腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?
I conclude that although it looks sock, the contents must be completely different, and it has nothing to do with Korea in the future(見かけはソックリなのに中身は全く違う、サプアとは未来永劫関わらないことだと結論せざるをえない)!
東仙坊、完全に異常としか言いようのないサプアの反日、日本への止まることを知らない「恨」、その由来が、豊臣秀吉にあると指摘し、ようやく今回のテーマのエンディングにしたいと思う。
ああ、本当に、本当にウンザリするほど長かった…。
サプアのことで、たった一度の我が人生を終らせるワケには絶対にいかない…。
とりわけ、茶髪大統領の顔を残りの人生で二度と思い浮かべたくない…。
とにかく、このキチガイがのさばるサプアとは、なおさら今まで以上に距離を置くべき。
ただし、コヤツのおかげで、そのサプアの根深い「恨」のバックグランドが、豊臣秀吉の存在にあるということが判明したことも事実。
そう、朝鮮日報元記者李圭泰が、「サプア人の情緒構造(新潮選書:1995年)」で指摘した、「サプア人の『恨』を構造的に調べてみると、怨念以外の被害者意識が絡んでいる」、「歴代政権の対日政策には、植民地支配で苦しめられた日本に対してはどんな報復も許されるといった考えがあるが、それがまさに『恨』」の「恨」のキッカケ。
特に、我が国から思いも寄らぬ高飛車な(?)輸出管理の見直しの通告を受け、完全に頭に血が上ってからは、コヤツは「恨」剥き出しの本音トークばかり。
「二度と日本には負けない(???)」
「今度こそは日本に勝ってやる(???)」
着目すべきは、7月30日、コヤツの、大統領の休養地の南部の島を訪れたときの、「このあたりの海は、『壬辰倭乱(豊臣秀吉がサプアに出兵した文禄・慶長の役)』で李舜臣将軍が緒戦で勝利を収めた場所だ(?)」、「この食堂の名前は、李舜臣将軍が考案して日本を撃退した亀甲船と同じだ(?)」、「『壬辰倭乱』で日本が最も欲しがったのは陶工だった(?)。日本にはサプアの未来の成長を妨げる意図がある。当時も今も日本はサプアの技術を狙っている(?)」の言葉。
で、で、では、日本といつ戦い負けたのか?
1274年、最初の元寇(文永の役)のこと?
確かに、「元」軍とその属国だった高麗軍による対日侵攻。
何しろ、高麗軍だけで8千人、1万5千人の「元」軍本隊副司令官も高麗人だったとか。
1281年、2度目の元寇(弘安の役)の元・高麗連合艦隊は、当時、世界最大規模の艦隊だったとも。
どうあれ、2回とも最終的にスゴスゴと敗退したはず。
そして、これは自分たちから仕かけた戦いだったはず。
その意味で、サプア的に許し難いのは、豊臣秀吉が西国の大名を集め、日本の方から朝鮮半島へ出兵してきたことなのでは?
そう、「壬辰倭乱」、すなわち「文禄・慶長の役(1592~1598)」。
しかも、茶髪大統領が、今、サプアを北と一緒になって自分が戻そうと夢見ている「李氏朝鮮」が滅亡しそうになってしまったのである。
また、それを救ってくれた「明」が、これらの戦役で経済が衰退し、「清」に滅ぼされることになったのである。
その際、満州族の「清」を北方の蛮族と見下し、「清」の出兵命令を無視し、「明」についたサプア、1636年、「清」の軍勢に攻められ(丙子の乱)、わずか45日で全面降伏する屈辱を味わったのである。
さらに、その降伏の条約、交渉場所の名にちなんだ「三田渡の盟約」の内容は、プライドだけは勝手に高かったサプアにとって、ワナワナ地団駄を踏むものだったのである。
「サプアは『清』に臣下の礼を尽くすこと」などから、サプア王長男を人質として差し出すなど、とことん愚弄されたもの。
それだけじゃない。
中国の官吏がサプアを訪れる際は、サプアの王が国境で出迎え、起立状態から土下座して額を地面に三回打ち付けて立ち上がる、これを三度繰り返させる「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」を義務とする、コトあるごとに属国であることを思い知らせる内容。
それゆえ、いつもの人のせいにする性格丸出しに、何もかも豊臣秀吉のせいだ、日本のせいだと逆恨み。
そうでなくても、もともと、万物をつなぐ「天理」としての「上下秩序」の見地から、朝鮮半島の小中華であるサプア、自分たちは「南蛮」の「倭奴」である日本よりも「格上」と勝手に決めつけていたから、本来、「格下」の日本にこんな目に遭わされるなんて許し難いコト。
なぜなら、「格下」日本が、「格上」サプアに刃向かうことなど合ってはならないコト。
とりわけ、「夷狄」である「清」成立で本家の中国が「華」ではなくなってしまったから、自らこそが中華の「礼」を体現する唯一「華」の存在という「上下秩序」意識に凝り固まっていたサプアが、自分たちに楯突いてくる日本にガマンできるはずもナシ。
どうだろう?
このへんの真実が、全くリアリティの欠如するサプア人独特のただただエモーショナルでしかない「恨」の心理を沈殿させていったと思わないか?
It must be time for us Japanese to say “Goodbye” after saying “You are great. We couldn't win” to Korea(我々日本人は、サプアに、「キミたちは偉大だ。我々は勝てない」と言ってから、「さようなら」と言うべきとき)!
