恒久不変な日本砂漠-46 本当に地球上の人間社会は「ワンチーム」なのか?
The Chinese Communist Party should understand that the cooperation of the USA, which has transformed from a police state in the world to a mafia state, must be absolutely essential for the 893 nation China to realize its childish dreams(893国家中国が自分たちの幼稚な夢を実現するためには、世界の警察国家からマフィア国家に様変わりしたUSAの協力が絶対不可欠であることを、中国共産党はよく理解している)!
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、麗澤大学でジェイソン・モーガン准教授の講義を受けられる学生たちは、幸運だな…と思いつつ、「例外主義」と「戦争の霧」のキーワードで、尖閣諸島について再考察してみた。
4月、ハーバード大学者らが集まる「ボストン・グローバル・フォーラム」で、尖閣問題に関するオンライン国際会議が開催され、今さらながら、USAのリベラル派という名の左翼どもと朋友の中国がグルになった、「尖閣諸島棚上げ合意」というフェイクニュースがUSAで罷り通っていることが証明されたとか。
どうだろう?
いくら平和ボケの日本でも、領土問題は、絶えず戦略問題に他ならないと自覚すべきときなのでは?
どの国から関心も興味を持たれていなかった尖閣諸島が、俄然注目されるキッカケは、今や誰もが知っているとおり、1969年、なぜか国連機関が周辺に石油が出るという報告書を挙げたから。
どうだろう?
ハナから焦臭いのでは?
その時代、石油こそが「金のなる木」というよりは、「金のなる水」。
どこの国の誰が国連を動かしたのか?
そのときの施政権も領土権も、1952年、「サンフランシスコ講和条約」で沖縄の一部とされたのだから、その沖縄を軍政下に置いていたのだから、当然のごとくUSA。
実際、それゆえ、中国も、台湾も、尖閣諸島について一言の文句も言えなかったはず。
では、どうして尖閣諸島問題に火がついたのか?
間違いなく、その火をつけたのは、台湾の蔣介石。
それはそうである。
中国共産党にあの広大な中国本土を力尽くで乗っ取られ、南の小島に追いやられていたことだけでも十分に断腸の思いだったのに、な、な、なんとその中国共産党がUSAとの国交正常化を図ろうとし始めていたのだから、その焦燥はハンパじゃなかったはず。
それに、こんなことになるなら、蔣介石、米英中首脳が集まった戦時中の「カイロ」会談で、沖縄の中国編入を主張しておけばよかったと後悔していたたから、なおさら。
えっ、そんなことをしていたら、今ごろ、尖閣諸島だけでなく沖縄までは中国のモノになっているって?
そのとおり。
東仙坊、個人的には、そうだった方が、今ごろ、イヤでも我が国に完璧な国防システムが完成していたと考えているのだが…。
もちろん、蒋介石の本音は、自分たちにはバナナとサトウキビしかないのだから、せめて石油の出る尖閣諸島だけでも台湾に譲って!と甘えてみただけ。
えっ、なぜ893国家中国がそのとき何も言ってこなかったんだって?
そこが、一番のポイント。
中国は、尖閣諸島なんて構っていられなかっただけでなく、滅亡の危機に瀕していたから、それどころじゃななかっただけ。
1969年、まだチンピラでしかなかった毛沢東、よせばイイのに、ウスリー川のダマンスキー島で、すでに正真正銘のマフィア国家だったレオニード・ブレジネフ率いるUSSR軍と国境を巡り大規模な軍事衝突をしていて、国家存亡の危機に直面していたからである。
それはそうである。
本当に戦争などした経験のない、イヤイヤ、戦えば必敗の歴史しかない中国共産党軍にとって、モンゴルに6個師団を配備し戦術核兵器まで装備したUSSR軍に敵うはずもナシ。
きっとボロ負けした毛沢東、USSR軍が北京侵攻してくるのではと一睡もできなかったはず。
では、なぜそうならなかったのか?
1969年9月、運よく共産主義国家でベトナム戦争の真っ只中だった北ベトナムのホー・チ・ミン国家主席が死去し、その葬儀が行われたハノイで、USSRアレクセイ・コスイギン首相と中国の周恩来首相が会談し、政治解決の道を探り、国境問題を先送りにすることで軍事的緊張が緩和されたからである。
その一方、小賢しい中国共産党、東西冷戦とベトナム戦争でUSSRと敵対していたUSAに、「我々は共産主義国家でも、USSRの属国ではない」と秋波を送っていたのである。
それはそうである。
国民の財産を全て没収し共有化する共産主義政策をパクった非現実的な「大躍進政策」を掲げ、「核武装と高度経済成長によって先進国USAやUKを15年以内に追い越す」と宣言した毛沢東、その結果、大飢饉と産業・インフラ・環境の大破壊を招き、2千万人以上の餓死者を出したうえ、国内の反発を抑えるためにチンピラ暴走族集団「紅衛兵」を組織し、「文化大革命」という第二の悲劇に突っ込んでいったのだから。
どうだろう?
どこかの誰かと誰かの近未来を占うようでは?
We ordinary Japanese, the second aimed at Mao Zedong Xi Jinping there is only continue to pray that you don't the mismanagement such as Mao Zedong(我々普通の日本人は、第二の毛沢東を目指す習近平が毛沢東のような失政をしないことを祈りつづけるしかない)!
