心のブラックホール-63 三流の「俳優」のたった一度の計算尽くしの「名演」!?
When populism rises from excessive democracy, it must be natural that the morals of society as a whole decline(過度な民主主義からポピュリズムが隆盛すると、社会全体のモラルが低下するのは当たり前)!
●東仙坊がプロファイリングする、スーパージャンキー「名優(?)」の本音
東仙坊、かなり面倒でも、プラトンの「国家」から、今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持事件を紐解いてみたいので、もう少し続ける。
彼は、こう言っているようなものである・
「『今までの権威の否定』と『価値の相対化』と『自分勝手な個人主義の台頭』などによってもたらされるモラルの崩壊の状態、すなわち、ポピュリズム全盛の中では、先生は生徒を恐れてご機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育係に対して同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、オモシロくない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちをマネて機智や冗談でいっぱいの人間となる」。
どうだろう?
彼は紀元前に、現代社会を、今の我が国の社会を予測していたとも言えるのでは?
少なくとも、そのときには、まだ存在すらしていなかったイスラム教徒たちに、「神の前の平等」というプロテスタント的価値観に根ざす現代の民主主義を「最高の価値」として押しつける権利など、どこの国、どこの国民にもないはずでは?
そう考えると、民主主義、デモクラシーがパーフェクトでないことはモロバレなのでは?
ともあれ、プラトンは言う。
「正義は、強者の利益。けれども、不正を働けば、正義よりも強大な自分の利益。真実の支配者は、自分の利益よりも被支配者の利益を優先。正しい人には知恵があるが、不正な人には知恵がない。正義が、知恵である以上、不正よりも強力であるはず。なのに、不正を働く者の方が、正しい者よりもはるかにトクをして幸福。正義は、立派だが骨の折れるもの。だから、正しくあるよりも、正しい者であると見えさえすればイイ」。
どうだろう?
かなり核心を突いているのでは?
そして、「魂(プシュケー)の三分説」。
「人間の魂の性質を、『理知(ロゴス)』/『気概(テュモス)』/『欲望(エピテュメーテース)』の3つに分け、『哲学者』/『活動的な人間』/『肉体労働に携わる人間』の3つの人間の階層に分類。魂の3つの部分が自らの役割を果たさなければ、正しい人間にはなれない。同時に、国家の3つの層が自らの役割を果たさなければ、国家に正義は実現しない。正しい人間であることと、正しい国家であることに相違はない」。
それから、「太陽の比喩」。
「太陽は、さまざまなモノを照らして、人々に見えるようにするとともに、栄養を供給してモノを生成させている。それと同じように、思惟の世界の『善のイデア』も、もろもろの存在のイデアを照らすことで認識可能にするとともに、存在の原因ともなるもの」。
さらに、「洞窟の比喩」。
「洞窟に閉じ込められた囚人、そう、学ぼうとしない人々は、洞窟の後方の壁しか見ることができないように縛られ、その火が灯され背後で出し入れされている彫像や人形の中の壁に映し出される影絵のような影像だけを見て、それが実物だと思っている。
そのような囚人を洞窟の外へ連れ出して、縄を解き、太陽の光に照らされた光を見せるとどうなるか?
おそらく、光を眩しく感じたり、見慣れない世界に圧倒され、最初は実際の世界を見ることに苦痛を感じたりしても、光に慣れてくると、もう洞窟の中の世界には戻りたくはないと思うようになり、洞窟内にいる囚人の仲間のことを哀れに思うようになり、ついには、太陽そのものの光まで見分けることができるようになる。『善のイデア(外の世界の光)』を簡単に見ることはできないが、それを見ることができるようになると、それがあらゆるものにとって正しく美しいものの原因であるだけでなく、真実と理性をも供給するものでもあり、見なければいけないものだと思えるようになる」。
どうだろう?
真実を認識するには段階を追う必要があり、「現実の世界は影絵である」ということを理解するまでには長い訓練が不可欠なのでは?
