恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Is it really possible historically and in the future, such as an alliance between nations, including defense, and an alliance that doesn't shed blood and blood(防衛を含む国家同士の同盟なるものに、血と血を流さない同盟など、歴史的にも、未来的にも、本当に成立するのか)?
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●中国の企み通り、「中共ウィルス」を「世界の警察」を辞めてしまったUSAへの神からの無残な天罰にしてしまっていいのか?
○東仙坊がプロファイリングする、USAが本当にリバイタラズするためのか細く曲がりくねった小道
⑪東仙坊、自分自身で、初めてUSA本土を訪れるまで、「世界の警察」を担えるほどだから、USAは、ただパワフルでエネルギッシュなだけでなく、もう少しアカデミックで、品がある国だと思い込んでいた。
だから、レストランのトイレにホワイトとブラック用の2つがあることに、ただただ衝撃を覚えただけでなく、イエローの自分はどちらを使えばイイのだろうと真剣に悩んだ。
そして、真剣に悩んだ末に、遠慮気味にブラック用に入って、絶句するハメになった。
その間仕切りもない狭い空間に、なぜこんなに人がいるの? レストランはそんなに混んでいなかったのに、ここで何しているの? こんななかで独りで用を足すの?と…。
席に戻って連れに、「参ったよ。自分は、どちらを使えばイイの?」の尋ねると、すでに何度もUSAを訪問していた彼女が、「バカね。私たちは客でしょ。客はホワイト用を使えばイイのよ」とアッサリと答えた。
それに、なぜかメチャクチャ傷ついて、食事をする気にもならなくなっただけでなく、彼女とも、なぜか気まずい関係になってしまった。
それは、市内を走るパブリック・バスに乗り込んで、ますます驚愕するハメになった。
見事に、ブラックUSA人は後方の席、ホワイトUSA人は前方の席と、鮮やかな白黒のコントラストを作っていたからだった。
ともあれ、すでに、70年代に入っていたが、それこそが、あれだけ激しかった60年代の黒人公民権運動後のUSAの現実だった。
どうだろう?
あれだけ色の違う外見だけではなく、宗教や民族的アイデンティティーが違う多種多様な人種で作られた国が、世界一と言っても過言ではない貧富の格差をつけたら、イヤでもバラバラになるのも、これまた自然なのでは?
そもそも、せいぜい一体感を感じさせてくれるのが、「国家」と「星条旗」だけなんていうこと自体、異常なのでは?
そこに、ただただ金を稼ぐためだけのグローバリゼーションの荒波が加わってしまったのだから、いくら人権とかヒューマニズムなどを空騒ぎしたところで、その精神の劣化は止めようがないのでは?
それにしても、その貧富の格差はハンパじゃない。
トップ3人の所有総資産がボトム50%の国民の総資産よりも多く、トップ400人の総資産がボトム60%の国民の総資産よりも多く、トップ0.1%の所有総資産がボトム85%の国民の総資産よりも多いなんて、普通じゃない。
しかも、そのトップ0.1%の所有総資産が、ここ30年間の両党への献金額の90%を供給してきたというのだから、両党がともにそのトップ0.1%の所有総資産を守るために、実質課税を低くするのも当たり前。
それだけじゃない。
そのトップ0.1%の所有総資産が、メインストリームメディア、シンクタンク、財団、ロビイスト組織を支えてきたというのだから、そのトップ0.1%におもねるのも、また当たり前。
その結果、ボトムの国民の60%が不満を持つのも、当たり前。
それを放置したままで、何が「分断を回避し、団結しよう」だと思わないか?
そんなテイタラクだから、「パックス・ロマーナ」のようだった「パックス・アメリカーナ」が消えてゆくのも、自然の摂理。
もっとも、それは、今、世界中同じ状況とも言えるが…。
どうだろう?
そんなUSAに、国の根幹である国防をオンブにダッコで頼るしかない我が国の惨めさは、最悪の国とも言えるのでは?
しかも、せっかく基本的にいつもいつのまにか固く「団結」する日本を恐れ、メチャクチャ矛盾した憲法を押しつけ、USA人たちのような心の芯を溶かした刹那的金満人間に変えた我国の宗主国が、初めて、「対等な同盟国」扱いしてくれようとしているのに、相変わらずの平和ボケ、ピンボケぶり。
それはそうだと思わないか?
いくら弱体化したとしても、いまだ世界一の軍事力を誇る我々と自由と民主主義という共通の価値観を掲げる「同盟国」。
だから、その「日米同盟」さえあれば、どの国も我が国に戦争など仕かけてくるワケがない、その「印籠」さえあれば、我々は永遠に安全と勝手に思い込み、USAに一方的に甘えるだけのバランスを欠いたままの状態。
そこで、メチャクチャ気になることが、たった1つ。
それは、「同盟」なるものの本質定義。
価値観や「ナショナル・イントレスト」をお互いに共有することから、国同士で「同盟」を結ぶということは、共通の敵に対しともに戦うという決意や覚悟がなければ成立しないものなのでは?
ということは、日米に共通の敵が存在した場合、ともに命懸けで戦わなければならないということなのでは?
そこに、最大の問題があると思うが、どうだろう?
