恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
Why did China become such an uninhabited yakuza nation? The reason is determined by the fact that the Chinese must be essentially greedy, lazy and vulgar(中国が、なぜここまで傍若無人の893国家になったのか? その原因は、中国人が本質的に強欲で怠惰で下品だからに決まっている)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、戦後、中国共産党の間者どもが証言した「日本は戦争中野蛮な行為を働いた」とか、「南京で20(25?)万人以上を虐殺した」などという大ウソをどうしてもそのまま信じることができない。
それ以上に、「抄家滅族」の民族である中国人やその間者どもにだけは、そう言われたくない
それはそうである。
野蛮このうえない中国人は、家捜しをして、金目のモノを略奪し、一人残らず一族郎党を皆殺しにするというのである。
そのことは、その長い歴史が明確に証明している。
それゆえ、本当の漢民族など、とっくのとうに根絶やしにされている可能性だってあるのである。
その意味で、「中華民族の偉大なる復興 漢民族至上主義」と聞くたびに、ついつい苦笑してしまうのだが…。
ともあれ、そんな中国人の正体を、我が国の普通の日本人が初めて知ったのは、1886年8月13日のこと。
1886年8月1日、中国の戦艦「定遠」と「鎮遠」が長崎港に入ったとか。
1886年8月13日、その2艦の乗組員ども約500人が、我が国の許可ナシで勝手に上陸。
泥酔し略奪を始めただけでなく、婦女子に乱暴狼藉し始めたうえ、丸山遊郭に繰り出し、中国人らしく先客を押しのけ、割り込んだためにトラブルになったとか。
そのために、駆けつけた警官が、中国人乗組員2人を逮捕したとか。
1886年8月14日、長崎県知事日下義雄と清国領事館の蔡軒との会談で、集団での水兵上陸禁止、上陸を許すときは監督士官をつき添わすことで協定を結び、逮捕していた中国人乗組員を清国側へ引き渡したとか。
すると、翌日の1886年8月15日、中国人らしく早速その協定を破って、思い上がった中国人乗組員ども300人近くが武器を持って警官3人のいる交番を襲撃し、警官1人を殺害し、2人に重傷を負わせたとか(1人は翌日死亡)。
そして、それを目撃し、警官を助けようとした長崎市民と斬り合うことになったとか。
その結果、中国人士官1人死亡&3人負傷、中国人水兵3人死亡&約50人負傷。
日本人側も、巡査2人死亡、警部3人負傷、巡査16人負傷、長崎市民十数名負傷という大事件、いわゆる「長崎事件」となったとか。
事件後、長崎においては英仏人弁護士の加わった会弁委員会で、また、東京では井上馨外相と徐承祖駐日公使により交渉が行われ、最終的には英独公使などの斡旋を経て、撫恤料として、日本から52500円、中国から15500円を支出するということで、妥結。
しかし、解決の実態は、そんなものじゃなかったとか。
まさに、今と同じ。
事実なんか一切無視。
ウソを並べて、1に、恫喝、2に、恫喝。
この「長崎事件」も全く同じ。
突然、重臣筆頭李鴻章が出てきて、「無抵抗の乗組員を襲って5人(?)を殺した。賠償しろ!」、「軍艦を増派する」、「もう戦争だ」、「8人(???)も殺したんだから、賠償金をもっと出せ!」、「犯人(?)を処罰しろ!」とどこまでも一方的。
すると、情けない日本政府、今のカネで数億円の賠償金を払ったうえ、日本人4人を禁固刑にしたというから、オー・ミゼラブル!!!
ちなみに、なぜ「定遠」と「鎮遠」が長崎港に入港したのかといえば、あちらは威圧だとおっしゃられているが、船舶に重きを置いていなかった中国国内には、そんな大型艦船を修理するためのドックがなかったからだというから、マンガ。
どちらにしても、中国人が、下品な893でしかないことは明白なのでは?
それだけは、21世紀になっても、何一つ変っていないと思うが、どうだろう?