To be continued...
■893国家中国を甘やかし寛大極まりない関与策を取り続け、木のテッペンにまで登らせてしまったUSA民主党の世紀の不作為
●日本は、歴史的にありとあらゆる影響を中国から受けてきたが、ただの一度も中国と真っ向から対峙したことはなかったのでは?
○日本は、この経済成長など見込めない時代だからこそ、中国の本当の顔を真摯に直視すべきとき
東仙坊、麗澤大学でジェイソン・モーガン准教授の講義を受けられる学生たちは、幸運だな…と思いつつ、「例外主義」と「戦争の霧」のキーワードで、尖閣諸島について再考察してみた。
4月、ハーバード大学者らが集まる「ボストン・グローバル・フォーラム」で、尖閣問題に関するオンライン国際会議が開催され、今さらながら、USAのリベラル派という名の左翼どもと朋友の中国がグルになった、「尖閣諸島棚上げ合意」というフェイクニュースがUSAで罷り通っていることが証明されたとか。
どうだろう?
いくら平和ボケの日本でも、領土問題は、絶えず戦略問題に他ならないと自覚すべきときなのでは?
どの国から関心も興味を持たれていなかった尖閣諸島が、俄然注目されるキッカケは、今や誰もが知っているとおり、1969年、なぜか国連機関が周辺に石油が出るという報告書を挙げたから。
どうだろう?
ハナから焦臭いのでは?
その時代、石油こそが「金のなる木」というよりは、「金のなる水」。
どこの国の誰が国連を動かしたのか?
そのときの施政権も領土権も、1952年、「サンフランシスコ講和条約」で沖縄の一部とされたのだから、その沖縄を軍政下に置いていたのだから、当然のごとくUSA。
実際、それゆえ、中国も、台湾も、尖閣諸島について一言の文句も言えなかったはず。
では、どうして尖閣諸島問題に火がついたのか?
間違いなく、その火をつけたのは、台湾の蔣介石。
それはそうである。
中国共産党にあの広大な中国本土を力尽くで乗っ取られ、南の小島に追いやられていたことだけでも十分に断腸の思いだったのに、な、な、なんとその中国共産党がUSAとの国交正常化を図ろうとし始めていたのだから、その焦燥はハンパじゃなかったはず。
それに、こんなことになるなら、蔣介石、米英中首脳が集まった戦時中の「カイロ」会談で、沖縄の中国編入を主張しておけばよかったと後悔していたたから、なおさら。
えっ、そんなことをしていたら、今ごろ、尖閣諸島だけでなく沖縄までは中国のモノになっているって?
そのとおり。
東仙坊、個人的には、そうだった方が、今ごろ、イヤでも我が国に完璧な国防システムが完成していたと考えているのだが…。
もちろん、蒋介石の本音は、自分たちにはバナナとサトウキビしかないのだから、せめて石油の出る尖閣諸島だけでも台湾に譲って!と甘えてみただけ。
えっ、なぜ893国家中国がそのとき何も言ってこなかったんだって?
そこが、一番のポイント。
中国は、尖閣諸島なんて構っていられなかっただけでなく、滅亡の危機に瀕していたから、それどころじゃななかっただけ。
1969年、まだチンピラでしかなかった毛沢東、よせばイイのに、ウスリー川のダマンスキー島で、すでに正真正銘のマフィア国家だったレオニード・ブレジネフ率いるUSSR軍と国境を巡り大規模な軍事衝突をしていて、国家存亡の危機に直面していたからである。
それはそうである。
本当に戦争などした経験のない、イヤイヤ、戦えば必敗の歴史しかない中国共産党軍にとって、モンゴルに6個師団を配備し戦術核兵器まで装備したUSSR軍に敵うはずもナシ。
きっとボロ負けした毛沢東、USSR軍が北京侵攻してくるのではと一睡もできなかったはず。
では、なぜそうならなかったのか?
1969年9月、運よく共産主義国家でベトナム戦争の真っ只中だった北ベトナムのホー・チ・ミン国家主席が死去し、その葬儀が行われたハノイで、USSRアレクセイ・コスイギン首相と中国の周恩来首相が会談し、政治解決の道を探り、国境問題を先送りにすることで軍事的緊張が緩和されたからである。
その一方、小賢しい中国共産党、東西冷戦とベトナム戦争でUSSRと敵対していたUSAに、「我々は共産主義国家でも、USSRの属国ではない」と秋波を送っていたのである。
それはそうである。
国民の財産を全て没収し共有化する共産主義政策をパクった非現実的な「大躍進政策」を掲げ、「核武装と高度経済成長によって先進国USAやUKを15年以内に追い越す」と宣言した毛沢東、その結果、大飢饉と産業・インフラ・環境の大破壊を招き、2千万人以上の餓死者を出したうえ、国内の反発を抑えるためにチンピラ暴走族集団「紅衛兵」を組織し、「文化大革命」という第二の悲劇に突っ込んでいったのだから。
どうだろう?
どこかの誰かと誰かの近未来を占うようでは?
We ordinary Japanese, the second aimed at Mao Zedong Xi Jinping there is only continue to pray that you don't the mismanagement such as Mao Zedong(我々普通の日本人は、第二の毛沢東を目指す習近平が毛沢東のような失政をしないことを祈りつづけるしかない)!
To be continued...