Are we ordinary Japanese the only way to keep praying that the USA people would shed blood for our rocky territory(我々普通の日本人は、USA人が、我々の岩のような領土のために血を流してくれることをひたすら祈り続けるしか方法がないのか)?
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●中国の企み通り、「中共ウィルス」を「世界の警察」を辞めてしまったUSAへの神からの無残な天罰にしてしまっていいのか?
○東仙坊がプロファイリングする、USAが本当にリバイタラズするためのか細く曲がりくねった小道
⑪東仙坊、自分自身で、初めてUSA本土を訪れるまで、「世界の警察」を担えるほどだから、USAは、ただパワフルでエネルギッシュなだけでなく、もう少しアカデミックで、品がある国だと思い込んでいた。
だから、レストランのトイレにホワイトとブラック用の2つがあることに、ただただ衝撃を覚えただけでなく、イエローの自分はどちらを使えばイイのだろうと真剣に悩んだ。
そして、真剣に悩んだ末に、遠慮気味にブラック用に入って、絶句するハメになった。
その間仕切りもない狭い空間に、なぜこんなに人がいるの? レストランはそんなに混んでいなかったのに、ここで何しているの? こんななかで独りで用を足すの?と…。
席に戻って連れに、「参ったよ。自分は、どちらを使えばイイの?」の尋ねると、すでに何度もUSAを訪問していた彼女が、「バカね。私たちは客でしょ。客はホワイト用を使えばイイのよ」とアッサリと答えた。
それに、なぜかメチャクチャ傷ついて、食事をする気にもならなくなっただけでなく、彼女とも、なぜか気まずい関係になってしまった。
それは、市内を走るパブリック・バスに乗り込んで、ますます驚愕するハメになった。
見事に、ブラックUSA人は後方の席、ホワイトUSA人は前方の席と、鮮やかな白黒のコントラストを作っていたからだった。
ともあれ、すでに、70年代に入っていたが、それこそが、あれだけ激しかった60年代の黒人公民権運動後のUSAの現実だった。
どうだろう?
あれだけ色の違う外見だけではなく、宗教や民族的アイデンティティーが違う多種多様な人種で作られた国が、世界一と言っても過言ではない貧富の格差をつけたら、イヤでもバラバラになるのも、これまた自然なのでは?
そもそも、せいぜい一体感を感じさせてくれるのが、「国家」と「星条旗」だけなんていうこと自体、異常なのでは?
そこに、ただただ金を稼ぐためだけのグローバリゼーションの荒波が加わってしまったのだから、いくら人権とかヒューマニズムなどを空騒ぎしたところで、その精神の劣化は止めようがないのでは?
それにしても、その貧富の格差はハンパじゃない。
トップ3人の所有総資産がボトム50%の国民の総資産よりも多く、トップ400人の総資産がボトム60%の国民の総資産よりも多く、トップ0.1%の所有総資産がボトム85%の国民の総資産よりも多いなんて、普通じゃない。
しかも、そのトップ0.1%の所有総資産が、ここ30年間の両党への献金額の90%を供給してきたというのだから、両党がともにそのトップ0.1%の所有総資産を守るために、実質課税を低くするのも当たり前。
それだけじゃない。
そのトップ0.1%の所有総資産が、メインストリームメディア、シンクタンク、財団、ロビイスト組織を支えてきたというのだから、そのトップ0.1%におもねるのも、また当たり前。
その結果、ボトムの国民の60%が不満を持つのも、当たり前。
それを放置したままで、何が「分断を回避し、団結しよう」だと思わないか?
そんなテイタラクだから、「パックス・ロマーナ」のようだった「パックス・アメリカーナ」が消えてゆくのも、自然の摂理。
もっとも、それは、今、世界中同じ状況とも言えるが…。
どうだろう?
そんなUSAに、国の根幹である国防をオンブにダッコで頼るしかない我が国の惨めさは、最悪の国とも言えるのでは?
しかも、せっかく基本的にいつもいつのまにか固く「団結」する日本を恐れ、メチャクチャ矛盾した憲法を押しつけ、USA人たちのような心の芯を溶かした刹那的金満人間に変えた我国の宗主国が、初めて、「対等な同盟国」扱いしてくれようとしているのに、相変わらずの平和ボケ、ピンボケぶり。
それはそうだと思わないか?
いくら弱体化したとしても、いまだ世界一の軍事力を誇る我々と自由と民主主義という共通の価値観を掲げる「同盟国」。
だから、その「日米同盟」さえあれば、どの国も我が国に戦争など仕かけてくるワケがない、その「印籠」さえあれば、我々は永遠に安全と勝手に思い込み、USAに一方的に甘えるだけのバランスを欠いたままの状態。
そこで、メチャクチャ気になることが、たった1つ。
それは、「同盟」なるものの本質定義。
価値観や「ナショナル・イントレスト」をお互いに共有することから、国同士で「同盟」を結ぶということは、共通の敵に対しともに戦うという決意や覚悟がなければ成立しないものなのでは?
ということは、日米に共通の敵が存在した場合、ともに命懸けで戦わなければならないということなのでは?
そこに、最大の問題があると思うが、どうだろう?
Are we ordinary Japanese the only way to keep praying that the USA people would shed blood for our rocky territory(我々普通の日本人は、USA人が、我々の岩のような領土のために血を流してくれることをひたすら祈り続けるしか方法がないのか)?
To be continued...