腐乱した大和魂-12 消えゆくサプアへのファイナル弔辞!?
The reason why Hideyoshi Toyotomi devoted himself to Korea must be because he had a feeling close to hate.(豊臣秀吉がサプアに対し冷ややかな対応に徹したのは、近親憎悪に近い感情をずっと持っていたから)!
東仙坊、バカなプライドだけは勝手に高い摩訶不思議なサプアとサプア人を、なりふり構わぬ反日国家に変容させるキッカケは、豊臣秀吉の究極の個人的な近親憎悪と言うべき「恨」が原因と断じている。
間違いなく、この太閤なる超リアリスト男を、かなり以前から朝鮮半島から日本にやってきた渡来人と決めつけているからに他ならない。
そして、そのサプアとサプア人のモラルのなさ、すべてに対する汚さに、心の底から絶望し、けんもほろろに嫌っていたからに違いない。
その心根を端的に表しているのが、我が日本が100万両もかけて呼んであげていた低級モラルの約600人もの窃盗集団「サプア聘礼使」への豊臣秀吉の小バカにし切った対応。
予定日からかなり遅れて、「聚楽第」で引見。
定められた儀礼を無視し、国書と入貢を受け取ると、中座して赤子の鶴松を抱いて再び現れて、使者どもの前で小便を漏らした我が子を笑い、終始、上機嫌だったということでも明らか。
それに、ワケもなく上から目線のサプア人代表ども、一瞬、生意気だとブチ切れるも、銀400両を渡されると見る見る笑顔になったとか。
ともあれ、サプアの最大の矛盾は、その腰巾着型チンピラ集団がなんとなく縄張りを守っているだけの虚飾だらけの李氏朝鮮を、ウソ、ウソ、ウソ、裏切り、裏切り、裏切りのデタラメな相互不信社会を、黒社会国家中国の従順な奴隷国家を、日本にさえやっつけられそうにならなければ理想の世界だったと捏造せざるえないこと。
夢のような国家だったと粉飾しなければならいこと。
そして、なりふり構わずどんな手を使っても人の上に立てばいい、そうすれば下から何でも奪えるし、結局は何をしても許されるし、勝ちだという常識がまかり通っていること。
どうだろう?
あまりにも豊臣秀吉が自分たちに無下だったから、豊臣秀吉が他の日本人とは違って自分たちの得意なハニートラップが効かなかったから、豊臣秀吉がどこか自分たちに恨み骨髄だったからなどと、自分たちの歴史の捏造のためにすべてを豊臣秀吉のせいにするには、かなりのムリがあったのでは?
そもそも、豊臣秀吉自身、「征明嚮導」を掲げながら、日本軍に対し直筆の布逹文で、「サプア国に対して悪逆非道な略奪や暴行などを加えてはならない」とアンビバレントな胸の内を晒しているのでは?
実は、それゆえ、東仙坊、我が国の藩主どもの動きにメチャクチャ注目している。
薩摩藩には、「高麗筋目」なる帰化士族の部隊があったということ。
島津家は、「新羅三郎義光」として、サプア民族が日本にきたのではなく、倭人が朝鮮半島に行き国を創り、そこから引き揚げてきたのだということ。
長州藩藩主毛利家の前の大内家は、「百済の聖明王の第三皇子が先祖」と自ら宣言しているということ。
どうだろう?
豊臣秀吉が、何らかの理由で早くに日本にやってきたサプア人と考えると、彼のサプア出兵の根拠が見えてこないか?
だからこそ、サプア人からの反発を余計に買っているのだとも?
ともあれ、今やどんなウソ八百を並べても、サプア人にとって、李氏朝鮮こそが世界の中で文明の華を咲かせていた理想の国だったということにしなければ示しがつかない事情になってしまっている。
そして、そんな理想の国を一方的に力尽くで破壊した野蛮な夷狄である日本のことは絶対に許せないということにせざるをえなくなっている。
本当にウソをつくことは、大変。
ところで、ついこの間まで、サプアの子どもが甘えてダダをこねていると、「そんなに泣くと、泣き声を聞きつけて、『オランケ』くるぞ」と大人が脅かしたとか。
この「オランケ」とは、満州族(女真族)の一部の「野人女真」のことで、サプア語で「野蛮人」の意味するとか。
そして、このオランケによって、サプアはイヤというほど屈辱を味わうことになるのだが、それも、すべては豊臣秀吉のせいで、このオランケによって、朱子学の華だった北宋が、自分たちの王である「明」が滅ぶハメになったと逆恨みし始めたのである。
Korea the obvious country of China couldn't joke to blame China no matter what(中国の瞭然とした属国であるサプアは、何があっても中国を責めることだけは冗談でもできない)!