If wisdom, spirit, and desire don't function independently, the human soul won't work properly(理知と気概と欲望がそれぞれに機能しないと、人間の魂は正しく働かない)!
To be continued...
●東仙坊がプロファイリングする、スーパージャンキー「名優(?)」の本音
東仙坊、かなり面倒でも、プラトンの「国家」から、今回の沢尻エリカなる女優の違法薬物所持事件を紐解いてみたいので、もう少し続ける。
彼は、こう言っているようなものである・
「『今までの権威の否定』と『価値の相対化』と『自分勝手な個人主義の台頭』などによってもたらされるモラルの崩壊の状態、すなわち、ポピュリズム全盛の中では、先生は生徒を恐れてご機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育係に対して同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、オモシロくない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちをマネて機智や冗談でいっぱいの人間となる」。
どうだろう?
彼は紀元前に、現代社会を、今の我が国の社会を予測していたとも言えるのでは?
少なくとも、そのときには、まだ存在すらしていなかったイスラム教徒たちに、「神の前の平等」というプロテスタント的価値観に根ざす現代の民主主義を「最高の価値」として押しつける権利など、どこの国、どこの国民にもないはずでは?
そう考えると、民主主義、デモクラシーがパーフェクトでないことはモロバレなのでは?
ともあれ、プラトンは言う。
「正義は、強者の利益。けれども、不正を働けば、正義よりも強大な自分の利益。真実の支配者は、自分の利益よりも被支配者の利益を優先。正しい人には知恵があるが、不正な人には知恵がない。正義が、知恵である以上、不正よりも強力であるはず。なのに、不正を働く者の方が、正しい者よりもはるかにトクをして幸福。正義は、立派だが骨の折れるもの。だから、正しくあるよりも、正しい者であると見えさえすればイイ」。
どうだろう?
かなり核心を突いているのでは?
そして、「魂(プシュケー)の三分説」。
「人間の魂の性質を、『理知(ロゴス)』/『気概(テュモス)』/『欲望(エピテュメーテース)』の3つに分け、『哲学者』/『活動的な人間』/『肉体労働に携わる人間』の3つの人間の階層に分類。魂の3つの部分が自らの役割を果たさなければ、正しい人間にはなれない。同時に、国家の3つの層が自らの役割を果たさなければ、国家に正義は実現しない。正しい人間であることと、正しい国家であることに相違はない」。
それから、「太陽の比喩」。
「太陽は、さまざまなモノを照らして、人々に見えるようにするとともに、栄養を供給してモノを生成させている。それと同じように、思惟の世界の『善のイデア』も、もろもろの存在のイデアを照らすことで認識可能にするとともに、存在の原因ともなるもの」。
さらに、「洞窟の比喩」。
「洞窟に閉じ込められた囚人、そう、学ぼうとしない人々は、洞窟の後方の壁しか見ることができないように縛られ、その火が灯され背後で出し入れされている彫像や人形の中の壁に映し出される影絵のような影像だけを見て、それが実物だと思っている。
そのような囚人を洞窟の外へ連れ出して、縄を解き、太陽の光に照らされた光を見せるとどうなるか?
おそらく、光を眩しく感じたり、見慣れない世界に圧倒され、最初は実際の世界を見ることに苦痛を感じたりしても、光に慣れてくると、もう洞窟の中の世界には戻りたくはないと思うようになり、洞窟内にいる囚人の仲間のことを哀れに思うようになり、ついには、太陽そのものの光まで見分けることができるようになる。『善のイデア(外の世界の光)』を簡単に見ることはできないが、それを見ることができるようになると、それがあらゆるものにとって正しく美しいものの原因であるだけでなく、真実と理性をも供給するものでもあり、見なければいけないものだと思えるようになる」。
どうだろう?
真実を認識するには段階を追う必要があり、「現実の世界は影絵である」ということを理解するまでには長い訓練が不可欠なのでは?
If wisdom, spirit, and desire don't function independently, the human soul won't work properly(理知と気概と欲望がそれぞれに機能しないと、人間の魂は正しく働かない)!
To be continued...