恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
The Japanese and Chinese might be almost the same in appearance, but internally they must be as different as heaven and earth(日本人と中国人は、ほぼ外見は同じでも、内面的には天と地ほど違う)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、最終的に中国と健全につき合えるかどうかを計るのには、普通の中国人と健全につき合えるかどうかにかかっていると考えている。
それには、どこまで真っ向から対峙し、本当のコミュニケーションをできることが大前提になるはず。
ところが、我々日本人は、どこまでも日本人らしく、顔形が似ているうえ漢字のお世話になっているせいか、どこか安易に理解し合えると思い込んでいるところが、強い。
では、彼らの一体何を理解できているのか?
ほとんど捏造の反日教育で育った彼らが、逆に、日本をどんなふうに理解しているのか?
これだけ来日したり、日本留学する彼らが増えているのだから、日本はともあれ、日本人のやさしさや心遣いや思いやりを少なくとも理解してくれているのか?
どうだろう?
期待はしても、どこまでかどうかは未知数なのでは?
では、普通の中国人とは、どんな人たちなのか?
それを知る象徴的な話がある。
なぜ彼らは世界に中心にある大国のはずなのに海外移住したがるのか?
かつては貧しかったからの単純な経済難民であったことは間違いない。
では、資産1000億円以上のスーパーリッチたちが第2位のUSAの約2倍の1000人以上になっても、今なお、海外移住する人々が後を絶たないのか?
それだけじゃない。
なぜせっかく海外移住しても、彼らは自分たちのコミュニティー作りをして、自分たちだけで集おうとするのか?
そして、それを拡大しようとするのか?
そう、まるでゴキブリのように…。
世界の中心にある民族としてのプライドがあるなら、我々日本人のようにその地に同化しようとすべきなのでは?
もちろん、我々日本人は、奥ゆかしくて控え目で、何よりも恥をかくことをイヤがる性格だから。
もっとも、人種差別好きの世界では、日本人も中国人もアジア人として同じ扱いを受けるのが…。
ともあれ、日本人と中国人との本質的な違いには、他民族が緊張関係の中で入り交じる「大陸型人間」とほぼ単一民族で安穏とできる「島国型人間」との違いが大きく影響していると思うが、どうだろう?
東仙坊、それ以上に中国人の人格形成に大きく影響しているのが、すでに詳述した中国の「宗族」という血縁集団による家族制度のDNAと断定している。
そう、古来からの皇帝や朝廷など為政者どもが天下万民のために何もしてくれないとの認識。
それゆえ、普通の中国人たちには、国家の意識もなければ公の意識もなく、その忠誠心や愛着心や帰属意識は全部、自らの所属する宗族に注力されることになったという血の問題。
その「宗族中心主義」は、いつの間にか「宗族のエゴ」となって異常に肥大化し、「宗族」のためには公の利益や国家の利益を損なっても構わないどころか、むしろ腐敗は悪事ではなく「宗族」にとっての「善行」であり、最高の「美徳」であるという、一種の倒錯した価値観が、中国社会で一種の文化として定着し、一族のために社会や公や国家から何かを収奪することこそ、偉大なる中国人民にとっての最高の「美徳」なのだというから、我々日本人には到底理解できないのでは?
つまり、中国人は、ジコチュウで他人を決して信用しないということ。
それを、的確に証明しているのが、「相互不信社会」だからの電子決済システムの急速な浸透。
そのうえに、今や、言論も行動も規制される不条理な社会。
どうだろう?
ますます他人を信用できないイヤな社会になっているのでは?
実は、我々普通の日本人と普通の中国人を比較した切実な話がある。
The misfortune of us Japanese must be that politicians, bureaucrats, and entrepreneurs are all “ peace-at-any-price” without a thorough vision(我々日本人の不幸は、政治家どもや官僚どもや企業家どもが、徹底したビジョンなき「事なかれ主義」ばかりであること)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、最終的に中国と健全につき合えるかどうかを計るのには、普通の中国人と健全につき合えるかどうかにかかっていると考えている。
それには、どこまで真っ向から対峙し、本当のコミュニケーションをできることが大前提になるはず。
ところが、我々日本人は、どこまでも日本人らしく、顔形が似ているうえ漢字のお世話になっているせいか、どこか安易に理解し合えると思い込んでいるところが、強い。
では、彼らの一体何を理解できているのか?
ほとんど捏造の反日教育で育った彼らが、逆に、日本をどんなふうに理解しているのか?
これだけ来日したり、日本留学する彼らが増えているのだから、日本はともあれ、日本人のやさしさや心遣いや思いやりを少なくとも理解してくれているのか?
どうだろう?
期待はしても、どこまでかどうかは未知数なのでは?
では、普通の中国人とは、どんな人たちなのか?
それを知る象徴的な話がある。
なぜ彼らは世界に中心にある大国のはずなのに海外移住したがるのか?
かつては貧しかったからの単純な経済難民であったことは間違いない。
では、資産1000億円以上のスーパーリッチたちが第2位のUSAの約2倍の1000人以上になっても、今なお、海外移住する人々が後を絶たないのか?
それだけじゃない。
なぜせっかく海外移住しても、彼らは自分たちのコミュニティー作りをして、自分たちだけで集おうとするのか?
そして、それを拡大しようとするのか?
そう、まるでゴキブリのように…。
世界の中心にある民族としてのプライドがあるなら、我々日本人のようにその地に同化しようとすべきなのでは?
もちろん、我々日本人は、奥ゆかしくて控え目で、何よりも恥をかくことをイヤがる性格だから。
もっとも、人種差別好きの世界では、日本人も中国人もアジア人として同じ扱いを受けるのが…。
ともあれ、日本人と中国人との本質的な違いには、他民族が緊張関係の中で入り交じる「大陸型人間」とほぼ単一民族で安穏とできる「島国型人間」との違いが大きく影響していると思うが、どうだろう?
東仙坊、それ以上に中国人の人格形成に大きく影響しているのが、すでに詳述した中国の「宗族」という血縁集団による家族制度のDNAと断定している。
そう、古来からの皇帝や朝廷など為政者どもが天下万民のために何もしてくれないとの認識。
それゆえ、普通の中国人たちには、国家の意識もなければ公の意識もなく、その忠誠心や愛着心や帰属意識は全部、自らの所属する宗族に注力されることになったという血の問題。
その「宗族中心主義」は、いつの間にか「宗族のエゴ」となって異常に肥大化し、「宗族」のためには公の利益や国家の利益を損なっても構わないどころか、むしろ腐敗は悪事ではなく「宗族」にとっての「善行」であり、最高の「美徳」であるという、一種の倒錯した価値観が、中国社会で一種の文化として定着し、一族のために社会や公や国家から何かを収奪することこそ、偉大なる中国人民にとっての最高の「美徳」なのだというから、我々日本人には到底理解できないのでは?
つまり、中国人は、ジコチュウで他人を決して信用しないということ。
それを、的確に証明しているのが、「相互不信社会」だからの電子決済システムの急速な浸透。
そのうえに、今や、言論も行動も規制される不条理な社会。
どうだろう?
ますます他人を信用できないイヤな社会になっているのでは?
実は、我々普通の日本人と普通の中国人を比較した切実な話がある。
The misfortune of us Japanese must be that politicians, bureaucrats, and entrepreneurs are all “ peace-at-any-price” without a thorough vision(我々日本人の不幸は、政治家どもや官僚どもや企業家どもが、徹底したビジョンなき「事なかれ主義」ばかりであること)!
To be continued...