To be continued...
東仙坊、完全に異常としか言いようのないサプアの反日、日本への止まることを知らない「恨」、その由来が、豊臣秀吉にあると指摘し、ようやく今回のテーマのエンディングにしたいと思う。
ああ、本当に、本当にウンザリするほど長かった…。
サプアのことで、たった一度の我が人生を終らせるワケには絶対にいかない…。
とりわけ、茶髪大統領の顔を残りの人生で二度と思い浮かべたくない…。
とにかく、このキチガイがのさばるサプアとは、なおさら今まで以上に距離を置くべき。
ただし、コヤツのおかげで、そのサプアの根深い「恨」のバックグランドが、豊臣秀吉の存在にあるということが判明したことも事実。
そう、朝鮮日報元記者李圭泰が、「サプア人の情緒構造(新潮選書:1995年)」で指摘した、「サプア人の『恨』を構造的に調べてみると、怨念以外の被害者意識が絡んでいる」、「歴代政権の対日政策には、植民地支配で苦しめられた日本に対してはどんな報復も許されるといった考えがあるが、それがまさに『恨』」の「恨」のキッカケ。
特に、我が国から思いも寄らぬ高飛車な(?)輸出管理の見直しの通告を受け、完全に頭に血が上ってからは、コヤツは「恨」剥き出しの本音トークばかり。
「二度と日本には負けない(???)」
「今度こそは日本に勝ってやる(???)」
着目すべきは、7月30日、コヤツの、大統領の休養地の南部の島を訪れたときの、「このあたりの海は、『壬辰倭乱(豊臣秀吉がサプアに出兵した文禄・慶長の役)』で李舜臣将軍が緒戦で勝利を収めた場所だ(?)」、「この食堂の名前は、李舜臣将軍が考案して日本を撃退した亀甲船と同じだ(?)」、「『壬辰倭乱』で日本が最も欲しがったのは陶工だった(?)。日本にはサプアの未来の成長を妨げる意図がある。当時も今も日本はサプアの技術を狙っている(?)」の言葉。
で、で、では、日本といつ戦い負けたのか?
1274年、最初の元寇(文永の役)のこと?
確かに、「元」軍とその属国だった高麗軍による対日侵攻。
何しろ、高麗軍だけで8千人、1万5千人の「元」軍本隊副司令官も高麗人だったとか。
1281年、2度目の元寇(弘安の役)の元・高麗連合艦隊は、当時、世界最大規模の艦隊だったとも。
どうあれ、2回とも最終的にスゴスゴと敗退したはず。
そして、これは自分たちから仕かけた戦いだったはず。
その意味で、サプア的に許し難いのは、豊臣秀吉が西国の大名を集め、日本の方から朝鮮半島へ出兵してきたことなのでは?
そう、「壬辰倭乱」、すなわち「文禄・慶長の役(1592~1598)」。
しかも、茶髪大統領が、今、サプアを北と一緒になって自分が戻そうと夢見ている「李氏朝鮮」が滅亡しそうになってしまったのである。
また、それを救ってくれた「明」が、これらの戦役で経済が衰退し、「清」に滅ぼされることになったのである。
その際、満州族の「清」を北方の蛮族と見下し、「清」の出兵命令を無視し、「明」についたサプア、1636年、「清」の軍勢に攻められ(丙子の乱)、わずか45日で全面降伏する屈辱を味わったのである。
さらに、その降伏の条約、交渉場所の名にちなんだ「三田渡の盟約」の内容は、プライドだけは勝手に高かったサプアにとって、ワナワナ地団駄を踏むものだったのである。
「サプアは『清』に臣下の礼を尽くすこと」などから、サプア王長男を人質として差し出すなど、とことん愚弄されたもの。
それだけじゃない。
中国の官吏がサプアを訪れる際は、サプアの王が国境で出迎え、起立状態から土下座して額を地面に三回打ち付けて立ち上がる、これを三度繰り返させる「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」を義務とする、コトあるごとに属国であることを思い知らせる内容。
それゆえ、いつもの人のせいにする性格丸出しに、何もかも豊臣秀吉のせいだ、日本のせいだと逆恨み。
そうでなくても、もともと、万物をつなぐ「天理」としての「上下秩序」の見地から、朝鮮半島の小中華であるサプア、自分たちは「南蛮」の「倭奴」である日本よりも「格上」と勝手に決めつけていたから、本来、「格下」の日本にこんな目に遭わされるなんて許し難いコト。
なぜなら、「格下」日本が、「格上」サプアに刃向かうことなど合ってはならないコト。
とりわけ、「夷狄」である「清」成立で本家の中国が「華」ではなくなってしまったから、自らこそが中華の「礼」を体現する唯一「華」の存在という「上下秩序」意識に凝り固まっていたサプアが、自分たちに楯突いてくる日本にガマンできるはずもナシ。
どうだろう?
このへんの真実が、全くリアリティの欠如するサプア人独特のただただエモーショナルでしかない「恨」の心理を沈殿させていったと思わないか?
It must be time for us Japanese to say “Goodbye” after saying “You are great. We couldn't win” to Korea(我々日本人は、サプアに、「キミたちは偉大だ。我々は勝てない」と言ってから、「さようなら」と言うべきとき)!
To be continued...