恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Is it really ironic that Japanese leftists with a real history taught the Chinese Communist Party sloppy communism and historical revisionism(本物の歴史のある日本の左翼主義者どもが、中国共産党に、いい加減な共産主義と歴史修正主義を教授したというのは、実に皮肉では)?
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、共産主義そのもののイロハを教えた日本人の内にいた共産主義者ども、いわゆる左翼どもが、尊大極まりない中国共産党を誕生させたと確信している。
そもそも、その長い歴史のなかで、ヒトを信じず、カネとモノしか信じない中国人に、真逆に、カネとモノを信じず、ヒトを信じる日本人が、「和をもって貴し」の国是から、モノゴトの本質的ロジックを無視して教授した表層的な共産主義。
それは、人民に平等に分配するとい言いながら自分たちがすべてのプロフィットを独占できる実に功利的なもので、中国共産党は、大喜びで取り入れた。
と同時に、狡猾な中国共産党は、日本の決定的な弱味は、カネとモノに一切頓着がなく、義理と人情に異常なほど弱いことだと見抜いていた。
一方、典型的な事大主義者の蒋介石が率いる中国国民党は、夷狄の日本に頭を下げるようなことはできなかった。
その結果、中国共産党に、「我々は少しでも多くの人民に満足な生活をさせたいのだ。そのために、日本の力が必要なんだ」と頼まれると、「中国人民を解放するんだ」と躊躇なく立ち上がって、その思うツボになった。
やがて、漁夫の利的に、中国共産党は、中国本土を手にする。
そして、1949年10月1日、毛沢東は「中華人民共和国」の建国宣言をする。
ここで、実に興味深いことがある。
このとき、日本留学組で残っていたのは、創立メンバーにいた4人のうち、たったの1人。
日本の私立大学で法律を学んだ、副主席になる薫必武だけだということ。
そう、この段階で、すでに人民のための共産主義国家を標榜していた農民出身の毛沢東に、そんな気など毛頭ないことを知った日本留学組の3人は、ニセモノ共産党である中国共産党と袂を分かっていたのである。
そのいい加減さを証明する話が、1つ。
中国共産党は、この7月1日、中国共産党創建100年を大々的に祝ったことは、すでに誰もが知っているはず。
では、なぜ7月1日なのか?
実は、毛沢東が、創建日をハッキリ思い出せなかったために、月初めの1日にしただけというから、何をかいわんや。
一事が万事、そんなデタラメさこそが、中国共産党の正体。
そして、歴史の捏造、歴史の修正は、中国共産党の定番。
けれども、その阿漕さは、そんな生半可なものではない。
5000年の歴史で体得した十八番の「マネートラップ」と「ハニートラップ」で、世界中の政治屋ども、とりわけ、脇の甘い我が国の政治屋どもなど、完全に籠絡ズミ。
だからこそ、どんな大ウソも平然と大ウソのまま通しきる臆面のなさ。
そして、パクることや盗むことが日常の民族らしく、同じ大ウソつき国家の米韓から丸写しで学んだ戦略が、捏造のプロパガンダ。
そう、「マネー」と「ハニー」に魂を売った日本人を活用した日本貶めのウソ八百。
なかでも、「日本に戦争で勝った」、「日本は戦争中野蛮な行為を働いた」、「南京で20(25?)万人以上を虐殺した」、「子どもを含む20万人を従軍慰安婦にした」という大がかりで執拗なウソは、その繰り返しが効果を上げ、欧米などの応援もあって、今なお我が国は「謝罪国家」。
それも、その欧米からまで、謝罪が足りないと罵られる情けなくてみっともない国家。
これもそれも、我が国が、言い訳するのは醜悪だ、いつかきっとみんなわかってくれる、特に本質的ロジックでモノを言うことができず、いつもエモーショナルにしかモノが言えない致命的欠陥を持っているから。
それを言いように利用しているのが、小狡い中国とその仲間の米韓。
東大で学び、我が日本が2019年中曽根康弘賞優秀賞まで授けてあげたケンブリッジ大学教授バラク・クシュナーなる53歳のエセ学者にまで、日本の謝罪やお詫びに政治的行動や誠意がないと断言されてしまうほど。
どうだろう?
もともと本物の哲学を持たない日本人でも、世界に誇る矜恃だけはあったはず。
そろそろ、それに基づいて、本質的ロジックで、世界に威風堂々とモノを言うべきときなのでは?
