日本人はサプア人を抹殺しようとしてはいないのか? 」
すると、USA人の彼は、その2つの質問を肯定したうえで、「サプアから遠すぎるのでサプア政府の正確な状況がわからないのだろう」と言ったとか。
それに、逆上した4人(???)は、椅子で彼を殴り倒したとか。
すると、大理石の床に頭を打ちつけた彼が大騒ぎをしたので、4人は、「コイツにこれ以上何もできないのが非常に残念だ」と逃げたとか。
それが、大したケガを負わなかった彼を安心させたのか、翌日の1908年3月23日、彼がワシントンD.C.行きへの乗船準備をしていると、田明雲と張仁煥の2人がいきなり接近。
そして、アジア人の銃所有を阻止する法律の抜け道を利用しルームメイトから銃を購入していた田明雲が、ハンカチで包んだ回転式拳銃で彼を撃とうとするも失敗。
そこで、駆け寄って銃を鈍器代わりに彼の顔を殴るが、彼が反撃。
すると、その格闘の様子を見ていた張仁煥がやみくもに発砲。
1発目が田明雲に当たり、残りの2発が彼の背に当たったとか。
ともあれ、張仁煥と田明雲の2人のサプア系USA人テロリストは、その場で集まった群衆に取り押さえられ、私刑にしろ!と大騒ぎになったとか。
それを何とか彼がなだめ、張仁煥は警察に殺人罪で逮捕され、保釈ナシで留置され、田明雲は彼とともに病院に搬送されたとか。
そうしたら、重症と思えなかった彼は、「明らかに学生扇動者の小さな集団がサンフランシスコの内部およびその周辺で活動している。彼らは日本人がサプアを保護領にしている事実に憤慨しており、サプアのこの現状は私にいくらかの責任があると思い込んでいる」と病院で述べていたのに、1908年3月25日、容体が急変し、死亡。
そのために、田明雲も幇助犯として逮捕されたとか。
その陳述書には、「USA人として正義のために動くと彼に期待していたのに(?)、サプア人の信頼は裏切られた。日本の支配下にあるサプア人の状態を彼が偽ったことへの怒りを表現するためには死も厭わない」と書かれていたとか。
どうあれ、2人のサプア系USA人テロリストは、彼の暗殺について一切謝罪せず、「彼の計画によって数千人が死に追いやられた(??)」とどこまでもサプア人らしく大ウソ。
そ、そ、そうしたら、サプア独立運動組織「大同保国会」とベイエリアのサプア系USA人団体「共立協会」に、サプア籍のままUSAにいる、いわゆる「僑民」どもがサプア人らしく現金を集め合って協力、3人の弁護士をコヤツらのために雇用。
そのうちの1人ネイサン・コフランは、最終的にこの件を「プロボノ(無償弁護)」にされたというから、さすが(?)。
もっとも、このとき、通訳を李承晩に要請したところ、クリスチャンであるから殺人犯の弁護はできないと断わったというから、こちらもさすが。
サプア人らしく地獄の沙汰も金次第ということなのでは?
ともあれ、そのネイサン・コフラン、アルトゥル・ショーペンハウアーの「patriotic insanity(愛国的な狂気)」の理論を用い、心神喪失により無罪だと主張したというから、何をかいわんや。
そのせいか、田明雲は、1908年6月、無罪放免。
ちなみに、このキチガイ、ウラジオストクへしばらく移住してから、サンフランシスコに帰還し、マック・フィールズと改名し、1920年結婚、帰化。
ロサンゼルスでランドリーを経営し、1947年、心臓病のためにロサンゼルスで死去。
そして、1962年、サプア国家報勲処より、「建国勲章大統領章」を授与。
2009年になってすら、サプアのマスメディアは、「ダーハム・ホワイト・スティーブンスは日本の役人よりも親日的だった。張仁煥と田明雲は義士であり2人による暗殺は正当な理由で行われた義挙だ」と報道。
そう、歴然とした暗殺者を、こうして英雄にしてしまうのだから、開いた口が塞がらないのでは?
そうして、暗殺事件の単独犯になった張仁煥の裁判、本来、1908年7月27日、サンフランシスコの上級裁判所で始まる予定だったのに、裁判当日、裁判長キャロル・クックが判事室でネイサン・コフラン並びにサプア系団体の数人と会談した結果、なぜか裁判は1ヵ月遅延。
1908年2月23日、陪審員は、張仁煥に第2級謀殺の罪で有罪判決。
張仁煥自身、「刑務所に収監されるよりも死刑を望む」と主張したが、サン・クエンティン州立刑務所での懲役25年が確定。
と、と、ところが、…。

Why does a multi-ethnic USA like a rude upper son than a polite lower one(多民族国家のUSAは、なぜ礼儀正しい下の息子よりも無礼な上の息子の方が好きなのか)?

To be continued...


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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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