心のブラックホール-63 三流の「俳優」のたった一度の計算尽くしの「名演」!?
Justice must be maintained in countries where police officers are in charge of justice(警察官を職責にした人々が、いつまでも正義漢でいてくれる国では、正義が守られる)!
●東仙坊がプロファイリングする、スーパージャンキー「名優(?)」の本音
⑤今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持のみ事件で明確になったことは、我が国社会のモラル完全崩壊の歪み切った現状…。
隣の気の狂った茶髪大統領が自己保身のために気の狂ったように検察改革を叫んでいるが、我が国では司法界全体改革が早急に必要のご様子。
何しろ、サプアのごとく警察が逮捕したとヤツらをなぜか検察がことごとく理由を明らかにせず不起訴処分や釈放させていると思ったら、高等裁判所は地方裁判所での裁判員裁判の死刑判決を何が何でも覆すばかり。
それだけじゃない。
ワガママ丸出しに東京・池袋でヨレヨレのメチャクチャ運転で車を暴走させ、31歳と3歳の母娘を死亡させ、9人に重軽傷を負わせたのに、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷(?))で、東京都板橋区に住む、元旧通産省工業技術院院長飯塚幸三(88歳)はなぜか特権階級に所属したことのプレミアムがあるかのように書類送検されただけ。
このキチガイ身勝手ジジイ、平然と最初に車の不具合を主張し、次にアクセルとブレーキの踏み間違いを主張した卑怯で卑劣なヤツなのでは?
同じく44歳のDV息子を刺殺して、なぜか懲役6年の実刑判決だった元農林水産省事務次官熊沢英昭被告(76歳)にいたっては、500万円で保釈というから、唖然呆然。
この子育てに失敗したジジイ、なんと30ヵ所以上息子を刺しているというのでは?
これもそれも、なぜか我が国の司法界には、政界や教育界同様、親韓派やサプア系が跳梁跋扈。
なかでも、 1999年、山口県光市内の新日本製鐵光製鐵所社宅アパートで発生した光市母子殺害事件のホシ、特定永住者の福田(大月?)孝行に、1・2審では無期懲役判決。
それが最高裁判所で何とか破棄され、差し戻し。
その控訴審で、ようやく死刑判決が確定したのに、コヤツを救いたいという親韓派のクソ弁護士ども、いまだに再審請求中というから、言語道断。
そう言えば、東仙坊、このクソッタレが、今回の沢尻エリカのヤク中毒に異様なやさしいお言葉をかけていらっしゃる我が国に増殖中の奇特な方々にぜひお聴かせしたいことを、1審で無期懲役判決が出た後、手紙に書いているのでご紹介。
「終始笑うは悪なのが、今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、バカ(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
どうだろう?
ドラッグ中毒は、病気とか、人に迷惑をかけない犯罪なんて、ノーテンキなことを言っている方々には、このクソッタレの言葉を肝に銘じてほしいのでは?
どちらにしても、今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持事件で再認識できたことは、警察OBをワンサカ抱えたエイベックスのような麻薬カルテル型ブラック組織に、司直の手が入ることはないということ。
そう、ジャンキー・パラダイスだということ。
美しい魂を誇る我が日本が、どうしてこれほどまでにいい加減な国になってしまったのか?
あの人間および人間社会の正しさというものを体系的に論じた古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427年~紀元前347年)が、その「国家(The Republic)」で簡潔明瞭に指摘している。
副題に「正義について」とあるというから、それも当然か?
そこで、東仙坊、それをコンテンポラリーにアレンジしてご紹介。
◇正義とは、個人あるいはコミュニティの中で、調和が見事にまで完成されていること。
その正義には、「国家の正義」と「個人の正義」があるが、そのあり方は基本的に完全一致。
というのも、国家は、究極的には個人の集合体で、個人の性格に由来しない国家の性格というものは存在しないからである。
では、「国家の正義」とは?
民衆、警察や検察や自衛隊、そして、政治屋がそれぞれの職分を全うすること。
生活に必要なモノを生産する「民衆」、国家を守る「警察や検察や自衛隊」、そして、全体の監督にあたる政治屋が、各人に割り当てられた仕事を果たすこと全体を指すのが、「国家の正義」。
そこで大切なことは、自分のことをするだけで、余計な手だしをしないこと。
「国家の正義」が、「個人の正義」の拡大版であるということで、逆に言えば、「個人の正義」は、「国家の正義」の縮小版。
すなわち、魂&ボディーをマネージしコントロールする「知恵」、魂&ボディーを外敵から保護する「勇気」、そして、それ以外の能力がお互いの役割を侵犯せずに調和のとれたカタチで自己の責務を果たす「節制」、これらの3つの美徳が実現するとき、個人は全体として正義に適った存在になるというのである。
とにもかくにも、自分にフサワシイに仕事や職分を果たすことが正義だとすると、あくまで民衆は民衆で、警察や検察や自衛隊は警察や検察や自衛隊で、政治屋は政治屋であり続けなければならない責任があるのでは?
Countries where people come out and say that illegal drugs are a mental illness or a crime that doesn't bother others would quickly perish(違法薬物が精神病だとか人に迷惑をかけない犯罪だなんて平気でほざける民衆が出てくる国は、すぐに滅びる)!