We the ordinary Japanese are still aware of how savage the Chinese are, who must be savage and don't follow etiquette and morals(我々普通の日本人は、現在もなお、中国人なるものが、いかに野蛮でマナーやエチケットやモラルを守らない民族かを思い知らされているのでは)?
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、戦後、中国共産党の間者どもが証言した「日本は戦争中野蛮な行為を働いた」とか、「南京で20(25?)万人以上を虐殺した」などという大ウソをどうしてもそのまま信じることができない。
それ以上に、「抄家滅族」の民族である中国人やその間者どもにだけは、そう言われたくない
それはそうである。
野蛮このうえない中国人は、家捜しをして、金目のモノを略奪し、一人残らず一族郎党を皆殺しにするというのである。
そのことは、その長い歴史が明確に証明している。
それゆえ、本当の漢民族など、とっくのとうに根絶やしにされている可能性だってあるのである。
その意味で、「中華民族の偉大なる復興 漢民族至上主義」と聞くたびに、ついつい苦笑してしまうのだが…。
ともあれ、そんな中国人の正体を、我が国の普通の日本人が初めて知ったのは、1886年8月13日のこと。
1886年8月1日、中国の戦艦「定遠」と「鎮遠」が長崎港に入ったとか。
1886年8月13日、その2艦の乗組員ども約500人が、我が国の許可ナシで勝手に上陸。
泥酔し略奪を始めただけでなく、婦女子に乱暴狼藉し始めたうえ、丸山遊郭に繰り出し、中国人らしく先客を押しのけ、割り込んだためにトラブルになったとか。
そのために、駆けつけた警官が、中国人乗組員2人を逮捕したとか。
1886年8月14日、長崎県知事日下義雄と清国領事館の蔡軒との会談で、集団での水兵上陸禁止、上陸を許すときは監督士官をつき添わすことで協定を結び、逮捕していた中国人乗組員を清国側へ引き渡したとか。
すると、翌日の1886年8月15日、中国人らしく早速その協定を破って、思い上がった中国人乗組員ども300人近くが武器を持って警官3人のいる交番を襲撃し、警官1人を殺害し、2人に重傷を負わせたとか(1人は翌日死亡)。
そして、それを目撃し、警官を助けようとした長崎市民と斬り合うことになったとか。
その結果、中国人士官1人死亡&3人負傷、中国人水兵3人死亡&約50人負傷。
日本人側も、巡査2人死亡、警部3人負傷、巡査16人負傷、長崎市民十数名負傷という大事件、いわゆる「長崎事件」となったとか。
事件後、長崎においては英仏人弁護士の加わった会弁委員会で、また、東京では井上馨外相と徐承祖駐日公使により交渉が行われ、最終的には英独公使などの斡旋を経て、撫恤料として、日本から52500円、中国から15500円を支出するということで、妥結。
しかし、解決の実態は、そんなものじゃなかったとか。
まさに、今と同じ。
事実なんか一切無視。
ウソを並べて、1に、恫喝、2に、恫喝。
この「長崎事件」も全く同じ。
突然、重臣筆頭李鴻章が出てきて、「無抵抗の乗組員を襲って5人(?)を殺した。賠償しろ!」、「軍艦を増派する」、「もう戦争だ」、「8人(???)も殺したんだから、賠償金をもっと出せ!」、「犯人(?)を処罰しろ!」とどこまでも一方的。
すると、情けない日本政府、今のカネで数億円の賠償金を払ったうえ、日本人4人を禁固刑にしたというから、オー・ミゼラブル!!!
ちなみに、なぜ「定遠」と「鎮遠」が長崎港に入港したのかといえば、あちらは威圧だとおっしゃられているが、船舶に重きを置いていなかった中国国内には、そんな大型艦船を修理するためのドックがなかったからだというから、マンガ。
どちらにしても、中国人が、下品な893でしかないことは明白なのでは?
それだけは、21世紀になっても、何一つ変っていないと思うが、どうだろう?
We the ordinary Japanese are still aware of how savage the Chinese are, who must be savage and don't follow etiquette and morals(我々普通の日本人は、現在もなお、中国人なるものが、いかに野蛮でマナーやエチケットやモラルを守らない民族かを思い知らされているのでは)?
To be continued...