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甘ちゃんアマチュア探偵団

情報化が模倣犯罪、劇場型犯罪を助長しているなら、犯罪抑止、犯罪摘発も、精度の高い情報がすべて。このブログは、人間通を自負するコピーライター東仙坊が迅速な犯人検挙のために、人間的プロファイリングをするものである。

腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?

Why could workers who have just responded to the “Recruitment” be a forced-to-go free-of-charge contractor(「募集」に応じただけの労務者たちが、なぜ強制連行された無償の徴用工どもになれるのか)?

東仙坊、人間としての自分の尊厳を守るためにどう生きるべきか?という岐路に立たされたのが、幼少時代の自分の探偵名にした「通せんぼ」するイジメ子どもとの戦いだった。
いったん戻って改めてヤツらのいなくなったころを見計らって通るか?
それとも、誰か大人の助けを借りてやや後ろめたくても無事に乗り切るか?
それとも、お願いだからイジワルしないでと懇願しながら無様に通り過ぎられたらとトライするか?
それとも、何も悪いことはしていないのだから向こうも何もしてこないかもと勇気を振り絞って歩き抜けようとするか?
そして、カラダで学んだことは、どんなイヤガラセをされてもグッとガマンしていれば何とか切り抜けられるということ、それから、「通せんぼ」するヤツらのことを親や先生などに言いつけないということ。
それが、ヤツらと何とか渡り合えるようになる唯一無二の方法だった。
実際、それらによって、その手の悪ガキどもとなんとかそれなりのコミュニケーションできるようになったのも事実。
そして、そのトライ&エラーの経験は、その後の人生で大きな糧にもなった。
学生証を掲げて学生時代を満喫していたある日、街をちょっとボールドな格好をしたガールフレンドと歩いていたら、かなりヤバそうな3人組に囲まれた。
すると、次の瞬間、そばに停まっていた大きな車の中からドスの利いた声がした。
「オレのダチに手を出すんじゃねぇ!」
顔はよく見えなかったが、東仙坊、アイツだ、通せんぼだと内心確信していた。
さて、その意味でも、すぐさま、育ての親に言いつけに行った愚兄は、心底、最低。
いっそのこと、国交断絶すると単刀直入に宣言すべきときなのでは?
ところで、徴用工についても、サプアの作為的おバカマスメディア同様、なぜかあまり言及しない我が国のマスメディアどものせいで、ほとんどの普通の我が国の国民はおバカなサプア国民同様よく知らないのが、現状なのでは?
何しろ、歴史の誇張や歪曲、捏造はサプア人のエセ知識人どもの十八番。
戦時労務動員を、「強制連行」や「奴隷労働」と勝手に決めつけるのも、またソヤツらの常套手段。
何が何でも、日本より上でありたいらしいが、一体それが何?
そもそも、我が日本がよく働かないサプア人にまで動員をかけたのは、総力戦の状況での不足する軍備品の増産が目的。そのために、戦時下の貨幣増刷と戦時産業に対する支援により潤沢な資金を捻出し、増産に次ぐ増産の毎日。
そ、そ、そんな状況のときに、生産能率と関係なくサプア人を差別する意味など全くなかったはず。
にもかかわらず、世界一残酷な日本のこと、とことんサプア人を奴隷にしたに決まっているという思い込みで空騒ぎしているのが、現実なのでは?
そこで、ほんの少しだけ徴用工について検証してみたい。
◎サプアで2001年出版された「私の経験した解放と分断(趙文紀/サプア精神文化研究院/図書出版先人)」
自分は日本に連れて行かれたのではなく、志願して仕事をしてきたのに、現在のサプアでは全部「連れていかれた徴用」と表現されてしまうと溜息をつく、ある老人の証言
──この話からお願いします、1942年度でしたか? 徴用で行かれたんですよね?
「徴用ではないです。ほとんどの記録が徴用でしょっぴかれたかのように書かれているものが多いですけど、徴用ではなく、徴用という話がなぜ出たかというと、行くときには軍需工場に行ったんです。募集があって行ったんですよ。会社から募集があって、この国の就業紹介所で。ソウルで募集がありました。応募したら合格しました。倍率は12対1だったか、物凄くキビしかったよ。実は、私は資格という面で見たら、そこに応募する資格もなかったんですよ。年齢もそうだし、学歴もそうだし、上手く誤魔化して、その募集官という人の前で芝居をして何とか入れてもらったんですが、そこに行って、現地で行った翌年に戦争が激しくなって、軍需工場だから、そこの全従業員を、日本の人だろうがサプア人だろうが、そこはそのとき、サプア人が何千人もいました。みんなが現員徴用(一般募集により配置され働いていた人の身分だけを徴用者に転換する制度)だといって、それで現地で働いている、その状態のまま徴用ということになってしまったんです。徴用でしょっぴかれたのではなく、従業員たちは、日本が定めた法によって、まあ、身分が一日にして徴用者に変わってしまったということです。記録上、それで徴用でしょっぴかれたみたいになっているんだよ」
◎2005年、李基淳(1919年生)「在日一世(李朋彦/リトルモア)」
サプア人徴用労働者「通訳」として日本に渡ったサプア人。学校教師の月給が45円だった時代、通訳として日本へ行けば70円貰えたために日本行きを決心。彼は、現在、日本で裕福な老年を送っているとか。
「自分は日本語ができたので通訳として行ったから苦労はしなかったし、戦争が終わったときには残念だという思いがあった。住友炭鉱は、まだ待遇がよかった。三菱の山(炭鉱)は、キツいと噂されていた。住友炭鉱で日曜日になると、同胞が故郷に送る手紙の代筆をして忙しかったよ。だいたい、ワシは日本にきてから苦労してない。言葉を知っとるけん。言葉を知らん人は、みんな苦労しとった。住友炭鉱で働きだして5年経ったころ、日本が戦争に負けた。戦争が早く終わったんで、本当は悔しかった。住友が大事にしてくれたから。500人のサプア人坑夫のほとんどが故郷へと帰っていったが、自分は日本に残った」
どうだろう?
徴用工など元慰安婦以上にデタラメなのでは?

Children who used to lie could tell their parents immediately(ウソをよくつく子どもはすぐ親に言いつけるもの)!

To be continued...
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東仙坊 

東仙坊 tohsenboh.jp
コピーライター歴三十有余年。人間通の東仙坊が、人間の弱気と恥ずかしい業が生む、情けなくてみっともない犯行を、徹底的に追及、究明。

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