腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?
Is the anomaly of the Korean who says that it is all right if it is jealousy(怨恨なら何をしてもいいと言い切るサプア人の異常さは、やはり特殊なのでは)?
サプア系USA人テロリストの張仁煥なるクソッタレ、なぜか1919年、わずか10年服役しただけで釈放 。
そして、1930年、サンフランシスコで自殺。
1962年、サプア国家報勲処より「建国勲章」を授与。
1975年、朴正煕大統領は、独立運動家や歴代大統領が埋葬されている国立ソウル顕忠院に張仁煥を改葬するよう命令。
どうだろう?
暗殺者は暗殺者で、李承晩さえ明言したように殺人犯なのでは?
それを英雄として称賛する国って、本当に異常なのでは?
イェール大学教授ジョージ・トランブル・ラッドが、「この襲撃は卑劣で驚くほど残忍だ。サプア人は『bloody race(血塗られた人種)』だ」と非難しているのでは?
サプア最初のプロテスタント宣教師ジョージ・ヒーバー・ジョーンズも、「サプアにおいて政治的暗殺は孤立した出来事ではなく全く奇異ではないのだ。この暗殺事件からサプア人の性格とサプアの自治方法を正確に評価するうえで有益な教訓を得られる」と結論しているのでは?
どちらにしても、「サプアに李完用などの忠臣がいて、伊藤博文のような統監がいるのは大きな幸福だ」と言っただけのUSA人を卑怯に暗殺したサプア系USA人テロリストを、「国民はこの人物のように自国を愛すべきだ」と礼賛したUSAの新聞は、サプア系USA人どもから一体いくらもらっていたのか?
確かに、USAにも同じ暗殺の歴史がいっぱいあるから責めにくかったのか?
このサプア系USA人テロリストの張仁煥なるクソッタレ、カリフォルニアの監獄で服役中だったとき、「大同公報」に、 「怨恨が骨髓に染み込むと法に背くことでも躊躇なく行うものだ、国家の公敵や盗賊への対応に公法が入り込む余地はない」と言い切っていたのでは?つまり、USAも、現実的にはサプアのように法治国家ではないということなのか?
だから、なぜかウマが合うのか?
その意味での甘やかしこそが、愚兄の発育を遅くしているのでは?
ともあれ、そんな移民(?)であるサプア人どもに、躊躇いなくジコチュウ剥き出しに暗殺を実行されてしまうノーテンキな新しい自国はイイ面の皮なのでは?
USAでこれなのだから、その何百倍も甘い日本では、やりたい放題し放題。
実は、東仙坊、この日本でのテロ好きサプア人の本質こそが、現代の我が国の不可解な犯罪の根源、温床になっているとかねてから確信している。
それゆえ、最近発生している摩訶不思議な残忍な犯罪の数々までが、その見地から見ると、かなりクリアな一本の糸で繋がっていることがわかるから、ビックリ。
○1851年忠清南道公州生まれの明治維新後の日本に学び日本の協力を得ながら自主独立の国を目指そうというサプア独立党(開明派)指導者、金玉均(岩田秋作)なるお方がいたとか。
サプアの近代化を目指し日本や中国と同盟し3国でアジアの衰運を挽回すべきだという「三和主義」を提唱。
福澤諭吉のサポートを受け、来日し慶應義塾や興亜会に寄食し、サプアで初めての新聞「漢城旬報」発行に邁進。
1884年12月4日、宗主国の清がベトナムを巡ってフランスと清仏戦争を開始したのに乗じ、竹添進一郎日本公使のヘルプを得て、親清派勢力である守旧派「事大党」の一掃と閔氏政権打倒を謀りクーデター。
王宮を占領し、首相に興宣大院君の従弟、李載元、副首相に洪英植、前後営使兼左補将に朴泳孝、左右営使兼代理外務督弁右補将に徐光範、戸曹参判財政担当として金玉均の新政権成立を宣言。
いわゆる「甲申事変」。
というのも、1876年、「日朝修好条規」締結によってサプアを開国に踏み切らせ、日本は大喜びしていると、1882年、「壬午軍乱」が発生。
そう、高宗の実父である興宣大院君らの煽動を受けた、閔氏政権および日本に対する大規模なサプア人兵士の反乱。
まあ、実態は給料の遅配などが主因なのだが、テロ好きの国民性もあってたちまち日本公使館を襲撃し、日本人軍事顧問や日本公使館員らを殺害する暴動に発展。
閔妃は王宮を脱出し辛うじて難を逃れたとか。
当然のごとく怒った日本は軍隊を派遣するも、呉長慶や丁汝昌らを中心とする清の大軍が反乱の首謀者で国王の父興宣大院君を拉致して中国の天津に連行したことでまたたくまに収束。
復活した高宗と閔氏の政権は、事大主義的な姿勢を強め、再び清の子飼い。
そして、「中朝商民水陸貿易章程」によって、「日朝修好条規」規定は空洞化、サプア政府に対する日本の政治的影響力はその分、減退。
ともあれ、「壬午軍乱」の日朝間で締結した「済物浦条約」規定によって、1882年10月、謝罪使として朴泳孝が特命全権大使(そう、すでに書き込んだ日本に向かう船上で現在のサプア国旗である太極旗のデザインを考案した方)として、金玉均が書記官として、来日し、賠償金の支払い交渉。
現在のように優柔不断な日本政府、山県有朋らの積極的関与論と井上馨らの不干渉論が交錯した結果、積極的援助を避けながらも限定的にサプア独立を支援するという曖昧模糊な折衷案から、賠償金支払いを「済物浦条約」で規定された5年間から10年間へと年限を緩和したうえ、横浜正金銀行から17万円の借款を供与。
そんななか、今まで「衛正斥邪」を掲げる攘夷主義者と対峙してきた開化派が、清国重視のグループと日本との連携を強化しようとするグループに分裂。
それらのことからか、せっかくの「甲申事変」のクーデターも、清国軍の介入によってたった3日で失敗。
Because Koreans' relentlessness is creepy, it may be that both the USA and the Japanese look and miss(サプア人の執拗さが不気味だから、USA人も日本人も見て見ぬフリをするのかも)!
To be continued...