To be continued...
東仙坊、バカなプライドだけは勝手に高い摩訶不思議なサプアとサプア人を、なりふり構わぬ反日国家に変容させるキッカケは、豊臣秀吉の究極の個人的な近親憎悪と言うべき「恨」が原因と断じている。
間違いなく、この太閤なる超リアリスト男を、かなり以前から朝鮮半島から日本にやってきた渡来人と決めつけているからに他ならない。
そして、そのサプアとサプア人のモラルのなさ、すべてに対する汚さに、心の底から絶望し、けんもほろろに嫌っていたからに違いない。
その心根を端的に表しているのが、我が日本が100万両もかけて呼んであげていた低級モラルの約600人もの窃盗集団「サプア聘礼使」への豊臣秀吉の小バカにし切った対応。
予定日からかなり遅れて、「聚楽第」で引見。
定められた儀礼を無視し、国書と入貢を受け取ると、中座して赤子の鶴松を抱いて再び現れて、使者どもの前で小便を漏らした我が子を笑い、終始、上機嫌だったということでも明らか。
それに、ワケもなく上から目線のサプア人代表ども、一瞬、生意気だとブチ切れるも、銀400両を渡されると見る見る笑顔になったとか。
ともあれ、サプアの最大の矛盾は、その腰巾着型チンピラ集団がなんとなく縄張りを守っているだけの虚飾だらけの李氏朝鮮を、ウソ、ウソ、ウソ、裏切り、裏切り、裏切りのデタラメな相互不信社会を、黒社会国家中国の従順な奴隷国家を、日本にさえやっつけられそうにならなければ理想の世界だったと捏造せざるえないこと。
夢のような国家だったと粉飾しなければならいこと。
そして、なりふり構わずどんな手を使っても人の上に立てばいい、そうすれば下から何でも奪えるし、結局は何をしても許されるし、勝ちだという常識がまかり通っていること。
どうだろう?
あまりにも豊臣秀吉が自分たちに無下だったから、豊臣秀吉が他の日本人とは違って自分たちの得意なハニートラップが効かなかったから、豊臣秀吉がどこか自分たちに恨み骨髄だったからなどと、自分たちの歴史の捏造のためにすべてを豊臣秀吉のせいにするには、かなりのムリがあったのでは?
そもそも、豊臣秀吉自身、「征明嚮導」を掲げながら、日本軍に対し直筆の布逹文で、「サプア国に対して悪逆非道な略奪や暴行などを加えてはならない」とアンビバレントな胸の内を晒しているのでは?
実は、それゆえ、東仙坊、我が国の藩主どもの動きにメチャクチャ注目している。
薩摩藩には、「高麗筋目」なる帰化士族の部隊があったということ。
島津家は、「新羅三郎義光」として、サプア民族が日本にきたのではなく、倭人が朝鮮半島に行き国を創り、そこから引き揚げてきたのだということ。
長州藩藩主毛利家の前の大内家は、「百済の聖明王の第三皇子が先祖」と自ら宣言しているということ。
どうだろう?
豊臣秀吉が、何らかの理由で早くに日本にやってきたサプア人と考えると、彼のサプア出兵の根拠が見えてこないか?
だからこそ、サプア人からの反発を余計に買っているのだとも?
ともあれ、今やどんなウソ八百を並べても、サプア人にとって、李氏朝鮮こそが世界の中で文明の華を咲かせていた理想の国だったということにしなければ示しがつかない事情になってしまっている。
そして、そんな理想の国を一方的に力尽くで破壊した野蛮な夷狄である日本のことは絶対に許せないということにせざるをえなくなっている。
本当にウソをつくことは、大変。
ところで、ついこの間まで、サプアの子どもが甘えてダダをこねていると、「そんなに泣くと、泣き声を聞きつけて、『オランケ』くるぞ」と大人が脅かしたとか。
この「オランケ」とは、満州族(女真族)の一部の「野人女真」のことで、サプア語で「野蛮人」の意味するとか。
そして、このオランケによって、サプアはイヤというほど屈辱を味わうことになるのだが、それも、すべては豊臣秀吉のせいで、このオランケによって、朱子学の華だった北宋が、自分たちの王である「明」が滅ぶハメになったと逆恨みし始めたのである。
Korea the obvious country of China couldn't joke to blame China no matter what(中国の瞭然とした属国であるサプアは、何があっても中国を責めることだけは冗談でもできない)!
To be continued...