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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

日本砂漠化プロファイリング どうなってるんだ?日本の母!

Oh my God! Oh my gosh! Oh my goodness(な、な、な、なんてことなんだ)!

いくら子殺しがブームのようになってしまったからといって、こんなにむごい殺し方が世の中にあるなんて、東仙坊、ただただ唖然呆然、絶句させられた。
確かに世の中、箍が緩みきり、モラルが喪失し、壊れてしまったことは、東仙坊も否定しない。
それにしたって、こんなに酷い殺し方は前代未聞でしかない。
1月29日午後2時30分過ぎ、神奈川県藤沢市の11階建てマンションの最上階から、間違いなく生きていたままのはずの長男(6歳)と二男(3歳)を投げ落とし、その後で33歳の母親が飛び降り自殺した子殺し事件が起きた。
現場となったマンションは、横浜市営地下鉄湘南台駅の北東約300mの中心街にあり、オートロックではなく、誰もが自由に出入りできたという。
その11階の通路には、高さ約1.1mの手すりがあり、そのそばには母親のダウンジャケットと免許証の入ったバッグが残されていたが、遺書などは見つからなかったという。
その光景を偶然目撃した、付近でビルの外装工事をしていた作業員の119番通報で事件が明るみになった。
当日、その母親は二男とともに実家に立ち寄り、祖母と話した後、長男を幼稚園に迎えに行き、休日によく行っていたプラネタリウムのある「湘南文化センター」近くの現場マンションに向かったようである。
東仙坊、この母親が、どんな病気を持っていようが、キチガイだろうが、バカだろうが、鬼畜だろうが、そんなことはどうでもよい。
その投げ落とされた2人の男の子の気持を考えるから、発狂しそうなくらい胸が痛む。
おそらく、2人ともその「湘南文化センター」にまた行けると思って、胸を弾ませていたに違いない。
それが、突然わけのわからないほど高い場所から、自分の母親に、投げ落とされた瞬間、何を思った?何を感じた?どんな気持で母親を見つめたのか?どんな阿鼻叫喚の声を上げたのか?
「やめて!ママ!!」
「何するの!ママ!!」
「怖いよ!ママ!!」
少なくとも、絶対に「ママ、ありがとう」とは言わなかったはず。
そして、その気の遠くなるような高い所から落ちながらの断末魔に、何を思った?何を感じた?
どんな風に自分の母親を思った?
「ひどいよ!」
「どうして?」
「たすけて!ママ!おねがい!!」
東仙坊、お願いだから「ママを許さない!」と言っていて欲しいと思うが、おそらく「ママー!」と叫んだに違いないと思う。
なぜなら、御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故で、不運にも亡くなってしまった520人の乗客のほとんどの人が、その断末魔で、老若男女を問わず「お母さん!」「ママ!」と叫んだくらいなのだから。
どうあれ、この事件を、結果として単なる無理心中として片付けてしまっては絶対にいけない。
このなんともやり切れない風潮に歯止めをかけるためにも、この惨殺事件を肝に銘じなくてはいけない。
にもかかわらず、マスコミはそのあまりの痛ましさに目を背けたのか「ハンドボール」や相変わらずの恥知らずのassholeどもが繰り広げる「つなぎ法案」に終始している。
あまりにも能天気すぎないか?あまりにも無責任すぎないか?

東仙坊、もう一度言う。
「母」という字は、「女」の字に母親の乳房を意味する2つの点を加えてできていて、「子を生んだ母はお乳を飲ませて育てるのが仕事」ということを表現している。
それは、例えどんなことが起こっても、母は揺るがぬ確固たる実在として、子どもを絶えず守るのが当然の義務であり、母になるということは、命を懸けて子どもを育てる責任を覚悟するということなのである。
そのためにも、いつも「母は強し」でなければならないし、子どもにとって「母は大地」でなければならない。
それゆえ、母が子どもを抱いて大地に投げ落としたりするなんて、言語道断の非人間的行為でしかないと言えるのである。
子どもにとって、大地に生きることこそ、母の抱擁こそが、最高の至福。
そもそも、我々human being(人類)がこうして生き残って来られたのは、そのように母が強かったからと言っても過言ではないのである。
人類創世以来、母の長くて強い髪は、何かが起きたとき、とっさに子どもが掴むためのものでしかない。
その意味からしても、昨今、子を抱く若い母が自分の髪を触られることを嫌がる様子を見ていて、そんな雰囲気が簡単な子殺しに繋がるのではと憂慮するのは、東仙坊だけなのだろうか?

Mother, your baby is not your own, that is, you couldn’t possess your baby(世の母たちよ、子どもはあなたの所有物ではない)!

ともあれ、東仙坊、流行りの子殺しは、母が自分の子どもを自分の所有物と考えているからではないかと思うのだが?どうだろう?
ほんとうに愛の結晶として生んだとしても、子ども自体は、生まれた瞬間から65億分の1のパーソナリティを持つ人間だという意識すら持っていないせいではないのか?
ちょっと子どもを産んでみたいとか、そろそろ産んでおかないととか、仕方ないできちゃったからとかなどで、子どもを育て上げることなど絶対にできないと思わないか?
単なるエモーショナルな母性愛なんかだけではもっと難しいと思わないか?
どちらにしても、東仙坊、子どもが自分の所有物ではないということだけは日本中の母に自覚してもらいたい。
子どもを育て上げるには、無償で愛を注ぐ必要がある。
母の愛こそ、究極の愛ともいえるもの。
アベル・ボナールが「恋愛論」愛の3段階で説いているように、自分の感情を相手にぶつけるのは第1段階、その相手の感情を気にするのは第2段階、第3段階はそれらの感情を超越し相手のことのみを考える究極の愛のことだという(東仙坊、かなり昔に読んだので間違っていたらゴメン!詳しくは自分で読んで)。
東仙坊が危惧する子殺しに歯止めをかけるためにも、日本中の母にこのことをもう一度再認識してもらいたい。

Mother, you have a no right to kill your own baby absolutely even though it is true (ほんとうに自分の子だとしても殺す権利なんかない)!


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東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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