Perhaps because there are eight million gods, if you disturb the harmony when you say things with essential logic and philosophy, the argument is always weak when you say things to the world opponent because you have avoided a full-scale debate. That must be a fatal flaw in Japan(八百万神があるせいか、本質的ロジックや哲学でモノを言うと和を乱すと、本格的なディベートを忌避してきたからこそ、世界相手にモノを言うときにいつも論拠が薄弱になってしまう。それが、我が日本の致命的な欠陥)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、共産主義そのもののイロハを教えた日本人の内にいた共産主義者ども、いわゆる左翼どもが、尊大極まりない中国共産党を誕生させたと確信している。
そもそも、その長い歴史のなかで、ヒトを信じず、カネとモノしか信じない中国人に、真逆に、カネとモノを信じず、ヒトを信じる日本人が、「和をもって貴し」の国是から、モノゴトの本質的ロジックを無視して教授した表層的な共産主義。
それは、人民に平等に分配するとい言いながら自分たちがすべてのプロフィットを独占できる実に功利的なもので、中国共産党は、大喜びで取り入れた。
と同時に、狡猾な中国共産党は、日本の決定的な弱味は、カネとモノに一切頓着がなく、義理と人情に異常なほど弱いことだと見抜いていた。
一方、典型的な事大主義者の蒋介石が率いる中国国民党は、夷狄の日本に頭を下げるようなことはできなかった。
その結果、中国共産党に、「我々は少しでも多くの人民に満足な生活をさせたいのだ。そのために、日本の力が必要なんだ」と頼まれると、「中国人民を解放するんだ」と躊躇なく立ち上がって、その思うツボになった。
やがて、漁夫の利的に、中国共産党は、中国本土を手にする。
そして、1949年10月1日、毛沢東は「中華人民共和国」の建国宣言をする。
ここで、実に興味深いことがある。
このとき、日本留学組で残っていたのは、創立メンバーにいた4人のうち、たったの1人。
日本の私立大学で法律を学んだ、副主席になる薫必武だけだということ。
そう、この段階で、すでに人民のための共産主義国家を標榜していた農民出身の毛沢東に、そんな気など毛頭ないことを知った日本留学組の3人は、ニセモノ共産党である中国共産党と袂を分かっていたのである。
そのいい加減さを証明する話が、1つ。
中国共産党は、この7月1日、中国共産党創建100年を大々的に祝ったことは、すでに誰もが知っているはず。
では、なぜ7月1日なのか?
実は、毛沢東が、創建日をハッキリ思い出せなかったために、月初めの1日にしただけというから、何をかいわんや。
一事が万事、そんなデタラメさこそが、中国共産党の正体。
そして、歴史の捏造、歴史の修正は、中国共産党の定番。
けれども、その阿漕さは、そんな生半可なものではない。
5000年の歴史で体得した十八番の「マネートラップ」と「ハニートラップ」で、世界中の政治屋ども、とりわけ、脇の甘い我が国の政治屋どもなど、完全に籠絡ズミ。
だからこそ、どんな大ウソも平然と大ウソのまま通しきる臆面のなさ。
そして、パクることや盗むことが日常の民族らしく、同じ大ウソつき国家の米韓から丸写しで学んだ戦略が、捏造のプロパガンダ。
そう、「マネー」と「ハニー」に魂を売った日本人を活用した日本貶めのウソ八百。
なかでも、「日本に戦争で勝った」、「日本は戦争中野蛮な行為を働いた」、「南京で20(25?)万人以上を虐殺した」、「子どもを含む20万人を従軍慰安婦にした」という大がかりで執拗なウソは、その繰り返しが効果を上げ、欧米などの応援もあって、今なお我が国は「謝罪国家」。
それも、その欧米からまで、謝罪が足りないと罵られる情けなくてみっともない国家。
これもそれも、我が国が、言い訳するのは醜悪だ、いつかきっとみんなわかってくれる、特に本質的ロジックでモノを言うことができず、いつもエモーショナルにしかモノが言えない致命的欠陥を持っているから。
それを言いように利用しているのが、小狡い中国とその仲間の米韓。
東大で学び、我が日本が2019年中曽根康弘賞優秀賞まで授けてあげたケンブリッジ大学教授バラク・クシュナーなる53歳のエセ学者にまで、日本の謝罪やお詫びに政治的行動や誠意がないと断言されてしまうほど。
どうだろう?
もともと本物の哲学を持たない日本人でも、世界に誇る矜恃だけはあったはず。
そろそろ、それに基づいて、本質的ロジックで、世界に威風堂々とモノを言うべきときなのでは?
Perhaps because there are eight million gods, if you disturb the harmony when you say things with essential logic and philosophy, the argument is always weak when you say things to the world opponent because you have avoided a full-scale debate. That must be a fatal flaw in Japan(八百万神があるせいか、本質的ロジックや哲学でモノを言うと和を乱すと、本格的なディベートを忌避してきたからこそ、世界相手にモノを言うときにいつも論拠が薄弱になってしまう。それが、我が日本の致命的な欠陥)!
To be continued...