To be continued...
●東仙坊がプロファイリングする、スーパージャンキー「名優(?)」の本音
⑤今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持のみ事件で明確になったことは、我が国社会のモラル完全崩壊の歪み切った現状…。
隣の気の狂った茶髪大統領が自己保身のために気の狂ったように検察改革を叫んでいるが、我が国では司法界全体改革が早急に必要のご様子。
何しろ、サプアのごとく警察が逮捕したとヤツらをなぜか検察がことごとく理由を明らかにせず不起訴処分や釈放させていると思ったら、高等裁判所は地方裁判所での裁判員裁判の死刑判決を何が何でも覆すばかり。
それだけじゃない。
ワガママ丸出しに東京・池袋でヨレヨレのメチャクチャ運転で車を暴走させ、31歳と3歳の母娘を死亡させ、9人に重軽傷を負わせたのに、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷(?))で、東京都板橋区に住む、元旧通産省工業技術院院長飯塚幸三(88歳)はなぜか特権階級に所属したことのプレミアムがあるかのように書類送検されただけ。
このキチガイ身勝手ジジイ、平然と最初に車の不具合を主張し、次にアクセルとブレーキの踏み間違いを主張した卑怯で卑劣なヤツなのでは?
同じく44歳のDV息子を刺殺して、なぜか懲役6年の実刑判決だった元農林水産省事務次官熊沢英昭被告(76歳)にいたっては、500万円で保釈というから、唖然呆然。
この子育てに失敗したジジイ、なんと30ヵ所以上息子を刺しているというのでは?
これもそれも、なぜか我が国の司法界には、政界や教育界同様、親韓派やサプア系が跳梁跋扈。
なかでも、 1999年、山口県光市内の新日本製鐵光製鐵所社宅アパートで発生した光市母子殺害事件のホシ、特定永住者の福田(大月?)孝行に、1・2審では無期懲役判決。
それが最高裁判所で何とか破棄され、差し戻し。
その控訴審で、ようやく死刑判決が確定したのに、コヤツを救いたいという親韓派のクソ弁護士ども、いまだに再審請求中というから、言語道断。
そう言えば、東仙坊、このクソッタレが、今回の沢尻エリカのヤク中毒に異様なやさしいお言葉をかけていらっしゃる我が国に増殖中の奇特な方々にぜひお聴かせしたいことを、1審で無期懲役判決が出た後、手紙に書いているのでご紹介。
「終始笑うは悪なのが、今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、バカ(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
どうだろう?
ドラッグ中毒は、病気とか、人に迷惑をかけない犯罪なんて、ノーテンキなことを言っている方々には、このクソッタレの言葉を肝に銘じてほしいのでは?
どちらにしても、今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持事件で再認識できたことは、警察OBをワンサカ抱えたエイベックスのような麻薬カルテル型ブラック組織に、司直の手が入ることはないということ。
そう、ジャンキー・パラダイスだということ。
美しい魂を誇る我が日本が、どうしてこれほどまでにいい加減な国になってしまったのか?
あの人間および人間社会の正しさというものを体系的に論じた古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427年~紀元前347年)が、その「国家(The Republic)」で簡潔明瞭に指摘している。
副題に「正義について」とあるというから、それも当然か?
そこで、東仙坊、それをコンテンポラリーにアレンジしてご紹介。
◇正義とは、個人あるいはコミュニティの中で、調和が見事にまで完成されていること。
その正義には、「国家の正義」と「個人の正義」があるが、そのあり方は基本的に完全一致。
というのも、国家は、究極的には個人の集合体で、個人の性格に由来しない国家の性格というものは存在しないからである。
では、「国家の正義」とは?
民衆、警察や検察や自衛隊、そして、政治屋がそれぞれの職分を全うすること。
生活に必要なモノを生産する「民衆」、国家を守る「警察や検察や自衛隊」、そして、全体の監督にあたる政治屋が、各人に割り当てられた仕事を果たすこと全体を指すのが、「国家の正義」。
そこで大切なことは、自分のことをするだけで、余計な手だしをしないこと。
「国家の正義」が、「個人の正義」の拡大版であるということで、逆に言えば、「個人の正義」は、「国家の正義」の縮小版。
すなわち、魂&ボディーをマネージしコントロールする「知恵」、魂&ボディーを外敵から保護する「勇気」、そして、それ以外の能力がお互いの役割を侵犯せずに調和のとれたカタチで自己の責務を果たす「節制」、これらの3つの美徳が実現するとき、個人は全体として正義に適った存在になるというのである。
とにもかくにも、自分にフサワシイに仕事や職分を果たすことが正義だとすると、あくまで民衆は民衆で、警察や検察や自衛隊は警察や検察や自衛隊で、政治屋は政治屋であり続けなければならない責任があるのでは?
Countries where people come out and say that illegal drugs are a mental illness or a crime that doesn't bother others would quickly perish(違法薬物が精神病だとか人に迷惑をかけない犯罪だなんて平気でほざける民衆が出てくる国は、すぐに滅びる)!
To be continued...